スノホミッシュはシアトルの食料庫であり、未だに多くの農場が経営されている。
今が旬の夏野菜がたわわに実り、それを取り入れるドローン達が無数に飛び回っている。
そんな、スノホミッシュの北部、スノホミッシュ川に沿うようにあるバラ園、サークルファームだ。
色とりどりのバラが咲き誇りバラの迷宮を構成している。
バラの生け垣で仕切られたその敷地は、門すらもバラで構成されている。
7月はまさにバラの最盛期であり、敷地では溢れんばかりのバラが咲き誇り、その甘い香りは周囲を圧倒する。
しかし、このバラ園は天然育成にこだわってバラを育てており、一般の見学はできず、関係者以外は周囲からその素晴らしさを眺めることしかできない。
もちろん、外から見える生け垣だけでも、どれほどの手間暇をかけて育成されているかは素人が見ても一目瞭然であり、素晴らしさに感嘆の声は絶えない。
花泥棒は頻発するものの精霊を中心としたセキュリティは強固であり、被害は最小限におさえられている。
バラ園自体はとある天然派農業企業の所有になっており、何らかの研究所なのではないかと見られている節がある。
そのバラ園の入り口の門をくぐるのは1人のエルフ女性。
その肌は抜けるように白く、銀色の髪と緑の瞳はまるで指輪物語の世界から抜け出してきたようなエルフの姿だ。
しかし、その衣服はグリーンの短めのタンクトップにデニムのパンツとラフに着こなしており、美しいファンタジー種族感を台無しにしている。
彼女は迷いなくバラの迷宮を進み中央にある居館に到達する。
居館はアール・ヌーヴォー風の建物であり数十人程度は住むことができそうなホテルのような建物だ。
そして居館に取り付けられたドアノッカーを鳴らす。
待つことしばし。
すると、中から40代程のヒューマンの女性が扉を開く。
女性は三分袖のパフスリーブのついた黒のAラインのワンピースを身に着けている。
裾の部分はレース地になっており、意匠化された女神と月が編まれている。
「ただいま戻りましたお姉さま。」
エルフの女性が優雅に、そして儀礼的に頭を下げる。
同様にヒューマン女性も同じ仕草で頭を下げる。
何らかの儀式であろうか。
「暑い中ご苦労だったね、エル。とりあえず、お上がりよ。」
館内は風の通りが良くなるように設計されているのか、自然ながら快適な室温が保たれている。
「ありがとうございます。バラは今が見頃ですね。本当にいつ見ても美しい。」
ヒューマン女性が嬉しそうに頷く。
「本当に今年も綺麗に咲いてくれて良かったわ。姉妹団の収入の大半を支えてくれてるからね。」
エルの笑顔が僅かに引き攣る。
「今日あたしが呼ばれたのは、薔薇の摘み取りですか?」
「それは、またお願いするけど、今日は違うのよ。」
そんなことを話しながら応接間に通される。
応接間の窓は開け放たれ、よく手入れされたバラ園の眺望が広がる。
川沿いにあるという立地によるものか、大きく開け放たれた窓からは夏のさなかとは思えないような薔薇香る涼風が吹き込む。
この1級のリゾートのような部屋には先客が1人。
夜の闇を塗り固めたような黒髪を腰辺りまで伸ばし、淡い緑のワンピースを身に着けたオークの女性だ。ワンピースのウエストにはケルト紋様が編み込まれたベルトで細く絞られ、ワンピースの裾には月と薔薇の刺繍が施されている。彼女は部屋の中央のソファーに腰掛けティーカップを傾けている。
「ミカ姉さま! いつシアトルへ? ボストンで何かトラブルですか?」
ミカと呼ばれたオーク女性は苦笑いをしながら言葉を返す。
「ボストンリニージはうまく行ってるわよ。最初一悶着あったセイラムの魔女団とも和解できたし。」
ミカの隣りに腰を降ろすエルとお茶を入れてくれるヒューマンの女性。
「ありがとうございます、ケイト姉さま。姉妹団のローズヒップティーは本当に美味しいから好きだわ。」
「それは良かったわ。いつでも、戻ってきても良いのよ。」
エルが静かに首をふる。
「姉妹の恩義を忘れてはいませんが、姉妹団を第一義に生きることはできません。」
ケイトは穏やかに笑う。
「本当に頑固ね。あたし達は助けたいから女性を助けてるし、自然を守りたいから守っているわ。恩義なんて感じなくても良いのよ。」
エルは静かに頭を下げる。
「だから、仕事としてお願いをしたいのよ、エル。ミカ、説明をしてちょうだい。」
「はい、姉さま。さっきも言った通りボストンリニージはうまく行ってるけど、色々な人の助力を受けた上でやっと軌道に乗ってきたというのが正直なところなの。」
新しい都市で魔術結社が根を下ろすのは簡単なことではない。様々な既得権益との戦いになり、結果を出すのは並大抵の苦労ではない。
それは彼女達アリアドネの姉妹団と言えども例外ではない。彼女達はシアトルでこそ古参の魔女団として勢力を築いているが、他の都市で同様に展開をできるわけではない。ましてや、フェミニスト団体や環境保護団体としてのセーフネットとして機能しながら魔女団として活動する。地元企業の援助を受けるにしても、環境や女性の扱いに一家言ある組織は扱いにくい。
必然的に単純な利害よりも思想的共感や社会貢献活動としての関係を求めることになり一筋縄では行かない。
そんな中、ボストンリニージ単体で運営ができるところまで育てたならミカの手腕はかなりのものだろう。
「ボストンの顔役で、色々骨を折ってくれたランナーチームがいるんだけど、そこのメイジがドイツの魔女団シー出身なのよ。彼女は同じ魔女の同胞としてボストンの地場がためを助けてくれた経緯があるの。」
現代の魔女団と歴史で語られる魔女の間には大きな隔たりがある。
土着の医療師としてキリスト教により迫害された存在としての魔女の系譜は現代では、ほとんど途絶えている。
現代の魔女団はフェミニズム運動により生まれた女性が女性らしく生きる権利とキリスト教により滅ぼされた女神の復権としてのネオペイガニズムが融合して生まれたキリスト教の亜種として信仰を土台としている。
それでも120年近い歴史を持てば伝統や派閥が生まれるのは必然であろう。
彼女達アリアドネの姉妹団は、その中でも良き魔女を目指す組織であり、困っている女性は無償で助け、目に余る環境破壊には毅然と対抗し、善良なる隣人達への助力は対価こそ受けるものの惜しまない、そんな魔女団だ。
反面シーはその名の表す通り女性権利を優先した組織であり、影の世界などで搾取される女性の救済を目指しまず女性のために活動する影よりの組織だ。
「彼女の姉妹がドイツ博物館のキュレーターとして、ベルビュー美術館を訪れていたらしいの。」
魔女団が孤児を育てるのも珍しいことではない。しかし、そこから表の世界で大成するのは並々ならぬ努力が必要であったことだろう。
「妹ちゃんはシアトルで仕事が終わった後、ボストンの姉を訪ねる予定だった。」
エルがコクリと頷く。
「しかし、彼女は現れなかった、と。」
「悲しいことにね。キュレーターとしての仕事が終わっていることは確認できてるのだけど、シアトルを出た形跡がないらしいわ。少なくとも公式にはね。」
「依頼人が、自分で動かないのに理由は?」
「大きめのランが絡んでいて自分達が動けないみたい。で、貸しがあってシアトルに伝手のあるあたしに相談が来たわけ。」
エルが強く頷く。
「わかった、最善をつくすわ。」
ケイトが小首を傾げる。
「この話は嫌な感じがするの、気をつけてちょうだい。」
「それは啓示術ですか?」
「を含んだ予感ってところかしら。」
エルは肩をすくめる。
「わかりました。気をつけます。では、ことは一刻を争いそうですので、近況報告はまた改めて。」
3人は伝手を伝い1人のキュレーターを探すことになる。
影を走るエキスパートとしてではなく、友人の家族を助けたいと人としての気持ちに従って。
サークルファーム/Circle Farm
『Seattle 2072』より。
リニージ
魔女団の名称で分派を意味する単語。
セイラムの魔女団
クトゥルフで有名なセイラムの街では、魔女の結社が影響力を持っている。
ボストンで猟奇殺人が起きると魔女団が無関係であると声明を出す程度には影響力がある様子。
アリアドネの姉妹団/Sisterhood of ariadne
シアトルでは単に姉妹団と呼ばれている様子。
『Street Grimoire』『Seattle 2072』より。
魔女団シー/SIE
『Ragnarock』より。
ネオペイガニズムと魔女
『魔女の世界史』を参考にさせていただきました。