イゼルローン共和政府の考察について書いてみた

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一部、「リヒテンラーデの孫」と共通する設定がありますが、一応原作通りの世界線という想定で考察しています


イゼルローン共和政府について

1.イゼルローン軍政区

 イゼルローン共和政府について語る前提として、最低限自由惑星同盟時代のイゼルローン要塞の行政の在り方とエル・ファシル独立政府の内幕について知っておかなければ、正しい理解を得ることは難しいため、双方の概略をまず解説したい。まずは同盟時代のイゼルローンについてである。

 宇宙暦796年の第7次イゼルローン攻防戦により要塞の奪取に成功後、同盟政府と軍部はある問題に直面することになった。

 というのも、自由惑星同盟は建国以来、イゼルローンのような規模の軍事基地を有した前例がなかったため、その行政をどのように行うかということであった。

 第6次までのイゼルローン攻防戦であれば、結局のところ無意味に終わったが、事前に政府と軍部が協議し、攻略した場合の統治機構の構築及びその人事が内定していたため、それほど混乱が起こることもなかったであろうが、第7次攻略戦に関しては軍部のスタンドプレーの色彩が強く、そういった同意が政府と軍の間でなされてはおらず、どのような行政単位を設置すべきか、人事はどうするべきかと政府と軍の上層部で大変な混乱が発生した。

 結果として、そう時をおかず最高評議会で帝国領遠征が決議されたこともあり、なし崩し的にイゼルローン要塞全体を軍事施設とみなし、そこに住まう民間人は「軍施設の客人」という扱いをすることに決まり、国防委員会の監督の下、遠征軍総司令官であるラザール・ロボス元帥が統治全権を握る「イゼルローン軍政区」が設置されることとなった。

 帝国領遠征の失敗に伴い、ロボス元帥は責任を取る形で引退し、代わってイゼルローン要塞司令官・兼・駐留艦隊司令官に任命されたヤン・ウェンリー大将がイゼルローン軍政区の最高責任者ということになった。ロボス時代との違いとして、地方議会に準じる協商審議会という機構が設置されたことであるが、これはあくまで「軍部の諮問機関」という位置付けで権限はなく、住民代表者に対して軍からの要請を伝えたり、あるいは逆に住民代表者から軍への嘆願を聞くという役割に終始し、良くも悪くも軍政の一部としての役割が強く、独自性のある議会というわけではなく、住民代表者も自分が政治家であると認識している者はほぼ皆無であった。

 宇宙暦799年のバーラトの和約締結に伴い、イゼルローン軍政区は自由惑星同盟の行政単位として消失したが、宇宙暦800年の第9次イゼルローン攻防戦によってイゼルローン要塞がエル・ファシル独立政府の勢力圏に入ると、独立政府の行政単位として「イゼルローン軍政区」が復活し、再びヤン・ウェンリー元帥がイゼルローン要塞司令官・兼・駐留艦隊司令官に任じられて軍事委員会の監督の下、統治全権を掌握することとなり、同盟時代のイゼルローンのあり方を復活させていった。

 

 こういった経緯のため、イゼルローン軍政区という狭い範囲だけでみれば、民主的な要素も文民統制の要素も著しく低く、ある意味ではこの頃の方がイゼルローン共和政府時代より遥かに「軍閥的」な存在であったともいえるかもしれない。

 

 

 

 

 

2.エル・ファシル独立政府の成立

 フランチェスク・ロムスキー主席の下、民主共和制への民衆の熱望が故に誕生したと思われがちなエル・ファシル独立政府であるが、内情はいささか複雑な様相を呈していた。

 バーラトの和約のために、レベロ政権が制定した反和平活動防止法により、反帝国活動は同盟全域で犯罪と定義されるようになっていたが、それでも帝国に屈したことへの怒りを募らせて暴発する元強硬主戦派の数は少なくなく、同盟政府はこれへの取り締まりに追われていた。

 そしてエル・ファシルの地方政界では、たいへん自由主義的な気風が強い政治的環境が育まれていたこともあり、「政治思想を理由に取り締まるなんてよくない」という考えから、極めて雑な取り締まりがされており、それがためにそうした思想の持ち主が大量にエル・ファシルへと流入していたのである。そしてレンネンカンプ弁務官の謀略に端を発する首都ハイネセンでの一連の事件におけるレベロ政権の右往左往ぶりを感じ取った元強硬主戦派は「レベロ政権は売国的」と決めつけ、独自に武装組織を作り上げて大規模なデモ活動を起こした。

 当時のエル・ファシル政府首相は仰天して、デモを取り締まろうとしたが、エル・ファシル政界の大物政治家であったフランチェスク・ロムスキーがデモに共感を示し、巧みな説得で議会内に多数派を形成して政権不信任を決議し、そのまま自らが政府首班におさまると独立を宣言した。

 元強硬主戦派が率いた組織は、そのままエル・ファシルの正規軍「革命予備軍」として改組され、革命予備軍は非常時故にロムスキーを頂点に据えて軍事独裁体制を要求したが「文民統制は民主主義の原則であり、軍人は軍務にのみ精励すべきであって、政治参加を望むなら軍服を脱ぐべきでしょう」とロムスキーに諭され、その考えを撤回して言論にて戦う姿勢をみせ、エル・ファシル政界が再編されていくこととなる。

 

 

 

 

3.エル・ファシル独立政府における主な勢力

 エル・ファシルにおいては様々な政治的影響力を持った勢力が存在していたが、特に存在感を発揮していた三勢力についてもここで解説しておく。

 

3-1.自由独立党

 もともとあったエル・ファシルの地方政党を主体とした自由主義政党で、代表はフランチェスク・ロムスキー。

 党是として「同盟憲章秩序再建。民主主義体制存続」を掲げ、政府と議会では常に主流派であったが、軍事方面に長けた人材が不足しており、それがいつもネックとなっていた。

 また党内においても様々な派閥が混在しており、とても思想的にまとまりのある政党であるとも言えなかったが、ロムスキーのカリスマと統率力もあり、組織としての一体性を維持することには成功していた。

 ロムスキーの死後、最初から独立運動に懐疑的な見解を持っていた派閥が党と政府の主導権を握り、帝国への降伏処理とエル・ファシル独立政府の解散を担当することとなる。

 

3-2.救国戦線

 エル・ファシルに流入していた元強硬主戦派による組織は、そのまま革命予備軍へと改組されたが、政治的影響力を求めた者たちが軍服を脱いで新しく立ち上げた政党が救国戦線である。

 党是として「反専制主義。主権と独立。祖国救済。再革命」を掲げ、党首に救国軍事会議に加担して収監された経歴の持ち主を据えていることからわかるように、かつての同盟の主戦派勢力の上澄み感があった。

 革命予備軍から分派した組織だけあって、軍人からの支持は凄まじく高く、その初期においては革命予備軍の政治部門とでもいうべき存在であったが、ヤン一党の合流に伴い、過激な下級将校や兵下士官の代弁者へと立ち位置を変えた。

 エル・ファシル政府解散に伴い、少なくない党員の離脱者を出したものの、党としては後のイゼルローン共和政府へと合流し、一定の存在感を維持し続けることとなる。

 

3-3.ヤン一党

 自由惑星同盟から離脱したヤン元帥を中心とする軍人グループで、ヤン元帥が「最大の民主主義擁護者」として大衆から認識されていたこと、また艦隊戦力を有して多くの高級将校を抱えている点から、彼らの独立政府への参加をロムスキーは諸手をあげて歓迎し、革命予備軍の上層部を占めることとなった。これは救国戦線にとっては既得権益を失うことであったのだが、救国戦線党員と革命予備軍将兵はヤン元帥を「民主主義軍隊の最大の英雄である」と認識しており、その指揮下に入れることを歓喜して革命予備軍司令部のポストのすべて明け渡したという逸話が残っている。

 エル・ファシル独立政府時代、ヤン一党は自由独立党との軍事戦略上における摩擦、救国戦線の精神主義的・情緒的言論との対峙しつつ、多大な軍事的成果をあげ続けた。

 ヤン・ウェンリーの死後、このグループは新たにイゼルローン共和政府を立ち上げ、その中核となることになる。

 

 

 

4.イゼルローン共和政府の構造構築

 エル・ファシル独立政府の解散に伴い、イゼルローン要塞以外に住むべき場所を失った者たちは、新しい政府の設立に着手した。

 民主主義の理念を残すために戦いを続けるという姿勢を示すために、可能な限り民主的な政府構造にすることが望まれたが、あくまで理念にとどめる決断を下すことになった。

 というのも、八割以上が軍人ないし軍関係者で、残りのほとんどがその家族というのでは、民主的な政府運営など現実的にどうやっても不可能であると結論づけざるをえなかったのだった。

 よって「民主主義的でなくても共和主義的であれば、ひとまずはよしとすべきである」と妥協の下、政府構造を作り上げてていくこととなった。

 

 

4-1.協商審議会の立法府化

 真っ先に取り組まれたのは、立法府の設置であった。いくらなんでも軍部が全統治権を掌握しているイゼルローン軍政区の仕組みのままでは、軍事独裁でしかないとされたのである。

 そこで一応地方議会に準じる諮問機関として設置されていた協商審議会を、正式な議会として軍から独立させ、立法権を付与すべき、ということになったのである。

 しかしエル・ファシル独立政府解散に伴い、協商審議会の議員も少なからず離脱しており、また先述のとおり協商審議会議員も自分たちが政治家であるという認識がない者が圧倒的多数派であった。

 そこで彼らがとった措置は、エル・ファシル独立政府議会の議員であった者に、協商審議会議員の資格を与えるという強引な措置であった。

 これによって、協商審議会の議員の数を割り増しすると同時に質も高め、一応は議会としての体裁を整えることに成功したのである。

 

4-2.フレデリカ・グリーンヒル・ヤン政府主席の選出

 戦時における立法権代行を担う中央委員会を互選により選出するまではトントン拍子ですすんだものの、政府主席の選出となると議論が紛糾して結論がでなかった。

 協商審議会議員の全員の本音としては「自分はなりたくない」「でも他の誰かがなっても納得できない」というところであったのだから、当然といえば当然のことであった。

 そこで軍部から「フレデリカ・グリーンヒル・ヤン中尉を軍籍から外し、政府主席に選出してはどうか」という提案が入った。

 もともと協商審議会に席をおいていた議員達はフレデリカの人柄をよく知っていたし、「軍部の要望には可能な限り従わなきゃ」と今までの習慣もあって普通に賛成の声をあげた。

 いささか困惑したのは救国戦線所属の議員たちである。というのも彼らは協商審議会において最大勢力となっていたのだから、当然、「政府主席は党内から出すべきでは?」という意識があったのである。

 しかしながら対案がないので「ヤン元帥の配偶者であれば、顔役としては十分すぎるでは」ということで賛成しようという流れになってきて、それに抗弁しようとする者もいたが、「彼女はヤン元帥の妻であるのみならず、あのドワイト・グリーンヒル大将の娘さんなんだぞ!」と党首が涙ながらに叫ぶと、最後まで反対の声をあげ続けた議員もばつの悪さを感じて渋々妥協し、全会一致でフレデリカ・グリーンヒル・ヤンを政府主席に選出することとなった。

 このように、多分に縁戚が関係しての人事であって、政府主席として適性かどうかの議論か大変怪しいものであったが「彼女以外のだれが政府主席になっても不満の声があがってまとまらないだろう」ということで、それ以来批判の声をあげようとするものはイゼルローン共和政府が解散するまで終ぞでることがなかった。この物わかりの良さが組織としては幸運なことで、民主共和政体を奉じる者達の組織として考えると不運なことであった。

 

4-3.行政府の設立

 フレデリカが政府主席と決まると、今度は行政府を構築していくこととなり、これは同盟初期の政府構造を参考にしながら、最終的に政府主席の下に官房、外交・情報局、軍事局、財政・経済局、工部局、法制度局、内政局の七部局が設置されることとなった。

 軍事局長としてアレックス・キャゼルヌ中将を任命することは特に議論も起こらずスムーズに決まったが、それ以外の部局の長は決まらなかった。

 民主共和政体を奉じる建前もあって、軍事局以外の人員は非軍人の文民政治家にしようとされ、実際に数人の人員が配置されはしたものの、もう残っている熱意ある文民政治家といえば救国戦線所属の者が支配的で、フレデリカは彼らに深刻な不信感を抱いており、決定権を与えることを嫌がり、そうした感情はヤン一党の者達も概ね共有していた。そこでフレデリカが軍事局長以外の6つの局長ポストを兼任し、救国戦線が推薦する人材を局長補佐としておき、信頼関係が醸成されればフレデリカは局長兼任を解き、補佐だった者を局長に据えるという案を出し、協商審議会にて承認された。

 しかしながら、イゼルローン共和政府の寿命が短すぎたこともあって、結局正式に局長に任じられたものは軍事局長のキャゼルヌ以外存在しなかった。

 

4-4.司法権は軍部保持のまま

 立法権、行政権を軍部から切り離して政府としての体裁を整えてきたものの、司法権となると暗礁に乗り上げた。

 新しく最高司法裁判所のようなものを設置しようにも人材が致命的に足りなかったのである。憲兵部門を軍から切り離すという案も出るには出たが、形式的にすぎるとして却下され、司法権は軍部が担当し続けるということになった。

 

4-5.ユリアン・ミンツが革命軍司令官に就任

 ユリアン・ミンツ中尉が全軍の司令官になるという軍部の決定には、政治家たちに衝撃をもたらした。

 実績からいって、司令官になるべきはダスティ・アッテンボロー少将かワルター・フォン・シェーンコップ中将であろうと思われていたのである。

 救国戦線は即座にミンツ中尉ならびに両将官を協商審議会に召喚しての諮問を要求し、フレデリカはその要求に従い、審議会でその問題について語り合ったが、「どっちが明確に上になったら仲違いが発生しかねない。ならいっそ、我々の忠誠心をひとつにまとめれる人材を司令官につけるべきだ」という返答が返され、ユリアン・ミンツに司令官になる覚悟をきつく確認したのち、人事を了承することになった。

 

 

 

 

5.結論

 このような流れで成立したイゼルローン共和政府であるが、大変歪なものであり、しかも大部分が軍上層部の良識と自重に支えられたものではあったが、上意下達を旨とする軍隊では言いにくい命令を受ける側の将兵の感情や意思を救国戦線が汲み取り、政府が軍上層部の、協商審議会が軍下層部の代弁者となり、緊張感のある活発な論争が行われた。オリビエ・ポプラン中佐などにいわせれば「精神主義と感情論の混ぜ合わせに主席がわざわざ対応することになっただけ」とのことだが、救国戦線支持者の兵士となると「普通ならとりあげられすらしないだろう、自分たちの不満が大きく扱われてる協商審議会での論争を拝見していると、胸のすく思いがあって、本当良い居場所であったと思う」ということになる。

 また些細なことではあるが、政府からあげられた要望により、軍部が多少のエネルギー資源を民間用に譲ったことなどの例もあり、「イゼルローン共和政府は民主主義的ではなくても共和主義的な組織ではあった」という結論になるのかもしれない。

 

 



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