「そろそろ降ろしなさい。こんなところをレムに見られたら生きて帰った意味が無いわ」
村へ着く直前、背中のラムが呟く。既に涙は引いていて、滴の伝った頬も俺の背で拭ったようだ。
にしても、どこかで聞いた事があるような台詞。ベティーを背負って村へ来た時と似ていた。なので彼女同様にラムをからかってみる。
「正直、もっと早くに降ろせって言われるかと思ってた」
「頑張ったご褒美よ。存分にラムのお尻を堪能できたでしょ?」
「そうだな。お尻は堪能させて貰ったよ」
顔色一つ変えずに返す言葉は実に彼女らしい。
できれば背中に当たる感触がもう少しボリューミーだったら言うことなしだが、無い物ねだりは言うまい。
しかし、あるものは頂こう。ベティーの照れ顔は乙なものだったが、ラムのそれも興味があるのでもう少し踏み込んでみる。
「このまま村まで送ってやってもいいんだぞ?」
「……馬鹿ね。あなたがそれで良いならラムもいいけれど。あなたの為の提案よ」
「俺の為?」
「レムに殺されたいなら、どうぞご自由に」
「……それは確かに、生きて帰った意味が無くなるな」
素直にラムの忠告を聞いて、膝を曲げ彼女を地に降ろす。
ラムは背中からの降り際に、肩に乗せるだけだった手を腕ごと首に回し、そっと俺の耳元へ口を寄せた。
「ありがとう。
「っ!!!」
囁かれた息が耳に当たるのがこそばゆかったのもあるけれど、その声色には妙に色気があって俺の頬にこそ赤みが刺してしまう。
やっぱりどこの世界でも、弟は姉には敵わないようだ。
ラムと並んで夜の森を歩く事しばらく、見えてきた村には灯りが集まっていた。お出迎えとはちょっと気恥ずかしい。こんなボロ雑巾のような姿でなく、飄々と帰って来たかったものだ。
「あっ、お帰りになったぞ」
村人の男が俺たちに気がつき声を上げる。些か刺激の強い左上半身を隠そうにも、着物ごと焼かれてしまっては仕方がない。
その最前列にはエミリアたちの姿も見える。嫁入り前の淑女に上だけとはいえ裸を見せてしまって申し訳ない。まあ、乳首も焼け落ちて見えないし健全、健全。
「ただいま戻りました。エミリア様」
ラムが一歩先んじて帰宅の挨拶をする。エミリアたちはラムを見て、そして少し遅れて暗がりから現れた俺を見て目を見開いて驚く。やはりエッチが過ぎたか?
エミリアは口元を押さえて顔を青ざめさせている。
ベティーは涙を溜めてこちらへ駆け寄ってくる。たぶん彼女は俺が襲われている事も何となくは気付いていたのだろう。でも、待ってると約束したから信じて此処で帰りを願ったのだ。それなのにこんな姿で申し訳ない。
それと、ラムを降ろしたのは正解だったな。
「ただい、ま」
彼女たちの姿を見た俺は、意識を失い地に崩れ落ちる。帰ってくる約束を果たして気が緩んだか。
最後に仰ぎ見たのは、俺に駆け寄ってくれた彼女たちの覗き込む顔だった。
「トキモリくん!!トキモリくん!!しっかりしてください!!」
その輪の中にレムがいて、彼女が泣いてくれていた事は意外だった。
あぁ、にしても皆んな焦ってる顔もかわいいなぁ。
目が覚めると、そこは見知った天井だった。異世界に見知った場所ができたのはいい事だ。
「禁書庫か」
「やっとお目覚めかしら」
ベティーはいつもの椅子に姿勢良く腰掛けていた。本をパタンと両手で閉じると、くるりとこちらへ向き直る。
「……黒」
「……何かしら?」
「いや、なんでもない。何日ぐらい寝てた?」
「丸四日目の朝なのよ。ベティーは看病で付きっきりだってのに、呑気な寝顔だったかしら」
その顔を見ると不機嫌というより疲労が伺える。目の下には隈も見えるが、何より泣きはらしたように赤みを帯びていた。
堪らず起き上がりベティーを抱きしめる。
「すまん。待たせてばっかりだな」
「ほんとなのよ。何が安心して待ってろかしら」
ベティーは小さな腕を目一杯広げ抱き返してくる。それでも俺の肩甲骨あたりまでしか届かない小さな手。彼女が素直にこんな態度を取るなんて、相当に寂しい思いをさせてしまったらしい。
しばらく抱きあっているとベティーの方から少しだけ離れ、彼女は俺の左腕を両手で優しく取る。
お互いの息がかかりそうな距離で、ベティーは慈しむように呟く。
「応急処置はしたかしら。脇腹の裂傷は完治してる筈なのよ。でも、こっちはそれなりにマナを使うかしら」
「治るのか?こんな傷でも」
「……どの程度の傷なら治せるのかも知らずに戦った事は後でお説教かしら。ベティーの溜め込んだマナを使えば、腕も目も治せるかしら。ただ、お前が起きるまで、ベティーはお前を守って戦えるだけの力は残しておかなければならなかったから、治療は後回しにしたかしら」
「……そうか」
やはりベティーは俺が誰と戦ったのか知っていたのだ。だから文字通り、寝ずに番をしてくれていたのだろう。
「ベティーはお前を傷つけた奴を許さないかしら。お前が帰って来てなかったら、ベティーは容赦なく鬼の姉妹もろともロズワールを殺していたのよ」
「すまん、ありがとう。襲われた理由についてはーー」
「建前上の説明は帰ってきたロズワールからあったのよ。だからベティーはお前が目覚めるまでの間、禁書庫で匿う事で今は我慢しているかしら。……ただ、お前が目覚めるのがもう少しでも遅かったら、ベティーはあいつらに何をしたか分からない」
そう語るベティーの目には見た事のない怨嗟の色が混じる。
400年以上生きた精霊の貫禄を感じる。これからはベティーは怒らせないようにしよう。
「ロズワールがお前を襲った本当の理由は大方見当が付くかしら。ベティーも福音書を持つ一人として。ただ、途中で手を引いた理由がベティーにはわからないかしら」
「ベティーの福音書には書かれて無かったのか?」
「同じ福音書でも記載される内容は違うのよ。……まさか福音書にお前の事が?」
「あぁ、見たわけではないがロズワールが呟いていたよ。『墨村時守を殺すな』って」
「殺すな?随分とおかしな書かれ方をするかしら。そんな書き方、ベティーは一度だって見た事がないのよ」
「ロズワールも同じ事を言っていた。それから奴の様子がおかしくなったんだ。いきなり天を仰いで『見ているのか?
「ッ!!!!」
ベティーの反応からしても、やはりエキドナがロズワールと彼女に深く関わりのある人物だという事がわかる。
「そのエキドナっていうのは誰なんだ」
「……強欲の魔女、と言う方が通りはいいかしら。福音書、およびベティーの『お母様』なのよ」
「ベティーの生みの親。魔女っていうのは何人もいたのか?」
「今の世で魔女を指す人物は嫉妬の魔女かしら。正確には他にもいるのだけど、その嫉妬の魔女が取り込んだ六人を合わせての七大魔女が一般的なのよ」
嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、色欲、暴食、そして強欲の魔女がエキドナ。福音書とベティーの生みの親で、ロズワールにとっての何か。彼の尋常ならざる様子から、その執着の度合いが伺える。
「嫉妬の魔女に取り込まれたのなら、福音書に記すも何もなくないか?」
「魂だけは聖域と呼ばれる墓所に眠っているのよ。嫉妬の魔女が復活した時の抑止力として。もし本当に『お母様』がお前を助けたのならーー」
「やっぱり俺がベティーの待つ『その人』って事か?」
ベティーは俺の左手を離すと丸椅子から立ち上がり、背を向ける形でマットレスに腰掛ける俺の膝の上に座る。
「……分からないのよ。でも、ベティーは真偽がどうであれお前であって欲しいと思っているかしら」
「ありがとう。ベティーが引っかかるのは、俺が『その人』だった場合、この世界に呼んだのもエキドナなのかって事だよな」
「そうかしら。いくら『お母様』でも異世界間の転移なんて魔法が可能なのかがベティには疑問でならないのよ」
「なら、聞きに行くか」
「……へぁ?」
ベティーは聞いた事も無い素っ頓狂な声をあげ、見上げるように背後の俺を見る。口をあんぐりと開けたその姿は、見た目以上に幼く見える。
「行くって、どこになのよ?」
「聖域だよ。魂が封じられているなら、そこにお邪魔すれば良い。禁書庫に裏口から入れる俺なら可能だろ?」
「お前、正気かしら。『お母様』含め、魔女という存在を舐めているとしか思えないのよ」
「元いた世界じゃあ神様の寝床修理とかだって請け負ってたんだし大丈夫だよ。それに挨拶をする時、相手方の親が怖いのは世界共通だ」
「……挨拶ってなんのかしら」
「娘さんをくださいって」
「きゅぅぅぅ」
ベティーは、まるで風船が萎むような音を立てて、俺の膝の上でへたり込んだ。頬どころか耳まで真っ赤に染めて目を回している。
どかす気にもなれずほっぺたをつついたりして遊んでいると、疲れもあってか結局ベティーは半日眠っていた。
昼過ぎになって漸く目覚めたベティーは、起きるや否や逃げるようにそそくさと丸椅子に退散してしまう。
「と、とにかく今後の予定は後にして、今は腕を治すかしら」
「その必要はなぁいよ」
ベティーへの返事は、いつの間にか開けられていた屋敷へ繋がる扉から聞こえた。
その来客の姿を確認するとベティーは丸椅子から跳ねるように立ち上がり、俺を庇い一歩前へ出る。
「……ロズワール。お前、よくこの禁書庫に来られたかしら」
「いちおーぉう私の屋敷だーぁからね。来ようと思えばーー」
「ベティーの前によく顔を見せられるかしらって意味なのよ……ベティーの福音書には『お前を殺すな』なんて書かれて無いって言ってるかしら」
書庫中の本が怯えるように震え出した。ベティーの怒気は既に殺気の領域に達している。
「穏やかじゃあなーぁいね。私は勘違いの贖罪。そう、彼の為に来たのだーぁよ」
「勘違い?……戯言もいい加減にするかしら。用件があるなら早く言って欲しいのよ。今、ベティーには付き合う余裕は無いかしら」
感情のままに荒ぶっていたベティーのマナが静まり始める。いや、研ぎ澄まされると言う表現が正しいか。その刃はいつでもロズワールの喉元を掻き切らんと抜き身の状態だ。
「いやはや、まさかここまでご執心とーぉはね。なら端的に。王都一の回復術者の治療を取り付けてあるから、君がマナを消費する必要は無いと言っているんだーぁよ」
「……信じられるとでも思うかしら?」
「取り付けたのはエミリア様だ。私としては彼をかばう君にマナを消費させた方が、ありがたかったのだけれどね。場所は王都だから、エミリア様が王選の呼び出しで向かうのに同行してくれれば良い。もちろん護衛も兼ねてね」
「用件はわかったかしら。ハーフエルフの娘にはベティーたちから確認するのよ。お前はさっさと消えるかしら」
「あんまりだーぁね。お茶の一杯でもーー」
「ーー砕ければいいのよ」
ついに殺意は具現化する。結晶化して浮遊する無数の紫紺の矢はロズワール目掛けて放たれる。床は抉れ、土煙が立ち込める。
「日取りは一週間後だぁーから、よろしくね」
姿の見えないロズワールはなんでも無いように言うと、バタンと扉の閉まる音と共に気配が消える。
ベティーは奇声を発しながら地団駄を踏むと、「ほんっとにムカつく奴かしら」と鼻息を荒げる。
俺は、どうどうとベティーの頭を撫でて落ち着かせると、再び膝の上に座らせて頬や髪を遊びながら考える。
そろそろこの世界での立ち位置を決めねばならない。帰るにしろ、残るにしろ、俺の取れる責任の範囲を。