目覚めた初日はベティーと共に禁書庫で過ごしたが、二日目の今日は挨拶回りがてら屋敷を徘徊していた。
どうやらロズワールは俺たちに一週間後の王都行きを伝えると、またすぐに屋敷を留守にしたらしい。というわけで、今回は鬼に追いかけ回される必要も命の心配もないので大手を振って歩ける。まぁ、振る腕も今は片方しかないわけだけれど。
朝食の時間は少し過ぎてしまったが、とりあえず腹を満たせないかと勝手場へ向かう。するとそこでは、桃色の髪のメイドがマイペースに後片付けをしていた。
「おはよう。何か余っていたらお食事を頂けませんか?」
「あら、お客様起きていらしたのね。あれだけ寝といて、起きたらすぐに飯を寄越せとは浅ましいわね」
「お姉様は、お変わりないようで何よりです」
あれだけの事があったにも関わらず、変わらずに接してくるラムは流石としか言いようがない。しかし、名前で呼んでくれないのはなんだか寂しい。
「残念ながら余り物の朝食はないわ」
「ラムが作ってはくれないのか?」
「寝坊助さんにご飯を与えるほどラムは甘くないもの。レムと違ってね」
「レム?」
「余り物はないけど、ちゃんとした朝食ならあるわ。後でお礼を言っておきなさい。あの子、あなたの眠っていた間も、いつ起きても良いようにって毎日朝食を用意してくれていたのよ」
そう言って出されたのは作り置きされたサンドウィッチだった。彩り鮮やかな具材は見るだけで空腹感が強調される。盛り付けもシンプルな料理にも関わらず丁寧にされている事が窺える。
レムの気遣いは素直に嬉しいのだが、事件前とのギャップにどうも引っかかりを覚える。
「……あの時の事を話したのか?」
「いいえ、ラムからは何も」
「そうか」
「でも、レムがあの日から様子がおかしいのは確かよ。少し……避けられている気がするの」
ラムは俯いて吐露する。
レムに取って唯一無二の家族。そのラムを道具のように扱う主人と、それで良いと道具になる姉。もし、レムがあの一部始終を見ていたのだとしたら、何を思うのかなんてのは想像する事すらできない。
それはラムもわかっていて、だから彼女の顔には悲痛の色が浮かんでいる。
俺は、胸あたりにある桃髪の頭にそっと手を置く。
「大丈夫。だって、ラムとレムは姉妹だろ?」
「そうね。……ラムの頭を撫でてもいいのは特別、なのよ」
「うん?……おう」
いまいち要領を得ない言い回しに曖昧な返答になる。今回だけ特別に撫でていいぞ、という意味だろうか。小首を傾げて考えていると。
「馬鹿ね、深い意味はないわ。それを持って早く出て行きなさい」
「あぁ、ごめんな。ありがとう」
仕事の邪魔をしても申し訳ないので、朝食を手に取り素直に退散する。
「……馬鹿」
最後の言葉は、呟いた風使いの風によって掻き消されて耳に届くことはなかった。
サンドウィッチを屋敷を歩きながらありがたく頂いていると、下の庭先に朝日を浴びて煌びやかに輝く銀髪と愛らしい小動物が戯れあっている姿が窓から目に入る。
『ありがたく』と言っているくせに歩き食いとはいかがなものかと思われるだろうが、俺が無礼を働いているのは屋敷の主人に対してであり、レムに対してはサンドウィッチを必要以上に味わって食べる事で感謝を示している。
レムの選んだトマトにレムの選んだレタス、レムの焼いた卵にレムが捏ねてたらいいのにと願わずにはいられないバンズに挟んだサンドウィッチ。
あぁ、この世界がレムで溢れたらいいのに。
と、頭の悪いことを考えながら歩くと目的地へはすぐに着いた。
「おはよう、エミリア」
「あっ!!トキモリ!!」
エミリアは座っていた手入れの行き届いた芝から慌てて立ち上がると、ぱたぱたと俺に駆け寄ってくる。
「起きてたのね!?もう、大丈夫なの??痛くない??歩いて平気??どこも変じゃない??」
「世界がエミリアで溢れたらいいのに」
「えっ、と……どういうこと??」
「その様子なら大丈夫そうだね」
エミリアの左肩にちょこんと座るパックが呆れたように独りごちた。エミリアはまだ俺の言った意味を考えているのか、うんうんと唸りながら可愛らしく首を傾げている。
「エミリアの優しさは染みるなぁって事だよ」
「えっ、染みるの!?大丈夫??」
「いや、傷じゃなくて心にね」
今日はここまで馬鹿な事しか考えてなかったのにツッコミに回らざるを得なくするとは……天然エミリア、恐ろしい子。
「そう??大丈夫ならいいの。帰ってきたときはおったまげちゃった」
「おったまげ……」
「傷はもう少し待ってて。王都でも有名な人に治療してもらえる事になったの!!」
「あぁ、聞いたよ。エミリアが頑張ってくれたんだよな。本当にありがとう」
「うんん。ち、違うの。トキモリが怪我したのは私のせいでもあるもん。私がもっとちゃんとしていれば、トキモリが疑われて襲われたりもしなかったはずなの。ロズワールだって何もここまでしなくたって……」
「いやいや。ロズワール
エミリアは俺が襲われた本当の理由を知らない。王選を控えている今は知らなくていい事だとも思う。後ろ盾のロズワールをエミリアが疑うべきではないし、そういった余計な事は本人がやらなくてもいい。
「そうだね。ベティーの所にいたとはいえ、屋敷を勝手に出入りしてたら勘違いされても仕方がないよ」
パックがすかさずフォローを入れる。ベティーが『にーちゃ』と呼ぶパックなら、襲われた理由も察しているのだろう。
なら支援者を疑うような雑事はパックがやればいい。エミリアは王選に専念すればいいのだ。
「パックの言う通りだよ、エミリア」
「うん……そう?そこまで時トキモリが言うならわかったわ。でも、治療は別。私がお客様として招待しておいて怪我させちゃったんだから、しっかり治して貰って」
「あぁ、それはお言葉に甘えるよ。エミリアが王都へ向かう際には同行させて貰う」
「うん、約束ね」
「あぁ、約束だ」
エミリアは満足したように笑みを浮かべると先に屋敷へと戻っていく。
残ったのは俺と彼女について行かなかったパックだけだ。
「ロズワールを殺さなかったのはリアの為かい?」
「まさか。この身体を見ろよ。殺すもなにもコテンパンにやられたんだって」
「……君がそう言うなら、そう言う事にしといてあげる。じゃあ、襲われた理由を言わないのは?」
「それは……」
「リアの為だよね。……ありがとう」
やっぱりパックは福音書を含め全て知っている。それでいてエミリアには話していない。彼女の利にはならないから。
「あらためて言うよトキモリ。君にはリアの騎士になって欲しい。リアには余りにも味方がいない。それが後ろ盾も含めてだって事は今回十分理解して貰えたよね?」
「あぁ。アイツはエミリアの為なんかで動いたりしてない。いざとなれば使い捨てにだってするだろう」
「そうだね。だけど、今のリアには絶対に必要な人間である事にも違いない。それがわかっているから君はロズワールを殺さなかった。ボクは勝手にそう思っているよ」
「…………」
俺は答えずに無言で通す。語るパックの目は真剣で、俺なんかとは比にならないだけの時を生きた凄みというものを感じさせる。
「だからこそ。自分の身を犠牲にしてまでリアの事を優先してくれる君には騎士になって貰いたいんだ。卑怯な言い方をするなら、今回の治療を取り付けるのにリアはそれなりの無理をした」
「無理?」
「治癒を頼んだのが他の王選候補者の騎士なんだよ。それにそれ相応の対価も支払っている」
それは……王選直前に他の候補者に借りを作ったのか。
「リアは君に恩を売ろうなんて考えていないよ?」
「わかっている」
「でもね、ボクとしては君には恩を感じて貰いたい。そしてその恩は返して貰えると嬉しい」
「本当に卑怯な言い草だな」
「リアの為ならボクは悪い精霊にもなっちゃうんだよ。答えは王都で聞かせて貰うよ。……ベティーの事は感謝している。だからこそ、君にはリアの事も期待してしまうんだ」
パックは「またね」と言い残して屋敷へと消えていく。エキドナについてパックからも聞いてみたくはあったが今はやめておいた。
恩を返すにしろ、一つずつ返さねば。
だから、俺はとりあえず窓から盗み見るようにこちらを覗いていた青髪のメイドの所へと向かうのだった。
屋敷三階の廊下で、レムは忙しなく清掃に励む。台に乗っても足りない身長を補うように背伸びまでして窓を拭く姿は、何事も一生懸命な彼女らしくて微笑ましい。
それとは別にスカートの裾が上がる事で見える、ニーソと生足の境目が眩しくもある。純白の靴下がレムの真っ白な肌に食い込み、ほどよく縁に乗った太ももの肉は健康的で……とてもエッチだ。
今声を掛けるのは驚かせて落下する恐れがあるので危険だな。ヨシッ!
つまりこれは覗きではなく安全を考慮した行動なので、ベティーとの約束にも抵触しないのだ。
俺は気配を消して近づき、台の下でレムの作業を見守る。チラチラと揺れ動くスカートのフリルは視線を絶対領域へと集中させて、なんとも危険で魅惑的だ。
レムは一通りの清掃を終えると後ろ向きのまま台を降りる。床まで降りると背後の気配に気がついたのか、ピクッと一度飛び跳ね勢いよく振り返る。
「おはよう、レム」
「っ!!!」
目があったので声を掛けると、レムは両手で掃除道具を抱えてパタパタと逃げてしまう。
怒られる事はあっても逃げられるのは想定外だったので、俺はレムの逃走を黙って見ているしかなかった。
ところで……俺は幼少の頃から理解できない事があった。
鬼ごっこの鬼役の楽しさがわからない。俺は鬼ごっこは逃げてなんぼだと思っていたし、鬼決めの際に自ら進んで鬼役をやる奴の気が知れなかった。
しかし、今その疑問は解消された。
逃げ去る鬼のお尻を見て。
「おっはよ。レム」
「っ!!」
俺を視認すると再度慌てて逃げてしまう。焦りと緊張の混ざり合った表情は俺の何かを刺激する。
「レ〜ム〜」
「ひッ!!!」
レムは短い悲鳴と共に180度展開して逃げていく。それはそうだ。どこに逃げたって俺が
「レムりんっ」
「うぅッ!!!」
屋敷内で俺から逃げ回ろうなんて無謀なのだ。なんたって俺にはとっておきの魔法がある。
「お前はベティーの扉渡りを何だと思ってるのかしら」
背後から呆れた声を掛けられるがあえて無視をする。
そう。屋敷内をどう逃げ回ろうが禁書庫へ自由に出入りできる俺からは逃げられない。
レムが逃げたのを確認したら手近の扉から禁書庫へ入り、レムを先回りできる扉から出る。
どの扉からでも任意に出入りが出来るのは、ベティーとの共同生活を送る上で譲渡された特権だ。
「ベティーはこんな事の為に許したわけではないかしら」
禁書庫へ入るたびに目の据わったベティーと視線が交差するが、知らないふりをしてレムを追いかけ回す。
「レムぅぅぅ」
「ひぃぃ……」
何度目のご対面だっただろうか。
ついにレムは涙を浮かべ、ペタンとへたり込んでしまう。その姿を見て理解する。くすぐられたのは嗜虐心だと。
いちおう鬼ごっこなのでタッチはさせて貰おう。わざとゆっくりにじり寄ると、レムは目を閉じて両手を胸のあたりで祈るように握る。
「……ぶち殺すわよ」
まさに俺の手がレムに触れようかという時、風に乗った声が耳に届く。振り返ると、廊下の隅からは別の鬼が覗いていた。
「すまない、レム。驚かせるつもりはなかったんだ」
「うぅ…… はい、すみません。私も驚いて逃げてしまいました」
驚かせるどころか、怯えさせる気満々だったけれども紳士ぶって謝る。背後を確認すると鬼は一つ頷いて影へと消える。
「朝食ありがとう。お礼とお詫びがしたくってな。眠っている間も作ってくれていたみたいで、悪いことしたな」
「いえ、あれは…… その、姉様を…… ま、魔獣、から…守って、くださったみたいですから」
やはり、レムはあの戦いを見ていたのか?
やけに歯切れも悪く、目も泳いでいる。
ここまでわかりやすいと、もはや見ていたのか確認するどころか意地悪をしたくなってしまう。
「ごめんな。ギリギリの戦いでヒヤヒヤしただろ?」
「……そうですね。レムも気が気ではなかったです」
「あれ?そういえばレムは村に残ってたんだよな」
「っ!!!あの、いえ、ね、姉様にお聞きして、ど、どきどきしたんです」
「そうだったのか。あれれ〜、おっかしいぞー?ラムはその時眠っていたような」
「あぅぅ…… あの、その。えっと、うっすらは、意識があったとか、なかったとか。うぅぅぅ……」
流石に苦しくなってきたのか、唸りをあげて頭を抱えてしまう。もう少しイジメてみたい気もするが、鬼が出るといけないのでこのあたりにしておこう。
「まあ、何はともあれラムも子供たちも無事でよかったよ」
「それは、はい。本当にありがとうございました」
レムは一度姿勢を正し直すと、それから深々と腰を折り曲げて感謝の意を示す。
「レムの呪いも問題はないか?」
「はい。レムの方は発動前に見つけていただき、ベアトリス様に解呪して頂きましたから」
「そうか、よかった。……実はあの『亀甲』という縛り方は、俺の国に昔から伝わる由緒正しい拘束方法でな。呪術を解く際に用いられる事も多いから気がつけたんだ」
「そうなんですか!?すごいです」
「…………」
あのレムが俺の言う事を簡単に信じて賞賛までするなんて。そんな純真な目で見つめられてしまうと収まったはずの嗜虐心が燻ってしまう。
「いちおう再検査も兼ねてもう一度『亀甲』を掛けてみてもいいか?いや、本当に念の為」
「あぅ…… わかりました。少し恥ずかしいですけどお願いします。あの…… では、こちらの部屋で」
「はいはい、すぐに終わりますからねぇーー」
「ーー死ね!!変態っ!!」
瞬間、俺の体が弾き飛ばされる。
「ね、姉様!!」
「いくわよ、レム。少しでも見直したラムが間違っていたわ。……二度とラムの妹に近づかないで」
後ろから頭に飛び蹴りを受けた俺は衝撃で廊下に這いつくばる。
ラムは俺に唾でも吐くのではないかと思えるほど文字通り鬼の形相を浮かべると、レムの手を取り連れ去って行く。
そこには避けられていたとかいう気まずさは見えない。どれだけぎくしゃくしようとも、ピンチには駆けつけてしまうのがこの姉妹なのだろう。
起き上がれないまま過ぎ去るラムたちをみていると、すぐそばの扉が開く。
「ベ、ベティー。すまないが肩を貸してくれないか?」
「……死ねばいいのよ」
「ぐぇっ」
一度わざと俺の背中を踏むと、ベティーも過ぎ去ってしまう。
乙女心というものは難しい。秋の空とはよくいうが、もしかしたらそれは今後の王都での出来事を占うようだった。
「あぁ、同じピンチなのに我が姉様は助けに来てくれないのか」
「客人が来るのは明日だったか?」
星のよく見える夜だった。屋敷のテラス席では主人とその従者がささやかな晩酌に興じていた。
「そうですよ、クルシュ様。エミリア様の騎士候補?だとか。なーんか勘違いでぼっろぼろにされちゃったんですって」
「勘違い?」
「騎士ではなく候補だったりと、向こうは全然結束できていにゃいみたいですよ。フェリちゃんとクルシュ様とは大違いですねっ」
主人の凛とした女性は右手で頬杖をつきながら「ふむ」と一つ相槌を打つ。夜闇にランタンの光で照らされたその姿は、どこを切り取っても絵画のように美しい。
「名は、何と言ったか?」
「怪我しちゃった方ですか?えっと……確か変にゃ名前でしたよ。すみむらぁ、ときもり?とか、そんにゃ感じです」
その名が告げられると、ここで初めて三人目。主人の背後で沈黙を貫いていた、もう一人の従者が反応を見せる。
「墨村……時守」
「ん?なんだ卿の知り合いか?」
「そういえばにゃんとなく〜」
「いえ、知り合いではありません」
猫耳の従者は客人ともう一人の従者を比べて何かに気づくが、それを遮るようにその従者は呟く。
「ただ……」
「ただ?」
「その席には
明日のこの出会いは、全ての物語の終わりの始まりだった。
次話短いですが同時に投稿します。