柔らかそうな灰色の体毛に翡翠の瞳。とぼけた性格でも憎めないのほほんとした喋り方。
俺の中の『精霊』パックのイメージはこんなところだ。しかし、今の彼はその見た目こそ変わらないがこの場を支配する威圧感はまさしく『大精霊』と呼ぶにふさわしい。
『万死をもって足りぬなら…… そうだね。ここだけじゃなくて、この国を凍り漬けにでもしてしまおうか』
「パック……」
意図しない登場だったのか、エミリアはその名を呟き困惑している。
その時、俺はパックが出てきた意味を考えていた。
パックなら庇わずとも俺が一人で対応ぐらいできる事ぐらいは知っていただろう。にも関わらずこのタイミングで出てきた。しかも、会場にいる『ニンゲン』を脅すような態度まで取って。
そんな事をしてもエミリアが望まないのも、エミリアの利にならない事もパックなら必ずわかっている筈だ。
だとしたら…… 何かがある。何故パックは出てきたのだ。
パックの暴走ではないと信じて、考えて、考えた先に答えにたどり着いた俺はその小さな精霊に対して頭を垂れる。
「大精霊様。お助けくださった事に感謝を」
『ーーふっ、唯の気まぐれだよ。君は娘の不当な扱いに怒りを覚えてくれたらしいからね』
こちらがパックの意図を察した事に気がついたのか、精霊は一つ笑みを零してからその口を開いた。
それを見て自分の推測が間違いでない事を確信した俺は芝居を続ける。
「ありがとうございます。そんな私がお願いするなど烏滸がましくはありますが…… どうかお気を鎮めてはくださりませんか。」
『それなら君が乞うべきは愚かなニンゲン達に娘への謝罪だ。まぁ、それでボクの気が収まるかは別の話だけれどね』
パックの取り付く島もないような返答に、俺は顔をあげる事なく畏怖と敬意を示し続ける。
そのやり取りを見ていた列席者達は混乱した。
プリシラ陣営の内輪揉めが起こったと思っていたら、自分たちはおろかこの国が凍土に沈むかもしれない事態となったのだ。
そして、プリシラのあの灼熱をいとも簡単に相殺して見せたその精霊の力ならば、その災厄も不可能ではないだろう事も誰もが察していた。
混乱から騒ぎ、そしてパニックになろうかというところでそれを鎮める声が会場に抜ける。
「やめてパック。そんな事をしたらぜったいにダメ」
先程までありとあらゆる罵声を浴びせられ俯いていた少女の声だ。しかし、もうそこにはその気弱な姿はなく、意志のハッキリとした強い瞳で精霊へと意見していた。
『君がそれを望むのならボクは従おう。でも、彼らも覚えておくべきだ。自分たちが今凍りついていないのが誰の温情あってかという事をね』
一瞥した翡翠の双眸は、その視線だけでも凍てつくような冷たさだ。
誰もが凍りついたように口を閉ざすなか、始めに言葉を発したのはその胆力は流石と言うべきかマイクロトフ卿だった。
「大精霊様の仰ることは私を含め皆しかと肝に銘じた事でしょう」
『ニンゲンの中にも理解の早い小僧がいてくれて助かるよ』
「ほほほ、この歳で小僧とは貴重な体験をさせてもらっておりますな」
独特な空気でこの場を中和してみせるあたり、クセの強そうな賢人会を束ねているだけの事はある。
「さて、これほどの力に濃密なマナ。さぞ名のある大精霊様とお見受け致します」
そう前置きを置いたマイクロトフ卿は、その続きを精霊にではなく銀髪の少女へと視線を移し話しかける。
「そのあたりのお話も気になりますし。多少進行は前後しますが……エミリア様」
「ーーはい」
「ご自身の紹介と候補者としての覚悟をお話しいただけますかな」
「わかりました」
マイクロトフ卿の提案を迷う事なく了承したエミリアは、たしかな足取りで堂々と壇上へと向かう。
俺は、心の中でこの流れを作った爺さんに感嘆していた。エミリアに話をさせることでパックの怒りを冷ます時間を捻出してみせたわけだ。彼女の話ならパックも大人しく聞かざるを得ない。
そんな事を考えている間に気がつけばエミリアはすでに登壇していて、会場を一度見渡すと真っ直ぐと前を見つめて口を開いた。
「まずは、私の事で騒ぎになってしまった事を謝らせてもらいます。ごめんなさい」
彼女は深く、深く頭を下げて謝った。
その姿に胸が痛む。彼女は謝罪しなければならない事なんて何もしていないのに。
「改めて、皆さまはじめまして。私の名前はエミリア。ただのエミリアです」
それから語られた内容は俺も初めて聞く内容が多かったりした。
ーーエリオール大森林と呼ばれる土地
ーーそこが『凍りの森』と呼ばれる経緯
ーーエミリアとパックがそこに住んでいた事
そして、エミリアの願い。
「ーー私の願いはただ一つ。公平であること」
俺の中のエミリアは純真無垢で清らしく、世間知らずで少し幼い。そんな印象であった。しかし、今壇上で自分の願いを語る彼女は凛々しく、そしてなによりも気高い。
「皆さまにとって、この国にとって、私の容姿が望ましくない事は十分にわかっています。そのことによって偏見の目で見られる事は悲しいし、今すぐ解決できない事も理解はしています。けれど、だからってそれで私の可能性まで摘まれてしまう事は断固として拒否します」
見た目が災厄の魔女に似ているという理不尽な差別と偏見。そういった目に見えない敵に真っ正面から挑むと彼女は宣言するのだ。
そこで、ふと、こちらに目線が向く。
エミリアと視線が交差した俺はーー思わず息を呑んだ。
「誰からも認められない事が悲しい事を私は知っている。だから、頑張った人は頑張ったって。もし、誰かを助けたら『ありがとう』って褒めてもらえる。そんな当たり前を享受できる国を作る事が私の国王としての目標です」
ーードクンッ
胸が一度、やけに大きく跳ねる。
身体中に血が巡り、体温が上昇するのが鮮明に感じ取れた。そして、微動だにする事ができない。彼女から視線を外す事がどうしてもできなかった。
「公平を求める私は公平の価値を誰よりも知っている。だから、契約した精霊の力を盾にしたり、この容姿を使って恐怖で支持を得たり、王選の公平性を損なうことは絶対にしません」
エミリアは俺から目を離して会場を見渡しながら演説を続けた。そうしてやっと俺は呼吸することを取り戻した。
「だから皆さまもどうか公平に、私をただのエミリアとして王に相応しいか見てください。私からは以上です」
演説を終えたエミリアは再び深く頭を下げて挨拶とすると、一歩一歩踏みしめるように降壇する。その歩みはまさしく彼女の候補者としての戦いが始まったという事なのだろう。
「さて、それでは次の候補者の方にお話をお願いしたいところですがーーその前に」
そこでマイクロトフ卿は俺へと視線を向ける。
まぁ、お咎めなしってわけにはいかないよな。
それに対して俺は膝を付き最敬礼をもって表向きの謝罪、そして彼にだけ伝わる感謝を示した。
「エミリア様はご自身に責任があると仰ってくださいましたが、この度の騒ぎは全て私が原因でございます。エミリア様、プリシラ様を始めとした候補者の方々、そして御列席の皆様にご迷惑をおかけした事を深く謝罪させていただきます。ーー処分の程は如何様にも」
「ト、トキモリくんそれは!?」
この国の王様を決めようという場で騒ぎを起こしたのだ、最悪というか普通に死罪もありえる。そんな状況での言葉だけに、レムは悲痛な表情を浮かべる。でも、実は俺には大丈夫だろうという楽観的な感情しかなかった。
俺の言葉にマイクロトフ卿は「ふむ」と一つ呟いて裁定をくだす。
「特に何か行動を起こしたわけでも無い者に罰を与えるわけにもいかぬ。それこそプリシラ様や、エミリア様の従えておられる大精霊様はマナの使用など直接的な行動に出られているわけですしな」
「しかし、多くの者が私が原因で騒動を招いたと思っています。そして、それは私自身を含めてです」
「では、どうしますかな??」
「もし、お許しいただけるのならこの場から退席する事を罰としていただけませんでしょうか」
「まぁ、それが無難じゃろう」
初めから決まっていたかのように流れる会話。マイクロトフ卿のお許しも出たので、他のお偉い様方から異が唱えられぬ内にそそくさと会場からずらかるとしよう。
「レム、いくぞ」
「え…… あっ、はい」
首輪で繋がれておいて、連れて行くという表現もおかしいけれどレムを連れて会場からキビキビと逃げる。
大扉の前で深々一礼をして会場の外に出ようとすると、その背に「契約は忘れておらんじゃろうな。必ず……外で待っておれ」というシチュエーションによってはなんとも甘酸っぱい台詞が聞こえてきた。
まぁ、途中に「焼き殺す」とか入っていた気がするけれども聞かなかった事にした。
外の通路に出ると、見張りの騎士がいて驚いたようにこちらを見ている。中のやりとりは聞こえていないのだろう、途中で出てきた俺とレムを見て不思議そうにしていた。
「すまない。どこか中の人間を待てるような場所はあるか??」
「え、あぁ。それならこちらを進んでいただいた左手に、候補者様に御同行された方の待機室が用意されています」
「それはどうも」
男は、途中退席するくせに中の人間を待つという不思議な行動を取る俺たちに疑念を抱いたのか、その疑いの眼差しが背に刺さるのをひしひしと感じる。
しかし、
「いや、そもそもあんな変態の入室が認められる方がおかしいか」
摘み出されて当然だと、なんとも失礼な自己解決をしてくれたので特に咎められる事はなかった。見張りの役割は外からの侵入を防ぐ事であって、中の人間を疑う事ではないのだ。
案内された部屋は待合室というにはかなり豪勢で、そして椅子の数が少なかった。
王選候補者が玉座の間に入れない者をわざわざ連れてくるとも考え辛いので、おそらく始めから形だけの待合室であって利用される事は想定されていないのだろう。
それを肯定するように室内には誰もおらず静かなものだった。
広い室内だったけれど俺とレムはなんとなく端の方に二人並んで腰を下ろす。すると、レムは両手を俺の腿にのせてずいっと身体を乗り出して来た。
「トキモリくん、あんな事言って本当に死罪になってしまったらどうするつもりだったのですか??」
その頬はエサを貯めたハムスターのように膨らんでいて、行動も相まって小動物チックで非常に愛らしい。もっとも、貯まっているのはエサではなく俺への不満かもしれないけれど。
「それはなかったと思うよ」
「なぜ言い切れるのですか??」
「マイクロトフ卿は俺がプリシラではなく、エミリア陣営に近しい人間だって気が付いていたみたいだからな」
「でも、それと罰は関係ないですよね??」
「そうだけど、罰するならエミリアが話し始める前に退席させる筈だ。エミリアの演説を聞かせてくれた時点でその気がないと思ったよ」
理解はしたけど納得はできていないのか、「それでも危ない事はやめてください」と念を押されてしまったので、素直に頷いた。
それからは拗ねたレムの頭をうりうりと撫でながら、一日主人のプリシラが出てくるのを待った。
爺さんに許されても、プリシラの裁定を受けて生きていられるかは果たしてわからない。