「あのぉ、伝言をお預かりしております」
男は申し訳なさそうにそう切り出した。
賢人会のご好意ある判決によって、命の助かった俺はレムを引き連れて会場の近くの待合室で時間を潰していた。
他に誰もいないのをいい事にレムの頭を撫でくり回したり、ほっぺたの感触を楽しんでいたりしたわけだが、そこに来たのがこの歳の近いだろう男だったというわけだ。
服装から察するにあの会場にいた文官の一人だとは思うのだけれど、失礼ながらなんとも景気の悪そうな覇気のない顔をしている。
「はぁ、伝言とは誰から??」
「プリシラ様からです。会が終わったので帰ろうとしたところを捕まってしまいまして」
どうやら彼は集会も終わり、やっと帰れると思ったところでワガママプリンセスに捕まってしまったらしい。そりゃ、こんな顔にもなるってもんだ。
「なんか、ウチの姫がすみません」
「あぁ、いえ。あなたも苦労されていますでしょうから。それで、伝言というのはーー」
なんとなく憎めない雰囲気の男から伝えられた伝言を要約すると、つまり「『待ってて』って言ったけど、よく考えたら妾がお前のところに行くのっておかしいよね。お前から妾のところに来て欲しいんだぞ」という事らしい。
「『妾のところ』って、流石に罰として退室しているわけですから玉座の間に戻るのはちょっと……」
「あぁ、その辺りは問題ないと思いますよ。もう賢人会の方や、口うるさい私たち文官はあらかた帰っておりますから。残っているのは候補者の方と騎士の皆さんだけですね」
「はぁ、そういうもんですか」
男は「伝言は伝えましたからね」と言ってそそくさと帰っていく。俺はその背に聞こえるようにお礼をいうと、さてどうしたものかとレムの両頬を潰すように遊ぶ。
「行くべきか、行かざるべきか」
「いふべひじゃないでふか??」
「そうだよなぁ」
おもちみたいなほっぺを解放してやると、ポヨンと跳ね返るようにして元のまんまる大福へと戻った。
「行かないとあとが怖いですよ??」
「行っても怖いんだけどね」
「まぁ、それはそうかもですけれど」
「2人で逃げーー」
「そうしましょう」
「圧がすごい……」
隣に座るレムはイスの肘掛けも気にせず身を乗り出して、膝に置いていた俺の手を両手で握る。この部屋に入った時もその体勢で話していたけれど、頬とは別の大福が強調されるので目のやり場に困る。
「さて、冗談はさておき」
「冗談だったんですか??」
「そんな人の罪悪感に訴えるような表情はやめてくれよ」
「トキモリくんが期待させるような事言うのが悪いんですよ」
レムは手を離さないままコテンッと俺の左肩に寄りかかるように頭を預けてくる。
「いつになくデレデレだな」
「もう、デレデレでもなんでもいいですよ」
今朝のように否定するものだと思っていた俺は意外なその答えに思わず顔を覗き込む。するとそこには、それこそお餅のように頬を膨らましたレムが口を尖らせていた。
「レム??」
「レムだけがトキモリくんの秘密知っていて、この世界で一番近いのかもなんて思っていたら、ゾロゾロ女の子出てくるんですもん。勝手に期待したレムが悪いですけれどあんまりです」
どうやらそのほっぺたは伊達ではなく、文字通り焼き餅を焼いているらしい。恥ずかしかったのか赤く色づかせながらも、猫が自分のものだと主張するように額や頬で俺の腕を擦る。
「かわいい奴め」
「そう思うのならもっとかまってください。今日なんてプリシラ様と会ってからレムの事なんて全然見向きもしてくれないんですもん」
そういう嫉妬とかもあって手綱を握る事にあれだけ喜びを見出していたのかも知れない。いや、それはまた別件なのかも知れないけれど……
「落ち着いたらどこか2人で街にでも出かけよう」
「落ち着かなくても、たまにはこうして2人でいてください」
「なんかごめんな、そこまで妬かせていたとは。いや、まあ嬉しいんだけどさ」
「だってトキモリくん従順な女の子より、我儘な女の子といる方が楽しそうですよ」
「特にそんな事はないとは思うけど……」
まったくもって自覚がないけれど「そんなことあります」と膨れたレムのほっぺたがこれ以上膨れあがってはいけないので、反論は飲み込んだ。
代わりに空いている右手でその柔らかい髪を撫でてやると、面白いようにその頬は縮んでいく。
「さて、それじゃあそろそろ行くか。これ以上待たせたら本当に殺されかねん」
「んもう…… また帰ったらちゃんと構ってくださいね」
不満を漏らしながらも俺の言葉に立ち上がるレムはやっぱり面倒見が良く従順で、俺はそれを素直にかわいいと思うのであった。
「と、言うわけで遅れました」
「貴様、本当に殺されたいようじゃな」
ありのままレムのかわいさを熱弁すると、プリシラは燃えるように苛烈な視線を俺に向けた。
玉座の間にはフェルトとラインハルト以外の候補者とその騎士が残っていた。
ちなみに、レムはゆでだこのように赤くのぼせあがり俺の背に隠れている。あるよね、その時のテンションとか雰囲気だと平気だけど改まると恥ずかしいやつ。
「なんだプリシラ。お前までヤキモチか??」
「貴様、本当に焼かれたいようじゃな」
プリシラは怒りを抑えるのにやっとだという様子で、ゲームのNPCのように先程と似たような言葉を吐き捨てた。『殺す』か『焼く』しか言わないとかどれだけ物騒なキャラクターなんだ。
「それで、プリシラとエミリアはわかるけれど他の皆様はどうしてここに??」
偶然まだ帰っていない、というわけではないのだろう。この場にいる全員が明らかに俺とレムを待っていたと思われる。
「そ、それがねトキモリ……」
「申し訳ありません、エミリア様。ここからは私が」
説明しようとするエミリアをその手で遮り言葉を引き継いだのは面識もさほどない紫髪のキザな男だった。
「さて、『他の皆様はどうしてここに』と君は聞いたね」
「はぁ…… まぁ、そうだけど」
キザ男の言う通りだけれど正直お前には聞いてないと言いたかった。というか、そもそも誰だお前。そんな感情が表情に出ていたのかキザ男は「名乗りが遅れたね」と言葉遣いとは裏腹に挑発的な視線で話を続ける。
「私は此度の王選候補者が一人、アナスタシア・ホーシン様を主に仰ぐ一の騎士、ユリウス・ユークリウスだ…… って、おい」
キザ男の名乗りは最後まで聞く事なく、俺は淡い紫色の髪に緩いウェーブのかかった、冬の装いに袖を通す美少女へと跪く。
「先程の会では、私めの思慮に欠ける行動で貴方様の貴重な時間を浪費させてしまい申し訳ありません。アナスタシア様、素敵なお名前だ。私の名は『墨村時盛』。以後、トキモリとお呼びくださいませ」
自分の名乗りを終えると、アナスタシアの雪のように白い手を拝借してその甲に唇を落とす。
「なんや意外と礼儀はなってるやんか。時間については会場出る時の謝罪で十分やで。まぁ、よろしゅうな」
騎士の動揺をよそにアナスタシアは柔らかい笑みを浮かべて挨拶を受け入れてくれる。
そんな一連のやり取りを不愉快そうに見ていたプリシラが口を挟む。
「先に、跪くべき相手もわからぬか下郎」
「そうプリプリするな。後で足でも舐めてやるから」
「殺す…… まぁ、よい。妾が相手せずとも貴様の相手するのはそこな男よ」
そういってプリシラが扇子で指し示したのは、先ほどよりも敵意剥き出しでこちらを睨みつけるキザ男だった。
「そういうわけだから少し付き合ってもらうよ。君の主、プリシラ様の許可も出ているわけだしね」
「はぁ、プリシラの許可以前に俺は何も聞いてないわけだけれど」
「騎士にとって主人の命令は絶対だろう」
「別に俺、騎士じゃないしな」
要領を得ない話の展開に俺の顔にハテナが張り付いていると、それを察したようにフェリスが繋いでくれる。
「トキモリきゅんさっき騎士をバカにするようにゃ事言っちゃったじゃにゃい??」
「ん?? まぁ、ぶっちゃけバカにしてるしな」
「だから、ユリウスは騎士の誇りみたいにゃものを賭けてトキモリきゅんと勝負したいんだって」
「はぁ?? まぁ、いいか。そういう事なら別に構わない」
「ちょっとトキモリ!?」
フェリスの説明を受けて特に迷う事なく了承した俺に対して、エミリアは驚いたように駆け寄ってくる。
「一緒にごめんなさいしてあげるからこんな事やめて」
「何をごめんなさいするんだよ」
「それは騎士のみんなにあんな事いって……」
「言われて当然だろ?? ーーなぁ、パック」
「ま、そうだねぇ。今回ばかりは流石のボクもリアじゃなくてトキモリに賛成かな」
俺の呼びかけに、飛び出てジャジャジャジャーンと言わんばかりに現れたパックは、その短い前足で腕を組んで「うんうん」と頷いている。
「ちょっと……パックまで」
「トキモリが謝るべきは騒ぎを起こした事であって、その原因については謝罪するべきじゃないよ」
「そういう事だ。容姿だけで少女に怯える集団が騎士とか聞いて呆れる。そういう奴らほどプライドとか誇りとか目に見えないものを大切にしたがるんだよ。自分は目に見えるものでしか判断できないくせにな」
「おぉ〜、いい事いうねぇトキモリは」
「そう褒めんなって」
パックと意気投合して笑っていると、キザ男は感情を押し殺したように口を開く。
「ここまで言われてしまえば、私も引くわけにはいかない。では、話はまとまったという事で…… エミリア様もよろしいですね」
「そんな……」
「そもそも妾が『やれ』という以上、その犬に拒否権などはないわ」
プリシラの言葉にユリウスは一つ頷くと「それでは先にお待ちしております。アナスタシア様も後ほど」と主人すら置いて玉座の間を出て行ってしまう。
「あ〜らら。トキモリきゅん相当怒らせちゃったみたいだねぇ」
「別にいいだろ。特に仲良くなれるタイプでもなさそうだしな」
「ホント、オマエさんは恐れ知らずって感じだな兄弟」
「恐れ知らず?? あのユリウスって奴はそんなに強いのか??」
俺の疑問に対して答えたのは、こちらを値打ちするように覗き込むキザ男の主人アナスタシアだった。
「ユリウスは強いで。そりゃこの国で『最優』なんて呼ばれるくらいには名も通っとるしな」
「そうですか。ならーー彼を止める事をおすすめしますよ」
「ふ〜ん、なんでや??」
アナスタシアの瞳が妖しく光る。それは怒りとか不安とかの感情ではなく、ただ正確にこちらの価値を見定めようとする商人の目つきだった。
「王選が始まった初日に名の通った自分の騎士が名もない男にやられては都合が悪いでしょ??」
「ほぉ、言ってくれるやん」
「トキモリきゅんったら意外と好戦的なんだネ」
アナスタシアとフェリスがどこか冷やかした相槌を返すなか、その声は水滴が水面に落ちるように唐突に割って入る。
「彼の忠告は本気だぞ」
「なんや、クルシュさんもそっちの味方かいな」
「そうではない、私は彼の力も知らないしな。しかし、少なくともその言葉に嘘はないという事だ」
「なるほどなぁ、噂の嘘が見抜ける加護っちゅうやつか」
納得したようにポンッと拳で手のひらを一つたたくと、「ま、なんとかなるやろ」とアナスタシアは気の抜けた声をあげる。
こうして『最』の名を冠す騎士とのスペシャルマッチが組まれたのだ。
「さぁ、それじゃあ名を揚げに行きますか」
そんな緩い意気込みで練兵場へと乗り込んだ事を、俺はこのあと後悔させられるのだった。
取り囲むように配置された観客席には、目の前の男と同じ服装の人間がズラリと並んでいた。砂地の足場はよく踏み固まれており、それはこの場を使用する彼らの努力の証なのだろう。
「こんなにも人集めて大丈夫か??」
「心配ならいらないよ。もちろん許可を取った正式な決闘だ」
男は剣に型取られた木刀を振るい、手に馴染ませながら答えた。そのこちらの意図とは少しずれた返答に俺は訂正を入れる。
「俺が心配しているのは、この群衆の前で負ける覚悟があるのかって聞いてんだけど」
「君は…… どこまでも私を侮辱したいみたいだね」
低く、静かに、震えるその声はまさしく彼の怒りが滲んでいるようだった。彼の持つ木刀の切先が俺へと向けられ、そしてそのまま天へと掲げられる。
「ーーこれより、騎士の誇りを汚した不逞の輩に誅を下す!! 否はあるか!!」
「「ーーーーーーーッ!!」」
彼が大仰に宣言してみせると爆風とも思える賛同の声が会場に響きわたる。それは耳から脳内を蝕み、身体の芯を震わせた。普通の人間ならばそれだけで卒倒してしまうだろう。
「騎士らしい実に見栄えを気にした口上だな」
「安心したまえ。言葉で交わすのはここまでだ」
キザったらしい台詞とともに再びのその剣は俺へと向けられる。
構えられた剣、肩幅に開かれた脚、整った呼吸に射抜くようなその視線が、まだざわつく会場を痺れされるように静まりかえらせた。
ピンと張りつめる緊張の糸。
それが切られた時こそが開始の合図だろう。
そして、その火蓋が今切られようかというタイミングで、
「すまないが、その決闘ーー待ってもらうよ」
とても静かな、しかし従わざるを得ない圧を持った声が遮る。声のする方向、練兵場の入り口に目を向けると、そこには先に帰ったと思われていた赤髪の青年が立っていた。
「ーーラインハルト、どういうつもりだい??」
「言葉の通りだよユリウス。この決闘を待ってもらいたい」
「それは了承しかねるよ。これは騎士としての誇りをかけた闘いだ」
ユリウスのラインハルトへ向ける視線は鋭い。戦闘モードに入っていたからというだけではないだろう。決闘を遮られた事に対する強い不快感がその目には宿っていた。
「侮辱を受けたからといって練兵場を使ってまで相手をいたぶろうなんて、それこそ騎士としての振る舞いとは思えないよ」
「勘違いはしないでもらいたい。我が友、ラインハルトよ。私は、私個人の侮辱に対しての憤りだけでこのような事はしないさ」
「では、あくまで個人としての怨恨ではない。そうだね??」
「もちろんだ。私の私怨などというくだらない理由でアナスタシア様のお時間を煩わせたりはしない」
「ならーーよかった」
安心したように表情を崩したラインハルトに対して、ユリウスは訝しむように顔を歪める。俺にもラインハルトが何に対して安堵したのかわからなかった。
「どういう意味だい??」
「ユリウス、この闘いが騎士としての誇りの為だというのなら、それは君でなくともいいわけだ」
「君は……本当に何が言いたい??」
「この闘い、僕に譲って貰いたい」
静まりかえっていた会場が騒つく。その動揺は騎士達の間だけではなく候補者たちにも波及するほどの発言だった。
会場を異様な空気が取り囲む。ラインハルトの発言に誰もがその耳を疑っているのだろう。漏れ聞こえる会話の内容からどうやら同じ騎士であっても彼が剣を振るう姿はそうお目にかかれないらしい。
「ラインハルト……本気かい??」
「冗談で決闘の立ち合いを止めたりはしないさ」
「理由がわからないな。普段の君からは到底考えられない提案だ」
「そうだね、僕自身も驚いているよ。もちろん君の分まで騎士としての誇りをかけて闘う。ただーー」
そうして最強たる男は真っ直ぐとこちらへ向き直る。それだけで肌をひりつかせる圧倒的力量差。剣を交えるまでもない。奴はーー格上だ。
「ただーーこんな機会は逃したくない。頼む、ユリウス。僕に、剣を譲ってくれ」
ラインハルトの言葉に黙り込んだユリウス。数瞬の間考えた末に出した答えは、
「どうやら先約は君の方だったみたいだね」
手に握る木刀を託すようにラインハルトへと渡した。その顔には何か納得したような清々しさすら見える。
「ありがとうユリウス」
「いや、礼には及ばないよ。意図せずとはいえ横槍を入れてしまったのは私の方らしい」
そういうとユリウスは俺へと向きなおりーーそして何も言わずに客席の主人の元へと去っていった。
「悔しいな。ラインハルトが相手になった途端にもう私のことなど見えないほどに集中しているのか」
静まりかえった会場、その中での呟きすらもう俺の耳へは届きはしない。俺の神経はただ一人の男に注がれているからだ。
「急な変更ですまないね。君にも了承してもらえると嬉しいのだけれど」
「男からのラブコールなんて気持ち悪いだけだが…… まぁ、いいさ。たしかにこんな機会はもうないだろうしな」
「ありがとう」
赤髪の男ーー最強の男が剣を構える。
あぁ、間違いない。
格上どころかコイツは最強だ。しかし、この世界の最強を知っておくのも貴重な経験になるだろう。
こうして、俺は『最強』の名を冠する男からの挑戦状を受け取った。