「ーーなぁ、兄弟」
不敵な笑み、不気味という言葉がこれほど良く似合う男もそういないのではないだろうか。
クルシュの話では出かけていたという事だが。俺たちが屋敷を去ろうとした、このタイミングで帰って来たのはたまたまか。それとも入る機会を待っていたのやら。
にしても、『借りを返せ』ときたか。自分の主人の借りを勝手に返せとは、なんとも横暴であるから、それ相応の理由があるのだろうが……まぁ、どのみち碌でもない理由な気もする。
どう答えていいのやらと、尻込んでいた俺たちに代わって口を開いたのは、我らがプリンス、クルシュ様だった。
「トキモリ、従者の無礼を詫びるぞ。ナツキスバル、私はお前を信頼しているが、その発言は些か無礼だ。とにかく、まずは謝罪をしろ」
「申し訳ありませんクルシュ様。兄弟もすまないな。訳あって手を貸してほしいってだけなんだが、言葉足らずだったようだ」
言葉足らず、というより口が過ぎるって感じだけどな。まぁ、重箱の隅を突くようなマネはしないさ。
そんな事より、今クルシュ様が俺の事を『トキモリ』って呼んでくれたっ!! この王選、誰が勝っても今日という日を祝日にしてもらおう。
本当だったらこの件についてクルシュ様に「もう一度呼べ。先ほどのように、大切に心を込めてな」とか詰め寄りたいところだけど、そういうわけにもいかない。
隣の少女がナツキスバルを睨みつけたまま、ヤンデレを超えて、シンデクレと笑顔で言い放ちそうなぐらいにドス黒いのだ。もしかしたら『絶界』より黒いかもしれない。
てか、部屋連れ去る為に握った手が痛いからやめてっ!! 今、「なんでユビが白いか知ってるか??」と聞かれたら「万力で挟まれているから」と迷いなく答えてしまうだろう。
「トキモリくん……」
レムはナツキスバルから視線を外さないまま、俺へとささやきかけてきた。
「どうしたレム?? あと、指痛い」
「気をつけてください。魔女の瘴気がまた一段と濃くなってます。この短期間でどうしたらそうなれるのやら」
「マジか…… わかった気をつける。あと、俺の指先がこの短期間で変色してることにも気がついてくれ」
「………」
ぜっんぜん聞いてくれない。
俺のことなどお構いなしに、レムはナツキスバルを見据えたまま微動だにしなかった。
対して、それを受けるナツキはその敵意もわかっているくせに、まるで気にしていないといった様子だ。
しばらく、沈黙が場を支配した。
誰も口を開く事はなく、どころか不用意に動くことすら憚られるような居心地の悪さだ。
目を向ければ、あのお調子者のフェリスでさえ顔を強ばらせている。いや、奴の心配事は別にあるのかもしれない。てか、めっちゃ俺の手を見ている。医療従事者だからわかるのかな。そうとも、めっちゃ痛い。もし血行不良で指が腐り落ちても貴方の魔法で治せますか??
そんなそれぞれの思惑が交差する、肌のひりつくような静寂を破ったのは、この部屋の外ーー廊下からひょっこりと翡翠の瞳を覗かせた少女だった。
「なんや。クルシュはんとこと、スミムラくんは良好ってわけでもないんか。こりゃええ事知れたわ」
「アナスタシアさんっ!!」
彼女は「やぁ、やぁ、」と、モコモコの袖口とともにその手を上げながら、部屋の雰囲気などお構いなしに入ってくる。
その後ろからは当然というべきか、彼女の騎士であるユリウスも同行していたが、その表情は少しげんなりしているようにも見えた。
「というか、ナツキくん。まだ全然『話』通ってへんやんけ」
「まぁまぁ。でも、兄弟も借りがあるって言ってたのは聞きましたよね。つまり、もう道筋はついているので大丈夫ですよ」
「あとはそこに彼を通すだけ。先に道はできとるちゅうことか。ウチもたいがいやけど、ナツキくんもたいがい悪どい商人やな」
「そんなに褒められちゃうと、俺ってば照れちゃいますよ」
アナスタシアとナツキスバルの二人は、他の人間を置き去りにして盛り上がりをみせる。
外堀を埋められた…… というよりは、城に招待している間に外堀で囲われてしまった気分だ。どんな頼みかは知らないが、彼らは俺を逃すつもりはないらしい。
二人のやり取りを見たクルシュは何かに合点がいったのか、確認する様に従者に問いかけた。
「スバル。まさかとは思うが…… 彼に『アレ』を手伝わせるつもりか??」
「その通りですよクルシュ様。ハッキリと申し上げれば、俺たち…… クルシュ陣営とアナスタシア陣営だけでは『白鯨』には絶対に勝てません。それこそ……」
ーー百万回やってもね。
まったくもって意味のわからない会話だけれど、とんだ面倒に関わらされるだろう事だけは理解していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
治療の礼を言いに来ただけなのに、どうやら今日は精算も求められるらしい。
再びテーブルにつかされた俺たちは、その主犯である男の言葉を待った。
「さて、そんじゃまぁ…… まずはどこから話しますかね」
「待て、スバル。私はまだお前の提案に賛同したわけではない。なぜ彼の協力を仰ぐ??」
クルシュの眼光は、自身の従者に向けているとは思えないほど鋭かった。その後ろでは、フェリスも訝しんだ表情でナツキスバルを見つめる。
「単純な話です、クルシュ様。俺たちの想定した何倍も白鯨は強い可能性がある。それだけです」
「………」
「ーー信じてくれ」
「ーーわかった」
「ちょっと、クルシュ様ッ!! またそうやって……」
「フェリス、お前の疑問はもっともだがこれは私の判断だ。もちろん異議は後で聞くが客人の前では慎め」
「……申し訳ございません」
敬愛するクルシュに宥められたフェリスは苦虫を噛み締めたように謝罪を口にする。その様子は、主人に不満があるというよりは、理解ができない気持ち悪さを必死に呑み込もうとしているようだ。
「さて、クルシュはんとこの意見は決まったようやな。ちなみに、ウチのところも彼が参加するのに異議はあらへんよ。ユリウスもええな??」
「もちろんですアナスタシア様。私が貴方様の思慮を疑うことはありません」
「おおきに。商人のウチとしては、白鯨討伐の名誉が分散する事より、成功の可能性が少しでも高くなる方がプラスやからな。皮算用と高望みは破滅への第一歩ゆうてな」
アナスタシアは話を終えると出された紅茶へ口をつける。それからーーふぅ、とひとつ息を吐くと視線をコチラへと向けた。
「ほんで、肝心のスミムラくんはどないしますの??」
「俺は……」
「トキモリくんにそんな事はさせられませんっ!!」
理解が追いつかず口籠る俺を制して発言したのは、もはやその怒気を隠そうともしないレムだった。
「なんでトキモリくんが『白鯨討伐』なんて、そんな危険なことに駆り出されなければいけないんですか?? 話し合いをする必要もありません」
レムはそのまま立ち上がると、自分も立ち上がるようにと俺の手を引き促してくる。
しかし、それに待ったをかけたのは、レムの怒声に僅かの動揺もみせなかったアナスタシアだ。彼女は再度紅茶をひと口含んでから、落ち着いた様子で語りかける。
「それは、ジブンが決めることやあらへんやろ。現状、スミムラくんはどの陣営にも属してないんやから、関係ないあんたんところは口を出さんとってもらえるかな??」
「関係…… ない……??」
レムから悍ましいほどの負の感情が滲み出る。彼女の握られた拳からはミシミシと音がなっていた。というか、それはまた俺の手だった。
しかし、それを抗議できる空気であるはずもなく、もはや真っ黒クロちゃんのレムを見て俺ができる事なんて「あわわわー」とあたふたする事だけだ。
「レムが…… トキモリくんに…… 関係ない??」
「間違うた事は言ってへんはずやけどなぁ」
「トキモリくんはッ!! レムたちの大切な御客人ですッ!! それを…… そんな彼があなた達の好き勝手で危険に身を投じねべばならない理由がどこにあるんですかッ!?」
「契約結んだ使用人やのうて客人ゆうなら、なおさらあんさんが口出しする事とちゃうわ。ウチらが協力をお願いしとるんは、スミムラくん個人であって、エミリアはんとこの陣営とちゃいますから。なぁ、スミムラはん??」
ーーギチギチギチィ
どんなタイミングで話を振ってくれているのだ。
もうやめて…… お願いだからもうやめて……
俺のことで争わないで!! とかそういうことじゃなくで、手が潰れて、そもそもあなた達の期待する戦力として使い物にならなくなるからやめてッ!!
「トキモリくんッ。レムと一緒に帰りましょう。トキモリくんが『白鯨』なんて相手にする必要はありません」
「帰るんなら一人で帰ったらええよ。スミムラくんとは個別に交渉させてもらいますさかいに。ウチおもろい事聞いたんやけど、スミムラくんは『すべての女の子』の味方らしいやんか。その中にウチやクルシュはんは入っとれへんの??」
「トキモリくん。どういうことですか、説明してくださいっ」
「そ、そんな事言って…… あっ」
たしかに言った気がする。というか言った。でも、あれは昨日の夜プリシラの誘いを断った時であって他言なんて……
「ウチら、ここへくる前にスミムラくん探して姫さんとこまで行ってんやで。そしたら、もうおらへん言われるからどないしょういうてな」
「トキモリくん、トキモリくん、トキモリくん」
「まぁ、お陰でおもろい話も聞けたし満足したんやけどな。ウチらが行った時には、姫さん妙にえらい上機嫌でな。さっきの味方の話を聞かせてくれたんよ。『月夜が照らす晩に妾に語ってきた』ゆうてな」
「トキモリくん、トキモリくん」
「ごめん、フェリス。治癒魔法の準備しといてくれると助かる」
「あの姫さんにノロケさすなん、意外とヤるやんスミムラくん。隅に置けへんわぁ」
「あ゛ぁぁぁァァァァッ!!」
ついにレムの何かが決壊して音にならない声を叫び出す。そして、両手で自分の頭を抱えるとガシガシとその髪を乱雑に掻き乱し始めた。
こ、怖い怖い怖い。
怒りで震えるならわかるけれど「脳が震える」ってなに…… ホントめっちゃ怖いから、もう煽るの堪忍してや!!
そんな俺の悲痛の願いが通じたのか、二人の応酬に割って入るように話を進める者が現れた。皮肉にもそいつは、この場を設けた張本人だったわけだが。
「まぁまぁ。別にこれは兄弟の女好きに付け入って頼もうってわけでもないんだぜ」
「あ゛ぁ?? レムに用ですか、なんですか、今じゃないとダメですか、正直もう限界なんですが、大丈夫ですか?? レムは大丈夫じゃないですけどいいですか??」
「お、おう…… まぁ、兄弟に説明するからお前は横で聞いててくれ」
初めてナツキスバルが動揺しているところを見た気がする……
ナツキは、コホンッと一つ咳を入れて己を正すと、俺へと向きなおった。
「なにも一方的に頼むわけじゃない。これはビジネス的な話だぜ、兄弟。もちろん見返りだって用意する」
「見返り……??」
「あぁ。それも、とても無視できないようなとびきりの見返りだぜ」
あぁ、またこの感じだ。
先ほどの動揺すら嘘の演技なのではないかと感じてしまう独特の圧。
そう、まるで……
何百何千年と生きた大妖怪を目の前にしているかのようなこの感覚。
勝つとか負けるとか、そういう次元ではない。取って食われるんじゃないかという、生物的根本からの恐怖なのだ。
「俺が提示できるのは…… 『エミリアと村が襲われる日時』と『それを防ぎうるだけの情報と人員』だ」
ーーな、無視できないだろ??
不敵に弧を描くそいつの笑みは、性別は違えど魔女のそれだった。