「じゃあ、遅ればせながらで良ければ職務を全うさせて貰おうか」
優男は誰に向けるにも変わらぬ瞳で女と対峙している。あんなエッチな姿の女を見ているのに、俺を見るときと変わらぬ目つきだ。
……さては、コイツ雑食か!!
「何を考えているかは知らないけれど、否定させて貰うよ」
振り返ったラインハルトには薄らと怒りの感情が窺える。英雄様には人の心がないと思っていたが、そうでもないようだ。
「それで?助けてくれるんだよな?」
「君にそれが必要かどうかは疑わしいけれど、職務は果たすよ」
昼間の短い邂逅でどんな印象を与えたかは知らないが、なんだか俺に対してはやたらと嫌味ったらしい気がする。
「ラインハルト……そう、騎士の中の騎士。剣聖の家系ね。すごいわ、こんなに楽しい相手ばかりなんて」
「そういうキミは、黒髪に……」
「エッチな」
「黒装束……」
「サディスティックな」
「北国の刀剣……やめてくれないか?」
漆黒の美女とお互いにわかり合ってるぜ感が鼻についたので茶々を入れると、もはや隠す気もなく怒りをあらわにする。言外に次はないぞ、と訴えているようだ。
「とにかく、それだけ特徴があれば見間違えたりはしない。君は腸狩りだね?」
「ご名答。さて、それで衛兵さんは私に何を見せてくれるの?」
「アストレア家の剣撃を」
ラインハルトの周囲から視認できるほど、何か力の激流が渦巻く。これがきっと、彼らが言うところのマナというものなのだろう。身の危険を感じた俺は近くにあった剣を投げ渡すと、自身とエミリアたちをそれぞれ結界で守る。
あの腰の剣はヤバい。
抜かれようものなら俺たちも灰塵となるだろう。
「ありがとう。この剣は気まぐれで、抜くべきとき以外は抜けないようになっていてね」
「そうか。それは知らなかったが、少なくとも俺のいる前では抜かないで貰いたいね」
「それは今後の君次第かな?」
「あら。お兄さんには抜けて、私には抜いて貰えないのかしら。伝説の切れ味、味わってみたいのだけれど」
「鞘から剣身が出ていないという事は、今はその時ではないということです。ですから今回はこちらの剣で」
問答を続ける間にも、ラインハルトの身体からマナの嵐が吹き荒れる。きっとヤツの握る剣も、その一振りが自身の生涯最後の一閃になる事を覚悟しているはずだ。
「ご不満ですか?」
「いいえ、素敵だわ!!楽しませて頂戴ね!!」
何かに陶酔するように女はその美しい顔を歪めた。
ラインハルトは剣の握りを頬に寄せ、切先を女へ突き出すように構えると、目の眩むような光の奔流は剣身へ凝縮される。
「……剣聖の家系。ラインハルト・ヴァン・アストレア」
「……腸狩り。エルザ・グランヒルテ」
「……ぜひ、お近づきに。墨村時守」
俺の言葉を掻き消すように明光の剣が振り下ろされる。その斬撃はエルザへ向けられたというのに、何故か俺の背筋が酷く凍るものだった。
爆散した衝撃は盗品蔵をこの街一番の廃墟へと変えてしまう。
当の本人は柔らかい眼差しで朽ち果てゆく剣を見つめる。
「無理をさせてしまったね。ゆっくりおやすみ」
「いや、お前の剣撃で吹っ飛んだ剣の方が多いだろ……」
「……お怪我はありませんか?」
ついにラインハルトは俺を無視してエミリアたちへ会話を向ける。
「俺のお陰でな」
なので嫌味で返してやると、そんなことは気にしていないと言わんばかりに清涼感あふれる笑顔を浮かべる。
「そうか、それはありがとう。つい力が入ってしまう声が聞こえてね」
今の一撃で間違いなくエルザは死んだだろう。あの斬撃を正面から受けて人の身を保てるわけがない。
結界を解くとエミリアが横に並んで瓦礫を見つめる。
「終わった、のね?」
「あぁ、結局なんでエミリアの徽章を狙ったのかはわからなかったけどな。パックは?」
「もう眠ったわ。日が落ちているし」
エミリアはラインハルトへと視線を移し慇懃に礼を伝える。そして、フェルトへと向き直るとやや瞳を鋭くさせて声をかける。
「じゃあ、フェルト。徽章を返して。あれはすっごく大切で、絶対に諦められないものなの」
「そういう事でしたか。エミリア様がいて、手綱なんて蛮行をお許しになっているのはおかしいと思っていましたが…」
合点がいったようなリアクションを見せるラインハルトだが、それは俺だけならあんな変態行為も不思議に思わないという意味ですか?
「わぁったよ。返せばいんだろ返せば!あんなん見せられた後にソイツから逃げられるとも思ってねぇしな」
フェルトは右ポケットからやけっぱちだと言わんばかりに乱雑に徽章を取り出して見せる。
「ほらよ、これ……あれ?」
「これは、まさか……」
フェルトの手のひらに乗せられた徽章が微かに光を放つ。この場にいる全員がその淡い光に目を奪われた。
腸狩り以外の全員が。
突如として弾ける瓦礫の山。中からは血染めの黒が矢の如く飛来する。
狙われたのはエミリア。彼女はもちろん、徽章に気が向いていたラインハルトも間に合わない。
俺は状況を把握する前には、無意識にエミリアとエルザの間へ体を滑り込ませていた。
エルザの服装は関係なく今は結界が使えない。空間を定めるにはあまりにも猶予がなさすぎた。肉迫するエルザは勢いそのままにククリ刀を俺の腸めがけて横薙ぎに振るう。
取れる手段は一つだった。
ーーー『絶界』
身体を漆黒が包み込む。眼前のエルザの服装など生温いほど深淵の黒。
やがてククリ刀が闇に触れる。
そしてそれはーーー消滅した。
エルザは刀身の末路を看取ると、足がひしゃげても構わないという程地を蹴り急停止をかけると、その勢いのまま後方へと距離を取った。
「今のは…… ふふふ、あはは、あはははは。素敵!!素敵だわ!!お兄さん!!いずれ、いずれ、お兄さんの腹は必ず切り開いてあげる!!」
「美女との約束だとしても、いささか物騒が過ぎるな」
「絶対よ。絶対、貴方と剣聖の腹だけは何があっても私が割くわ。それまでは大切にその腸を可愛がってあげて」
流石に形勢が悪いと見たか、エルザは穴の開いた蔵の天井から闇夜へと姿を消す。仕事を失敗したというのに、その目は恍惚そうに潤み、今にでも達しそうな表情だった。
「トキモリ。今のって……なに?」
問いかけるエミリアの瞳は対照的に恐怖が顔に貼りついていた。目の前で見たのだ、仕方がないだろう。
穴が開いているというのに外からの音は何も入ってこない。静寂が盗品蔵を支配する。
しばらくして状況を変えたのは少女の叫び声だった。
「イッテェな!なんだてめぇ!離しやがれ」
見るとラインハルトがまだ徽章を握ったままだったフェルトの細い手首を掴みあげていた。
「エミリア様。僕自身、まだ色々と整理のつかない状況ですが……ひとまずこちらの徽章はお返しします」
フェルトの手から取り上げた徽章をエミリアへと渡す。しかし、ラインハルトはフェルトを解放しない。
「ラインハルト、フェルトを離してあげて。徽章盗難での罰というのなら……」
「それも決して小さくない罪ですが…… ついて来てください。すまないが拒否権は与えられない。それと、君もだトキモリ」
「……理由がないな。拒否するとすれば?」
「理由ならある。この国の安全の為さ。拒否をすると言うなら…… ここで、この剣は抜きたくない。大人しくついて来てくれ」
ラインハルトは本気だ。さっきまでの冗談に対するお遊びの敵意ではない。
剣聖ラインハルト。
英雄としての使命から来る責任感。今コイツを動かしているのはそういう感情だ。なら、コイツは本気で剣を抜くだろう。
視線が交差し離れない。
勝てるかは分からない。直感で言うなら…… 俺の分が悪いだろう。
一触即発の剣呑な空気が立ち込める中、初めに声をあげたのは意外にもエミリアだった。
「ちょっと待って。トキモリはダメ。彼は私の客人なの」
「エミリア様。申し訳ありませんが……」
「彼は私の騎士候補として屋敷に連れて帰ります。王選候補者の騎士選びに口出し、妨害は許されていないでしょ?」
「それは……」
エミリアが王選候補者?なるほど。初めて聞く話だが、それならパックの過度とも思える心配やもろもろ納得がいく。
「……わかりました。しかし、こちらの少女に関しては了承していただきます」
「それは…… 仕方がないかも」
エミリアはフェルトに関しては諦めたように瞳を落とす。しかし、彼女を助けると宣った以上、その身の安全が保証されなければ俺も引き下がればしない。
「おい、お前フェルトになにするつもりだ」
「詳しくは話せない。しかし、この件についてだけは譲れない」
「フェルトに危害を加えるなら、それこそ俺はお前と相対する決意を表明するぜ」
「兄ちゃん……」
「君と違って、彼女に手荒なことはしないと誇りに誓おう」
「誓い、か」
庇ってもらった手前エミリアの面子は潰せない。俺にはこれ以上食い下がる事は出来なかった。コイツの事は気に入らないが、コイツが誓うと言うのならそうなんだろう。
ロム爺に関しては苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたが、流石は大人。ここで事を荒げない事がフェルトにとって一番利になると感情を押し殺していた。
「何決まった雰囲気になってんだ!! アタシは絶対にここから離れたらは……ッ!!」
唯一抵抗しようとしたフェルトはラインハルトの手刀によって眠らされる。
「あのぉ…… お前、今手荒な事はしないって」
「エミリア様、近いうちに呼び出しがあると思います。その時にまた。……君もね、時守」
俺の抗議を無視したラインハルトはフェルトを抱えて街の闇へ歩を進め、そして消えていった。