会談から明けた早朝。
つまり、理性がゼロになりそうなレムとの同室生活が始まってから二日目の朝だった。
ロズワール邸で俺たちの帰りを待っているだろうエミリアたちには、昨晩のうちにレムから書状を出させてもらった。
内容は、今回の白鯨討伐作戦に加わる件。昨日の日付から数えて四日後に魔女教による襲撃の可能性がある件。そして、それらもろもろの対応はベティに一任する事だった。
おそらくこれを読んだベティは激怒するに違いない。「ベティを放ったらかしにして、いったいお前は何をやっているかしら」と潤んだ瞳を怒声で誤魔化そうとすること請け合いだ。「ベティに丸投げしないで欲しいかしら」とその短い足で禁書庫の床へ何のダメージも与えられなさそうな地団駄を踏むことも想像に容易い。
しかし、俺はなにもベティなら頼んだら結局やってくれるだろう的な打算だけで書状にその名をしたためた訳ではないのだ。全くないとは言わないけど…… でも、『だけ』ではないので許して貰いたい。それに、恐らくその意図はベティにも伝わっている筈だ。
理由はロズワールの動向が読めないことにある。目的の為ならば、あれだけ自分を慕うラムすら切り捨てるあの男を、俺は全面的に信頼していない。
そんなロズワールの行動の元となるのが、あの黒くて禍々しい『本』だとするならば、『同じ本』を持つベティに対応を任せるのが一番良いと思ったのだ。
俺が白鯨討伐に参加することを、エミリアやベティ、そしてもしかしたらラムも心配してくれるだろうが、それに関しては最後に一文を付け加えて貰った。
『四日後に無事で帰ることを約束する』
約束という言葉の重みは理解しているつもりだ。だからこそ、書状に書き加えることで自分自身にも気合が入るというものだ。
「ご馳走様でした」
「お粗末様です、トキモリくん」
レムの作ってくれた朝食を済ませた俺は伸びを一つ入れて食卓を見渡す。何かの会食にも使えそうな大きなテーブルには俺しか着いておらず、少し物悲しい。まだ朝早いというのに、クルシュとフェリスは白鯨討伐に向けた関係各所との調整などでもう屋敷を出たそうだ。
ちなみに、朝食も含めて食事はクルシュ側で用意してくれるはずだったのだが、「トキモリくんの口に入るものは全部レムのものです」と昨夜部屋を出て行った際に断ったらしい。毒殺を恐れてのことか、はたまた独占欲なのか。
「さて、少し身体でも動かすかな」
「どこに行かれるんですか??」
「ちょっと庭先でも借りて身体の調子を確かめてみるよ。真っ二つになってから確認してないし」
「昨日は移動だけで終わってしまいましたからね。レムもお借りした食器をお返ししてから行きますね」
「わかった。じゃあ、先に行って待ってるな」
「はい。ふふ、待ち合わせですね」
レムは手早く俺の食器を下げると、そそくさと部屋を後にした。そんなに急がなくても、俺は別に逃げやしないというのに。
レムに続く形で部屋を出た俺は、一度お手洗いを済ませてから庭へと向かった。
道中の廊下では、この広い屋敷を清掃する使用人たちが手際良く作業を進めている様子が目に入る。ロズワール邸と違って、というかこの規模の屋敷ならば、複数の使用人がいて当たり前なのだろう。
その点、大きさだけなら勝るとも劣らないロズワール邸の使用人がラムとレムの二人しかいないというのはどうなのだろうか。
もっと雇ってあげればいいのに。レムの負担が大き過ぎやしないか心配だ。まぁ、ラムは…… そうだな、ラムはかわいいから居るだけでいいのだ。
もしかしたらロズワール邸では厳正な顔採用によって、その雇用を決めているのかもしれない。なんとも羨ましい限りだ。生まれ変わったら貴族になろう。
そんな決意を密かに心の内で誓っていると、気がつけば庭へ着いてしまっていた。
「しかし、立派な庭だよな」
その大きさは当たり前だが、何よりも手入れが行き届いている。この広さをメンテナンスするとなれば、それだけで一苦労であろうに、草木や花々はどれを見ても美しく、その生を謳歌しているように見えた。
「ホント綺麗だな……」
「御客人様は、花がお好きなのですかな??」
独り言だと思っていた言葉に返事をされたので、声の方へと視線を向けると、そこには初めてこの屋敷を訪れた時に一度だけ見た白髪の御老人が凛と姿勢よく立っていた。
「恥ずかしながら、風情とか趣きに造詣が深いわけではないですけどね。嫌いじゃないですよ、花を見るのは」
「………」
質問に対して、ちょっとキザな回答をしてしまった自覚があるので無言はやめて欲しい。
「どうかされましたか??」
「いえ、申し訳ありません。若かりし知り合いの答えによく似ていたものですから」
「そうでしたか。ところで、この庭は貴方が整備を??」
「えぇ、私と…… ナツキ殿は知っておられますかな?? 彼の2人で担当させて頂いております」
「貴方とナツキスバルが……」
奴にこんな一芸があったなんて驚きだった。あまりそう言ったものに興味があるようには見えなかったからだ。
まぁ、それを言うならこの御老人だって……
「申し遅れました。私は『庭師』としてクルシュ様にお仕えしておりますヴィルヘルムと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。墨村時守です。トキモリと呼んでいただければ結構です」
「トキモリ様ですね。かしこまりました」
「それにしても…… 庭師、ですか……」
初めてラインハルトに会った時も『この世界では唯の憲兵がこんなに強い』のかとも思ったけれど、今度は庭師ときた。正直、この世界での生活も慣れてきて、それなりの人と関わったから言えることだけれど、この人物が絶対唯の庭師なわけがない。
「なにか、おかしいですかな??」
ヴィルヘルムが試すような視線を向ける。
「いえ、草木を整える刃物にしては些か研ぎ澄まされすぎている気がしまして」
「ほぉ、研ぎ澄まされているとは。それは素直に嬉しい褒め言葉でございますね」
いや、庭師が「研ぎ澄まされている」で嬉しいっておかしいだろ。どうやら予想通り一般的な庭師とは違うらしい。
どこかラインハルトと似た雰囲気を感じさせる御老人だが、奴が剣士だとすらば、目の前の彼は剣そのものといった印象を受ける。
「さて、そんな庭師さんは俺に何か御用でしたか??」
「いえ、御用というほどの事はありません。ただ、身体を動かしたそうにしておられましたので、もしよかったらとお声がけさせて頂いた次第です」
そう言って彼が取り出したのは、つい先日の苦い思い出を文字通りこの身へと刻んでくれたものによく似た、木で作られた2本の剣だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぜぇ、ぜぇ…… ぜぇ…… 何が唯の庭師ですか。この屋敷の植物は枝を整えるだけに、そんな剣筋が必要なほど凶暴な植物だとでもいうんすか??」
「ふぅ…… いやはや、クルシュ様より『腕が立つ』とは聞いておりましたが、まさか本職の剣でここまで食い下がられてしまいますとは」
「おい、今あんた『本職』って言ったぞ!?」
「いえ、失敬」
食い下がるなんて表現をしてくれてはいるが、ハッキリと言って格が違う。俺は剣は握らないが、家業の関係で棒術に関してはそれなりの心得があるつもりでいたので、ここまで一方的に押し込まれるとは思っていなかった。
強さ、でいったらもちろんラインハルトに軍配が上がるのだろう。しかし、ヴィルヘルム氏の剣筋には確かな研鑽に裏付けされた鬼気迫る厚みのようなものを感じさせた。
「まったく…… こうも負けが続くと自信がなくなってきますよ」
「それこそご謙遜を。普段は剣など握らないでしょうに、私の剣筋にしっかりと反応してみせるのですから、『貴方本来の闘い方』をされては私など簡単に倒されてしまいますよ」
「それこそご冗談を…… って感じですけどね」
一を極めた者の強さはわかっている。剣術という点だけで見たら、この人物は俺が見たどの人間よりも高みにいるだろう。数多の術を持ったところで、究極の一を持った相手には太刀打ちできないのだ。
だから、もしを考えてしまう。
そう……もし、ラインハルトとの闘いで、最後小細工などに走らずに自分の一を信じていられたのなら、結果は変わったのだろうか。
「はぁ、姉さんで慣れたつもりだったけれど…… 負けるのってやっぱり悔しいな」
そんな言葉が不意に口をついた。
「負ける事は悪いことではありません」
「ん…… あぁ、いやすみません。ただの独り言ですよ。でも、ありがとうございます」
「ただ慰めの言葉として送ったわけではありませんよ。立ち止まろうとしていない貴方様に、それは不要でしょうから。ですからこれは、この老ぼれめの経験です」
「経験……??」
「えぇ、私の人生は負けたときからーー『彼女』に負けたときから始まったのですから」
そこから語られたのは、御老人ーーヴィルヘルム・ヴァン・アストレアの半生についての話だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「うわぁぁぁぁぉぁぁぁぁん!! グスッ…… グゥぅぅ。うははぁぁぁぁん!!えっぐッ、えぐっ、うわぁぁぁぁぁん」
快晴の空の元、そよ風に揺れる花々が色鮮やかに踊る庭園。そんな他人様の屋敷の庭で泣き喚く男がここにいた。というか俺だった。
「ト、ト、ト、トキモリくんっ!?」
ちょうどそのタイミングでやってきたレムは、大声でギャン泣きする俺を見つけると何事かと急いで駆け寄ってきた。そんな彼女に対して俺は、人目も憚らずその胸へと飛び込み、止むことのない涙を流し続けた。
ちなみに、後で後悔したことだが、この時レムの豊満な胸の感触を堪能しなかったことが悔やまれる。しかし、そんな余裕がないほどに、この時俺の感情は揺さぶられていた。
「レムぅ、レムぅぅぅ。うわあぁぁぉぁぁぁん。レムぅぅぅぅぅぅ!!」
「は、はい。トキモリくんのレムですよ。よしよし、かわいそうに。どうしたのですか?? そんな大泣きしてしまわれて」
「あの、あのね。グスッ…… うわぁあんぁあわぁあわん。テレシアさんがぁ…… テレシアさんがぁぁぁぁ」
「テレ…… シア…… 誰ですかその女。その女がどうしたんですか?? トキモリくんの何ですか?? とりあえずレムの敵だと思っていいですか??」
「テレシアさんがぁぁぁぁああ。 うわあわぁあんあわあわん!! あ、愛してるって…… せっかく愛し合えたのにぃぃぃい!!」
「あ、愛し合えたッ!? ちょっとトキモリくん、どういう事ですか!? 説明してくださいっ。じゃないと…… レムは、レムは…… テレシア…… そう、テレシアって言うんですね、その女の名前はッ!!」
もはやお互いにお互いの言葉など通じてはいなかった。そんな俺とレムの言葉を理解できたのは…… いや、恐らく一番意味が分からず呆然とするしかなかったであろう人は、その場にいたもう一人。ヴィルヘルムさんであった。
そんなヴィルヘルムさんは『剣鬼』と呼ばれているとは思えないほど申し訳なさそうに、目を血走らせながら歯軋りをする『鬼』へと声をかける。
「あの、申しあげ難いのですが……」
「ーーテレシア、テレシア、テレシア、テレシア…… なんですか?? レムは今、宿敵の名を刻む作業で忙しいのですが??」
「いえ、ですから…… そのテレシアというのは私の妻の名でして」
「人ッ、妻ッ!?」
ーーきゅぅぅぅぅぅぅうう。
「グスッ…… テレシアさぁぁぁぁぁん!!」
まるで風船が萎むように気が抜けて崩れ落ちる少女と、その姿を見て錯乱する男の姿がその庭にはあった。
というか、俺とレムだった。