Re:ゼロから始める結界術   作:レトルトラメエ

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第43話

「いいよなオマエはさ。大切にするモノを守れるだけのチカラがあってよ」

 

 その男の感情に名前をつけるとしたらなんと呼べば良いのだろう。

 

 

 

 羨望??切望??憧憬??

    畏怖??感嘆??所望??希望??敬意??驚嘆??

  賞賛??讃美??

        宿望??嗟嘆??崇拝??

 渇仰??野心??渇望??

 

 

 

 自分の胸中に渦巻く感情の荒波に呑み込まれそうになっていた男は、ふとある言葉が浮かんできた。

 

「あぁ、そうだ。この感情は……」

 

 ーー『嫉妬』

 

 そう呼ぶ他あるまい。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 地竜に跨り荒野を駆ける一団。その面持ちは誰もが鋭く猛々しい。

 夕暮れの日差しを背に浴びながら移動する一行。しかし、男は場違いにもほうけた表情を隠す事なく『それ』を堪能していた。

 

「あぁ、レムのうなじは良い匂いなんだな〜」

 

「と、トキモリくんそんなにクンクンされたら恥ずかしいです」

 

 地竜の手綱を引くレムを後ろから抱き締める形で相乗りさせてもらっていた俺は今、ここまでの長き道中を休む事なく走り続けているどの地竜よりも鼻息を荒くしている事だろう。

 

 今から闘いにおもむこうという戦士がメイドの背に張り付いて戦地へと馳せ参じるとは格好がつかないかもしれないが、それに関しては我ながら仕方がないと思う。

 

 なぜなら地竜なんて乗った事はおろか、見たことすら無かったのだから。

 

 なのでこうして美少女メイドの少し「ぷにっ♡」としたお腹に手を回して、その陶器のように白く滑らかなうなじへと鼻を埋め、一度吸い込むだけで脳の表面が粟立つ感覚に陥るような甘美な香りを堪能したとしても、それは誰に咎められるいわれもないのだ。

 

 本当は元の世界で乗馬の経験があったりするので、その要領で地竜に乗れないこともないと思う。というか、俺が『地竜に乗れない』と発言した際、それを聞いたクルシュが『なんでそんな意味のない嘘をつくんだろう?』と言いたげなキョトン顔を浮かべたのを見るに、どうやら他ならぬ俺自身が『乗れない』発言を嘘と認識してしまっているらしい。

 

 でも、ありがたい事に我らが討伐軍トップのクルシュ様は『トキモリ、地竜に乗らないのなら帰れ』とか言うスパルタ方針でもなかったので、特に追求される事もなく、

 

「それなら誰かに乗せて貰うといい。此度の遠征に集めた地竜はどれも強靭なものばかりだ。人を二人乗せた程度で悲鳴をあげるものもいないだろう。卿に抵抗がないのなら私の背にでもーー」

 

「そんなのフェリちゃんが絶対許さないッ!」

 

「うっせぇぞクソ猫ッ!! 地竜の後ろに括り付けて引きずり回してやろうか!!」

 

「クルシュ様今の聞きましたか!? やっぱり女の子の背中に張り付きたいだけで本当は地竜に乗れるんですよ、この変態男はッ!!」

 

「うむ、卿らは本当に仲が良いのだな」

 

 というようなやり取りがあった末、なんやかんやあって結局はレムの背に張り付く形となった。ちなみに『なんやかんや』とは「そんなに仲が良いのならフェリスに頼むといい」というクルシュ様の提案だったわけだけれど、もちろん男の背中に張り付く趣味は無いので断ってレムに頼んだというだけである。

 

 あれ、これでは本当に俺が女の子の背に張り付きたいだけの変態みたいではないか。

 

「ーーおっとっと」

 

 そんな的外れな結論に辿り着こうとしたからだろうか。そのタイミングで大きく揺れた地竜の背から振り落とされそうになり、ついレムの腰にまわした手に力が入ってしまう。

 

「きゃんッ♡ ト、トキモリくん……しっかり捕まってくれるのはいいですけれど急に力を入れられたらレムは困ってしまいます」

 

「すまんすまん、気をつけるよ」

 

 振り落とされないように……念のためもう一度。いやらしい気持ちなど微塵もなく、ただ振り落とされない為に腕をさらにレムの腰へと深くまわした。

 

 力を入れた事でムニィ♡と浅く俺の腕を呑み込んだ彼女の腹部は、見た目の細い腹囲からは想像できないぐらいにモチっと柔らかい。まるで、その感触のギャップはなんだか彼女の身体の秘密の一端に触れてしまったような気がして、妙に後ろめたく、そして少しの高揚を覚えた。

 

 そして、これもあくまで振り落とされないように、飛行機における緊急着陸時の体制のごとく、いわゆる『ヘッドダウン』の要領で、透き通ったように白く艶かしい首筋へと鼻をうずめた。口から熱っぽい興奮を吐き出して、代わりに押し付けた鼻から思い切り息を吸う。すると、いったい人体のどこにそんな機能があるのだと言いたくなるようなフルーティーな香りが鼻腔に広がってくる。

 

「あぁ〜たまらん。もう生涯をこのまま過ごしてもいいかもしれん」

 

「そ、それはレムとしても魅力的提案ですけれど……ほどほどにしてもらわないとくすぐったくて地竜から転げ落ちてしまいそうです」

 

 俺はレムの忠告に「ソダネ〜」と生返事をすると、構わず『くんかくんか』とその欲望を鼻から吸引した。

 

 首筋の髪の生え際を狙ったり、左右の耳の裏を嗅ぎ比べてみたり。

 

 元の世界でこんな行為をしたのならば、明確に何の法に触れているかはわからないけれど、たぶん何かしらの犯罪になるのではないかという変態っぷりだ。

 

「嗅ぎたくて嗅いでるわけじゃないんだ。でも、三日も禁欲生活を強いられたら誰だってこうなるに決まってるよ!」

 

「ど、どうしましたかトキモリくん??」

 

「こんな状況でエッチな事考えるなって無理だよそんなのッ!大人は勝手だ、地竜に乗れって言ったり降りろって言ったり……」

 

「いえ……そんな事レムは言っていませんし、降りられると困ってしまいます」

 

「僕は降りないぞッ!だって、僕はエヴーー」

 

「にゃーにバカやってるのトキモリきゅん」

 

 まるで『あんたバカぁ??』と言いたげな表情で(というか言われた)自身の地竜を並走させてきたフェリスが横槍を入れてきた。効果は絶大だ。一瞬で興奮が冷めてしまった。名付けるならその横槍は横ロンギヌスと名付けたいほどの鋭さだ。

 

「ありがとう、なんかお前の顔を見たら一気に熱が冷めたわ」

 

「別にどうでもいいのになんだか腹が立つんだけど」

 

「どうでもいいのなら気にするな。俺も、お前の事はどうでもいい。というかめちゃくちゃどうでもいい」

 

「辛辣すぎて逆に清々しい!!」

 

 フェリスは俺の言葉に傷ついたと言わんばかりのけぞって見せる。しかし、もちろんそれすらどうでもいい。

 

「てか、横といえばお前は主人の横についてなくてもいいのか??仲間を鼓舞して回るキャラでもないだろ」

 

 そこで一度、俺はフェリスから視線を外した。

 代わりに目で追ったのは、この規模の軍勢の行進という雑音の中でさえハッキリと耳にする事ができる豪快な笑い声の主だった。獣人の彼は、あちこちにその顔を出しては声をかけて回り、団員の緊張を解すことで討伐隊の指揮を高めているようだ。

 

 流石はあれだけの兵団をまとめ上げる長。やはり、ただの粗暴者というわけではないらしい。

 

「何が『横と言えば』なのかさっぱりわかんないけど…… まぁ、いいや。それより……にゃに〜?? さっきはフェリちゃんの事どうでもいいとか言ってたくせに、自分のところに来てくれた理由とかやっぱり気になっちゃうわけ??」

 

「なるほどな、そういう理由があったわけか。了解した」

 

「いや、フェリちゃん何にも答えてないんだけど……」

 

「あぁ、すまん。尋ねたはいいけど途中でもう興味がなくなっていた」

 

「酷すぎるッ!!」

 

 フェリスの顔には驚愕の表情が貼り付いていた。

 まん丸の目を大きく見開き特徴的なネコ耳をピンと立てたその姿は見てくれだけなら萌え要素満載の出立ちだろうに、残念ながら彼はフェリスだ。彼が男だから残念なのではなく、フェリスだから残念なのだ。

 

 へータロー君の事は純粋にかわいいと思える。同性で同じケモ耳を持つ彼には愛嬌を感じるのだから、つまりフェリスの事をここまで憎たらしく感じるのは単純にフェリスの責任だろう。

 

 とはいえこれ以上雑に扱うのは流石に可哀想だと思うし(思っていない)フェリス越しにクルシュの心象を悪くしたくもない(思っている)ので、最低限のコミュニケーションは図ることにしよう。

 

「それで、結局なんでクルシュ様から離れているんだ??」

 

「へへ〜ん、にゃんだかんだ気になるんじゃ〜ん」

 

 フェリスは俺が会話を切り捨てずに質問を続けた事に満足したのか耳をピコピコと動かし「フフンッ!」と一つ鼻を鳴らすと、「仕方がにゃいな〜」と少し勿体ぶったように答え始めた。

 すごい……なんて隙なく鬱陶しい奴なんだ……

 

「今、クルシュ様は白鯨との決戦を直前に控えてちょっとピリピリしているんだよネ。責任感が人一倍強いお方だから……やっぱり部隊を率いる立場として緊張しておられるみたいなの」

 

「それでお前はコッチに逃げてきたわけか?? それなら尚更側にいてやった方がいいだろうに」

 

「クルシュ様を舐めないで。そんにゃ事しなくたってクルシュ様はお一人で乗り越えられるぐらい強いお方なの。問題なのはフェリちゃんの方」

 

「お前の何が問題なんだよ??」

 

 いや、問題といえばフェリスには片手では収まり切らないほど問題を指摘する自信があるけれども。

 

「押し潰されてもおかしくない重責。しかし、兵に不安は抱かせまいと毅然と振る舞われているクルシュ様……」

 

「なんか語り出した……なんだコイツ」

 

 突然口調の変わったフェリスに対して侮蔑の言葉が漏れる。しかし、そんな事など耳に入っていない様子のフェリスは、地竜に騎乗中だというのに両の手を手綱から離すと自身の頬に添えてウットリと表情を蕩けさせた。

 

「そんなの見たら……フェリちゃんは……もう…くぅぅぅ。あぁ、クルシュさまぁ♡そんな凛々しい横顔見せられたらフェリちゃんは地竜から転げ落ちてしまいますよぉ♡」

 

「お前、よく人の事バカって言えたなッ!?」

 

 いったいどの口が俺の行動を批判していたというのだろうか。他人の事をどうこう言う前に自分の醜態を見直して欲しいものだ。

 

「………」

 

 そんな俺とフェリスの馬鹿馬鹿しい事甚だしい会話を、前に座るレムはただ黙って聞いていた。ピンと背筋の伸びた綺麗な姿勢を維持したまま黙々と地竜を操る後ろ姿は、なんというか……怒ってる??

 

「レム、どうかしたか??」

 

 まさか、お互いに相手をどうこう言う以前に、お互いが『人の振り見て我が振り直せ』というもっともな正論に辿り着いて呆れてしまったのだろうか。

 

 とりあえずその機嫌を伺ってみたが、するとレムは唇を少し尖らせて、呆れているというよりかは拗ねているという表現が似合いそうな表情を浮かべた。かわいい……

 すごい……なんて隙なくかわいい奴なんだ……

 

「知らない間に随分仲良くなられたんですね」

 

「「誰がこんな奴ーーッ!!」」

 

 そんなかわいいレムの一言であっても流石に聞き流せないほどの暴言である。しかし『待った!』をかける俺とフェリスの言葉が重なってしまい、それを見たレムの頬は一段とムスッと膨れ上がってしまった。

 

 やっぱりそれもかわいい……

 

 にしても……クソッ、なんてトキメキのないシンクロなんだ。

 普通こういうのは、ちょっと気の強い系美少女ヒロインとのお約束だというのに、まさかこんなクソ猫とシンクロしてしまうとは。

 

「やっぱり仲良しじゃないですか」

 

「「違ッ、これはそういうのじゃなーークッ!!」」

 

 ふたたび言葉が重なる。

 何が悲しくてこんなラブコメテンプレートをこんなクソ猫とやらねばならんのだ。

 

 怒りが口を割りそうになるが、しかし激情に任せて不用意に言葉を発したりはしない。お約束でいうのなら感情に流されれば流されるほど、同じ轍を踏むはめになるだろうからだ。

 

「「………」」

 

 それはフェリスも同じ考えだったのだろう。

 俺とフェリスは荒野を駆ける地竜の上で身体を揺られながら睨み合いの膠着状態に入った。

 

 数分そんな状態を続けたところで、先に動いたのはフェリスだった。

 

「まぁ、フェリちゃんとトキモリきゅんは共通の目的があるぅ〜言っちゃえば運命共同体的なとこがあるかもだしぃ……仲良しかと聞かれたらそうかもネッ♡」

 

「貴様ッ!!」

 

「………」

 

 フェリスの意図はすぐに察する事ができた。奴が言っている『共通の目的』とは単にナツキスバルに関して疑っているという点だろうが、それに敢えて含みを持たせる事で、俺ではなくレムを煽ろうという魂胆であろう。

 

 事実、その目論みは実に効果的で上々の結果を得ただろう。それはレムの手に握られた手綱がギチギチと悲鳴をあげていることからも明白だ。

 

 レムを使って間接的に俺を攻撃しようだなんてどこまでも性根が腐ってやがる!そんな奴にやられっぱなしでたまるか。

 

「俺とオマエの共通点……たしかにそうかもな。そう、クルシュ様を使ってドスケベな妄想をしているとかなッ!」

 

「なッ!!フェリちゃんはそんな汚れた事してないッ」

 

 フェリスが否定するなんて事はもちろん想定済み。しかし、俺の狙いはそんなところにはない。

 

「それは残念だな。お前とは同じ趣味同士、楽しい話ができると思ったんだが。例えば……昨日どんな妄想で脳内のクルシュ様をめちゃくちゃにしたのかとかな」

 

「ちょっとクルシュ様でそんな汚い想像しないでッ!? クルシュ様は清廉で潔白なこの世界で一番綺麗なお方なのッ」

 

「ふはは、そうかな?? 俺の頭の中のクルシュ様は随分乱れていたけどな」

 

「ト、トキモリきゅんいい加減にしなよ。それ以上言ったらフェリちゃん手が出るからネ」

 

 自分の敬愛する人が目の前の男に空想の中とはいえ好き勝手弄ばれているという事実。それは敬愛が深ければ深いほど気持ちの良いものではないだろう。その証拠にフェリスの額からは脂汗が滲み出てきており、聞くに堪え難いといった表情だ。

 

 それを見た俺は『好機ッ!』と攻撃の手を強める。

 

「昨日のクルシュ様は特に乱れておられたよ。普段の騎士然とした態度からは想像出来ぬほどの淫乱っぷりだったさ」

 

「くわぁぁぁぁあ!やめてッ!絶対にやめろッ!そんにゃ妄想聞きたくにゃいッ!」

 

「今はすまし顔で地竜に跨っているが…… フハハッ!笑ってしまうな。昨晩はあれほど淫欲にまみれた顔で俺に跨っていたというのにッ」

 

「くぎゃぁぁぁあ!クルシュ様を穢さないでぇ!!!!」

 

「ふははははははッ!!」

 

 どうだクソ猫。寝取られるという苦行ですら『NTR』と名前をつけて、一つの性癖ジャンルへと昇華させた『変態大国ニッポン』のチカラはッ!?

 

「どうしたぁフェリス。お前の愛するクルシュ様のお話だぞ。もっと聞かせてやるから遠慮はするな」

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……や、やめろ。それ以上喋ったら……今ここでフェリちゃんが殺してやる」

 

「ハッ、やれるものならやってみろ!お前が俺を殺す間にいったい何度クルシュ様は俺の脳内でイヤらしい目に合うのだろうなぁ」

 

「ク、クルシュ様を人質に取るにゃんて……この外道がッ!!」

 

「おや、そうかい?? ふははははッ!ふははははははッ!」

 

 この荒野一帯に響き渡らんばかりの高笑いがこだまする。

 

 見よ、愚かなるフェリスよ。

 これが幸も不幸も、酸いも甘いも、全ての事象を性の一点へと帰結させる『変態超合衆国ニッポン』の力だ。

 

 勝利に笑う俺と敗北の苦汁を舐めるフェリス。

 勝負は完全に決した……かのように思われた。

 

 ーーしかし、

 

「トキモリくん。そのお話レムにも、もっと教えてください」

 

 お約束というのなら、この図式も最近はよく見る気がするな。

 

 フェリスを精神的に攻撃したい。そんな欲望のあまり、その会話が当然俺の前に座るレムの耳にも届くという事実をすっかり失念していた。

 

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……」

 

「レムが聞きますよ。トキモリくんがクルシュ様でどんなイヤらしい妄想をしていたのか」

 

「逃げちゃ………」

 

「聞きますよ」

 

「………」

 

 いつかこんな言葉を聞いた事があったような気がする。

 

 有漏な妄想は人を孤独にする。

 

 少し違ったかな……なぁ、トキモリ??

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

「卿らは本当に仲が良いのだな」

 

 部隊の先陣を切って走るクルシュが横目にコチラを捉えてそう口にした。普通、大将なら行軍の最後尾に位置どりをしそうなものだけれど、誰よりも先頭を走るあたりはなんとも彼女らしい。

 

「いべ、ごべばそんばんべぼあびばせん」

 ーーいえ、これはそんなんではありません

 

 俺はフェリスの後ろからクルシュにそう答えた。

 

「その……なぜ卿は戦う前から既にそんな怪我をしている??」

 

「いべ、こべばおぎになばらぶ」

 ーーいえ、これはお気になさらず

 

 腫れ上がった顔面の中でも、特に機能の低下した口を必死に動かして答えた。

 

 なぜこんな惨状になったのかは思い出すまでも無い。

 

 

「ねぇ、教えてくださいよ……レムに。レム以外の女性に対してどんな卑猥な妄想で楽しんでいたのか。ねぇ、教えてくださいよッ!!!」

 

「ヒェッ、逃げるしかないッ!! ……南無三ッ!とおぉぉぉぉッーーーーー!!」

 

 

 追及の末、レムのプレッシャーに耐えかねた俺は地竜からその身を投げて逃走を図った。その結果、いつの日かよろしく顔面のみで体操『床』選手もビックリの回転技を披露することになってしまったのだ。

 

 あとは、憎いとはいえ流石に俺を憐れんだフェリスがこの身体を回収したという流れだ。まぁ、単に転がり去る俺の肉塊を鬼の形相で見つめていたレムにビビって距離を取っただけかもしれないが。

 

 そのような経緯があり、砂まみれ・血みどろ・ズタボロ雑巾状態になった俺は、今度はフェリスの地竜に相乗りさせてもらう形で今クルシュに並走しているというわけだ。

 

「そうか。まぁ、話したくないというのなら詳しく追及する事はないが。決戦までにはフェリスに治療して貰っておくといい。卿は貴重な戦力だからな。もちろん作戦道中の事ゆえ、前のように対価を求めたりはしない」

 

「あびばぼうぼばいばぶ」

 ーーありがとうございます

 

 理由が理由だけに少し心苦しくはあるが、これで無事クルシュより労災認定を受理された。なので俺はなんの負目もなくフェリスへと治療を頼む事にした。

 

「とびゅうばべば。だのぶぼべびぶぅ」

 ーーというわけだ。頼むぞフェリス」

 

「フェリちゃん『べびぶぅ』なんて人知らな〜い。まぁ、クルシュ様がそう仰るのなら仕方がなく……ほんっとうに仕方がなく治してはあげるけどネ」

 

 フェリスは嫌だという様子を隠そうともせずにそう答えた。

 

 ちなみに、治療についてはクルシュを引き合いに少々破廉恥な想像をした件を根に持っていた為か「フェリちゃん、クルシュ様のお許しがないと勝手にできにゃ〜い」と一度断られている。

 

 何が『できにゃ〜い』だ。

 と、その顔面を俺の顔面とシンクロ率100%にしてやろうかとも一瞬頭をよぎったが、考えてみれば憂さ晴らしをしたところでフェリスは自己修復が可能なのに対して俺は元の造形を取り戻すにはフェリスの力が必要不可欠な事に気がついたので、こうして大人しく奴の主人であるクルシュへと了承を取りに来たのだ。

 

「にびべぼ、おべばいぶぶばべびいびょうをべいびゃんぐばばるぼば……びゃっばりグルビュばばはおびゃばびい」

 

「クルシュ様に感銘を受けるのはいいけれど、次あんな事を想像だとしてもクルシュ様にしたら……フェリちゃん本気で怒るかんネ」

 

「フェリス……なぜ彼の言葉がわかるのだ。私には、ひと単語も聞き取る事ができなかったぞ」

 

 クルシュは彼女にしては珍しく驚愕に狼狽えるような表情で自身の従者を見つめていた。

 

 ちなみに俺は「にしても、お願いする前に治療を提案してくださるとは……やっぱりクルシュ様はお優しい」と言ったのだ。それを余す事なく全部読解してくれるなんて……ヤダッ、私本当にフェリスと仲良くなっちゃってる!と俺もその事実に愕然とした。

 

「トキモリきゅんの言葉なんて一言たりとも理解してはダメですよクルシュ様。耳が穢れてしまいます」

 

「ウブなグルビュばばにエボいごどをおじえるのはごうぶんするな」

 

「クルシュ様、トキモリきゅんってどんな顔していましたっけ。フェリちゃんあんまり覚えていないのでその辺にいるバッタにでも似せちゃえば良いですかネ」

 

「……すびばべん」

 

 本当に通じているのか試してみたけれど、どうやら本当にフェリスには俺の言葉がわかるらしい。

 

 というわけで、自分の今後一生の造形の為にも素直に謝ることにした。

 てか、治療する上で美容整形的なことまで出来るのなら、もう少し目鼻立ちを整えて、彫りなんかも深くしたりして、なんならエラとアゴを削ってシャープにしちゃったりして……街ゆく女性の全てが振り返っちゃうような美青年にしてもらいたい。

 

 後で可能なのかコッソリと相談してみよう。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 結局、美青年化というバカな目論見はフェリスに一蹴される形で終わってしまい、俺の顔は異動する合間に片手間で治療される結末となった。

 

 フェリスいわく『元通り』らしいけれど奴のことなのでその言葉を鵜呑みにするわけにもいかず、レムの元へ馳せ参じて先ほどの事を謝罪してから手鏡を借りて念入りにチェックを行った。

 

「ん〜、もっとこう……目鼻立ちが整っていて、彫りももうちょい深くて、エラとアゴがシャープなダンディだった気がするんだが」

 

「まったく治療してあげたっていうのにその疑いようは失礼なんじゃにゃいの??トキモリきゅんの顔なんてはじめっからそんなもんだからネ」

 

「大丈夫ですよ。トキモリくんはいつも通りにカッコいいままです」

 

「そうか、まぁレムが言うのならそうなんだろうな」

 

「はい、レムが一番トキモリくんを見ていますから」

 

 レムの真っ直ぐすぎる賞賛には流石に少し照れてしまう。これ以上赤みを帯びた自分の顔を見ることは気恥ずかしいので、借りた手鏡を丁寧に閉じてレムへと返した。

 

 そんなバカなことをしていたからだろうか。

 

 今まで対して面白くもない自分の顔を見るのに夢中になっていた俺は、いつのまにか殺風景だったはずの荒野に雄大に聳え立つそれが現れたことにようやく気がついた。

 

「デッケェ木だなぁ」

 

 思わず口からそんな児童のような感想が漏れ出た。

 

 木の根元から見上げたそれは何かの言い伝えである神木のように、本当に天まで届いているのではないかという錯覚すら覚えてしまう。もはやこの大木の前では、根元にあたるこの場所は『麓』と表現した方がいいのかもしれない。

 

「一旦ここで休憩するのか??」

 

「はぁ、トキモリきゅん昨日にゃんにも聞いてなかったの?? この場所が目印らしいよ。あの人が言うにはね」

 

 フェリスがクルシュのことを『あの人』と表現するわけもないので、普通に考えればその人物はナツキスバルを指すのだろう。

 

「ずいぶん都合が良すぎると思わにゃい??こんなわかりやすい目印があるところに『出現します』なんてさ」

 

「それは穿ちすぎだろ。考え方の問題だ。『白鯨の進路上でわかりやすい目印のあるこの場所を決戦の舞台に選んだ』が正しいと思うぞ」

 

「ふ〜ん。まーたそうやってスバルきゅんの方を庇うんだ。フェリちゃん面白くにゃ〜い」

 

「それも考え方の違いだな」

 

「むぅ、というと??」

 

「『俺がお前の味方であることなんて一度もない』が正しい」

 

「やっぱりブサイクにしてやればよかった……」

 

「悪いなイケメンで」

 

「別にイケメンでもにゃいけどね」

 

 いつも通りの小言の応酬。

 しかし、周りはそんな俺とフェリスとは対照的にその表情は一様に険しいものとなっていた。

 

「決戦は日が暮れてからなんだろ?? 今からこんな調子じゃ身体が保たんだろうに」

 

 今はまだ地平線から半分日が顔を覗かせている状態なので、作戦開始時刻まではそれなりの時間が開いている筈だ。

 

「俺は一回寝るかな。慣れない地竜での移動で少し疲れているし」

 

「それもどうなの?? ちょっと緊張感がにゃさすぎるんじゃない」

 

「緊張ってのは勝手に張り詰めるものであって、自分から張るものでもないんだよ。刻が来れば自然と切り替わるからご心配なく」

 

 これは心構えとかそう言った類ではなく、ただの経験則だ。自分で張った緊張も『気合を入れる』といえば聞こえはいいのかもしれないが、結局のところ自然体でない時点で実力が出せる筈もない。

 

「トキモリくん、寝られるのならレムが膝枕をしましょうか??」

 

「魅力的な提案だけど、それはまたの機会にするよ。膝枕で足が痺れて動けません……なんてなったら困るしな」

 

「わかりました。では、またの機会に」

 

「レムも出来るだけ休息を取っておいてくれ。どれだけの長丁場になるのかもわからない」

 

 それだけ言い残すと、俺はレム達から離れて寝床を探すことにした。

 これだけ遮蔽物もなく風通しの良い場所なので、結界を足場にして高いところで寝るのも気持ちがいいかもしれない。

 

「ーーよっと。おぉ、こりゃまた絶景だな」

 

 地平線の先まで見渡せるようなこの景色は、現代日本に住んでいてはそう拝める機会もないだろう。心地よい風に撫でられる感触を楽しむ為に、夕日を見下ろすように展開した結界の、中ではなく上に寝転がることにした。

 

「それじゃあ、ひと眠りするかな」

 

 寝過ごす心配はない。

 

 夜の帷が降りる頃。

 妖が活気付く時間に目醒める事は元の世界に居たときと変わらないのだから。

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

「ーー来たか」

 

 空気が変わるのを敏感に察知した俺の身体は訓練された熟練の兵士のように間を置かずに起床した。

 まるで俺のその感覚を肯定してくれるように、この世界には相応しくない機械音で奏でるメロディーがだだっ広い荒野に不気味に鳴り響く。

 

「ーー総員、警戒ッ!!」

 

 足下を見下ろせばちょうどクルシュが部隊に号令を発しているところだった。

 

「さて……」

 

 俺もその輪に合流すべく敢えて頭上の『ソレ』から距離を取るように寝床から飛び降りる形で地上へと降り立った。

 

 先に始めても良かったのかも知れないけれど順番ってのは大事だからな。

 

 着地した場所。

 小さな黄色の花たちが荒野という決して恵まれない環境で精一杯咲き誇る場所にその老人はいた。

 

「老木の詰まらぬ妄執と無為に過ごした時間です」

 

 隣に立ち並んだ俺に視線を向ける事なくその男は呟いた。妻を亡くし、涙に暮れて、それからの人生をその仇を追いかける事に費やした男の言葉だった。

 俺にはその悲しみの大きさを想像することすらできないのかも知れない。それでもそれを『妄執』と表現するのを見過ごす事はできない。

 

「冗談を言わんでください。それを『愛情』と呼ばないでなんというんですか」

 

「ありがとうございます。えぇ、そうですね。私は今でも妻を愛しています。どれだけの刻が過ぎようとも」

 

 そう口にすると、男はその花を愛しむように見つめて一つ笑みを浮かべた。

 もしかしたら、側から見れば敵を目前に何を悠長に話しているのだと言いたくなるのかもしれない。でも、俺から言わせれば今こそ話すべき事なのだ。

 

「大丈夫です。積年の思いは今宵晴れますよ」

 

「と、言いますと??」

 

「知っていますか??この曲がなんという題名なのか」

 

 俺が元の居た世界の曲だ。

 彼には知りようもないそれを敢えて聞く事は少しキザったらしい言い回しだったかもしれない。

 

 月明かりが頭上を回遊する『ソレ』に遮られる。

 

 視線をめぐらせ、周囲に神経を張り巡らせていた全員が気がついた。

 遮る『ソレ』は雲なんかではなく、世界を見渡す大木すら見下すように空を泳ぐ存在である事に。

 

 部隊の全員が視線を上空へと向けて、そして、息を呑んだ。

 

 そんな中でも俺は言葉を続けた。

 

「この曲の題名はですねーー」

 

 言葉の途中で複数の結界を空中へと展開させた。

 それはまるで天空へと続く階段のようだ。

 

「ーー『よあけのみち』って名前なんです」

 

 もう言葉は必要ない。

 俺の気持ちは十分伝わっただろうから。

 

 それを示すように男は空への道を駆け出した。

 

 順番は大切だ。

 

 だから先陣はこの闘いを一番に待ち望んだ男が務めるべきなのだ。

 

 男が叫ぶ。

 

「バケモノ風情がぁぁぁぁぁ!!」

 

 空を駆ける鬼はヒトを見下し笑う魔獣の腹を切り裂き、鮮血の雨を乾いた大地に降りもたらす。

 

 それは同時に決戦の幕が切って落とされたことを意味していた。

 


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