「この世界の人間じゃない?ベティーを
俺の告白に彼女は軽蔑を隠さなかった。魔法が当たり前に存在するこの世界でも、異世界移動などあり得ない事なのだろう。わかってはいたが確認は大切。ベティーの反応なら間違いないのだろう。
「信じられないのはわかる。普通なら耳を傾けるのも馬鹿らしい荒唐無稽な話だろう。だけど、俺がこの世界で唯一ベティーに話したのはベティーなら信じてくれると思ったからだ」
「仲良くなった気にでもなって、ベティーを
「仲良くなったとは思っているけど、絆すだなんてつもりはさらさらないよ」
ベティーの眉間に谷ができる。こちらを見定めようとするその瞳は、なるほど流石は精霊。見た目不相応の緊張感を俺に与える。だけど、それはやはりベティーに話す事が正解だったのだと俺に確信させる。
「その目。俺に向けるその目がベティーにだけ話そうと思った理由だ。さっきから言っているように、こんな話は鼻で笑って一蹴するような話だろ?にも関わらず、ベティーはその話を吟味している。理由はわからないが僅かでも本当なんじゃないかと疑っている」
「ふんっ。そんなのは気まぐれ程度のお遊びのようなものかしら。どうやってベティーに信じさせるつもりなのか、興味が湧いただけなのよ」
「違う。信じて欲しいのは俺だけど、信じたいと思っているのはベティー、お前だ。お前は何故だか、俺にどこか特別な存在でいて欲しいと期待している」
「っ!!!」
ベティーは驚きで目を見開く。次にくしゃりと表情を歪ませると少しだけ涙を溜めた。それでも気丈に俺を睨みつける。
「確かに、お前に少し期待したのは事実かしら。でも、それはこの退屈な禁書庫の娯楽程度への期待なのよ」
「なら、それでいい」
「……はぁ? お前、信じて欲しいのか欲しくないのかどっちなのかしら?」
「今日の暮らしすら危うい身だからね。信じてもらうのは追々でもいいよ。とりあえずは娯楽としてでもなんでもいい。ここにおいてくれ」
「…………」
ベティーは返事をしてくれなかった。ただ拒絶しないと言うことは居座っても問題ないだろう。その程度の事はこの一週間で学んでいる。
ひとまずは、拗ねた表情だが足を揺らす少女に紅茶でも振る舞うとしよう。引越し挨拶の粗品としては些か高級過ぎるこの茶葉で。
「あむっ。へえぇぇ」
「うっさいかしら!あと、モノを食べながら寝転がって本を読まないで欲しいのよ」
同居生活も5日目になると慣れたものである。ベティ愛用の机の横には、屋敷から適当に掻っ払って来たマットレスが鎮座している。だから言っただろ、レム。謝らなくていいって。無礼どころか、こちらは窃盗しているのだから。
「お前、よくあんな別れ方をしといて屋敷にいられるかしら。まず、辞書を開いて恥という言葉を調べるがいいのよ」
「正確には屋敷にはいないだろ。この書庫が屋敷から出入りできるだけで」
「毎日屋敷から盗み食いしといてよく言うのよ。ロズワールがいないからって調子に乗りすぎかしら。いつか痛い目を見るのよ」
「いないやつの分を食ったって罰は当たらないさ。もったいないだろ?帰って来たときの為にいちおう用意しとくなんて」
ロズワールは俺が屋敷を出た(出てない)その日に用があるとかで今は離れている。ラム達の会話を盗み聞きしたところ、いつ戻るかもわからないらしい。……盗み、聞き?
「しまった!俺とした事が。こんな状況で、まだ風呂の一つも覗いていないとは」
「何が、しまったかしら。そんな事をしたら、もうここには戻れないと思う事なのよ」
「決死の覚悟で挑めと言いたい訳だ」
「覗くなとベティーは言っているのよ!」
「……仕方ない、居候の身だからな。今はベティーの指示に従うと約束しよう」
「約束…… 精霊相手に約束だなんていい度胸かしら」
「座学で言ってたやつだな。精霊は契約を遵守する、だったか?」
「覚えているならいいのかしら。精霊にとって契約は…… 約束は、絶対なのよ」
「わかった、約束するよ。ベティーに’世話になっている間’、エミリア、ラム、レムを’故意’には覗かない」
「……やたら条件が多い気がするけど。まあ、いいかしら」
臆面もなく誓いを立てた事に満足したのか、ベティーは仏頂面のままだが、足を揺らして答える。
精霊なら契約には気をつけないとダメだぞベティー?『世話になっている間』『故意に』という単語に引っかかりすぎて、お前の名前が入ってない事に気がついていない。
俺だって最初はベティーのようなお子ちゃまを覗こうだなんて考えもしなかったわけだが。しかし、床に直置きしたマットレスから眺める椅子に座ったベティーは、いやはや何とも色っぽいじゃないか。
「……?? 何かしら?」
「いや、なんでもない。約束した事は守ろう」
紫。ふむ、悪くないだろう。
さらに月日は過ぎ、ついに普通に客人として屋敷で過ごした期間の三倍はこんな生活を続けている。朝から晩までベティーと一緒。今日も、今日とて、いつもの丸椅子とマットレスに俺たちはいる。
「お前はいつまでここで暮らすつもりかしら?」
「それは早く出てけって意味?出て行かないでって意味?」
「べ、別にどっちでもないかしら。気になったから聞いただけなのよ」
「…………」
思わず約束を破って、ベティー胴上げ祭りを開催するところだった。最近では仏頂面だけでなく、赤面したり、しゅんとしたりと様々な表情を見せてくれる。
「ベティーはもう諦めたのよ。お前が…… 出て、いきたいときに…… 出て、いけば、いいかしら」
「……ぬうぅぅ。はぁ、はぁ」
抱きしめ、嗅ぎたい!舐めたい!食べちゃいたい!悲しそうに寂しげな表情で、たどたどしく言葉を紡ぐベティー。その破壊力は俺の呼吸を乱し、理性を蝕む。このままではベティーを襲いかねない。
俺は無言で立ち上がると扉に向かって歩く。ひとまず屋敷側へ避難しなければ。幸い、今は夜で邸宅は寝静まっている。
このときの俺は、余裕がなさ過ぎて直前の会話すら忘れていた。
「えっ…… ま、待つかしら。何も、何もそんなすぐに出てくなんて、あんまりかしら」
「っ! いやっ、違う! 違うから! あの、飯漁ってくるだけだから! 出て行かないから! 帰ってくるから!」
慌てて振り返るとベティーの目には大きな滴が溜まっていた。座った状態のベティーは、立ち上がった俺を見上げているので辛うじて涙は溢れていない。
「……ほんとう?」
「ほ、本当。本当。精霊との約束だから、嘘つかない」
「そ、そう。なら…… いいかしら」
ベティーは椅子の上でくるっと背を向けると目元をごしごしと擦る。そして「どこにあったかしら」とわざとらしい声をあげて立ち上がると、本を探すそぶりを見せて奥に消えていく。ただ、ときおり「ズッ、ズッ」と鼻をすする音が漏れ聞こえる。
あぁぁぁぁぁぁぁ!!
理性が、理性がなくなる。理性がゼロになる禁書庫生活。
理性を保つために、知性を失った俺は、今度こそ屋敷側へと緊急避難をするのだった。
「今日の晩飯なんだろな。えっ、これだけ?」
日課になった深夜の炊事場徘徊。戸棚には魔法がかけられており食品を冷やす事ができるらしい。いつもならここにロズワール用の飯が入っているはずなのに。
「ふかし芋って、アイツ嫌われてんのか?」
「失礼ね。ラムのふかし芋を残念なものみたいに」
声をかけられた背後を振り返る。夜闇の中、月あかりに照らされた少女は私服の寝巻きに身を包み、不愉快そうに腕を組んでいた。
「こんばんは、変質者」
「こんばんは、メイドさん」
「まさかベアトリス様のお部屋に住み着いているなんて思いもしなかったわ」
「帰らないでって泣きつかれてね」
「そんな訳ないでしょ」
あながち今は嘘でもなかったりするが、それは言うまい。
「さて、ラムは侵入者をどうしたらいいと思う?」
「侵入者なんて物騒な。ベティーのペットぐらいに思っておいてくれ」
「ずいぶん手癖の悪いペットね」
ラムの周囲に風が渦巻く。戸締りはしっかりされており窓など開いていないのでこれは自然なものではない。戦闘の意思を見せるラムに対し、俺は一切の構えを見せない。
「ラム程度じゃ相手にならないという余裕のつもり?」
「ラムとは戦わないという表明だよ。なんで、ひと月も見逃したんだ?寝具が消えて、毎日飯も消えるなんて気がつかない訳がないだろ」
俺の問いかけにラムは毒気が抜かれたようにマナを抑える。しかし、不愉快そうな表情は変わらない。
「こちらが気づいている事も折り込み済みでの無銭飲食なんて、余計にたちが悪いわ」
「用意して貰えるもんだから甘えちゃってね。レムも気がついているのか?」
「さぁ、わからないわ。ロズワール様からあなたが来るかも知れない可能性を教えられたのは、ラムだけだと思うけど。戸棚の夕食が消える事に疑問は持っていたわ。でも、ラムが『それはそれでいいの』と言ったから、レムが何を思って用意しているかはわからない」
「つまり俺が毎夜ご相伴にあずかれたのはラムのおかげってわけだ」
「そうよ、感謝しなさい。美味しい食事を作れる妹を持ったラムに」
「感謝してるよ。ネズミを見逃してくれる慈悲深さに。ロズワールは何て言ってたんだ?屋敷から離れたのも俺を泳がせる為だとばかり」
「あなたに関する異常は全て見逃せ。それがロズワール様のご命令よ。屋敷から離れたのに関しては本当に御用事があったみたいだから、あなたは関係ないわ」
異常は全て見逃せ。どういう事だ。ロズワールの意図がまったく読めない。まさか俺を信頼しているわけでもあるまい。俺が間者で、エミリアが襲われたらどうするつもりなんだ。ラムとレムではどの道太刀打ちできないだろうから、抵抗するなという意味か。なら、エミリアを守る奥の手があるのか。それとも、そもそもロズワールは…… エミリアに価値を見いだしていない?
「ロズワール様を疑うのは勝手だし、ご命令だから見逃すけれど、不愉快だからラムの前ではやめて」
「ずいぶん御執心なんだな」
「ラムの主人なのだから当然でしょ。それにラムたちには返しきれない御恩があるの」
「恩?」
「そうよ、恩」
ラムは腕組みをやめると、座り込んだ俺の横に並ぶように歩み寄った。その面持ちには先ほどまでの色はなく、大切な昔を懐かしむような、大人びた表情だ。
「ラムたちが亜人種である事はあなたなら知っているでしょ」
「鬼、だったか」
「驚いた。亜人だと気がついているだけだと思ったら種族まで知っていたの。……そう、ベアトリス様は本当にあなたを」
「ベティーを責めないでやってくれ。それに関しては俺が問いただしたようなもんだ」
「別に隠す事でもないから気にしてないわ。本当にただ驚いただけ。ベアトリス様はどこまであなたに伝えたの?」
「ロズワールの亜人趣味の話から聞いただけで、それだけだ。ラムたちとロズワールの関係については教えてくれなかった。本人に聞けってな。ロズワールは鬼種の救世主かなんかなのか?」
ラムの目線が俺を離れる。どこか、どこか遠いところを見ているようだ。それはとても儚げで、月明かりに照らされている事もあって幻想的だった。
「ラムたちの救世主ではあるけれど、鬼種のと言われると少し違うわ。だって、救われる鬼は…… もうラムたち以外にはいないから」
「そっか。それは、恩を感じるわけだ」
「察して貰えて何よりよ。だから、ロズワール様に刃を向けるなら、その切っ先はラムたちにも向いている事を覚えておいて」
「……それはとんでもない脅し文句だな。あいつはともかくお前らには何があっても向けられない」
「ふふ、そう。ラムはかわいいものね。その言葉信じるわよ。だから…… あの娘をお願いね」
最後の言葉の意味はわからなかった。でも、そのときのラムは何かを慈しむように慈愛に満ちていた。普段は幼く見えても、やっぱりラムはお姉ちゃんなんだな。あの娘というのはレムの事だろうけど……
にしても…… 下から見上げるこの角度からだと一目瞭然だが、お胸のサイズはお姉ちゃんじゃーー
「ぐべらぁっ!!」
「ラムを下卑た目で視姦しないで」
「顔面に膝蹴りって…… ラムさん、『俺に関する全ての異常は見逃す』じゃなかったの?」
「今の膝蹴りもラムなりの優しさよ」
「……ん?どういう意味だよ?」
「すぐにわかるわ。……本当に、頼んだわよ」
ラムはそれだけを言い残すと炊事場を後にする。
取り残された俺はもう一度戸棚を開けて今夜の夕食を手に取る。
頬張ったふかし芋は、なんだか優しい味がした
夜にもう1話投稿できると思います。