すぐに禁書庫に戻る気分でもなかったので久しぶりに正攻法でベティの元へと戻ることにした。ふかし芋を片手に扉を目指して屋敷を徘徊する。窓から差し込む月明かりは幻想的で、夜空を見上げればガラス越しでもその星彩は色あせない。
考えてみたら『波同』を使わずに禁書庫へ入るのも久しぶりだな。えっと、今は……二つ上の階の奥の扉、だな。空間の気配とでもいうのか、まぁそんな感じでこの景色と姉様の料理を肴に廊下を歩く。
一つ階を昇り、少し進んだところで別の気配を感じ立ち止まる。
「……結!!」
咄嗟に自身を結界で囲うと、数瞬後には砲台でも撃ち込まれたような衝撃に襲われる。その弾を確認すれば、それは前回一度だけ見たことのある配色だけ愛らしい棘付きの鉄塊だった。
「ずいぶんな挨拶だな。鬼流の『こんばんは』は、こんなにも物騒なのか。……それとも夜のお誘いかい?」
「今のは『さようなら』という意味です。お客様」
俺の感じ取った気配は殺気。前回この凶器を見たときとは比べものにならない本気の殺意。
そして、夜闇から出てきたのはなんともかわいらしすぎる青い鬼だった。
「襲われる理由がわからないな。ベティーのところで寝泊まりしているのを浮気認定されたとか?」
「本気で言ってるんですか?屋敷に無断で入り込んでいる時点で、排除に動くのはメイドとして当然です」
「もっともすぎる理由だな!!」
反論の余地もなかった。不法侵入、寝具の盗難、夕食の無銭飲食、余罪を数えたらきりがない。
「それだけではありませんけど」
続けて放つ言葉とともに濃密な殺意が溢れ返る。血にも似た赤黒く沸き上がるマナ。レムの額を見れば、そこには紅梅に輝く一柱の角が現れていた。
「姉様が、姉様は、盗られるのをわかっていて、あなた用の食事を用意しろと言うんです。レムにはそれが耐えられないんです。あなたのような得体の知れない者の、何を庇っているというのか!!それでまた姉様が傷つくような事があれば、レムは!!」
声を張り上げたレムは武器を握りなおすと一歩ずつ近づいてくる。
「疑わしきは罰せよ。メイドとしての心得です。姉様に見られる前に……終わらせます」
なるほど、本当に優しい姉様だ。俺は一人、先程のラムとの会話を思い出す。
『俺に関する全ての異常を見逃す』は、要するに『俺が何かをしたら』ではなく、俺が屋敷内で『何かに襲われても』という意味。それを伝えるための膝蹴り。感謝の気持ちで、次に会ったらラムの膝小僧にキスをしてやりたいくらいだ。
そして、刃を向けられるかの確認。あぁ、言ったとおりだ。俺はレムを傷つけない。約束だ。
「何を一人でぶつぶつと。気持ち悪いので……死んでくださいッ!」
「ッ!!!」
鎖が耳障りな音を立て蛇のようにしなる。その先の鉄球は寸分違わずに俺の頭を獲りにくる。飯を盗ったにしては随分と刑が重すぎやしないか。
「ちょこまかと、羽虫のように!鬱陶しいッ!」
「いや、知られる前にって姉様起きちゃうだろ!!」
レムはあたらぬ鉄球に苛立ちを見せ、声を張り上げる。激しさを増す連撃は、その一つ一つが俺の心と身を引き剥がそうという意思が感じられる。
「反撃もッ、しないなんてッ、舐め腐ってぇ!!だったら、大人しくッ、死ねッ!」
「口悪いなお前!流石はラムの妹だ」
「お前みたいな奴がぁッ!姉様の名前をよぶなぁッ!くらえ……ヒューマぁぁあ゛!!!」
「いや、起きなくても屋敷壊れる!次の日絶対バレるから!」
角が生えてからというもの、レムの知性がどんどん下がっていく。もはや鉄球じゃなくてレムを鎖で繋いだ方がいいレベル。
こんな相手に刃を向けるな。お姉様も無理を平気で仰る。俺を説得する前に、自分の妹の教育をしていただきたい。
とりあえずどうする?
ひとまず禁書庫へ逃げるか?いや、こんな『トキモリ絶対殺す』状態のレムは庇おう者ならベティーもろとも攻撃しかねない。ベティーなら遅れを取ることはまずないが、屋敷の住人が争うのは出来れば避けたい。
屋敷内をかけ回り、落とし所を考える。
前回はラムが仲裁に入ってくれたのだが…… 今回は流石に期待できないか?でも、さっき話したばかりだしこの事態にも気がついているだろう。
僅かな希望を信じてラムの部屋がある方向へ疾駆する。そして、それを見たレムは激昂する。
「っ!!! 姉様ッ!! 貴様ぁぁぁあ!! やっぱり!やっぱり!姉様をッ!殺す!殺す!殺す!殺してやるッ!!」
「そうなるかぁ!」
逆にレムの逆鱗に触れてしまったわけだが、もう後戻りはできない。後ろからは立派な鬼が迫っているのだから。こうなったらこのまま進み、ラムの部屋を通りすぎるしかない。
階段を駆け上がり角を左へ曲がる。暗がりの中、遠目にラムの部屋を捉えた。
「っ!!!」
すると部屋の扉が少しだけ開き、その隙間からラムの左目と視線が絡む。背後のレムはまだ階段にいる為、見えていない筈だ。
ただ、この状況でラムが出てきても逆効果にしかならない。そんな事は姉であるラムだってわかっているはず。
「と、きぃもりぃぃい!!!姉様を!姉様に!許さない!殺してやる!」
背から聞こえるは、鬼の慟哭。
とにかく駆け抜ける以外の選択肢はない。部屋の前を横切ろうとしたその瞬間、ラムは左手だけを廊下へ出し『何か』を放り投げる。咄嗟に俺はそれを両手で受け取った。ラムはそれを確認して、薄く笑みを浮かべ扉は静かに閉じられる。レムには俺の背中で死角になっていただろう。
ラムの部屋を素通りした事で許されるかもと淡い期待を抱くが「二度と近づくなぁ!!」という声で儚く砕け散る。
闇夜で続く鬼ごっこ。
お遊びでないそれに終わりは見えない。もう、残されたのはラムに貰ったこの『何か』。走りながらの暗がりでは確認できない『それ』を握りしめ、逃げ込んだ先は月夜に煌めく美しい庭園。
月の光に照らし出されたそれを見て俺は叫ぶ。
「……って、これ。『ふかし芋』かよぉぉぉぉお!!!」
人と鬼の慟哭は、まだ続く。
「ついに観念しましたか?お客様。おもてなしはここまでです。お屋敷を壊す心配もありませんので、本気で殺らせてもらいます」
「まるで今までは殺す気がなかったみたいだな」
「いいえ、殺す気でしたよ。ただ、規模が違います」
「ッ!!!」
レムの突き出した左手を合図に空中から氷結の柱が四本現れる。
「アル・ヒューマ!!!」
払われた手に合わせ射出される氷柱は次々と、速度、大きさ、を増しながら俺へ迫る。なるほど確かに屋敷内じゃ使えない規模だ。
「だかッ!らッ!もはや隠す気ないだろってぇッ!言ってんだろうがぁあぁ!」
一本目は自身を結界で囲う事で防ぐ。結界に衝突した氷柱は爆音をがなり立て霧散する。しかし、連続で耐え忍ぶには威力が高すぎる。
二本目は進路に結界を割り込ませ軌道をずらす。
地中に大穴を開けて突き刺さったそれに身を隠し、三本目をいなすと、四本目は加速する前に囲んでしまう事で射出そのものを防いだ。
「主人不在の庭に大穴開けてんぞ。怒られるんじゃないか?」
「考えてみたら侵入者の排除に隠す必要なんてありませんから。大穴についてはあなたの首を手土産に謝罪します」
「レムりんキャラ変わりすぎだろ」
「あなたのせいですよ」
「嫌いとは言ってないけどね」
「チッ。本当に心底嫌悪します。人を舐め腐った態度で。その能力もあなたと同じで小賢しい。なら…… ウル・ヒューマ!!」
「ッ!!」
地響きに身体が反応して、無意識に後方へ飛ぶ。すると地を裂き現れる氷柱が天を貫ぬかんと
「地中からの攻撃なら、隙間も出来ず、その能力も使えないでしょう。さあ、氷漬けにされるか、これで頭をカチ割られるか、お好きな方をどうぞ」
「その中にはレムも入っているのか?」
「はい? …………っ!!お好きな『かた』、じゃなくてお好きな『ほう』だって言ったでしょう!!」
激怒したレムは庭を穴だらけにする勢いで、立て続けに氷の塔を建築する。手に持つ凶器は俺を砕かんと巨大な氷柱をへし折りながら猛威を振るい、美しかった庭園は見渡す限り
氷柱の影に隠れ身を休める。さて、どうしたものか。
「本当に虫のように小賢しい事この上ありません。物の隙間に隠れるあたりもそっくりですね。気持ちの悪い」
「そろそろ泣くぞっ!」
「そこかぁッ!!!」
声に反応して腕を振るうレム。鉄塊は正確に元いた氷を粉々に砕く。その後も俺の影を追って縦横無尽にその進路にある物全てを粉砕して進む。
「とらえたっ!」
ついにレムが振るう凶器が影を捉える。頭部を砕き破られたそれは力が抜け落ちるように地に伏せた。
そして「ポンッ」とどこか場違いな音とともに霧散する。
打ち抜かれた『式神』を上空に張った結界から見下ろし確認すると、討ち取ったと油断するレムの背後に降り立つ。
月光を遮る影に振り向くレムだったがもう遅い。振り返りを最後の動作に、レムは身体に巻き付いた『念糸』によって身動き一つ取れなくなる。
両手を上に吊るさせ、それを起点に身体を余す事なく縛り上げる完璧な拘束術だ。
「くっ、離せっ!!」
「残念だったな。俺の国に伝わる最高峰の束縛術だ。名は……『亀甲』。捕らえられれば最後、抜け出す
勝負あった。
あとはこの眺めを堪能しながらレムが落ち着くのを待とう。時折、糸の延びる右手を上げれば、両手を吊るされたレムから浅い呼吸が漏れでる。
このメイド服、エッチだ。
背中と胸元に目がいきがちだが、なんといっても脇がエロすぎる。肩口と袖を分ける事を指示したのがロズワールだとしたら…… くそ、侮れない。
いや、だからと言って胸に目がいかない訳でもないけどね。すごく、大きいから。ベティーと約束したけど堂々と見てるからこれはセーフ。そりゃ、視線もいっちゃいますよ、どこかのお姉様と違って…… ん?いや、ちょっと待て。なんだこれはーーー
「フーラ!!!」
「ッ!!!」
背にした屋敷から飛ばされた空気の斬撃を間一髪で避ける。俺を捉える事は出来なかったが、魔法は正確に俺とレムを繋ぐ念糸を切り落とした。
そして、崩れ落ちそうになるレムを地に着く前に抱きとめ、術者は俺を睨みつける。
「傷つけないって約束したくせに」
「ちゃんと見ろ、レムは無傷だ!」
「傷モノにしようとしたくせに」
「誤解だ!見ていただけで手は出していない!」
「下卑た視線に晒されるだけでも女の子は傷つくのよ。ラムを見る目と同じ、イヤらしい目でレムを見ないで」
「いや、お姉様よりはレムりんの方が凄かっーー」
「エル・フーラ!!!」
俺の発言を遮るように嵐に取り囲まれる。なんとか結界で耐え凌ぎ、舞い上がった土煙が収まるのを待つ。そして、晴れて見えて来たのは妹を抱きかかえ思いやる姉の姿だった。
「姉様、ごめんなさい。レムはあの男を排除できないだけでなく傷モノにされてしまいました」
「いいのよレム。仇は、私がいつか……切り落とすわ」
「何をだよ……」
「お庭もめちゃくちゃにしてしまいました」
「それもロズワール様には一緒に謝りましょう。私と、レムと、そこの変質者で」
「俺は荒らしてないし、なんなら嵐でトドメをさしたの姉様だからね」
「姉様、私はそこの変質者が信用できません。何故、姉様はそいつを庇うのですか?」
「私も信用なんてしていないし、庇ってなんかいないわ。ただ、私もレムもこの通り無傷でしょ?だから、今はエミリア様とベアトリス様の顔を立ててあげて」
「姉様…… はい、わかりました」
「あの、その説得。襲われる前にしてくれてたら、こんな事にならなかったんじゃないですか?」
俺を無視して行われる会話は、姿だけ見たらそれは大層目の保養になる美しい光景だったが、狙われた当事者としてはたまったもんじゃない。
「うるさいわね。みんな無傷なのだから、つべこべ言わないで。後始末は明日にして今日は休みましょう」
妹に肩を貸し立ち上がるラム。
本来なら、これで翌朝ラムを挟んでレムと話をすれば丸く収まるのかもしれないが、そうは問屋がおろさなかった。
「待ってくれ、今夜は寝かさないぜ」
「……ブチ殺すわよ」
「待て、誤解だ。レムは禁書庫に連れて行く」
「なに? やっぱりラムの妹に怪我でもさせたの?」
「俺じゃない誰かがな。勘違いじゃなければ、レムは誰かに呪われてる」
「……っ!!本当なの!?」
ラムは取り乱したように驚き俺を
俺は黙って頷く事で返事をした。
天を仰ぎ見ると、今夜の月はまだ当分沈まないようだ。