遠い音楽   作:南澤まひろ

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愛は静かな場所へ降りてくる

 パソコンの電源も、灯りも消えた真っ暗な部屋。

「んー」

 頭から布団を被っていた私は、寝返りを打ちながら小さくうめいた。

 ベッドに入る前までヒーターをつけてたし、布団もぽっかぽかで気持ちいい。あとは、このまま眠れればいいんだけど……

「……眠れない」

 そうため息をついちゃうぐらい、見事に目が冴えている。

 かれこれ一時間ぐらいこうしてるけど、目はぱっちりと覚めたまま。

 うとうとどころか、眠気のカケラさえありゃしない。

「昼寝がまずかったかなぁ」

 心当たりを思い出すとすると、だいたいそのぐらいしかない。

 冬休み中ネトゲ三昧で寝不足だったから、昼寝で睡眠時間を稼ごうと思ってたんだけどなー。ホント、なかなか上手く行かないもんやね。

 あまりにも寝付けなくて、ベッドサイドに置いておいたケータイで時間を確認……って、もう二時過ぎてるじゃん。明日は日曜だからいいけど、もう学校も始まってるからさすがに寝ないとヤバいんだけどな。

「はぁ」

 そう思えば思うほど、出てくるのは眠気じゃなくてため息ばかり。呪うなら私の普段の行いを呪えってコトですか。ま、気にしててもしょうがない。

「んしょっと」

 身体を起こして、軽く伸びをしてから椅子に掛けた半纏を手にする。

 ――牛乳があったから、それでも温めて飲もっと。

 眠れないときはホットミルク。みゆきさんに教えてもらった豆知識をを思い出しながら、私はドアを開けた。

 部屋から一歩出ると、空気はガラッと変わってとにかく寒い。廊下も真っ暗だからますます寒く感じるけど、灯りを点けるとほんの心持ち暖かく感じられた。

 早く台所に行きたい気持ちを抑えて、隣の部屋にいるゆーちゃんを起こさないようそーっと歩く。

 足音を立てずに、時間をかけてキッチン前へ。あとは入ってホットミルクを作るだけ……と、思ったんだけど、

「ん?」

 ダイニングのドアから、灯りが少し漏れ出ていた。

 灯りの消し忘れはいつも口酸っぱく言われてるから、お父さんがまだ仕事中なのか、それともそのまま寝ちゃったのかのどっちか。まあ、どっちにしても、

「まったく、お父さんってば」

 そんな感想しか出てこないわけで。もう若くないのにさ。そろそろ、夜更かしとか徹夜とかは自重してほしいもんだよ。

 苦笑いしながら、キッチンのほうのドアをゆっくり開けると……あー、やっぱり。

「…………」

 キッチンを背にして、お父さんがダイニングのイスに腰掛けてるのが見えた。

 中に入れば、伝わってくるのはストーブの温もり。キータイプの音とかは聞こえてこないけど、突っ伏したりしてないってことは起きているみたい。

 でも、やっぱり時間が時間。締め切りもまだって言ってたんだし、そろそろ寝ないと。

「おとーさん」

 しょうがないなって感じで声を掛けてみたけど、お父さんの反応は無い。

「おーい、おとーさーん」

 もう一度呼んでみたけど、やっぱり返事は無し。イヤホンとかつけてるわけでもないから、フツーは気付くはずなのに。

「お父さんってば」

 しびれを切らした私が、お父さんに近寄って肩に手を置くと、

「ん……? あ、こなたか」

「あ、じゃないってば」

 もうっ、やっと気付いてくれた。

 振り返ったお父さんの表情はどことなくぼーっとしていて、眠そうにも見える。

「もう二時過ぎてるよ。そろそろ寝ないと、身体に毒じゃない?」

「ああ、もうこんな時間なんだ。こなたこそ、こんな時間まで起きてて大丈夫なのか?」

「なかなか寝付けなくてね。ホットミルク作ろうとしたら、お父さんがまだ起きてたってわけ」

「お、ホットミルクか。俺にも一杯頼むよ」

「それ飲んだら眠るって言うならいいよ」

「うむ。眠れたら寝る」

「お父さんってば、いつもそう言って仕事してるよね」

 私はまた苦笑いしつつ、キッチンに向かった。

 冷蔵庫から牛乳のパックを手にして、ついでにハチミツのチューブも取り出す。それを水で少し濡らしたお鍋に注ぎ入れて、最後にバニラエッセンスを一滴。あとは、コンロを弱火に調節して……ん、このくらいかな。あとは、温まるまで鍋をまわすように

すればいいんだっけ。

 バイト先のチーフから受けたレッスンを思い出しながら、鍋の取っ手を手にする。

「こんな時間まで起きてるなんて……また、ネタが浮かばないとか?」

「ちょっと資料探しをしてたら、こんな時間になってさ」

「お父さん、そういうのに没頭しやすいもんね」

 鍋をくるくる回しながら、いつものようなやりとり。

 徹夜明けだったり疲れているときなんかは、こうやって何か作ってあげたりすることが多い。いつからこうしてたかは思い出せないけど、今じゃ私たちにとっては当たり前のこと。

 少し振り返ると、お父さんは椅子の背に頬杖をつきながらこっちを見ていた。

「ん? どしたの?」

「いや、なんとなく見てるだけ」

「ふうん」

 どことなくぼーっとした表情は、最初に声をかけたときから変わらないまま。実は、相当眠かったりして……我慢も程ほどにしたほうがいいと思うんだけどなぁ。

 視線を戻して、お鍋をくるくる回し続ける。少し湯気が立ってくれば、出来上がりのしるし。

「んしょっと」

 火を止めて、二つのマグカップに注いだら完成っと。

「はい、出来たよー」

「ありがとな」

 ダイニングに戻った私は、お父さんにマグカップを一つ手渡して、向かいのイスに腰掛けた。

 そして、テーブルにマグカップを置いたその時、

「……ん?」

 裏返しにされた写真の束が、お父さんの前に置かれているのが見えた。

「それ、資料の写真?」

「ああ。昔、昔のな」

 ホットミルクを口にして、お父さんがしみじみといった感じでつぶやく。

「ふうん」

 それにならって、ホットミルクを口にする私。

 牛乳の甘さと温かさが、ハチミツとバニラの香りといっしょに身体に伝わっていく。

「今度の作品は、昔が舞台とか?」

「だいたいそんな感じだ」

「ここ最近は現代モノばっかりだったもんね」

 あまり文章には触れない私でも、お父さんの作品に関してはほんのちょっと別。ストーリーを聞いたり、お願いされたらチェックもする。サンプルを一冊くれて本棚にもちゃんと置いてるけど、本になったのを読むと何故か苦手で……ええ、親不孝な娘デスヨ。ダメだってわかってても、無理なものは無理なんです。

「たまには、気分転換になっていいんじゃない?」

「ああ。まあ、な」

「……?」

 何故か、言葉を詰まらせるお父さん。しかも、写真の束と私の顔を見比べてるってことは……ははーん、さては、実は見られちゃマズい写真だとか?

「ねえ、お父さん。その写真、ちょっと見せてくれる?」

「えっ?!」

 予想通り、お父さんの反応は戸惑ったもの。

「……んー」

 だけど、何故か慌てたりはしない。むしろ、考え込んでるとかそういった感じで、

「まあ、いいか」

「へっ?」

 最後には、予想とは全く違った答えが返ってきた。

「い、いいの?」

「いいのって、こなたの方から見たいって言ってきたんだろ?」

「ま、まあ、ねえ」

 からかって言ったはずなのに、まさかの答えでビックリしまくりですよ。ええ。

「それに、お前ももう十八歳になったんだ」

「ちょ、ちょっと、お父さん?」

 私が十八歳になったからってゆーことは、もしかして、その、あの、アレ、アレな写真もオッケーとかそーゆーことじゃないでしょーねぇ!?

「あー、勘違いしないしない。そういうことじゃなくてだな」

 苦笑いしながら、手をひらひらと振るお父さん。

 その表情は、すぐに引き締まったものへと変わっていった。

「お前もそろそろ大人だから、昔の話をしてもいいかと思ってな」

「昔の話?」

 そう言われて、思い当たる節は一つしかない。

「それって……お母さんのこと?」

「ああ、そうだ」

 私がそう言うと、お父さんはきっぱりとうなずいて見せた。

「…………」

 あまりにもはっきりとした答えに、返事ができない。

 お父さんも、同じように私の表情を見たまま黙り込んでしまった。

 聞こえてくるのは、ストーブの上にかけられたヤカンがコトコトと鳴る音ぐらい。しんと静まりかえったダイニングで、私たちはただ見つめ合っていた。

 しばらくして、乾いてきたくちびるをホットミルクで潤す。

「その写真も……お母さんの写真?」

 ようやくそう言葉にできたのは、ホットミルクを飲み込んで少し経ってからだった。

「でも、お母さんの写真ってアルバムに入ってたよね?」

 確か、去年かがみやつかさと見たアルバムにはお母さんが写った写真がたくさんあったはず。でも、ここにある写真の束は数枚や十数枚じゃなく、もっとあるように見えた。

「現像してすぐしまっておいた写真ってのが、結構あってさ。久しぶりに古い本棚を漁ってたら、奥の方から出てきたんだよ」

「それがこんなにあったってわけ?」

「そういうこと。もう二十年近く見てなかったから、つい懐かしくてな」

「だから、この時間まで起きてたんだ」

「ああ」

 だったら、わかる。ずっとしまってあった大切なものが出てきたら、夢中になって見ちゃうもん。

「だけどさ」

「うん?」

「現像してすぐしまってあったって、それまたどうして?」

「……色々、あったからな」

「あっ」

 お父さんの表情がかげったのを見て、今のが失言だとすぐに悟る。

「いや、いいんだ。俺がただ、ずっと直視できてなかっただけだ」

 そう言って首を振るお父さんだったけど、やっぱり今のは軽率だった。

 昔の写真をしまっておいた理由は、それしか無いはずだったから。

「お前も健やかに育ってくれて、もう十八だ。いつまでも昔のことから目を背けてたら、かなたに怒られる。それに、かなたのことをちゃんとお前に伝えておかないと」

 私が口をつぐんでいると、お父さんは写真の束を軽く整えながら優しい口調で話し始めた。

「この写真は、かなたがお前を身ごもってから、産んだ直後までのものなんだよ」

「私が産まれるまでの?」

 その問いに、お父さんが小さくうなずく。

「妊娠がわかってすぐ、かなたと『記録を残しておこう』って話になって、カメラを新調までしてな。そりゃもう二人して大ハリキリってなもんだ」

「お母さん、そういうことには乗り気だったんだ」

「身ごもったと知った時に、俺以上に喜んでたぐらいなんだぞ。ほら、この写真なんていい例だ」

 笑いながら、お父さんは写真の束から一枚抜いて私に差し出した。

「うわっ、Vサインって!」

 その写真には、満面の笑顔でVサインしてるお母さんの姿。

「カメラを買って、最初に撮った写真がそれでな。組み立て終わってすぐ、かなたにせがまれて撮ったのさ」

「へえ」

 それにしても、この夫妻ノリノリである。

「それだけ、かなたもお前を身ごもったってことが嬉しかったんだよ」

「うん、よくわかる」

 よく見ていた写真の中では、いつも儚げに見えたお母さん。けれど、この写真のお母さんはとても嬉しそうで、とてもいきいきとしている。なんだか、見てるうちに私まで嬉しくなってきちゃったよ。

「他には、どんな写真があるの?」

「他だと……ああ、こういうのが」

 そう言って、またお父さんが私に写真を二枚ほど差し出す。

「おー、こりゃまた日常の一コマって感じだね」

 そこに写ってたのは、育児雑誌を読みふけっているお母さんと、小さなミシンで何かを作ってるお母さんの姿。

「フィルムを買い込んだから、もうどんどん撮ろうってことになって」

「だからって、わざわざお料理してる姿まで撮るのはどうよ」

「なんか、それまでは見ていて『お嫁さん』って感じだったんだけど『お母さん』になったなあって思うようになってさ」

「そういうものなのかね?」

「ああ、そういうものだ。さっきお前がホットミルクを作ってたときの姿を見てたけど、やっぱり一緒に暮らし始めた頃のかなたのほうとそっくりだったし」

「それで、さっき私をじっと見てたんだ」

「いやぁ、ついつい」

「この母娘スキスキおとーさんめ」

 はぁ……どおりでお父さんの視線が気になったわけだ。

「でも、私ってばそんなにお母さんに似てきた?」

「見た目はな。内面で言えばかなたはかなた、こなたはこなた。やっぱり、そこは違う」

「そっか」

「今もかなたが生きていたら、入れ替わって高校に行く遊びとかが出来たかもなー。もしくは、同じ制服を着て登校して周囲を混乱させるとか」

「ちょ、お、お父さん、私だってまだ成長する余地はあるかもしれないんだよ?」

「心配するな。かなたもずーっとそうだったんだから、お前もきっとずーっとそうだ」

「は、はっきり言わないで欲しいなぁ」

 そうは言ってみたものの、確かにこの写真を見てるとお母さんもずーっとちっちゃいままみたいだし……このままでも別にいいんだけど、ちょっとフクザツな気分。

「そう考えると、お前の家事姿を見てたらかなたの娘だなって実感するよ」

「家事をしてたらって、それまたどうして?」

「さっきも言ったろ。こなたが家事をしてるときの仕草って、一緒になった頃のかなたそっくりなんだ。台所に立ってるときの佇まいとか、つまみ食いをした時に、まとめた髪で手をしばかれたりとか」

「おとーさん、そういうやんちゃなトコ、ずっと変わってないんだね……」

「俺は生涯現役だぞ。あらゆる意味で」

「はいはい」

 お父さん、そりゃコドモって言うんだよ。コドモ。

「で、あとはどんな写真があるの?」

「おお、あとはだなー……お、こういうのもあったな」

 また、お父さんが写真を一枚選んで私に手渡してくる……って、これまたアツアツな。

「あのー、コレって膝枕?」

 そこには、少しお腹が膨らんだお母さんの膝に頬を寄せるお父さんの姿。まったく、二人とも幸せそうな顔しちゃって。

「いいや。お腹の中にいたお前が動いたって言ったから、ついつい耳を当てたらそんな写真が」

「わざわざ、セルフタイマーでこういうの撮る?」

「それが、遊びに来てたゆきがいきなり撮りやがってさ。かなたは恥ずかしがってたけど、俺は大歓迎。そう言ったら、ゆきの奴ドン引きしてたなー」

「そりゃドン引きするって」

 ホントにフリーダムすぎだよ、このダメおとーさん。

「そうか? 俺はこういう写真もいいと思うんだけどな。『ああ、ちゃんと子供が育ってるんだな。このまま健やかに産まれてきてくれればいいな』って思ってたし、よくゆきが残してくれたって感謝してるよ」

「言われてみれば、このお父さんの笑顔ってそんな感じかも」

 写真の中で、お母さんのお腹に耳を寄せて微笑んでいるお父さん。それは、いつも私に向けてくれるものと同じだった。

「お前の成長は、俺にとってもかなたにとっても日々の楽しみだったんだぞ」

「今も、お父さんはそういう風に笑ってくれるし」

「当たり前じゃないか」

 私の言葉に、当然と言いたげに深くうなずくお父さん。

「今だって変わらない。お前が元気に成長してることが、俺にとっての一番の喜びだ。かなたもきっと、お前のことを見守って喜んでるはずだぞ」

 その返事は、お父さんがお母さんと私を愛してくれている証し。

 こうきっぱり言ってくれると、私まで嬉しくなって来ちゃうってば。

「でもさー、オタ方面への成長ってどうなんだろ」

「うっ……そ、それは絶対怒られる」

「だよねー」

 ついつい、照れ隠しで意地悪く言ってみた私。

 お父さんの愛情表現ってストレートすぎるから、たまにこうしないと恥ずかしいよ。

「で、他にはどんな写真が?」

「他だと、かなたが撮った写真ってのもあるな」

「お母さんが?」

「ああ」

 写真の束から、お父さんがまた何枚か抜いて差し出してくる。

「……こりゃまた色気のない写真で」

 その写真に写っていたのは、若い頃のお父さんの寝顔やエプロン姿。

「とゆーか、隙だらけやね。お父さん」

 寝顔はだらしないし、エプロン姿はフライパン片手にあわてふためいてるし。

「仕方ないだろ、その頃はかなたを休ませるために俺が家事してたんだし」

「もしかして、この頃から家事するようになったの?」

「少しでもかなたの負担を減らそうと思ってやってたんだが、最初の頃はおかゆを作るだけで鍋を焦がしてダメにするぐらいでさ。何度もかなたに教わって、本末転倒だったよ」

「今でこそ上手だけど、そんな頃もあったんやね」

「まあな」

 ちょっと照れくさそうに笑いながら、お父さんが頬をかく。

 私は小さい頃からお父さんの料理を食べていたけど、この頃からずっと努力してたんだ。お母さんに教わってたなら上手くなって当然だと思うけど、私もその技術を受け継いでるわけで……それって、とっても素敵なことかも。

「よかったら、その写真の束見せてくれる?」

 お父さんやお母さんとの繋がりをもっと見たくて、私はお父さんにせがんでみた。

「ああ、いいぞ。ちゃんと丁寧に扱ってくれよ」

「わかってるって」

 しっかりと返事して、お父さんから写真の束を受け取る。それは数十枚の紙のはずなのに、私の手はずっしりとした重みを感じていた。

「ありがと」

 お礼を言ってから、受け取った写真を一枚一枚見ていく。

 心配しているゆきおばさんと、恥ずかしそうに笑っているお母さんの写真。

 ベビー服を二つ手にして、カメラに向かって「どっちがいい?」って感じで首を傾げているお母さんの写真。

 台所に立って料理をしている、お父さんとお母さんの後ろ姿の写真。

 お茶碗によそったおかゆを、もきゅもきゅと食べてるお母さんの写真。

 揺り椅子に座って、愛おしそうに少し出てきたお腹に手を当てているお母さんの写真。

 どの写真にも、写ったり撮ったりしているお父さんやお母さん、ゆきおばさんの存在を感じる。それに……

「まるで、私たちの家族写真みたいだね。この写真」

「えっ? 俺とかなたと、ゆきの写真がか?」

「もう、やだなー」

 お父さんの軽い言葉に、ちょっぴりほっぺたを膨らませる。

「お母さんのお腹の中に、私がいるじゃん」

「おお、そういうことか」

 やっとこ合点が行ったって感じで、お父さんは手をぽんっと叩いた。

「確かに、言われてみれば家族写真だな」

「でしょ?」

 この中に、私の姿が無いのはちょっぴり寂しい。だけど、確かに私はこの時お母さんのお腹の中にいた。

 そう思うだけで、私の心が嬉しさでぽっかぽかに暖まっていく。

「そっか……そう言ってくれるのなら、見せておいたほうが良かったのかな」

「えっ?」

 写真から顔を上げると、お父さんはバツが悪そうに苦笑いしていた。

「この写真をしまっておいたのは、色々あったからって言っただろ?」

「そういえば……それって、お母さんが亡くなったからなの?」

「確かに、それもある」

 うなずいて、ホットミルクを一口飲むお父さん。

 私もそれにならって飲むと、ホットミルクはすっかりぬるくなっていた。

「あと一つは……怖かったんだ」

「怖かった?」

「ああ」

 マグカップを置きながら、お父さんが小さく息をつく。

「その写真を見たこなたが、どんな感情を抱くかがわからなかったんだよ」

「わ、私が?」

 ど、どうして私の名前が出てくるのかな?

「もしかしたら、今は無いかなたの存在を求めてしまうかもしれない。もしかしたら、産まれたことを気に病むかもしれない。そう葛藤していくうちに、なかなか写真を出すことが出来なくなってさ」

「だけど、そんな風に思うならどうして今になって?」

「本当なら、久しぶりにちょっと見て戻すはずだった。まさか、お前が起きて来ると思わなくて……でも、さっきも言ったとおりお前も十八だから、そろそろ見せてもいい頃かって思ったんだ。ごめんな、ずっと隠してしまって」

 お父さんはそう言うと、私に向けて深々と頭を下げた。

 確かに、お父さんの気持ちもわかる。

 今でこそこうやって愛おしく写真を見られるけど、小さい頃の私がこの写真を見たらどう思うか……もしかしたら、お父さんの言うとおりになったかもしれないから。

 でも、お父さんがこうして私に隠し事をしていたのも事実。

 だから――

「もう、お父さんってばズルいなぁ」

「えっ?」

 正直な気持ちを、言葉にしてみた。

「こんなとっておきの想い出をしまっておくなんて。まあ、ちゃんと見せてくれたからチャラにしてもいいけどさ」

「こなた……?」

「だって、お父さんはこの写真をずっと捨てずにとっておいたんでしょ? それって、お母さんのことをずっと愛してるって現れだもん。私はそれがとっても嬉しいし、私を心配してくれたってことも嬉しい。ただ、この期に及んでもまだ隠そうとしたのは、ちょっとズルいなーって思っただけ」

 ちょっぴり言葉にすると恥ずかしいけど、これが私の正直な気持ち。

 お父さんは私を愛してくれて、お母さんもちゃんと愛し続けていてくれていたんだもんね。

「謝ることはないよ、お父さん。むしろ、私こそ見せてくれてありがとうって言わせて」

 だから、私もちゃんとお礼をしなくちゃ。

「こなた……ああ、そう言ってくれると、俺も嬉しいよ」

「あははっ」

 ようやく笑ったお父さんは、テーブルから少し乗り出して私の頭を優しく撫でてくれた。やっぱり、私たちはこういう笑顔が一番だよね。

「あー、となると……そーゆーことか」

「ん?」

「よくわかったよ。お父さんがよく写真を撮ってる理由」

「どういうことだ?」

 首を傾げるお父さんに、私は人差し指をピンと立てながら口を開いた。

「資料用ってのはタテマエで、私やお母さんとの想い出をとっておきたかったんでしょ」

「なっ!」

 おやおや、どうやら図星なようで。お父さんの顔、いきなりボンッと赤くなっちゃったよ。

「そ……そ、そうだぞー」

「くふふっ、やっぱりね」

 かがみたちにも見せたように、私の家にはアルバムが多くある。お父さんとお母さんの写真がいっぱい入ったアルバムから、私の成長を記録したアルバムまで、お父さんがいっぱい撮った写真でほとんど埋められていた。

 お盆のときに新しいカメラを買って妙にはしゃいでいたけど、これで合点が行ったよ。

「わ、悪いか?」

「んにゃ、全然。そのおかげで、こうして私もお母さんの想い出に触れられてるんだから、感謝、感謝」

 それに、お父さんのかわいげのあるところも見られたし。

「小さい頃、親父がよく写真を撮ってくれててさ。かなたとは近所の幼なじみってこともあって、一緒に写ることが多かったんだ。だんだん、カメラとかにも興味を持つようになって」

「それが、いつの間にかお父さんの趣味になったと」

「ああ。中学の頃に親父にカメラを譲ってもらって、高校とか大学とかでもかなたとの写真をよく撮ってた」

「お母さん、照れたりしてなかった?」

「んー、最初は照れてたけど、プロポーズしてからはよく自分からせがんでたな。さっきの写真みたいに」

「そういえば、アルバムにもあったね。白い帽子を被って、砂浜で微笑んでる写真とか」

 ふと、お父さんが大事にしてるアルバムの最初のページにあった写真が思い浮かぶ。

「俺がプロポーズして、初めて出掛けたときのだな。かなたも『そう君との想い出、いっぱい作りたい』って言ってくれてさ」

 懐かしそうに、しみじみと言うお父さん。

「想い出、かぁ」

 そんなお父さんの表情を見てて、嬉しく感じるのと同時に、ちょっぴり寂しい気持ちが湧いてくる。

 ――私も、お母さんとの想い出を作りたかったな。

「確か、もう一枚かなたにせがまれたのがあったな」

「もう一枚?」

 少し暗い思考に陥りかけたそのとき、お父さんが思い出したように声をかけてきた。

「一番後ろにある写真がそうなんだが、さっきこなたが言ってたのにぴったりかもしれん」

 言われて、一番後ろにあった写真を抜き出してみる。

「あっ」

 確かに……確かに、これは私が言ってた写真。

「お前が産んでから、かなたに一緒に撮りましょうって言われて撮った写真だよ」

 そこには、ベッドの中で起きているお母さんと、その肩を抱いているお父さん。そして――

「この赤ちゃんって……私?」

 お母さんの腕に抱かれた、小さな赤ちゃんの姿があった。

「ああ。たった一枚になってしまったけど、ゆきが撮ってくれた俺たちの家族写真だ」

 小さな腕の中で、すやすや眠っているもっと小さな私。もちろん、私にその時の記憶は無いけど、まるで本当に抱っこしてもらっていたような感触が、この写真から思い浮かぶ。

「きっと、早くこなたとの想い出が欲しかったんだな。産後の疲れから目が覚めて、少し話をしたら写真を撮りたがってたよ」

「そうなんだ……」

 写真の中で、私を抱っこして笑っているお母さん。

 その隣にいるお父さんも、お母さんに頬を寄せて嬉しそうに笑っていた。

 たとえ言葉で聞くことが出来なくても、お父さんとお母さんは私が産まれたときに喜んでくれた……そう思えるほど、とっても優しい二人の笑顔。

「あの、さ」

 私は顔を上げて、お父さんの目を真っ直ぐに見つめた。

「うん?」

「この写真を見て、お母さんは喜んでた?」

 これは質問っていうよりも確認の意味。

 どうしても、それだけは知りたかった。

「もちろん」

 すぐさま、お父さんが満面の笑顔を浮かべてうなずいてくれる。

「急いで現像してもらって、かなたに見せに行ったらすぐに飾ってたよ」

「そっか……そうなんだぁ」

 なーんだ、ちゃんとあったんじゃん……私と、お母さんの想い出。

 そう思ったら、さっきの寂しさはどっかに吹き飛んじゃった。

「今でも、こなたの写真を撮るたびに『かなたが見たら喜ぶだろうな』って思うんだ」

 ふと、お父さんが居間の仏壇に目を向ける。

 そこは、お母さんの魂が年に一回帰ってくる場所。

「かなたも、こなたの成長した姿を見たがってる。そんな気がしてさ」

「お母さんが……」

 夏頃に帰ってきて、私たちの姿を見てくれるかもしれないお母さん。

 たとえ私たちには見ることが出来なくても、ずっと見守ってくれたとしたら……

「だったら、私も嬉しいな」

「だろ?」

「んじゃ、これからはもっともっと撮ろっか」

「おお、さすがこなた。そう来なくっちゃ」

 私たち笑い合いながら、お互いの顔を見合わせた。

 お母さんが見て喜んでくれるような女の子になれてるかは、ちょっと自信が無いけど……元気な姿なら、とっても自信があるから。

 

「ねえ、お父さん。他の写真のことも色々教えてくれる?」

 そんなお母さんとお父さんのことがもっと知りたくて、久しぶりにおねだりしてみる。

「ああ、いいとも。今夜はとことん付き合ってやるさ」

 お父さんも、私のおねだりを嬉しそうに聞いてくれた。

 

 静かで寒い、冬の真夜中。

 普段は眠ってるこんな時間だけど、今更眠る気にはならない。

 

「あっ、さっきの焦げ焦げのお鍋ってこの写真のこと?」

「ん? ああ、それそれ。かなたが困ってるのがまた可愛くてさあ」

「おとーさんってばどこのガキですか」

「だって、こーゆーシチュってギャルゲとかで萌えないか?」

「うっ……言われてみると、確かにそうかも」

 

 だって、夜はまだこれから。

 お父さんたちの愛をもっと感じたくて、私は二人のお話を聞かせてもらうことにした。

 

 ほんのちょっぴり、子供の頃に戻ったような気分で。

 

【完】

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