U.S.Army 75th Ranger Regiment (アメリカ陸軍第75レンジャー連隊)
彼は突然現れた。娘である菜々が家出をし、気がきでなく、不安でいっぱいなところにまた違う不安の種が姿を現す。
思えば、何故菜々は家出をしたのだろうか?彼女はスクールアイドル?とかいうものに熱心に取り組んでいるのだと語っていた。何故スクールアイドルは素晴らしいのかと。私が「そんなことよりももっと将来の為にやるべきことがあるはずでしょ?」と反論した時、彼女は初めて私に声を荒げて反発してきた。菜々があそこまで反抗的な態度を取ったことは初めてで、戸惑いながらもアイドルとかいう全く将来性の無い物に情熱を注ぎ込んでいることがバカらしく、またそのせいで生徒会長という約束された立派な立場を降ろされたと考えると無性に腹が立った。たかがそれだけのために。自分の趣味のために。将来を考えず、目先の楽しいことしか考えていなかったようにしか思えない。それがショックで、腹立たしく、ほんの少し憎らしかった。でも、彼女があそこまで熱心に打ち込んでいるのなら、何もそこまで全否定する必要があったのか?という思いも混在しているわけで。そんな私の態度が、彼女を家出へと駆り立ててしまったのではないか?という反省した自分もいる。あの時、お互いに熱くなりすぎたな。と、今更ながらの小さな後悔。でも、彼女のスクールアイドルという行為を容認するか?と言われれば、それはまた違う話だ。
そんなことをモンモンと考え、菜々が出ていった日から何日が経っただろうか?彼女は帰ってくるのだろうか?電話も繋がらず、ジッと待つだけの自分にも腹が立つ。しかし居場所はわからない。事件や事故に巻き込まれてなければ良いけれど。何がどうあれ、彼女が無事なら私はそれで良い。悩み、考えながら毎日を過ごす。味気ない1日が過ぎていく。仕事にもうまく身が入らない。心配で、不安で押し潰されそうな、どこか気がおかしくなりそうな、そんな錯覚さえ覚える。我が子が突然家から居なくなる。いずれあり得ることだ。そんなことはわかっている。菜々はいずれ自分で自分の道を決め、この家から居なくなる。或いは結婚して私達のように新しい家庭を持っていなくなる。そう、いずれ彼女はこの家から居なくなる。わかっている。まだ家出しただけだとわかってはいるが、やはり寂しい。どれだけ彼女の存在が自分を支えてきたかが身に染みてわかる。気持ちがどんどんとナイーブになっていく。
「はあ、いけないわね。私がこんな調子じゃ。」
自分を奮い立たせるために、ピシャッと頬を叩く。今は、何故あの子が出ていったのか、何故あんなにも怒ったのかを理解しなくては。私はただ、あの子の未来が明るければそれで良い、不安ができるだけ無くなれば良い、よりあの子が輝いて社会で活躍できれば良い、立派な子に育って欲しい、そう願いながら育ててきたつもりだ。でも彼女は家出をした。
「やっぱり、子育てって難しいわね。」
自分では上手くやっているつもりなのに、きちんと育ているつもりなのに。現実はそう上手くいかないものだ。自嘲気味にそう呟いてしまう。
ココンと軽いノックの音がする。旦那が帰って来るには早すぎる。だとしたら菜々だろうか?いや、菜々ならば家出をしている。戻るとしても連絡をくれるはずだろう。玄関に近づき、ドアを開ける。そこには、学校の制服に身を包んだ大人しそうな青年が立っていた。右手には『虹ケ咲学園テスト生』の文字が刻まれた腕章をし、左には同じく、『風紀委員会』の腕章がつけられていた。取り敢えず
「どちら様でしょうか?」
と質問をする。
「遅くに申し訳ありません、虹ケ咲学園、風紀委員会の者ですが、今お時間よろしいですか?」
大人しく、柔らかい口調でそう告げられる。身長は菜々より少し高いくらいだろうか?顔は、まあ当たり障りのない好青年といったところか、しかしどこか不思議な雰囲気を彼はまとっていた。なんというか、何処か"変"な感じがする。その真っ黒な瞳が私の顔を写す。
「お宅の娘さんの件でお話があるのですが。」
その言葉にドキリとする。家の子がなにかしてしまったのだろうか?だとしたら何故教員ではなくこんな子供を寄越してくるのか?疑問は尽きないが、菜々のことならば取り敢えず話を聞いた方が良いだろう。私はそう思い、彼を招いた。
彼女の部屋の前に着き、ドアをノックする。
「はぁい。」
と優しい口調の返事が聞こえ、部屋からはどこか中川菜々と雰囲気の似た女性が出てくる。やはり親子だな、なんて考える。
「どちら様でしょうか?」
そう質問されたので
「遅くに申し訳ありません、虹ケ咲学園、風紀委員会の者ですが、今お時間よろしいですか?」
当たり障りなくそう返す。そんな短いやり取りをすると、彼女はほんの少し警戒をしながらも、俺を家に上げた。
ユルユルな安全管理に笑いそうになる。まだ名前を名乗ってもいないのに、こうも簡単に男を家に上げるだろうか?まず、確認もせずドアを全開で開くのも可笑しな話だ。
(アマアマだな。)
そう思いながらも、部屋のなかへと進む。優しく甘い女性特有の香りが全身を包み込むような錯覚を覚える。思えば、女性の家なんて小学生以来上がったことがない。久しぶりの感覚にほんの少しドキドキとする。また、中川菜々の母親が醸し出す子供とは違った大人の色気が、そのドキドキに拍車をかける。やはり、女性に対する免疫はあまりないようだ。
「どうぞお掛けになってお待ち下さい。何か飲み物でも?」
「いえ、お構い無く。」
彼女からの提案をそうやんわりと断る。しかし
「折角ですから、お客様に何もお出ししないわけにはいきませんし。」
そう困った表情で聞いてくるので
「では、お言葉に甘えてコーヒーを一杯。」
と注文をする。
彼女は再びニコリと微笑みながら「わかりました。」と答え、コーヒーを淹れる準備をするのだった。
コーヒーの匂いが部屋を満たし、この家特有の優しく、甘い香りがほんの少し睡眠欲を掻き立てる。思えば最近もまた、眠れない日々が続いていたことを思い出す。いや、この世界に迷い混んでからずっと、心が安らぐ瞬間などほとんど無かった。だが今は、何故か安らぎを感じる。目を閉じれば眠ってしまいそうなほどに。だが、今の俺の任務は安らぎ、休むことではない。山上陸の想いを、願いを叶えるのだ。これが終われば、山上陸は消えるだろう。なんとなく、勘だが。この世界に存在するはずだった男、その存在を無駄にはしない。俺は陸山衛であり、山上陸なのだ。
「どうぞ。」
コーヒーが差し出され、俺はティーカップを持ち、ゆっくりと味わう。
「ふぅ。」
思わずホッと一息。
「コーヒー、お好きなんですか?」
そんな他愛のない質問を投げ掛けてくる。その優しさに普段は気味が悪いと感じるはずだが、今は不思議と不快感が無い。
「まあまあですね。」
コトリとカップを皿の上に置き、ゆっくりと彼女の瞳を捉える。彼女に似た黒く光る瞳が美しい。
「それで、菜々が何か?」
こちらが本題を切り出そうと思っていたが、その必要は無かったようで、会話は向こうから始まった。
目の前の青年は、私の淹れたコーヒーを一口飲むと「ふぅ。」と一息ついたかのように溜め息を溢した。
「コーヒー、お好きなんですか?」
我ながら何を聞いているのだろうか?自分でもわからないが、何故かこんな下らない質問をしてしまった。
「まあまあですね。」
そんな他愛のない答えが返ってくる。砂糖とか気を利かせて持ってくるべきだっただろうか?コーヒーを飲む彼の姿は大人びていて、そして何処かとても疲れているようにみえた。
彼はコーヒーをゆっくりと皿の上に置くと、私をその濁った黒い瞳に写す。その瞳はとても哀しげで、寂しそうにもみえ、それでいて何故か力強い意志も感じられた。矛盾したように思えるが、彼は寂しそうでありながら力強く、頼もしいのだ。不思議な青年だ。まるで私よりも、いや私達よりも多くの物を見てきたような、そんな独特な雰囲気を彼は持っている。
さっそく、本題へと切り出そうと。
「それで、菜々が何か?」
彼は
「ああ。家出をしたとかで。」
と簡単そうに答える。まるで、「大変でしょう。」なんて少し煽っているかのような口調で。
「ええ。」
「何故家出を?」
「わかりません。」
そんな単純な質問のやりとり、そしてほんの少しの沈黙。
「…。」
彼は再びカップに口をつけ、ゆっくりとコーヒーの啜り、しばらく間を空けると、彼は口を開いた。
「娘さん、中川さんは大変素晴らしい生徒会長でした。」
「はぁ。」
不意に娘への称賛に、思わず呆けた返事をしてしまう。
「まあ、三船栞子にその座を奪われてはしまいましたが、彼女は彼女なりに善戦していましたよ。」
まるで菜々をフォローしているかのような台詞が続いていく。
「また、スクールアイドルという活動にも活発で、彼女の活躍は我が校にも素晴らしい活気を与えてくれました。」
スクールアイドルという単語に思わずピクっと反応する。
「貴方は、スクールアイドルに対しどんな考えを?」
思わずそう質問した。
彼はその質問に対し、我関せずといった具合で
「まあ、彼女達自信が楽しめているというのであれば、特別問題もありませんし、認めてあげても良いのでは?」
まるで、こちらの考えを見通したかのような台詞にイラっとくる。私は菜々の母親なのだ。彼女のことは誰よりも私が一番考えてあげられているのだ。
「アイドルなんて、菜々の将来には何の関係もないじゃないですか。」
思わず少し口調が強くなる。こんな菜々と同い年?くらいの子供に、何を少しイライラしているのだろうか?
「ええ。関係ありません。スクールアイドルなんて所詮学生時代の一瞬の楽しみ。それで将来が約束されるわけでも、お金が稼げるわけでも、良い仕事に就けるわけでもありません。ただ楽しむ。学生という限られた時間を。それは果たして罪なことでしょうか?」
「別に、悪いとは…。ただ、何の役に立つかもわかりません。そうでしょ?」
「そうですね。でも、彼女は今まで貴女の期待に応え、結果を出してきました。違いますか?」
「それは。」
確かにそうだ。菜々はいつだって、私の、私達の期待の応えてくれた。結果を出してくれた。一度だって、裏切られたことも、裏切るようなことも、したことはない。
「無い…です。」
彼はコーヒーを口に含み、飲み込みながら質問を投げ掛けてくる。
「なら、一度くらい今度は彼女の我が儘を聞いてみては?初めてなんでしょ?彼女のこんな我が儘。」
我が儘。その言葉を聞いたときなんとなく、そう抜けていた大事なピースが埋まったような気がした。そうか、これは我が儘なんだ。私の娘の、大切な娘の初めての我が儘。可愛い我が儘。「ねぇお母さん、お願い。」そう、どの家庭にもある小さな、それでいて愛おしい子供のお願い。大切な、大事なお願い。
「…そうね。」
私がそう言うと、彼は優しく微笑んだ。その大人びた微笑みに少しドキリとする。夫がいるというのに、その彼の微笑みはどこか魅力的で、大人びていた。
「子供を育て、正しく導くことは難しいものです。時にはこんな風に反抗されてしまう。親の心子知らずなんて、よくいうものです。しかし、その逆もまた然りとも言えるでしょう。」
彼の言葉は暖かくて。
「彼女のスクールアイドルは、確かに将来役に立つとは言いきれません。しかし、彼女は今この時間を大切にしているはずです。彼女の『好き』を。私は、大切な時間を奪われた人をみたことがあります。そして、奪ってしまい、後悔した人も。手遅れになってから気付くのです。貴女にも、彼女にも、そんな思いはして欲しくありません。今この時間を、彼女の『大好き』を、大切にしてあげて下さい。」
彼はゆっくりと頭を下げる。そんな彼の背中は寂しげで、小さく見えた。
彼の服装は、紺色の制服が濃緑色の変わった色をした制服に見え、少し目を擦る。すると彼はやはり、何も変わらない紺色の制服を着ていた。
「そうね。わかりました。」
そう答えると、不意にポケットの中の携帯が鳴る。見るとそこには『菜々』と表示がしてあった。久しぶりの娘からの着信に、ほんの少し緊張する。彼の方を見ると、彼は軽く頷くだけだった。
(そうね。)私はそう思いながら、彼の心に応えるように電話に出るのだった。
彼女が電話に出るのを見届けると、俺はゆっくりと腰を上げ、席を立った。
海外派遣に行った時、多くの子供達を見た。栄養失調で弱っている子供、満足いく医療を受けられず、死を待つだけの子供。そして乾いた死体も。多くの母親が泣いていた。夫が殺され、残る家族は我が子だけ、そんな母親が大半だった。彼女達は皆後悔しているかのように泣いていた。
「ふぅ。」
嫌なものを思い出した。頭を軽く振る。その思い出を振り払うかのように。だが離れない。頭の奥に、脳の深い所に焼き付いている忌まわしい思い出だ。
席を立ち、中川菜々の母親を見ると、嬉しそうにほんの少し瞳を潤ませながら電話ごしに喋っていて、そんな彼女はとても暖かい雰囲気がした。俺は邪魔にならないよう、ゆっくりと部屋から出るのだった。
部屋から出ると、なんとなく心のわだかまりのような物が取れた気がした。
「満足か?」
返事は無い。まるで、初めから1人だったように。だが確かにあの時、俺は独りでは無かった。俺はそのまま拠点へと足を運んだ。その足は、普段より僅かに軽い気がした。
菜々との通話が終わり、部屋を見ると彼はいつの間にか居なくなっていた。机の上を見ると、飲み終えたティーカップが一つ寂しげに置かれていただけだった。まるで、元々そこには"居なかった"ように。お礼をまだ言っていなかったし、何よりも
「お名前、聞きそびれちゃった。」
彼の名前を聞いていなかった。それに、彼は結局何者だったのだろうか?菜々の友達?いや、男子の友達など聞いたことも無い。もしかしたら、隠していたのか?だとしたら何故?そう考えていると、ある1つの可能性が思い付く。女の勘というやつだ。
「あの子も角に置けないわね。まあ、今日菜々に聞けば良いわ♪︎」
彼女は軽やかに、楽しげに台所へと向かうのだった。「今日は夕食を3人分用意しないと。」そう幸せそうに考えながら。
拠点に戻り、制服を着替え、簡素な夕食を摂り、簡単に調べものをする。今日は海外の情勢でも調べようか。ニュースやネットの簡単な新聞記事の切り抜き、ラジオなどで調べるが特に不穏な話もなく、スポーツやバラエティ、ちょっとした政治について、そしてスクールアイドルについての内容が流れていく。少し眠くなったところで、シャワーを浴び、寝る準備を整える。今日は早く寝ようか、なんて考える。彼女の家の雰囲気のせいか、今日はゆっくりと眠れそうだ。そう思い、布団に潜る。
「いよいよか。」
そう、明日はあのクソとやり合うのだ。覚悟を決める。明日で決着をつけてやる。
そう考えていると、携帯の着信が鳴る。なんだろうか?
電話に出ると、彼女の声が聞こえた。相変わらず君は間が悪い。
「どうしました、中川さん?」
『陸さん、今日家にきたんですか!?』
元気かつ驚きの声で耳が痛い。
「ええ。あと少し声が大きいです。」
『へ!?あ!す、すいません。』
「それで、何かご用件でも?」
簡単なやり取りで終わらせたい。
『ええっと、その。ありがとう、ございます。お母さんに色々お話してくれたみたいで。』
「まあ、仕事ですから。」
『その、以前も「仕事ですから。」と言ってましたが、陸さんのお仕事って風紀委員会のお仕事ですよね?』
「ええ。校内の秩序と治安を守り、生徒の自由と権利を守る。それが我々の仕事です。」
そう答えると、彼女は少し嬉しそうに笑いながら。
『フフフ♪︎やはり陸さんを風紀委員にしたのは正解でしたね。』
と返ってくる。
『それで、陸さんにお礼と言ってはなんですが。いえ、お礼というか我が儘というか…』
「なんです?」
『そ、そのですね!明後日ライブをするんですけど!』
明後日か。なら、その時俺は
「明後日は予定がありますので。」
『あ、いえ!その明後日のライブに来られないのは残念ですが、その、あ、明日!明日の夕方ってお時間ありますか?』
明日の、夕方。
『その、り、陸さんに見て欲しいんです!私の、私のライブ!私の気持ちを!ど、どうですか!?あ、いえ、駄目なら良いんです!と、取り敢えず明日!夕方!来なくても構わないので!あの、優木せつ菜が「CHASE!」を披露した場所でにいるので!では!』
そう言い、勢いよく切られたのだった。
「何なんだ。まったく。」
明日は忙しい。
「考えてやるか。」
そう言い、俺は再び布団に潜ると、ゆっくりと瞼を閉じるのだった。