目が覚めると、そこにはなにもない。知っている物も信じていた物も、全てが目の前から消えている。
絶望か、試練か。どちらでもない、数奇な運命に翻弄された哀れな男だ。だが、それももうすぐ終わる。全てにケリがつく。この世界は魅力的だ。それは認めよう。だが、この俺には似合わない。俺にはもっと泥臭いほうがお似合いだ。この世界は俺にはぬる過ぎる。
「ふぅ。」
息を吐き、呼吸を整える。この先何があろうと、どのような結末が待っていようと恐れはしない。何故なら答えも結末も決まっている。
「この勝負、俺が勝つ。」
確信があるか?と聞かれれば、それは正直わからない。ただ、俺は勝ちたい。純粋な願いだ。
恐怖を感じるな、誇りを思い出せ。あるのは「勝利」の二文字のみ、敗北は無い。敗北は死だ。この世界での敗北とは、恐らく肉体だけの死ではない。俺の心も、魂も、誇りも、何もかもを奪われることを意味するだろう。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、カーテンを開ける。
「曇りか。」
空は生憎の曇り空。だからなんだ。関係ない。昨日、優木せつ菜から電話があった。彼女のライブを行った場所に来てくれと。
「…。」
彼女とは付き合いが長い。それに…
「正直言って、君は最高だ。」
彼女は最高だ。彼女の強さは本物、だからこそ惹かれたのだろう。まあ、なんだかんだ一番多く関係を持っていたのは、風紀委員会以外に彼女くらいのものだったから、それもあるのだろうが。それに、彼女は俺を元の世界に戻すための鍵の一つである可能性が高い。
最初はただ利用するだけのつもりだったが、彼女の強さと純粋さは、いつの間にか俺の心をほんの少しだけ癒してくれていたような気がする。まあだからと言って、彼女の好意に応えるつもりは無いが。彼女も勿論そんなことは承知の上だろう。彼女も、俺のことをほんの少しは理解しているはずだ。
制服に身を通し、カバンを持つ。
「さあ、最終ラウンドだ。」
ガチャリとドアを開け、最後であろう学園への登校を行う。
スタスタと道を歩く。見知らぬ道を。勿論、何度も通っている道だ、学園までのルートは理解している。見覚えの無いコンビニも、ガソリンスタンドも、まるで今流行りのVRというものを使っているようだ。
虹ヶ咲学園に通っているであろう生徒達がガヤガヤと同じ道を通っていく。時折、何人かが俺に向かい会釈をするので同じく会釈をして返す。何人かは怯えた目でこちらを警戒しながら避けるように通っていく。何人かはキッと睨み付けるような瞳で横を通る。
ここに通って約半年くらいだろうか?どのくらいこの世界にいたのか、もはや数えていない。しかし、未だに俺は信用されないんだと少し笑いたくなる。そこまで俺は関わりずらいだろうか?まあ、女子高に男子1人となるとそんなものだろうか。何故なら彼女達にとって、いやこの世界にとって俺は異物に他ならない。拒絶こそ、この世界の人々の正しい反応なのかもしれない。そうなると、俺に会釈したり、話しかけたりする者達は、この世界でほんの少し特別な存在なのかもしれない。まあ、俺の対応が悪いだけなのかもしれないが。
学園に着くと、相変わらずの大きさに圧倒される。一体何処からこれほどの予算が出ているのか、財源はどこなのかと思わず考えてしまう。下手をすれば師団指令部のある駐屯地並みに大きいのではないだろうか?いや、さすがにそこまではないか。しかし、下手な田舎の駐屯地よりは大きく、立派だろう。
学園内も広く、迷ってしまいそうになる。何か、簡易的な地図や案内があれば良いのだが。まあ、無いことはないのだろうが、もう少し分かりやすい場所などに置いて欲しいものだ。
決まったルートに沿い、決まった教室に入り、決まった授業を受ける。なんて楽なんだろうか?学生の頃は授業など面倒で、退屈だと思っていたが、今の仕事よりも断然楽だ。ただ、決められたことをやり、決められた物を提出すれば良い。困っても答えがある。それもある程度決められた答えが。
授業が終われば食堂に行き、飯を食べる。ここでお金を使わなければならないのが、少し面倒だ。それは、自衛官との違いだろう。我々は、食べることも仕事だ。何事も身体が資本ということだ。食事を済ませ、少しの昼休憩。腕時計を確認し、残りの休憩時間を確認する。
今日は生憎の曇りだが、雨は降っていないだろう。ほんの少し屋上で外の空気でも吸おう。運良く誰もいなければ、タバコで一服…いや、それはやめよう。バレたら面倒だ。
ゆっくりと屋上へと、足を向ける。長い階段を上り、やや新しい金属の扉を開ける。
風が頬を撫で、新鮮な外の空気が肺に入り込む。僅かに雨の香りがする。これから降るのだろうか?だとしたら、優木せつ菜との約束は無しになるだろうか?
まあ、無いなら無いで構わないが。
屋上を見渡し、少し開けた場所へと足を進めると、そこには緑のアッシュがかかった特徴的な髪色をした少女が立っていた。
彼女は、ハッとこちらに気づくと、少し気まずそうに目を伏せるが、やがてキッとこちらの瞳を強く見ると、段々とこちらに向かってきた。
また何かギャーギャーと喚かれると思うと心底ハズレな選択をしてしまったと後悔する。しかし、時既に遅く、彼女はこちらの目の前で止まる。耳栓でも持ってくるべきだったなと嘲笑気味に心の中で呟く。
「何かご用でも?」
覚悟を決め、彼女 高咲侑に質問をする。
「…。」
何も喋らず、ただこちらをジッと見つめてくる。両腕の拳はキュッと軽く握られているため、ほんの少し警戒をする。正直、殴られ叩かれは勘弁してほしい。
「あ、あの!」
彼女は意を決したのか、口を開く。
「ご、ごめんなさい!」
思わずポカンとなる。出たのは罵倒でも否定の言葉でもなく、謝罪の言葉だった。
「何故謝るのです?」
「その、私誤解してて!せつ菜ちゃんから聞いたんです、あの選挙の日、陸さんがせつ菜ちゃんを励ましてくれたって。それに、栞子さんに同好会の活動を禁止されそうになったときも、色々動いてくれてたって。」
誤解ではない。俺は間違いなく君たちを利用していた。
「あの、選挙の時、私陸さんのこと全然わからなくて、話も全然聞かなくて、勝手に逆上しちゃって!」
いや。君は正しい反応をした。
「その!せつ菜ちゃんを利用してるとか!酷いこと言ってごめんなさい!」
彼女はハァハァと肩で息を切らせながら吐き出すように、本当に申し訳ないというように俺に謝罪の言葉を口に出した。
「本当に、それに私、貴方のこと、叩こうともして…本当に最低なのは…すいませんでした。」
絞り出すように謝罪する彼女の姿は弱々しい。
「別に、私に謝る必要はありませんよ。」
「へ?」
彼女は呆けたような声を出す。
「だって私、貴方に酷いことを。」
「貴女は悪くありませんよ。確かに、誤解はありましたが、それは言葉足らずな私に原因があります。あの時、貴女は誰よりも優木せつ菜のためを思い、私を怒った…違いますか?」
「…はい。」
「なら、それで良いでしょう。仲間の為に怒る、仲間の為に戦う。それほど誇り高いものはない。貴女みたいな仲間がいて、彼女は幸せ者です。謝罪の必要はありませんよ。貴女の強さと、誇りに敬意を表しますよ。」
「で、でも。」
「私の貴女への敬意を無下にするつもりですか?こういう時は、素直に受け取る方が吉ですよ。」
「…はあ。」
同好会のことも、せつ菜ちゃんの家族のことも、ようやく一段落しかけていた。久しぶりに屋上に1人で行って外の空気を吸った。いつもなら、歩夢とかを連れてくるのだけど、今日はなんだか1人で来たくなった。
今でもたまに思い出す、彼 山上陸のことを。あの選挙での彼との会話を。
『心配とか、しないんですか?』
『時間が近づいてますので。』
『理由とかも、何も気にならないんですか?』
『別に知ったところで選挙に関わりはないでしょう?』
『私も応援してましたよ、生徒会長の中川菜々を』
あの無機質な彼の答え、言葉、全てに腹が立ち、気がついたら手を出していた。勿論、あっさり避けられてしまったが。
あの後、せつ菜ちゃんと話し、二度と山上陸と関わらないほうが良いと同好会の皆で説得しようとした。彼女の気持ちを利用しているような、彼の口ぶりが許せなかった。でも、せつ菜ちゃんは嫌がった。いや、嫌がったというより、陸さんに対する私達の言葉に怒っていた。
『皆さんは陸さんのことを誤解しています!』と
選挙の時、始まる前に彼に励ましの言葉を貰ったと、その時に聞いた。そして、今度は同好会が危なくなったときに、果林さんから彼が何故か同好会の為に裏で栞子さんと交渉していたことも。
もしかしたら、私達は彼を大きく誤解していたのかもしれない。そんな時、彼が屋上にやってきた。まるで、奇妙な運命に導かれているかのように。彼が私に目をやったとき、ほんの少し不快そうな顔をした。当然だろう。あんなにも心無い言葉を浴びせられて、良い気持ちになるはずが無い。でも、私は彼に謝らなければならない。直感的にそう感じた。
もしかしたら、彼に「ふざけるな」と怒鳴られるかもしれない。彼のことはよくわからないが、何を今更と呆れられるかもしれない。とりあえず、良い結果は期待できない。そんなことはわかってる。向こうからすれば、同好会を助けてようやく謝罪、私はそんな都合の良い人間だと思われるだろう。それでも、私は彼に一言でもいいから謝りたかった。
でも
彼の放った言葉は、罵倒でも、呆れた言葉でもなんでも無かった。
『貴女は悪くありませんよ。確かに、誤解はありましたが、それは言葉足らずな私に原因があります。あの時、貴女は誰よりも優木せつ菜のためを思い、私を怒った…違いますか?』
『仲間の為に怒る、仲間の為に戦う。それほど誇り高いものはない。貴女みたいな仲間がいて、彼女は幸せ者です。謝罪の必要はありませんよ。貴女の強さと、誇りに敬意を表しますよ。』
彼の言葉は、私の行為を肯定し、評価するものだった。そんな彼の姿は、とても大きく、頼もしく思えた。それでいて、彼はやはりどこか寂しげた。
「…はあ。」
「他に何か?」
彼が再び口を開く。
「い、いえ。特には。」
「では、私はそろそろ教室に戻ります。」
彼はくるりと後ろを向き、屋上から出ようとする。
「あ、あの!待って下さい!」
思わず呼び止めてしまった。何故かはわからないが、彼に凄く奇妙な質問をしたくなった。
「貴方は、何者?…なんですか?」
彼は再びこちらを振り返り、ため息をつく。
我ながらどんな質問だろうか?山上陸が何者かなんて、ひどく奇妙な質問だ。彼は彼じゃないか。
「私が何者か?」
彼は興味深そうにこちらを見つめる。
「い、いや、ごめんなさい!なに言ってるんでしょう、私。すいません、変な質問して。」
タハハと少し愛想笑いをしながら誤魔化そうとする。
すると、彼は少しずつこちらに近付いてきた。さすがに失礼すぎたかと後悔する。せっかく、彼に謝ったというのに。
彼は私の瞳をジッと見つめる。
「あ、あの。気を悪くして、しまいました?」
「いいえ。ただ、よく聞かれるので、私が何者か。」
「は、はあ。」
彼は少し考えるように黙り込む。
「り、陸…さん?」
「もし仮に。」
彼の言葉はとても奇妙だった。
「もし仮に、この学園とよく似た場所があったら、貴女はどう思いますか?」
「…へ?」
「この学園によく似た施設があって、よく似た街が広がっていて、しかしそれらは似ているがまるで違う。まるで、自分1人が世界で迷子になってしまったように。いえ、どこか別の世界に迷い込んでしまったかのように。」
「どう思いますか?」彼はそう私に質問する。
「不気味に思うのか、恐怖するのか、拒絶するのか、壊れるのか、それとも、戻してくれと懇願するのか、何を犠牲にしてでも戻ってやろうと強く決意するのか。世界は美しく、残酷だ。」
「仰る意味が…わからないのですが。」
「わかる必要も、知る必要もありませんよ。すいません、妙な質問をしてきたので、私も少しお返しをと。」
彼は少しバカにするように笑みを浮かべる。その笑みと、その濁った瞳がやけに不気味で、思わずゾっとする。
なにか計り知れない者と喋っているような。そう、私達とは違う"何か"と喋っているような、そんな不気味な感覚がした。そんな彼の姿は、迷彩色の不思議でどこか物々しい雰囲気をした格好をして立っていて、思わず目を擦る。しかし、もう一度見直すと彼は見慣れた制服姿のままだった。
「…あれ?」
「どうかしましたか?」
「い、いえ!何も!じゃあ、私はこれで!」
私は逃げるように屋上から出ていった。
「そろそろ潮時だな。」
腕時計をチラリと見て、俺はそのまま屋上から教室へと戻る。
「CHACE!の場所…か。」
彼女との約束を思い出しながら。
空を見ると、曇り空の隙間から、僅かに太陽の光が射していた。