素人が書いたものなので、読みにくさに関してはご容赦を。
一部は実体験であり、ほぼほぼ虚構。

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怪談っぽいナニカ

 いつの間にか、自分はそこにいた。

 場所は週一に訪れている、祖母が住んでいるとある団地の一室。テラス戸に掛かっている薄いカーテン越しの外の景色は、雨が降らない程度の明るい曇り空。黒い時計の針は、多分午後の五時あたりを指していた。

 唐突に脈絡なく始まった普段通りの日常風景。しかし、この時刻に至るまでの記憶は完全に欠落していた。それでも“ここは自分が住んでいる世界だ”ということに疑問を持つことはない。いつも通りに過ごすことにした。

 眼を手元に向ける。手には自分のスマホが握られていて、そのスマホの画面はゲームにおけるなにかのクエストに向かう直前で止まっていた。見覚えのない親しまれたアプリゲーム。ソファに寄りかかりながら、記憶にはなくとも身体はそれを慣れた手つきで進めていく。

 しばらくそうしていると、視界が少しだけ暗くなった。気になって目線だけでチラリと確認してみると、祖母が着ているような服装の人物が音もなく立っていた。

 ───おかしい。

 ここは地上五階に位置する団地部屋。

 普段なら、祖母は息絶え絶えに疲労を漏らしながら帰ってくる。それでも、おかしいなと思いながらも“おかえり”の一言を言うために顔を上げた。

 思考が一時的に止まる。

 あるべき場所には、顔がなかった。

 ───いや、違う。正確には、顔があるべき場所に底が抜けている靄のような黒い影が貼られていた。

 瞬間───背中に衝撃。首元には視界の縁から狭まっていくほどの息苦しい圧迫感があった。

 祖母に似た黒い影が、自分の首を絞めてきている。首と手の間からギチギチと音が鳴っている気さえした。

 ───わけが、わからない。

 視界が徐々に暗くなっていく最中、表情なんて見えないはずなのに、顔が歪んでしまうほどに吊り上がっている、紅い口元が見えた気がした。

 

 視界が暗転。

 

 いつの間にか、祖母に似た影がいなくなっていた。

 手にはスマホ。天気は曇り。

 恐怖は身体中を駆け巡っている。

 気がついたときには、自分はトイレの個室に頭を抱えながら閉じ籠もっていた。

 身体の震えが止まらない。

 心臓はバクバクと高鳴っていた。

 いざというときには、もう、窓から飛び降りるしか───違う。思考を悪い方向に逸らすな。自分はそんな理由でここに逃げ込んだんじゃない。ただ、訳もわからず死ぬのが怖かったから、打開策を考える為にここへ逃げ込んだんだ。

 落ち着け。落ち着くんだ。まだ、あれは幻覚だった可能性だってある。

 ───そうだ。ここは理屈通りに動いている現実。いきなり幽霊みたいな存在に自分が殺されるわけがないんだ。だから、───大丈夫。ただの、疲れてるときに観る白昼夢のようなもの。あの時の首を圧迫される痛みも、背中を打つ衝撃も、何もかもが錯覚の産物なんだ。

 ……それでも。

 落ち着こうとする意思とは逆に、より一層に息が荒くなっていく。

 最悪の可能性が脳裏を過ぎる。

 ───あぁ、止せばいいものを。

 身体が、確かな安心を求め始める。

 慎重にトイレの扉を開けて、音を立てないように、さっきまで自分がいた場所を覗き込んだ。

 

 祖母に似た影が、───目の前に立っていた。

 

 視界が暗転。

 

 最初に座っていた場所に、自分はいた。

 瞬間───走る、走る、走る。

 身体を支配するのは死に対する恐怖。

 精神から余裕を奪っていくのは不可知に対する恐怖。

 頭の中は完全に真っ白だった。

 目指すべき場所は玄関。単純に、誰かの助けが欲しかった。この状況から救い出して欲しかった。

 しかし、身体は思うように動いてはくれない。

 脚は木の床を蹴っているはずが、まるで何もない空中を蹴っているかのように力が入らない。

 手足が重い。全身から力が抜けていく。

 玄関扉の目の前に着く頃には、歩くことさえも辛かった。普段なら片腕だけで開けられる鉄扉も、全身で体当たりするようにしないと開けられなかった。

 ───そうして。

 扉を開けて一歩外へ出た頃には、鉄扉を背に座り込んでしまう。

 身体が異様に重い。

 心臓の鼓動音はあまりにうるさい。

 呼吸はどれだけ繰り返しても苦しいままで。

 助けの声を上げようとしても出てくるのは、ただ掠れた音で吐き出される喘息だけ。

 視界が次第にぶれていく。

 パタリと、コンクリートの床に倒れてしまった。

 ───あぁ、今回も駄目だった。

 混濁した意識の中、静かに目を閉じた。

 

 視界が暗転。

 

 またも、最初の位置に戻されていた。

 時計が気になって確認してみると、時計の針は一切進んでいなかった。

 自分は静かに立ち上がり、ベランダへと足を向けた。

 動機は単純。自分以外の人の姿を確認したかった。ここは自分が生きていられる世界なんだと、明確な保証が欲しかった。

 誰でもよかったんだ。あの祖母に似た影以外なら、そこに存在してくれるなら、誰だって。

 テラス戸を開けて、ベランダに出た。

 ───世界に、音がなかった。

 人が見当たらない。店に人工の光が点っていない。駐車場に止まっている車の姿が一台たりともない。

 無音、無音、無音、無音。

 灰色の、ハリボテのような世界が広がっている。何一つ変わらずに存在する人工物しか残っていない、いっそのこと、廃墟だらけで退廃してくれてた方がマシなくらいの、無音の街。

 下手に綺麗に残ってしまっているから、諦めが着いてくれなかった。

 手摺りに寄りかかり、隅々を探した。

 けれど、何も変わったものは見つけられなかった。

 ───ふと、背後に違和感を覚えた。

 それはある種の嫌な予感というもの。

 背後に振り返れば、何か厭なものがあるんじゃないかという、悪寒が走ったのだ。

 思考が麻痺する中、恐る恐る───振り返った。

 そこにあったのは、昏い闇。

 薄いカーテン越しに観える景色は普段通りの部屋の内装なんかじゃなくて、何も映さない闇が広がっていた。

 身体が震え、理解不能な恐怖でその場にへたり込んでしまいそうだった。

 けれど。

 せめてもの抵抗で、覗き込まないと見つけられない、テラス戸の内側にのみ働く死角に壁を背にして座り込んだ。

 今回だけはなぜか、身体に不調は現れなかった。

 ただ、ありもしない時間だけが過ぎ去っていく。

 ここは確かに現実のはずなのに。

 風は少しも、吹いてはくれなかった。

 

 視界が暗転。

 

 ───また、この場所か。

 最初にみた景色。一向に変わることのない、この結末。この始発。

 抵抗する気力は、もはやなかった。

 ソファに座り込み、ただその時を待つ。

 しばらく呆然としたまま待っていると、その祖母に似た影は音もなく目の前に現れた。

 諦めに満ちたまま、見上げる。

 底が抜けた影のような顔。

 無表情なのか、快楽に歪んでいるのか、憤怒に塗れているのか、悲しみに暮れているのか。───はたまた、自分がそうと認識している場所が顔というわけじゃなく、本当は別の部位にあるのか。その一切がわからない。

 最初の時のように、背中に衝撃が走った。

 首はギチギチと音が鳴りそうなほどに強く締められている。

 間近に迫る祖母に似た影の顔。

 表情はやはり、あの時と同じように凄惨な紅い笑みが再生された。

 ───怖い。死ぬのが、怖い。

 視界が霞んでいく最中。

 ずっとこのままの、何もわからないままに終わっては繰り返していく時間が続いていくのかと想像してしまって、瞬間───身体が跳ねた。

 目の前の影を、蹴り上げていた。

 木の板を蹴ったような音と発泡スチロールを貫いたような感触、途端、息苦しさが霧散した。

 何が起こったのか、目を恐る恐る開こうとして───

 

 ふと、目が覚めた。

 真っ暗な部屋。

 自分は硬い布団の上で横になっていた。

 昭和の時代を思わせる白い壁と、コンセントに刺さっている白いスマホの充電器。涼しい夏の夜風に揺れる薄めのカーテンと、そこから覗く目に痛いほどのとあるショッピングモールの電光灯。ネオン色に彩られている、夜の街の風景。

 意識は次第に、現実レベルへと引き上げられていく。

 後ろから聴こえてくる祖母の静かな寝息と、叔父の部屋から漏れる強めの白い灯り。

 ───夢、だったのか。

 そう認識してしまえば、さっきまで鮮明に見えていたはずの夢の内容は、陽炎のように揺らいでいった。

 スマホを手に取り、時刻を確認する。

 ……乾いた笑いが溢れでた。

 何故なら、自分が眠りについてから、三十分も経っていなかったからだ。

 

 

 

 ───思い出した。

 そういえば、何週間か前くらいに、祖母が住んでいる真下の階で警察が出張ってきたほどの異臭騒ぎがあったのだ。

 その時の様子は祖母から聞かされていて、次々とその部屋の中から臭いの染み付いた家具が団地の目の前にある公園に運び込まれていたらしい。

 祖母を訪れた時に嗅いだ、しばらくの間団地の階段に蟠ってしまっていた残り香は確か───強烈な腐敗臭、だったか。

 今でもその部屋の扉は、薄い黄緑色のテープで封鎖されている。

 扉の前に飾ってあったはずの透明な花瓶と一輪の花は、いつの間にかなくなっていた。

 

 

 余談ではあるのだが、深夜二時頃を過ぎたあたりになると、何処かからテーブルを床に思い切り叩きつけたような、あるいは、冷蔵庫を床に落としたような衝撃音とそれに付随する怒声が、度々夜の団地に響くとか何とか。

 

   ああ───頭から、離れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、知ってる? このお話」

 ケラケラ笑う、陽気な鈴の音。

 とても楽しげな、幼い少女の唄う声。

「とある団地の五階で、飛び降りがあったらしいんだよ」

 グシャリと、地面に紅い花を咲かせて。

「次には、首吊りがあったらしいんだよ」

 ぶらりと、床に黒い影を浮き上がらせて。

「そして最後には、誰も残らなかった」

 何も残さず消えていった団地の住人たち。

 ますます増えていった騒音怪現象。

 しかしそれは──結局のところ、被害妄想の誇大化にすぎなかった。

「今度はどこへ向かおうか」

 眼を閉ざされている幼い少女は公園の滑り台から件の部屋を眺めつつ、誰にともなく吐露していたのであった。

 

 団地の怪現象は───忽然と途絶えた。

 



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