2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!! 作:蒲焼丼
帝竜討伐直後に駆り出されるなんて仕方ないとはいえ人員不足が過ぎませんか???
ムラクモ本部司令室。自衛隊に作戦成功を通達したミイナは、椅子に座って目の前のモニターを見上げていた。
現場に出動しているムラクモの目を通して表示される視界情報のウィンドウは暗く、中央で「生体反応消失」という文字が浮かんでいる。
日付は昨日の午後。このウィンドウを接続していたガトウが死んだ時間で止まったまま。
大きくていつも汚れていて、けど誰より頼もしかった背中も、自分のものよりずっと高い目線も、もう見られない。
「……」
自分の髪をまとめるリボンにそっと触れる。
双子で顔が瓜二つなミロクと自分の区別をつけるため、女の子だからと伸ばすことになった髪。手入れもせずに伸ばし放題だったのを見かね、ある日ガトウとナガレがこのリボンを持ってきた。
自分たちがまとう服と腕章、ムラクモの紅と同じ赤いリボン。
大きく武骨な手で悪戦苦闘し、ガトウはガシガシと頭をかいた。
『俺じゃあダメだな。ナガレ、おまえ発案者だろ? 結んでやれよ』
『あ? できない? しょうがねえ。総長か女の研究員に頼んで結んでもらえ』
『おうおう、ずいぶんスッキリしたじゃねぇか』
似合ってるぞと頭に置かれた手はガサガサしていて、硬くて、温かくて。
気付けば勝手に涙が流れていた。けれど、昨日と違って苦しくない。鼻の奥がつんとすることもない。さみしさと、今までの思い出の温かさと、それへのあいさつを込めた一筋だけの涙。
これから自分たちは、ずっと一緒にいてくれた二人を追い越して進んでいく。
もう頭はなでてもらえない。肩に手は置かれない。背中は叩いてもらえない。
……ちょっと息が苦しくなる。けど大丈夫。自分の中には笑顔の二人が残っている。
後ろを振り返ったとして、そこに何も見えなくても、二人がいれば笑って手を振ってくれろだろうと思い浮かべることができる。
遺体を見てもガトウが死んだと受け入れたくなくて、モニターの端に寄せていた彼用のウィンドウを、ミイナは静かに閉じる。
「……さよなら、ガトウ」
ついに接続が切れたウィンドウに別れの言葉を呟いた。
* * *
「みんな、よくやってくれたわ!」
「うっ」
「わぶ」
会議室に入った瞬間、笑顔で出迎えてきたナツメに抱きしめられた。
血まみれの装備からスーツへ赤い染みが移るのも気にせず、目一杯の抱擁で二人を迎えたムラクモ総長は体を離し、優しい手つきで頭をなでてくる。
「貴重なサンプルは使ってしまったけど……作戦が成功したのなら、なによりだわ。キリノに任せたのは間違いじゃなかったわね」
「……だが負傷者は多数出てしまった。ふがいないが、うちの隊長もだ」
自衛隊からはマキタが進み出てら堂島の代理として現状を報告する。
帝竜の討伐成功はこれ以上ない成果だ。けれど死傷者の数は決して無視できる規模ではない。
そこで、前々から発案されていた医療設備の拡充が話題に上がる。今回の作戦でみんなが満身創痍たいうこともあり、今すぐにでも取りかかりたいところだが。
「医務室の改修は?」
「はい、話は進めています。ただ、必要な資材がまだ届いていません。補給部隊の帰還が遅れていて……」
「何か連絡はあったの?」
「現在、音信不通です……帝竜の自爆のせいで、通信機が麻痺してしまったのかもしれません」
「参ったわね、怪我の手当てもできないなんて……」
「……」
「……」
腕を組み、眉を寄せて閉口してしまう上司二人を見て、シキとミナトは顔を見合わせる。言葉にせずとも互いに言いたいことはわかっていた。
ジゴワットも帝竜の肩書きを持つ通り桁違いの強さだったが、今回はスキル開発を進めていたこともあって、気を失わずに勝つことができた(死にそうになったことには違いないが)。
負け惜しみのような大爆発から逃れて池袋を出た後は、都庁に帰る車の中でできる限りの治療はした。ミナトがマナ水を飲んでありったけの治癒を施し、アオイからの差し入れも腹に収めたため、体力にはまだ余裕がある。
「あの、私たちまだ動けます。傷はだいたいふさがっているので、たぶん問題ないです」
「こっちも医務室でちゃんとした治療受けたいし、面倒ごとはさっさと終わらせたほうがいいんじゃない」
帝竜と戦った直後で出動を申し出る13班に一同は目を見張る。
ダメだと止められないのは、13班が行ったほうが最も確実だということを全員わかっているからだ。自衛隊の中にも動ける者はいるが、彼らはマモノはともかくドラゴンへの対抗手段を持っていない。
キリノが目を伏せ、ナツメが「そうね」と申し訳なさそうにうなずく。
「お願い、13班。補給部隊を迎えに行ってもらえないかしら? ドラゴンに襲われている可能性もあるわ。様子を見てきてほしいの」
「補給部隊は首都高を通って物資を集めている。たぶん、その道中にいるはずだ。目的地のおおよその位置は、ミロクに頼めば算出してくれると思う。ムラクモ本部で話を聞いてみてくれ」
「了解」
「了解です」
では早速と背中を向ける。歩き出そうとしたとき、ナツメに名前を呼ばれて振り返った。
呼び止めてきた彼女は微笑を浮かべている。ガトウを失って帰還した際に見せた非情な司令の顔ではなく、信頼と感謝の念を漂わせる優しい女性の笑顔だった。
「……ごめんなさいね、色々と。あなたたちがいてくれて、本当によかったわ」
「別に。ドラゴンを倒すのは私たちの役目だし」
「お役に立ててよかったです」
検体サンプルとDzを預け、ジゴワット討伐の報を聞いた職員や作業員から祝いと労いの言葉を受け取りながら、ムラクモ本部に向かう。
ドアを開けると、奥のモニター前で作業をしていたナビの二人と、その傍らにいたアオイがバッと振り返った。
「来た! お疲れ、13班」
「……お疲れ様です」
「センパイ! お帰りなさい!」
「ただいま」
「あれ、アオイちゃんも?」
「一度ここに来るとお聞きしたので、待ってました」
アオイもある程度元気を取り戻したようだ。笑顔で出迎え、シキとミナトそれぞれに頭を下げる。
「センパイ、帝竜のこと、ありがとうございました」
「いや、お礼を言われるようなことじゃ」
「そんなことないです。センパイたちがいなかったら、今頃どうなってたか……。キリノさんにね、私が落ち込んでいたら、ガトウさんの死に失礼だって言われました……」
一語一語呼吸を整えて喋りながら「そうですよね」と自分に刻むように言い、アオイは顔を上げる。雲に隠れていた太陽が現れるような、迷いを晴らした表情だった。
「だから私、胸を張ります。間違ってなかったぞ、って……!」
「そうよ、ナガレもガトウもいなくなった今、10班の戦闘員はあんただけなんだから。しっかりしなさいよ」
「はい、センパイたちに追いつけるようにがんばります!」
「あと、からあげ弁当うまかった」
「あ、食べてくれたんですね。心を込めて作った甲斐がありました!」
シキと話すアオイの影から、ミイナがそっと顔を覗かせる。
数秒瞳と瞳で見つめ合う。何か言いたいことがあるのかもしれないが、言葉が見つからないのか唇を小さく開いては閉じてを繰り返すだけだった。しゃがんで目線を合わせてから話しかけてみる。
「ごめんね、首持って帰るって言ったのに。ジゴワット自爆しちゃったからさ、Dzとサンプルしか回収できなかったよ」
「……それで、十分だと思います」
ミナトに応えて、ミイナはためらいがちに笑顔を作った。
「アオイだけの10班は、少し頼りないですが……これから一緒に、がんばってみます」
「うん。頼りにしてるね」
「はい」
ガトウのことについてはもう心配ないだろう。彼を始めたくさんの人が亡くなった事実は傷跡として残るけれど、ただ痛かったで終わらせないためにも、都庁に集まる人間たちでこれから進んでいくのだから。
キリノから話は聞いていると、ミロクが自分の席のモニターを指差し、複数のアイコンが浮いた地図を見せる。
場所は首都高1号線。物資の補給部隊の反応は、ここで消えてしまったらしい。ジゴワットの爆発が原因かどうかはさておき、物資も人員も行方がつかめないのは死活問題だ。
「最後の通信からずいぶん時間が経ってる……急いだほうがいいかもしれないな」
「そうだね。早く迎えにいかなきゃ」
「……ところでおまえら、体は平気なのかよ?」
「うん? 体?」
「い、いや、任務が続いてるからな。さっきまで帝竜と戦ってたんだし、運動量からしても結構な値だし、何か問題が起こる前に、って……」
心配してくれているのかと尋ねる。ミロクは気まずそうな表情を作った。「いや」とか「別に」を繰り返し、そっぽを向いてわざとらしく咳をする。
少年ナビはこちらのぼろぼろになった全身と血に染まる包帯を指差し、貴重な戦闘員が倒れてしまうのは困るからと早口で説明した。
「が、ガトウも言ってただろ。おまえたちはムラクモの主力なんだから、体調管理はきちんとしなきゃいけないんだぞ」
「わかってるわよ。そのためにこれから補給部隊迎えにいくんだから。じゃあ行ってくる」
「行ってきまーす」
エントランスのワジの道具屋でメディスとマナ水を補給し、首都高に向かう。
相変わらずマモノやドラゴンはいるが、もう池袋の空から町を消し飛ばす電磁砲は撃たれない。臆せず空を見上げられるだけでずいぶん開放感のある道中だった。
そうして到着した首都高で、目に入ったのはまず車の群れ。
ドラゴン襲来の際に乗り捨てられたのだろう。乗り手のいない車両が何台も放置され、道路は障害物走のコースのように混沌としている。その隙間を縫うように吹き抜ける風の音が寂しげに響いていた。
「ここは異界化してないね」
「フロワロも少ない。強いドラゴンがいるとは考えにくいけど……」
首都高を歩きながら、今までの経験と照らし合わせて考える。
ムラクモの研究者は、フロワロはドラゴンの存在の象徴であり、ドラゴンがいなくなれば自然と消えると分析している。実際その通りで、都庁や池袋を攻略したときは、ダンジョンを中心とした一帯のフロワロが払われた。
山手線天球儀から見下ろした街が光に包まれ、ベールのように覆い被さっていた赤色を散らせて元の景色に戻った光景は、今も鮮明に思い出せる。
『おい、13班。補給部隊は、たぶんこの辺りにいるはずだ。……ん、なんだ? 人かいるぞ?』
指定されたポイントまで進むと、レーダー上に複数の生体反応が現れた。
自衛隊だろうかという予想はすぐに消える。防衛組織とは正反対の、派手な軽装の人間がぞろぞろと進み出てきたためだ。
日本人の顔つきに、染めた髪色と金属のアクセサリー。風に乗って漂うヤニの臭い。
既視感のある出で立ちと不遜なニヤニヤ笑いに、そういうことかと二人でため息をつく。
「おいおいおーい、ダレだぁ、チミタチ? こっから先は、通行禁止だぞっと」
「残念だけど、引き返してくれるゥ? ここ、ウチらSKYの縄張りだから──って……また、あんたたち!?」
「げ、あのムラクモかよ……」
威圧的に歩み寄ってくる相手も、自分たちを思い出したようだ。まぶたに過剰にアイラインを引いた女性、イノがたちまち笑みを引きつらせて一歩下がる。
渋谷で(主にシキに)据えられた灸がよっぽど効いているのか、SKYメンバーの男女は逃げ出すタイミングを見計らうようにじりじりと後退していく。
「や、やべーって! ここは、ネコさんとダイゴさんに任せようぜ……」
「あ、ああ……」
『……ネコ? ダイゴ? もしかして、補給部隊はSKYに襲われてるのか? 嫌な予感がする……急ごう、13班』
「渋谷とここって、そこそこ距離あるよね……いつの間に縄張り広げたのかな?」
「広げたんじゃなくて、勝手にそう言ってるだけでしょ。行くわよ」
戦意の欠片もない下っ端たちを置いて先に進むと、一人の自衛隊員と見覚えのある二つの背中が道路の中央で対峙していた。
「このっ……!」
自衛隊員は背後の輸送車をかばうように銃を構えた。相手二人は素早く身を躍らせ、嘲笑うように射線から逃れる。明らかに常人離れした身のこなしに、自衛隊員は悔しそうに歯噛みした。
女性がくすくす笑って猫耳が着いたフードを揺らす。
「あらら~♪ おとなしく言うこと聞いてくれれば、怪我しないですむのにさ?」
「黙れ! おまえらなんかに、この大事な医療物資を渡せるか!」
「ふ~ん……? じゃ、ちょっとばかり……痛い目にあってもらうしか、ないよね?」
「恐喝の次は強盗?」
シキが腹から発声する。
毅然とした声は風に乗って首都高に流れ渡り、今まさに動こうとしていたネコとダイゴを振り向かせた。
「おっと、やっぱり来ちゃったか」
「……やはり、おまえらの仲間か」
「た、助かった……そいつらが物資を奪いにきて──」
SKY幹部の二人の向こうから、補給部隊の隊員が震える声で助けを求める。
しかしそのSOSが聞き捨てならないのか、ネコが勢いよく振り返ってとんでもないと口を挟む。
「あのね、うちらだって、最初は話し合いで解決しようとしたじゃん? そっちがまるで取り合わないから、仕方なく奪うハメになってるんだっつーの!」
「う、うるさい! みんなが……この医療物資を待ってるんだ!」
「……それがないと怪我人の治療ができないんです。渋谷で、『カツアゲはこっちの統制ミスだ』って言ってましたよね? 奪うなんてどうして……」
ミナトが、渋谷でアオイを助けた際に遭遇したダイゴの言葉を訴える。彼はバツが悪そうに顔を歪めたが、頭を横に振って引き下がらない意思を示した。
「ま、そっちの言い分はわかるが、俺たちにも事情があってな……おまえらが、このまま引き下がってくれるなら手荒な真似はしないですむんだが──」
対立する自分たちに向かって、ダイゴがまるで気遣うような言葉を口にする。
彼の視線が自分たちの体の包帯に向いていることに気付き、シキが余計なお世話だと指の骨を鳴らす。続いてミナトも身構えるのを見て、彼は深く息を吐いた。
「……と言って、納得する連中じゃないか。仕方ない……。……ネコ。悪いが、こいつらにお引き取り願うぞ!」
「ほいほ~い♪」
「渋谷での借り、ここで返すわよ!」
「うん、今回ばかりは負けられない……!」
相手側に事情があっても、引き下がるわけにはいかない。
言葉で通じ合えないのなら力で。もはや暗黙の了解となった方式で13班とSKYは相対する。
「怪我人が無理しちゃって。うちら、弱い者いじめする趣味はないのに」
「弱いかどうかは、私たちに負けた後に判断してくれる?」
「ふ~ん……? ならいくよ、べろべろべーっだ!」
駆け出すシキにネコが舌を出す。同時にシキの体を妖しい光が包んだ。
「……?」
「どうした、来ないのか?」
「うるさいわね、今……ぶっ飛ばす!」
振り上げられた拳がダイゴに直撃する。しかし彼は少し眉をひそめただけで、巌のように道路を踏みしめる足は一歩も動かない。
「ぬん!」
「っ!」
「攻めてくよー! 凍っちゃいな!」
おかえしとばかりに振り下ろされる拳を間一髪かわす。
アスファルトの地面が簡単に窪むのを見て息を呑むシキに、ネコが氷を放って追撃した。
迫る氷に今度はミナトが飛び出し、こちらも迷うことなく氷で迎撃した。薄青の剣山は互いを噛み砕き、冷気を放つ欠片が陽光に煌めきながら道路に散らばる。
隣まで飛び退ってきたシキにミナトはリカヴァをかける。シキは両の拳を開閉しながら自分の調子を確かめた。
「大丈夫? さっきのあの技で具合が悪くなったりとか……」
「……上手く力が入らなかった。そういう効果があるのかもね」
「リカヴァは効いた?」
「たぶん。あんたはサイキック女の相手して。私はあの筋肉男、今度こそぶん殴る」
「わかった」
冷静に話し合う様子に渋谷のときとは違う何かを見出したのか、ネコが探るように目を細める。
「あれ、怒りんぼちゃんに地味子ちゃん、ちょっとはやるようになったみたいじゃん?」
「誰が怒りんぼちゃんよ」
「……地味子は余計……」
「な~に~? 聞こえない……よっと!」
ネコが冷気を操る。ミナトが応戦して首都高一帯の空気が冷えていく中、シキは再びダイゴに突進した。
「正面からぶつかってばかりで勝てると思っているのか」
「自分の心配したら? 帝竜に比べれば、あんたなんかアリみたいなもんよ!」
拳と拳の衝突が空気を震え上がらせる。
自衛隊員が補給車の荷台に、グチたちが車の影に避難してハラハラと見守る中、二対二の勝負は拮抗する。どちらの攻撃も平等に受け止めるアスファルトが削れる音が何度も響いた。
シキは攻めを繰り返しながら、マサキの助言を思い出す。
『シキ、果敢に攻めるのは良いことだけど、君はもう少しデストロイヤーの特性を理解したほうがいい』
『自分の肉体を武器にするヘヴィファイターでしょ? 何が違うの』
『攻撃だけなら誰でもできる。ただデストロイヤーは、鋼のように頑健な肉体そのものが利点なんだヨ。破壊力の高い武器になり、すべての攻撃に耐えうる盾にもなる。だから、ただの速攻だけじゃ効果が薄い。シキは意識してないみたいだけど、「D深度」も活用するに越したことはない。どの異能力者よりも重い技を放てる君の特権ダ』
『……デストロイ深度』
『そう。総長直々に教育を受けてきた君なら知っているだろう? デストロイヤーの拳は、その破壊力ゆえに攻撃を当てた相手の体に余波を残す。急所やツボを突く要領だネ。そこにうまく攻撃を重ねれば波は大きくなり、より破壊的な一撃を叩き込めるのさ。その感覚をつかむことができれば、かなり役立つはずだよ』
『合言葉を覚えておこう。いいかい?』
(『辛抱強く』、『確実に』!)
目の前から迫る一撃を、籠手で受け流して衝撃を逃がす。
ジゴワットの爪痕が残る腕が痛むが、耐えられないほどではない。
「っ……らあ!!」
「ぐっ!」
入れ違いに雄叫びを上げ、正拳突きを打ち込んだ。
小さな拳から伝える衝撃が波紋のように響く感覚。きっとこれだ。
まだ打ち崩されることはないものの、ダイゴの勢いは確実に削げている。
「ダイゴ何やってんの!? そんなチビさっさと……」
「シキちゃんの邪魔しないで!」
「あーもう! こいつナマイキ!」
少し離れた場所では相方のサイキックもネコ相手に善戦していた。術を衝突させては薬をあおり、隙を見て二人分の回復もこなしている。死体のない現場ならそこまで気が滅入ることもないようで、立ち回りに迷いがない。
自分たち以外の予備戦力がほぼいないというのは致命的な欠点ではあるが、皮肉にもその人員不足で腕は磨かれた。手負いにも関わらず以前よりもずっとマシに戦えている。
勝てると思った瞬間、相手二人の雰囲気が変わる。もっとわかりやすく言うなら……舐めるのをやめた。
「ネコ、正念場だ!」
「オッケー! いくよ、ダイゴ! これでぶん殴っちゃって!」
ダイゴが声を張る。ネコが軽快なステップでミナトから離れ、逆巻く冷気をダイゴの腕に誘導させた。
すぐに気付いた。渋谷で自分たちを蹴散らした技だ。前と違って遠慮がない分、もっと派手になるだろう。
「狼藉御免──!」
ダイゴがその巨体に似合わぬ動きで迫る。
回避することも考えたが、自分たちが立つ首都高は左右に壁があって逃げ場がない。拳の衝撃も巻き起こる氷の波も、隙間を埋めて殺到してくるはず。
防御してもただではすまないだろう。覚悟を決めてシキはミナトを背に回す。
構えようとした瞬間、腕がつかまれ、後ろにいなければいけないはずのサイキックが前に躍り出た。
「は!?」
『おいシバ!? 何考えてるんだよ!』
「おらあっ!!」
ミロクが悲鳴に近い声を上げ、一瞬ダイゴも驚きの表情を浮かべたが、ためらうことなく氷の槌となった拳を振り下ろす。
銅鑼を何重にも重ねたような破砕の音。地に刻まれるクレーター。
迫る衝撃と氷の嵐をミナトは全身で受け止め、
ビキッ、とその姿がひび割れて消えた。
「何……っ」
「にゃ!?」
目を見張るダイゴとネコの間に陽炎のようなゆらめきが生まれる。
瞬きした途端、それは人の形を成して、
「っそれ!」
手の先からほとばしった稲妻がSKYの二人を正確に貫いた。
ネコが悲鳴を上げて背から転がる。ダイゴは辛うじて立っていたが、体が痙攣して動きが鈍い。
たしかに大技に呑まれたはずのミナトがそこにいる。どういう理屈かはわからないが、生まれた隙は見逃さない。両脚に力を込め、一息で肉薄する。
真正面から一直線の攻撃だが、麻痺で身動きできないダイゴに防ぐ術はなく、
「取ったあっ!!」
シキの飛び蹴りが槍になって胴に沈む。
圧迫された体から息が吐き出され、ダイゴはついに地に膝を着いた。
「よっし!」
「やったぁ!」
先日は歯噛みして見上げることしかできなかった相手が地に膝をつく。
雪辱を晴らした13班は声を揃えてガッツポーズを作った。
自分たちのリーダー格が勝つと信じて疑わなかったSKYメンバーたちが走り寄ってくる。
「……これが……アイテルの言っていた『狩る者』の資質か……」
「あ~も~! ダイゴのせいだからね! こんなやつら、助けなきゃよかったんだよ……」
「……」
「シカトかよ……」
「……俺たちの負けだ。だが、このままスゴスゴと帰るわけにもいかん」
麻痺が残る手足をばたつかせて負け惜しみを吐くネコには応えず、ダイゴはゆっくりと立ち上がって進み出る。
まだやる気かと身構えるが、ついさっきまで放っていた戦意はない。
「ムラクモよ、頼む。物資を、少し分けてもらうことはできないか?」
広く強固な背が前に倒され、頭が誠意を持って下げられる。
思わず口が半開きになった。戦闘で叩きのめすならまだしも、正真正銘の請願で頭を下げられるなんて思っていなかったから。
「えっ、え?」
「何よいきなり。今更頼まれたって、」
「おまえらと同じように、俺たちにも仲間がいる。……こんなご時勢だ。怪我人も、病人もな」
ネコが唇を噛み締める。他メンバーも悔しげにうつむいたり、気まずそうに爪をいじったり、ダイゴに倣っているのか会釈程度に首を傾ける者もいた。
勝敗がついてあっさり解散するかと思っていたが、まさかここまでされるなんて想像もできていない。
面倒なことになった。そもそも自分たちが勝手に物資をあれこれしていいものなのか。
しばらく固まり、二人で目を合わせ、ダイゴたちを見、また目を合わせて、最後に補給車の荷台から顔を覗かせる自衛隊員を見た。
「え、え~と……ここは、君らに任せるよ。君らがいなきゃ、奪われてた物資だしさ」
「ええ? そんな……」
『オレも、この件はお前らに任せるよ。言わないほうがいいなら、本部にも黙っとく』
「渡すなら、君らから渡してやってくれ……俺は見てない、ってことで」
「あ、ちょっと!」
車両から飛び出して駆け寄り、医療物資の一部を押し付け、隊員はまた車両に戻っていく。
シキがにらむのにも気付かない振りをし、彼は荷台に積まれた物資の影でわざとらしく口笛を吹き始めた。
ありがたいはずの医療物資が嫌に重い。手の上にあるそれをもてあそぶまではできても、車両に戻すべきか、目の前の人間たちに放るべきか。
「渡す義理、ある?」
「……うーん……」
SKYたちの切羽詰まった表情が偽りだとは思えない。異能力者の集まりとはいえ、ドラゴンやマモノが徘徊する渋谷で生活している彼らだって被災者なのだ。
数分前まで叩き潰さんと戦っていた相手だが、助けを求める声を無視して去ることには間違いなく遺恨がつきまとう。耳にはまる通信機に助けを求めた。
「ねえミロク。この通信、他の人には聞かれないよね? あとで記録を探られたりとかもない?」
『……ちょっと待て。……おいミイナ……』
通信機の向こうで椅子が軋む音がした。同じく司令室で業務をこなしているであろうミイナと二言三言交わし、ミロクは小声で「大丈夫だ」と言った。
『ミイナも何も言わない。ログも削除しておくよ』
「ナツメさんには」
『聞かれてないし、言わない』
「オッケー。わかった、ありがとう。……シキちゃん」
「言うと思った」
はああ、と大きくため息をつきながらも、シキはSKYたちに向かって歩き出し、ダイゴの数メートル手前に物資が入った袋を置いて戻る。あとはリカヴァを使って、未だ体を引きずるネコとダイゴから麻痺を取り除いた。
体を癒す淡い光に目を丸くし、二人は渡された医療物資を確認する。
なんだか渡した自分たちも気まずくなってしまい、脱力してあさっての方角を向いた。ダイゴとネコの声が風に乗って耳に届く。
「……感謝する」
「とりあえず……ありがと」
「別に」
「まあ、困ったときはお互い様って言葉もありますし……」
今更になって、これをナツメが知ったらどうなるかと危機感を抱く。彼女は顔を真っ赤にして怒るだろうか。それとも優美な笑顔のまま親指を下に向けるタイプだろうか。
そんな想像は、補給車の向こう側から一人の男が姿を見せたことで打ち切られた。
ザリ、と転がる砂利を踏みしめる音。風になびく青いマフラー。どこか擦れたようでつかみどころのない雰囲気。
一度渋谷で相対した忘れられない顔だ。重い足取りで歩いてくる青年にSKYの面々が息を呑む。
「タケハヤ……!」
「だ、だいじょーぶなの!? ムリしちゃダメだって──」
「……るせェな、平気だっつの」
駆け寄るネコを遮り、タケハヤは長い髪の隙間から視線をこちらへ移した。瞳同士がかちあった途端顔に落ちていた影が引っこみ、記憶の中のニヒルな笑みが貼り付けられる。
「池袋の戦い……見てたぜ。あのバァさんらしい、ゲスい作戦だな。まったく、ホレボレしたよ」
ご苦労なことだと肩をすくめられる。反射的に口を開くが、指摘が事実だと理解している喉では否定の言葉を形にできない。
たしかにナツメの非人道的な面がありありと露出した作戦だったと思う。後半の策がうまくいっただけに、前半の問題が余計浮き彫りになっていた気もする。
結局ミナトが紡ぐことができたのは、同意寄りの言葉だった。
「……そう、かも、しれないですけど。でも……」
「おまえさぁ……そう思うんなら、辞めようとか思わねぇの?」
「辞めてどうすんのよ」
間髪入れずシキが叩き返した。少女は一切の迷いなく、ムラクモを辞める選択肢など存在しないと言い切る。
「辞めてどうすんの? 今、衣食住と生活環境が一番整ってるのはムラクモの拠点よ。対ドラゴンの戦力が集まってるのもムラクモの拠点。ドラゴンの分析、道具と装備の開発、拠点の改修に、防衛に回る自衛隊。必要なものが揃ってるあそこを抜けて、どこに行けって?」
「淀みねぇな、もう染まっちまった、てか?」
「ナツメの考え方にって意味なら大外れよ、勘違いしないでくれる? ていうか、見物してたって言ったわね。見てただけの外野が、なんで何もかも分かったような顔できるわけ?」
いつになく鋭い棘にまみれた言葉が首都高の風に乗って飛ばされていく。物資を共有したことでやわらぎかけていた空気がまた荒んだ感触に変わり始めた。
頭領をコケにされて眉をしかめる男女を意に介さず、シキは「あんたみたいな奴嫌いなのよね」と続け、親指を立てて半歩後ろにいるこっちに親指を向ける。
「現場に立ってもいないくせにぎゃあぎゃ野次飛ばすってずいぶん暇みたいだけど。こっちは戦力が増えて、やっと帝竜とも渡り合える状況になってきた。一番確実な方法を捨てて、何の補佐もなしにあいつらに突っ込んでいくほどバカじゃないの。ろくな対案を出せもしないなら無駄口叩かないで黙って見てろ」
「戦力」。
間違いない、シキは自分のことをそう言った。
不意にくらわされた言葉に頬が熱くなる。しかし今はシリアスな雰囲気だ。唇を噛んで、顔が緩みそうになるのを堪えた。
タケハヤは一見納得したようにふーんと頷くが、シキへの問いは止まらない。
「外野ねぇ、なるほど。……なら、ドラゴンと戦ってる当事者様に聞かせてもらおうか。──ドラゴンを狩り尽くした後はどうなんだ?」
「は?」
「ドラゴンがいなくなって、世の中が平和になったら、おまえはどうするんだ?」
「ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れる前から、なんでおまえはムラクモにいた?」
タケハヤの問いに、今度はシキが目を見開いた。まるでそんなことを問われるとは思っていなかったというように。
「? シキちゃん……?」
音もなく、言葉もなく、固まるシキの口から酸素が抜けていく。なんだか様子がおかしい。
ドク、ドク、ドク。何回鼓動が鳴っただろう。沈黙する首都高の上、「私が」とシキがかすれた声を出した。
「……私が、私の、……前……?」
「……話は変わるが」
言葉を遮り、タケハヤはすっと目を細める。
「この間の話は考えてくれたか? こっちに来るのか来ないのか」
「は……」
「どうなんだ?」
この間の話というのは、おそらくSKYへの誘いのことだろう。けれどあれは冗談ではなかったのか。ネコとダイゴも訝しげにタケハヤを見つめる。
この男の真意がつかめない。ここまで言葉を尽くして彼が伝えたいことは何だ。自分たちとムラクモにこだわりを見せる理由はいったい何だ。
再び沈黙が訪れ、空気すら停滞する中、ミナトは自分の目を疑った。
「──」
シキがうつむいた。
目を逸らした。何者に対しても、どんな状況でもまっすぐに立ち向かう少女が。
目の前の青年から逃げるように。自分に投げかけられた問を拒絶するように。声も出さず、にらみもせず、真っ先に。
異常なまでに動揺する彼女は頭を下げ、見開いたままの目を自身のつま先に向ける。
「だんまりかよ。残念だ」
その様子から返答は得られないと判断したのか、タケハヤは背を向ける。
「……ま、それでも? 二匹の帝竜を狩ったのはたいしたもんだ。おまえらが、アイテルの探してる奴らなら……俺たちとは、また会うことになるな」
「あ、ま……待って、待ってくださいタケハヤさん!」
声をかけられるとは思っていなかったのだろう。なんとか呼び止めると、彼は驚いたように振り返る。
『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れる前から、なんでおまえはムラクモにいた?』
渋谷で言葉を交わしたときから疑問に思っていた。その疑問が、今のやりとりとシキへの言葉、彼女の様子で確信に変わった。
「何を知ってるんですか? あなたは……ムラクモについて、何か知ってるんですよね?」
「ああ、知ってる」
教えてもらえるかもしれないという希望は、
「ま、何も知らずに命令に従ってるバカどもよりは……知ってんじゃねぇかな」
答えてもらえず、ばっさりと切り捨てられた。
「さてと……ネコ、ダイゴ、行くぞ」
タケハヤは仲間を呼び、もう一度だけシキを見やる。
依然視線を下げたままの少女を見つめるその目が、ほんの少し歪んだように見えるのは気のせいだろうか。
「あばよ」
今度こそ背を向け、青年とSKYの面々が去っていく。
彼らの後ろ姿が小さな点になったところで、補給車の中で息を殺していた自衛隊員がほーっと息を吐いた。
「なんかよく、わからないけど……とりあえず助かったよ」
「あ、はい……」
「んじゃ、都庁まで送るから後ろに乗ってくれ。みんなを待たせてる……飛ばすぞ!」
SKYの面々が首都高にくる中でマモノやドラゴンを撃退していたのかもしれない。時折出てくる障害物は廃車や瓦礫くらいのもので、都庁への帰路は実にスムーズだった。ただ、横に座る少女が呼吸をしているのかも怪しいくらい静かだったのが何だか怖くて、時間の流れが遅く感じたけれど。
車から降りた自分たちに医療物資を引き渡し、自衛隊員は自分の口の前に人差し指を立てる。
「SKYとの話は秘密にしとく……たぶん、そのほうがいいんだよな?」
「そうですね、どうか秘密でお願いします」
「もちろん。今日はとんだ厄介に巻き込まれたよ……。でも、君らのおかげで無事に輸送任務を完遂できた。ありがとう! じゃ、俺はこれで!」
緊張状態から解放されたことでテンションが上がったのか、隊員は爽やかな笑顔で走り去っていく。続いてミロクとも、首都高では誰にも会わなかったと示し合わせて通信を終えた。
二人だけが残った都庁前広場。シキは相変わらず物言わぬ石造のようだし、医療物資が何か気の利いた言葉を発してくれるはずもない。
どう振る舞えばいいかさんざん悩んだが、今優先すべきは医務区の改修だ。いつも通りの調子でいくことにしよう。
何も覚えてませんよという風に努めて明るい声で少女に呼びかける。
「シキちゃん、これ、中に運んじゃおう。ほら、自衛隊員さんたちもそうだけど、私たちもユキさんとかナミさんにちゃんと治療してもらわなきゃ」
今日最後の仕事だと物資を運び込んだエントランスではミヤとアオイが出迎えてくれた。物資とともにDzも渡し、準備万端で待機していた建築班は早速医務室の改修に取りかかる。
改修と言っても、使われる場所は既に清掃済みで、寝具や薬品棚などは都庁の中で調達できているし、医療器具もムラクモの医療班が用意していた物がある。補給部隊が病院から回収してきてくれた薬品や包帯、機器を備え付ければ、即席ではあるがちゃんとした医務室が完成した。
労われるのと同時に「あなたたちも治療!」とナースに引っ張られてきた13班を、先に治療を受けていた自衛隊が笑顔で迎える。
「あ、13班! おまえらが、補給物資を取ってきてくれたんだって?」
「まったく、おまえらにはいつもオイシイところを持ってかれちまう……ちょっと悔しいよ。……あれ? 何か怪我が増えてないか?」
「あはは、ひと悶着ありまして……」
「……まったくよ。あいつらいい加減にしてほしいわ」
ミナトに続いてシキが答える。不意に口を開いたのには驚いたが、調子を取り戻しつつあるように見える少女に、ミナトは聞こえないように安堵のため息をついた。そこにマキタが話しかける。
「この前の作戦だが、その……うちの隊長、少しは隊長らしくなってきたよな? ガトウさんや、おまえたちのおかげだと思う。自衛隊を代表して礼を言うよ。俺たちの隊長を……死なせないでくれてありがとう」
「いえ、そんな……こちらこそ、本当にありがとうございます。みなさんにはとても危険な役目を任せてしまって、頭が上がりません」
「なんてことないさ。俺たちは守りのスペシャリストだぜ。なっ?」
「いっててて……へへっ……名誉の負傷です!」
椅子に座っている新人隊員の肩がバンと叩かれる。一瞬うめいて脂汗を流すが、新人は誇らしそうな笑みを作ってみせた。
「せっかくだから、リンの様子でも見てってくれよ。今さっき、薬を打ったから……起きるかどうか、わからないけどさ」
自衛隊の面々からそれぞれ言葉を受け取り、シキとミナトはベッドに横たわる堂島を覗き込む。
「大丈夫そうだね」「じゃないとヤバいでしょ」と控えめに話す二人の背中と、穏やかな寝顔の堂島を見つめ、マキタは一足先に逝ってしまった彼を思った。
いつも軽口ばかり叩いているムードメーカーで、常に人と人の橋渡しをし、同僚である堂島を最初から最後まで心配していた彼のことを。
「雨降って地固まる……か。隊長はよくやったよ、なぁイコマ……」
入隊して武器を手に取った瞬間から覚悟はしていた。ドラゴンに襲われるなんて想像していなかった事態の中、何度も地獄を見たけれど。
大勢の仲間が死んだ痛みは胸の底で淀んでいる。同時に、わずかにでも世界に光が差しているのを、たしかに感じた。その一筋をたどり、道をこじ開ける人間の背中を見届けることができた。
まだ現実味がなく、負の感情に呑まれそうになるけれど、今あるものとしっかり向き合おう。歩くときは顔を上げなければ。
無理をしないようにと看護師に注意を受ける13班を見て、マキタは深く息を吐いた。
* * *
ベッドの上で、シキがシーツを殻に丸くなって眠っている。
窒息してしまわないだろうかと心配しながら自分のベッドに横になろうと片足をかけたとき、小さくドアがノックされた。こんな時間に誰だろう。
「はーい……」
「……失礼、よく眠れてるかい?」
そっと扉を開けると、目の前に現れたひょろりと背の高いシルエットに少し緊張する。
廊下の窓から差し込む月光を背負うのは見慣れた白衣だ。肩から力を抜いて出迎える。
「こんばんは、キリノさん。何か御用でしょうか?」
「こんばんは。このところ、あまりにハードだったから、少し様子を見ておこうと思ってね。こんな夜更けになってしまって申し訳ない……」
「えーと、医務室で診てもらったので特に問題はないと思うんですけど……シキちゃんも起こしたほうがいいですか?」
「いや、彼女は夕方に済ませてしまったから、君だけで大丈夫だよ」
部屋から出てドアを閉める。夜更けの廊下は静かで、人がいないためか少し肌寒い気もした。
そういえば、ドラゴンは夜行性なのだろうか。傷の具合を確かめられながら考える。
新宿、池袋辺りのドラゴンが討伐できたとはいえ、討ち漏らしがあるかもしれないし、別の場所から移動してくることもあるかもしれない。人の気配を嗅ぎ付けて、都庁が襲撃される、なんてことはないのだろうか。
さらに、生殖機能があって、繁殖が可能だとすれば……。
ぶるっと背筋を震わせる。こうして夜にぐっすりと眠れるのは、あたりまえのようで奇跡なのだ。
(いや、でも、昼間あんな活発に動いてるんだから、きっと夜はぐっすり眠ってる、はず……かも……)
大昔生き物は、暗闇の中では獲物を捕らえられず無駄にエネルギーを消費してしまうため、夜に睡眠を取るようになったという話を聞いた気がする。
真実かどうかはさておき、それに当てはめればドラゴンも夜に活動を休止するのではと希望的観測で思考を終わらせた。
その間にも携帯器具でテキパキと検査を進めていたキリノがうんとうなずく。
「よし……問題ない。惚れ惚れするくらい、強靭な肉体だ。僕にもこんな体があれば、君たちと一緒に前線で戦えたのにな」
「心強いですけど、前線はあんまりおすすめできないかもです」
「ああ、軽率にすまない。……そ、そうだ。ちょっと雑談したいんだけど、迷惑かな?」
「? いえ、大丈夫ですけど」
体についての言及はセクハラになりませんかというツッコミは抑えておく。
眠気で上手く回らない頭のまま廊下の壁に背を預けると、キリノは何やら落ち着かないように体を揺らし、小さく声を出した。
こんな時間になぜとも思ったが、冷静に考えればキリノの様子は少し不自然だし、真夜中に訪ねてきたのも気になる。雑談とは名ばかりで、もしかしたら相談事かもしれない。突っぱねる気にはなれなかった。
「お茶も出せなくてすみません。こっちもいろいろお話を聞きたかったので、このままでよければどうぞ」
「よかった、僕は意外と口ベタでね……どう切り出したらいいか、困ってたんだ」
ミナトと同じように壁に寄りかかり、キリノは意を決したように口を開く。
「今回の……ナツメさんのこと、君はどう思った?」
「今回……池袋の作戦のことですか?」
「ああ」
「……正直、作戦は、ひどすぎると思いました。……前に、ガトウさんが言っていたんです。『それが戦争ってヤツだ』『アホな指令に従って死ぬのも兵隊の仕事のうちってことだ』って」
実力と経験があり、戦うことを生業としていた人間の言葉だ。今まで守られていた側だった自分には決してない、重さと説得力のある言葉だった。
けれどそれゆえに、納得もしたくなかった。そんなむごいことが真実だなんて肯定して、世界を凄惨なものにはしたくない。
「ドラゴンにとっての戦力を大事にするって考え方はわかります。でもそれは、たくさんの犠牲を払ってもいい理由にはしたくないです」
「うん、そうか……」
「ウォークライの盾、本当にすごかったです。ムラクモも、自衛隊もみんな一丸になって、帝竜を倒すことができました。だから……みんなで全力を尽くせば、犠牲を必要としなくたって、ドラゴンには勝てますよね? 私たちは死ぬためじゃなくて、生きるために戦ってるんですよね?」
「うん、そうだ、その通りだとも」
同意をもらえたことに安堵する。
思いを吐き出し空になった胸で呼吸をする。しばらくの沈黙の後、今度はキリノが語り始めた。
「ナツメさんは真面目だけど、少し不器用なところもある人でね。誤解されることも多いけど、悪気があるわけじゃあないと思うんだ……作戦のことも、ドラゴンとの戦いも、君たちに感謝してるはずだよ」
「それは……わかっては、います」
自衛隊のことはどうなんだろう。ナツメが抱く感謝というものは、彼らには向いているのだろうか。
その問いを音にすることはできなかった。ナツメの姿勢にフォローを入れるキリノの声音があんまりにも健気だったから。
「……理解してくれてありがとう。なんだかんだ言っても、僕はナツメさんのことを尊敬してるし、信頼してるんだ」
不意に温度をあげる声に違和感を持つ。気付かれないように、そっと横目でキリノを見上げた。
月明かりの銀色に照らされる彼は優しく笑っていた。眼鏡のレンズにしまわれた瞳は、まるで目の前の空に浮かぶ月がナツメであるかのように、憧憬の眼差しを見せている。
(あれ、)
これは、もしや。
むくりと野次馬根性が首をもたげる。
いやいやまさか、決めつけるのはまだ早い。キリノとの付き合いは浅いが、今までの彼を見る限り、研究が恋人というタイプの人間じゃないか。
だがしかし。
(……そういうことですか!?)
表情筋を引き締める。なんでもない風を装い、視線を自分の前の壁に戻して質問した。
「キリノさんは、本当にナツメさんを信頼されてますね。どうしてですか?」
「それはやっぱり……憧れの人だからだろうな」
「ほう? 憧れの人」
「ああ、憧れって言ってもい、異性として……ってわけじゃないよ? ムラクモの一員として、さ」
「そうなんですかー……」
はたしてそれは本当かな、と謎のテンションで問いたくなる。まさかこんな殺伐とした世界で深夜に上司と恋バナまがいの会話をする日が来るとは。修学旅行の就寝時間でもないのに。
好奇にうずく邪な心を沈めるために深呼吸をくりかえす。隣にいる部下がにやにやしていることなど露ほども知らず、キリノは話を続けた。
「ナツメさんは、武術も座学も一通りこなせるうえに、研究者としても大きな成果を残してきた。ミロクとミイナも、実はナツメさんの研究から生まれたんだよ。遺伝子の情報を操作して、常人離れした記憶野を持つ天才児を生み出したんだ」
にやけ笑いが消える。
思いがけず知らされた双子の出生。だが以前にしていた予想が的中しただけだ。そこまで驚きはしない。
いろいろと悶々とするところはあるが、今すぐに答えを出せるものじゃない。それに、ミロクとミイナに対する自分の姿勢は変わらない。ほんの少しだけ打ち解けることができたし、このまま仲良くなりたいと思っている。
「ナツメさんは、君たちのように特化したS級の能力は持ってないかもしれないけど……あらゆる場面でA級の才能を発揮できる、上に立つ人間として理想的な人だと思うよ。……っと、ちょっと喋りすぎたかな」
手首に巻かれる腕時計を見て、キリノは壁から背を離した。
「僕は仕事に戻るよ」
「え、まだ寝ないんですか?」
「研究者の仕事は、君たちが帰ってきた後なんだ。少しでもドラゴン研究を進めておかないと。君たちはまだ疲れが取れてないだろう。もう少し体を休めてくれ」
「あ、はい。おやすみなさい……」
キリノが白衣のすそを泳がせながら歩いていって、廊下の角を曲がって見えなくなったところで思い出す。
しまった。タケハヤのことを聞きそびれていた。彼とムラクモについて尋ねたいことがあったのに。
いや待て、首都高でSKYと出くわしたことは当事者である13班と補給部隊員との間での秘密なのだ。タケハヤのことを質問すれば何があったのか勘繰られてしまうかもしれない。
彼の言葉とシキの様子が今も胸中でぶら下がり揺れているが、こればかりはナツメやキリノに知られるわけにはいかない。
新しい帝竜を倒して状況はマシになったかと思ったが、依然、謎は多いままだ。まだまだ先は長い。
窓の外から自分を見下ろす月に背を向け、部屋に戻った。
* * *
世界が崩壊しても、地球の自転は止まらない。
東から昇った日が、木々とビルの間を通して早朝の渋谷に優しく降り注いでいる。
その中を歩くアイテルの青い髪が美しく輝く。朝日を反射する白いマントをまとう神秘的な出で立ちは渋谷の緑に染められ、空気に溶け込みそうな儚さがあった。
タケハヤは眩しそうに目を細めながら、仲間の具合を尋ねる。
「怪我人の様子はどうだ?」
「落ち着いたわ……ダイゴとネコのおかげね」
「ムラクモの、だろ……。ちっ……あんな奴らに借りを作るとはな……」
帰った後でネコとダイゴに詳しく話を聞いた。
ムラクモの二人の女は予想以上に強くなっていたらしい。負けた上にサイキックの方に麻痺の治療もされたとぼやくネコは実に悔しそうにして、静電気でバラバラに浮く髪をなでつけていた。
池袋の帝竜と戦って満身創痍だった人間にやられるとは油断したものだ。いや、それだけ向こうが成長していたということか。
少しずつ頭角が見え始めた彼女たちは、全てのドラゴンに一矢報いる刃になるかもしれない。
だがそれを視野に入れても、よりによってムラクモに属しているということが、はらわたを煮え繰り返す。
タケハヤの仏頂面を見て、アイテルが穏やかに語りかけた。
「……ムラクモのことは、今の私たちには、過去の話だわ」
「……わかってるよ!」
思わず声を荒げる。
わかっている。頭では理解できているのだ。
「たしかに、いつまでも過去の亡霊に縛られてちゃ仕方ねぇ。だが、拭い去れねぇんだ。俺の体からも……記憶からも……」
「もう昔のこと」なんて陳腐な表現では片付けられない。何千何万という針が生える穴に突き落とされたように、全身が苦しみで埋め尽くされたあの過去。現実に存在した胸糞の悪い生き地獄は、消えない負を体に刻んだ。
タケハヤの瞳の奥で燃えるそれを推し量り、自身も味わうように目を閉じてうなずき、アイテルは赤い眼にタケハヤを映す。
「……わかってる。そして、その苦しみの始まりは……私。だから、タケハヤ……残された時間は、せめて自分のために生きて。もう、私のことは――」
いつまでも自分を守ってきてくれていた彼を、これ以上傷だらけにしたくはない。
アイテルが言いかけた瞬間、視界の中のタケハヤが歪む。
「グッ……!」
「タケハヤ!」
くの字に折り曲がる体から苦悶の声が漏れる。駆け寄ったアイテルの足もとに、ぼたりぼたりと脂汗が落ちた。
タケハヤの顔は汗に乗って皮膚が崩れ落ちそうなほどに歪んでいた。全身は小刻みに震え、青い血管が皮膚に浮き、立てられた爪が衣服の布ごと胸板に食い込んでいる。
しばらく荒い呼吸だけが朝の空気の中に流れていた。やがて噛みしめられていた口元がゆっくりと形を変え、男の唇が弧を描く。
「ぐっ……はは……はははは! 大丈夫だ……こんなもん、おまえの、長い苦しみに比べれば……! クソみてーなモンだっつーの……」
「でも……」
「もう時間がねぇ……」
あばらの下の鼓動をなだめるように胸に手を置き、彼は顔を上げる。
脳裏で赤がちらついた。あの二人の左腕に巻かれている赤だ。
獅子のような姿勢でどんな相手にも勇猛に攻めかかる少女に、後方支援を行うどこか頼りなさげな女性。あのペアはまだちぐはぐながらも、場数を踏んで着実に成長している。
「あいつらが……『狩る者』なのか……直接……俺たちが試してやるよ……」
もし違っていたそのときは。
黒髪をなびかせる少女を思い出す。小さな体にセーラー服をまとい、どこからどう見ても子どものくせに、その身に不釣り合いな力を持っている女の子。
シキという名を聞いたときから疑問に思っていた。その疑問が、昨日のやりとりと彼女の様子で確信に変わった。
気に食わないのは、彼女自身が「わからない」という顔で当惑していたことだ。
どういうことかは容易に想像がつくが、たしかめる必要もある。
もしも自分のクソッたれな予想が当たっていた、そのときは。
「あの腕章、力づくでもひっぺがしてやる……もうてめぇに好き勝手はさせねぇ……!」
朝を迎えた空に向かい、青年は渇いた喉で吠えた。
* * *
『……帝竜「J」認識。「J」登録……DC解析率、90%』
「残り、あと一つ……」