2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!! 作:蒲焼丼
メインストーリー以外の寄り道も魅力的なゲームなので、後々の地獄ラッシュが始まる前にこういうのも書いておきたかった。
「……あれ、シキちゃん。そんなところで何してるの? ……え、え! どうしたの、なんで泣いてるの!?」
「あんた……いったい何考えてるの……?」
「な、何のこと?」
「帝竜を三体倒せて、これからってときに……なんで大阪に行くわけ!?」
「は、大阪? ……ってうわあーっ!? 私の右手に春に開催していた人気アイドルユニットの全国ツアー大阪ライブのプラチナチケットがー!? 私抽選外れたはずなのになんで!?」
「なんではこっちの台詞よ! ドラゴン討伐とアイドルのライブ、どっちを選ぶの!?」
「え……え、えー……」
「迷ってんじゃないわよ!! もういい、私行くから」
「ま、待って! 三日、三日考えさせてください!」
「無理よ」
「……だってこれ、夢だし」
* * *
「夢かい!!!」
振り上げた右手が、ボゴッと何かに衝突する。
そのとき初めて自分が眠っていたことに気付いてまぶたを持ち上げると、医務室の天井を背景に突き出した拳が埋まっているサスガの顔が見えた。
「は、え……わー! サスガさん!?」
「な、なかなか……いい拳、持ってるじゃねぇか……」
ドシャァァ、とスローモーションでサスガが倒れる。他の自衛隊員に呆れ顔で回収される彼の手には極太の油性マジックが握られていた。
事態が把握できずに、目を白黒させているところで堂島が顔を覗きこんでくる。
「ごめん、サスガがおまえの包帯に落書きしようとしてたんだ。気にしないでくれ。むしろ灸を据えてくれて助かったよ。いいパンチだった」
「あ、そ、そうなんですか……ありがとうございます……?」
あくびをしながら、最早時計と音楽プレーヤーになってしまっている自分のスマートフォンで時刻を確認する。
午前九時。四ツ谷の帝竜ロア=ア=ルアを倒してから数週間目の朝は医務室で迎えた。
帝竜三体目討伐の報と血まみれの13班の帰還で都庁は大騒ぎだったらしいが、ある程度日が経てば人々はいつもの落ち着きを取り戻している。自分は医務室とお友だちになり、涙目のナースたちにそれはもう怒られ泣かれなでられて日々を過ごした。
枕元にはメッセージカードに折り鶴、チョコバーに手作り弁当など様々な品が積まれている。自分と入れ替わりで復帰した自衛隊を含め、キリノにナツメ、アオイにマサキ、チェロンや彼女のクエストを通して知り合った避難民が代わる代わる見舞いにきてくれたのだ。地下シェルターで傷薬をくれた女の子も、昨日押し花を持ってきてくれた。
都庁での生活にもすっかり馴染み、ドラゴンがいなければ出会うこともなかった人たちとこうして縁を紡げているのはなんだか不思議な気分だ。あとでお見舞いのお礼をしようと胸中のTodoリストを更新して食べ物に手をつける。
「悪い夢でも見てたのか? うなされてたみたいだけど」
「えーっと、私が好きなユニットのライブのチケットがあって、シキちゃんに『ドラゴン退治とライブどっちを選ぶんだ』って怒られる夢でした」
「ああ、それでプラチナチケットとかなんとか言ってたのか」
「私、全国ツアーに手当たり次第応募してたんです。でも抽選から外れちゃって。ていうかその日にムラクモの試験があってドラゴンが来て……」
今思うと、ライブの抽選に外れたのは運命やら宿命と呼ばれる類の縁だったのかもしれない。もし当選していれば自分は都庁ではなく大阪に行っていて、異能力もまともに使えずドラゴンに食われていたはずだ。
ドラゴンは日本だけでなく世界中にいるというのだから、誰もが例外なく害を被っているはず。ならば、当時大阪にいたはずのアイドルたちも……。
自分の知っているものがことごとく破壊されていくのは堪え難い。友人でも知り合いでもないが心配だ。
「大丈夫かな」とぽつりと呟くと、自衛隊のサコン隊員が興味深そうな顔をして寄ってくる。
「もしかして、そのユニットってあの子たちのことか?」
「あ、ご存知ですか?」
彼が口にした単語はまさしくそのユニットの名前だった。
意外や意外、マキタにカマチ、他の自衛隊員たちも「俺も好きだぜ」「おれも」「CD全部持ってる」と手を挙げる。国防組織に勤める人間はストイックで仕事一筋なイメージがあったが、趣味や娯楽にも全力で打ち込んでいるらしい。同じ人間同士、人気アイドルの話題で盛り上がるのは一般人もムラクモも自衛隊も関係ないようだ。
「ニーナ可愛いよなぁ~っ。歌も上手いし」
「ばっかおまえ、ミウミウが一番に決まってんだろ!」
「おいおい、シホりんを忘れてるんじゃないか?」
「オレの天使はアオイちゃ──」
「サスガ、ちょっと黙ってような」
「みなさーん、ここは医務室ですよ、お静かに!」
推しメンや好きな曲談義で医務室が賑やかになる。賑やかな雑談は外で、とナースのナミが薬と包帯を持って顔を出した。
「あ、ナミさんおはようございます」
「おはようミナトちゃん。さ、検診だよ」
「だそうだ。ほら、男は医務室から出た出た」
堂島が自衛隊員らを医務室の外に追いやる。男性たちがドアの向こうに消えたのを確認し、ベッド周りのカーテンを閉め、ナミの手を借りて医療服をを脱ぐ。
医者とナースの手厚い看護と自分の治癒能力で治療を進めた甲斐あって、ひどいことになっていた左肩は肉も骨もほぼ元通りだ。
皮膚まで再生した左肩をゆっくり回すミナトを見て、ナミははーっと息を吐く。
「うん、予定通り今日退院でよさそう。自衛隊のみなさんもだけど、ムラクモの人も本当にタフだね……。シキちゃんなんて四日でほとんどの怪我治っちゃったよ。これも異能力者の力なの?」
「たぶんそうだと思います。マサキさんやキリノさんがそんなことを言ってました。いつ新しい帝竜が見つかるかわかりませんし、私も早く完治させないと」
「……でも、痛い思いをするのには変わりないんだからね?」
血肉や骨が無事再生したとはいえ、今まで戦ってきた帝竜の攻撃は体中に爪痕を残している。
ウォークライ戦では背中の目も当てられない火傷に加え、後頭部の頭皮に裂傷の痕。ジゴワット戦ではくびれ。ロア=ア=ルア戦では左肩。鎖骨辺りから首の付け根付近にかけて、皮膚の色がわずかに違う。目立ちはしないが注視すればわかるだろう。
ナミの白い手が軟膏を全ての傷跡に念入りに塗っていく。動きに合わせて揺れる制服はめずらしいワンピースタイプで、世界史の教科書で見たナイチンゲールの装束に少し似ていた。
「白衣の天使」のフレーズがよく似合うかわいらしさがあるが、その手は皮が少し厚くて、たくさんの作業をなじませてきた跡のある医療従事者のものだ。
「きれいになれー……きれいにー……」
たびたび漏らされるひとりごとはおそらく無意識だろう。初めて背中を見せたときに泣かれてしまったのもそうだったが、患者に寄り添って接してくれる優しい人だ。いっしょに医務室で働いているユキという女性も明るい顔でリハビリを手伝ってくれるし頭が上がらない。いつか自衛隊の誰かがあの人たちいいよなぁ、なんて話していた気持ちがわかる気がする。
体を任せて数分後、たっぷりの薬を丁寧に塗り終えたナミは満足げにうなずいた。
「よしよし、ちょっとずつだけど綺麗になってきてるね」
「すみません、貴重なお薬を毎日……」
「なに言ってるの! あんなドラゴン相手に女の子が傷だらけになって戦ってるのに、薬を惜しむなんてことしてられないでしょう」
「ナミー、こっち手伝える?」
「今行く! ……はい、今日の分は終わり。もう動いても大丈夫だけど、絶対無茶はしないでね。怪我してなくても毎日医務室に来ること!」
シキやミナトの手当てをするたび、彼女含めナースたちは自分のことのように胸を痛めている。力を持つ者が戦うのはあたりまえだなどと思わずに、ムラクモ以前に人として自分たちと向き合ってくれているのだ。その心がとても温かくてうれしい。
ユキに呼ばれて去っていくナミに、感謝を込めて頭を下げる。
傍にいた堂島も彼女の背中を見つめて「いい人だよな」と言った。
「アタシたちもずいぶん世話になった。ドラゴンと戦う以上、無傷でいるのは無理だけど、なるべく心配かけないようにしないと」
「ですね。……あ、そうだ!」
大切なことをすっかり忘れていた。ミナトは四ツ谷で出会った自衛隊員のゾンビのことを話そうと堂島に向き直る。
「堂島さん、私たち、四ツ谷で、その」
「ああ、これのことか?」
「あ……はい、そうです」
どう切り出せばいいかわからずに口ごもっていると、堂島がズボンのポケットに手を入れる。
取り出された階級章と勲章を見て頷くミナトに、彼女は「聞くだけ聞いてくれるか」と話し出した。
「シキから聞いたよ。おまえたちが持ち帰ってきてくれたこの勲章は、前任の隊長──タチバナ隊長のものだ」
「前任の隊長の……」
「タチバナさんは、ドラゴン来襲の日に、別の現場で亡くなった。そのときは、どこも大混乱だったから……遺体の確認すらできなくて。だけど、せめて遺品くらい、誰か心当たりがあるんじゃないかって思ってたんだ。この人は四ツ谷にいたんだろ?」
「はい」
大体のことはシキが話してくれていたらしい。
血と砂埃でくすんでいた章飾は隅々まで綺麗に磨かれていた。電灯の光を反射するそれを、堂島の指が撫でる。
「ゾンビが出たなんてな、まさか、そんなことがあるのかって驚いたよ」
「あの、自衛隊の方の……死体を、帝竜が操っていたらしくて、それで戦ったんですけど」
「気に病まなくていいよ。むしろ隊長たちを解放してくれて感謝してる。おまえのパートナーにも言ったことだけど……この人の遺品を探そうと思ったのは……報告したかったからなんだ」
手の中にある勲章から顔を上げ、堂島は正面から目を合わせてきた。
見たことのある表情だ。怖い物、嫌な過去と向き合う度胸を胸に据えた、静かな雄々しさ。
目の前の彼女は唇を震わせ、一度ぐっと引き結んでから口を開く。
「正直ね……隊長に選ばれたこと、ずっと後悔してたんだ。ハズレを引いた、アタシには無理なのに……って。でも、言い出せなくてさ……いっぱい空回りして……ムラクモにも、八つ当たりした。それでも最近やっと、心から頑がんばろうって思えたんだよ。それを報告したかったんだ。やり遂げることを誓う、って意味でもさ。……言葉にすると、ちょっと恥ずかしいな」
凛と引き締まっていた顔から力が抜ける。少しだけ頬を染めて頭を掻く彼女は、自衛隊隊長ではなく、一途で一生懸命な一人の女性に見えた。
「かっこいいです。私もそんな風になりたいな……いつもシキちゃんに頼りっぱなしなので」
「何言ってるんだ。おまえも十分よくやってるよ。助けてもらったアタシが保証する」
「そうですか? えへへ……ありがとうございます」
互いに気恥ずかしさで笑いながら、世話になった医務室代表にあいさつをして荷物をまとめた。なるべく怪我をしないように釘を刺されてから退院おめでとうと送り出され、二人そろって上の階に向かう。
並んで階段を上る中、ふと、四ツ谷でシキに名前を呼んでもらったことを思い出した。
せっかくこうして話ができる距離感になれたのだから、もう少し踏み出してみたい。意を決して堂島に向き直る。
「あの、堂島三佐。……もしよければ、これから私のことはミナトって呼んでくれませんか?」
「え? どうしたんだ、急に」
「さっき、シキちゃんのことを名前で呼んでいましたよね」
「ああいや、それはあいつの苗字がわからなかったから……」
「あの子の苗字は飛鳥馬、アスマです。でも、呼び方は変わらないですよね? だから私のことも名前で呼んでください。お近付きの印と言うと変ですが、ぜひ!」
何やらナンパのような言い方になってしまったが気にしない。根拠はないが今なら仲良くなれそうな気がする。だったら押せ押せだ。
背が高い堂島を間近で見上げて熱心に視線を送り続ければ、彼女は少したじろいで、ぎこちなくうなずいた。
「わ、わかった。……じゃあ、アタシのことも名前で呼んでくれ」
「え、いいんですか?」
「もちろん。一緒にドラゴンと戦う仲間だしな。先日は席を空けてすまなかった。今日からバッチリ、任務復帰だ。まだ未熟なところもあるけどさ……見ててくれ、アタシの精一杯!」
自衛隊駐屯区に着いた。自分はムラクモ本部に行くので、ここで別れることになる。
階段から外れて廊下に出る堂島、もといリンは笑って手を振った。
「じゃあ、お大事に。これからも……がんばろうな!」
「はい! がんばりましょう、リンさん!」
ひとしきり手を振って別れる。自衛隊隊長と距離が縮まったことを実感し、鼻歌を流しながら階段を上がってムラクモ本部フロアに入った。
……ここまできたら、もう少しチャレンジしてもいいのでは?
よし決めた、次なるターゲットはあの二人だ。
歩幅を広げて司令室に入る。相変わらずコンピューターの駆動音と熱を逃すための空調の音が絶えない部屋の奥、いつも通りキーボードを叩いていたミロクとミイナが振り返った。
「ミロク、ミイナ、おはよう。朝からお疲れ様」
「シバ、やっと来た! 体の調子はどうだ?」
「なんとか。もう動けるよ」
「本当か? 思いっきりやられてたよな」
モニター越しに見てもあの一撃はひどかったらしく、心配してくれていたのだろう。小さな体が右に左に傾いてじっと左肩を注視される。
「……見る?」
「ばっ、いいよ別に! 治ってるなら、それでいい」
疑り深い視線に襟をめくって肩を出そうとすると、ミロクはしわが寄るくらい固く目を閉じて顔を逸らした。男の子らしい反応に思わず笑い声が漏れる。
笑うなと言って軽く振られる拳を受け止めながらミイナにも労いの言葉を送ると、彼女は少し疲れた様子でうなずいた。
「帝竜討伐、お疲れ様でした」
「ミイナ、大丈夫? なんだか疲れてるみたいだけど」
「……この間から、サクサクサクサクってチョコバーを食べる音が頭に響いて……」
「あああー……」
詳細を聞かずともわかる。アオイのことだ。特に四ツ谷攻略のときは好きあらばチョコバーを頬張っていて、少女ナビは暴食を止めるのに苦労したらしい。
アオイの代名詞として認識しつつある菓子の名前を呟いただけで、ミイナは辛そうに頭に手を当てた。花よりならぬ竜より団子。ガトウやナガレがいた頃から一転、敏腕ナビは延々とチョコバーを食す班員にほぼお手上げのようだ。
「アオイはもう……最後までチョコバーで……太っても知らないんだから!」
「ドンマイ。まあアオイもそのうちしっかりしてくるだろ。……たぶん」
頬を膨らませてぷりぷり怒るミイナに苦笑いを浮かべ、ミロクが改めて退院を労ってくれる。お礼を言うのはこっちのほうだと返して、彼らの武器である司令部奥のモニターに視線を移した。
双子のナビゲートにはダンジョン攻略だけでなく帝竜戦でも助けられている。今日も今日とて数字とアルファベットの羅列を流し続けるモニター機械の内容は自分の頭では到底理解できないが、どうやって扱っているのだろう。
目をすぼめて液晶とにらみ合う中、無理するなと言いながらミロクが椅子に腰掛ける。
「ムラクモ機関のマシンは、どれも特注の超高性能機器なんだ。それこそ、使い手が限られるくらいのな」
「聞いたよ。ミロクたちは、……その、すっごく頭がいいんだって」
「ああ。こんな数値の羅列、常人じゃまず捌けない。だからデータ処理に秀でたオレたちがナビゲートしてるってわけだ。……ちょっとは見直したか?」
「見直すも何も、最初からすごいって思ってたよ」
戦場に立つのはたった二人。けれど戦っているのは、都庁のみんなで。13班がドラゴンと対峙する際、ナビもまたナビにしかできない方法で戦ってくれている。
何の考えもなしに自分だけが前線に放り込まれているわけじゃない。それに気付いた今、無理だ無理だと地下シェルターで泣いていた過去が少し恥ずかしい。
防衛は自衛隊が、能力開発ではマサキが、装備は開発班が、物資の調達では作業班が、ドラゴンの生体については研究班が。それぞれがそれぞれの形で尽力してこの戦いを支えている。ここまでくればよくわかった。その心強さと温かさも。
朝から晩まで機器に向かい、自分たちのサポートをしてくれる双子。小さくも頼もしい背中に、胸の内側から親愛が湧き出てくる。
よし、踏み込んでみよう。ここも押せ押せだ。
「ミロク、ミイナ。こっち来てもらってもいい?」
「なんだ?」
「なんですか?」
「遅くなっちゃったけど、改めて……四ツ谷攻略おめでとう! はいっ」
手招きをすれば、二人は警戒せずにとことこと寄ってくる。
それだけ信じてもらえていることにうれしくなって、ミロクの左手とミイナの右手それぞれを取り、小さくハイタッチを交わした。
双子は一瞬目を丸くして、驚いたようにビャッと同時に飛び退いてしまう。
そろいの白い肌を蒸気させ、若干瞳を潤ませた少年少女は小刻みに震えた。
「な、な、何するんだよ!? 恥ずかしいだろ、馬鹿……」
「こ、これは……その……ちょっとくすぐったい気分、です……」
あ、やべ、可愛い。
矢がハートを射抜く音がした。
「ぐうっ……! これが、これが萌え……!?」
「ど、どうしたんだシバ!? 傷が痛むのか!?」
「シバ、しっかりしてください!」
強烈な感情の波に悶えるミナトに、今度は警戒しつつミロクとミイナが寄ってくる。
二人の頭をなでくり回したいが、たぶんこれ以上のスキンシップは怒られる。もっとーと欲張りたい衝動を抑えて大丈夫だと顔を上げた。忘れかけていた本題に入る。
「名前のことなんだけどさ……二人はシキちゃんのこと、名前で呼んでるでしょ? これからは私も下の名前で、ミナトって呼んでくれない?」
「別に、いいけど。えっと、ミナト?」
「ミナト……体は大丈夫なんですか?」
「……全然……全然、平気! ありがとう、これからもよろしく!」
小さな手を握り、ありがとうありがとうとくりかえし上下に振って立ち上がる。
あまり長居しても仕事の邪魔になってしまう。名残惜しいがそろそろ退出しなければ。
歓喜のテンションについていけずに呆けるミロクとミイナに手を振り、司令室から出る。
最後に目指すは都庁前広場。人間関係でも一歩前進できたことがうれしくて、意気揚々と階段を駆け下りた。
* * *
「たーっ!」
青空に元気な掛け声が響く。アオイがトリックスターの足を活かして鹿のように駆けた。
軽やかに繰り出されたのは華麗な飛び蹴り。が、受け身・カウンターの動きを体に染み込ませたシキは難なくそれを受け止める。
「ふん」
「きゃっ!」
つかんだ足をひねればアオイの体も回転する。背中から湿り気の残る地面に落ちて、彼女は大の字に手足を広げた。
「ううう……センパイ、強すぎです! 全然歯が立たない……」
「これでも帝竜には苦戦してる」
「ドラゴン基準じゃないですよ! 人間としては十分すぎますっ」
「まだ不十分よりこの先どんな奴が出てくるかわからないんだから、強くなっておいて損は――」
「おはよう、シキちゃん、アオイちゃん! 私、今日から復帰だよー!」
脳天気な声が一つ増えた。
これまた勢いを感じるステップでミナトが広場に飛び出してくる。復帰と起床時間に対して遅いと理不尽な注意しても、彼女は笑顔でごめんと返してくる。
今日はやけに上機嫌だ。いや、四ツ谷を攻略したときからか。にやけ顏が以前より三割増になった気がする。
それと、少し前向きにもなったように見える。
天まで抜ける青とそこに浮かぶ太陽と相まって、なんだか眩しい。シキは思わず瞬きをした。
「いやあ、昨日の夜ざんざん降りだったこともあっていい天気だねぇ。でも夕方あたりからまた雨が降りそうだって、観測班の人が言ってたよ」
「そうなんですか? 最近降ったり止んだりが続いてますね。季節的に雨が多くなりそうな時期だから仕方ないですけど」
ドラゴンたちと戦っている間に時は経ち、雨と晴れが入り乱れる時期になってきた。地球の自転と大気の動きまではドラゴンたちにも書き換えられなかったらしい。季節だけが春から変わりなく動き続けている。
と言っても、動植物は人間同様蹂躙されてしまった。世界は相変わらず荒廃した建造物の群れに、偉業の化け物と赤い毒花だらけ。時間の流れを感じられるのはそれこそ天気と雲の形くらいしかない。
医者の許しを得て出てこれたミナトのリバビリも含めて今日一日は訓練を考えていたが、観測班の予想が当たれば、夜になる前に南の空に浮かぶ分厚い雲がやってきてしまうだろう。
「今日はあんまり時間ないわね。ちょっと、あんたも訓練……」
「……」
「……ミナト。あんたも雨になる前にできるだけ訓練しておきなさいよ。休んだ分のブランクは取り戻して」
「うん、了解!」
「あ、じゃあ私も勉強しようっと」
名前を呼べばミナトは笑って返し、水をはけた地面に腰を下ろす。彼女はマサキに渡されたサイキックのファイルに目を通しながら指先に氷や雷を操り始め、アオイもそれに倣ってトリックスターのファイルを覗き、銃をいじり始めた。
「そういえばアオイちゃん、基本は銃だけど、ナイフは使わないの?」
「うーん、個人的には銃のほうがしっくりくるというか、近接戦ならナイフより格闘のほうがやりやすいんです。もちろんナイフの訓練もしてるんですけどあんまり慣れなくて。他のムラクモさんの見よう見まねって感じで練習してます!」
「……」
ムラクモの戦闘員は基本大人数でチームを組まない。大昔から今に至るまでの長い歴史の中で、単独~少数精鋭での機動戦を展開する戦術を確立させた。現在、チームは基本的に三人、スリーマンセルと呼ばれる構成だ。
過去、ムラクモに招集されたガトウ率いる機動班も三人構成だった。そこまでムラクモに入れ込んでいなかった一人が班を抜け、ナガレもガトウもいなくなって、今ではアオイだけとなってしまっているが。
機動13班はシキとミナトの二人、そして10班はアオイ一人。よく考えてみれば三人である。
(デストロイヤーと、サイキックと、トリックスターか)
壁と肉弾戦担当のシキ。後衛からの援護・回復のミナト。そこにスピード・手数型のアオイが加われば、そこそこバランスの取れたチームになるんじゃなかろうか。
単純な戦力としてもそうだし、アオイ持ち前の明るさ(明るすぎるところもあるが)や、ドラゴンを前にしても動じない胆があれば、臆病なミナトの精神的な支えにもなるはず。トリックスターとしての技術はナガレに劣るが、訓練には積極的に取り組んでいるし、S級なのだから鍛えていけば化ける可能性は大いにある。
(一考する価値はある……なんで気付かなかったんだ。あとでナツメに進言――)
「あ、アオイちゃん、銃弾っぽいのが転がっていってるけどいいの?」
「へ? わー! いつの間に!? ああ、あっちにもこっちにも! 早く拾わ……っわひゃぁ!」
「うわぁ!?」
(――するのはまだ早いか)
足を滑らせてすっ転ぶアオイと巻き込まれて倒れるミナトを見て、熱を帯び始めていた思考はさっと冷めた。
「……三体目、か」
ウォークライ、ジゴワット、そしてロア=ア=ルア。
日本の首都の地に根を張る三つの巨悪が消え去った。街並みはまだ七割ほどフロワロの赤に覆われているが、ドラゴン討伐は順調に進んでいると言える。
都庁での生活基盤も安定してきた。それに関しては、いつの間にかエントランスに居座るようになっていたチェロンとかいう褐色の女の働きが大きい。彼女が橋渡しとして誰彼構わず声をかけることで都庁の中からいろんな要望が寄せられ、手が空いていればムラクモと自衛隊が駆けつけることでインフラも改善されている。
地上にドラゴンが来たばかりのときは振り回されるだけで時間が経っていたが、ようやく余裕を持って対策を立てられるようになってきた。エンジンのかかったムラクモはこのまま竜を狩り続け、東京の地を取り戻し、いずれは日本中に蔓延る竜を根絶やしにするだろう。
だから、
『ドラゴンがいなくなって、世の中が平和になったら、おまえはどうするんだ?』
知るか、そんな先のこと。今はドラゴンを狩ることだけを考えるんだ。
『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れる前から、なんでおまえはムラクモにいた?』
タケハヤの言葉が響く。首都高であいつに問いかけられてからこっち、どれだけ無視しようとしてもあの言葉が離れない。
何なんだこれは。どうしてずっと意識の隅に居座り続けている。あんな意味のわからない男が抜かす、やっぱり意味のわからない言葉が重要なことだとでも?
ずっと前のことなんて、いちいち覚えているはずが……。
「っ」
ざっ、と頭の中に黒い砂嵐がかかる。
今日は晴れているし低気圧じゃない。帝竜戦の傷だって癒えている。体は好調だ。
なのに頭が痛いのはなぜだ。
「……ずっと、前」
「シキちゃん、どうしたの? 何か言った?」
「あんたたち二人は、ドラゴンが来る前何してた?」
「え?」
質問の意図がつかめなかったのか、女二人は首をひねる。
「ムラクモ試験前のことだよね」と付け加え、ミナトが空を見上げて思い返すように口を開いた。
「どういう生活をしてたかって意味なら、私は普通に学校通ってたよ。ムラクモ試験のときは高校卒業して春休み最終日だったな。……死ぬ気で受験通ったのに大学に入れなかったのは……今思うと……うん、踏んだり蹴ったりだね……」
「私、学生時代は海外にいました。去年のムラクモ試験の折に戻ってきた感じです。参加できませんでしたけど」
「アオイちゃん帰国子女だったの!?」
「そのもっと前は? 子どもの頃」
「子ども……? 普通、の生活としか。あ、自分に超能力があるのがわかったのは小学校に入る前だったかな。ほとんど記憶はないんだけど……自覚したのはそのくらいだった、はず。そこからは間違って事故を起こさないようにこっそりコントロールの練習をしてたかな」
「私はムラクモからお手紙が来るまで自分が異能力者なのは知りませんでした。ただ、人より運動が得意だなっていう自覚はありましたけど」
「ふーん……」
片手の指を折り切らない時期を鮮明に覚えているのは存外難しいみたいだ。まあ、そんなもんか。
赤ん坊の自分のことはムラクモの誰かが代わる代わる面倒を見ていたというが、保育施設ではないので写真や映像といった記録はまったく残っていない。幼少期の自分のことを知っているのは……それこそナツメくらいだ。他に語れそうなのはガトウだが、あいつはもういない。
手がかりがまったくと言っていいほどない。別に自分のルーツがわかったところでドラゴンを倒すのは変わらないだろうから、どうってことないが。
思索にふけっていた頭を払ってリセットし、トレーニングを再開する。
ミナトとアオイは少し訝しげな顔をしていたが、なんでと質問するようなことはせず、各々学習と訓練に戻っていった。
* * *
観測班の天気予報通り、雨は夕焼けとともにやってきた。
雨に打たれて訓練をするわけにもいかないので、シキ、ミナト、アオイの三人はおとなしく屋内に引っ込んだ。
シキは動き足りないようで未改修フロアの瓦礫や荷物の片付けに行っている。手伝おうかと声をかけたが「いい」の一言でピシャリと断られてしまった。
なので、ミナトはアオイとともに10班の部屋で、都庁の人々から差し入れられた弁当を頬張っている。
「ムラクモで能力開発受けたりドラゴンたちと戦うようになってから、すっごくお腹が減るようになっちゃった……」
「私も元から食べるほうですけど、都庁に来てからもっと食べるようになった気がします」
最近はいつでも空腹という感じで、食事のサイクルが朝・昼・夕・夜の四回になっているのだ。おまけにときどき間食も挟む。
はじめは太ってしまわないか、生活習慣病になってしまわないか不安だったが、ナツメたちムラクモの人間は口をそろえて「異能力を扱い戦うのだからあたりまえ」と言っていた。念には念を入れ、定期的に医務室で血圧や血糖値を計ってもらっているが、問題はない。普通の人間の手に余るような力を使ってドラゴンたちと戦闘を繰り広げているのだから、一般人と同じカロリーでは到底足りないのだとか。
ただ、前々から何度も思っていたことだが、自分の体が少しずつ「世間一般」の枠組みからずれていくというのは、不安を感じる。そこに善悪はなくても、周りと共通点があるというのは地に足をつけて息ができるのだ。
雨の音が部屋の外から聞こえてくる。薄暗い天候もあってか、気付けばため息がこぼれていた。
「ねえ、アオイちゃん」
「なんですか?」
「……もしさ、えーと……私たちが持ってるこの力、異能力を怖がられちゃったら、どうする?」
薮から棒だったのだろう。アオイは目をぱちくりとさせてこっちを見てくる。
「ごめん。急にこんなこと言われたって困るか。なんて言うんだろう……今はドラゴンがそこら中にあふれてるから、私たちみたいな異能力者が探し出されて、戦力として必要とされてるでしょ? でも、その必要がなくなったら、どうなるんだろうなーって……」
自分と違う存在を恐れるのは、生き物として当然の性。
共に戦線に立つ自衛隊。クエストオフィスに依頼を寄せる避難民。「一般人」の枠組みにある彼らは、自分たち異能力者を初めて目の前にしたとき、必ずとは言わずとも大方が戸惑いや驚き、そして警戒の色を浮かべていた。
日本は漫画やアニメ、ゲームなどのサブカルチャーで世界に名を馳せている部分がある国だ。紙面や画面の向こうにいる魅力的なキャラクターたちが、普通の生活を過ごしたり、人間にはあり得ない力を使って戦ったり。内容は多岐に渡るが、そんな世界は人々の心を惹き付けて止まない。
けれど、非現実を楽しめるのは、それがあくまで非現実であるからだ。どうしたって叶わない夢であるからだ。
人間は魔法や超能力は使えない。特にこの国では武器を手に取ることすら犯罪になりかねない。空は飛べないし助走なしの跳躍で建物の上には上がれないし、自分の身一つで化け物を吹っ飛ばせたりしない。硬い壁にひびが入るほど強く叩き付けられたら体は破裂するだろうし、血が1/3以上体外に流れれば高確率で死ぬ。
それらを覆す異能力者の存在。目立たないはずがない。
「突然現れて地球を侵略するドラゴンと、それに渡り合える力を持つ人間……。私たちは当事者だけどさ、すごく非現実的でしょ」
現実に現れた、ドラゴンという名の理不尽な非現実。そして、それを討伐する異能力者という非現実。
ありえないものが実在となり生きている。そのとき、現実で生きる人々はどう思うか。
「午前中、シキちゃんの質問で色々と思い出しちゃって。無性に不安になっちゃったの。異能力者が戦う必要がなくなったとき、私、普通に暮らせるのかなって」
世界が「元通り」になったとき、ドラゴンが消えて異能力者が残ったとき、自分は人々からどう見られるのだろう。
何度目かわからないため息が流れ出る。
「ごめんね、こんなどうしようもないこと言って。ただ一人で考え続けるとドツボにはまっちゃいそうで……誰かに聞いてほしかったんだ」
もう一度アオイに謝ると、彼女は「えーっと」と困ったように言った。
「す、すみません。私、そこまで考えてませんでした……」
「へ?」
「わ、私、ドラゴン退治が終わったら何食べようかなーとか、マモノやドラゴンは食べられないのかなーとか、そんなことばかり考えてました!」
手に握っていた箸が落ちてカチャンと音を立てる。
悪事を暴かれそうになり、それならば自分から白状してしまえ、とでもいうようにアオイは目を見開いた。
「前まではお腹いっぱいおいしい料理が食べられたのに、ドラゴンが来てからは常に食糧不足じゃないですか。フロワロがあちこちに咲いて、田んぼや畑や牧場とかみんなダメになっちゃっただろうし、だからそこをどうにかしないと! ……って」
「そ、そう、そっちか……」
「な、なんかすみません……。でも、そこまで心配しなくてもいいんじゃないですか?」
「え、どうして?」
「どうしてって」
アオイは実に不思議そうに首を傾げる。忘れたんですか、と尋ねられているようだ。
「センパイも、ガトウさんも、お話で聞いたナガレさんも、みなさんは誰かを守るために危険と戦ってきたんでしょう?」
「あー、前々からムラクモにいた人はそうみたいだね。私はドラゴンから身を守るためって感じだったから、そんなにたいしたものじゃないけど」
「えーとえーと、そういうことじゃなくて!」
駄々っ子が親に懸命に訴えるように、アオイは両手で握り拳を作ってぶんぶんと上下させる。
そして勢いよく上半身を前に倒し、手を力強くつかんできた。
「センパイ方は、私を助けてくれたじゃないですか!」
(あ)
目の前の女性と、記憶の中の友人の姿が重なる。
ずっと前、色々あって超能力を使ってしまったとき。おおらかな友人もそんなことを言っていた。悪用するわけじゃないなら気にする必要はないと。
「ドラゴンから私を助けてくれたセンパイ方、とってもかっこよかったです。何も問題ないと思います!」
「……」
「センパイっ」
綺麗な指が、池袋の時のように自分の冷えた指先を温かく包み込む。
「どうせなら、悪いことより良いことに期待しましょう! 嫌なことは気にしないで、こうなったらいいなーとか、良いことを信じましょうよ!」
――あんたのこの手は、「何かを為せる」。
同じように手を握ってくれたシキの言葉を思い出す。
嫌な話はもう終わり、と湿った空気を打ち払うようにアオイは笑って頷き、魔法瓶から紙コップに熱い紅茶を注いだ。
「私、ガトウさんが死んじゃった後……ナガレさんにお会いしたんです。すごく優しい人でした」
ナガレ夫人はアオイとも会っていたのか。自分たち13班と同じように、彼女はアオイに穏やかに微笑んで温かい言葉を贈ったのだろうか。
「苦笑いしてました。『ムラクモの精鋭さんはかわいい子ばかりになっちゃったわね』って」
「……ナガレさんらしいね」
湯気を立てる紅茶がなみなみ注がれたコップが寄せられる。ありがたく受け取り、ゆっくりと飲み込んだ。
温かい。喉を優しくなでられる感触も、鼻をくすぐるいい香りも、手に触れる紙コップの感触も、生きているからこそ感じられるものだ。
そんなあたりまえはとてもありがたくて、今はほとんど失われてしまっているもの。体の奥に染みていく熱さを享受できている自分は運がいいのだ、本当に。
「大丈夫ですよ、きっと。だからがんばりましょう、センパイ!」
「……うん、そうだね。ありがとう、私、アオイちゃんとシキちゃんがいてくれて本当によかったなぁ」
「こちらこそです! センパイたちがいてくれてよかった」
アオイの笑顔が温かい。自分たちがいるこの部屋だけ、先に梅雨が明けたように思えた。
へへへ、と笑い合う。彼女は相変わらず、真っ直ぐで眩しい。
長い間忘れていた気がする。友だちとお喋りをしているときはいつもこんな感じだった。
親しい人と他愛のない話をして、ときどき悩みを相談して、喧嘩をして。協力して宿題に取り組んだりして、少しずつ互いのことを理解していく。
なんてことはない普通の、だからとても尊い時間。まさかこんなにめちゃくちゃになってしまった世界で新しい友達ができるなんて考えてもいなかった。
シキも呼ぼう。一人より二人、二人より三人。親しい相手といっしょなら食事は倍美味しい。
「もしもし、シキちゃん? いっしょにご飯食べようよ。そろそろお腹へってきたでしょ?」
『夕食? 別にこっちはこっちで……まあいいけど』
通信機で誘い、物資が雑多に詰まれるフロアを無心で片付けていたシキが戻ってくる。
三人の夕食は四ツ谷攻略を祝う流れになり、弁当を食べた後はひたすらチョコバーを食らう会に変わった。お喋りをしながら腹を満たした後は、シキの指導によりスキルの勉強会に移る。
きりのいいところで寝支度を整え寝間着に着替えていると、ターミナルからミイナの声が流れた。
『コール、10班。……あれ、シキにミナトもいるんですか?』
「あ、ミイナちゃん。そうですよー、センパイたちとご飯食べてお勉強してたんです! 今度ミイナちゃんとミロクくんも一緒にご飯食べましょうよ!」
『え……ふぁ……んんっ……』
アオイの報告と突然の誘いに、画面に映るミイナの顔が戸惑うような表情を作る。
イエスかノーの返事の代わりに、控えめなあくびが少女の口からこぼれ出た。
『す、すみません……。最近、少し寝不足気味で……』
「寝不足? 忙しいの?」
ミナトの問いにミイナは目をこすりながら頭を横に振る。
いくら情報処理能力に優れているとはいえ、ナビは幼い子ども。睡眠はしっかりと取るようにキリノたちから言われているらしい。
『夜中に、研究室の階から物音が聞こえるんです。それで怖――いえ、寝付けなくて……』
「研究室? キリノあたりが何か作業してるんじゃないの?」
『そう、ですよね。もう、騒がしくなるなら、時間は選んでほしいです』
「寝る前にストレッチをすると熟睡できるっていうよ。試してみたら?」
『おい、13班。10班の部屋にいたんだな』
ミロクの声が加わり部屋の中がわいわいと賑やかになる。
ああ、楽しい。頭の中で学生服を着た思い出が陽気に跳ねる。修学旅行をしているみたいだ。この時間がずっと続けばいいのに。
まあ、限りのある時間だからこそ、次の機会を期待して待つという楽しみもあるわけで。そろそろ就寝時間だ。穏やかな眠気と、規則正しい生活を送るべしという使命を無視するわけにもいかない。
『オレたちもう寝るけど、おまえらも早く寝ろよ』
『そ、そうです。私もそれを言おうと……ちゃんと寝てくださいね』
「うん、おやすみ。……私たちも寝ようか。部屋に戻るね。おやすみ、アオイちゃん」
「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ターミナルの画面が暗くなる。ミナトとシキもアオイと挨拶を交わし、自分たち13班の部屋に戻る。
シキともおやすみと言葉を交わし、ミナトは十分に温まった体でベッドの中に潜り込んだ。
* * *
昔の記憶がない。
暗闇の中、今まで分析してきた自分の頭の中の空白を、そう結論付けた。
気付くきっかけとなったのはタケハヤの言葉だ。
『ドラゴンの存在なんか知らない、あいつらが現れるずっと前から、たんでおまえはムラクモにいた?』
ずっと前から、自分はムラクモにいた。それは知っている。親の顔は知らないが、生まれた頃からムラクモに所属していたということは、なぜか自信を持って断言できる。
けれど、思い出がない。具体的な記憶がないのだ。些細なことも思い出せない。
それに気付いて、自分なりに出自や生い立ちに関することを調べてみた。研究員たちにそれとなく昔話を振ってみたり、カマをかけてみたりと、できることは限られていたが。
自分は記憶喪失なのだろうか。
それに当てはめるには、失っている記憶の範囲が狭い。頭の中の空白は、幼少の頃だけだし。
もう一度、目を閉じて記憶を辿る作業に没入する。
中等部に通っていた記憶、ムラクモとコネがあるという中高一貫校を受験させられた記憶、ランドセルを背負っていた記憶……、
(……十歳よりも、前?)
そうだ、小学校に入学したときの記憶はある。
入学早々、乱暴者のガキ大将のような男子が髪を思い切り引っ張ってきたから殴り飛ばした。そのとき自分には既に戦う力があって手加減せずに拳を振るったので相手は軽傷では済まなかった。
後に聞いたところ、彼は気になる子にはちょっかいを出すタイプだったらしい。それを交えて教師に暴力はいけないとお説教をされ、先に手を出してきたのだから怒るならそっちだろうと言い返してさらにさわぎが大きくなった。
目の前で事なかれ主義を語り無理に仲直りさせようとする大人たちを心底バカバカしいと思ってにらみつけていた。そのときの苛立ちは、記憶とともにちゃんと刻まれている。
(六歳のとき? それより前は……)
大体の予測を立てる。
この世に生を受けてまだ両手の指を折らない時期。そのあたりで、通行止めされるように回想と思考が停止した。
さらに先に踏み込もうと集中すると、必ず頭痛に襲われる。
頭の働かせすぎかとも思ったがたぶん違う。むしろこの痛みが、秘密があることを知らせている気がした。
『――は、信じるな』
誰かの言葉が浮かぶ。
自分でそう考えたわけじゃない。約束事のように、真剣に説かれたのだ。あいつは信じてはいけないと。
けど、肝心の名前が思い出せない。
それだけじゃない。誰が言ったのか、なぜ言ったのか、すべての情報が曖昧だ。
あいつとは誰だ。おまえは誰だ。
私の頭の片隅にいるのは、一体誰だ。
(あの男は私がムラクモにいたことを知っていた。あいつは何かを隠してる)
SKYはただの不良グループじゃない。タケハヤ……おそらくダイゴとネコも、ムラクモとの因縁がある。
自分の昔の記憶がないことと、何か関係があるかもしれない。
あの男は言った。自分たち13班が、アイテルという者が探している存在なら、また会うことになると。
正直何を言っているのかさっぱりだったが、直感が告げていた。近いうち、SKYとはまた会うだろう。
首都高では情けない姿を見せてしまったが、もうあんな醜態はさらさない。
(待ってろ)
知っていることを洗いざらい吐き出させてやろう。会話で駄目なら、力づくで。
目を閉じる。自分でも驚くほど簡単に、不自然なほど強い眠気が意識を闇に誘った。
* * *
『帝竜「L」認識。「L」登録……DC解析率、100%』
「これで全てがそろった……さようなら、みんな」
これで3章は終わりです。次回から4章入ります。