2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!!   作:蒲焼丼

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いよいよウォークライさんが登場。ナナドラ恒例の負けイベントだ!




3.赤、紅、朱 - Encount ウォークライ -

 

 

 

 屋上に見える異形の影。つい先刻倒した大型の竜の別個体がいた。

 数は一体だけ。その一体に、屋上にいた合格者たちは綿毛のように蹴散らされ……蹂躙されていた。

 

 赤い、赤い色が一面に咲いている。屋内でも見た花だ。

 そしてそれとは別に、黒ずんだ赤が地面のあちこちにべったりと、屋上に漂う鉄臭さはそれから漂っているようで。これは、

 

 

「血、」

 

 

 すぐ横の壁でバツンと音が鳴る。

 大の字に叩きつけられた何かが破裂し、吹き出した液体で描かれた赤い花。叩きつけられたのが人間で、吹き出したのは鮮血だと気付くのにしばらくかかった。

 ゲームや漫画での場面なら大丈夫だ。紙面で霧吹きで吹いたように細かく飛び散るインクに、画面の中で弾けてはいつの間にか消えていく赤い光。

 けれど目の前にあるのは現実で、自分が生きている世界だ。嗅覚は鉄臭さを嗅ぎ取り、聴覚は嫌な音と悲鳴を拾い上げ、視覚は血肉のまだらの赤を忠実に捉える。

 

 屋上を染めているのは血肉の花。あちこちに転がる人間の体は、みんなそうして潰れ、引き裂かれ、花開いていた。

 

 

「──」

 

 

 脳を巡る血が動きを止める。手足の感覚が失せる。自重が迷子になって力が抜ける。

 時間が止まったような沈黙の中、口を血に濡らした竜がこちらを向いた。

 

 

「これだけ殺しておいてまだ足りないって、どんだけ腹減ってるんだか……あんた邪魔だから下がって」

 

 

 遠のく意識を引き戻したのは肩をつかむ小さな手。引きずられるまま壁際に寄せられて、今までとまったく雰囲気の変わらない少女が化け物を見据えて肩を回した。

 竜が吠える。空気を震わせる咆哮に臆することなく彼女は走り出した。

 さっきは教官のガトウとナガレがいたが、今二人はここにいない。候補生とはいえ、S級の能力持ちだと判断されムラクモに呼ばれた異能力者たちを殺した敵に、実質一対一だ。本来なら加勢すべきだろう。

 けれど、

 

 

(なんで)

 

 

 目の前で人が死んだのだ。少し前まで、都庁前広場で自分の左右に立っていた人間が、惨い死体になって転がっている。

 

 

(あっけない)

 

 

 長い尾が鞭のように薙ぎ払われる。シキは地面に伏せ、自分の頭上を掠める尾に下から跳びついた。

 振り落とそうと振り回される尾の先端にしがみつきつつ、少女は死んだ誰かが使っていたであろう刃物をつかみ取る。

 

 

(ついさっきまで生きてた)

 

 

「くらえ!!」

 

 

 尾の先端が塔のように天に向いた瞬間、シキが手を離して跳んだ。右手に剣を、左手には腿のホルダーから抜いたナイフを握り、空を仰いだマモノの両眼に突き立てる。屋上に耳障りな絶叫が響いた。

 

 現実が受け入れられない。

 こんなの、自分が知っている世界じゃない。

 

 少女が両目が潰れた相手に追い討ちをかけていく。竜の息の根が止まるまで、血生臭い空気の中座っていることしかできなかった。

 

 

「おい、無事か!?」

 

 

 竜が倒れるのと同時にドアが開け放たれた。駆け込んできたガトウたちが屋上の惨状に足を止める。

 息を切らして肩を上下させている、大急ぎで来てくれたのだろう……誰も助けられなかったけれど。

 

 

「犠牲者を出してしまったか……」

「……おまえらはよくやった。責任を感じることはねェぞ」

「別に」

 

 

 ガトウの言葉も、シキの素っ気ない返事も頭に入ってこない。

 血の臭いに視界が霞む。汗ばむ手で服の裾を握り締めていると、肩にガトウの拳が軽く当てられた。

 

 

「おい、大丈夫か?」

「あっ……だ、大丈夫、で、……──」

「無理すんな、血の気がねぇぞ、座ってろ。俺たちは、他にもそのデカブツがいないか確認してくる。おまえらはここで待機だ。あとで迎えを来させる……いいな? シキ、頼んだぞ」

 

 

 無言で頷いたシキに頷き返し、ガトウはナガレと共に踵を向けた。

 遠ざかっていく足音を聞き流しながら少しずつ我に返る。

 そういえば、結局動けないままシキに一人で戦わせてしまった。大きな怪我はしていないものの彼女の防具には傷が付き、セーラー服のところどころは小さく切れて汚れている。

 

 

「……ごめんね、一人で戦わせちゃって」

「別に。あんた腰抜けてたし。足引っ張ってくれなければいい」

「普通、なの? これ」

「何」

「人が、死ぬのって……普通……?」

「……丸腰の一般人ならどんなマモノ相手でも死ぬんじゃない。今回は素人だけど素質のある奴が集まって武器も持たされてた。それでも死んだなら、運が悪かったのよ」

 

 

 運が悪かった。……運が悪かった。これが?

 不慮の事故に巻き込まれたとか、奇病にかかったとも違う。化け物に襲われて食い散らかされることが。

 目の前に転がる人たちはどこから来たんだろう。朝、普通にパンを食べて、身内とあいさつを交わして都庁に赴いたんだろうか。こんなふうに殺されることは想像できていたんだろうか。

 この竜は、ついさっき自分たちが屋内で戦った個体と同種なのは間違いない。自分たちは四人で勝つことができたけど、ここにいた人たちは、もっと人数が多かったのに皆殺しにされた。もし、もし、シキといっしょにいなければ、都庁前広場で早々に誰かとチームを組んでいたら、自分もこうなっていたんだろうか。

 ダメだ、これ以上考えを巡らせたら気が狂いそうだ。鼻を覆い目を閉じて外の情報を拒絶する。

 

 

「……? っ──」

 

 

 何も言わずに佇んでいたシキが、不意に空を見上げる。

 そして大股で自分に歩み寄り、腕をつかんで引き寄せた。

 

 

「わ、な、何?」

「あれ」

「ん……?」

「何よ、あれ……」

 

 

 シキの眉間にぐっとしわが寄る。怒りや不満とは違う、焦りと疑問で歪んだ表情に見えた。その視線を追って空を見上げる。

 スマホの待受に表示される時間はまだ昼時なのに、空は色は相変わらず怪しい赤色だ。夕焼けのように燃えるそこにはたくさんの鳥の影が舞っていて──

 

 

「え」

 

 

 違う。鳥じゃない。

 

 影たちはじわりじわりとこちらに近付いている。瞬き一度ごとにシルエットが鮮明になり、大きすぎる翼が、いかつい口や体が、揺れる長い尾の形が見える。

 

 

「あれ、全部……」

 

 

 今度はシキが「嘘でしょ」と呟いた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……わかりました」

 

 

 ご苦労様ですとガトウたちを労ってキリノは通信を切る。

 バンの中で待機していたナツメがドアを開けて歩み寄ってきた。試験の経過への問いに、キリノは表情を曇らせて報告を始める。

 

 

「イレギュラーです。……多くの犠牲者が、出てしまいました」

 

 

 犠牲者、という言葉に心臓が跳ねる。

 彼らから離れた場所に立つ自衛隊員の堂島 凛は目を見開いた。

 

 犠牲者? いったい何を言っている。

 現状に対する理解の拒否ではない。マモノの危険性は十二分に理解しているとも。

 だからこそ、大量発生したそれを都庁内に閉じ込めるという作戦にはうなずけた。市街地で戦闘を行うよりも一般人を巻き込む危険性が減るから。なのに上からはその都庁を舞台にして、聞いたこともない組織の試験を行うなんてのたまう。おまけに自分たちに任せられたのは、スタッフよろしく受験者の誘導だ。

 彼らは近年稀に見られる超常の力を持つ人間だから、マモノ駆除にはうってつけ? そのほとんどが学生や社会経験の浅い若者でも大丈夫? 気でも触れたのか。世界指折りの治安の良さを持つこの国で、何のために自分たちが武器を持っていると思っている。

 もちろん待ったをかけた。自分だけでなく他の隊員たちも同様に。

 訓練を受けてすらいない人間を危険地帯に放り込むなんて、という真っ当な意見は……真っ当なはずの意見は、右から左へ流されて、今に至る。

 その結果が「多くの犠牲者」? ふざけるのも大概にしろ。

 

 

「気の毒なことをしたわ……でも、もう立ち止まっている時間はない」

 

 

 犠牲者の報告を受け止めたムラクモ機関の総長がありえないことを口にする。思わず踏み出しそうになった体を同僚に抑えられた。

 

 

「おい、やめとけ」

「ふざけるな! やめるのはこの馬鹿げた試験だろ!? 犠牲者が出たって聞いてないのか!」

「聞いたさ、聞いたよ。……上からは引き続き、従うようにって指示もあった」

「おかしいだろ! アタシたちは何のためにここに来てるんだ!?」

 

 

 自衛隊がいるこの場で、出してはいけない死者が出たことに堂島は歯を食い縛る。場の想いを代弁した言葉に、自衛隊員たちは一様にうつむくことしかできない。

 そんなやりとりに気付くこともなく、キリノとナツメ広場の中央では会話を続ける。

 

 

「……合格者は?」

「1チームだけのようです。シキと、シバさんの……」

「そう」

 

 

 緊急事態を告げる警報が鳴り響き思考を断ち切った。耳もとの通信機に本部からアナウンスが入る。

 

 

「……どうした!?」

『都庁上空に生体反応あり。高速で接近中!』

 

「まさか……!」

 

 

 上空、と聞いて一斉に空を見上げる。

 現場で異常を知らせたのは、銃を持ったまま後ずさった自衛隊員の声だった。

 

 

「な、何だありゃ……!?」

 

 

 都庁の上を、無数の翼を持った影が飛ぶ。

 その中でも一際大きく赤い体が、咆哮を轟かせて急降下してくる。

 開かれた顎に人の頭よりも大きい牙を確認した瞬間、その口腔から吐き出された剛火が広場の一部を吹き飛ばした。

 

 宙を舞う人間と車の破片。遅れて肌に叩きつけられる熱風。全員が呆然としてから事態を悟り、未知の怪物に絶叫する。その特徴が都庁内と屋上で確認された巨大なマモノと合致することに気付いたのは、広場がパニックになってからだった。

 

 大きな翼に長い尾。巨体と鋭利な牙。威圧感に恐怖すら麻痺してナツメは立ち尽くす。

 わかっていることは一つ。この数の、この化け物を相手にするのは命を捨てることに他ならないということ。

 

 

「撤収します! 都庁内の合格者にも、帰還するよう命令を!」

 

 

 ナツメが指示を出す。シキとミナトの無事を祈りながら、キリノは通信機を都庁内の全体放送に切り替えた。

 

 

「緊急事態発生、全ての生存者は都庁内から帰還せよ! 繰り返す! ただちに、都庁内から──」

 

 

 一方、都庁屋上にて。

 

 

『緊急事態発生、都庁内から帰還せよ! 繰り返す!』

 

 

 キリノの声が響く。言われなくたってとんでもない状況だというのはわかる。

 事態の詳細は把握できないが、上空を滑空していくマモノの大群を見れば、試験どころでないのはあきらかだ。

 

 

「なにこれ……!? ねえ、どうすればいいの!?」

「こんな数、いくらなんでも捌けるわけない。キリノに従って一旦ここから、っ!?」

「わっ……!?」

 

 

 強風が背中を叩く。危うく態勢を崩しそうになって踏み止まるが、続いて起きた大きな揺れに膝を着いてしまう。

 地の底から湧き上がるような唸りが体に突き刺さる。荒れる呼吸を抑えて振り向けば、赤い巨体の怪物が両眼を血走らせてこっちを見ていた。

 

 

「何、こいつ……!?」

「マモノ……じゃ、ない」

 

 

 この試験の中で自分が知ったマモノとは違う。

 規格外だ。体の大きさだけではない。存在感も、威圧感も、目の前の獲物を喰らおうという気概も、何もかもが根本的に。

 動物じゃない。獣じゃない。マモノでもない。屋内で戦った竜と姿が似ていて、けれどそれがかわいかったとすら思えるこいつは、

 

 

「──ドラゴン」

 

 

 今度こそ確信する。

 この化け物は、マモノと一括りにしていい存在ではない。

 

 

『……聞こえ……か? ただちに……撤退……! 繰り返……ただ……に撤退を…………』

 

 

 ブツンッ、と通信が切れた。次いで体が重くなるような錯覚に襲われる。

 ダメだ、少しでも動けば真っ先に狙われる。狙われて、噛み砕かれるのを通り越して怪物の胃袋の中に落ちるだろう。

 微動だにできない。横で同じように硬直していたシキが、屋上全体を押さえつける威圧感から抜け出し、一歩前に踏み出した。

 

 

「……いい? 私がこいつの相手するから、あんたはできるだけ速く、全力で逃げて」

「え、何、何を……無理だよこんなの相手に!」

「死にたくないならあんたがまず先に逃げて。じゃないと私が退けない!」

 

 

 実力のある自分が囮になって、それから逃げるのが二人ともに生存率が高い方法だと断言される。

「行け! 早く!」と怒鳴りつけ、勇敢か無謀か、シキは赤いドラゴンに向かって走り出した。

 

 

(そんな……!)

 

 

 ダメだと本能が告げていた。

 いくら彼女でも、あのドラゴン相手は危険すぎる。食物連鎖の頂点にあぐらを描いて平和ボケして、戦闘の経験なんてなかった自分でもわかる。勝てるはずがない。

 

 赤くて巨大な鼻面に拳が飛ぶ。

 少女の拳に装備されたナックルは真正面からドラゴンの顔面を捉え……鈍い音をたてて弾き返された。

 

 

「な、」

 

 

 ドラゴンが天に向かって吠え、空ごと喰らう勢いで息を吸い込んだ。

 口から赤い炎が漏れ出るのを見て、過程を飛ばし、事実のみが頭に突きつけられる。

 

 このままだと、死ぬ。死体も残らず全てが消える。

 

 足の裏が地面からはがれた。

 

 

(に、逃げ、逃げなきゃ)

 

 

 そうだ、もう何かを考えている場合ではない。死ねばおしまいだ。

 一刻も早くここから……。

 

 一歩、二歩。

 扉に手を伸ばして──、

 

 

「……っ!!」

 

 

 反転し、よろめくシキのもとに向かう。

 

 ドラゴンが顔を下ろし、大きく開いた口をこちらに向けた。ぞろりと並ぶ牙に走った悪寒は、押し寄せる熱気に消し飛ばされる。

 熱さが皮膚を襲う。髪の先が焼ける。それでも走った。棒のように固まり、力が入らない足で地面を蹴って、少女の背中に縋る。

 シキが驚いた顔で振り向く。

 なんで、と彼女の口が動くのと同時に、ドラゴンが火球を吐き出した。

 

 

 屋内に咲いていた花を思い出した。白、オレンジ、赤の暖色のグラデーション。

 目に焼きつく浮世離れした不気味さと、畏怖を覚える妖しさ。

 それと同じ色をした炎が目前に迫る。

 

 

(やばい)

 

 

 やばい、やばい、やばい。

 死──

 

 

 

 

 

(──に、たく、ない)

 

 

 両手を前にかざす。

 手のひらからドラゴンのものとは別の、この試験の中で散々使ってきた自分の火が溢れ出す。

 目の前が真っ白に染まる。

 

 

「   」

 

 

 目が焼ける。

 熱が全身を包んで、全ての感覚が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「チッ……! 数が多すぎるぜ、こりゃ!」

「ナツメさん、早く! これ以上はもちません!」

 

 

 迫りくる竜をガトウが斬り伏せる。

 辛うじて包囲されていない広場で、キリノはムラクモ機関の総長に車に乗るよう叫んだ。

 しかしナツメは動かない。汗を流しつつも悠然とした佇まいは崩さず、都庁を見上げる。

 

 

「……まだ合格になった子が、シキとシバさんが戻ってきてないんでしょう?」

「しかし、このままでは……!」

「もう少し……あと五分だけ、待たせて」

「その点についちゃ、俺も賛成だ! ここであいつら見殺しにしたんじゃ、何のために審査やったかもわからねぇ!」

 

 

 ナガレとともにガトウは絶えず剣を振るう。

 

 まだまだ小さな子どもだが、シキの負けず嫌いは折り紙つき。ガトウ含めムラクモ全員がさじを投げるほどだ。

 一緒に行動していたシバという女性は戦闘に向いているとは思えないが、まったくダメというわけでもないだろう。屋上の候補者たちを殺戮したものと同じ竜を相手に、自分たちの補助があったとはいえ戦い抜いたのはたしかだ。

 息が合うかはともかく、ハードな選抜試験を潜り抜けた二人だ。戻ってくる方に金でも命でも賭けてやる。

 

 空で大きな爆発音が轟いた。遅れて焼けこげた瓦礫が降ってきて、風が髪をばらばらに乱れさせる。

 全員が顔を上げる。赤い空を背景にそびえ立つ都庁の屋上が、轟々と燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「いや~、やっと着いた……エレベーター使えなくなってんだもんな~」

「運動不足のおまえには丁度いい」

「……それ、遠回しにデブって言ってない?」

 

 

 痛い。

 

 頭に誰かの声がガンガン響く。

 

 痛い。体中が痛い。痛くない場所がわからない。

 

 

「そんなことより、見ろ……」

「うーわ、でっか。アレが『ドラゴン』ってやつ……?」

「だろうな。タケハヤの言った通りだ」

 

 

 うるさい。喋らないで。

 

 肌に吹きつける風も、誰かの声も、全てが体を痛める刺激に変わる。

 意識が朦朧とする中、なんとか目蓋を持ち上げる。

 目の前には相変わらず赤く不気味な空が広がっていて、仰向けに倒れる自分の上に、何かが乗っていた。

 

 何が起こった。どうして自分は倒れている。

 たしか、巨大な竜型のマモノと戦って、突っ込んでみたが火を吹かれて……それで。

 曖昧な記憶が正しければ、相手が吹いたのはただ倒れる程度の火ではなかったはずだ。生き物だろうが無機物だろうが、全て等しく灰にするような火炎。

 至近距離で、しかも真正面からもろにくらったというのに、五体満足で生きていられるなんて……。

 痛みを堪えて体を起こす。

 自分の上に乗っていたものが、ごろりと横に転がった。

 

 

「……あんた……」

 

 

 ほとんど焦げた冬物の上着。つい先ほどまで一緒に試験を受けていた女だ。

 

 そこでようやく思い出した。自分が突っ込んで火に焼かれそうになった瞬間、こいつに引き寄せられた。そして彼女は何を思ったのか両手をかざし、今まで見た中でも大きな炎を派手に吹き出したのだ。

 それでも相手の火力にはてんで敵わず、二人まとめて吹き飛ばされてしまったわけだが。

 

 たしか彼女の名前は……、

 

 

「……! 背中!!」

 

 

 うつ伏せに転がる彼女は背中が焼け焦げていた。後ろに突き飛ばされた自分は比較的軽傷だが、目の前で火に覆われた彼女の火傷はまずい。箇所によっては炭化しているようにさえ見える。痕が残る程度の問題じゃない。

 

 まともに動かない四肢を引きずって傍に寄る。口に当てた手に、今にも消えそうではあるが、小さい吐息が吹いた。

 

 

(まだ生きてる……!)

 

 

 ポケットに手を突っ込む。ひびが入っているが中身は漏れ出していない治療薬を取り出し、蓋を開ける時間も惜しくて握りつぶして背中に振りかけた。ダメだ、応急処置にもならない。

 

 不意に生温かい息が顔にかかる。

 

 目の前に堂々と立つ竜が、何を考えているかわからない目で自分たちを見下ろしている。

 その余裕な顔に拳をねじ込んでやりたい。しかし今は怒る気力も体力も全部焼かれた。思考は痛みでとっ散らかり、どうすれば逃げられるかもわからない。

 諦めるな。死んでたまるか。自分も彼女も、まだ生きている。生きているならどうにかできる可能性は必ずある。

 

 隣で彼女が死にかけているのは、焦って突っ込んだ自分の責任だ。

 何としてでも、いざとなったら屋上から飛び降りてでも脱出して、まともな治療ができる場所まで避難しなければ。

 そんな意気も虚しく膝が崩れる。現実を突きつけられるようにかすみはじめた意識の中で誰かの視線が飛んでくる。

 

 

「ん~? アレ、生きてるよね?」

「みたいだな」

「ど~する? 助けるギリもないけど」

「目の前で死なれるのは寝覚めが悪い……ネコ、援護しろ」

「はいはい……ダイゴならそう言うと思ったけどさ~」

 

 

 足音が近付いてくる。

 丸太のような太い足、滑らかな線の足が、項垂れる視界の端にわずかに入り込んだ。

 

 

「でも知らないよ? 余計なことして、後でタケハヤに怒られても」

「……おまえが黙っていれば済む話だ」

 

 

 巨大な化け物を前に軽口を叩き合う二つの人影が臨戦態勢を取る。

 大きな力が弾けて竜に向かうのを見て、再び意識が落ちた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 同刻、アメリカ、ホワイトハウス。

 

 

「わかった……そのまま警戒を続けてくれ」

『──了解』

 

「……何か、問題が?」

「南アフリカにも、やつらが現れたそうだ。EU、中国、日本……恐らくロシアもだろうな。これで五件目──いや、我が国を入れて六件目か」

 

 

 マホガニーの机から椅子へ体重を移して首を振る。

 エイプリールフールにはまだ一日早いというのに、せっかちな悪夢はひと足先にやってきた。「異形の怪物が現れた」という知らせは世界中から続々と飛び込んでくる。

 部屋の外では官僚たちが怒声を飛ばしあって各所に指示を伝えていた。対照的に目の前の女性は足をそろえて目を細める、というだけの最低限のリアクションを見せる。

 

 

「……被害状況は?」

「他の国については、どうだろうな……情報がほとんど入ってこないのでね。しかし、まあ……まともに戦えるのは我々だけだろう」

 

 

 決して外の国を馬鹿にしているわけではない。世界中に出現しているであろう未知の敵に対し、世界各国の中でもこちらには情報のアドバンテージがあるというだけだ。

 まったく、予見通りというわけである。アメリカ合衆国大統領は目の前に立つ女性に苦笑いを浮かべた。

 

 

「君を今の地位に引き上げたのは、正解だった」

「全ては、閣下が私の言葉を信じて下さったからかと」

「正直なところ……全てを信じていたわけではないよ。ただ、私は君の持つ知識と技術が必要だった……それだけの話でね。まあ、こうしてドラゴンが現れた以上、今は君の言葉を、誰よりも信じているが……」

「奴らは強大な相手です。これでも、勝てるかどうかは……」

「我々は、やれることをやるだけさ。引き続き前線の指揮は頼むよ、」

 

 

 エメル、と名を呼ばれ、彼女は力強くうなずく。

 

 

「心得ています、閣下……」

 

 

 エメルは大きく一礼をし、大統領に踵を向ける。

 勝ってみせる。今度こそ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 どのくらい時間が経ったのか。五分をとうに越えていたのはたしかだ。

 広場にいる竜をほとんど倒し、悲鳴を上げる体に鞭を打ってガトウが滴る汗をぬぐったところで、都庁入り口のドアが開く。

 シキたちが戻ってきたかと振り向いた一同の目に映ったのは二人の男女で、ナツメはわずかに眉を寄せた。

 

 

「生き残りはこいつらで最後だ……さっさとここから離脱しろ」

 

 

 筋骨隆々の大柄な男が、脇に抱えていた少女と女性を地面に下ろす。待ちわびていたシキとミナトの二人だ。全身がひどく黒ずんでいるけれど。

 

 

「……まさか、あなたたちがムラクモの人間を助けるとはね……」

「タケハヤからの伝言だ」

 

 

 ナツメの言葉には反応せず、男は淡々と言葉を吐いた。

 

 

「『こっちはこっちで好きにやる。手を出してくるんじゃねえぞ、バァさん』」

「……」

「にゃはははは! 怒るとシワが増えるよ~!」

「じゃあな」

 

 

 自分たちが運んだ負傷者に一瞥もくれず、二人組は終わったとばかりにどこかへ去っていく。

 その背から倒れ伏すシキとミナトに視線を移し、二人の傷に顔色を変えたナツメはキリノたちを振り向いた。

 

 

「彼女たちを収容して! すぐに撤収します、急いで!」

 

 

 彼女たちまで失うわけにはいかない。薬をあるだけかき集め、慎重かつ素早く二人が運び込んでバンは走り出す。

 わだちを刻みながら脱出する車体を追って、都庁には赤い花が波のように咲き乱れた。

 

 勝利を宣言するように、世界を壊す咆哮が響く。

 

 桜が枯れ果て赤い毒花が咲く。空が暗雲と異常な暖色と、竜たちの影に覆われていく。

 

 最小の一を裏返せば最大の六になる賽のように、世界は反転した。

 

 

 

SEVENTH DRAGON 2020

 

 

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