2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!!   作:蒲焼丼

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ミナトの奥義習得(?)の話。ラスボス前の息抜き会。あとがきに捕捉のような説明のようなものもあり。



35.黒くてモヤモヤして赤い目のアイツ

 

 

 ──目覚めよ──

 

 

「……ん……?」

 

 

 呼びかけられて目を開ける。けれど視界は真っ暗だった。

 なんだ、まだ夜か。

 目覚ましも鳴っていないし、早く二度寝しよう。

 

 

 ──目覚めよ──

 

「ふわ……。……? 布団が……」

 

 ──目覚めよ──

 

「あ、れ? 布団がない……あれ、ベッドは?」

 

 ──そうだ、ようやく起き…… ──

 

「まあいいや。早く寝ないと睡眠時間が……」

 

 ──寝るな──

 

 

「もう、さっきからだぁれ? シキちゃん?」

 

 

 目覚めよ目覚めよと、さっきから仰々しい口調で安眠妨害してくるのは誰だ。

 このままじゃ眠れないから、目を開けて身を起こす。そこでようやく異変に気付いた。

 

 

「……ここどこ?」

 

 

 さっきと同じように周囲は真っ暗だった。

 これは夜の暗さじゃない。夜なら少し時間が経てば目が暗闇に慣れてくるのに、世界はいつまでも真っ黒のまま。何の輪郭も見えなければ、仕切りを超えてすぐそこで眠るシキの気配もない。

 体を潜らせていたはずのベッドは消え、自分は床に転がって……いや、この場合床と言っていいのだろうか。

 冷たくもなければ温かくもない。布よりしっかりしているが、眠れないほど硬くもない地面をぺちぺち叩く。

 

 文字通りの闇の中に、ミナトは一人座っていた。

 

 

 ──そうだ、ようやく目覚めたな──

 

 

 変な声が聞こえる。高音、低音、はりもしゃがれも含む声。老若男女をまぜこぜにしたような混乱する響きに眉をひそめる。

 何が起きているのだろうと、覚醒しきらない頭をのろのろと回す。

 時はおそらく真夜中。眠っていた自分は、体を横たえたはずの自室ではない見知らぬ場所に体一つで放り出されている。

 この突飛な状況を説明できるのは……。

 

 

「あ……ああ、夢かぁ」

 

 ──夢ではない──

 

「いつもどうやって目を覚ましてたっけ。たしかぐっと目を閉じて……覚めろ! ……あれ、覚めない? 嫌な夢からはいつもこれで覚めてたのに」

 

 ──いやだから──

 

「覚めろ、覚めろ覚めろ~……あ、これジ○リの千○みたい」

 

 ──話を聞けぇ!──

 

「うわっうるさ……!」

 

 

 やけくそになったような声が響いて頭が揺さぶられる。

 耳をふさいで周りを見回すと、フンッと鼻を鳴らすような音が聞こえた。

 

 

 ──ようやく覚醒したか、小娘──

 

「……私?」

 

 ──汝以外に誰がいるというのだ──

 

「だって、小娘って歳じゃない……」

 

 ──我からすればどいつもこいつも小娘よ──

 

「でも、小娘って一般的には十代半ばの若い女の子だって辞書にあったし」

 

 ──どうでもいいわ──

 

 

 言葉通り、心底どうでもよさそうな言葉が返ってきた。しつこく呼びかけ人の休眠を妨げながらなんだその態度はと思ったが、怒りは眠気によって消沈していく。

 夢じゃなければ何だというのだろう。一瞬、以前ナツメがしたように催眠にあてられさらわれたのかとも思ったが、ドラゴンやマモノの姿もない。

 顔をこすって目やにを取りながら、とりあえずへんてこりんな声の主に質問してみる。

 

 

「えーっと……どちら様ですか? あと夢じゃないって?」

 

 ──言葉通りの意味よ。これは夢ではない。汝の意思に直接語りかけている──

 

(こいつ、直接脳内に……! ってやつかな)

 

 ──それも聞こえているぞ──

 

「わ、嘘」

 

 

 なんだなんだ、いったい何が起きている。一切事態が分からない。何も把握できなければ何も対応のしようがない。

 思わず怖いなとこぼすと、何も見えないのにすぐ傍で誰かがにたぁっと笑った気がした。

 

 

 ──そうだ、そうだとも。怖かろう。恐ろしかろう。さあ、そのままひれ伏し、我に汝の魂を寄越せ──

 

「えっ、それはちょっと」

 

 ──えっ──

 

「えっ?」

 

 ──……もう一度言ってやろう。我に汝の魂を寄越すのだ──

 

「え、嫌です」

 

 ──え──

 

「え」

 

 ──……え……──

 

 

 しーん、という文字が見えそうなくらいの沈黙に包まれる。

 自分を包む闇が、もどかしそうに蠢いた気がした。

 

 

「……あの、『え』がゲシュタルト崩壊してきたんですけど……」

 

 ──汝が魂を渡せばいい話だ──

 

「それは嫌なんですけど……」

 

 ──ええ……──

 

 

 なんだろう。筋道を立てて話ができない幼児を相手にしているような気分だ。

 幼児というか、今話している相手は自分を小娘呼ばわりしていたしたぶん大人だと思うけれど、なんというか常識が通用しない。同じ言葉を話せているのに、見当違いの反応をするものだから互いの意思が噛み合わない。相手からしても同じような状況なのだろうが。

 まるで次元が一つも二つも違う生き物のような……。

 

 そう、人間を相手にしている気がしない。

 

 もう一度、答えてもらえていない問を投げかける。

 

 

「あの、あなたはいったい誰ですか?」

 

 ──……ただの贄に教える日が来ようとは……致し方あるまい。このままでは魂を食らえそうにないしな──

 

(あげるつもりはないんだけどな)

 

 

 ──我は邪神。邪神インヴェイジョン──

 

 

「じゃぁ……?」

 

 

 体育座りで待っていたところに答えが返ってきて、素っ頓狂な声を出してしまう。

 反応が気に入ったのか、インヴェイジョンと名乗った邪神はクックックッと不気味に笑った。

 

 

 ──そう、我は邪神。汝と契約し、その魂を贄に今宵、力を増す者よ──

 

「あの……何度も言いますけど、魂をあげる気はないんですが」

 

 ──何?──

 

 

 ざわり、と何かが動いた。

 世界は相変わらず真っ暗だが、暗闇に目が慣れるように第六感が冴え渡ってくる。

 間違いない。暗闇に溶けて何かがいる。おそらくは、今自分が話している、邪神インヴェイジョン。

 ……邪神という割に、あまり威厳がないように思えるのは気のせいか。

 

 邪神は解せぬと呟いた。

 

 

 ──なぜ、贄になることを拒む──

 

「贄って生け贄のことですよね。魂を渡すって、死ぬってことでしょう? それは嫌なので」

 

 ──我の供物になる名誉を拒むと?──

 

「はい。死ぬの怖いので」

 

 

 こっちの常識が通用しないことはだいたいわかっているので、辛抱強くこんこんと説得する。

 すると一応は納得してくれたようで、邪神はふーむと考えるように息を吐いた。

 

 

 ──しかし、汝は我を自ら手に入れた。我を求めていたということだろう──

 

「手に入れた?」

 

 

 私欲で人竜になったどこぞの女でもあるまいし、邪神を手に入れるなんてRPGのボスばりの行動を起こしたことはないのだが。何をどうしたらそうなるのか。まったく覚えがない。

 しきりに首を捻っていると、目の前が揺らいで、

 

 ぎょろり、と赤い目が開眼した。

 

 

「ひっ!?」

 

 ──本来ならばこうして言の葉を交わすことさえ許されぬものを。姿を見せてやるのだ、感謝しろ──

 

 

 ぎょろり、ぎょろり。

 

 黒い空間に現れたのは、鮮血のような色。上下左右前後全てを塞いでドームのように自分を囲む。

 目の前に無数の赤い目が開き、全てが一斉に自分を見つめた。

 

 

 ──小娘、これが我の姿だ。見覚えがあるだろう──

 

「み、見覚えって……、……え、あれ……? あ!?」

 

 

 明確な輪郭のない闇に無数の目。古くない、新しい記憶が揺り起こされる。

 先日、目の前の邪神と非常に似た物を目にした。いや、手にした。

 意地悪な女性に高値で売りつけられたあれだ。忘れようのない、摩訶不思議というか動物に威嚇されそうというか、視界に入れたが最後末代まで絡みついてきそうな、抽象的な形の。

 

 

「フリーマーケットで買った彫像……!」

 

 ──そう、汝が別の女から受け取ったあの像よ。あれが我の神体とも知らずに、愚かな小娘め──

 

 

 そんな、半信半疑どころか九割九部疑いで買ったあの意味不明で不気味な彫像にこんな奴が宿っていたなんて。

 ……と、いうことは。

 

 

「マサキさんが言ってた謂れのある品って……ほ、本当だったんだ……!?」

 

 ──我は今まで悠久の時をさまよい、探し続けていたのだ。汝のような力を持つ者を……。汝を、その魂を食らえば、我は邪神として真の姿を得られよう──

 

「だ、だから魂は嫌だって──」

 

 ──まだ言うか!──

 

「わ……!」

 

 

 突然強風が吹いて髪が暴れる。

 積乱雲のように闇は膨れ上がり、三六〇度自分を囲む目玉たちが視線の矢を放ってきた。

 

 

 ──贄が我に指図するとはいい度胸よ。もういい。言の葉なぞ聞かぬ。一息に食ろうてやるわ──

 

「……」

 

 ──はは、情けない顔だ。やはり小娘よ。さあ泣け、喚け。命乞いをしろ。その絶望とともに汝の力は余すことなく我の血肉になろう。はは、あはははははははははは──

 

 

 帝竜を倒し、人竜ミヅチに追いつくまで、あと少しなのに。

 こんなところで、また意味不明な存在に理不尽な目に遭わされるなんて。

 

 ……冗談じゃない。

 

 

「……戦うしかないかな」

 

 

 バチン、と静電気で髪が弾ける。

 次いで右手の指先に火が灯り、左手に霜が降りた。

 

 闇と目玉がニタニタ嗤う。籠の中で壁に縋るネズミを見るような、箱庭を作って遊ぶ者の目。

 ところがどっこい、こちとら飼い主に餌を与えられなければ死んでしまうペットじゃないのだ。

 

 

 ──ふん、あくまで抗う気か……──

 

「先手必勝、失礼します!」

 

 ──え──

 

 

 窮鼠猫を噛む。牙なら自分だって持っている。

 両手を振って力を解放すれば、邪神はいとも簡単に消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 弱い。弱すぎる。

 

 どこぞのラスボスでもないけれど、思わずそんな台詞を言いそうになってしまった。

 

 

「……あのー……」

 

 

 プスプスと煙を上げる黒い物体を見下ろす。つい数秒前まで自分を覆い尽くそうとしていた闇、自称邪神だ。

 先制攻撃であっけなく大部分が霧散した邪神インヴェイジョン。今では大きさ数十センチの溶けかけスライムのように縮んでいて、心なしか複数の赤目が潤んでいるように見える。

 呼びかけても応答がない。氷で棒を作ってつついてみると、「ヌギュウッ!」と変なうめき声を出した。

 

 

「大丈夫ですか? 生きてます?」

『……く』

「く?」

『く、く、くくくくく……これ、これよ! この力こそ、まさに我が求めていたもの! これさえ手に入れれば、世の全てを支配するという我の悲願にも容易く至れよう! さあ贄よ、その力も魂も、全て我に捧げ──』

「だから、無理ですってば」

 

 

 うごうごと怪しく膨らみ始めたスライムを氷で拘束する。「ピギッ!?」と悲鳴を上げ、インヴェイジョンはまた涙目になった。

 そこらへんのマモノ、それこそスライムなみに弱い。いや普通の人間ならマモノからはダッシュで逃げなければいけないのだが、自分は異能力者として訓練を積んできたので、その基準が一般人から離れてしまった。

 ともあれ弱い。けれど彼、または彼女から放たれるオーラはとんでもなく禍々しいのだ。巨大な雲から両腕に収まるもやに縮んでしまっても変わっていない。背筋を不快さが張って回るような、ひどい寒気が止まらない。ドラゴンを前にしたときとはまた別の恐ろしさを本能がキャッチしている。

 

 

「あの、本当に……じゃ、邪神? なんですか……」

『あたりまえだぁっ!』

 

 

 半信半疑で尋ねると、氷の中の黒スライムは懸命に身をよじった。

 

 

『我は侵略者。深淵より世を覗き、いずれ手中に収める者。終末を告げる邪神、インヴェイジョンなるぞ!』

「週末……? あ、そういえば今日金曜日だ」

『おおおおおのれ馬鹿にしよってー!!』

 

 

 黒い体を激しく波立たせるも、やっぱり氷から抜け出せない。

 ひとしきり暴れ、疲れたのか邪神はおとなしくなり、フンッと鼻を鳴らした。鼻はないがそういう風に見えた。

 

 

『まあいい。貴様のような女がすぐに畏れを抱けないのも無理はない。我は生を受けたばかりの神であるからな。突然神威が顕現すれば、反応が遅れるというのも道理よ』

「え、生まれたばかり?」

『うむ』

「えーと、ちなみにいつ……?」

『厳密に言えば、我の像が作られたときからだがな。像が流れに流れ世を巡り、貴様の手に渡った瞬間だ。貴様の持つ力にあてられ我は覚醒した。そして貴様に干渉したというわけだ。とはいえ、今の我には力がない。貴様が弱り眠るのを見計らい、意識をここに引きずり込めるまでしばらく待ったがな』

「つまりこの空間は……」

 

 

 おそらく自分の夢……頭の中だろう。もしくは夢のような空間が作られて、そこに意識が閉じこめられている。

 現時点の邪神は生まれたての超マイナーゴッドで、自分が起きている間は何もできないみたいだ。だから帝竜との戦いで心身が疲弊し、完全に無防備になる就寝時を狙っていたと。

 肉体に直接的被害は与えられていない。けれど精神に干渉されている今の状況、自分はちゃんと目覚められるのだろうか? 帝竜を狩り尽くし、もうすぐ最後の脅威であるミヅチとの決戦なのに。邪神に解放されない限りこのままなんていうのはごめんだ。

 

 

(……とりあえず倒せばいいのかな)

 

 

 自分は寝ているのだと改めて自覚した瞬間眠くなってきた。考える力が鈍って、あくびと一緒に流れ出ていく。

 とりあえず燃やす → 邪神蒸発 → 術が解けて問題解決。これかなぁと適当に考えた。あれだけ苦手だった炎の扱いも今は慣れたものである。

 ライター感覚で指先に火を灯すと、邪神の体に浮かぶ目玉が見開かれた。

 

 

『ん、ま、待て! 貴様いったい何をする気だっ』

「何って、あなたを倒さないと解決しなさそうなので」

『んぬぐおおお!? おのれ、その気なら我にも考えがあるぞ! いでよ!』

「え?」

 

 

 邪神は体の一部をうにょーんと伸ばす。宙に伸びた一本線は先端を五つに分岐させた。人間の腕がかざされたような形だ。

 すると腕の先、どこまで見渡しても黒い空間の一部が渦を巻いた。

 え、と呟くのと同時に渦の中に影が浮かび、

 は、とこぼすのと同時に影は人の形になり、

 ちょ、と言うのと同時に人はこちら側に放り出される。

 

 艶のある黒髪がなびくのを見て、その人が地面に接触する前に体を受け止めた。

 

 

「嘘、シキちゃん! なんで!?」

「……ん……?」

 

 

 腕の中でシキが身じろぐ。伏せられていたまぶたが持ち上げられ、パートナーはゆっくりと体を起こした。

 

 

「……? 何これ?」

 

『ハーーーッハッハッハ!!!』

 

 

 不愉快な哄笑が響きわたった。

 振り返る──よりも先に、黒い塊が視界をよぎる。

 いつの間にか氷を抜け出した邪神インヴェイジョンが、シキの顔に絡みついた。

 

 

「むぐっ!?」

「シキちゃん!?」

『ハハハハハハ! 貴様がこの小娘に入れ込んでいることは知っている。貴様が我を拒むのであればまずはこいつを利用して……諸共に我が手中に収めるだけよ! さあ小娘、我を受け入れよ! さすれば世を手に入れる計画の礎として──』

 

「ゔ…………──ん゙っ!!!」

 

 

 バンッ、と空気が破裂するような音が響く。

 勢いと肺活量、上半身のしなりで口から邪神を剥がしたシキは、間髪入れず右フックを繰り出した。

 

 

「死ねっ!!!」

『ギュブグンッ!!』

 

 

 わざとかとツッコみたくなるほど奇妙な声が上がった。

 何度も何度もバウンドし、体の一部をあちこちへまき散らし、某映画の化生を彷彿とさせる黒スライムはずっと向こうに転がっていく。

 シキは完全に目を覚ましたようで、「何なのよくそっ」目と口をこすっている。両手を使う仕草が猫が顔を洗っているようでかわいい……というのは、自分もぶっ飛ばされてしまうかもだから言わないでおこう。

 

 

「えーと……シキちゃん?」

「あ? ……あ、ミナト。あんた、ここ何? 何が起きてんの?」

「あー……たぶん、私の夢? の中で」

「は?」

「聞いて聞いて。あのね、今シキちゃんが殴り飛ばしたのが、生まれたばかりの邪神さんで」

「……」

 

 

 ああ、眉間のしわが「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ」と語っている。きちんと体調管理をしている彼女からしたら、しっかり睡眠をとっておきたいときにこんな夢を見るなんてごめんだろう。

 ものすごく不機嫌な少女をなんとか宥めて、かくかくしかじかと説明する。

 就寝時そのままの肌着姿で、シキは眠そうにあぐらをかいた。

 

 

「あんた、なんでそんな像買ったのよ。バカなの?」

「だから言ったじゃん、マサキさんが言ってた曰く付きの物がまさにそれだったんだって」

「ふーん。で、どうすんのよ」

「え? 何が?」

「何がって、目的忘れてんじゃないわよ。サイキックの大技習得するんでしょ? なら、あの液体だか気体だかよくわかんない奴は無関係じゃない。飼い慣らすか消して力を奪い取るか、どうにかするしかないじゃない」

「……そういえばそうだ……え、どうしよう……」

「知らないわよ。ていうかなんで私は巻き込まれてんのよ」

 

『……ク、クックッ、ク』

 

 

 インヴェイジョンが海中のイカのように波打って戻ってくる。デストロイヤーの拳にまき散らされた体の端々を回収して、地道に元の大きさを取り戻し、赤い目をぐりぐりと回転させた。

 

 

『ようやっと気付いたか。小娘、おまえが欲する力は我が持つ深淵の闇だ。ならば貴様は我に呑み込まれるしか選ぶ道がなかろうが』

「呑み込まれるのは嫌です……」

 

 

 体や精神を乗っ取られるのは論外だ。けれど邪神の力がなければ、奥義とも呼べるサイキックのスキルを獲得できない。

 ならば、互いに取引をするしかない。利害の一致とかウィンウィンというやつだ。こっちの代償を最小限にしつつ、戦闘で邪神の力を使えるようにする。そのためには相手の望みを具体的にして、実現できるかどうか精査しないといけない。

 

 

「邪神さんは、何がしたいんですか? かみ砕いて教えてほしいんですけど」

『何度も言わせるな。貴様の全てを我に捧げろ。贄として食らい尽くし、我はより高次の存在へ昇華する。そして世を手中に収めるのだ!』

「世を手中に収めて、それからどうするんですか?」

「ぬ?」

 

 

 質問の意図が分からなかったのか、邪神の体がぐにゅりと曲がる。その上に疑問符が浮いたような気がした。

 おっとこれは欲だけ先走って特に何も考えてないタイプだと判断し、もう少し掘り下げて質問してみる。

 

 

「この世を自分の物にしてどうするんですか? 手に入るのは、ドラゴンのせいで文明が崩壊した世界ですよ」

 

『……なんだと?』

 

 

 予想していなかった反応が返ってくる。

 

 

『崩壊だと? どういうことだ?』

「どうも何も、そのままですけど……」

『ええい矮小な人間の言葉では何もわからぬ! おい、目を貸せ。我が直接見て確かめる!』

 

 

 どういうこっちゃと尋ねるより先に、目の前に黒が広がる。いや最初から今までずっと黒一色なのだけど。

 黒にもいろいろある。夜空みたいにどこまでも先があって吸い込まれそうなものとか、立ちはだかる壁みたいに息が詰まりそうな硬いものとか。自分の視界を覆ったのは後者だった。

 

 

「うわ!?」

 

 

 目から上を不可思議な感触が包む。ひやりと冷たくて、見た目通り液体とも固体とも言えない感覚が不気味だ。

 反射的に引き剥がそうとするが、指先が滑るだけでまともにつかめない。なぜシキは拳を当てられたんだろう。竜のブレスも捉える格闘家の本能みたいなものだろうか。

 

 

「ちょっとあんた、離れなさいよ、このっ!」

『ええい暴れるな人間ども! 不遜な貴様らになぶられた今の状態では完全に精神を乗っ取ることはできぬ! この女を通して外界の様子を見るだけだ、邪魔するでないわ!』

 

 

 左右の耳から甲高い声と不気味な声が鼓膜を殴ってくる。

 どうにかしないといけないのはわかっている。けど今いるここは自分の脳内会議だか夢だかで、現実かもわからない曖昧すぎる状況なのだ。なのに感触はやけにリアルで、ちょっとした痛みも感じるほど。

 しかしいつまでたっても目は覚めない。自分の肉体がどうなっているかもわからない。

 

 

「あ、あれ……?」

 

 

 ああちょっと待て。そんなことを考えていたら意識が遠くなってきた。夢の中なのに。もしかして目が覚める兆候だろうか。

 

 

「ちょっとミナト、ミナト!」

 

 

 自分に呼びかける声もすぐに遠くなる。

 うーん、ダメだ、眠い。

 

 ロア=ア=ルアの攻撃と似た感覚に包まれて、上下のまぶたが早々にくっついた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 カレーの匂いがする。

 低血圧というのだろうか、起床に時間がかかるほうだと自覚はしているけれど、好物のスパイシーな香りは最高の目覚まし時計だ。急いで重いまぶたを持ち上げる。

 目に映ったのは料理をする母の背中……ではなくて、

 

 

「あ、目開けた!」

 

 

 今にも平手を振り下ろそうとしているシキだった。

 

 ぎゃあっ、と叫んで彼女の捕捉から外れる。勢い余ってベッドから転落しそうになったところをキリノが受け止めてくれた。

 

 

「何、なんで!? 私殴られるようなことしてな……し、して……ない、よね? て、キリノさんに……えーと、なんでこんなに人がいるんですか……」

 

 

 よく見てみれば、キリノをはじめマサキや研究員のムラクモ関係者がそろって自分の顔を覗きこんでいる。

 首を傾げることしかできずにいると、一斉に大丈夫か具合はどうだと詰め寄ってくるみんなをキリノが抑え、とりあえずベッドに座らされた。

 

 

「おはよう、シバくん。体の調子は?」

「え、えっと……今のところは特に異常ないです。ゼロ=ブルーとの戦いでの傷も……うん、ふさがってきてる」

「目が覚める前、あるいは眠る前、何があったか覚えているかい?」

 

 

 もちろん、不気味でリアルでわけのわからない事件だ、よく覚えている。説明するだけで片付く話なんだろうか。

 しかし話さなければ進展しないのも確かなので、今に至るまでの経緯をかいつまんで説明する。

 フリマでうっかりマイナー邪神を拾ってしまい、取り込まれそうになったけど私は元気ですと伝えると、キリノもみんなも数秒呆ける。唯一笑顔を見せたのはマサキだった。天体観測でもしているように好奇心に輝く目がまっすぐ覗き込んでくる。

 

 

「じゃ、邪神……?」

「素晴らしい! 話を聞く限りドラゴンの類ではないネ。科学者としてオカルトをすんなり受け入れるのはどうかと思うけど、予想が見事に当たってしまったヨ。シバくんほどの特異能力者なら何かしでかすと思っていたけど、邪神はシバくんが持つサイキックの異能力に惹かれてやってきたんだろう。そしてシバくんも邪神を見つけ出した。まさに運命的な巡り合わせだネ!」

「なんで喜んでんのよ!!」

 

 

 シキがマサキの胸ぐらをつかむ。少女は片腕だけで大人の男性を振り回し、ハハハーと笑う彼をにらみつけた。

 

 

「あんなわけのわかんない気色悪い黒スライムみたいな奴がミナトに何かするかもってわかって、奥義だ何だって釣ったわけ? 人で遊ぶのも大概にしなさいよあんた……」

「わー待って待って。君の拳に殴られたら私の頭は吹き飛んでしまう。というか、さすがに邪神の存在までは予想できてなかったヨ。実際、シバくんの身に何が起きたかも把握できてないんだかラ。そういうわけで、詳しく説明してもらってモ?」

「ええと……私が知りたいというか。私の足が汚れているのと、眼が熱いというか痛いというか。それについて何かご存知ないですか?」

 

 

 たしか、帝竜ゼロ=ブルーを倒し、死にかけながら都庁に帰還したはず。大浴場で体を温め洗いつつ治療が施されてベッドに横になったはず。なのになぜ足の裏はホコリやら砂やらがついて汚いのか。

 眼球だって就寝前は異常なんてなかったのに、まるで長時間PCと向かい合ってブルーライトを浴び続けたような鈍痛がある。睡眠中何かにのしかかられたのだろうか。

 

 

「眼? ……それってさっきの……?」

 

 

 自分の状態をなるべく具体的に伝えると、シキが腕を組んだ。

 眉間にしわを寄せて考え込む顔を見て、そういえばと思い出す。

 

 

「そうだ。私の夢の中? に、シキちゃんが出てきたよ」

「は? 逆でしょ。私の夢にあんたが……いや、邪神の仕業なら……私たち二人とも、夢を見せられる形であのスライムに捕まってたってことか」

「何だいそれ! おもしろそうだネ、ちょっと詳しく……」

「マサキ黙って」

「マサキさん後で話しますから」

 

 

 息ぴったりの拒否に少し落ち込むマサキは放っておき、邪神と邂逅した夢について認識を共有する。

 邪神はサイキックの力を目当てに、あの夢空間に自分を呼び込んだ。しかし力の差もあって思い通りにならないと悟り、ならば人質だと、すぐ傍のベッドで寝ていたシキの意識も引きずり込んだ。

 まあコテンパンにできたので、今のところ目論見は失敗、という状況だろう。

 

「大事ないみたいけど」とシキは言って、自身の目もとを指差した。

 

 

「問題は目が覚めたあとね。あんた一時スライムに取り憑かれたのか、『外はどこだ!』とか言って駆け出したのよ。で、屋上でひとしきり街を眺め回してぶっ倒れたってわけ。呼んでも叩いても目が覚めないから、あんたが好きって言ってたカレーを持ってきて匂いを嗅がせたりとかで面倒だったわ」

「何それ、全然覚えがない……カレーはあとで食べます……。邪神さんは私の体を使って外の様子を見たってことかな」

「たぶんね。夢の中でそれっぽいこと言ってたし」

 

 

 なら邪神は、夢の中で自分が話したことを把握したと考えていいんだろうか。

 毒々しい赤い花が繁茂して、あちこち朽ちて崩れた世界を見て何を感じたんだろう。それでも世界征服を夢見ているのか。

 いや待てそれも気になるけど、

 

 

「邪神さんはどうしたの? わ、私どうなった? 取り憑かれたって、体に寄生されちゃったってこと?」

「さっきまではね」

「さっき……?」

「ナメクジとか霊には塩って言うでしょ。だからありったけの塩ぶっかけたら、あんたの口から出ていった」

「口!!?」

 

 

 どす黒くて赤い目がたくさんついた何かを吐き出す自分を想像して悪寒が走った。慌てて部屋を見回し、蛇口に飛びついてうがいを始める。

 キリノが少し引き気味に背中をさすってくれて、「で、」と引き継いだ。

 

 

「君たちが言う……邪神? は、あの像に逃げ込んだみたいなんだけど。シバくん、あれは君の私物かい?」

 

 

 像、と聞いて思い当たる物は一つしかない。

 キリノが指を向ける方へゆっくり振り向くと、小物を置くための丸テーブルにあの像が置いてあって、

 

 

『おおおのれえええ人間どもめええ! 塩に続いてまた塩とは、なんと小癪なあああ!!』

 

 

 周りに引かれた塩のサークルにがたがた震えていた。

 

 

「……あれは、何?」

「食塩に怯む邪神」

「え、しょぼい」

『今何と言った小娘ぇっ!!』

 

 

 思わず本音が口からこぼれた。間髪入れず邪神がキレた。

 

 

『おのれおのれおのれぇ! 貴様、時が経つにつれて我の扱いがぞんざいになっていないか!?』

「気のせいかと思います。気のせいじゃなかったとしても丁重にもてなすような関係じゃないじゃないですか、私たち」

 

 

 しずまりたまえ、しずまりたまえと邪神像をなだめる。なぜか後ろで「シバくん、すっかりたくましくなって……」とキリノが目をこすっていた。

 好奇心に体を揺らすマサキに、黒いモヤを漂わせてガタガタ揺れる怪しげな像。事情を知らない人間がこの部屋を覗いたらすぐ回れ右しそうだ。

 自分だって退散したいが、収拾がつかないまま放置するのはいけない。今はさっさと話を済ませよう。

 天井を指差して、気になっていたことを質問してみる。

 

 

「外の様子、見られたんですよね。崩壊してたでしょう。それでも世界征服は諦めてないんですか?」

 

 

 気は遣わずストレートに投げかける。するとバイブレーションのように揺れ続けていた像は、コトリと止まって沈黙した。

 

 

「私の目を使って見たんですよね?」

『……』

「あの、」

『……だあれは』

「はい?」

 

『何なのだあれはぁ!!?』

 

 

 中にバネでも仕込んでいるのだろうか。邪神像は三十センチくらい飛び上がり、またバイブ状態になった。

 

 

『街には花! 水の中にも花! 地中にも花! どこを見ても花花花ぁっ! 野垂れ死んで腐敗している人間どもに、蛆のごとく湧いている竜! あげくに東、海の向こうは不毛の地……他よりも原型が残っているこの地も無様に崩れ落ちよって。ほぼ滅んだ世界なぞ、手中に収める価値などあるか! というか貴様の眼は何だ、水風船なのか? すぐさま蒸発しそうになって千里眼が三十秒と持たなかったぞ! 星の百分の一も見渡せなかったわ!』

 

 

 以上を一息でまくし立て、邪神像はクレーマーよろしくふんぞり返った。

 千里眼って何だ。なら自分の両目の痛みは……?

 聞き取れた情報を頭の中で整理していると、横からにゅっと手が伸びる。見慣れた少し小さいシキの手が、どこから持ってきたのかゴミばさみで像をつまみあげ、ミシミシと音を立てた。

 

 

「人を乗っ取ろうとした挙句ぼろくそ言うってどういう神経してんの? 奥義練習の的にしてやろうかしらこいつ」

『ぴぎっ、や、やめろ、何をするか!』

「ミナト、こいつさっさと像ごと砕いて燃やしたほうがいいわよ。そんであんたは塩にでもまみれて体清めれば万事解決。もうすぐミヅチぶっ飛ばしにいくのに、余計な仕事増やしてたまるかっての」

「えええそんな、もったいないヨ!」

 

 

 誰よりも真っ先に声を上げたのはマサキだった。全員が引くくらいの勢いでシキに駆け寄り、秘密基地に憧れる子どもみたいに邪神像を見つめる。

 

 

「やあ邪神くん、初めましテ! 私はマサキ、君と君がご執心なシバくんの架け橋となった者だヨ。対価の要求ではないんだけど、さっき君が言った千里眼について詳細を聞いてもいいかナ? 千里眼というのは言葉通りの意味かい? 千里も先を知見できるという神通力の?」

『何だ貴様は、不遜であるぞ。だが質問には答えてやろう。いかにも、我の目は深淵さえも覗くことができる。……うぬ、できるはずなのだ。まだそれだけの力と器がないだけでな!』

「ほら、みんな聞いただろう?」

 

 

 マサキはこの場に集まる者ひとりひとりの目を見る。目は口ほどにものを言う。「まさか、処分したりしないよね?」という圧が視線と共に飛んできた。

 

 

「ドラゴンやフロワロ、異能力者以外での超常的存在だヨ。とんでもない神秘が目の前にあるのに、何も調べずに処分なんてもったいない! 努力家のシバくんなら、きっと邪神くんを上手く味方につけてデータを収集できるはずサ!」

「ついに欲を隠さなくなったわねサイコ野郎。スライムもろとも奥義練習のサンドバックにしてやるわ」

「やめたまえシキ、私と邪神くんを失えば人類にとっての損失は決して小さくないヨ」

「ドラゴンに滅ぼされるより万倍マシでしょうが!!」

 

「あの……話がずれてます。邪神インヴェイジョンさん?」

 

 

 挙手をして再び邪神に尋ねてみる。ずばり、これからどうするつもりなのか。

 邪神はシキにつまみあげられたまま数秒押し黙る。

 やがて彼(彼女)は、グスン、ズビッ、と音を立てた。人間みたいな鼻や口はないが、間違いなく泣きべそをかく音だった。

 

 

『……何なのだ、この運のなさは』

「運?」

『数寸の移動が精一杯のこの依代。ひたすら念じることで凡人から凡人にたらいまわしにされること幾星霜。やっとのことで使うべき器を見つけたと思えば、嫌だの、塩をかけてくるだの……極め付けに、世は一足先に竜どもに喰い散らかされている……我にいったいどうしろというのだ?』

「……できれば、世界征服は諦めてくれるとうれしいです。それで、私、奥義というのを習得したいので、力を貸してもらえればーと」

『だからその対価として貴様の力と肉体を捧げよと言っているのだーっ!』

「うーん、交渉決裂しちゃう」

 

 

 自称ではあるが、邪神は邪神。千里眼の話を聞く限りとてつもない力を持っているのはたしかで、当然、力の行使には代償が必要だ。

 対ドラゴンの力はなんとしてでも欲しい。けれどそのためには邪神が満足するものを献上しないといけない。具体的には、吹けば飛ぶようなスライムの実体を収めるためのエネルギーと器だ。そして、適性があるのが自分だと。

 

 

「あちらを立てればこちらが立たずか……どうしよう」

「だからスライムを処分するの一択でしょ? サイキックの大技がこいつなしじゃ成立しないってのが残念だけど」

『ぴぎーーっ!! 正気かこの悪魔め! 神殺しなど鬼畜の所業、不遜にもほどがあるぞ!』

「神は神でも疫病神はお断りよ。こっちは損しかしないんだから。あとどっちかって言えばあんたが悪魔でしょうが」

 

 

 手詰まりという結論しか出てこない。もうシキの言うとおりにお祓いするしかないのだろうか。

 奥義は諦め、自力で頑張るしかないか。自分の身を削らず邪神に満足してもらえる案なんて、都合のいいものあるわけもなし。

 

 

『おい』

「ううーん……でも奥義が……いや身の安全が保障できなきゃ本末転倒だし……」

『おい。……聞いているのか小娘!』

「え、呼びました?」

 

 

「そんなぁ、考え直してくれないカ!?」とひざまずくマサキの頭上で、ゴミばさみにつまみ上げられたままの像が動いた。

 あれは何だ、と邪神像は方位磁針のように揺れる。示す方向には大人の背丈ほどの白い家電があった。

 

 

「あれは……冷蔵庫ですね? 文明の利器ですけど」

『違う、入れ物ではない。中にある物は何だと言ったのだ』

「中?」

 

 

 邪神の興味が急に移り変わったことに疑問を感じる。何か特別な物でも保存していただろうか。

 冷蔵庫を開ける。飲み物しか入っていないのを確認するのと同時に『そこではない、下の扉だ』と指摘された。

 言われたとおり下の冷凍庫を空けると、まあ当然氷が詰められ──、

 

 

「あれ、……あ!?」

「シバくん? 何かあったのかい?」

 

 

 冷凍庫の奥に手を突っ込む。尋ねてくるキリノを始め、首を傾げる一同に見えるように、つかんだものを高く掲げて見せた。

 普通の氷には出せない色彩。というか氷じゃない素材。上品なフォントで横文字が記された容器。

 一瞬で何人かの目に光さえ宿らせたそれ。

 

 

「アイス……!」

 

 

 複数の声が重なる。邪神も同調するように一層大きく揺れた。

 

 

『それだ! 何だそれは、よくわからんが我が咀嚼できる、捧げ物の類だな?』

 

「ていうかこれ、ハー○ンダッ○じゃないですか! し、しかも期間限定ですぐに生産終了しちゃったっていう幻の味!」

「いや誰だいこっそり高級アイス隠してたの! 食べ物は原則厨房の冷蔵庫に置くってルールだろう!」

「ああ、それ私の○ッツじゃないカ」

「またあんたかマサキ!」

「いやぁ、だって地球がこんなことになって、全ての物の価値が高騰しているだろウ? それこそ甘味なんて嗜好品は没収されてしまうと思ってね、隠しておいたんだヨ」

 

 

 マサキの気持ちはわかる。彼が言うように、産業すらままならない今の世界では、現存の物資がそのまま生命線となっている。食糧を生産できる者がいなくなり、そもそも作るための土地が汚染され、畜産や農業自体が成り立たないのだ。

 だから食べ物はとても貴重で、しかも○ーゲン○ッツなんて贅沢なスイーツ、やすやすと人前で食べられるわけがない。

 

 何人かが食欲を隠すことなくアイスを見つめる中、『無視をするな!』と邪神が憤慨した。

 

 

『魂も嫌、力も嫌、肉体を捧げることも嫌だというのならまずはそれを寄越せ!』

「えっ」

『何だその声は、贄のひとつもなしに神を使役しようというのか貴様は?』

「い、いえそんなつもりは」

 

 

 三食好きな物を食べられる環境から切り離されて数ヶ月。今は幸い飢餓に襲われてはいない。が、体は飢えている。

 たまには豪華な料理を食べたい。お腹いっぱい食べた後に、甘い物は別腹と言ってデザートもいただきたい。

 だがしかし、このアイスはマサキの物だ。そして邪神はアイスをご所望だ。

 

 視線が一斉にマサキに注がれる。

 アイスの持ち主は、隠していたという割には気軽な様子で手を振った。

 

 

「スピリチュアルな存在も甘味を好むのかい? ならそのアイスは……あ、いや、ちょっと待っテ」

 

 

 一転、彼は手と手を合わせ、上客のご機嫌取りのように猫なで声を出した。

 

 

「邪神サマ、あなたがお望みなら、このアイスは喜んで献上するヨ。ただ、我々にとってもこれは死活問題に繋がる、非常~~~に貴重な生きるための糧で……。どうかこれでご満足いただけたら、現在の貧困な状況をどうにかするため、あなた様の唯一無二の、宇宙一の、至高の、え~~……賞賛に値するというかあたりまえというか賞賛しか許されないというか、とにかく最高なお力を、彼女に使わせてあげてほしいのですガ?」

『ふん、あくまでも交渉の体をとるつもりか。つくづく欲に溺れた者共よ』

 

 

 おまえが言うなと全員が思っただろうが、空気を読んで誰も口には出さない。

 それよりも、骨董品のような邪神像から黒いモヤが漏れ出ているのが気になる。まんざらでもなさそうな声音からして、まさか今のお世辞がきいているのか。

 そうこうしているうちに、マサキはアイスのラッピングを取って、ははーと邪神に差し出した。

 像は数秒沈黙する。

 言葉を発せずに見守っていると、像の年季の入った小さい割れ目から、にゅっと邪神が顔(?)を出した。赤い目が浮いた、液体なのか個体なのかわからない本体だ。

 

 

『……どれ……』

 

 

 シキさえもゴミばさみを持ったまま動けずにいる中、邪神は体を伸ばして、マサキの持つ皿からアイスを持ち上げる。

 あ、あ、あああ、と周りから物欲しそうな喘ぎが漏れるのもどこ吹く風で、邪神はバスケットボールほどの体積の中にアイスを取り込んだ。一瞬遅れて、バリ、ジュワァッとアイスが咀嚼されたであろう音が不自然なほど響き渡った。

 

 

『……』

 

 

 また静かな時間が過ぎて、邪神はおもむろに本体を像に引っ込める。

 

 

『……顔を上げろ。貴様、マサキといったか』

「はい、そうだヨ」

『この捧げ物は他にもあるのか。あるのだろうな』

「いや、これが現時点で最後の一つだヨ。残念なことに」

『なんだと!!?』

 

 

 途端に邪神像が震えだす。ついにゴミばさみの拘束から脱出して床に着地した。

 

 

『たったこれだけで終わりだと? 貧しすぎるにもほどがあるぞ!』

 

 

 おや、と目を瞬かせる。数が少ないことについてぶうたれているが、アイスそのものに文句は言っていない。

 まさか甘い物が好きなのか。いやそんな子どもみたいな、それこそ都合がよすぎやしないか。

 

 

(あ、そういえば)

 

 

 今朝にホットケーキを作ったことを思い出す。昼に食べようと思ってとっておいた一枚を渡すと邪神はこれも一口で平らげた。

 

 

『足りん、舐めておるのか。これっぽっちで満たされるわけがなかろう』

「こいつ人からもらっておいて……」

「シキちゃん、どうどう」

「しかたないネ。ドラゴンさえいなければもっと豊かだったのだろうけど」

『そこでも竜か……にっちもさっちもどうにもいかんではないか』

 

 

 像の割れ目から覗く本体の一部が、もにゅもにゅ伸び縮みする。何もかもが思い通りにならないことにフラストレーションが溜まっているみたいだ。

 マサキが頬に手を当て、わざとらしいため息を吐く。

 

 

「うん。だから、ドラゴンをなんとかできる力があれば、時間はかかれど以前のように捧げ物を生産する環境を取り戻せるんだけどナー、我々人間だけではちょっとナー」

『ううぬ……』

 

 

 像が傾く。ゴトンゴトンと振り子のように左右して、正面がこっちを向いた。

 

 

『おい、小娘』

「なんですか」

『さっき献上した「ほっとけぇき」やら「あいす」やら、この星が破壊される前の状態に戻れば、たんと食らえるのだろうな』

「ドラゴンが来る前の環境まで復興が進めばってことですよね? 手間とお金はかかりますけど、今よりはうんと簡単に食べられるようになりますよ」

『よかろう。ならば決まりだ』

 

 

 何の前触れもなく誰の力も借りないで、像が床から浮き上がる。

 ぎょっと後退る人間側はお構いなしに、邪神はどこかの穴からフンッと息を吐いた。

 

 

『感涙するがいい、矮小な人間どもよ。この邪神インヴェイジョン、いずれ来る世を手に入れるときのため、邪魔な竜の排除に協力してやろうではないか!』

「ちょっと、誰も世界征服は許可してな──」

「おおおーっ!? 貴重な研究対象ゲッ……じゃなくて、戦力ゲットだネ!」

 

 

 シキのツッコミを遮ってマサキが反応した。大袈裟に拍手をして年甲斐もなく腕を振り回す。思いっきり本音が見えたがもう疲れたので指摘しないであげた。

 ともかく協力関係は締結された。が、まだ握手をするわけにはいかない。

 今までのやりとりでインヴェイジョンの思考回路はなんとなくわかった。自身を邪神と称するくらいだ。協力するといっても、根底には「征服」、または「掌握」「支配」みたいな、独占欲と執着心がある。まあ邪神の本能みたいなもので仕方ないだろうけれど、警戒を解いてはいけない。

 そう、つまり邪神との契約はブラック企業に就職するようなもの。一緒に戦うというのはまだ口約束の域で、ちょっとしたことで破棄される可能性はおおいにある。世界征服だって諦めていないのだから。

 

 

『力は貸す。嘘ではない。だが神は決して都合よく使われたりはせんぞ』

 

 

 詳細を詰めて話し合うと、やっぱり邪神は甘い物が痛く気に入ったらしく、力の行使には相応の対価(デザート)を要求するとのことだった。

 

 

「……つまり甘い物が用意できないと……」

『当然、おまえたちの闘争に助勢はできん』

「それって今の環境じゃほぼ助力してくれないってことじゃないですか!」

『たわけ、我の力は何の源も必要としない奇跡などではないのだぞ! 労働と対価が成り立たんうちは当然だろうが!』

「あれ、誰よりも真っ黒なビジュアルなのにホワイト企業みたいなことを言ってる!? こっちは常に命懸けなのに……!」

 

「シバくんシバくん、遠回しにムラクモをブラック企業と指摘するのはいけないヨ。キリノが胃を押さえているからネ」

 

 

 言い争いになりかけたところでマサキが止めに入ってくる。

 冷や汗をかくキリノを尻目にしばらく交渉(という名の買い叩き)を試みるも、インヴェイジョンはギブ&テイクの精神は譲らず。結局、サイキックの奥義は習得できそうなものの、邪神への報酬が用意できない限りは使用できない、という状態で話は止まる。

 微妙な着地地点に歯軋りしているところで、シキが待ったをかけてきた。

 

 

「なんで普通に交渉成立させてんのよ、そんな怪しすぎる奴に頼るなんてリスク高すぎでしょ!」

『なんだ小娘その二、貴様は頭が固いな。その拳ぐらい凝り固まっているのではないか?』

「おまえは黙ってろ!」

『びぎっ!?』

 

 

 苛々が最高潮に達しているのか、シキは青筋を立てて邪神像を握り潰そうとする。白い手に血管が浮かび上がり、像にピキリと割れ目が走った。

 

 

「シキちゃん抑えて! 気持ちはわからないでもないけど抑えて! 戦力は少しでも欲しいでしょ!」

「こんなナメクジスライムが戦力になるか! 猫の手でも借りとけ!」

 

 

 コンクリート片も握り砕く少女の手からなんとか邪神像を引き剥がす。

 リスクがあることは重々承知の上で、まず邪神は単体では非常に弱いこと、甘い物などのエネルギー源を用意しなければ力を蓄えるのも難しそうなこと、塩というわかりやすい弱点が存在することを挙げる。

 危険視するのはこもっともだが、パートナーが奥義を習得するなら相方の自分も成長を目指さずにはいられない。

 自分だって強くなりたいのだと伝えると、上昇志向の強いシキはぐっと口をつぐんだ。

 

 

「ね、だってもうすぐボス戦でしょ。いや現状で邪神さんに協力してもらうのは難しいけど……」

「そうそう。邪神くんのことはシバくんをはじめ私たちがしっかり観察しておくかラ。ねえシキ、飼ってもいいだろウ? 頼むヨ~~」

「捨て猫拾ってきた子どもみたいにおねだりするな。マサキは気色悪いからすっこんでろ」

 

 

 すげなく一蹴されたマサキへの哀れみもわずかに含め、誠意を込めて手を合わせる。

 眉間のしわを見つめること十数秒。シキは髪をいじってため息を吐いた。

 

 

「いいわよ、好きにすれば。ただし手綱はちゃんと握っててよね」

「わーい、ありがとう! 私がんばるー!」

 

「……キリノ」

「……なんだい、シキ」

「ミナトの奴、こんなに楽観的……いやのんき……違うな、アホだったっけ」

「君のメンタルの強さに影響されたんじゃないかなぁ……」

「おいまるで私が元祖アホみたいじゃない。訂正しなさいよ」

『ふん、阿呆であろうが。本来なら黙って魂を捧げるだけの贄と我が言葉を交わしてやるだけでも奇跡のようなものなのだぞ。理解できたらありがたくその巌のような頭を上げ下げし』

「やっぱ死ね!!」

『グプギュアアーーッ!!?』

 

 

 シキが邪神像を塩が入っている袋に突っ込む。

 その後、「ムラクモ居住区で不気味な声が聞こえる」「13班の女性の影が怪しげに歪む」「一人で何やらぶつぶつ喋る女がいる」と不穏な噂が都庁を飛び交うようになるのに、そこまで時間はかからなかった。

 

 





(ここから言い訳タイム)いやほら、サムライはラビット零式とタイマン、トリスタは素材を集めて新武器開発、デストロはタワードラくんと戦闘、ハッカーは秘技の情報を集めるというプロセスを踏んでいるのに、サイキックだけ「奥義をお金で買う」って感じで簡単に習得できてしまうのが嫌だったんです……。
2000Azで買える奥義って何??? 武器より安いじゃん??? て疑問に思ってたんですよ……同じ人います……?
他の前書きや小説情報でも述べていますが、弊世界線の話です。捉え方は人それぞれということで……!
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