2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!!   作:蒲焼丼

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ナツメのイメソンは 電ぽるP様の『サイノウサンプラー』かなと思います。いわゆる鬱くしい系の、ダークでちょっと切ない曲。




39 .ナツメ -VS 人竜ミヅチ-

 

 

 

「……それでは、現時刻をもって第75回、ムラクモ選抜試験をはじめます。みんなの活躍、期待して

いるわ」

 

「あなたには力がある。他人が望んでも得られなかった力─戦うための力を、あなたは持っているのよ」

 

「ありがとう……あなたの、勇気と才能に感謝するわ」

 

「今このときより、飛鳥馬式、志波湊たちをムラクモ機関、機動13班として認定します。……ようこそ、ムラクモ機関へ」

 

 

 思えば兆候はあった。

十人十色だとか、みんな違ってみんないい、だとか。生きる人の数だけ評価される何かがあふれる世界で、彼女は「力」を何よりも愛していた。

 悪いことじゃない。正しく使えば不可能を可能にして万人を救える、説得力を持ったエネルギー。ドラゴンなんて非現実的な脅威に破壊されてしまった現実の中で、命綱ともなるそれ。実際、力を使って戦うことで、自分たちは人類滅亡の暗雲を払ってきた。

 

 その力が如何に尊いものかを日頃謳っていたムラクモ機関総長は、欲と竜の力に吞まれ醜い化け物に成り果てた。

 東京タワーでの大虐殺、渋谷に生み出された人間同士が互いを手にかける地獄、焼失してしまったアメリカ……世界中で殺戮を繰り返したナツメ、いや人竜ミヅチは倒さなくてはならない人類の敵だ。

 

 強いつながりがあるわけではない。特別好きだった、というわけでもない。池袋攻略作戦で自衛隊を捨て駒にしたときは辟易さえした。

 今に至るまで、何を思っていたのかはわからない。それでも同じ組織に身を置いていたのだから、自分たちは他の人間より彼女と近しい距離にあったことはたしかなのだ。

 

 その彼女が大勢の人間を手にかけた責任は果たさなければならない。人竜ミヅチは、13班の手で討つ。

 

 

「来なさい……そして、絶望せよ!」

 

 

 紅の塔の頂上で、ドラゴンの咆哮よりおぞましい女の声が響き渡る。

 相対するは人竜ミヅチ。かつてムラクモ機関を率いていた、対ドラゴン戦線の司令塔。

 今の彼女に優美な才媛だったころの面影は少しもない。黒く染まったが振るわれれば、仲間の肉体を引き裂いた触手が弾丸のように飛んでくる。

 

 

「──ふんっ!」

 

 

 足を振り下ろし、正面から迫るそれを踏み潰す。もう一本は裏拳で流し、追撃の三本目は上から拳を落として地面に殴りつけた。もう二本は隣に立つミナトが氷漬けにして動きを止めている。

 初手は小手調べだったのだろう、ミヅチはお眼鏡にかなったというように微笑んで触手を引き戻す。

 矛にも盾にもなる触手は太く重い。元が人間であるためミヅチは七体の帝竜よりもずいぶん小柄だが、攻防のバランスは最も高い。伊達に高い場所でふんぞりかえっていたわけではないようだ。城のような固さに舌打ちする。

 

 ミナトがいつもの位置より前に出る。

 瞬間、頭上の空気から熱が奪われ、氷のギロチンが落ちる。瞬きしないうちに触手数本が切断されて宙を舞った。

 あら、とミヅチが口を手で覆う。

 

 

「遠慮がないわね」

 

 

 応える声はない。続けて氷の槍が飛ばされるが、これはトカゲの尾のように再生した触手に弾かれた。

 

 

「触手を落とすだけじゃダメか……!」

 

「さあ、人の及ばぬ力にどうあがく? ……駆逐する!」

 

 

 鋭く尖った爪の先から火があふれ出た。渦巻く業火に悪寒がうなじをなで上げる。

「下がって!」とミナトが飛び出すのと同時、視界が一瞬で赤い波に呑まれた。

 ウォークライを超える火はコンクリートも鉄骨も、フロワロさえも焼き焦がし……ぎりぎり、自分の肌には届いていない。

 展望台の中で自分たちが立つ場所だけが火を避けている。パートナーのサイキックが両腕を前に突き出して火を捉え、クロウがギイイイッ、と錆びついたように不快な音をたてて発火していた。

 その爪が突き立てられると、火の海がぐにゃりと歪んで勢いを落とす。

 

 

「っっっだあ!!」

 

 

 ミナトが腕を振りぬく。炎が巻き取られてさらに火力を増し、標的をミヅチに変えた。

 自分たちを殺そうとした術を支配下に置く。属性攻撃のスペシャリストといえど誰でもできる技じゃない。ここまで来てまだ伸びるか。

 

 

「……癪なことを。神立よ!」

 

 

 ミヅチが放った雷がカウンターの炎と衝突して爆風を起こす。

 反射でミナトを背後にかばう。立ち込める粉塵から飛び出した雷が肩をかすめ、背後の鉄骨を食いちぎった。

 横っ飛びに転がるのと同時に、さっきまで立っていた場所に大きな鉄片が突き立つ。視界が曇る中で慎重に距離を取り、セーラー服の焼け焦げた部分を裂いて捨てた。肩に走る稲妻の傷はキュアとリカヴァですぐに消える。

 

 

「ごめん、肩は平気……!?」

「問題ない。けど……」

 

 

 粉塵が晴れる。人竜ミヅチははじめと変わらない姿のままそこで浮いていた。

 

 全てではないが互いの手の内を見せた状況で、相手は焦りも見せない自然体だ。ソファに寄りかかるように脱力してこちらを睥睨している。

 触手は切っても再生する。属性攻撃は帝竜以上の破壊力と規模。おまけに自分たちと同じく思考を行う脳がある。懐に入り込む隙がない。

 

 今までの戦いで最も分析が必要な相手だが、通信圏外ではミロクたちの援護は得られない。突破口が見えずに唇を噛む。

 

 

「随分仲良くなったのね、あなたたち」

 

 

 必死に脳を回転させるこちらとは対照的に、ミヅチはゆったりと首を傾げた。尖った指先を自身の顎の上で往復させては、何度か脚を組み替える。

 弛緩している体勢だ。かといって隙はない。相手は組織の指揮をとっていた女、戦闘における状況に、その中で動く人の思考は容易く把握できるだろう。焦って踏みこめば蟻地獄のように捉えられてしまう。

 

 攻めあぐねたまま時間だけが過ぎる中、たっぷり思考の海に浸っていたミヅチが不意に口角を上げた。蛇のように牙を覗かせ舌が這う、嗜虐的な笑み。

 

 

「そうね。どちらか身動きを取れなくして、目の前で片方を丁寧に殺してあげましょう。人間の相手をするのは最後だもの、うんと可愛がってあげなくちゃ」

 

「悪趣味──!!」

 

 

 なんとでも、というようにミヅチの目が細められ、怪しく光る。

 痛みはない。が、妙な感覚に支配された。川がせき止められるような、時計の針が錆び付いて進まないような体の軋み。

 

 

(何だ……? ロア=ア=ルアとはまた別、──っ!)

 

 

 考える間を与えず触手が殺到してくる。今までで一番速い。けれど見切れないほどではない。

 切っても再生するのならタイミングを図ろう。確実に打撃で余波を積み重ね、一気に叩く!

 

 ひねりとバネを加え、三本まとまって飛んできた凶器に拳を一発。中心を抉られた触手は簡単に結束をほどく。

 相手の武器が近い距離で固まっている今が好機。まとめて技を叩きこんでいけば、同じタイミングで二、三本はもぎ取れ、余りの触手も封じこめるだろう。その一瞬さえあれば、今の自分たちなら決定打を与えられる。

 

 触手が自分とミナトをそれぞれ狙うなら対処は可能。状況に応じて余裕のある方が相方の補佐に回る。五本すべてが向かってくるなら自分なら一発は止められるだろう。

 ミナトだって油断しなければ防御でき──

 

 

「──あ゛っ」

 

 

 聞きなれた音が響いた。ドムッ、という重さのある物を殴る音。それと同時に、短い悲鳴も。

 自分の五感は正常だ。この体には触手の一本だって届いていない。

 ならばと背後を振り返る。

 自分が殴ったものとは別の触手が横から回り込んでいる。残りの二本は後ろにいたパートナーの腹に埋まっていた。

 

 

「ミナト!!」

 

 

 倒れこむ彼女と自分の呼び声に紛れて触手が伸びる。頬をかすめたそれを怒りに任せて叩き潰した。

 

 サイキックは一般人を超えど、異能力者の中では肉体が脆い。ミナトはそれを十分すぎるほど理解していて、常にデコイミラーを張って身を守っていたはず。ミヅチと戦うのならなおさらだ。

 はがされた瞬間に新しい盾を生み出す。使い慣れた術なのだから秒でできるはずなのに。

 

 自分を狙う触手が四本に増えた。ここぞとばかりにいやらしく狙いをつけて邪魔をしてくる。残りの一本に襲われているミナトをフォローできない。時々耳に届く鈍い音と彼女のうめき声に汗が流れる。

 

 

「ミナト、どうした!」

「術、が──、っ! ……使え、な……い、っぅ! リカヴァも……!」

「!?」

 

 

 術が使えない。後衛には致命的な、丸腰と変わらない状況。

 何かの状態異常か。きっとさっきのミヅチの眼光だ。リカヴァも使えないなら薬に頼るしかないが、あの攻撃をくらった直後では身を守りながら動くことさえ、

 

 

「くそ、邪魔っ!!」

 

 

 突き、殴り、薙ぎ払って蹴落とす。それでも触手は止まらない。

 いつもなら自分の名前を呼んでがんばれと飛んでくる声が聞こえない。代わりに響くのは殴打の音と途切れていく相棒の息。けれど様子を確認する余裕がない。額に冷汗がにじむ。

 

 くすくすとミヅチが嗤った。

 

 

「もう、お転婆が過ぎるわよ」

「うるさい、いい歳して神を自称する奴が言うな!」

「もう一度言うわね。お転婆が過ぎるの。なら私も頑張るしかないじゃない」

 

「あなたがおとなしくしてくれるなら、私も休めるのだけど」

 

 

 言わんとしていることがわかった。

 もちろんただの戯言だ。人を弄ぶための、中身なんて伴わない甘言だろう。

 が、

 

 

「……シキ、ちゃ、」

 

 

 だめ、というミナトの言葉と、ナックルを握る指が強張るのと、触手の一本が足首を捕らえるのは同時だった。

 世界が上下に反転した。頭に血が集まってズキリと痛む。

 たった一言で容易く宙吊りにされてしまった自分を、気色の悪い竜の目がじろじろ観察する。

 驚いたとでも言いたげな仕草で、ミヅチはそろえた指を口もとに当てた。

 

 

「まさかあなたがここまで人に気を遣うなんて思わなかったわ……でも残念。人間の言う仲間なんてものはね、戦う上では足枷にしかならないのよ」

 

 

 まるで自分しか知らない知恵だというような得意げな笑みが胸糞悪い。思いっきり皮肉を込めて言い返してやる。

 

 

「へぇ初耳。いつだったか、どこかのアホ上司がやれ協調性だのやれチームを組めだの言ってた気がするんだけど」

「そんなこともあったかしら。でも術の使えないサイキックなんて、ただの木偶の坊でしょう?」

「それを決めるのはおまえじゃない。途中で尻尾巻いて全部すっぽかした奴が、知ったかぶりで人に価値をつけるな」

 

 

 ふう、と目の前でため息がつかれる。

 と思えば音が弾け、顔がミヅチから逸れて真横を向いていた。

 追うように感じる頬の熱さと口の中の血の味、どうやらはたかれたらしい。堪え性もないのかこの女は。

 

 

「本当に頑固な子。身の程をわきまえなさい。たかが人間が神に──」

「だから、その自称神をやめろっつってんの。本当に神なら、たかが人間の言葉にいちいち反応しないでしょうが」

 

 

 ミヅチが本当に神で、人間など取るに足らない存在なら、何も考えずにさっさと星を滅ぼせばよかったのだ。

 それがどうだ、こいつは人を下すことにこだわり、踏み潰すことで自身の価値を謳い、声高に力を誇示している。誰かに見てほしくて仕方がないというように。

 

 追い詰められている状況ではある、が。今は全てにおいて目の前の相手に負ける気がしない。たとえパートナーが地に伏し、自分が片足をつかまれて宙ぶらりんになっていようともだ。

 あえてミヅチの地雷を踏み抜きにいく。

 

 

「ネストルと樫の木」

 

 

 四つの目尻が痙攣するのをシキは見逃さなかった。

 

「ネストルと樫の木」。いつだかキリノが探していた童話の本だ。

 ナツメとの思い出の品で、彼女はこの典型的な努力成功型のストーリーを大嫌いだと言い張ったらしい。「努力と根性で全て為せるなんて、それこそ夢物語よ」と吐き捨てたのだとか。

 

 

「あんた悔しかったんでしょ? 自分より一回りも二回りも下の子どもが、自分が手に入れられなかった能力を持ってるのが。あんたが私を手元に置いて殺す気で育てたのだって、半分八つ当たりだってわかってるから。でも残念。反面教師にしてここまで来てやったわよ」

 

 

 全能力値オールA。優秀だが天才ではない値。ナツメが抜け出そうともがいていたのだろう枠組み。

 たとえ「S」に手が届かなくても、彼女のあがきを見て、寄り添おうとしていた者はいた。少なくとも、キリノは絶対離れずにナツメを支えていただろう。けれど彼女は切り捨てた。

 

 

「あんたは自分の足を、前に進むんじゃなく人を踏みつけることに使った。それも最悪の形で。それで得た(もの)なんて、この世の誰一人だって認めるわけないでしょうが。あんたは現在進行形で一人相撲してるだけなのよ。いい加減気付いたら?」

 

 

 頭上、正しくは足もとの地面が割れた。離れた場所にある鉄骨が金属音を立てて捻じれる。

 空間の全てがミヅチが放つ圧によってひしゃげていく。抑揚のない声が雷鳴のように落ちた。

 

 

「撤回しなさい。今なら許してあげるから」

「お断りよ。いつまで私を思い通りになる手駒だと思ってんの」

 

 

 脅されようとも、畏怖も恐怖も湧きはしない。

 やはり自分の目には、人竜ミヅチの皮の中に、日暈 棗がいるようにしか見えない。

 

 すう、と息を吸う。人から吊り目と言われるまなじりを意識して下げてみた。

 口角の両端を緩く持ち上げるという慣れない動きをして、完璧な笑顔を作ってやる。

 

 

「アオイが言ってた『恥ずかしい女』の意味、ちゃんと理解できてないみたいね。そりゃ自分の半分も人生経験のない小娘にここまで見抜かれるわけだわ」

 

 

 視界が激しく揺れる。頭と首のどこかで嫌な音が鳴った。

 殴り飛ばされたと気付いた時には展望台の上から弾き出されていた。体の下には何もない。

 ミナトがこっちに向かって手を伸ばしていた。その顔が今にも泣きだしそうに歪んでいる。

 

 薬を飲む時間くらいは稼げただろう。すぐに戻るから、今は自分の心配をしろ。

 

 そう言おうとしたけれど、声が出ない。体は動かないし視界が霞む。

 

 

「シキちゃん!!!」

 

 

 パートナーが自分を呼ぶ声。体が遥か下の星に引かれる感覚。

 それだけ感じたのを最後に、意識がぶつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 

 ぽつりと口にして、ミナトは我に返って唇を噛んだ。

 諦めちゃだめだ。何もかも腕っぷしで解決するシキがあえてミヅチと舌戦を繰り広げていたのは、自分をカバーするための時間稼ぎなのだから。

 落ち着け。状況を把握しろ。今できる最善は何だ。

 属性攻撃が使えない状態はソルマネルを飲んで治療した。けれどもシキはいない。残されたのは自分と人竜ミヅチだけ。

 

 

「ああ、やってしまった……壁がない場所だってことを忘れていたわ」

 

 

 視線だけ送れば、ミヅチがにたにたと笑って腕を組んでいた。

 こんな奴は無視して、今すぐにでもシキを追って飛び降りたい。けれどそれでは気が昂ったミヅチを自由にさせてしまう。人竜は手慰みにまたどこかの地を蹂躙するか、見切りをつけて地球を粉々に砕くかもしれない。

 

 

「シバさん、どうしましょうか? ……そうね、頭を地にこすりつけて、かわいく命乞いをしてくれたら、優しく殺してあげようとは思うけれど」

 

 

 味方のいない状況に恐怖していることを見透かされている。歯ぎしりをすればミヅチは転がるような笑い声を漏らした。

 

 

「だから言ったでしょう。ドラゴンクロニクルをあなたかシキのどちらかに使っていれば、まだ可能性はあったのに。力を正しく使えればあなたたちを朋として迎えることだって考えていたのよ?」

「……正しい? ドラゴンになって、笑って人を踏みにじることが?」

「間違っているとでも言いたげね。あれだけ人間があふれていた地球はもうすぐ消えて何も残らないわ。無になるだけのあなたたちが私を間違っていると断じるのは、とても滑稽なことだと思わない?」

 

 

 炭化したように黒く染まった指がこちらへ迷いなく向けられる。ミヅチはすべてが無駄なのだと、人間の存在価値をゼロだと評した。

 

 

「弱さは無よ。生きることすらできない弱さには正しさも意味もない。弱いがゆえに人は消え、力を得て勝ち残った私がこの宇宙に存在し続ける。その結果がすべてで、自然なことよ。だから、ねえ? せいぜい有効活用されてちょうだい。私の力を証明するために、泣いて叫んで、楽しませて。それをあなたたちが生きていた意味にしてあげる」

 

 

 そんなこと、認めてたまるか。命は強者に踏みにじられるために在るなどと。

 恐怖と消耗で笑う膝に喝を入れた。歯を食いしばって立ち上がる。

 

 

「あな、たは、弱さを、それだけのものだと思ったんですね」

 

 

 弱さは無。勝ち残る者こそがすべて。

 生存の一点に絞ればミヅチの言にも一理あるかもしれない。力も強さも、それによって得られる恩恵も否定はしない。

 

 けれど、弱いからこそ。

 

 

「なら、私たちがここまで来られたのは、どうして?」

 

 

 ドラゴンに襲われても人間が今まで生きてこられたのは、生きたいという意思と、それを実現させるための歩みがあったからだ。大きすぎる脅威と絶望を前に、それでも負けるかと人々が可能性を紡いできた。そうして作られた道が、薄暗い地下シェルターから星のはるか上空まで自分を導いてきた。

 自分は弱くて臆病だったがゆえに、強いシキに憧れた。戦場に足を運ぶ自衛隊員に死んでほしくないと願った。都庁でしたたかに生きる人々を尊いと思った。

 助けられるかもしれない命を取りこぼす自分が嫌で、強くなりたいと踏み出した。

 

 

「弱さは、悩みの種になるし、いつも何かに手が届かなくて後悔するけど、」

 

 

 生まれたときから万能だったら、何もかもを思いのままにできる強さを持っていたら、もうそこで満足して、歩き出すことすらしていなかった。

 

 

「弱いことは、歩みを止める理由にはならない。私たちは、弱いから強くなってここまで来た。……最初に私を見出して、前へ進めと背中を押してくれたのは、誰でもないあなただったのに」

 

 

 ムラクモ試験に自分を呼んだ人。シキと自分を導き、13班が生まれるきっかけとなった人。地球がドラゴンに支配されても、生存を諦めるなと戦いの火付け役となった人。

 未曽有の災害の中、人類の歩みのしるべだった自身すらも切り捨てた、人だった竜。

 改めて人竜ミヅチと向き合う。

 

 

「……何かしら、その目は」

 

 

 倒さなければならないと思った。行き場をなくし、今にも爆発しそうなこの存在を。

 

 

「悲しくて、むなしいなと。負けられないなと、思っただけです」

 

 

 言い切ると同時に悪寒が駆けた。

 本能のまま体をひねる。ついさっき半身があった場所を触手が吹き飛ばした。

 

 

「あなたたちは、本当に」

 

 

 害意をむき出しにしたミヅチが瞳孔を開いている。紫電に業火をほとばしらせ、人竜は言葉の続きを舌なめずりして呑みこんだ。

 

 

「いいわ、そこまで虐めてほしいならお望み以上にかわいがってあげる」

 

 

 恐怖は消えない。それでも、逃げ出したりするものか。

 矛と盾をこなしてくれていたシキがいない今、自分だけでミヅチを倒すのは不可能。

 

 

(なら、今すべきことは)

 

 

 パートナーを待つこと。彼女が戻ってくるまで、絶対死なずに生き延びろ。

 たった二人の13班は、絶えず濁流のように押し寄せてくる危機を越えてきた。ここを凌いでシキと合流できれば、今回だってなんとかなるはずだ。

 

 

「シキちゃん、待ってるからね」

 

 

 したたる脂汗を拭い、人竜ミヅチと対峙する。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

「おい」

 

 

 忌々しい声に忌々しいほど青い空。地面に接している背中が汗ばんで肌着が張り付き、これも忌々しい。とどのつまり腹が立つ。

 

 

「おい」

 

 

 もう一度呼ばれる。「生きてるか?」と頰をペチペチ叩かれ、へし折る勢いで手を払った。

 

 

「……もう一回」

「何回やる気だ? こっちは病み上がりなんだぜ」

「医者の言うこと聞かないで徘徊ばっかしてた奴が言うな」

「手厳しいね」

 

 

 はっ、と皮肉るように息が吐かれる。むかついたので手に持っていた鞘でスネを狙ったが、あっさりよけられた。

 積み重なった苛立ちをバネにして背筋で跳ねた。振り向きざまに出した回し蹴りは大きな手にかかとをつかまれて止められる。

 

 

「おまえ、薄着にスカートなんだからもうちょい動きに気を遣えよ」

「訓練中にどこ見てんのよ、保護者面するな変態」

 

 

「見てねぇよ」と言われてつかまれた足をねじられる。

 また転ばされてなるものか。合わせて体を回し、もう片足も地面から離して追加の跳び蹴りを見舞う。が、それも開いていた片手に止められた。

 まだだ。運動能力S級、我が身を武器に戦うデストロイヤーをなめるんじゃない。

 伸ばした体が地面と水平に浮いているこの状況、上半身は自由だ。

 

 

「おらあっ!」

 

 

 腹筋の要領で勢いよく上体を起こせば、目の前の男に一気に接近する。

 予想できていなかったのか目を丸くするそいつに頭突きを見舞う。ゴッ、とたしかな音がして、つかまれていた足が離された。

 

 

「っ~~~あの体勢で頭突きなんてするかよ、普通……」

「相手の分析不足よ。この勝負、私の勝ちね」

 

 

 ようやくまともな一撃を入れられた。訓練として扱っていた剣ではなく額でだけれど。スカッとしたのでよしとしよう。

 

 さあ、キリのいいところで朝食を──、

 

 

「──っ?」

 

 

 ちょっと待て。朝食って何だ。

 

 自分は、朝食はもう、とった……はず、だ。

 

 それに、肌着のキャミソールにスカートで裸足なんて格好、朝の訓練のときにしかしていない。

 今は、朝……いや、違う。

 

 

「……ねえ、」

 

 

 私、と言いかけて彼を見て、言葉が消える。

 彼が、いや、目に映る景色全てが歪んでいる。白く、青く、まるで世界に空しかないように透けて、揺れて。

 

 顔も見えないのに、目の前の彼が笑うのがわかった。

 

 

「まあ、おまえが望むなら相手してやるけどよ。こんなところで油売ってていいのか?」

 

「ここ、どこ」

 

「どこ、つってもな」

 

 

 訓練場所である都庁前広場は消えていた。両目を大きく開いて体を回しても、見えるのは大地ではなく空だけだ。

 風が吹いて髪を巻き上げる。スカートを押さえようと下を向いて、いつものサイハイソックスとローファーを履いている両脚が見えた。

 

 風に空。

 そうだ、私は。

 

 卵の中の雛が殻を破るように、階段を上がり明るい場所に近付くように、もやを剥がして意識が鮮明になっていく。

 瞬きをすれば、いつの間にか体がセーラー服をまとっていた。激しく揺れるスカーフが視界を遮り、彼が見えなくなる。

 

 

(違う)

 

 

 見えないのがあたりまえだ。今、自分の近くにいるはずの人間は彼じゃない。また、彼の傍にいるのも自分ではない。

 自分もあいつも、とっくのとうに発っている。互いに背を向けて、もう同じ巣から飛び立ったはずだ。

 

 左腕が愛用の籠手を身に着けて少し重くなる。

 

 目を覚ませ。思い出に浸るな。走馬灯など冗談じゃない。

 

 

「私、どのくらい寝てた」

 

 

 まだ間に合うか。いや、間に合わせる。

 のんきに寝ている場合しゃない。彼女の、パートナーのもとに向かわなければ。

 

 いつもの赤い腕章があることを確かめ、完全に姿が見えなくなった彼に告げる。

 

 

「ミナトのところに行く!」

「おう。早く行ってやれ、おまえのこと呼んでるぜ」

 

 

『起きろ、シキ』

 

 

 今度こそまぶたが持ち上がった。

 視界は変わらず青に白。いや、少しだけ怪しい赤も混ざっている。

 星が輝く宙ではなく、太陽しか確認できない昼の空だ。重力によって地上まで引き戻されてしまったらしい。体には強烈な風が吹きつけ、眼下の東京の街並みがどんどん近付いている。

 

 そうだ、今は人竜ミヅチとの戦闘中。自分は気の短い相手に殴り飛ばされ、命綱もパラシュートもなく、東京の空を体一つで落下中。あと少し目覚めるのが遅かったら笑えないことになっていた。

 

 

(東京タワーは……!)

 

 

 幸いすぐ真横にあるが、数メートルの間隔が空いている。踏ん張るための足場がなければ動けない。

 

 

「……」

 

 

 手に装備したままだったナックルを見つめる。

 だめだ、思案する時間も惜しい。許せケイマ。

 

 ナックルを手から外した。体をかがめ、両足の裏にそれぞれを添える。

 使われている材料が普通の市場では手に入らない資材であることが幸いした。見た目よりも質量のある武器は安定した足場になって体重を支えてくれる。

 体を限界まで縮めて一気に伸ばし、思い切り蹴り飛ばす。東京タワーがぐっと近付いた。

 

 

(届く!)

 

 

 だがこのままではタワー内部に入れても、落下の勢いが残ったままなので潰れるだろう。なので細工を挟む。

 自分も異能力者だ。ミナトほどではないがマナの存在は捉えられるし、操ることもできる。

 息を吐く流れに乗せてマナを集め固めれば、即席の盾ができあがる。誰が言ったかパリングシールド。壁役になるデストロイヤーには有用な、身に受ける衝撃を軽減する技のひとつ。

 

 

「らあっ!!」

 

 

 雄叫びを上げてタワーに衝突する。池袋の超電磁砲を思い出す音と衝撃を巻き起こし、鉄骨とガラスを派手に砕いて内部に突っ込んだ。次いで、帝竜と衝突したとき以上の衝撃が全身に襲いかかる。

 これほど神経をつぎ込んで受け身に徹したことはない。頭を庇い、姿勢を柔軟に切り替え転がり続け、全力で体への負荷を逃す。

 たった数十秒の出来事。けれど意識全てを集中させた時間は、普段より何倍も長く感じた。

 

 

「……よし、生きてる! ──い゛っ!」

 

 

 全身が悲鳴を上げた。立ち上がろうとした足がもつれて転んでしまう。

 血は出ていない。パリングシールドが壁になったので、何かが体に刺さったわけでもない。

 自分が転がってきた地点を観察すると、着地した床がへこんでいた。そして体の中の数か所が熱い。おそらくひびか骨折か、骨にかなりの負担がかかったのだろう。高高度からの落下の衝撃を殺すのは無理があったか。

 それがどうした。五体満足なのだから動けるはずだ。

 深呼吸しながら顔を上げ、現在地を確認する。かなり下まで落ちてしまったが、上に戻るまでどれだけかかるか……。

 

 

『……シキ!? おい、シキか、応答しろ!』

 

 

 自分がタワー内部に戻ったことでムラクモ本部との通信が回復したのだろう、奇跡的に耳にはまったままだった通信機が震える。

 壊れかけているのかかなり音が荒い。ミロクが必死に呼びかけてくる。

 

 

『どうしたんだ……いきなりおまえの反応がタワー下層に……いったい何があった!?』

「ミヅチに殴って落とされた。今から登って戻る」

『落とされた……!? 登って戻るったって、おまえバイタル見たけどこの状態じゃ──』

「ミナトがあいつと戦ってんのよ、戻る以外の選択肢ないでしょうが!」

『そうだけど、でも時間が……ショートカットを考えれば、脱出キットで一度都庁へ戻って、SKYが設置した脱出ポイントの方に飛ぶのがいいけど、』

「脱出キット──くそっ、着地の衝撃で壊れてる!」

『ああもう、一瞬で戻ることができれば──』

 

 

 ミロクの声がぴたりと止まる。ほぼ同じタイミングで自分の思考も止まった。

 

「一瞬で」戻る。

 

 脱出キットなしでのその現象を、以前この目で見たことがある。

 都庁に戻る必要はない。

 

 

「……ミロク、SKYがタワー頂上付近に設置した脱出ポイントと都庁はつながりが安定してるから、すぐに行き来可能ね?」

『ああ』

 

「なら、()()()()()()()()が都庁からこっちに来れば、」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 これしかない。

 そのいきさつ故、本人は絶対に危険地帯に近寄りたがらないだろう。

 だが世界とパートナーの命運がかかっているのだ。嫌だなんて言わせない。

 通信機に向かって叫んだ。

 

 

「ヒムロを呼んで!! 『断ったらミヅチの前におまえを殺す』って伝えろ!!」

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 足もとに絨毯のように赤が広がっている。

 今も口の端から絶えず血が滴っている。穴の空いた水風船を想像して、思わず笑いたくなった。

 

 目分量だが二リットルは出ているかもしれない。ここまでされて生きているのだから、異能力者って恐ろしいなと他人事のように思う。

 常に前衛に立っているシキも、いつもこのくらいの血を流していたように見えた。さぞかし痛かっただろう。

 

 

(悪いことさせちゃってたなぁ)

 

 

 もっとうまくサポートできたら、と逸れる思考を、激痛が現実に引き戻す。

 大砲が撃ち込まれたような衝撃ががらあきの胴に入る。あばらが軋み、また新しい血があふれた。

 

 血に唾液、胃液で咳き込む自分を見てミヅチが嗤う。割れて噛み合わない欠片のように、何かが欠落した歪な笑顔。あたりまえだが罪悪感など微塵も感じさせない。

 視線は夢中で傷をなめ、触手は力加減を学ぶように強弱を調整しては体をなぶる。あれこれと手探りをして遊ぶ様は、まるで新しい遊びを覚えた子どもだ。

 普通の子どもなら相手が痛がったところですぐに止まって学習するだろうが、目の前のこいつは違う。相手の肉体がどれだけ持つか、どこまでなら壊れずに耐えるのか。……壊れたら、弾けたら、どんな音が鳴るのか。興味津々で蠱毒を眺める目をしている。

 

 

「思ったより頑丈だったのね、あなた。いじめがいがあって嬉しいわ」

 

 

 拘束はされずとも、両足と右腕に触手がぴったりと寄り添っていて動けない。ひざの切り傷は最初に落書きでもするように刻まれたものだ。薄皮がむける程度の浅い傷から、もう少しで骨に届く深いものまで。その気になれば簡単に切り落とせるぞというように。

 人の肉に刃を入れることに鼻歌すら奏でそうな様子に恐怖を感じ、動けなくなればあっさりこのザマだ。左腕を触手で巻かれて持ち上げられ、防具を外されながらサンドバッグにされて。

 

 ひたり、とミヅチの手が頬に当てられる。

 

 

「ねえ、何か言うことはないの? 戦う前からずっと無口じゃない。それともいじめすぎたかしら。……ああ、シキを待っているの?」

 

 

 無駄なのにね、と告げて爪が頰の皮膚をじりじり裂いていく。

 狂気の蜜が熟れてぐずぐずに煮えた好奇心。子どもの純粋さとは対極にある醜悪さ。

 人間の複雑な思考と竜の本能が悪い意味で融合している。手に負えないほど性質が悪い。

 

 返事を促されるように鳩尾に一発が埋まって空咳が出る。そろそろ吐けるものすらなくなってきた。

 

 

「シキを捕まえてあなたを殺すところを見てもらうはずだったのに、力みすぎてしまったわ。あの様子だと気絶していたようだし、今頃は地上でぺしゃんこになっているんじゃないかしら。……あっけなかったわね、残念」

 

 

 互いの吐息がかかる近さまで距離を縮め、ミヅチはおもむろに腕を上げる。

 今度は何をするつもりなのかと思えば、頭上に伸びている自分の左手に触れて、

 

 ボギッ、と人差し指を根元から直角に曲げた。

 

 

「──い゛っ、が」

 

 

 折られたと理解するのと同時に燃えるような痛みが襲う。喉の奥からがらがらに枯れた叫びが飛び出す。新しいおもちゃを見つけたというようにミヅチの顔が歪んだ。

 次は中指、一本飛ばして小指。少しもったいぶって親指。天を仰ぐ視界の中で、自分の指がありえない方向に曲がっていく。

 

 

(痛い、痛い、痛いっ──!!!)

 

 

 あふれる涙がむなしく地面に落ちていく。

 ばたつきそうになる足をなんとか抑え、口の中で舌と頬の肉を噛んだ。

 

 耐えろ。耐えろ、耐えろ。悲鳴は最初だけだ。やめてとか許してなんて絶対に言っちゃだめだ。

 

 胸中で自身に言い聞かせる間にも、痛みは絶えず体を苛む。

 ゲームのスティックでも回すみたいにミヅチは左手を弄んだ。

 

 

「シバさん。私、あなたのことけっこう好きだったのよ。おとなしくて真面目で、上の立場の者に素直についていく従順な子……シキの一歩後ろについて、横や後ろの視線を気にする臆病な人。あなたは自分の力も私の力もちゃんと理解しているはず。……その差がどれだけ離れているかも。だからこうして、無抵抗に私になぶられるがまま。私がムラクモにいたときと変わらないわね」

 

 

 違う、従っているつもりなんて毛頭ない。

 ここで堪えるのは自分のためだ。自分自身に、パートナーに、そして13班に後を託したあの子に胸を張って、何の憂いもなくがんばったよと笑いかけられるような人間でありたいからだ。

 

 

「ねえ、どうして薬指を残したと思う? 一番最後に一番ひどく壊してあげようと思ったからよ。どうせなら千切って食べてあげようかしら。いつか指輪をはめる日が来てもはめる指がなかったら滑稽でしょう? ここで殺すから意味はないけれど」

 

 

 踏ん張れ、ミナト。あのときの言葉を思い出せ。

 

 

『あんたのこの手は、何かを為せる』

 

 

(大丈夫、信じる。いくらでも待つ!)

 

 

 真っ暗な地下で自分を照らしたあの星。負けることが世界一嫌いなあの輝きは絶対ここに戻ってくる。だから諦めるな。

 冴えない、動けない、意気地がない、ないない尽くしの臆病が、自身の意思でこの苦痛を超えれば、それは世界中に誇れるくらいの勇気だ。自分がどれだけ弱くても、最後に残した人としての矜持は捨てるな。

 これ以上、目の前の邪悪に無様などさらしてやるものか──!

 

 

(タケハヤさんとだって約束した。私は、必ず、シキちゃんの隣に──!)

 

 

 パートナーの彼女が返ってくるまで耐えろ。どれだけ惨めに貶められようが死ぬんじゃない。

 泥を啜ってでも生きろ。二人で一緒に都庁に帰るために。

 

 

「っ゛、う……!!」

「ねえ、聞かせてちょうだい。今あなたはどんな気持ち? いつも自分を守ってくれていた子どもがいなくなって、怖くはない? 絶望していない?」

「あの子は……死なない……! あの子自身が、直接私に、自分は死んだって言ってくるまで……死んだなんて、思わない……あ゛、あ゛っ!」

「ふふふ、頑張るわね。もう指四本、粉々よ?」

 

「あの恥ずかしい女も、もう少し丁寧に殺してやればよかったかしら」

 

 

 燃え滾っていた思考が停止する。

 

 ミヅチは今、何を口走った。

 

 

「あのときたった一瞬で殺してしまったのはもったいなかったかしらね。こうして遊んであげて、もう許してくださいって泣いたところでハラワタを引きずり出せば……」

 

 

 目の前の唇が動くたび、激痛で発熱していた体が冷えていく。思い出の中の彼女に泥を投げられた気がして、痛みに耐えることだけ考えて力を入れていたはらわたが、ふつりと煮えた。

 

 

「他の人間も雑魚竜に喰わせず、私が一人一人殺していけば、もっと情けなく泣いてくれたのかしら」

 

 

 ああ、もう限界だ。耐えられない。

 痛みに、ではない。おとなしく堪えるという選択肢が頭の中から蒸発して消えた。

 

 

「……い」

「え?」

 

「アオイちゃんは、そんなこと言わない。あなたに『許して』なんて、あの子は絶対口にしない」

 

 

 ミヅチの縦に割れた瞳孔をにらみつける。近い距離で互いを見るのは、都庁で初めて出会ったとき以来だろうか。

 ムラクモ試験の開催を説明され、戦うなんてとんでもないと首を振る自分をナツメが説得してきたのだ。その力には価値があると。

 ああ、そうか。もうあのときから、いや……ずっと前から、彼女は「力」しか見ていなかった。

 

 ミヅチと同じ力、ドラゴンクロニクルを取り込む直前のタケハヤは言っていた。

 

 

『力が弱ぇだの強ぇだのって話なら、俺たちゃとっくにドラゴンに滅ぼされちまってる。……ミヅチはそこを誤解してんだ』

 

『力にこそ価値があるんじゃねぇ。力ってのは……意思があってこそ本当の価値が、あるんだよ』

 

 

 かつて、東京タワーのふもとには地獄があった。ナツメの姦計によって生み出された、悲鳴が飛び交い、痛みに満ち、血と涙が流れ、命も希望も余すことなく摘み取られてしまう地獄だ。

 息もできないほどの罪悪感と無力感に襲われただろう。辛くて、ただただ無念だったろう。それでも渦中にいたアオイは顔を上げた。超えられない壁が目の前にあって、自分がそこで尽きようとも、彼女は微塵も歩みを止めはしなかった。

 その「意思」がどれだけ貴いものだったか。何にも負けない輝きだったか。

 

 志波 湊は罵られても平気だ。弱いのも、泣き虫なのも、みっともないのも事実だから。

 けれど友だちを、雨瀬 アオイを、世界で一番の後輩を罵るのならば話は別だ。

 

 

「人竜ミヅチ……あなたは、まだ、本気を出していないでしょう。あれだけの炎と雷を操れるのなら、もうひとつ、扱える属性が、あるはず」

「……」

「あなたは、神様なんでしょう。おとなしくサンドバッグになってあげたんだから、最後くらい、人間の望みを聞いてくれても、いいんじゃないですか?」

 

「私と、その技で、勝負して」

 

「ふ、あっは──」

 

 

 心底不快な哄笑が世界に響き渡る。

 人竜ミヅチは愉快で仕方がないというように笑っていた。ひとしきり笑い、人間のように目尻の涙をぬぐう仕草を見せて──触手の怪力で、自分を宙へ放り投げた。

 

 

「いいわ。その通りよ、見せてあげる! あなたは選ばれたS級のサイキック……属性攻撃のスペシャリスト、超常現象を意のままに操る現代の魔術師! この技であなたを圧倒すれば、私の勝ち。この力は正真正銘、狩る者を超えたと証明できる! これ以上ない瞬間だわ、それで終わりにしましょう!!」

 

 

 ようやく触手から解放された。けれどもう、体が満足に動かない。左手なんて薬指を除いて見るに堪えないありさまだ。幸い、クロウは無事だった。

 

 

(よかった……ネコからのもらい物だもん、大事にしなきゃ)

 

 

 地上から遠く離れているからか、あまり重力を感じない。無風だったから、放られた体が空気を払う感覚が心地いい。

 ミヅチに投げられたまま素直に空中で舞い、顔の血をぬぐう。ぼろぼろの両腕を伸ばす。

 自分の手では遥か彼方の星座には少しも近付けない。でも大丈夫。

 ウォークライから身を守り、ジゴワットを追い詰め、ロア=ア=ルアを貫いた。トリニトロを捕らえ、スリーピーホロウへシキが駆け上がる道となり、ザ・スカヴァーを足止めし、ゼロ=ブルーとしのぎを削った。

 

 この手には、力が宿っている。そして、自分には意思がある。死んでたまるかと歯を食いしばり、何があっても諦めないパートナーについていくという意思が。

 

 体が落下を始めた。両手を合わせ、体の中でマナを練る。

 引き出せ、足の指先から髪の一本に至るまで、この身に宿るもの全てを。

 証明しよう、タケハヤが信じる意思の力を。見せよう、アオイが信じたセンパイの力を。

 

 体を眼下にいるミヅチに向ける。狂気を光らせる黄色い眼球が、がっちり自分を捕捉していた。

 

 

「みつちよ満ちろ……寒月に凍れ! これが……人の及ばぬ技よ!」

 

 

 一帯の気温が一気に下がる。視界の中の鉄骨、展望台の地面、全てが薄青のそれに覆われていく。

 マサキに渡された分厚いノウハウに載っていた術。サイキックの技のひとつ。

 その名前が意味するのは、「絶対零度の大地」、「氷の楽園」。

 

 手を振り上げる。

 体に収まらずほとばしるのは力の奔流。落下の軌跡を描いて昇るそれは冷気に変わり、紅の塔に咲く氷の華となる。

 

 

「さあ、消えなさい!!」

 

「──」

 

 

 人の身を超越した人竜。地面の下から宙まで這いあがってきた人間。向かい合うそれぞれの腕が技を放つ。

 名前はアイシクルエデン。文字通り全てを凍てつかせる、氷属性最大の術。

 

 展望台から宙へ。宙から展望台へ。

 竜の顎が合わさるように氷が噛み合い、東京タワーの頂は一瞬で極寒の世界に変わった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 指先が崩れている。なのに痛みどころか感覚もない。

 少し動かすだけでぼろり、バキリと崩れが広がっていく。壊死……いや、皮膚も血肉も骨も、文字通り芯まで凍っているのだ。

 

 寒い、と思った。

 

 寒い、寒い、

 

 

「寒い……」

 

 

 無意識にこぼれた声まで凍っているように響かない。

 なぜ今になって寒さなんて。氷の帝竜に支配されていた台場でさえ、寒さなど少しも感じなかったのに。

 

 人竜ミヅチは自分の肩を抱いた。

 

 視界は東京タワーの紅白の塗装の面影もない銀世界だ。自分を中心に氷が波紋のように広がっている。

 自分と対峙していた人間も姿はない。血もなければ装備、服の残骸、肉片も見当たらない。

 

 どこにいる。術の勢いで体が吹き飛んだのか? シキのように外へ放り出されたのか?

 いずれにせよ、彼女がいないということは。

 

 

「ふっ、ふ、ふふ……!」

 

 

 体の奥底から歓喜が湧き上がる。

 絶頂に打ち震えて衝動のままに空を仰ぎ、高らかに歌った。

 

 

「やった、やった!! 私の勝──」

 

 

「いいえ」

 

 

 ドッ、と胸に何かが当たる。

 

 

「──あ……?」

 

 

 衝撃が体へ広がり、肺を揺さぶられる。

 口から出たのは叫びにすらならない自分のかすれ声と、まき散らされる血反吐だった。

 

 

「が、あっ……は……っ!?」

 

 

 刺すように痛い空気の中、わずかな煙がくゆる。それと共に視界ににじみ出たのは、同じ技をぶつけた相手。

 

 ほぼ半身を氷に呑まれたミナトが片膝を着き、こちらに両手を向けていた。骨折と内出血、凍傷で紫に変色した左手を支えに、右手で鈍く光る何かを握っている。

 煙と光を放つそれは、見覚えのある銀色の回転式銃。

 

 

「その、銃は……!!」

「……当たってよかった。銃なんて初めて使うし、弾は一発しかないから不安だったんですけど……お互い氷に捕まって身動き取れないのが幸いしましたね」

 

 

 彼女が長く息を吐く。同時にその体を捕らえていた氷が音を立てて溶けだした。

 極寒の中で唯一、熱を放ち、血を流し、赤い色で存在を主張するミナトが立ち上がる。虫の息で、けれど確かに二本の足で氷の地を踏みしめた。

 その目がじっと見つめてくる。あなたは立てないんですか、とでも言いたげに。

 

 

「きっと、ナガレさんやアオイちゃんなら、もっと余裕で当てられたんでしょうね。トリックスターはすごいなぁ」

 

 

 間違いない。双方が撃ち出したのは最大出力のアイシクルエデンだった。手加減する気はなかったし、相手にはそんな余裕さえなかったはずだ。

 なのに、同時に身を隠し守るためのデコイミラー、氷の戒めを溶かすヒートボディまで使っていたなど。

 そのうえで、この状況は──!

 

 

「ナツメさん。……いいえ、人竜ミヅチ」

「貴、様……」

「人間の手はあなたに届いた。私たちは、あなたにだけは決して負けない」

「貴様! 貴様ああぁっ!!!」

 

 

 よくもこの体に、あの女の武器を。

 殺してやる。頭をもいで、四肢を切り落として、一つ一つ臓器を潰して、手に持つ銃ごと何もかも蹂躙してやる。

 

 全ての触手をミナトへ飛ばした。

 ぼろ雑巾のような立ち姿があの赤髪と重なる。避けられる余裕など残っていないはずだ。

 やれる。あの時の再現だ。気に入らない女を粉々に、いや、もっと無残に!!

 

 五本の触手がうなりを上げて的へ殺到する。

 渾身の一撃は、その額に触れる寸前──ぎしりと停止した。

 

 

「!?」

 

 

 動かない。触手も、かろうじて凍っていない胴体も。肉も骨も、全てが役割を忘れてしまったかのように働かない。

 寒さに苛まれているはずの皮膚からじわりと汗がにじみ出る。

 

 

「なに、これ、は……!!」

「……私はただの嫌がらせで、使ったこともない武器を大事な戦いに持ち込んだりしません。私は代理です。あの子と、あの人の」

 

 

 ミナトは目を閉じ、役目を果たした銃を胸に抱く。

 チャンバーに弾は入っていない。装填してきたのはミヅチに撃った一発だけ。

 この銃も、弾も、シキの装備を新調するため都庁に戻った際、ある男性に託されたのだ。

 

 

『待て、13班』

 

『? どうしたんですか。ええと……イイノさん、ですよね』

『ああ、これを持っていけ』

『……! これってアオイの』

 

『渡すべきか、大人しく引っ込んでおくべきか、悩んでいた』

 

 

 国分寺に向かう途中の地下道で救出したイイノは、銃を専門とする職人だった。職人気質の彼は自身の腕と作品にこだわりを持ち、仕事以外の会話では「ああ」か「いいや」しか言葉を聞いたことがなく、武器に関してはトリックスターでなければとりあってもらえない。だからほとんど接点はなくて。

 そんな彼が、アオイの銃と一発の銃弾を手渡してきた。そのときも葛藤していたのだろう、作業用の手袋に包まれた両手は時間を引き伸ばされているようにゆっくりと動いていた。

 

 救助されて都庁に案内された際、失踪者の捜索から一度戻っていたアオイと顔を合わせたのだとイイノは話す。

 

 

『能天気で無鉄砲なトリックスターだった。……それぐらいの度胸があれば、あの弾も使いこなせると思っていた』

『あの弾……?』

『研究室のマサキが言うに、トリックスターの奥義になりえる、らしい。この銃弾は、その試作型(プロトタイプ)だ』

 

 

 掌の上で転がる、数センチのきらめき。

「全てを込めた」とイイノは言った。

 

 

『俺が今できる全てをつぎ込んだ。……これは俺のエゴだ。自分の武器を使うはずだった者が殺された、俺個人の怒りだ。決戦に水を差してしまうようなら、返してくれて構わない』

『だがもし、持っていってくれるなら……人竜ミヅチに、撃ち込んでくれ。必ず、有効な一手になるはずだ』

 

 

 頼むとイイノが頭を下げる姿を見て、ケイマとレイミはおろか、ワジすらも仰天していた。

 

 銃職人とトリックスター。本来繋がるはずだった縁は人竜ミヅチによって断たれてしまった。

 わずかに震える彼の肩。美しいまでの輝きを放つ、手入れが施されたアオイの銃。断ることなどできはしない。

 

 エゴなんかじゃない。ミヅチに立ち向かうという意思はアオイだって持っていたものだ。むしろ背中を押された気持ちになった。

 

 

「これもあなたがコケにしていた人間の力。……あなたが踏みにじった! 私の友だちと、都庁の人たちの! 絶対、あなたには負けないっていう、意思を乗せた一発だっ!!」

 

 

 絶対零度にも負けない熱い涙があふれ出る。嗚咽を抑えきれず、食いしばった歯の隙間からうめきが漏れる。

 ゆらゆらと潤む視界の中、ミヅチは胸を押さえてもがいていた。

 

 

「ああ、あ゛ああああっぁぁあ゛!!?」

 

 

 熱い。苦しい。痺れる。皮膚の内側で何かが破裂する嫌な感触が内臓を責める。肉と骨がどろどろに溶かされていく。

 体内で爆ぜる不快感にミヅチは目を見開く。銃弾を取り出そうと胸の傷口に突っ込んだ手も、凍っていたためぼろぼろと崩れていった。

 

 

「許、さない許さない! よくも──!!!」

 

 

 ぎ、と固まっていた触手が動く。

 

 少しずつ、確実に凶刃が迫る。

 アオイを殺したそれが、今度はミナトの眉間を──

 

 

「させるか」

 

 

 ──捉える前に、素手の拳が叩き落した。

 

 

「……!!」

 

「──あ」

 

 

 いけない、こんなタイミングで来られたら、涙が勢いづいてしまう。

 星を抱く宙のように全てを吸い込む黒髪、白いセーラーに鮮やかな赤いスカーフ。

 

 

「何よその顔。まさか死んだと思ってた?」

 

 

 バカね、とこっちに向けられる貴重な笑顔。つられて表情筋が緩んでしまう。

 

 

「信じて待ってた……私、がんばったんだから、シキちゃん」

「ああ。私もあんたならやれると思ってた。あとは任せろ」

 

 

 満身創痍のパートナーがゆっくりへたり込むのを見て、シキはミヅチと向き合う。

 凍りついて崩れている四肢。青ざめて脂汗を流す肌、焦点のあっていない黄色い目。

 まがまがしくて痛々しい。ナックルのはまっていない両手をほぐしながら、彼女のもとへ歩いていく。

 

 

「あんたの敗因。自分が絶対的有利に立っていると信じて疑わなかったこと」

 

「あんたの敗因。キリノやSKYを舐めてたこと。アオイや私のパートナーを取るに足らないと思っていたこと」

 

「あんたの敗因。私がいつまでもあんたの掌の上で踊る子どもだと決めつけていたこと」

 

「あんたの敗因。……今までの全てを──人間である日暈 棗を否定したこと」

 

 

 生まれてから十四年を共に過ごしてきた女の前に立つ。

 これはガトウが、ナガレが、アオイが、自分の相棒が入れるかもしれなかった一撃。

 誰であろうと、人間が竜を倒すために放つことには変わりなかった、とどめの一発。

 

 腰を落とす。半身を引き、軸を保って。

 

 

 全身全霊の拳を目の前の鳩尾に叩きこむ。

 

 

「──!!」

 

「さよなら、ナツメ」

 

 

 無数の脅威を屠った拳は、この世で最も信頼できる武器だ。

 幼い頃の地獄を生き抜き、パートナーの手を引き、間違いなく人類をここまで引っ張り上げた少女の手は、人竜の核を捉えて砕いた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 十四年前。まだキリノとも出会っていない頃だ。

 

 ムラクモ総長の座についてしばらく。部下の一人が部屋に飛び込んできた。

 ノックもしないことをとがめる前に告げられたのは、ムラクモに所属する研究員、飛鳥馬夫妻の訃報。海外の研究所から戻るために乗っていた飛行機が、事故か何かで海に突っ込んだという話だった。

 異能力者でもある二人が死んだという報せに最初は半信半疑だったが、その件がニュースでも流れ、夫妻の遺体が確認されたと報じられてやっと実感がわいた。巨大な旅客機が粉々に大破し、搭乗者ほぼ全員が海に沈んで発見されない中、二人の遺体だけは五体満足で残っていたのだ。運も絡んでいるだろうが、きっと異能力者だったがゆえだろう。

 

 優秀な機関員を失ってしまった。人員の補充が必要だろうか。

 

 組織の損失と、仕事が増えてため息をつく自分に、部下は言いにくそうに追加の相談をしてくる。夫妻の子どもはどうしましょう、と。

 ああそうだ、彼らがしていた研究の第一例にして、成果が見られなかったため失敗とみなされた一人娘。出張には連れていけず預けられていたという赤ん坊だ。生まれたばかりで乳離れもできていないらしい。

 実験として失敗していても、異能力者の実の子。その血で異能力に目覚める可能性はある。戦闘員としては使えるかもしれない。

 

 

「育児の経験がある職員を傍につけて。私も、余裕があるときに様子を見に行くから」

 

 

 それがシキとの出会いだ。別に思い入れもないし、いちいち覚えている必要もない。

 けれども忘れられなかったのは、初めて見たとき、赤ん坊の目がいやにはっきりしていたからだ。自我が形成されるのはまだずっと後だろうに、つぶらな両目は光を宿してたしかに自分を見つめていた。

 

 

 そう、今みたいに。

 

 

 額が着きそうになるほど近くにあるシキの顔。その瞳に自分が映っている。目を見開いて血に濡れ、ひび割れた醜い自分の顔が。

 シキの拳が叩きこまれた場所、体の奥で芯が砕ける音がした。敗北を告げる、決定的な感触だった。

 息を呑んで手を伸ばす。けれど何も待ってはくれない。体中に満ちていた力も、あふれていた万能感も。

 心も体も、生まれてから今まで積み上げてきた全てを捧げ、ようやっと手に入れたはずの光が、指の隙間からするりと抜けていく。

 

 

「嘘……でしょう!? 私は……神に……!」

 

 

 もがいても欠片も戻ってこない。水をつかむようにあっけなく形をなくしていく。

 

 

「これでも、足りない……というの……?」

 

 

 崩れる。届かない。

 消えてしまう。全てが泡になる。

 

 

「ヒトを捨てて……力なき者どもを喰らって……! それでも私は、チカラ、を……チカ、ラが、ないと……」

 

 

 触手は機能せず、四肢は崩れて動かない。なんとか形を保っている体も、もう。

 間違いなく自分は星の頂点に君臨していた。まぶたの裏に景色を浮かべれば、瞬きひとつでその場所へ飛べた。指を差せば、その先にあるのが人だろうが国だろうが、S級の異能力者だろうが、思うがままにできた。

 

 そうして得られたものは、いったい何だろう。つかんでいたはずの手すら、視界の中で跡形もなくなっていく。

 

 

「わた、しは……この……力で……何を……したかった……んだ……ろう……」

 

 

 何も為せなかった。

 

 何にも成れなかった。

 

 

「わ、たし、は……わ、た、し、は──」

 

 

 努力をした。でも届かなかった。

 だから人体実験に手を出した。でも足りなかった。

 だから竜の領域にまで踏み込んだ。なのにどうだ。

 ずっとずっと、誰よりも高みを目指して、ようやく触れることができた。いつもA級(秀才)を突破できなかった自分に背を向け、一歩前に立っていた彼女(天才)たちに追いつけたと思ったのに。

 隣に立ち、追い抜き、誰よりも先へ進んでいたはずなのに。

 生まれたまま人間で在り続けている彼女たちは、人間であることを捨てた自分を踏み越えていく。

 

 欲しい、力が欲しい。自信が欲しい。どれだけの時が経とうと不変である空のように、幾光年離れていようが地球に光を届け続けている日のように。

 何があろうと存在し続け、消えることのない力。実感。言葉。認識。全て全て全て。

 

 認めたい。認めてほしい。

 満たされたい。満たしてほしい。

 

 

 誰か。私だけでは。

 

 

 

 最後に目に見えたのは、宙でも星でも、目の前の少女と女性でもない。

 自分を慕っていたであろう、穏やかな青年の姿だった。

 

 以前、彼は人のために力を使いたいと自分をまっすぐ見つめてきた。それよりもずっと前から、様々な想いが込められた瞳を向けてきていた。

 自分にとっては余計なものだから、指摘することも応えることもなかったけれど。

 誰よりも自分を見続けていた彼なら、自分が得たかった「何か」を知っていたのだろうか。……形にすることだって、できたのだろうか。

 

 ああ。

 

 

「教えて……キリ……ノ……」

 

 

 最後の最後、ほんの一瞬。

 人間の姿に戻り、直後に日暈 棗は光となって弾けた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 はーっ、と息を吐いて立ち尽くす。

 

 

「……何がしたいかなんて、普通最初に決めておくことでしょうが」

 

 

 人竜ミヅチは死んだ。世界中に消えない傷を刻んでおきながら、何もわからないというような、まるで迷子にでもなったような顔をして、ナツメは消えた。

 人を動かす原動力となる欲。何がしたいか、何を得たいのか。積み重ねられていく過程の、一番下にある地盤。

 かつて抱いていたであろうそれが、いつの間にか目的になってしまっていたのかもしれない。本人がいなくなってしまった今では全てが憶測に過ぎないが。

 

 

「あんたがしたこと、許せないし、許さないわよ」

 

「シキ、ちゃん……お疲れ様……」

 

 

 背後で労いの言葉と、ぼたぼたと粘性のある液体が叩きつけられる音がする。続いてどしゃりと崩れ落ちる音も。

 

 

「ミナト!」

 

 

 くずおれたパートナーに駆け寄って助け起こす。

 

 

「……人生で一番辛いのって、自分がどこに向かっているかわからないときなんだって」

 

 

 腕の中、自身に治癒をかけるミナトはナツメが立っていた場所をぼうっと見つめていた。

 

 

「あの人にも、夢があったのかもしれない。私たちみたいにS級の力を振るって……自分自身の手で、何かを成し遂げたくて……道に迷っちゃった、のかも」

 

 

 自分たちがドラゴンと戦うと決意したように、ナツメも竜災害の中、もしくはずっと前から、目標を定めて歩いていたのかもしれない。その歩みの中で、S級の人間の歩幅が羨むくらい大きく見えたのか、自身の歩幅が意味ないものと思えてしまうほど小さく見えたのか。

 そんな彼女からしたら、竜の力は救いの光として見えたのだろうか。

 手を伸ばしてつかんだはいいものの……結果はこれだ。道を踏み外した人竜は、自身の結末に満足すらできずに泡となった。

 やめた、と頭を振る。ああじゃないかこうじゃないかと考えたとて、本人がいなくなってしまったのでは憶測に過ぎない。今となっては決めつけるのも哀れむのも、すべてが自分たちのエゴになる。

 

 ムラクモの技術でも電波を届かせることができなかった東京タワーの頂点。この場で起きたことを覚えているのは、自分たち二人だけ。

 都庁に戻って、任務完了の報告をして、すべて終わったら。ナツメの最期をキリノに伝えようと思う。唯一心の底からこぼれ出たのだろう、彼女のまっさらな言葉を。

 

「教えて、キリノ」。

 

 たとえ彼が、そこから何も見出せなかったとしても。

 

 

「……やった、よ、アオイ……ちゃ……」

 

 

 ミナトの首ががくりと垂れた。気を失ったらしい。息はしているものの、ひどく弱々しく、血が流れ続け体温が失われている。重傷だ。

 早く治療しなければ。下に戻って脱出ポイントに飛び込めば、すぐに都庁に戻れる。

 そうしてミナトを抱えて走り出そうとして、奇妙な感覚に後ろ髪を引かれる。

 

 

「……?」

(何だ?)

 

 

 ミヅチは倒した。フロワロは散った。確かに見届けた。これ以上懸念することなんてないはず。

 いや。

 

 天を仰ぐ。

 彼方へ広がる黒い宙。無数の星が自分たちを見下ろしている。その煌めきに混ざるように、徐々に、徐々に。

 吐き気すら感じるような圧が、のしかかってくる。

 

 

「……誰だ」

 

 

 腹の底からうなってみせる。

 応えるように、一瞬、視界が白く染め上げられた。

 

 

『……もう終わりか?』

 

 

 ぞっ、と全身が粟立つ。

 反射的にミナトを抱き込んでいた。初めてウォークライと対峙したあの日以上の緊張感に襲われ、心臓が破裂しそうなほど大きく脈打つ。

 

 

『なんともアワレで……コッケイな物語だ……これだから、ヒトは面白い。クァハ、クァハ……』

 

 

 こちらの警戒は意にも介さず、声はゆったりと響き渡った。

 何かが、じっと自分たちを観察している。

 

 

「誰だ!?」

 

『そう驚くな……ワレはこの余興を、ずっと見ておったぞ。コノ星に、ワレの分身たる竜どもを、遣わした瞬間からな……』

 

 

『ワレはチカラの頂点、真竜……ヒトのコトバで……「神」と呼ばれる』

 

 

 

 神。真竜。

 言葉の意味を認識できず固まる中、再び視界が白く染まる。

 一度閉じて開いた目に、東京タワーの紅白とは異なる色の道が映った。虹のような光を放って透ける階段だ。

 このタワーよりももっと高く、宇宙の果てまで続く道。

 

 

『世界は間もなく滅びる……ワレが喰らうコトで、星ごと消滅するのだ。少し予定より早かったが……イイだろう。コノ星は、十分喰うに値する』

 

 

 そいつは静かに笑った。それだけでぐらりぐらりと空が不安定に傾ぐ。

 

 

『ヨモヤ人竜などと……想像したコトもなかった……コノ星は、面白い星だ……。……ワレを楽しませてくれた礼に、オマエたちに、チャンスをくれてやろう。竜の災厄を止めたくば、その光の階段をアガってくるがいい。強制はせぬ……オマエたちが、選ぶのだ』

 

「……」

 

 

 落ち着け。息を止めるな。一気に呑まれる。

 考えずとも、答えはご丁寧に相手が教えてくれた。

 2020年3月31日。突如地球に飛来して、人間をピラミッドの頂点から蹴落としたドラゴン。

 世界中を跋扈する雑魚の上位、ダンジョンの最奥から一帯を支配していた帝竜。そのさらに上。おそらくは頂点。全ての竜の頭にして、本当の敵。

 

 

「──」

 

 

 息を吸って、吐いて。そいつが座しているであろう、階段の果てを見上げて睨む。

 

 

「そこまで来て欲しいなら行ってやる。だから大人しく待ってなさい。神様がいる舞台に合わせてめかしこんで来てやるから」

『ほう、上がってくるか……イイだろう』

 

 

 腕の中のパートナーを見下ろす。

 この怪我では戦闘への復帰は無理だろう。ほぼ一人でミヅチの相手をしていたのだ。今は治療に集中させるしかない。

 悪い、と額の血を拭ってやる。

 

 

「ここからは私が行くから、あんたはゆっくり休んでなさいよ」

 

 

 散々死にかけた今までの戦いは前座に過ぎなかった。ここからが本番だ。

 改めて、逃げるわけではないから待つようにと上空の黒幕に言い聞かせ、シキはタワーの中に戻った。

 

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