2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!!   作:蒲焼丼

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今回も原作の主題歌『SeventH-HeaveN』(sasakure.UK 様作)より、一節をタイトルにお借りさせていただきました。

ラスボス戦でまさかの人材? が活躍。最初は入れるつもりなかったんですが、せっかく登場させたので。
ラストバトルなのでニアラにも13班にも必殺技を使ってもらいました。



41.枯れてくれるな、運命 - VS 真竜ニアラ -

 

 

 

 流星が渦を巻いて飛んでいく。眼下には青と赤が混じり合う惑星が見える。

 どこまでも広がる暗闇と、それを塗りつぶすような色彩と光の洪水。

 壮観の一言に尽きるだろう。──神と戦うなんて突飛すぎる状況でなければ。

 

 地球を飛び出した宇宙のただなか、赤い舞台が激震に揺れた。

 

 空間を呑みこむ嵐のようなブレスを裂いて前へ突き進む。

 標的はすぐそこ。ド派手な神体は目をふさがれても見つけ出せるほど存在を主張していた。

 痛々しいとさえ感じる黄金に拳を振りかぶる。

 

 

「っだあっ!!」

 

 

 音が轟く。

 拳の当たった真竜ニアラの頭が揺れた。が、それだけだ。

 寝起きのように緩慢と上げられた顔には感情など浮かんでいない。種族が違うので感情があるかどうかもわからないが。

 

 鬱陶しい羽虫を払うように、ニアラが黒い右翼を上げる。

 鈍いとさえ言える動作。たったそれだけで、舞台が爆心地と化す。

 

 

「っ!!!」

 

 

 全てが黒い炎に包まれた。ウォークライ、トリニトロとは違った感触、桁違いの規模の漆黒が昇り立つ。

 髪の先が砂のように崩れていく。燃やすなんて表現がかわいらしく思えるレベルだ。そこにある物を原子から分解して消し去る……まるで虚無そのもの。

 

 辛うじて燃えていない足場を飛び跳ねて距離を取る。ミナトが発動したのだろう治癒の光に包まれ、体は炎の毒牙に捕まらずに済んだ。

 直接攻撃を喰らったわけではないのに、肌がビリビリと痛む。神経が張り詰めすぎて、体中の血の流れが止まってしまいそうな気さえする。

 

 神、なんて。腹立たしいが認める他ない。目の前の相手は帝竜とは格が違う。人竜ともケタが違う。あの様子じゃD深度につながる余波は愚か、ダメージもまともに入っていないだろう。

 拳が通じない相手なんて──

 

 

「えいっ」

「だっ」

 

 

 バチンと背中に何かが当たった。それはそのままゆったりと上下し、肩から腰を優しくなでる。

 肩越しにミナトの顔が覗いた。血とススで汚れた頰を緩め、彼女は背に当てた手を動かし続ける。

 

 

「珍しいね、怖い……ううん、緊張してる?」

「……緊張……」

「あはは、そこまで考える余裕はないか。……一人で前に立たせてごめんね。でも大丈夫、絶対にサポートするから」

 

 

 まるで赤子をあやすようだ。指先でとんとんと背を叩かれる。

 

 

「私もかなり緊張してる。心臓爆発しそう。でも……」

 

 

 真正面から黒炎が雪崩れてきた。

 ミナトが一歩踏み出し、両腕を広げて踊る。指先が描いた軌跡は火の円環になり、舞台の隅から外へ一瞬で駆け抜けた。

 サイキックの炎がニアラの炎を巻き込んで宇宙へ消えていく。

 背後に広がる熱気をものともせず、赤い逆光を背負ったパートナーは笑いかけてくる。

 

 

「あの真竜はめちゃくちゃ強いだろうけど……背中を預ける仲間もいなければ、手を引いてくれる誰かもいない。ここに二人で立ってる私たちには追いつけないよ」

「あんた、火は」

「こんな炎、怖くないよ。あのときのあれに比べたらぜーんぜん」

 

 

 醜い火傷の痕が残る自身の背を示しつつ、ミナトは白銀水を一本飲み干した。今ので相当マナを消費したのだろう。

 疲労と痛みで震える指先。ミイラかと思うくらい体中に巻かれた包帯。滲んでいる血。自分よりもずっとひどい状態のくせに格好をつけて。その声には偽りなんてかけらもない。

 

 チームで戦うことがどういう意味を持つのか、改めて思い知る。 (可能性)がなければ拓いていくのが自分の役目。そうすれば、その隙間をミナトが広げてくれる。

 後ろか横には必ずこのパートナーがいる。なら余計なことは考えずに突き進め。

 

 ニアラが再び黒炎を広げる。すかさずミナトが氷河の壁を生み出してせき止めた。同時に走って懐へ接近する。

 強固な相手にいい加減にぶつかるだけでは傷すらつかないだろう。なら、

 

 

(一点集中!)

 

 

 周囲の氷河が煮えたぎるように溶けていく。

 崩れてくる氷塊を足場に駆け上がり、真正面から相手の赤い眼と向き合う。

 全身に黄金をまとう翼竜。弱点と言える箇所はない。ならば狙うのは厄介な武器だ。

 相手の攻撃は規模が大きすぎる。少しでも戦いやすくするために、真っ先に武器を奪う。標的はその嘴。

 渾身の力でフックを見舞う。ニアラは避けようともせず、狙った場所に拳が当たった。

 横っ面をはたかれ、さっきよりも大きく頭が揺れる。

 ニアラはほう、と感心するように目を細める。憎たらしいことにまだまだ余裕が残っているようだ。

 

 

『ソレが全ての帝竜を狩った手か。まだヌルイ……』

「あっそう。じゃあそのままおとなしくしてろ!!」

 

 

 もう一発、さらにもう一発。おまけに足も加えて追撃を見舞う。地震にも負けない衝撃に真竜の頭部が轟音を鳴らした。

 当たっただけで満足はしない。確実にダメージを積み上げて初めて攻撃になるのだから。

 ダメ押しに拳を叩きこむ。連撃を与えた箇所がほんのわずかにぎしりと軋んだ。

 

 真竜の目が動いた。にやついて細められていた真紅が、鏡のように自分を映す。

 まずい、と思った時には既に闇が周囲を包んでいた。

 

 

『鬱陶しい』

「っ!?」

 

 

 暗い視界で七色の光が瞬く。そこら中に広がる星とは違う、棘のように目を射る刺激。

 ほんの一瞬浴びただけで視覚が塗りつぶされる。ミヅチ戦での傷も痛みも癒えていないのに、追い打ちをかけるような倦怠感と吐き気がまとわりついた。

 次いで横から風圧がかかったと思えば、視界がぐんと横に流れる。

 体が脳の命令をきかない。側面から巨大な何かに押され、ただただ磔になる。

 

 

「シキちゃん! っつう!!」

 

 

 大砲のような音と、衝撃と、すぐ頭上で響いた苦悶。

 数秒脳を揺らし、落ち着いた視界に映ったのはミナトの胸もとと舞台の地面。そして翼を広げるニアラ。リカヴァの光を浴びてようやく真竜に翼で払われたのだと気付いた。受け身も取れなかったのに無事だったのはミナトが受け止めてくれたからだ。

 激しく咳き込み、デコイミラーがクッション代わりになったとパートナーはこぼす。

 

 

「大丈夫? 前にミロクが言ってたダウナー効果ってやつかな。ロア=ア=ルアに似た技も使えるみたい」

「くそ、反応できなかった……」

「……代わる?」

「バカ言え」

 

 

 サイキックが前線に出たらそれこそ一撃で消し飛ぶだろう。……ミナトならちょっとは持つかもしれないけれど。

 いずれにせよそんなことさせるほど愚かではないし、自分だってまだ動ける。

 四肢の痛みなど気のせいだ。戦いはまだ始まったばかりなのだから。

 

 ずしんと地面が揺れる。ニアラが足を踏み出してこちらに接近していた。

 

 

「ちっ……!」

 

 

 後衛に近付かせてなるものか。ミナトにできるだけ下がるように伝えて飛び出す。

 

 

「吹っ……飛べぇ!!」

 

 

 渾身の蹴りを胴に入れる。反動で膝が激しく痺れるほどだ。そこにミナトの氷の津波も加わってニアラの腹を打つ。なのに相手は一歩分後退っただけ。

 返礼というように、宙に浮いた自分を巨大な顎が掬い、左右から上顎と下顎が迫る。

 喰われてなるものか。牙をつかんで受け止めた。

 

 

(お、もい……!)

 

 

 両腕が圧されて痛む。牙の先が食いこんで手と二の腕から血が滴る。

 負けるかとさらに力を込めた瞬間、目の前に広がる喉の奥がギラリと光った。

 

 

「しま──っつあ゛!!」

 

 

 爆発的なブレスを至近距離で浴びる。防具が跡形もなく吹き飛び、体もまた木の葉のように押しやられた。

 皮膚が嫌な音を立てて焼けるのは無視だ。攻撃を受けるだけで終わるな。目を開けて空間を捉えろ。

 体勢、地面の位置を把握して今度は自身の体で着地する。

 直後、ミナトに抱きつかれて地面に押し倒された。すぐ頭上を光の弾が飛んで背後が爆発する。

 

 

『どうした。ネズミのように地を這うだけで、我を討てるナドと思ってはいまい?』

「この……!」

 

 

 ミナトが走り出して属性攻撃を連発する。距離を取りつつ回りこみ、視界を遮るように規模は大きく。

 前衛の負担を減らすために、自身に注意を向かせようとしている。無茶をするなと止めようとしたが痛みが声を遮った。ブレスもそうだが、牙によって負った傷がかなり深い。手には谷のようなV字の切れ込みが入り、腕は先が食い込んだだけで穴が開きそうになっている。

 冗談じゃない、向こうは本気で殴り続けてやっと痛みを感じているようにしか見えないのに。

 

 ニアラがミナトを追う。黒炎の波を放てば赤い炎でいなされ、ブレスを浴びせようとすれば雷で視界を潰され、噛み砕こうとすれば氷山に阻まれる。

 ならばと撃ち出される光弾を紙一重で潜り抜け、彼女の片腕が自分を指さした。キュアがかけられ手と腕の傷がふさがっていく。

 同時にサイキックは号令するように腕を払う。宙に数多の氷の刀剣が生み出され、ニアラに殺到した。

 

 

『ヌルイわ!』

 

 

 降り注ぐ切っ先は全てニアラの表皮に打ち負け砕けていく。

 属性攻撃の雨を突っ切り、真竜は首を伸ばしてミナトを捉えた。

 その牙が容赦なく噛み合わされ、砕ける音が響く。

 

 

「ミナト!!」

 

 

 気が付けば叫んでいた。嘘だ、まさか、と頭が考えることを拒否する。

 

 ニアラに噛み砕かれたパートナーは目を見開いたまま動くことなく……透明になって弾けた。

 虚像に弄ばれたニアラの後ろに人影が現れる。

 

 

『何だと……?』

「本命は……こっち!!」

 

 

 コンセントレートも使ったのだろう、巨大な雷の柱が堕ちて真竜を呑みこむ。

 舞台中を弾ける音が満たす。こちらを巻き込む勢いで電撃が空気を伝い、肌をちくりと紫電がなでた。

 

 

『ぐ、ヌゥ……!?』

 

 

 初めてニアラがうめき声をあげる。そのシルエットが不自然に固まる。

 積乱雲の中心にいるような轟音と光の中、ミナトがこっちを向いた。

 

 

「考えちゃダメ!! 攻めよう!!」

 

 

 星、真竜の金色、属性攻撃の光。その中に埋もれながらも自分を見つめる瞳の輝きをたしかに捉える。

 深海を潜り続けるような、宇宙を飛び続けるような、終わりが見えないことに対する焦り。それを必死に押し込めてミナトは叫ぶ。

 止まるな。終わりがまだ遠いとしても、今までの道程が、人間たちが竜を踏み越え、着実に進んできたことの証。

 頭の片隅、心の一片さえも不安に染めるな。下を向く余力があるなら全部戦うことにつぎ込め。

 

 ニアラが忌々しげにうめいた。大きく開いたその嘴には……見たことのない線が一本。

 

 

「傷……!」

 

 

 間違いない、攻撃が通り始めている!

 

 逃がすなと自身に言い聞かせて走り出す。

 

 

「届けぇっ!!」

 

 

 傷に重ねてありったけの力で殴る。小さな亀裂がわずかに広がり、真竜がぎりっと歯ぎしりをした。

 追撃をしようと握った拳を見て真竜は叫んだ。黄金の左翼と漆黒の右翼が広がり、巨体を戒めていた雷電が弾ける。

 

 

『小癪なっ!』

「あぐっ!?」

 

 

 また体を激しい振動が襲い、視界がぶれる。

 赤い爪が生えた足に捕らわれ、舞台に固定される。のしかかる重さに下敷きにされた脚が血を吹くのを感じた。

 もがけばもがくほど痛みが増す。骨がすりつぶされそうな感覚に唇をかみしめる自分をあざ笑い、ニアラが口に光を集めた。

 

 

『サア、死ねい!』

 

「させる、かあ!!」

 

 

 ミナトが叫んで冷気を飛ばす。勢いを保ったまま形を成した氷塊がニアラの頭を打ち、ずれたブレスがすぐ横の地面に衝突した。

 わずか数十センチずれた場所で巨大なエネルギーが飛び散り、余波が体を叩く。直撃をまぬがれたにせよ凄まじい力が至近距離で爆発しているのだ。セーラーが燃えて頬が焼かれる。

 

 

「っつう……!」

「シキちゃん! ──あっ、しま……!?」

 

 

 ミナトが自分を呼んで治癒術をかけようとする。が、万全ではない体調で最大級の術を放ち続けたのだ、限界の近い体は力をまとめられずに霧散させてしまう。

 マナを枯渇させたことによる意識障害に襲われ、パートナーは体勢を崩した。

 

 

『家畜よ、退け!』

 

 

 今度こそ獲物を喰らおうと、ニアラは体をねじり、無理やり首を伸ばした。

 ミナトが白銀水の瓶をくわえる。マナの回復は追いつかず、氷を出しても壁ではなく小さな足場を作って飛び退るのが精いっぱいだ。

 かろうじて開いた距離も真竜の一歩ですぐに埋められた。開かれた口に並ぶ牙が、足に追いつく。

 

 ダメだ、間に合わな──

 

 

『ヌギュアーーー!!』

 

「え!?」

「は!?」

 

 

 ガチンッとニアラの牙が噛み合う。何も捕まえられずに空振りした音だ。

 その一瞬前に響いた謎の雄叫び。自分たち人間の声でも真竜の咆哮でもない。アイマスクのように真竜の顔にかぶさる黒い何かが発している。

 液体でも固体でも気体でもない、鮮血のような紅眼をいくつも生やした謎のスライム……。

 

 

「え……邪神さん!?」

 

 

 ミナトが呼ぶのと同時にニアラが吠えた。不快感と困惑が入り混じった叫びが響き、音の圧で黒がはがされ宙を舞う。

 圧力が緩んだ真竜の足からなんとか抜け出す。同じく急いで距離を取るミナトがスライム、もとい邪神インヴェイジョンを受け止めた。邪神はこちらの都合などお構いなしにキーキーがなりたててくる。

 

 

『小娘ども、何をしているか!! こやつが我の星を好き放題喰い散らかした元凶だろう! 帝竜のように伸してしまえばいいものを、さっさとせんか!』

「地球はドラゴンの物でもないしあんたの物でもないわよ!」

「いや、邪神さん、なんでここに……!?」

『竜との戦いなぞおまえたちに勝手にさせておけばよいと思っていたがな、一度戻ってきたとき、以前と違い苦戦しているようだったではないか。おまえが再び発つとき影に潜り込んで様子を見ていたのだ』

 

 

 インヴェイジョンがミナトの腕から脱け出し、にゃんパーカーの裏側、足もとの影にするりと入り込む。丸い眼球を一つだけ覗かせ、「ぼうっとするな!」と叱咤を飛ばしてきた。

 

 

『我の器になる体を持っているという自覚がないのか? 唯一戦えるおまえたちが死んでしまっては星が完全に滅ぼされ、我への捧げものもなくなるであろうが! 今は特別に力を貸してやる。あの無駄にギラギラした鳥をさっさと始末しろ!』

 

 

 あくまで己の欲のために来たのだと邪神は主張する。

 予想もしていなかった助太刀に目を合わせ、ニアラの苛立ちをはらんだ声に我に返り、慌てて薬をあおった。

 

 

「シキちゃん、体は大丈夫?」

「そういう質問、するだけ無駄よ。こいつが倒れるまで戦うんだから」

「……それもそうだね」

 

 

 自分は全身ぼろきれのようにズタズタ、相方も元からあった傷に新しいものが加わって体が不安定に傾いでいる。

 何故立てているかもわからない状態で苦笑できるのは、倒れることは絶対に許されないと知っているからだ。

 邪神の言う通り、自分たちが死ねばもう戦える手立てがない。ニアラは地球に降り立って全てを喰らい尽くすだろう。

 地上で13班の帰還を待つSKY、自衛隊、キリノにミロクにミイナ。都庁の人間たち。どこかの国で、自分たちと同じようにあがいていた者たち。

 彼らの命が懸かっているというのもある。けれどそれ以上に、自分自身が、この意地が、意思が、魂が許さない。その全てが、真竜に負けるという可能性を否定しきってみせろと、体を動かす熱になる。

 

 

『貴様ら、ワレの玉体に傷を付けるナド……!』

「バーカ。自分だけ汚れない傷付かないとか贅沢すぎんのよ。いつまであぐらかいてるつもり?」

「もしかして、まだ追い詰められていることに気付いてない? 帝竜たちはもっと賢かったのになぁ」

 

 

 小バカにしてやれば真竜の目つきが変わった。どれだけ攻めようが遊び半分に流していた慢心が鳴りを潜め、明確な敵意が波になって押し寄せる。

 

 集中しろ。ここが山場だ。たとえ腕や足がもげようが、胸の火は消さない。目の前の真竜を狩るまでは。

 

 鼓動が轟く。全ての竜を狩り尽くせ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 屋内は絶えず人々の声が飛び交っている。不安に期待、焦燥に希望。

 騒がしいのは好きじゃない。上着のフードをかぶり、耳に飛び込んでくるざわめきを遮る。

 人気のない場所に移動しようとすると、君、と自衛隊員に呼び止められた。

 

 

「新しく避難してきた子だろう。一応手続きを行うから、ついてきてくれ」

「……13班は?」

「13班?」

 

 

 尋ねると自衛隊員はオウム返しで首を傾げる。

 武装した人員が行き交う物々しい雰囲気に、詳細を知らずとも事態を把握できるほど都庁を飛び交う噂話。

 拠点に満ちる空気に不安になっていると勘違いされたのか、前を歩く大人は安心させるような笑みを作った。

 

 

「大丈夫だ。きっと今頃東京タワーの屋上で、ミヅチに拳骨をかましているところだろう。今は彼女たちを信じて待とう」

 

 

 都庁から精鋭たちが出発して数時間が経った。

 聞いた(正確に言えば盗み聞きだが)話によると、13班は一度帰還し、人竜ミヅチの討伐を上司に報告したらしい。だが、その報は自分たち避難民に向けて発信されてはいない。

 まだ予断を許さない状況ということか。ミヅチを排除すれば今すぐに地球を滅ぼすような敵はいないはずだか。

 

 手の中で小さな機械を転がす。見つかりにくいようになるべく小さく組み立てなおした物だから、ムラクモ本部でのやりとりを全て聞き取ることはできなかった。いったい何が起きているのか。

 

 

「……」

 

 

 考えるのが面倒になり、やめた、とポケットに片手を突っ込む。

 気になったから耳をそばだてただけで、特別、何かしようとしたわけではない。13班……対ドラゴン戦線の最前線に立っている少女と女性がどうなろうが、自分にできることはないし。

 13班が死んで竜が勝つなら、人間も地球もそれまでだっただけのこと。

 地上に降りてくるのは人間か竜か。万が一の逃走経路でも考えながら、のんびり待つとしよう。

 

 自衛隊員に見えない角度で半透明のキーボードをいじりながら、少年は都庁の廊下を歩いていく。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「なあ、おい」

「なんだ、ドラゴンでもいた?」

「そうじゃなくて、いやそうなんだけどよ……いつもよりさ、ドラゴンの数、減ってねぇ?」

「え?」

 

 

 少年二人は町並みを見渡す。

 実家から遠く離れた出先で非現実的な災害に見舞われ早数か月。さまよってはマモノとドラゴンに襲われるのをくりかえして地理を学んだ町の丘で、彼らは目を丸くした。

 当初は世界の終わりを悟って家族・友人一同ふさぎ込んでいたが、その気になれば割と順応できるものだ。一歩間違えれば死に転がり落ちる状況で、食糧と飲み水を確保し、どうにかこうにか今まで生きてこられた。

 けれどドラゴンを倒せる術などなく、マモノにもろくに対抗できず。

 もちろん、衛生的な環境は崩壊しているし、病院も機能していないから、ひとたび傷病を負ってしまえばなす術がない。

 こんな状態でいつまで体が持つかと途方に暮れて見回りに出た矢先、友人が双眼鏡を覗いて言った。

 

 トラックも軽々踏み潰してしまうドラゴンが減っているなんて、本当なら嬉しいが、追い詰められすぎてそんな気がしているだけじゃないのか。変に期待を持たせるのはやめてほしい。

 双眼鏡をひったくるが、よく観察してみればたしかに、敵影の数が……。

 

 

「……少、ない?」

「な? 気のせいじゃないだろ?」

「ああ、うん」

 

 

 姿が確認できるドラゴンも、心なしか動きが鈍く、上の空というように空を見上げている。

 そうだ、空と言えば。

 

 周囲の警戒を友人に頼み、引っさげていた望遠鏡を組み立てる。「ライブでどんだけ離れてようが推しが見えるぜ」と決め顔をしていた彼の物だ。それにしたってステージ通り越して天体観察だってできるのだから力を入れすぎていると思うが。同じく偵察でよく使う双眼鏡もこいつの私物だし、オタクの知識と道具は意外とサバイバル生活の助けになっている。

 レンズを向けるのは、町ではなくて、遥か彼方の空。

 やっぱり、今日も見えている。宇宙にまで伸びているんじゃないかと思えるねじれた紅白の塔が、丸い視界にばっちりと映った。

 

 

「相変わらずグネグネしてんな……」

 

 

 突如として天から声が響いたのは、もう何日前のことだったろう。

 神を名乗る、恐ろしい女の声。そして紅白の塔──おそらく方角からして東京タワー ──があんな姿になって。

 それに共鳴するように街にはびこるドラゴンたちが活発になったものだから、もう終わりだと取り乱してしまったが……特に天変地異が起きるわけでもなく、自分たちは今も生きている。時間が経つにつれ、雄叫びを上げていた化け物たちも静かになっていくだけだった。

 

 

「ん?」

 

 

 首をひねる。

 今、ほんの一瞬、東京タワーの先が光ったような。

 気のせいか。いや、でも。

 

 帰りが遅いのを心配したのか、父親が丘を登ってくる。しかし彼も自分たちの名前を呼びかけて、不思議そうに空を見上げた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 息を潜め、涙を流していた少女が顔を上げる。

 

 助けを求める人に手を差し伸べていた女性が振り返る。

 

 使い物にならなくなった武器を抱え、途方に暮れていた少年が目を開ける。

 

 食糧確保のため外に出なければと覚悟を決めていた男が、ふと気付く。

 

 

「……ねえ、」

「どうした? ……ん?」

 

 

 アメリカの地下、絶望に包まれていた暗闇の中で、兄妹が感じ取る。

 

 

 空が震えている。

 どういうことだろう、目に映るのは夜空ではないのに、すぐそこに数多の星の瞬きが見える気がする。

 

 何かが、起きている。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 殴る。翼にはねのけられて叩きつけられる。どこかの骨が折れる。

 マナを炸裂させて表皮を削る。黒炎を返され肌がただれる。

 

 翼をもいだ。牙がかすめた腹部が血を噴いた。

 尾をへし折った。休みなく動かし続けた足の筋肉が裂けた。

 頭の装飾を砕き、片目も潰した。包帯もサポーターもはがれ、縫合糸さえもちぎれて傷口が開いた。

 

 使えるものは全て使った。思いつくことは全て試した。文字通り心血を注ぎ、肉を切らせて骨を断った。

 

 それでも真竜は倒れない。こちらはとっくに限界を超えているというのに。

 

 

「……っ!!」

 

 

 気合の一声すらも上げられず、喉から出たのはかすれた吐息だけ。

 拳が当たった箇所に一等大きな亀裂が走る。間髪入れずに氷塊の雨が降り、ニアラに追い討ちをかけた。

 

 

『グォォォォォォォ!?』

 

「はっ、はぁ、っ、つ……」

「う……っ、ふ、ぅ」

 

 

 膝が折れる。地に着いた手も相手同様、皮膚が削げて骨が軋んでいる。

 痛みで体を支えることもままならない。シキは辛うじて守り抜いた頭を地に押し付け、なんとか倒れるのを堪えた。

 

 

『ナゼだ……またコノ星はワレを……数千年前と同じ……いや、より強靭な……真理で割り切れぬ、この力……』

 

 

 ニアラが何かを探るように首を振る。人間と構造の異なる顔が、忌々しさを浮かべて歪んだ。

 

 

『そうか……あの星の喰い残しか!! アヤツが力を与えておるのだな……!!』

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 天が震えている。これが真竜の歯軋りであると気付いている者は何人いるだろうか。

 空の彼方から自分たちに向けられてくる怨念に、姉妹は動じない。むしろ的外れな、自身が追い詰められていると認めようとしない地団駄にエメルが息を吐く。

 

 

「違うぞニアラ……我々がこの星に与えた力は、ほんのわずかなもの。だが、そのわずかな力は、それをふるう者によって、大きく価値を変える」

「それは、この星のニンゲンたちの意思……数千年をこえ、紡がれてきた、何十億という心」

 

 

 続く妹の言葉にうなずく。

 姉はドラゴンと戦うため人を導き、妹は戦禍の中で輝く命を尊んだ。

 人の形をなしている、人でないこの身。けれど、人間と関わる中で、目には見えない心や意思の存在を感じることは何度もあった。

 

 命も、歴史も、意思も、全てが億を超える時を重ね、この星は一息では潜りきれない大海となっている。

 それを、横からかっさらう形で飲み干そうなんて……傲慢、いや、ただの阿呆だ。

 

 学習のがの字も知らない神を、馬鹿めとエメルは吐き捨てる。

 

 

「産まれもった強大な力をふるうだけの貴様らこそが、下等生物なのかもしれないな」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 認めるわけにはいかない。相手は宇宙に浮かぶ芥子粒だ。負けるのも下されるのもありえない。そんな可能性、万が一にもない。

 

 ならばなぜ、自身の体は崩れつつあるのか?

 

 覆されるはずのない盤面が文字通り反転している。理解の及ばないニアラは吠えた。

 

 

『ガアアアァアァアアアアッ!!! チカラこそが、この世界ノ絶対デアル!! 家畜が神を踏み越えるなど……許されない!!』

 

 

 何度もくらったブレスが吹かれた。

 対処法はわかる。けれど体が動かない。抵抗もできず吹き飛ばされる。

 体が叩きつけられた瞬間、左腕の皮膚の内側でひじのつながりがずれた。

 

 

「っが、ぁ……!!」

 

 

 骨折か脱臼か、上腕と前腕が外れて垂れ下がる。千切れたわけではないものの、もう使い物にならない。

 すぐにキュアがかけられるが、その光も弱々しい。後方では危うく宙に放り出されそうになったミナトが舞台の端にしがみついていた。

 

 

『クァハ……よもや、家畜ゴトキがココまでワレを追い詰めるトハな……』

 

「まだ、だ……まだっ……!!」

 

 

 四肢に力が入らない。血で滑って無様に這いつくばってしまう。

 お似合いの姿だとでもいうようにニアラは嗤う。硬いものが擦れる不快な音を立てながら翼を広げ、真竜は舞台から浮かび上がった。

 

 

『しかし、神に抗うソノ蛮挙……無限の絶望をもって罰を与エヨウ……』

 

 

 立てない。足の感覚が消えかけている。

 左腕は不自然に伸びて引きずるまま。右手は肉がえぐれて枯れ木のように細くなっていた。

 

 

「……だからどうした……!」

 

 

 自分はまだ死んでいない。

 やれる。立て。防具も血肉も失われた分、体が軽くなっただろうが。ドラゴンが動けて自分が動けない道理はない。

 感覚を取り戻せ。立つなんて赤子でもできることだ。足への力の入れ方を思い出せ!

 

 両脚を前と後ろに大きく開く。

 ぎちぎちと関節があげる悲鳴を無視し、背筋を伸ばして体を起こす。

 顔を上げたときには目の前にニアラはいない。彼方の宙で、存在を示すように黄金が輝き、咆哮が轟いた。

 天からこの舞台へ、道を作るように光輪が並ぶ。その輪をニアラが貫いて加速するたび、空気が爆発して体を潰そうと圧が襲いかかった。

 

 

「シキ、ちゃん……!」

「自分の心配だけしてろ!!」

 

 

 後方でミナトがうめく。舞台に這いあがるだけで死力を尽くすだろうに、なけなしの力で治癒までかけてきた。

 瀕死のパートナーが「絶対にサポートする」という言葉を真実にし続けている。

 ならば自分だって実現するだけだ。勝つことも、生き残ることも!

 

 腰を落とし、足を地に着けて身構えた。

 

 

「死んでたまるかっ!!」

 

 

 比類ない破滅となって真竜が飛ぶ。

 血で赤く濡れる視界の中、太陽も潰されそうな光が迫った。

 

 

『死ぬがいい……愚かなる家畜よ!』

 

 

 世界が白く染まる。

 

 何も見えない。真竜を殴り返して、その悔しがる顔を拝みたかったのに。

 

 視覚が働かないまま、音と衝撃の渦に呑まれる。

 

 全てを消し飛ばす轟音、自分を呼ぶミナトの喉を裂いたような声。

 

 

 

 

 

 大きな羽ばたきと、額をなでる風。

 

 

 

 

 

「愚か者はテメェだあッ!!」

 

 

 

 

 

 目の前で爆発が起きた。いや、爆発と錯覚するくらいのエネルギー同士の衝突。

 巻き込まれる。けれど新しい痛みは襲ってこない。

 

 潰されたままの視界に差したのは翼の形の影。それが前からの衝撃を受け止め、背を誰かの手に支えられ、なんとか倒れずやり過ごす。

 手は頭の上に移動して、くしゃりと髪を乱して離れていった。

 

 次いで、強く自分の肩がつかまれる。

 

 

「シキちゃん!」

 

 

 声と一緒に体を温かい力が包んだ。痛みが引き、体に感覚が戻り、視界が晴れる。

 ミナトがすぐ隣にいる。あの嵐の中をここまで上がってこれたのだろうか。

 表情から伝わったのか、彼女は首を横に振った。

 

 

「あの人、ここまで……!」

 

 

 暗い宇宙に青天の色が差す。

 大きく伸びた両翼。鈍い光を放つ槍。触れたら切り刻まれそうな存在感。

 あれは人間じゃない。荒々しい異形に変貌してしまった姿だ。

 

 けれど、その広い背中は、大きな手の感触は、十年前から少しも変わっていない。

 

 

「……タケハヤ……!!」

 

 

 続けてかけようとした言葉は、彼が巻き起こした烈風に遮られた。

 

 

「家畜が神を超えちゃいけねぇ、って……? 誰がんなこと決めたんだよッ!」

 

 

 東京タワーの障壁を穿った槍がニアラに突き立つ。

 真竜の玉体を穂先の嵐が襲った。全てが自分たちがつけた傷に的確に叩きこまれ、黄金の体に無数の亀裂が広がっていく。

 魂を削るような叫びがどこまでも響き渡り、放たれた一閃がニアラを押し返した。

 

 

『人竜、だと……! まさか、もう一匹いたとは……。しかし、ソノ体でワレに勝てるなどと──』

「バーカ……! そんなん元より承知だっての……。──ッ! 」

 

 

 宙に浮かぶタケハヤの体がくの字に折れた。

 ぽたり、と頬に雨が落ちる。

 自分のものでもミナトのものでもない、赤くて少し黒ずんだ水滴。その生温さで、体から流れたばかりの血であると知る。

 

 頭上の彼がこちらを見下ろす。槍を持つ右腕は赤く破裂していた。

 

 

「……よう」

 

 

 何だ、その笑顔は。笑っている場合じゃないだろう。

 ただでさえ体には火種程度の熱しか残っていないのに、全て燃やし尽くすような真似をしたら。

 助けてもらった事実を飛び越えて表に出てきたのは怒り。それからミナトと合流したときにも感じた、胸を燃やす何か。

 都庁出立前、こいつが何をするのかはなんとなく予想できていた。障壁を壊すだけでは止まらず、最後まで来るかもしれない、来るはずだと確信していた。

 頭の中では割り切れていた。

 ……割り切れていた、はず。なのに、心臓がうるさい。

 鼓動は衝動に、衝動は四肢への命令となって、ずたずたに裂けている筋肉が反応する。ローファーの裏を地につけたまま、体全体で押し出すように前に出る。

 

 

「13班……あとは……まかせたぜ……」

 

『……時間稼ぎか? くだらん小細工を……!!』

 

 

 ニアラが飛びかかる。牙はかわされ、何も捉えられずに鋭い音を鳴らした。

 真竜が上体を大きく伸ばして口を閉じた瞬間。反撃につなげられる貴重な数秒。けれどタケハヤは槍を持ち上げようとしない。否、持ちあげることもできない。

 回避の動きも紙一重で、体は弛緩し翼も硬直している。

 人竜の限界を、もちろんニアラは見逃さなかった。

 

 

『去ネイッ……!!!』

 

 

 あのブレスが寸分狂わずタケハヤを捉えた。

 光の濁流に呑みこまれ、青年の体が紙屑のように吹き飛んでいく。

 

 

「──!!」

 

 

 足が動いた。あれだけ踏ん張って立つのがやっとだったのに。

 前に飛び出す。痛みも血も気にならなかった。ただ走って、走って、舞台の端へ駆け抜けて。

 

 

「タケハヤっ!!!」

 

 

 手を伸ばす。

 

 青年のまぶたが開き、青く染まった瞳が汗と血まみれの自分を映した。

 

 彼がこっちへ手を伸ばす。

 

 大丈夫。大丈夫だ。この距離なら届く──!

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 覚悟は本物だ。嘘偽りも虚勢もない。人竜になることにためらいなどなかった。

 だから、いつまでも人間の居場所に留まるつもりはない。

 

 

「タケハヤ!」

 

 

 窓に足をかけたとき、扉を閉じたままの研究室からキリノの声が届いた。

 もう決めたことだし後戻りもしない。なのに何度も何度も自分を呼び止めて、いい年をした大人が未練がましいったらない。

 

 応えずに翼を広げる。

 窓枠から踏み切ろうとしたとき、再びキリノが自分を呼んだ。

 

 

「シキからの伝言だ!」

 

 

 翼の付け根が硬くなる。

 ほんの少しだけ羽ばたきを抑えて待つと、風に混じって彼の声が聞こえた。

 

 

「『この大馬鹿野郎。カッコつけるんなら、最後までやり通せ』」

 

「『行ってこい』……だそうだ」

 

 

 眼下の都庁前広場ではシキが舞っていた。緩急をつけて動くたびに離れる汗のひと粒が、朝の日差しに包まれ輝く。

 

 

『タケハヤ!』

 

 

 駆け抜けるような月日の流れの中、思ったよりもずっと多く、この名前はたくさんの人間に呼ばれてきた。

 同志でもあり家族でもあるダイゴとネコ、いつの間にか周りに集まり、バカ騒ぎしていたSKYのメンバー。隣に立っている愛する女性。ついにはムラクモの人間たちにまで。

 

 国分寺で頭をぶん殴ってきた、ひたすらまっすぐなだけの言葉。渋谷で目の前に立った、まっすぐな背筋。

 自分だって、あんな風に貫きたいものがある。ぼろ雑巾のようなこんな体でも、正義の味方になりたい。焦がれてやまない女性の光になりたい。

 ……その決意を滲ませるように、胸中に新しく生まれる想い。得がたいものから手を放して、離れがたい居場所から旅立つ。それを改めて実感したとき、鼓動をより大きくしたこの感情をなんと呼ぼう。

 

 答えはまだ、出ないままだ。出す必要もないと思う。

 それが自分の胸の内に宿っているというのがわかっているから、もう充分だ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 そういえば、あのときも十年前も、自分を送り出す少女に返事をしていなかった。

 それはいくらなんでも、格好がつかないだろう。

 

 自分に向けられたシキの手に手を伸ばす。

 指先はぼろぼろ、爪ははがれているし、固まっている血がこびりついて歪な形になっている。

 ナックルを携えて、なんでもかんでも殴り飛ばして、パートナーのミナトを引きずって、たくさんのものに触れて。

 十年前、自身の涙もまともに拭えていなかった手が、今、星をもつかもうとしている。

 

 見届けられないのは惜しいが、それ以上に、

 

 

(誇らしい、なんてな)

 

 

 手に手を重ね、剣を握らせた。

 今まで自分の道を切り拓いてくれた相棒を渡す。

 

 希望を、託す。

 

 

 シキの目が見開かれる。

 

 

「──!」

 

 

 家族でもない。友人でもない。隣には既に相棒がいる。

 少しの間同じ建物にいただけで、共に過ごしたとも言い難い。道なんてとっくに分かたれている。

 

 けれどたしかに、自分たちの間には、他とは違う糸一本分くらいのつながりがあった。初めて出会い、別れたあの日からずっと。

 

 その糸が、鎖になってしまう前に。

 

 

「行ってこい」

 

 

 背中を押す言葉。送り出す言葉。言わなければいけなかった言葉。

 やっと伝えることができた。

 

 無様な姿だというのに、不思議と胸は満たされていた。

 体の底で奮起させていた火が、勢いをなくして静かにくすぶる。

 

 

「なぁ。アイテル……俺も……正義の味方……なれただろ──」

 

 

 光が飛び交う宙の中、シキの丸い瞳を見納めてまぶたを下ろした。

 

 竜になった青年は、流星と共に堕ちていく。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 自由な空の色は消えた。目に映るのは暗い宙と、焼けるような星の流れだけ。

 

 

「……」

 

 

 ほんのわずかに風が吹く。ブレスに黒炎を好き放題浴びせられてぼろぼろになった髪が揺れた。

 

 

「……」

 

 

 重い。

 体が鉛になったみたいだ。息を吐くごとにどこかに穴が空いて、隙間風が抜けていく。

 

 

(重い)

 

 

 何だろう、これは。

 心臓はちゃんと動いているのに。胸が見えない何かに圧されて、歪む。

 脳が固まっている。考えることを拒否する。

 

 動けないでいる中、背後で巨大な気配がうごめき、

 

 

「ああああああ!!!」

 

 

 宇宙を揺さぶるような音と衝撃、ミナトの叫びが背を叩いた。

 

 

『ぐ、ぬぅ……!? 貴様!』

 

「うるさい!!! よくも、よくもぉっ!!」

 

 

 ニアラのくぐもった声をミナトの絶叫がつんざく。涙声の雄叫びが何より鋭い刃となって心臓に突き立つ。

 

 

「シキちゃん!! 届いたよ! シキちゃんの覚悟も意思も、何を思っていたのかも、全部全部、タケハヤさんに届いたよ!! だからタケハヤさんはあなたに託したんだよね!? シキちゃんが一番わかってるの、私は知ってる!!」

 

「大丈夫、噛みしめていい! こんな奴、私が押さえる! 全部噛み砕いて飲みこんで、あなたのものにするまでの時間は稼げる!」

 

「今感じているものは、絶対になくしちゃいけない!! こんなクズに奪われていいものじゃない! それを否定されないために、私たちは戦ってるんだ!!」

 

『ナンだと……家畜の分際で吠えるか!』

「だからぁ──うるさいっ!!!」

 

 

 がらがらの叫びが大気を叩く。何度も何度も力が炸裂して、絶対零度と業火と轟雷が舞台を殴りつけた。

 

 背後でミナトが全霊を賭して力を放ち続ける。その余波を浴びながら、手の中の剣を見下ろした。

 黄金の刃はあいつと武器を交わしたときから何も変わっていない。主の手を離れ、自分の血まみれの、枯れ枝のような……下手をしたら自身の命も取り落してしまいそうな手に握られても、剣身は鏡のように澄んで美しい。

 同じ黄金でも、ニアラとは違う。道しるべになるような、どんな暗闇に取りこまれても見つけることができるような、命の瞬きのような。

 

 うまく、言葉にできない。

 

 

(何だ、これ)

 

 

 気が付けば剣を胸に抱えていた。きつく、固く抱きしめて、鼓動が伝わって震えるそれを感じていた。

 

 

「タケハヤ」

 

 

 何とはなしにあいつの名前を呼んでみた。もちろん返事はない。

 

 

「あんた、それでよかったの」

 

 

 とうとう、あいつのことを心底まで理解はできなかった。

 カッコつけで、なんでもかんでも煙に巻いて、最後の最後まで真正面から向き合うことは、

 

 

『行ってこい』

 

 

「──」

 

 

 そうだ。あいつはたしかに言った。

 作戦が始まる前。自分はあいつに、伝言の形だったけれど、自分なりに背を押す言葉を叩きつけてやった。

 そしてあいつも、同じように「行ってこい」と。

 

 ああ、うん、

 

 

「そうか」

 

 

 言えたのだ。互いに。最後の最後で。

 

 

 胸に火が灯る。あいつから継がれた火種だ。熱はあっという間に広がって、失っていた体温が戻ってくる。

 直後、何度か聞いたデコイミラーが砕ける音が意識を引き戻す。

 牙に捕らわれ舞台に叩きつけられ、ミナトが血反吐を吐き、痛みに悶え転がった。

 

 

『くだらん……くだらんッ……!! 許さんぞ、ニンゲンどもッ……!!』

 

「それ、は、こっちの、セリフ……だ……! おまえなんか……ウォークライに、比べたら……!!」

 

 

 パートナーは地べたに這いつくばり、血と涙で咽ぶ。それでも目は死んでいない。骨が折れようが血だまりに沈もうが、光の宿った双眸で神を睨みつける。

 彼女の言うとおりだ。皮肉かな、竜の脅威も、世界が崩れる衝撃も、とっくのとうに経験している。それを今さら、神だと声高に存在を主張されたところで何だというのだろう。

 

 

「……はっ、は」

 

 

 笑いが漏れる。

 ニアラが振り向いた。赤い片目が自分を捉え、この世全ての憎悪を煮詰めたような眼差しを向けてくる。

 

 

『なんだその目は……!』

「別に。神だのなんだの言う割には……うん、あんた、一番小物ね。そんじょそこらのマモノよりずっと」

 

 

 だってそうだろう。こいつは遠く離れた場所から高みの見物をしていただけだ。見ていただけで、何もしていない。経験していないし、感じていないし、触れてもいない。

 人間を生んだ、進化させたと言ってもそれだけだ。人を生むのは人にもできること。知恵を教え諭し、導くのだって人にもできること。

 神というのは、尊敬や畏怖を捧げられるべき対象のこと。限界を超えてなお手を尽くしたうえで、どうか、と祈りを託す唯一の相手。

 

 ならば、目の前のみすぼらしい金色。こいつは何だ?

 

「おい木偶(でく)」と呼びかける。

 

 

「神だというなら示してみせろ。あんたはいったい、『何を為せる』?」

 

 

 金色の巨体から怒りが噴き出て爆発した。

 

 

『いいだろう、キサマにはムクロも残さぬ! 食らうことすらしてはやらぬ……宇宙の塵となるがいい!』

 

 

 神の憤怒。宇宙全てが潰れそうな圧。普通は誰もが額を地に擦り付けて慈悲を請うのだろう。

 上等だ。そのくらいの重さがなければ張り合いがない。 

 大したことはないなと鼻で笑ってやる。胸いっぱいに息を吸い込み肺を膨らませた。

 

 片脚を振り上げ、

 

 

「──ミナトぉっ!!!!!」

 

 

 踵を舞台に叩きつけ、パートナーの名を叫んだ。

 震脚の衝撃で真竜の領域が揺れた。ニアラの体が傾き、向かいの端に倒れていたミナトが顔を上げる。

 

 

「やるぞ!! 立てぇっ!!」

 

「っつ……う、あああっ……!」

 

 

 真竜を挟み、鏡合わせになって、自身の血だまりを踏みつけ立ち上がる。

 命が削れているなんて見ればわかる。だから何だ。

 自分もパートナーも止まりはしない。ムラクモ13班は歩みを止めない。

 絶対に勝つ。生きる。帰る。相手が神だろうが、邪魔をするなら握りつぶして地に落としてやる。

 

 

「これで!!」

「最後だ!!」

 

 

 声をそろえて走り出す。

 

 

『小癪な──グウッ!?』

 

 

 再び羽ばたこうとしたところで、ニアラの片翼が根元から割れて崩れた。

 ならばと顎が牙を剥く。

 遅い、そして甘い。

 

 跳躍して体をひねる。全身の回転を加えた拳を鼻面に叩きつければついに嘴がへし折れ、ニアラは苦悶の声を漏らした。

 ここまで追い詰められ、ようやく痛みを堪えて踏ん張ることを学んだのだろう。真竜は憎まれ口をたたくのも忘れてすぐに顔を上げる。

 霧のような輝きが集まっていく。おそらくはあのブレスだ。砲身となる口を砕かれ指向性を失ったとはいえ、近距離で浴びれば今度こそ消し飛ぶだろう。

 だが、こいつは忘れている。

 

 

「させない!」

 

 

 口を開きかけた瞬間、その体躯に劣らぬ巨大な氷槍が頭部を捉えた。

 ニアラは今度こそ、純粋な痛みによる叫びをあげた。顔を大きくえぐられ、体を傾け、暴発したエネルギーに巻き込まれ自爆していく。

 

 

「バカね。私たちは二人で戦ってんのよ」

「シキちゃん!」

 

 

 ミナトに呼ばれた。数十メートルの武器をも氷で作れるようになったパートナーが手を振っている。

 どうすると問われ、迷わず上、天を指で示した。

 ここまで来れば言葉を使わずとも伝わる。ミナトはうなずき、自身を中心にありったけのマナをかき集め、腕を突き上げる。巨大な震動が連続して、この舞台よりさらに上へ続く氷の足場が作られた。

 

 

「ありがと」

「うん!」

 

 

 滑りやすい足場にもすっかり慣れた。何も考えずにひたすら上へ向かう。

 

 そういえば、いつだかガトウが言っていた。

 

 

『おう、シキよ。おまえ最低一人でもいいから、援護してくれる仲間を持て。腕や脚を怪我して動けなくなったときに助けを求められる人間がいなかったらそこで死ぬぞ。それぐらいわかってんだろ』

 

 

 ああ、その通りだ。別に一人でも歩みを止めるつもりはなかったけど、ミナトがいなければ間に合わなかったかもしれない。

 

 

『ムラクモの主力はおまえだ。……強いんだから、それをちゃんとチームワークに活かせよ。おまえなら、大丈夫だろ……』

 

 

 ああ、二人で、チームでここまで来たぞ。

 

 なんだか変な心地だ。自分とミナトと、あとは真竜と……あの邪神。それ以外は誰もいないはずなのに。

 

 

『ほら、さっさと行きな!』

『おまえらの背中は、俺たちが守る。安心していってこい』

『……頼んだよ』

『絶対、絶対に、いつもみたいに帰ってきてくださいね!』

『心はずっと、おまえたちと一緒にいるからな!』

『幸運を……祈る!』

 

『行ってこい』

 

 

(手が、)

 

 

 たくさんの手が、自分の背を押している。

 

 どこまでも続くと思えていた足場もとうとう終わった。振り返れば地球に、赤い舞台に、真竜に、邪神を操るミナトが見える。

 

 

「邪神さん!」

 

 

 使い手の叫びに呼応して、邪神がミナトの影から一直線に真竜へ伸びる。

 空気が唸るほどのマナを集め、サイキックは地に手をつけた。

 

 

「誰かの命も、想いも、幸せも、好き勝手に喰い散らかしていいものじゃない……! 全てを踏みにじったこと……今ここで!! 悔い改めなさい!!!」

『この世に神は二柱もいらん! 去るのはおまえだ、ぎんぎらの鳥よ!』

 

 

 ニアラの右翼にも負けない漆黒が湧き上がる。

 一本、二本、三本。無数の巨大な(かいな)が次々飛び出した。ブラックホールもかすむ闇が渦潮となってニアラを襲い、無限の奈落の中に呑みこんでいく。

 

 

『フザケルな! この、ワレが、家畜に……搾りカスに……呑まれてたまるかああああぁぁぁっ!!!』

 

 

 ニアラが叫んだ。その巨体を盛り上げ、自身を捉えるインヴェイジョンの体をブチリブチリと千切っていく。

 ミナトの体が破裂するように血を撒いた。それでも彼女は真竜を抑えつけ振り仰ぎ、ありったけの声を宇宙に響かせる。

 

 

「──シキちゃん、来て!!」

 

 

 ああ。

 

 

「今行く」

 

 

 膝を折り、背を丸める。体のバネを極限まで縮め、放つ。その踏み切りで氷の塔が粉々に砕けた。

 弾丸のように宙を跳び、反転。重力に身をゆだねれば、体は一気に加速する。

 

 今も絶え間なく降る流星のように、この身全てで奴を仕留める一発になろう。

 餌になるなんぞ糞くらえ。これが神に叩きつける、人間からの答えだ。

 

 

「──あああああああっ!!」

 

 

 回転でさらに勢いをつけ、足に全ての体重を乗せる。

 めがけるのは、真竜の胸!

 

 

「星を穿って、突き抜けろ!!!」

 

 

 離れていた舞台が一瞬で迫る。

 

 真竜が叫んで目を見開く。

 

 その胸の中央に靴の裏が触れる。

 

 

『ガッ──!!?』

 

 

 踵から太腿まで、脚がニアラを貫く。

 

 自身を弾丸にした一撃は真竜の胸に風穴を開けた。遅れて舞台全体を爆風が襲い、バキッ、という硬質な音が無限に重なる。

 水面に衝突したような派手な響きが宇宙に轟き、黄金の神体はついに砕けた。

 

 

『オ、ノレ……よもや、この……ヨウな……。食ラウために……蒔かレタ芽の分際……で……またも……ワレを拒むとは……ッ!』

 

 

 いつの間にか邪神は消えていた。背後でどしゃりとミナトが倒れる。

 戒めがなくとももう巨体が動くことはない。威厳も威圧感も輝きも失い、真竜はただただ喘ぐ。

 

 

『ああ……アア…………! なんと口惜シイ……!! 何故だ……何故、ドウシテ! ニンゲンよ。貴様らは神をも超えると言うのか! 矮小で、愚かで、己が定めすらままナラヌ身で、森羅万象の理たるワレを、討つというのか!』

 

 

 脚の付け根まで真竜の体に埋まって身動きが取れない。

 粉々になった真竜の欠片が雨になって降り注ぐ中、何かが一等きらめいた。流れ星……いや、違う。

 

 

『ニンゲンよ……そのチカラ、なんといったか……──そう、「意思」ダ』

 

 

 存在を主張するように輝くそれは、呼んでもいないのに手の中に落ちてくる。

 タケハヤに託された黄金の剣。使えとでもいうように切っ先が光った。

 

 息を吸い、辛うじて無事だった右手で柄を握る。

 

 

『貴様を掻き立て、ワレを殺さんとスル、その力……果たして、いかなる味がするものか……実に……クチ……オ…………シ……イ──』

 

「うるさい」

 

 

 上から下へ、一閃。

 実戦で剣を使うのは初めてなのに、袈裟斬りは驚くほどきれいに真竜の喉を断った。

 

 目が光とフロワロの花弁で満たされる。今までに八回見た、強大な竜の散り際だ。

 割れたニアラの全身から、右翼と同じ闇があふれ出す。

 

 

 何も見えない。体から五感が消える。

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 目が開く。視界の右側には無限の星空。左側には赤い決戦舞台。

 

 

(……ここは)

 

 

 真竜の領域だ。その最上にある舞台に、自分は横向きに倒れている。

 

 

(そうだ、私、戦ってたんだ)

 

 

 そして、どうなった?

 

 

(シキちゃんが……とどめを……)

 

 

 ドラゴンの気配はない。目だけ動かして確認するが、舞台には真竜の影形もない。

 勝った、のだろうか。実感がわかない。いつもはパートナーの少女が当たり前のように胸を張って立っていたはず。

 シキを探したい。けれど体が動かない。腕も足も、燻るように痛みに苛まれて、力を入れれば崩れてしまいそうだ。

 

 

「シキ、ちゃん……」

 

 

 息を吸って、吐く。

 大丈夫、呼吸はできる。自分は今生きている。ならなんでもできる。立ち上がることだって。

 腕を引きずり上げる。顔の横に両手をついて、関節と肩と、背筋に力を入れて。

 激痛が走る。血で滑って上体が叩きつけられる。

 倒れてしまった。もう一度。

 

 

「っう……」

 

 

 額を擦りつけ、膝頭を支えにして、体を地面から離した。

 地に伏している状態からなんとか座りの姿勢になって、舞台を見回す。

 やはり、真竜は姿を消している。少女が黒髪を波のように広げて倒れているだけだ。

 

 痛みを深呼吸でごまかし、這って彼女のもとへ向かう。

 たった数十メートルの移動にここまで苦心するなんて思っていなかった。四肢を駆使して、数分かけて少女の隣に辿り着いて、顔を覗き込む。

 寝顔を見るのはこれで何度目になるだろう。血の気を失った皮膚は白く、へばりつく赤とのコントラストが美しい。生気を感じない作り物のようなその色が、恐怖を煽る。

 唇に添えた手の甲に、小さな小さな息が吹いた。

 生きている。けれど、このままでは。

 

 

「……、っ!」

 

 

 少女の脚に視線を移す。皮膚も肉も抉られ、骨だけでかろうじてつながっているような様が痛々しくて目を逸らしてしまった。

 ダメだ、知らないふりをしてはいけない。これは彼女が竜と戦い、自身を貫いて負った傷だ。なら自分が治療しなければ。

 ヒップバッグは消えてしまった。それ以前に薬は全て消費してしまっている。これではまともな手当てができない。

 自分たちの目標は、勝って、生きて帰ること。そのためにやるべきことは。

 

 両手をシキの両脚にかざす。

 まずは治癒で血肉を再生させる。再生といっても微々たるもので、この状態だと気休めにしかならないが。

 

 

「次は、足を、」

 

 

 血を流しすぎて頭がうまく回らない。頬の内側を噛み、自分の行動を口に出して意識を保つ。氷で少女の脚全体を保護してから脱いだパーカーで体を包み、腕の部分を結んでタケハヤの剣ごと自分の胴とくくりつけた。

 シキが体を張ってくれたおかげで、自分の足は深い傷を負えど動かせる状態ではある。もう無茶はさせない。今度は自分が少女を守り、連れ帰る番だ。

 ぼろぼろの体を抱えて歩き出す。一歩進むたび、どちらかの血が流れ、一秒過ぎるたび、パートナーの呼吸がかすれていく。

 

 

(時間がない……!)

 

 

 歩いていては間に合わない。思い切って舞台から跳んだ。

 下層の地面が近付いたところでマナを絞り炎を吹きだす。血の匂いに群がってきたマモノごと一帯の空気を爆発させ、無理やり落下の勢いを殺した。

 

 

「たしか、向こうに……、あった……!」

 

 

 降り立った階層の隅に固定していた鞄を見つける。都庁から再びタワーに戻る際、ありったけ集めておいた薬や武具の予備だ。全てニアラとの戦いに持っていっても吹き飛ばされてしまっていただろう。一定の距離を進むごとに置いてきて正解だった。

 鞄をひっくり返し、傷薬をシキに浴びせ、マナの回復薬を残さず飲み干す。そろそろ舌が薬以外の味を忘れてしまいそうだ。

 脱出キットもあるけれど、やはりこの場所では都庁との通信は繋がらない。すぐに東京タワー屋内に戻らなければ。

 自身とシキにキュアをかけ、なんとか止血できた両足で走り出す。

 

 

「大丈夫、大丈夫だよ。大丈夫だから……!」

 

 

 腕の中の少女に声をかけ続ける。汗も血も流し尽くしたというのに、今度は涙があふれてきた。

 大丈夫。シキは死なない。彼女は絶対に生を諦めないし、一人だけで難しければ自分が生かすのだ、弱気になるな。

 

 星の流れが止まった宙の中、途方もない道を走って、走って、走って。

 気が付けば、東京タワーの中に転がり込んでいた。

 

 

「うあっ!」

 

 

 脚から力が抜ける。シキをかばい、階段から転げ落ちて背中を打つ。

 焦るな、と自分に言い聞かせる。ここまで来れば、都庁との通信が可能になる。救援を要請できる。

 鞄の中に合った予備の通信機を取り出す。操作するよりも先に受信音が鳴り、少年の声がフロアいっぱいに響き渡った。

 

 

『つながった、やっとつながった! おい、13班! 応答しろ! そこにいるよな!?』

「ミロ、ク……」

『ミナトか、よかった! シキは!?』

「大丈夫、シキちゃんも、ここに……」

 

 

 そっと少女の頬に手を添える。かすかだけれど息が──

 

 

「──え」

 

 

 息が、息が、

 

 吹いて、ない。

 

 

「あ、」

 

 

 頭から血の気が引く。呼吸が中途半端に止まって、喉がヒュッと音を鳴らした。

 

 手を少女の顔から首に移動させる。

 脈が、脈があるはずだ。脈が……、ない。

 

 胸に手を当てた。ここなら心臓があるから鼓動を感じられるはず。

 胸のやや左側。そこに心臓がある。

 

 ある、はず、なのに。

 

 

「……ない」

『ミナト、どうした!?』

「して、ない。シキちゃんが、息、し、てない」

 

 

 ガタンと何かが揺れる音が聞こえた。「救護班、早く!!」という怒声と、自衛隊とSKYに呼びかけるミイナの声が響く。

 目が回る。頭が重い。息ができない。

 

 

「ミロク、どう、しよ。シキちゃんが……」

 

 

 嫌だ。

 

 

「息してない……脈が、ない。心臓が、動いてない……!!」

 

 

 嫌だ。

 

 

「やだ、いやだ、いやだ、いやだぁ……っ!!」

 

 

 嫌だ。なんで。そんな。どうして。やめて。こんなことって。

 

 

「シキちゃん、やだ、いかないで。おいてかないで! 死なないで! やめてよ、お願いだから! シキちゃんまで死んじゃったら……っ!!」

 

 

 自分が生きているのだ、誰よりも強いシキが死ぬはずはない。

 なのになぜ、少女の体は温もりを逃がしていくのだろう。

 お願い、目を開けて。いつものように、傷も死もどこ吹く風というように立ち上がってみせて。

 どうして、返事をしてくれないのだろう。

 

 

「嫌だ! 嫌だあ! いや──」

 

『小娘ぇ!』

 

 

 ベチンッ、と頬に何かが当たる。

 冷たくて柔らかい何かが、自分の頬をへこませている。片手に乗るサイズの小さな黒い塊。それは床に着地し、つぶらすぎて怖い目玉で睨みつけてきた。

 

 

『喚くな! そうして縋り付いたところで何が変わる!?』

「じゃ、じゃし、さ……」

『黙れ! 貴様にできることは何だ! 我が求めた貴様の力はここで何もできずに終わる程度の物ではなかろうが!』

 

 

 以前見たときよりもずっと小さくなった邪神は、蒸発しかけている体を上下させて怒鳴る。

 

 

『乗っ取ろうとしたときに不敬にも我を吹き飛ばした貴様はどこに行った!? 何の躊躇もなく力を振るう意気まであの竜に喰われたか!』

 

『泣くな!』

 

『喚くな!』

 

 

『貴様に為せることはいったい何だ!!』

 

 

 

 

 

 ──あんたのこの手は、何かを「為せる」──

 

 

 

 

 

 片手を上げる。

 五指を強く、血がにじむほど爪を食い込ませて、思い切り自分の顔を殴りつけた。

 涙が全て床に落ちる。明滅する視界に、口の中に広がる鉄の味。

 

 そうだ、私は。

 

 

『喋らないでください! なんで……なんで、キュアが効かない……!』

『もうちょい……手伝って……たかったが……悪いな、先に──』

 

 

 もう、あのときのような「何もできなかった」を繰り返さないために!!

 

 

「……邪神さん、たぶん下の階からSKYと自衛隊の人たちが上がってきます。ここまで誘導してきてもらえますか」

『ふん、神をこき使うなど万死に値するが、せっかく見つけた器が野垂れ死んでも困る。せいぜい死なない程度に死力を尽くすがいい!』

 

 

 インヴェイジョンは勢いよく弾んで、廊下の曲がり角に消えていく。

 

 深く息を吸って、吐く。

 もう一度、体の奥まで酸素を取りこんで、シキの体に手をかざした。

 

 

「──っ!!!」

 

 

 手からあふれた光が少女を包み、自分も、自分たちがいる空間も呑みこんでいく。

 温かい。今まで手を抜いていたということはないけれど、本気の本気で使って初めて知った。治癒のちからは温かい。術者の体温そのものを分けて、鼓動をひとつにするような温もりだ。

 あの日失われてしまった春の陽気のような、命の芽吹きを感じさせる心地よさが満ちていく。

 

 少女は依然、目を閉じたままだ。ちゃんと呼びかけを続けなければ。この声を(しるべ)に帰る場所がわかるように。

 

 

「……シキちゃん。初めて会ってからさ、いろいろあったね」

 

 

 自分は、少しは成長できただろうか。

 最後の最後で子どものように取り乱してしまったから、大減点をくらってしまうかもしれないけれど。

 

 

「ムラクモ試験を受けてさ、ウォークライに吹っ飛ばされて……いつのまにかこんなところまで来ちゃったよ。私なんにも考えてなかったのに」

 

 

 一蓮托生である唯一のチームメイトは、自分より四、五歳年下の女の子。しかし彼女の前に進むという意思は世界で最も大きく、その背中にいろんなことを教えてもらった。

 簡単に諦めないこと。まずは可能性を探すこと。自分の力を信じて、けれど満足はせずに、常に上を目指すこと。

 何があろうとシキは自分の隣にいて、誰よりも早く最初の一歩を踏み出すこと。

 

 たまたま異能力があっただけで、それ以外はどこにでもいるような自分がここまで来ることができたのは、いつも前を歩いてくれる彼女がいたから。

 そう、だから自分が彼女の背中を守ろうと決めたのだ。格好をつけ、タケハヤに宣誓までして。

 

 

「大丈夫。今度こそ、本当に大丈夫」

 

 

 死なせはしない。あなた一人では帰ってこられないなら、私がその手をつかんで引っ張り上げる。

 理屈も法則も全て覆す。空に太陽があるように、曇れば雨が降るように。飛鳥馬 式が生きる未来をこの世界にこぎつける。あたりまえの物にしてみせる。

 諦めるなんて選択肢は、誰でもないこの少女に握りつぶされてしまったのだから。

 

 止血が済んだはずの自身の体から、新しく血が流れだす。

 視界から色が奪われていく。聴覚が薄れていく。

 ガリガリガリと、体の奥で何かが削れる音がする。指の先から砂になって崩れるような錯覚に襲われた。

 大丈夫、錯覚だ。この手は止めない。

 

 

「そうだよ、これからは……きっと、もっと、大変なんだから……やることが、たくさん……」

 

「だから、ね」

 

「また……さ」

 

 

 また医務室のベッドの上で目を覚まして、大怪我したなぁなんてため息をつこう。医者たちが運んできてくれる食事を秒で平らげて、寝て、あきれ顔に見送られながら退院してしまおう。

 

 そして……そして、

 

 

「ふたり、で──」

 

 

 目に何も映らなくなる。手がシキの体温を感じなくなる。

 消える。

 

 もう、ここには、

 

 

 何も、ない。

 





この41話はタケハヤのところはじめ、ずーっと考えていた場面を書けて満足でした。次回最終話になります。
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