2020年になったのでドラゴン狩りじゃぁぁぁ!!! 作:蒲焼丼
4月末~5月始め 帝竜ウォークライ討伐。
5月 拠点移動・改修。1.5章。物資回収、都内探索など。
5月下旬~6月 帝竜ジゴワット討伐。
6月下旬~7月 帝竜ロア=ア=ルア討伐。
7月上旬~中旬 大量失踪発生。帝竜トリニトロ討伐。同日に人竜ミヅチ確認、帝竜スリーピーホロウ討伐。少し間を空けて帝竜ザ・スカヴァー討伐。
7月中旬~下旬 帝竜ゼロ=ブルー討伐。ドラゴンクロニクル完成。
7月下旬~8月 東京タワー攻略作戦決行。人竜ミヅチ討伐。同日真竜ニアラ撃退。全ドラゴンが地球から消滅。
8月 13班覚醒。
以上がドラゴン討伐の道程かなと思っています。大体4ヶ月くらいですね。
怪我の治療や新しい帝竜の確認にもっと時間がかかっていたかもしれないですし、もっと早かったかもしれません。個人的な予想なのですぐ前後するかと思います。あまり参考にはしない方がいいですね……。
温かい光の中にいた。
どこもかしこも真っ白で何もない。なんともわかりやすい夢の中だ。
夢ならもう少しいさせてもらおう。昼寝も日向ぼっこも別に趣味ではないが、さんさんと降りそそぐ温もりをここまで気持ちいいと感じたことはない。
一度起こした体をよっこらせと横たえる。仰向けになって目を閉じれば、鳥のさえずりやそよ風まで感じる気がした。
心地いい眠気に包まれる。夢の中だから既に眠ってはいるんだろうけど。
もう少しこのまま……。
『…………起きて……れよ……』
もう少し、
『みんな……待って……』
「……」
ダメだ、眠れない。
真竜との殺し合いなんて重労働の後だ、少しくらい自由にさせてくれたっていいだろうに。
気にしないようにしようとすればするほど声は大きくなった。耳を塞ごうかとも思ったが、なぜだか無視することに罪悪感を覚えてしまう。
そこまで呼ばれちゃ仕方がない。後で何か要求するとして、今は起きてやろう。
わかったわかったと応答して、素直に目を開ける。
視界に映ったのは太陽でも空でもない。琥珀色の目だった。
自分を覗き込んでいた少年と少女が、がばりと体を起こしてたたらを踏む。
「な、なんだ……起きてたんなら返事くらいしろよな! 心配……したんだぞ……」
「……ミロク。と、ミイナ?」
「うん、オレたちのことはわかるみたいだな」
「よかったぁ……シキ、おはようございます」
「……戻ってきた? いつの間に?」
見慣れた天井の色で、人類の拠点に帰還してきたのだと実感する。
ミイナがほうっと息を吐いて、キリノたちに報せに行くと部屋を出て行った。いつものリボンで結ばれていない髪が揺れるのを見送る。
帰ってきたということは、緊急の危機は脱したのだろうか。
自身の手で真竜を叩き斬った瞬間ははっきりと覚えている。ただ、その後のことはまったく記憶にない。
状況の説明を求める。ミロクは変わらないなと苦笑して話しだした。
「あの後、自衛隊とSKYのヤツらが、倒れてるおまえたちを救出してくれたんだ。……ずっと眠ってたんだぞ? ドラゴンが来たときもそうだったけど……ホントよく眠るよな」
「今度はちゃんと仕事したでしょ、ウォークライのときといっしょにしないで」
「まあな。おまえの言うとおりだ。今度は、あのときと違うこともある」
「何?」
「ドラゴンは、もういない」
言葉通りの意味だった。自分たちが帰還した日、都内、都外に関わらず、全ての竜が跡形もなく消えたという。マモノは相変わらず発生しているが、3月31日に突如出現した怪物たちは一夜の夢のように見られなくなったそうだ。
喰われ、蹂躙され、挑んで、狩って狩って戦い抜いて、存亡を懸けた死闘はようやく終わった。最後に地上に残ったのは人間だった。
勝ったぞ、とミロクは笑う。
その笑みを見て、ようやく肩から力が抜けた。長く息を吐いて、後頭部を枕に埋め──
いや、まだだ。
「ミナトは?」
相棒の所在を尋ねると、ミロクは気まずそうに視線を逸らす。
彼は迷いながらという挙動で、隣のベッドのカーテンを静かに滑らせた。
規則的に電子音を鳴らす機械、複数並んだ点滴台。皮膚を覆う包帯に、わずかに覗く肌も隠す管の束。
ミナトは人工呼吸器をつけてベッドに沈んでいた。指どころかまつ毛すら、ほんの少しも動く気配がない。
「最初さ、ミナトがおまえを運んでタワーに戻ってきたみたいなんだけど、おまえが息をしてないってパニックになって……みんなが急いで駆けつけたときは、ミナトもいっしょに倒れてたんだ。でも、おまえの手を握って治癒をかけ続けてた。治療のために無理やり離すまでずっと」
「……私、また助けられたってこと」
「そうだな」
「いつ目が覚める?」
「わからない。医者たちが全力で治療して、死なずに済んだけど、ずっとこのままだ。まだ油断できない状態だって言ってた」
ウォークライとの初戦とリベンジで殺されかけたとき、さらに今回。
これで命を救われたのは計三回だ。自分は何度こいつに借りを作ればいいのか。
「……ああもういい。考えるのめんどくさい」
「? 何の話だ?」
「独り言よ。気にしなくていい」
もう経験者のデストロイヤーと素人のサイキックなんてくくりじゃない。ずっと後ろで汗と涙を流し続けていたへっぽこのチームメイトは、それでも歩みを止めず最後までついてきた。ほんの少しずつ距離を縮め、いつの間にか隣にいて、最後の戦いでは背中も命も預け合った。パートナーとの貸し借りをカウントするなど馬鹿馬鹿しい。
その相棒は現在生死の境をさまよっている。よくよく考えれば穏やかじゃない。真竜を倒せたとはいえ、ほっとしている場合じゃなかった。自分たちの目標は「勝って生きて帰る」だ。これでミナトが死んだら元も子もない。
彼女の背中にひたりと貼りついている死を引っぺがしてやりたいが、自分は医者でなければサイキックでもない。治療に関しては門外漢だ。
尽くそうにも尽くせる手がないなんてもどかしい。こんな体では、ミナトはおろか自分自身のことも満足にできないだろう。
体をベッドに縫い付ける痛みにため息をついたところで、医務室にキリノとミイナが入ってきた。
「シキ! ……ああ、本当だ、生きているね。よかった……」
「ご挨拶ね。死ぬわけないでしょ」
「いや、死んでないのが不思議なくらいの怪我だったんだよ。今度こそダメなんじゃないかと思って、僕まで生きた心地がしなかった……」
ベッド横の椅子に腰掛け、キリノは組んだ両手を額に押し当てる。ナビたちが気遣うように優しく背をなでて、彼はゆっくりと顔を上げた。
ところどころはねているぼさぼさの髪。目の下に半月を作っている隈。大きな心労がかかっていたと容易に想像できる荒れ具合だ。埃の付いた眼鏡のレンズが眠り続けているミナトを映す。
「シバくんのことは……」
「ミロクから聞いた。もう待つしかないでしょ」
「ああ、そうだね。とにもかくにも、今君たちに必要なのは休息と怪我の治療だ。ただ、」
「? 何よ」
「君の足のことで、ちょっと」
言われて、ギプスで簀巻きのようにされた両足を見る。
ミナトもそうだが、自分も全身包帯まみれだ。足だけでなく腕も。
痛みに、なくなってしまった感覚に、体中を鎖のように縛る疲労。これでは歩行以前に自分で食事も怪しい。トイレなんてどうなるのだろう、考えたくない。
「死んでないのが不思議なくらいって言っただろう? シキ、たとえ君でも、手の届かない領域はある。今回の怪我がそれだ。なんていうか……その……」
「もったいつけないでよ。余計な遠慮しないで、はっきり言って」
隠しごとが下手な人間は、何かを偽ろうとすればするほど粗が目立つ。口をもごもご波打たせる目の前の上司がいい例だ。
大事な話なのだから、誤魔化しても意味はないだろうと告げる。
自身の体のことではないのに、キリノは呼吸もまともにできないといった様子で、地の底に落ちるように話した。
「君の……足だけど……怪我が治ったとしても、歩けるようになるか……わからない、らしい」
「ふーん」
「歩けるようになったとしても、走ることはもっと難しいだろう。ましてや、戦える状態にまで戻れるとは到底……」
「へー」
「……え、それだけ?」
「何よ、なんか言ってほしかったの?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど」
わかっていないとでも思われたのだろうか。キリノは専門用語を噛み砕き、手足──特に足が粉砕骨折だの複雑骨折だの、破片や骨の再生がうんぬんかんぬんで、本格的な手術が行える環境もなくどうたらこうたらだの、元の形に戻るかどうか、などとご丁寧に教えてくれる。
まとめれば、これから生涯、体に何らかのハンデがつきまとう可能性がかなり高い、ということだった。割合で言えば九らしい。ほぼ確定じゃないか。
だからなんだと片眉を上げると、キリノはぽかんという擬音語がふさわしい間抜けヅラになった。
「ほ、本当にわかっているのかい? 君は今までみたいに……」
「ずいぶん押してくるわね。再起不能になってほしいの?」
「そんなわけないだろう! ただ、君が……」
「わかってるわよ。言わなくていい」
気を遣ってくれているなんて、顔を見なくともわかる。
心を砕いてくれることには礼を言うべきだろう。けれど、足が治る治らないとか、元に戻る戻らないとか、それは
しょっちゅう死にかける体験を何ヶ月も繰り返した。そこでもう嫌だと感じれば怪我に甘んじて、一生誰かに面倒を見てもらうのもいいだろう。
けれど、
「私は普通に治すし、立つし歩くし走るし戦うわよ」
「……もちろん、そうなるに越したことはないさ。でも、」
「くどい」
ぴしゃりと遮ってみせる。キリノは見えない壁に顔面から衝突したようにのけぞった。
「一生車椅子に松葉杖なんてごめんよ。治すって言ったら治す。それだけでしょ。何も問題ない」
「うん……はは、そうだね。それでこそシキだ」
ようやくキリノが笑った。ナツメの裏切りがあってから、ほぼ休みなしで司令塔として奮戦してきたのだ。責任ある立場ではあろうが、人だけじゃなく自分のことも労わってやればいいのに。
「……」
どれだけ声が明るくなっても、話が弾んでも、隣のベッドの相方は深く眠って起きようとしない。
もう一度、無意識にため息が漏れた。脇で気遣わしげに言葉を探す三人にそんなもの必要ないと告げる。
「休めばそのうち起きてくるでしょ。ときどき声でもかけて待ってればいい」
よし、と腹筋に力を入れて上体を持ち上げる。
散々寝たのだ、体を動かさなければ落ち着かない。ドラゴンは消えたから、当分前線に駆り出されることはないだろう。浮いた時間は自分のためにつぎこもう。
まずはリハビリだ。死にかけていたことなど忘れてしまうくらい、完璧に怪我を治してみせる。
「体を支えられる物ある? リハビリがてら散歩したいんだけど」
「いや、まだリハビリができるような状態でもないからね!?」
間髪入れずにキリノがツッコんできた。ミロクとミイナが吹き出して笑う。
とりあえず外の空気が吸いたいと駄々をこねて車いすに乗せてもらう。医務室を出て都庁の中を巡り始めると、出会う人間全員が自分を見て目を丸くし、笑って、ドラゴン討伐が完了したことを祝ってくれた。
「あ、13班……起きてよかったです……うっうっ……あのですね、13班が帰ってきて、SKYの子たちと一緒に喜んだんですよぅ……いろいろあったけど、この子たちと一緒に喜べてよかったーって思ったらぁ……グチさんが、後ろからバサって! スカートをぉ……スカートをぉぉぉ……」
「あっ、目を覚ました! 心配させてくれちゃって、コノコノ! 一応、面会謝絶にしといたけど……あなたの顔を見に来た人、いっぱいいたよ! 例えば──にひひ……ここは黙っておこっかな! ほら、みんなに元気な顔を見せてあげてよ!」
「傷の具合はどうですか……? ここに運び込まれたとき、ボロボロだったから……13班の傷も、これで最後になってくれたらいいなって、思います。……きっと、なりますよね! だって、もうドラゴンは──」
「げぇっ! 起きちゃったのかよ! あ~うん、別にこの機会にボコられた恨みを晴らそうだなんて思っちゃいねーよ? お前らは恩人でもあるしさ。な、なぁイノ?」
「あっ、うそっ、起きたの!? あんなにぐっすり寝てたのに!? えっ、これ? これはぁ……そのぅ……油性マジック、だけど? べ、別に何もやらかしてないし! ねぇグチ?」
「13班、お疲れ様です! 本日は晴れ、何の問題もございません!」
「おめぇら、よくやってくれた! 今日は宴だな! ダーッハッハッハ!!」
こんなに大勢の人間に囲まれて笑顔を向けられるのは初めてかもしれない。祝辞、称賛、感涙。明るい表情と言葉がシャワーとなって降り注ぐ。
どんちゃん騒ぎを始めるギャラリーに埋もれないように適当に言葉を返す。大きな問題が解決したのだ、浮かれる気持ちはわからないでもないから、やかましいのは悪くない。
ただ、気に入らないことがひとつ。
全員がまるで示し合わせたように、それがあたりまえといった顔で、決まって同じことを尋ねてくるのだ。
「で、あの子は?」
「……あいつは、」
そんなこと訊かれたって答えられない。自分が知りたいくらいだ。知っている奴はいないのか。
なんで誰も知らないんだ。なんで医者やナースに尋ねても曖昧にされて返答がされないんだ。
ミナト、起きろ。
勝ったことに満足して寝たままだったら、絶対に許さない。
だから早く……休みが必要なら休んでいいから、なるべく早く。
「起きなさいよ、バカ」
* * *
今日はいつもより気分がいい。なぜって誕生日だから。
朝、眠りを妨げるまぶしい朝日も心なしか優しく自分を包んでくれるし、やかましく思っていた鳥の鳴き声も気持ちよく鼓膜に響く。
強いて残念な点を上げれば、自分の誕生日は学生にとっての新生活が始まる最初の日だから、それまで仲良くしていた相手が別の場所へ行ってしまっているということ。祝いの言葉をくれる子は高確率でいないし、かといって新しくできた友人、知り合いに自己申告するのも気が引ける。
でも大丈夫。家に帰れば母が好物のカレーと豪華なホールケーキを用意してくれているから。
たった一人の家族。特異な自分を受け入れ、見放さずに育ててくれた唯一の肉親。それだけで彼女が人間として貴い存在というのは幼心に感じていた。
あとは、仲の良い友人が何人か、スマートフォンにお祝いのメッセージをくれる。唯一、自分が異能力者であることを知っている子もそうだ。
異能力を見られたときは仰天していたけれど、熟考の後に「悪だくみなんてしてないんでしょ?」とあくびをされた。
そのとき使えていたのはハンドボールサイズの火だけだったし、ライターやマッチ代が節約できるくらいしか使いどころを思いつかない。それを素直に言えば苦笑されて、だから大丈夫だよと諭された。車はテロリストにとっては爆弾を積んで大衆を吹き飛ばすための凶器になるが、本来は人を遠くへ運ぶ文明の利器で、救急車のように誰かの命を救うこともあると。
もし、時間が流れて大人になって、当時と考えが変わってしまっても、その過去と記憶がたしかにある。臆病な自分にとってはかなり大きな支えになっていた。
そんな人々から生まれたことをお祝いしてもらえる日。これ以上ない、自分が生きていることを実感できる素敵な日だ。
「いただきまーす!」
イチゴのショートケーキ、チョコレートケーキ、フルーツタルト。母が買ってきてくれた物に加え、自分で買ったスイーツを並べれば豪勢な食卓になった。それぞれを一口ずつほおばり、舌に広がる甘さに満足して息を吐く。
小学生にでも戻ったようにはしゃぐ自分を見て、向かいに座る母が苦笑した。
「ずいぶん嬉しそうね」
「そりゃそうだよ。あ〜ケーキおいしい。幸せ〜」
「大袈裟ねぇ。ケーキなんていつでも食べられるでしょ」
「何言ってんの! 前はそうだったかもしれないけど、ケーキなんて超贅沢品、食べるの何か月ぶり──」
あれ?
イチゴに刺そうとしていたフォークが止まる。
自分は今、妙なことを口走らなかっただろうか。
「ミナト?」
「あ、うん、なんでもない」
ケーキは買うなり作るなり(作れるかどうかは別として)、食べようと思えばいつでも用意できる。
食べるのが久しぶりなのは、誕生日ケーキがという意味だ。なんせその日がめぐってくるまでには十二か月もかかる。
さあ、余計なことは考えないで、味わいつつだらだらしないように食べてしまおう。甘いものを食べすぎると気持ち悪くなってしまうが、時間が経てばやはり食べたくなってしまうのだし。
「あんた、本当にそれ全部一人で食べる気? 友だちに誕生日祝ってもらったんでしょ、お礼に持っていくか、家に呼んでいっしょに食べるかすれば?」
「えー! ……まあ、うん、そうか……それも楽しそうだし。でも、◯◯ちゃんはどれが好きかわからないんだよなー……。あ、でも×××ちゃんはチョコが好きかも? だっていつも、チョコバー、」
(うん?)
何だ、「◯◯ちゃん」って。
「×××」って、誰だっけ。チョコバーなんて……。
どうしたの、と母が顔を覗き込んでくる。
「そんなニコニコ笑顔で話すなんて、よっぽど仲の良い友だちでもできた?」
「え、あ、うん。えっとね、すっごくかわいいんだけどちょっと怖くて、でも誰よりも強い子で、私、何度も助けてもらっ──」
待て。
「それでもう一人、食いしん坊ですごく肝が据わってて、明るくて、私より年上なのに敬語を使ってきて、き、て……」
そうじゃない。
「違う、違う。だってまだ、二人と出会ってない……」
今日は2020年の4月1日だ。自分の誕生日だ。
行きたかったライブの抽選には外れてしまったけど、特別な日であることには違いないから、朝から街に出かけて、プレゼントを買ってもらって、レストランに行って……帰ってきてからは夕食の支度をしていた、はず。
なのに、頭の中で何かが、誰かが、違うと叫ぶ。
顔を上げる。
壁にかかっている時計は、いつものように規則的に針を進めている。中に組み込まれている日付の表示も、2020年の、
3月31日。
「──」
思考が止まる。
勢いのまま立ち上がる。椅子が後ろに弾かれ、手に持っていたフォークが落ちる。
ガシャンと音が鳴った瞬間、同時に時計の分針も進んで、それを合図に景色が変わった。
銀色のビル群に赤が乱暴に塗り重ねられていく。メッキを剥がし、化けの皮を剥ぎ、目を背けたくなる汚泥のような町が現れる。
自分が歳を重ねる前日。この時は、光景は、私の世界だ。
何もない。ケーキも、誕生日プレゼントも、家も、母も。あるのは体中に満ちる痛みと、歪んでしまった手足と、ぼろぼろになった装備だけ。
「あ、あ……?」
傷を押さえてうずくまる。
痛い。血が流れている。こんな怪我で立てるわけがない。
死にたくない。ただ平穏無事に過ごせればよかったのに。誰の人生も害していないのに。なぜ責めたてられるような目に遭わなければならないのだろう。
そうだ、世界は、あの日終わってしまったんだ。
ならここにいる自分も、死──
「動け!!」
うずくまった自分を誰かの声が殴り飛ばす。
「生きてるくせに諦めるな! じゃなきゃ私があんたを殺す!!」
物騒な物言いに思わず飛び上がってしまった。
姿形のない声。けれどそれは自分に向けられているものだと確信できる。
体の芯を揺さぶられる。たしか、この言葉は、どこかで聞いた。
今みたいに、大怪我を負って、体中だるくて辛くて、しかも目の前にはあいつがいて、諦めそうになったとき。自分を救ってくれた……誰かが発したもの。
がんばれという応援でもなく大丈夫かという優しさでもなく、ただ背中を蹴っ飛ばす喝。
この声があったから、体がずたぼろでも動くことができた。二十年近く生きてきて初めて味わう激痛や不調、恐怖があっても、それを抑え込んで生きるために動くことができた。
普通なら真っ先に逃げ出すはずの、大嫌いな辛苦。それを自分自身で踏み越えることができたのは、彼女がいたから。
顔を上げる。
私は知っている。黒髪が綺麗なあの子も、赤髪の大切な友だちも、頼りになる年下の双子も。ちょっと頼りないけど、やるときはやる上司も。
自分は志波 湊だ。
ムラクモ機関機動13班の、サイキックの、
デストロイヤーである飛鳥馬 式のパートナー、志波 湊だ。
「──シキちゃん!」
唯一無二の相棒の名を叫ぶ。
暗い空が割れて世界に光が満ちる。何もかもが真っ白に塗りつぶされた。
そうして目を開くと、きゃあっと悲鳴を上げて誰かが飛び退いた。
「……ミイナ?」
「み、ミナト……起きたんですね! えっと、えっと……この指、何本かわかりますか?」
「……二本」
顔の前に立てられた指の数を伝えると、ほーっ、とミイナが息を吐く。
シーツに小さな両手を添え、そっと頭をもたげて、ナビ中には見られない泣き笑いのような顔になった。
「もう、医療設備だって万全ではないのに、何度もひどい大怪我を負って戻ってくるなんて……本当に、異能力者でも死んでしまうような傷だったんですよ」
「……」
あの夢は……いや、はたしてあれは夢だったのだろうか。
どちらにせよ、あれはもうすぎてしまった過去だった。自分が今を生きているのは崩壊した世界の東京都庁だ。戻ってくることができて……よかった、と思う。うん、体中痛いけど。
「ミイナ……預かってたリボン、ぼろぼろになっちゃった。ごめんね……」
「いいんです。ちゃんと持って帰ってきてくれましたから。それよりあなたの体の方です。シキが起きてからもずっと眠り続けていて、もしかしたらもうこのままなんじゃないかって……よかったぁ」
霞む視界の中、自分の手を握る少女の手は震えていた。
ただでさえ虫の息で戦場へ向かい、ほぼ死体のような状態で戻ってくる。迎えた側はさぞ焦っただろう。怒る気力も削がれるほど不安にさせてしまったみたいだ。
しっかり手を握り返し、心配させたことを謝る。
少女ナビは一粒だけ目から雫をこぼして、優しく笑った。
その後、ミロクが医務室に来て、寝起きで頭が回らない自分に状況をゆっくりと聞かせてくれた。
ドラゴンはもう地上にいないこと。シキはずっと前に起きていること。都庁の人々が心配していたこと。自分が何日も目覚めなかったため、まだ祝勝パーティーができていないこと。
「あれ、そういえば邪神さんは……?」
「じゃしん? ああ、あの黒いもやみたいなやつか。あの変な像に戻ってるよ。自衛隊とSKYが言うには、東京タワーで倒れてるおまえたちの場所を教えて消えちゃったみたいだけど……気が付いたら、13班の部屋で捧げ物をよこせーとか騒いでた」
「そっか。うん、わかった」
ひとつひとつを噛み砕いて飲み込んで、納得してベッドに沈む。
3月31日に世界がひっくり返って、わけもわからず戦うことになって、どれだけの月日が経っただろう。
文字通りの命がけだった。普段自分が紛れていた雑踏はマモノとドラゴンの群れになって、草木はフロワロに蝕まれ、空の色まで変わってしまった。
そんな東京を走って、走り続けて、ようやく終わったのだ。
「……実感、わかないなぁ」
濃すぎる体験が続いたためか、何も考えずにいられる時間というのが、妙に落ち着かない。
慎重に体を起こしてみる。自分が眠っている間も医療従事者たちが懸命に治療を施してくれていたようだ。痛みや違和感が抜けていなくてぎこちないけれど、腕も足も動かせる。
「……立てるのか?」
「ん、たぶん」
点滴スタンドと用意されていた松葉杖を支えにベッドから降りる。のろのろとではあるが、歩くことはできそうだ。
「じゃあ、都庁をぐるっとまわってみんなに顔を見せてやってくれ。心配してたんだぞ……ホント」
両隣にナビが控え、ゆっくりでいいからと体を気遣われつつ医務室を出る。
同時に、隣の診察室から医師が出てきた。ばっちりと目が合って、彼は幽霊でも見たように固まり、その手からカルテがバサバサと落ちる。
「え、君……! 目が覚めたのかい、いや、本当に……!?」
「お、おはようございます。おかげさまで、なんとか。えっと、大丈夫ですか?」
「すまない、君たちの治療は何度かしているが、今回はいつにもまして、本当にひどい傷だったんだ……私たちの治療がどれだけ通じるか見込みも付けられず……本当に回復するなんて……おお、よかった……」
「あはは……本当にご心配おかけしてしまったみたいで、すみません」
「ああ、手は尽くすだけ尽くしたから、神に祈る他なくてね……。……神はやめてくれ? ははっ、それはまた、どうしてだい?」
「ねえあれ、13班の」
「シバさんだ! 起きたんだ!」
談笑につられて人が集まってくる。見知った顔が自分を見つけては驚いて駆け寄ってきて、包帯だらけの体を気遣いつつも興奮をぶつけてきた。
「やあ、待ってたよ! ボクは今、素晴らしくさっぱりした気分なんだ! それもこれも、彼女がボクを牛乳雑巾の如く、徹底的に洗わせたからね! いや~お風呂から出してもらえないかと思ったけど……出迎えられてよかった!」
「どうですか! この人、匂わないでしょう!? すっごく苦労して、お風呂に入れたんです! 匂いが落ちるまで出るな……と! これで、こころおきなく、13班の快挙を祝うことができますね!」
「FOOOOOOOOO!! YAAAAAAAAA!!! KITAAAAAAA──ゲボッ、ゲフゲフッ! ガフッ!」
「テメー、本当にカッコよかったぜ! ウチが言うんだから、間違いねぇよ!」
笑い声、涙の混じった声、鼻をすする音、興奮して壁を叩く音、拍手の振動。全てが空気を震わせて、ひりひりと傷に響く。これだけで体が悲鳴を上げるなんて、ずいぶんこっぴどくやられてしまったものだ。
でもこの痛みは嫌じゃない。だってみんな笑顔だ。表現も表情も、考えていることもてんでばらばらだろうけど、共通して陽の光のような温かさを持っている。身に浴びるたび、熱が広がって顔がぽかぽかする。
四方八方から飛んでくる声に応えていると、人と人の隙間から白くて細い腕が伸びてきた。
通してくださいとか細い声がして、はしゃいでいた人たちが慌てて横に身を引く。開いたスペースから顔を覗かせたのはナガレ夫人だった。
「あ、ナガレさん!」
「シバさん、起きたのね?」
「せんせー!」「待ってよ、せんせー!」と人の壁の向こうから子どもたちの声が響いた。夫人が面倒を見ている孤児たちだ。
子ども特有の甲高い声も耳に入らないようで、夫人は目を皿にして自分をつむじから靴の先まで観察する。抉る勢いで見つめ続けてくるものだから、何か変なところでもあるのかと気になってしまう。
あの、と声をかけたのと、体の外を二本の腕が囲ったのは同時だった。
体が温かい。視界が何かの布で埋まる。
「本当に、立派になって……」
耳元で優しい声が響いて、抱きしめられていることに気付いた。傷に響かないようにそっと、けれどしっかりと。
背中をなでながら離れる夫人の目は涙で潤んでいた。
「な、ナガレさん、あの、」
「痛かったでしょう。辛かったでしょう。それでもがんばってここに帰ってきてくれたのね」
「……」
よかったと伝えられ、つきんと胸の奥が痛む。脳裏をかすめたのは赤髪の、一度だけ顔を合わせた先輩だ。
ムラクモに所属していた夫を亡くしてしまった彼女は、この場にいる誰よりも、何度も何度も労いと「嬉しい」という言葉をくれる。ついには目尻から涙をこぼしてしまった。
「シェルターで眠っていた姿とは、別人みたい。夫はきっと、今のあなたにこう言うわ。『頼れる後輩がいて、安心だ』って」
「……」
「……本当に、おつかれさま。あの人の分も、お礼を言わせて」
柔らかい手がくりかえし頭をなでる。
なぜだろう、間違いなく嬉しいのに、泣くところではないのに。
たくさんの人からのおめでとうと、お疲れ様と、ありがとうを浴び続け、毛布のように包まれて、気付けば砂粒のようにさらさら涙がこぼれ出ていた。
「おいミナト、大丈夫か!?」
「あ、あれ、おかしいな。なんで涙が……」
「傷が痛むんですか? すぐ医務室に……」
「ううん、違う。傷は平気。なんでだろう?」
人々の笑顔あふれる屋内から一転、今まで乗り越えてきた帝竜たちの姿がフラッシュバックした。人の体を簡単に引き裂く爪に、頭を簡単に砕いて飲みこむ牙に、跡形もなく吹き飛ばすようなブレス。
自分に異能力がなければ到底生き残ることはできなかった。いや、異能力のあるなしは関係なく、なんであんな化け物相手に自分は身一つで飛び出せていたんだろう。
最先端の装備は身に着けていたけど、シキもいたしナビもあったけど。
ははは、と中身のない笑い声が漏れてその場に座り込む。
両隣にいるミロクとミイナが慌てて顔を覗き込んでくる。続いてナガレ夫人や他の人々、廊下の向こうから顔を覗かせたネコやリンたちがなんだなんだと自分を囲む。
叱られないかなと不安になりながら、歯止めがきかずに言葉をこぼしてしまった。
「ご、ごめん……何か震えが……」
点滴スタンドが震えて止まらない。倒してしまってはいけないと離した手は痙攣を繰り返していた。
「へへ……やっぱり、シキちゃんみたいにはいかないや。私──」
「ミナト」
右手をミロクに、左手をミイナに握られる。
二人も、目の前のナガレ夫人も、リンもネコも、みんながみんな、そろって笑った。
「もういいんだよ。ドラゴンはいないんだから」
「いたとしてもです。怖いって言っても、誰も責めたりしませんよ」
「ああ、そうだ。……13班は一番の功労者なんだからさ、がまんなんかしなくていいよ」
「そーそー! アンタが泣き虫なんて、アタシたちみーんな知ってるから!」
「あ、そう? じゃあ、遠慮なく……」
息を吸う。その一瞬で春から今までの記憶が頭の中を駆け巡った。
背中にはウォークライの炎で残った醜い火傷痕がある。ジゴワットの電撃でも火傷ができたし、ロア=ア=ルアには左腕を持って行かれそうになったし、トリニトロもやはり火傷を負ったし、スリーピーホロウは大嫌いな虫の姿で気持ち悪かったし、ザ・スカヴァーには轢き殺されそうになったし、ゼロ=ブルー戦では凍死寸前で。
大切な人も、知り合ったばかりの人も、たくさん死んで。
腕が届く場所にいる者をまとめて抱きしめる。
ぎゅゔぎゅうになって感じる体温がひどく心地いい。
「あー……怖かったぁ……!!」
目頭が熱い。鼻の奥がつんとする。頭がガンガン痛くてますます涙が止まらない。
子どもではないのにみっともない。けれど誰も咎めやしないし、当てられたのか遅れて泣き出す者までいる。
遠慮なんてするものか。今日は……いや、しばらくはところかまわず泣きまくってやる。
人の事情なんてお構いなしに襲ってくるドラゴンは、もういないのだから。
* * *
目が覚めたその日は泣きに泣いて体力を使い果たし、医務室にとんぼ返りして要安静になってしまった。
翌日会議室に顔を出すと、腫れあがった目もとを見てキリノに苦笑いされた。
「やあ……体の方はもう良さそうだね、何よりだ」
「はい、皆さんのおかげです」
辺りを見回す。机も椅子も、モニターもホワイトボードもいつもの配置。立っているのはキリノと自分だけだ。
様子から考えを読まれたのか、「シキも通信越しに話を聞いているよ」とキリノは自身の耳に埋まる通信機を指差した。自分も通信機を起動させて耳にはめる。
そういえば、東京タワーで倒れてからシキの顔を見ていない。彼女は今どこにいるんだろう。
「あの後……ミヅチの討伐後、君たちが東京タワーに戻った後のことだ。タワー直上の大気圏外から、巨大なエネルギーの消失反応があった」
「巨大なエネルギー……真竜のことでしょうか……勝てた、とは思うんですけど」
「結局、ミヅチとの戦いもその後も、僕らは君たちの様子を観測できなかった。映像はおろか、音も記録がない。君たちの話でしか事態を把握できないんだ。真に君たちが何をやったのかわからない──でも、その瞬間から、世界中のドラゴンは消滅した」
つい先日まで地上を跋扈していた怪物たちの影は見る形もない。フロワロも花びら一枚見なくなった。
異界化した土地が元に戻りつつあるというのは以前にも聞いたけれど、ダンジョンになってしまった土地で、完全にドラゴン襲来前の姿を取り戻したのは都庁だけらしい。国分寺の砂漠や台場の氷海はそのままだし、池袋の路線も天球儀の形を残しているとのことだ。
異界化してから帝竜を討伐するまでの期間に、元に戻るか戻らないかの境目があったということだろうか。
「そこはおいおい調査していくとして」とキリノが話を戻す。
「科学者の僕が、こんな言葉をいうなんてね……でも、言わせてほしい。君たちが……世界を救ったんだ!」
「大げさですよ、世界を救ったなんて……」
『結果的にそうなったって感じだけどね』
「あ、シキちゃん」
初めてシキの声が聞こえた。続いて風の音が通信機から耳に届く。屋外にいるのだろうか。
キリノがシキと自分の名前を呼ぶ。目の前に大きな手が差し出された。
真っ直ぐな賞賛がなんだか照れくさい。右手を出すとしっかりと握られる。
「ありがとう、世界を代表して、まずは僕からお礼を言わせてもらうよ。……そして、キリノ個人からも一言。帰ってきてくれてありがとう……何よりもまず、僕はそれが嬉しい!!」
「……私は、自分がやりたいことをやっただけですよ」
『右に同じ』
「でも、嬉しいって言ってもらえるのは、こっちも嬉しいです! ね、シキちゃん」
『ま、悪い気はしない』
ぶっちゃけて言えば、「世界を救う」なんて意識は薄皮一枚分程度あったかも怪しい。少なくとも、13班を結成した当時は間違いなく考えていなかった。
ほんの少ししか歩めていない人生を強制終了なんてされたくなかったし、地獄に放り込まれた状況から抜け出したかっただけ。寒くて暗い日陰から、温かくて過ごしやすい日向に移るのと同じ感覚だ。自分がそうしたかったからそうしただけ。その戦いがたまたま世界を左右する規模のもので、たまたま自分たちと世界が繋がっていたのだ。
ただ、その結果に都庁の人々の笑顔がついてきたのは素直に嬉しい。
通信機越しに三人で笑いあう。握手を解くと、キリノは気を引き締めるように咳ばらいをした。
「それでは13班に──引き続き任務を与える。これからもムラクモ機関の一員として世界の復興に協力すること。そして……今晩これから開催される、都庁あげての大宴会の……主役になること!」
「宴会ですか! やったー!」
『何、まだやってなかったの?』
「そりゃそうだろう! みんな、目覚めた13班がそろうのをずっと待ってたんだ。さあ、行こう! もう準備は万端、あとは主役の登場だけだからさ……シキ、こっちに戻ってこられるかい?」
『……んー』
意気揚々と誘うキリノに対し、シキの返事は珍しく歯切れが悪い。
どうかしたのかと訊いても返されるのは「別に」だけ。相変わらず風の音は良く聞こえるがそれだけで、シキ自身が動く気配は感じられない。
自分が迎えに行った方がよさそうだ。首を傾げるキリノを見上げる。
「私、シキちゃんのところに行ってきますね。キリノさんはみなさんと待っていてくれますか」
「え、大丈夫かい? 歩けるといっても君はまだ体が……」
「大丈夫です。私よりシキちゃんの方が重傷なんですから」
「……わかった。先に行っているよ。無理せずゆっくり、エレベーターを使って移動するように」
会議室を出て、階段とエレベーターで別れる。
最上階まで上がり、そこからさらに移動すれば、薄暗い通路の奥に扉が一つ。
取っ手をつかんで扉をくぐると迎えるように風が吹きつけ、空が広がった。
青く抜ける蒼天に白い雲。赤い差し色が消えた町並み。生まれてからずっと目にしていた景色なのに、数ヶ月見なかっただけでなんだか新鮮に感じてしまう。
真っ直ぐ視線を伸ばした先、かつてウォークライが座していた位置よりもずっと奥、縁のギリギリに彼女は座っていた。
「シキちゃん」
名前を呼べば彼女が振り返る。空を映して蒼く染まる瞳で互いが互いが射抜く。
シキは何度か瞬きをして、肩を下げた。ただそれだけで、言葉はない。
車いすを横にのけ、ギプスに包まれた脚をさらけ出して地べたに座るシキ。同じように座るミナト。南風を浴びながら二人でぼーっと天地を眺める。
「……あんた、」
シキがぽろりと言葉をこぼす。振り返ったミナトを見て、桜色の唇が小さく動いた。
「生きてたのね」
「……そこ!?」
「起きて顔合わせるの初めてでしょ。こっち帰ってきてから」
「そうだけど~。ていうか地べたじゃなくて車椅子に座ろう、体痛めちゃうよ。脚重傷なのにどうやって屋上まで移動したの?」
「腕があるんだから、段差は逆立ちすればいける。車椅子は足に乗せて……」
「いやほんと何してるの!? 無茶しちゃだめだよ! 手だって大怪我してるんだから!」
一瞬シュールな絵面が浮かんできたがくすりとも笑えない。体を動かさないと落ち着かない気持ちはわからないでもないが、そのために今は安静にしなければならないのだ。
だめだろうと言い聞かせると、シキは納得いかないという顔で頬をつねってきた。
「あんたに私を怒る権利ある? 死にかけながら治癒かけ続けて余計死にそうになるって何考えてんの?」
「だ、だって、シキちゃん息してなかったんだもん! あそこでキュア使わなきゃ絶対死んでた!」
「断言するな! それであんたが死んだら本末転倒でしょうが!」
「私だって死ぬつもりなかったもん! ちゃんと二人で都庁に帰るために使ったの、今回ばかりは私が正しいですー!」
「はあー!?」
シキを抱え、車椅子の上に座らせながら言い合う。体を離そうとすると逃すかと首に腕が回った。
まずい、シメられる。ヘッドロックを覚悟して目を閉じる。
が、数秒過ぎても痛みも息苦しさも襲ってこない。代わりに、ごちりと互いの額が触れた。目の前で盛大に息が吐かれる。
「本当に、貧弱なくせにタガが外れたらぶっ倒れるまで突っ走って……今度こそ死んだかと思った」
シキが花のかんばせを歪ませている。
わずか数センチ隙間を開けただけの距離、初めて見る表情に釘付けになった。
言葉では告げられていない。けれどわかる。これは、もしかしなくても。
(……
シキが真正面からこんな風に心配する言葉をかけるなんて。ゲームで言うならSSRだ。アマゾンの奥地に向かったって見られるかどうかわからない。
超貴重な反応を間近で受け取り、脳が処理落ちを起こす。体を離して、自分の手を見下ろして、それで顔を覆い体をのけぞらせ悶えて……結果、言語中枢がバグを起こした。
「わ……私も好きだよ!!!」
「いや待て何の話だ」
ひしっと抱き着けばシキは間髪入れずにツッコんで押しのける。一瞬でいつものやりとりに戻ってしまった。
ひとしきりじゃれたところで言葉が途切れて、また屋上は静かになった。
日差しも風も温かい。雲はよどみない白で、雨を連れてくるような気配は微塵もない。
崩れた街並みは相変わらず灰一色だけれど、空気の匂いはいつかかいでいたものと同じ。
季節はいつの間にか移り変わっていた。
「過ごしやすくなったねぇ」
「そうね」
「ついこの間までコートが着られたのにね」
「そうね」
「……終わったね」
「ん」
都庁で帰りを待っていた人々とは、飽きるくらい互いを労い祝う言葉を交わした。
同じようにパートナーとも話すことはたくさんあるはずなのに、言葉が出てこない。かといって何かを言わなければいけないという義務感も全くなく、風の音だけが屋上に響く。
そういえばどうしてここにいたのかと尋ねると、シキはほんの少し逡巡して視線を上下させた。
「なんとなく。ここから東京を見渡せば見つかるかと思って」
「何が?」
「あいつ」
ああ、とうなずく。みんなが都庁に集合している状況で姿が見えない者とすれば、一人しか思いつかない。
SKYメンバーが言うにはアイテルも忽然と消えていたとのこと。けれど彼らは焦ることなく、二人はどこかで仲良くやっているのだろうと笑っていた。ネコもダイゴも晴々しい顔とは言えないが、「そのうち帰ってくる」とゆったり構えていた。探すつもりはないらしい。
大きなため息をついてシキは車椅子に背を預ける。太陽が雲に隠れて少し涼しくなった。
「あーあほらし。どいつもこいつもばっさりさっぱり。私だけアホみたいじゃない」
「アホなんてことは……気になるなら、気になるままでもいいと思うよ」
「それじゃ嫌なのよ。……あのとき、あいつに『行ってこい』なんて言われたんだから」
「……そうなんだ。なら、自由にしてていいんじゃない?」
どういうことだとシキが視線を向ける。
特別深い解釈はしていない。そのままの意味だ。シキがタケハヤへ「行ってこい」と言付けたように、タケハヤだって「行ってこい」と送り出したのだから。
「シキちゃんも、タケハヤさんも、お互いに出発したんでしょ? なら、行きたいところに行って、やりたいことをやればいいと思うよ。帰るもよし、たまには合流するもよし、それぞれ自由にさ」
「……」
「あとはね、いってきますて言ったら、踏ん切り? が、つくんじゃないかな」
「踏ん切り」
「うん。私は家から出るとき、いつもそのあいさつはしてた」
なるほど、とシキは今さらながら納得する。そういえば、互いにいってこいとは言ったが、いってきますとまでは言えていない。今さらそんな漏れに気付くなんて。
ますますあほらしくなり、風に乗せて自笑を飛ばす。戦闘は誰にも負けない自信はあるし、あいつもなかなか強かったが、コミュニケーションだけは二人ともC級以下だ。
まあ、それはこれから身に付くだろう。……たぶん。
「……終わったのね、本当に」
「あはは、それ、さっき私が言ったよ」
「いいでしょ別に。……いざ平和になると、何していいかわからないもんね。学校は潰れてるだろうし」
「あ、私もそれ思った! ずーっと戦闘漬けだったから、今は頭の中空っぽで……」
「まあまず、間違いなく復興作業でこきつかわれることにはなるだろうけど。それ以外は……、あ」
「うん?」
そうだ、一番大事なことを忘れていた。やらなきゃいけないことがあるじゃないか。
「あんたの親。あと友だち、知り合い? 探さないとね」
言った瞬間、ミナトはぽかんと口を開けた。
自身の話なのになぜ呆けるのか。さては数十年早いボケが来たのではと頬をつつく。
「何よその顔。あんたそのために戦ってたんでしょ?」
「え、あ、えと……うん、そうだったね。あはは……忘れてはいなかったんだけど……シキちゃんの方から言ってくれるとは思ってなくて」
「どういう意味」
どすどすと強めに頬をつつく。痛い痛いとパートナーは頭を振るが、顔はいつも通り、締まりのない笑みだ。
昏睡していたときとは違い、頬は血色がいい。リハビリにどの程度かかるかはわからないが、もう生死のことは心配しなくてよさそうだ。
そういえばさ、とミナトが車椅子に座る自分を見下ろして首を傾げる。
「シキちゃんの脚、大変な状態って聞いたんだけど、大丈夫? もう歩けなくなるかもなんて話も……」
「あんたもそれ信じてるの?」
「いや、信じたくないけど……タワーから帰るとき、本当にひどかったから」
「死にかけてるのに治癒に全力つぎ込んで本当に死にそうになる奴に言われてもね。ていうか、あんたこそ大丈夫なの?」
体にハンデを負う可能性があるのは一人だけじゃない。後衛も後衛で、前衛とは別の障害を負っているはずだ。
ミナトに指摘をすると、彼女は苦笑いで片手の指先を立てた。
指先に霜が降る。いや、霜にもならない、小さな小さな涼風だ。それは瞬きを一度しただけで消えてしまう。以前は手の一振りだけで空間を呑みこむ属性攻撃を放てたのに。
ミナトは指を何度か曲げて顔をしかめる。ダメだね、と首が傾いた。
「研究員の人たちが言うには、健康じゃない状態で全開の術を使いすぎたのがよくなかったみたい。体がタイヤみたいにパンクしてるんだって。マナがうまく……練れない。うん」
「それって怪我みたいに治るもんなの?」
「さぁー……どうだろう。まあ、もうドラゴンはいないし、このまま使えなくなっても」
「ダメ」
不穏なことを言い切る前に否定する。にらみをきかせると彼女は肩をすくめて身を縮めた。
「だ、ダメ?」
「ダメに決まってんでしょ。最後の最後で諦めるとか許さないわよ」
「えええー……でももう戦う必要はないし」
「そういう問題じゃない」
諦めるわけがないし、諦めさせない。ドラゴンと戦ってきた理由と同じだ。罪を犯したわけでもないのに、自分の人生も、体に備わっていたものも切り捨てる必要はない。納得などしない。
世界は元に戻っていく。人の営みは続いていく。何十、何百年かかろうが、地球は2020年3月31日以前の姿を取り戻すだろう。そこにはもちろん、自分たちも含まれる。
そんなことなどあっただろうかと首を傾げてしまうくらい、この傷を超えてまた二本の脚で立ち上がるのだ。
ドラゴンになど、何一つも奪わせてやるものか。
「ミナト」
シキは相棒の名前を呼ぶ。
志波 湊。人の目を気にしてびくびくして、かと思えばその人の気持ちもわかるだのどうにかしてやりたいだの、自分のことも満足にできないくせに走り回る、無駄に感受性が強く涙腺の脆い臆病者。
この先何があろうが、こいつは私の隣に立つだろう。
「まだいけるでしょ?」
「……そうだね、シキちゃん」
ミナトは彼女の名前を呼ぶ。
飛鳥馬 式。自分にも他人にも厳しく、遠慮という言葉を知らず、相手が一国の主でも世界滅亡の脅威でもお構いなしに我を通す。死にかけていても諦めるなと人を無理やり引きずり上げる鉄火肌。
何もかもを殴り飛ばす腕っぷしと、絶望を叩き潰して道を切り拓く、S級の意思を持つパートナー。
未来に何があっても、この子は誰より前を走り続けるだろう。
「もちろん。いっしょに行くよ」
13班の二人が都庁屋上を後にする。
風に吹かれて綿毛でも舞い込んだのだろう、かつての赤い竜との死闘で走った無数の亀裂に、小さな芽が生えていた。
「さ、早く戻ろう! 祝勝会だよ!」
「肉ね、肉。肉が食べたい。あと牛乳。体に血肉が足りない」
「私は甘いフルーツが食べたいなぁ。あとピザとかハンバーガーとか、ジャンクフード思いっきりドカ食いしたい!」
「この状況じゃ用意するの難しそうだけど」
「これから食べられるようになるよ。そのためにも休養と治療と復興作業、がんばんなきゃだね!」
「そうね」
破滅の赤が祓われた世界に爽やかな風が吹いて、
この星に溢れるのは血でもなければ絶望でもない。明日を迎えられる希望と、気持ちよく天に飛んでいく人の笑い声だ。
「それでは、13班の帰還と人類の勝利を祝って!」
『カンパーーーイ!!!』
どこかの世界にいる13班の、2020年の戦いはここまでになります。
最後まで見守っていただきありがとうございました。活動報告の方で暴走して語っているので気が向いたらそっちもどうぞ。
感想、質問などどこからでもしていただければ。