剣が好きだ。これを持っている間は自分の役割を考えなくて済むから。
兵器にも、兵士にもなれない半端な舟に未来はあるのだろうか?戦いの後に何が待っているのだろうか?生きていることに、意味はあるのだろうか。……朧気な程昔に君と考えていたけれど、分からなかった。分からないまま君は行ってしまった。
君のいない世界に放り出されたものだから、もう考えるのを諦めてしまったんだ。
「……ありゃ、これ最後ですか」
少女はスティックバーの袋を空け、それを頬張り右手で剣を拾い上げる。そして紅い刃を綺麗に拭っていくのだ。
海の上では艤装制御の一端を担う指揮杖の役割も持つ以上、こまめなメンテナンスは生死を分けるものとなる。それも含め、じっくりと拭う。
春先の暖かい風が頬を撫でる。まだまだ腹を出す服装では肌寒いだろうか。……彼女がこの地にやってきて五回目の春が来た。あの日と変わらぬ、嫌なくらいに眩しい空で。
ふぅ、と息をつき、天井を見上げる。寂れた旧工場にはもう誰も近付かない。静かな中での作業は心休まるものだ。
少女は今日の午前非番だ。気の済むまでゆったりとメンテナンスができる。
突然、頬に氷を当てられたように冷たい感覚が走った。
「またここに居たんだな、綾波」
「ん……高雄ですか」
黒髪で白い服を着た重巡艦、高雄。彼女は持っていた酸素コーラの缶を綾波の前に置き、隣に座ってくる。
「指揮官が呼んでいた。切りのいい所で行くぞ」
「了解です」
彼女食べていたスティックを飲み込み、剣を拭い続ける。
重桜所属駆逐艦、綾波。それが少女に付けられた名前だ。別に唯一の存在という訳でもなく、別の基地に行けば彼女と同じ名、同じ顔のフネが見受けられるだろう。
「アズールレーンがまた、鉄血の拠点を襲撃したそうだ」
「んー……またですか。連中も懲りないです」
綾波のミミがしょぼんと垂れる。それを見た高雄は「そうだな」と微笑み彼女の頭をなでる。
五年前。上層部が勝手に喧嘩し、分裂した。その結果、この辺りの基地は軒並みアズールレーンと呼ばれる連合から分離し、新たにレッドアクシズという二国連合所属となった。とは言っても生活に変化があったわけではない。彼女らKAN-SENと呼ばれる人の形をしたフネ達は相も変わらず生きている。唯一変わったものといえば、それまで退治していた「セイレーン」と呼ばれる化け物そっちのけで内輪で殺し合っているくらいだ。彼女らは変わらず、命を懸けて敵と戦うだけ。
「綾波、午後に何か予定はあるか?」
高雄は伸びをしながら問う。
「ないでふ」
再びスティックを頬張りながら答える。彼女は足を伸ばし、リラックスした状態で綾波の頭を撫でてくる。
「なら、拙者の戦闘訓練に付き合ってくれないか?先程エンジンを調節したのでな。試してみたいのだ」
彼女は鋼鉄の靴を持ち上げ、綾波へと示す。しかし綾波は目線を向けることなく、黙々と刃を磨き続ける。
「いいでふよ。……ふぅ、ならついでに伊勢やんでも呼んどくですか?戦艦相手の演習もいると思うです」
「そうだな。あぁ、そう言えばだ。今日から新しい奴が舞鶴に来るらしいぞ」
「へぇ、どんなフネですか?」
「名は江風。お前と同じ駆逐艦だ。確か雷撃が得意とか言ってたな」
綾波は剣の刃を眺め、確認している。彼女がどうあろうと、私はやるべき事をやるだけ。あまり関係はない。高雄に向かい態度で示した。
「ふーん……まぁいいです。切りもいいし、そろそろ指揮官のとこ行くです」
「……興味ナシか。相変わらずだな、お前は」
高雄は呆れたように呟き、綾波を追って歩いていった。
「あ、やっと来たか綾波!今朝に召集命令出てたよなぁ?」
彼女らが指揮官室に着いた直後のこと。無精ひげを生やした大柄の男、指揮官は彼女の遅刻に苦言を呈する。
「あれ、そうです?忘れてたです」
綾波はふいっと窓の外へと視線を移す。ちょうど窓のヘリで寝ていた猫は気持ちよさげに尻尾を揺らめかせている。
「ったく……この際もういい。おい、入れ」
後ろの扉が勢いよく開け放たれ、一人の少女が入ってくる。美しい銀髪に、狐のようなミミ。立てた襟で口元を隠した少女はぶっきらぼうに言った。
「駆逐艦、江風だ。慣れ合うつもりはないので、挨拶は不要だ」
江風はそう言うと踵を返し、そのまま指揮官室を後にしようとする。
「いやいやいや待て!」
指揮官は身を乗り出して彼女を止め、再び部屋に戻す。
「……何用ですか、指揮官」
「さすがにそのままほっぽるわけにはいかんだろう。だから綾波、教育係頼んだぞ」
彼はそのまま綾波の肩に手をのせ、歯をむいて笑う。
「……え?あと触らないでほしいです」
綾波は指揮官の手を振り払うと、江風の方を見る。彼女は嫌そうに目を伏せているのがわかる。口元を隠していても丸分かりだ。
「こんなガキを教育係だと?馬鹿にするな」
「まあまあ、お前は『大湊の鬼神』に会いたくて此処に来たんだろ?なら適任じゃねーの」
彼は煙草に火をつけ、背もたれによりかかる。
「なんだ、お前はその鬼神と仲がいいのか?」
「綾波がその鬼神、です」
「……は?」
江風は信じられないといった表情で詰め寄る。
こんな目の死んだ駆逐艦があの鬼神だと?信じられるものか。
綾波を見下ろし続けている彼女は疑いの目を向けている。「それなら証拠を見せろ」といわんばかりに。
「じゃあ午後の戦闘訓練に来るです。高雄、いいですね?」
「ん?ああ。拙者は構わんぞ」
平然としている高雄を見て、これまた江風は疑惑の目を向ける。どうなっているんだ、と。
「じゃあ1300に第一訓練場集合です。……指揮官、もういいです?」
「ああ、そいつをどうにかできるなら任せる」
「了解」
そういうと綾波たち三人は部屋を後にした。
「高雄、今日の昼なんです?」
「確かカレーだった筈だ」
江風は彼女らの会話を聞き、落胆していた。ここ、大湊はレッドアクシズ有数の戦闘力を誇る基地との噂すらある場所だ。ストイックで武闘派な人らを予想していた。しかし、その末出てきたのは煙草臭い、カリスマ性のかけらも感じられない指揮官と、呑気な雰囲気を出す二人。噂は間違っていたのだと彼女は肩を落としていた。
「ーーー風、江風。聞いてるんです?」
彼女はぼうっとしていたようで、綾波の声掛けに遅れて反応を返した。
「……すまん、考え事をしていた」
「綾波達を嘗めるのは勝手です。でも綾波より弱いから綾波の言うことは聞くべきです」
彼女は江風の胸に指を当て、忠告する。
「なんだと?私が貴様より弱いだと?」
江風は逆上し、綾波の胸倉を掴み、壁へ叩きつけた。
すでに食堂内。周囲にいる人間の兵士たちはどよめき、彼女をなだめようとする。
「弱いです。ここが戦場ならキミは十秒で仕留めてるです」
彼女はさらに怒り、両手で首を掴み締めにかかる。高雄は気付いたらそこを離れ、給仕の人からカレーを受け取っている。
「馬鹿にして……っ!!」
綾波はおもむろに彼女の腕を掴むと、強く握りしめた。あまりの圧力、あまりの痛みに咄嗟に手を離し離れてしまう。綾波は平然と近づく。
「キミが最新の『キューブMk.5』製なのは綾波も知ってるです。でも、さすがに生まれたばかりじゃ勝てないです」
「……っ!!」
江風は思わず後ずさってしまう。すると突然首元に柔らかいものが触れた。咄嗟に振り返ると、盆にカレーを三皿のせた高雄がそこに立っていた。
「気は済んだか?」
「……膂力は私より上のようだな」
江風はそう言い、腕をさすりながら食堂を去っていった。
「行っちゃったです」
綾波は盆からカレーを一皿とると、近くの席で食べ始めた。
「さて、この一皿どうしようか」
高雄が思案していると、後ろから腕を回される感触がきた。
「そのカレー、私が食べましょうか?」
「毎度驚くからやめてくれ、赤城さん」
せに数多の尾を持つ濃い赤髪の女性、赤城はいたずらっぽく笑うとカレーを一皿手に取る。
「うふふ、あなた反応が面白いんですもの。それで、あの子が新入りの子ね?」
「ああ、苦労しそうだ」
高雄は面倒そうに息をつく。
そのころ、食堂を出て駆けて行った江風は宿舎のベンチに腰かけていた。
……本当に、彼女が鬼神なのだろうか。
自分より小柄で、細身。不健康なのか目の下にクマまである。そんな彼女が鬼神だというのか?
大湊の鬼神。生まれてから半年間いた横須賀でその噂を聞いた時、どうしようもなく憧れた。ある日の作戦終了後、帰還時に敵艦隊に奇襲を受けたそうだ。鬼神は仲間を逃がし、単騎で敵を壊滅させ、自身は無傷で帰還したのだと。そのデータは残っていなかったが、大湊では事実として認識されているらしいのだ。
自分もそうなりたいと切望した。自分一人で戦える、強い艦になりたいと。
その頃いた横須賀も強い艦隊ではあった。多くの艦を抱え、多大な戦果をあげていた。しかし、その実態……艦たちが色恋に惚け、指揮官、指揮官と彼を慕う声がそこらから聞こえてきた。
それがどうしても耐えられなかった。所詮兵器が人の形をとっただけなのに、なぜ。
座っていると、目の前に一人の少女が立っていた。
「ねぇ、君新入りだよね。こんなところで何してるの?」
綾波よりさらに背の低い黒髪の少女。彼女は犬のようなミミをぴこぴこと動かし、小首をかしげて江風の顔を覗き込んでくる。
「別に、何も」
「そう。私は夕張。ここではメカニックと医務をやってることが多いよ」
「なれ合う気はない。挨拶なんて……」
言いかけたところで彼女は江風のほほをつまみ、睨んでくる。
「さすがにそれは失礼だよ。君もほら、自己紹介して」
「……江風。駆逐艦だ」
「うん、よろしく」
夕張は笑顔を見せ、隣に座ってきた。
「それで、江風どうしたの?」
「いや……一つ聞いてもいいか?綾波があの、大湊の鬼神なのか?」
「うん、そうだよ?それがどうかした?」
彼女は不思議そうに首を傾げる。
「どうにも信じられなくてな。あんな覇気のない奴がそんな……」
「ん」
夕張はカバンからサンドイッチをひとつ取り出し、手渡した。
「あ、ありがとう……」
「人を見かけで判断しちゃダメ。それに、ここは所属艦が少ない分みんな練度が高いんだから」
「そうか」
「気になるんなら、あの子たちの訓練見るといいよ」
夕張は自分もサンドイッチを頬張りながら提案する。
「そうするか。ありがとう、夕張」
「どういたしまして。頑張ってね」
彼女は歩いていく江風にひらひらと手を振り、見送っていった。
一時間と少し後。第一訓練場に来ていた綾波達はそれぞれで準備運動を始めていた。シンプルな訓練場で、海に面しており、複数の的が並び立っている。
「伊勢やーん、江風来てるです?」
「その呼び方やめろよ……来てないぜ。お前ちゃんと伝えたか?」
裏の倉庫から出てきた女性。赤い髪を束ねポニーテールにしている彼女の名は戦艦、伊勢。重桜特有の獣のようなミミも当然ついている。
「伝えたはずです。まあいいや、さっさと始めるです」
綾波は海に浮かべた機械の靴に足を入れ、丁寧にボルトを締めていく。隣に置いた訓練用の兵装は弾丸をゴム製にしており、当たっても痛いだけで済むものだ。
三人が靴を履き、水に浮きあがると背のコアに艤装を接続する。フネを造る際に扱うキューブにより脊髄と艤装を接続し、様々な機能を直感的に操作することができるのだ。
綾波は剣を艤装に着けると迫撃砲を手に取り、感覚を合わせていく。一通り確認を終えると遠くの標的に狙いをつけ、正確に的の中心を打ち抜いた。
それを見た伊勢は口笛を吹いた。
「調子いいじゃねーの」
「早撃ちならあんたのが上手いです、伊勢やん」
「まあなー」
伊勢は胸を張り、自慢げにしている。
「んじゃあ負け残りでやるです」
綾波は迫撃砲を艤装にぶら下げ、少し陸から離れていく。
続いて伊勢が彼女と対面するように離れていき、それと同時に高雄はへりに腰かけた。
「さて、と……出てきたらどうだ?江風」
倉庫の戸の裏からガタッと音が聞こえる。江風は諦めたようにそこから歩いてくる。
「高雄……さん」
「別に無理してさん付けしなくてもいい。折角だ、訓練を見ていくといい」
江風は彼女の横に座ると、少し遠くに見える綾波の姿をじっと見ていた。
「ほら、そろそろ始まる」
高雄がそう言うや否や、遠くの二人は同時に艦砲を構え、砲撃する。
砲弾は彼女らのちょうど真ん中でぶつかり合い、バチン、と大きな音を立て沈んでいく。綾波はそれを見計らい距離を詰め、それに対し伊勢は全速で下がりながら続けざまに砲撃する。
綾波は背中の艤装から剣を取り外すと、迫り来る砲弾を一つ一つ、丁寧に真っ二つに斬り裂いていく。
「な……っ!?」
江風は驚愕し、立ち上がった。本来艦の持つ剣は斬るためのものではない。他基地では事故が無いようにか、刃を落としてあるものばかりだ。
「ウチの戦闘はよく珍しがられる。君のこういった反応も珍しくはない」
瞬く間に懐に潜り込まれた伊勢も腰から剣を抜き、刃と刃がぶつかり合う。
その後は互いに剣と艦砲を入り混ぜた戦いが繰り広げられていた。
距離が空けばすかさず砲撃、そして再び斬り合い……水の上だというのを忘れてしまいそうなくらいに激しい動きの中で、江風はあることに気づいた。
「……楽しそう?」
「ふふっ、そう見えるか?気持ちは分かるさ。二人のあの顔……まるで祭りの最中にいるようだ」
高雄は穏やかな笑みを浮かべ、彼女らを見守っている。
伊勢、綾波の二人は目を見開き、口角いっぱいの笑顔で水上を滑り駆けていた。
数分の戦いの末、綾波が伊勢に肩を貸した状態で戻ってくる。
「江風、来てたんです?」
先程までの笑顔は何処へやら、また暗い目に戻った綾波は彼女の顔を覗き込んでくる。
「あ、ああ。……本当に強いんだな、綾波」
「そりゃそうです。伊達に七年もフネやってねーです」
綾波は江風の隣に座り、ボトルを取って水を飲み始める。
「七年……ということは初期型か、綾波は」
「そうです。ここまで死に損なってるだけはあるです」
「なぁ、私とも訓練してくれないか?」
江風は意を決したように言った。しかし、綾波は少し考えると首を振る。
「あー、ダメです」
「な、なぜだ?」
「江風、まだ訓練兵装持ってないです。ばりちゃんから貰ってからやるです」
「ばりちゃん?」
突然のあだ名に困惑している江風。高雄が後ろから苦笑いしながら言う。
「夕張の事だ。此処のメカニックで──────」
「さっき会った。言えば作ってくれるかな」
「大丈夫です。しょっちゅう壊してるけど2、3日で作り直してくれるです」
綾波は反省の色を微塵も見せずに身を乗り出す。
「その度にあいつに謝りに行く拙者の気持ちにもなってくれ」
高雄は溜息をつき、口をとがらせる。
「ごめんごめん、です。それじゃ伊勢やん、休憩はもう大丈夫です?」
「おう、……次は絶対勝つかんな!?」
伊勢は悔しがり、綾波へ指さしながら岸から遠ざかって行った。それに続き高雄も立ち上がり、伊勢を追うように離れていった。
彼女らが演習を始めて数分。綾波は会話をすることなく、足をぶらつかせながら二人を眺めている。背から降ろした艤装を後ろに置き、寛いでいる。
江風はふと彼女の艤装に手をのせてみていた。訓練用とはいえ同じ駆逐艦の艤装だ。手触りは自分のものと何ら変わりない。
「艤装がどうかしたです?」
綾波が不思議そうに彼女のほうを見る。
「いや、何でもない」
「わかったです」
淡々とした会話。すぐに途切れたそれの後には、さざ波の音と遠くからの砲撃音を聞いているだけだった。
静かというわけではないが、穏やかだ。
「……なぁ、綾波」
「ん?なんです?」
「戦いは、好きか?」
綾波は少し考える素振りをすると、彼女の目を向き言った。
「別に、です。好きでも嫌いでもないです」
「そうか。やけに楽しそうに見えたから好きなのかと思った」
「それ、皆から言われるです。そんな楽しそうです?」
綾波は不服そうに口をとがらせる。
「あぁ、とても」
「ふーん……じゃあそれでいいです」
「そうか」
また、少しの空白が生まれる。江風は真剣に演習を見ており、綾波は欠伸をしながらくつろいでいる。
「江風、一つ聞いてもいいです?」
座り直した綾波は彼女の顔を覗き込んできた。
「な、何だ?」
「今まで実戦経験はあるんですか?」
「イヤ、実戦で海に出たことはない。横須賀にいた頃は演習で練度を上げていたからな」
「そっか。じゃあ一つだけアドバイスするです」
綾波は水面に立ち、彼女の胸にトン、と手のひらを乗せた。
「迷うな、です」
「実戦で考える暇が無い。そのくらいは分かっている」
「恐らく、江風が思うより実戦は早いです。射角計算も、相手の読みも頭で考えてたらダメです。直感を研ぎ澄ますことが大切です」
彼女はきょとん、と綾波の顔を見つめていた。助言をした少女の顔が、異様に暗かったから。
「……わかった。胸に留めておく」
「ふふっ、案外素直な子です」
少女は表情を緩ませると再び岸のヘリに座り、訓練を眺め始めていた。
それから一時間が経ち、二人の戦いが終わり岸へと戻ってくる。
「おかえり、です」
「ああ。拙者の勝ちだな」
高雄はどこか自慢げに笑みを浮かべ、綾波の隣に座った。
「すっごい接戦だったんだぜ?畜生、あの時の判断ミスったか……」
伊勢は悔しそうに頭をかいている。
「これでまたトントンだな、伊勢」
「もう少し勝ち越してたかったぜ」
二人はそんな事を話しながら艤装を外し、陸に上がった。
江風も立ち上がり彼女らに着いていこうとした時。立ち止まっても綾波が来ないことに気づいた。
後ろを振り向き少し視線を落とすと、彼女が丁度水面に浮かび沖の方へと進んでいくところだった。
「……なぁ、高雄。アレは何をしてるんだ?」
高雄は海上の綾波の姿を見ると「あぁ」と納得し、江風の肩をぽんと叩いた。
「興味があるなら見ていくといい。駆逐のお前なら同じことが出来るかもな」
江風はふと海面に視線を移す。小柄な少女の体がゆったりと傾き始める。角度を落としていき、今にも倒れるだろう。そう考えた瞬間だった。
「消え……!?」
一瞬、彼女の姿を見失った。エンジンからの衝撃で吹き出した水しぶきに体が隠れ、それが水面に還った時には彼女は20数メートル先でブレーキをかけ、再び直立している。
余りに速い。それだけでは無いのだろうが、今見ていた少女を瞬きもしないうち見失ってしまったことはない。トップスピードだけなら横須賀にも近しい艦はいたが、ここまでとは。江風は呆然と口を開き、彼女が数秒前にいた所と現在地とを交互に見ていた。
再び綾波は体を倒し、脚の艤装に据えられているエンジンを全開にする。彼女の視界に江風らの姿は見えていない。高スピードの中で見えるのは、尾を引き歪んだ建物群と光を跳ね返し、きらきらと光っている海面だけだ。
その姿は海を滑ると表現される一般的なKAN-SENとは異なり、さながら水面を駆けているように見えた。忙しなく脚を動かし、水面を跳ぶように最適な着水点を探り続ける。艤装の軽い駆逐艦だからこそ出来る芸当だ。
江風は見蕩れていた。流麗な舞のように滑らかで、美しいその動きに。その中に微かに見える獣のような荒々しさに。
そうこうしていると綾波は高く飛び上がり、宙返りをしながら三度砲撃をした。海上に置いてある三つの的へ放たれたそれは全て大きく左に逸れ、海の底へと沈んでいった。
綾波はそれを見て息を着いたかと思えば、岸の方を向き真っ直ぐに戻ってきた。
「……江風、見てたんですか」
そう言う綾波は滴るほどに汗をかき、肩で息をしていた。
「あぁ。凄まじい動きをするんだな、お前は」
「いいや、失敗です」
綾波はため息をつき、艤装を外しつつ答える。
「最後の砲撃か?それくらい誰にでもある。狙い方を微調節すれば……」
「出来ないです。あのスピードじゃ、綾波の眼が追いつかないんです」
「……そうか」
江風は目を細める。言われてみれば、眼が追いつかないのは必然に近いだろう。F1のマシーンから狙撃できる人が居るだろうか。全力で駆けながら針に糸を通せるだろうか。彼女がやろうとしていることはそれと似たことだ。
「もしかしたらキミなら出来るのかも、ですね」
綾波は今日初めての軟らかな笑みを浮かべ、艤装を岸へと置き始める。
「諦めるのは性じゃないが、とても真似できると思えない」
首を振る江風に対し、綾波は呆れたように笑う。
「何言ってるんです?初期型の綾波が出来たんです。最新型の江風ができないわけが無いです」
「初期型の生き残りなのか、お前は?」
江風は不意に目を見開き、彼女に問う。
造船技術がまだ不完全だった頃の試作品と言われる事もある「キューブMk.1」から造られた存在。その初期性能の低さから次々とセイレーンに沈められ、生き残りはこの星を見渡しても片手で数えられるほどだろう。
「そうです。他の艦より長く戦ってるから、多少は強くもなる、です」
綾波は外した艤装をまとめ、抱えて歩き出した。
彼女は近くの倉庫に艤装を置くと、剣だけを持ち立ち上がる。その後振り返ることも無く寮舎へと戻っていった。江風は開きかけた口を閉じ、彼女のあとを追い歩き出した。