綾波が目を覚ました時、また病室に寝ていた。あの日と同じ場所で、ただし経緯は違っていて。横のベッドで眠る江風をちらりと見て、微笑む。戦いから尾を引く痛みや重さが、今はむしろ心地良い。
一人では勝てなかった。江風を始め、皆の支援があったからこそ掴めた勝利。エンタープライズという存在からの解放。複雑な気持ちではあるが、やはり第一は勝利の達成感だろう。
大敵であった彼女の撃破は、レッドアクシズ陣営全体の利になる。覚醒艦複数人で相手してようやく抑えられるほどの相手を仕留められたことは大きな戦果だ。
「……伊勢やん、見てるです?」
静かな病室で、ぽつりと呟く。自分を生かし、未来へと繋げたその行動に報いられたかな。そんな思いを抱えてまでまた、目を閉じた。
「綾波ーっ!! 江風ー!! 生きてるかー?」
バタバタという騒がしい足音と共に勢いよく引かれる扉。その向こうには夕立が息を切らして立っていた。
「生きてるです。江っちはまだ寝てるから、静かにです」
「あ……綾波起きてる!」
「いやだから……まあいいです。どうしたです?」
「……心配してたんだぜ? ずっと起きないもんだからさ」
「……そう、ですか」
明るい表情から一転して、泣きそうな目になる夕立。元々秋の空のようにコロコロと表情が変わる彼女ではあるが、その感情に偽りはない。綾波は泣きじゃくって胸に飛び込んでくる彼女を受け止め、頭を撫でる。
病人服が涙で濡れていくが、それも仕方ない。綾波は落ち着くまで、ただ受け止めていた。
「うる……さい……ん」
ベッドで眠る江風が忌々しげに掠れた声で呟き、寝返りを打つ。そしてゆっくりと瞼をあけ、きょろきょろと辺りを見渡すと、綾波と目を合わせた。
「おはよです、江っち」
「……あぁ、おはよう、綾波さん」
「江風ー!!」
江風はうんと伸びをして、深呼吸をする。そしてそうしている所に飛び込んだ夕立も一緒に倒れ込んだ。
「く、苦し……」
「二人とも起きたぁー!!」
「だっちゃんやめたげるです、今度こそ死ぬです」
「ちぇー」
渋々といった様子で離れ、ベッドに座る夕立。江風も起き上がり、関節を伸ばしている。
「……仇、取れたです」
「そう、だな」
包帯まみれのまま立ち上がった江風は、綾波のベッドに座り直す。彼女と同じように空へと目線を向ける。
戦友の死に対する手向けとしては物騒だが、きっと納得してくれるだろう。彼女の行動が、重桜の運命を変えたのだから。
「体、まだ痛むです?」
「痛みは肩だけかな。あとは全身の気だるさだが……すぐ治るさ」
「そか、なら良かったです」
その後、静かになる。綾波の膝で眠る夕立を撫で、ただ宛もなく夕日を眺めていた。
鳥の声と、演習をする艦達の声。海風が頬を撫で、通り抜けていく。
「……秘密基地、行こうと思うです」
「そうか。きっと『ラフィー』も心待ちにしている」
「さァ? 五年も放置して、遅すぎだって怒るかもです」
「かも、な」
散り散りになったあの日から、ずっと無くしていた気持ち。封じて、見ないようにしていた想い。それを拾い直すために、綾波はまた歩み始めた。
あの頃からの廃倉庫。そのすぐ横から茂みに入り、迷路のようになっている小枝の道を抜けていく。しばらく進んで抜け出ると、そこはちょっとした空間が広がっていた。
三人で座るといっぱいいっぱいになるくらいの広さ。五年間誰も使わなかったからか荒れていて、蜘蛛の巣が張っている。
そして、隅の土を掘り返すと──────一つの缶箱が出てきた。錆びて汚くなった、お菓子の空き箱。これが綾波達の宝箱だった。
開いた中には、記憶通りのものが。三人で撮った写真や活躍した時に貰ったバッジ。中には整備の時に何故か余ってしまったネジなんかも入っている。
そしてその底に、一通の手紙があった。
幸いにも汚れながらしっかりと残っていた手紙。懐かしい丸文字で書かれた、ラフィーという名前。
綾波はそれと3人の写真を持ち出し、秘密基地を出た。そして、街灯が夜道を照らす中のベンチに座り込む。
自動販売機の稼働音だけが聞こえる場所。誰にも邪魔されず、一人きりの空間だ。
綾波は静かに、そして確実に。ゆっくりと手紙を開いた。
──────
綾波とジャベリンへ
この手紙を読んでるってことは、私はもうこの世にはいないのでしょう。
まずは謝ります。ごめんね。
綾波は優しいから、ジャベリンを慰めてくれてるんだろうな。
ジャベリンは寂しがりだから、声をあげて泣いちゃってるんだろうな。
この戦いで私たちが敵になるって聞いた時から、こうなるものだと思ってた。
私は弱いから。きっと沈むとしたら私だと、どこか納得もしてるよ。
この2年、楽しかった。お花見もしたし、海も行った。お祭りも行ったし、雪だるまも作ったね。本当に、楽しかった。
2人のおかげで、強くもなれた。きっと1人だったら1年も生きられなかったと思う。
人の体を得て初めて、人間のように生きることができた。
それと、もう1つごめんなさい。戦いが終わったら三人で暮らそうって話。どこか遠くで、ひっそり暮らそうって話。私は行けないみたい。約束守れなくて、ごめんね。
ねぇ、私は「ラフィー」でいられたかな。戦神なんて大層な名前、私は背負えていたかな。
2人と肩を並べられたかな。
最後に一つだけ、お願い。
生きて。
世界は怖くて、理不尽で、苦しいことが沢山あるけど。
私の分まで、2人で生きてほしい。
そしていつか、天国で会えたら。
2人の話、たくさん聞かせてね。
愛を込めて
ラフィー
──────
手紙を読み終えた綾波は、何も言わなかった。そして表情一つ変えず、ただ立ち上がった。
そして、歩いた。歩いては遅いので、走った。走って、走って、焦りのせいか、息も上がって。
しばらくしていつかの防波堤に辿り着いた綾波は、大きく息を吸った。
そして、栓が外れたように息を吐き出す。想いを海に乗せるように、ひたすら。
「うっ、あ……あぁ……あぁああ……」
ボロボロと流れ落ちる涙。夜闇の中に、溶けていく声。
「はあっ、ああぁ……ら、ふぃ……」
謝るのは、自分だというのに。ごめんねも、ありがとうも、言い足りないというのに。綾波はただ、泣き続けた。
いつ死ぬかも分からない中で、生きていたいと思えた。守りたいと思えた。ずっとずっと、一緒にいたいと思えた。ラフィーの笑顔が、刻まれた記憶から呼び起こされていく。
綾波も、ジャベリンも、ラフィーも、笑いあっていた。エンタープライズも、プリンツ・オイゲンも、同じ目線で生きていた。
地獄だった戦場から逃げなかったのは、彼女の存在あってのものだというのに。
『泣かないで』
なんて酷い言葉だろうか。君を失って尚、泣くことを許してくれないなんて。不甲斐ない自分を洗い流すことも、許してくれないなんて。
守れなかった綾波に、怒ってすらくれないなんて。
ああ、なんて残酷なんだろうか。
一頻り泣いたあと。深呼吸をした綾波は、ただぽつりと空に言葉を置いていった。
「ありがとう、ラフィー。……大好きです」
綾波は目尻を拭い、海に背を向け歩き出した。
彼女への土産話は、まだまだ足りないのだから。
そして、死にたがりの彼女にも教えてあげないといけない。
もっともっと、生きていかなきゃってことを。
手紙を胸元にしまいこみ、綾波は病室へと戻っていった。
翌朝、検査を終え包帯が減った綾波と江風。ベッドに座り暇を持て余す二人の元に、また騒がしい足音が近付いてくる。
「綾波、江風ーっ! 指揮官、目、覚めたって!」
「だっちゃん、静かにです」
「あ、ごめん。でさでさ、今朝指揮官が起きたみたいで……一緒に行かね?」
「今起きたのか? 指揮官は無事なんだな?」
大湊を奪われたあの戦いから二週間。ずっと昏睡していた指揮官がついに目覚めたようだ。綾波は特に驚くこともなく、ぴょんとベッドから降りた。話を聞くと、山城と赤城とで面倒を見ているらしい。そんな様子を聞いて、彼女は呆れたようにため息をついた。
「……兄貴に似つかず、悪運は強いみたいです」
「兄貴?」
「んや、なんでもねーです。それでだっちゃん、さっさと行くです」
「ん? おう!」
不思議そうにする江風をよそに、二人は部屋を出ていってしまう。慌てて後を追うように、彼女も部屋を出た。
階層を一つまたぎ、少し歩いたところの病室。その中では、指揮官らが談笑していた。
赤城がいつも以上に近い距離感になっていることを除いては大湊でもよく見る光景だ。
「漸く起きたです?」
「お、綾波か。心配かけたな」
「元からこの程度でくたばると思ってねーです」
「もっと労われ指揮官を」
小言を返すこの調子から、本当に無事なようだ。綾波は勝手に見舞の品であるリンゴを手に取ると、かじり始める。
「綾波―? それは指揮官のものよ?」
「小腹減ったんだからしゃーないです」
ものすごい剣幕で詰め寄る赤城に眉も動かさずにのたまう綾波。怒られることにトラウマすら抱えている夕立が冷や汗をかいて必死に目を逸らす中でも、堂々とした態度を崩さない。
「赤城サン。指揮官が起きたのなら、もう動くべきじゃないです?」
「……急いては事を仕損じる。もう少し慎重に動くべきだと思いますわ」
一転して、真剣な表情になる赤城。個人としては突撃主義ではあるが、大局判断となると冷静になる赤城のことだ。綾波の予想通り、すぐに動くことには難色を示した。
「で、俺が起きたからどうするって? 何も聞いてないぞ」
「……大湊の奪還。むしろ今しかねーです」
「先の戦いについては、赤城から聞いてる。エンタープライズの撃破、轟沈に始まり、敵艦隊の20%を撃破。結果で言えば完全勝利を収めたともな。だが綾波。ジャベリンの動向を知っているか?」
「……いや?」
「戦闘開始五分で早々にあの場を後にしていたらしい。そのおかげか奴による死者は四名。もし本格参戦していたら……」
その言葉に目を見開いた綾波。どうにか彼女を封じていたとばかり思っていたのだが、彼女はさっさと帰っていたというのだ。多くの味方の支援……おそらく生存していたほとんどの後衛艦隊が艦載機の処理にあたっていたおかげでエンタープライズを撃破できたのだ。それがもっと少ないと考えると……勝てていたかはかなり怪しい。
「……でも、もう敵はジャベリンだけです。エンタープライズがいない今、戦力上は何も問題ないはずです。横須賀の力も借りれば確実に————」
「此処の指揮官が承諾すると思うか?」
「……っ」
彼女もよく知っている、この横須賀基地の指揮官。常に自分の保身を第一にしている男だ。横須賀の危機であった今回、体よく利用するために共闘関係になったが、今回は大湊の問題として静観するだろう。名目上重桜最強の艦隊でありながら動こうとしない彼の姿勢はよく知っている。
「この事態にまで保身です。此処の大将を始末する方が話早いです」
「よせ、綾波」
「綾波、指揮官様の指示に従いなさい」
赤城、指揮官の二人に止められた綾波は深呼吸し、落ち着かせるように椅子に座った。
「わかったです」
「大湊を奪い返す必要があるのは事実だ。……だが、何を焦っている?」
彼の問いに、綾波は目を背ける。だが逃がしてくれるわけもなく、追及の言葉は止まらない。
「……別に」
「んなこたねぇだろ」
「なんもねーです」
「何年の付き合いだと思ってる。わかんぜ、さすがに」
しつこいくらいの言葉。こうなったら止まらないことは、よく知っている。綾波はあきらめたように口を開いた。
「ラフィーとの約束があるんです。ジャベリンと、会わなくちゃ」
「……そうか、わかった。明後日まで待てるか?」
「指揮官様!」
指揮官が発した言葉に驚愕し、強く呼びかける赤城。……伊勢を失い、いつも以上に慎重な考えを巡らせている彼女は、さらに仲間を失う可能性を恐れているのだ。
「悪い、赤城。今こいつを引き留めても、抜け出して一人ででも行くだろう。そうなるくらいなら、これが最善だ」
「……もう」
「……わかったです。その時までは、待つです」
最大限自分の意思を汲まれたことを理解している綾波は、そこで引き下がる。赤城も不満そうに口を尖らせるが、それこそ彼女の言ったように指揮官の指示に従うということだろう。
「じゃ、元気そうだしもう帰るです。赤城サン、面倒は任せるです」
「おう」
「勿論ですわ。綾波こそ、お大事に」
元気そうな指揮官を最後に一瞥し、病室を出る綾波。夕立、江風も後に続いてついていった。
「……綾波、綾波」
「どうしたです、だっちゃん?」
彼女の腕を揺すって、顔を見る夕立。綾波は足を止め、夕立の方へ向き直った。
「昨日、何かあったか? 焦りすぎはよくないぜ?」
「……ちょっと、失くしものが見つかっただけです。大丈夫、無茶はしないです」
「ん、ならいいけど」
「綾波も江っちも、だっちゃんばりちゃんも、山ちんも赤城サンも、加賀ちゃんも高雄も。みんなが生きて帰るんです」
「……おう!」
そう、死ぬわけにはいかない。死んでいった伊勢のためにも、ラフィーが残した願いのためにも。そして、かつての親友への言伝をする義務もあるから。
綾波にはもう、迷いはなかった。