訓練を終えると二人は宿舎へと戻ってきた。江風は日のあるうちに戻ってきたことに困惑し、綾波のか当たを叩いた。
「勝手に戻ってきていいのか?他にやることがあるんじゃ……」
「問題ないです。ウチじゃ訓練は自主的なものが殆どだし、執務は指揮官とその部下がこなす、です」
「……そういうものか?」
「そういうものです」
彼女はまだ納得しきれずにいたが、それを気にもかけずズンズンと歩いていく綾波の背を追いかけることにした。いまのところは。
「っと、ここからはおゆはんまで自由時間、です。部屋でゆっくりするでもいいし、やりたいことがあればそれをやればいいです」
綾波はロビーのソファに腰かけ、スマホを弄りながら言う。
「そういうお前はどうするんだ?」
「ん……もうちょいトレーニングです」
「なら私もそれに付き合おう」
「……ふーん」
綾波についてきてやってきた所は、訓練場とは言い難いただの古い倉庫だった。彼女はおもむろに跳ぶとむき出しの骨組みに左手で捕まり、懸垂を始める。
そのくらいなら私にもできる。そう考えた江風は少し間をあけ捕まり、同じように懸垂を始めた。
一定間隔で交互に息が吐き出される。嫌に静かな倉庫内に小さいはずの音が響き渡る。
50回ほど体を引き上げたころ。江風は震える腕から意識をそらしながら必死で懸垂を続ける。ペースは徐々に落ち、初めの3倍ほどの時間がかかってしまう。
「江風、無理せず休んで、です」
未だに当初のペースを保ったまま懸垂を続ける綾波。江風はギリッ、と歯を食いしばり、首を振る。彼女はまっすぐと、そして力強い視線で己の掌を見つめ、ゆっくりながらもまた体を引き上げ始めた。
「へェ……」
綾波は小さく笑みを浮かべると自分の腕へと意識を戻す。そして倉庫内には再び静寂が訪れるのだった。
それから数分後、左手に続き右手でも懸垂を終えた綾波はぴょんと骨組みから降りた。
「江風ー、一旦休憩です」
彼女はその声に応じて飛び降りる。しかし、着地したかと思えば体が傾き、倒れてしまう。寸でのところで腕を掴んだ綾波はゆっくりと彼女を座らせると、持ってきていた水筒を頬に押し付け、渡した。
「やりすぎ、です。あまり無理するとかえって体に悪いです」
「……そうだな。結局お前の手を煩わせもしたしな」
彼女はため息をこぼし、俯く。
「気にしなくていいです」
「気にもするさ。お前の忠告も自分の限界も顧みずこの有様だ」
江風は自分の手を見つめる。長い間捕まっていたからか掌は赤くなっている。
「いいんじゃねーです?多少無理しなきゃ成長しないです」
「……妙に優しいな」
足を伸ばしぶらぶらさせている綾波にいぶかし気な視線を送る。
「別に?ただ、頑張ってる奴は嫌いじゃねーです」
慌てて否定するわけでもなく、取り乱すこともない。ただ淡々と口を動かしている。
「好きも嫌いもない。私たちに馴れ合いなど……」
「馴れ合いなど不要、ですか。確かにそうかもしれないです」
綾波はふいに天井を見上げる。錆の目立つ鉄骨を見ながら、再び口を開く。
「でも、戦う理由にはなる、です」
「戦う理由?」
「です。また会いたい。死んでほしくない。……理由はいろいろあるです。そしてそれが生きる糧にもなっていた、です」
目を細める綾波。先ほど戦闘のアドバイスを受けた時にも見た表情だ。
「私は……」
「歪んでてもいい、汚れててもいい。生きる理由にさえなれば。……話がそれちゃったです。もう少し付いてこれるです?」
綾波はすっと立ち上がり、うんと伸びをする。江風はふっと笑い、続いて立ち上がった。
「当然だ」
それから一時間ほどたった後。
「ふぃー……江風、だいじょぶです?」
「ちょ……ちょっと待ってくれ」
綾波は泥のように倒れている江風へとタオルを放った。
「……悪いな」
「別に、気にしなくていいです」
彼女は隣に座り、水を一口飲む。春先だというのに汗だくになった二人は体の力を抜き、しばらく休んでいた。
「なぁ、綾波」
「なんです?」
江風はごろんと横を向き、口を押える。
「……吐きそう」
「ちょ、ばか我慢するです!すぐ袋持ってくるです!」
綾波は慌てて飛び起き、全力疾走していった。
「ほ、ほんとにすまない」
数分後、江風は申し訳なさげに頭を下げていた。
「それに関しては全くだとしか言えねーです。これに懲りたら無理しないこと、です」
綾波は呆れたようにため息をつき、改めて座った。
「……誰よりも強くなりたいんだ。そして戦いを終わらせたい。その為ならどんな無茶もするつもりだ」
「なんで?」
綾波は江風の顔を覗き込んでくる。ただ純粋に疑問なようで、そこに侮蔑も嫌悪も見えてこない。
「なんでって……なんの事だ?」
「なんで戦いを終わらせたいんです?どこかに大事な家族でもいるんです?」
「戦いを終わらせたいというのは誰もの希望だろう?戦争を始めた時点でどちらにも善悪美醜は存在しない。ならせめて、早く終わらせなければ」
彼女は真っ直ぐと綾波の目を見つめる。これだけは譲れない、と言わんばかりに。
「別にどんな理由でも否定する気はねーです。ただ、綾波と違うだけです」
「そう言うお前はなぜ戦うんだ?……なぜ強くなれたんだ?」
「うーん……内緒、です」
綾波は無表情のまま指を立てる。それを見た江風は不服そうにむくれた。
「そんな人に言えないような事なのか?」
「そーじゃないです。ただ、まともじゃないと自覚してるだけ、です」
彼女はそう言うと立ち上がり、江風へと手を伸ばす。
「ほら、そろそろおゆはんだから帰るです」
「……あぁ」
江風は彼女の手を取り、立ち上がった。
その数十分後。寮舎の食堂に来た江風の目に入ってきたのは料理している赤城と、白髪に赤城のような狐の耳を持つ空母、加賀の姿だった。
「あら、江風ちゃん。もうすぐできるから座ってて」
赤城は穏やかに笑みを浮かべ、促した。隣の加賀は少し会釈し、すぐに料理に戻っていた。
「あーやーなーみー!あたしあのアニメ録画しといてって言ったよなー?」
「ごめ、忘れてたです」
綾波に大声で文句を言いながら食堂に入ってくる少女。彼女は銀髪に太眉が特徴の駆逐艦、夕立だ。棒読みで謝る綾波の腕を揺さぶりつつ歩いてきて、二人して江風の正面に座った。
「……ん?あ、お前が新入りの奴か!あたし、夕立ってんだ、よろしくな!」
夕立はニッと笑い、身を乗り出して手を差し出す。重桜の象徴たるミミも嬉しそうにぴこぴこと動いている。
「私は江風。そんな馴れ合う気は──────」
「握手くらいしてやってほしいです」
面倒くさそうに頬杖をつく綾波。彼女の言葉を聞き、江風は仕方なさそうに夕立の手を取った。夕立は嬉しそうにぶんぶんも腕を上下に振り、気が済むと手を離して座り直した。
「……なんか犬みたいな奴だな、夕立」
「なんでだ!?なんでみんなにそう言われるんだ……?」
夕立は衝撃を受け、大きく仰け反ったかと思えば落ち込んだように机に伏した。その反応がどうにもおかしくて、江風は思わず笑ってしまった。
「なぁっ、何がおかしいんだ!?」
「すまない、バカにしたわけじゃないんだ。こう賑やかなのも悪くない、と思ってな」
咄嗟に弁明するが、夕立はむっとして悔しそうに動いている。
「だっちゃんが可愛いってことです。ほらほら」
綾波は頬杖をついたまま夕立の頭をわしゃわしゃと撫でる。そうすると彼女は嬉しそうに綾波の手に擦り寄っていくのがわかる。
「……馴れ合いはいらないってキミは言うです。でも、ヒトの体に生まれた以上、多少は必要になるです。ヒトは関わりなくして生きてはいけないから」
彼女は夕立の顎の下を撫でながら言う。夕立は気持ちよさそうに目を細め、体を預けている。
「……そういうものだろうか」
「うん。それにほら、こういうのも悪くないです」
「そう、かもな」
そうこうしているうちに赤城達の作っていた夕飯が出来上がり、それぞれが受け取りに行く。指揮官や高雄達も集まり、順々に受け取っていく。
「さっきは挨拶しそびれた。空母、加賀だ。頑張れよ、江風」
スープをよそう際、横から加賀に話しかけられる。江風は頷き、彼女に続いて名乗った。
「駆逐艦、江風だ。これから世話になる」
加賀は仏頂面のまま頷き返し、歩いていった。
「わ、わぁー!!遅れちゃいました!」
皆が席につき、今に食べ始めようとした時。入口から黒髪おかっぱの少女が駆け込んでくる。
「あ、山ちんまた遅れたですか。新入りいるし自己紹介しとけ、です」
綾波は水を一口飲みつつ彼女へと声をかけた。彼女はこほん、と息を整え、姿勢を正した。
「えーと、私、やまひ……やむぁ……」
自分の名前でここまで噛むとは。江風は呆れ気味に頬杖をついた。
「落ち着くです、山ちん」
「ふー……私、山城です!艦種は戦艦、よろしくお願いします!」
少女……山城は頭を下げる。食堂内では謎の拍手が上がっていた。
その後、指揮官が立ち上がり、「注目」と皆の視線を集めた。
「せっかくだし新入りにも自己紹介してもらうか!あと俺も紹介し損ねたからついでに言うぞ。伏見哲史、階級は大佐。よろしくな、新入り。そんでこっちに来い」
江風は何も言わず指揮官の元に行き、皆の方を向き直る。
「駆逐艦、江風だ。馴れ合う気は──────いや、余り人付き合いは得意ではないが、これから世話になる」
彼女はそう言うと、小さく頭を下げた。
「心変わりでもしたです?江風」
綾波は席へと戻ってきた江風に声をかけた。
「ヒトは関わりなくして生きてはいけない。そう言ったろう?それに、ヒトならば変わるのも当然だ」
「……違いない、です」
綾波は目を閉じ、頷いた。
「伊勢やん、醤油とってです」
「はいよ」
「あー!唐揚げにレモンかけた奴誰だよ!あたし食べれないのに!」
「ご、ごめんなさい私ですぅ……」
「おーいお前ら、あんまり暴れんなよ?」
「指揮官、ほらあーん……」
あまりに騒がしい。ゆっくりと食事をとることも出来ないのか、此処は。
「……この艦隊は愉快な奴が多いな」
江風はため息混じりに呟く。
「ま、これも良いもんです」
綾波は数メートル横の大騒ぎには参加せず、黙々と食べ進めている。
「皮肉だ、忘れてくれ」
「江風、意地悪です。……まぁアレ見てると、間に挟まった状態で食べてる加賀ちゃんが不憫です」
「あぁ……」
加賀は大騒ぎのほぼ真ん中で、黙々と一人で食べている。姉の隣に座ったはいいものの、指揮官に絡みに行った挙句自分はこんな所に取り残されてしまったのだ、仕方の無いことだろう。
一通り食べ終え、ふぅと息をつく少女たち。なんだかんだあの騒ぎの中でも食べ進めてはいたようで、みな残すことなく食事を終えていた。
「だっちゃん、今日皿洗い当番誰です?」
綾波はスマホを弄りながらきく。そして夕立は背もたれに寄りかかりながら答えた。
「夕張とお前。あたしはロビーで待ってるぞ」
「わかった、です。江風もやるですか?」
「……そうだな、手伝おう」
この基地の兵士、給仕の人々は夕方には業務を終え家に帰るか、こことはまた別の宿舎へと帰る。それ故に指揮官と艦船のみのこの宿舎での夕食、朝食は彼らで賄わなければならない。それを現時点では当番制で回しているのだ。
「江っち、はい」
「あぁ。……江っち!?」
「はいはーい」
困惑する江風をよそに夕張は皿を運んでいく。……三人で水場に立ち、皿洗いをするとは。まるで人間のような振る舞いだが、ヒトの形を持つ以上こうもなるのだろう。
「ばりちゃん、それ戻したら終わりです」
「うん、お疲れ様」
「ふぃー……それじゃお風呂行くです」
綾波は伸びをし、二人を見る。
「さっきシャワーに行ったろう。別にいいんじゃないか?」
「それはそれ。湯船に浸かるのは大事です」
「……そういうものか?」
「そういうものです」
「まーまー、夕立ちゃん誘って早く行こ?」
夕張は二人の手を引っ張り、ロビーで待つ夕立の方へと向かっていった。
それから一時間ほど後。自室に戻った江風はベッドに寝そべり、大きく息を着いた。
「大湊、か」
少し前までいた横須賀とは風変わりした所だ。皆が賑やかで我が強く、指揮官もそれを咎めることはない。
正直不安はある。ここに適応できるだろうか。並びたち、ゆくゆく超えることができるだろうか。
大湊の鬼神、綾波。彼女を超えたいと強く願った。最新機だとかそういったことは何も関係ない。ただ、彼女より強くなりたい。彼女の強さの源を知り、それを我がものとする。江風は確かな目標を見定め、目を閉じた。
それから数日後。江風が大湊に来てから五回目の朝を迎えた。初日以降毎日トレーニングと艦隊内での演習を続け、この日も朝から綾波と夕立に連れられてトレーニングの真っ最中だ。
「……なぁ、綾波」
「ん、なんでふ?」
綾波はスティックを齧りながら江風の方を向いた。
「ここ数日こればかりだ。もっと実戦訓練をしたりしないのか?」
「んー……まだキミは出撃にゃ早いし、近くに対外演習の予定もないです。だっちゃん何か知ってるです?」
「んーにゃ、あたしも何も聞いてないぞ?それにウチは人数少ないしすぐ出番くるっしょ」
夕立は綾波の水筒を手に取り、水を飲む。
「……明後日、出撃があると聞いている。それに出たい」
「は?」
「無茶苦茶を言っていることは分かっている。でも……お願いだ」
江風は歯を食いしばり、綾波に頭を下げる。
「お前の言葉なら指揮官も聞いてくれるだろう。頼む」
頭を下げたまま、江風は続けた。
「……正直なところ、まだキミは弱いです。戦場で足を引っ張れば全滅の可能性もある。それを承知の上で言っているんです?」
綾波は石段に腰掛け、足を組み問うた。
「……あぁ」
「綾波、こんな滅茶苦茶聞くわけ──────」
「だっちゃん黙っててです」
綾波は夕立の言葉を遮り、江風の襟を掴み目を合わせる。
「キミの考え一つ、キミの動き一つが艦隊全てを死に追いやる危険がある。その覚悟があるですか?」
「……ああ。だがしくじる気は無い。必ず勝利し、誰も殺させない!」
「へェ……」
不意に手を離し、江風は少しよろめいた。
「いいです。明後日の作戦、キミを推薦しとくです」
「本気か!?」
夕立は驚愕し、綾波に食ってかかる。
「勿論放任はしないです。今日の午後から明日にかけてウチの作戦、戦略を叩き込むです。その代わり……今回しくじったら、二度とキミの出番は無いと思うです」
綾波は鋭い目線を向け、その後くるっと振り返るとパーカーを羽織った。
「あぁ、覚悟しておく」
「そんじゃ、綾波は指揮官に言ってくるです。江風、着いてきて」
「……了解」
江風は深呼吸し、綾波を追い歩き始めた。
綾波のあだ名
江風……江っち
高雄……高雄
夕立……だっちゃん
夕張……ばりちゃん
赤城……赤城サン
加賀……加賀ちゃん
伊勢……伊勢やん
山城……山ちん