財布、ある。家の鍵――まあ、あんな家でも、家ではあるし――ある。後は生徒手帳と……ん?
ポロリと手帳の隙間から零れ落ちるものがある。見覚えのないものだ。黒い、トランプのようなカードだ。プラスチック製なのか、軽い割に硬度があり、しかし不自然に薄い。
拾い上げた面には俺の顔写真、名前、生年月日に血液型に趣味に身体能力に……そんな個人情報が網羅されていた。
すわ、ストーカーか。ゾワリと粟立つ延髄。怖いもの見たさか、恐れ交じりに裏返しせば、そこには右上に大きく『真理解剖』と書かれ、それ以外には何もない、黒い面がある。
字は全て白であり、撫でると微妙に凹凸がある。つるつるとして、光沢がある、材質はプラスチックスとしか思えない。
靭性を持ち合わせているようで、いくら曲げても折れる気配は無い。ぐぐいっ、と折り畳んでみようとしたが、手を離した瞬間に元の形状に戻った。折れ目は見えない。
流石に訳も分からなすぎる。
だから、特技をそれに使用した。躊躇は無かった。
機能は能力と個人の証明。そして保存。種別はパスカード。製作者は……ほう、怪異か。道理で。
危機感が無いのは、特技でそれに危険性が無いことが分かったから。材質は石油で間違いないようだが、何処から調達したのか……加工もどうやったのか。
気にはなるが、迂闊に踏み込んで実は人体の一部を使っている~なんて分かったら、悍ましくて仕方がない。
何でも知れるといえど、知りたくないものだってあるのだ。時臣の野郎のパンツとか、性癖とか。
……うん、制御が利かなかった時期は本当に酷かったな。ふらっと手を突いた壁から知らねーおっさんの露出オ○ニーを読み取ったときは流石にギャン泣きした。あれからだ。この特技を制御しようと決心したのは。
因みにその壁はこの学園の塀の壁だったりする。それに気づいたのは入学してから。
適当に特技で記憶を読み取り、時臣の弱みを探そうとしていたころのことだった。二度に渡って俺にトラウマを植え付けたのがこの学園の用務員だったことが判明し次第、俺は嫌悪感に耐えながらその用務員の性犯罪の証拠を迅速に集め、教育員会に匿名で突き出してやった。ざまぁみろ。
つか、女子生徒を脅して云々って実際にあるんだな。でも学校でやらないでほしい。切実に。あれ以来、三階の男子トイレが使えなくなったんだぞ。どんだけお盛んなんだよ。
そんなことは今はどうでもいいか。気を取り直して、探索に移ろう。
普通に考えればこっちは危険でしかない。それは、靄が発生した原因がこっちに存在するだろうということである。行き止まりである以上、これらの何れかの教室、或いは掃除用具入れに原因が存在するとみる。そうなると、迂闊に近づいて、また同じような靄が出てくると危険に過ぎるからだ。
しかし、空間存在の怪異となれば大きく規則に縛られる。それは例えば殺し方であったり、或いはあ移動速度であったり、将又、
もし、あの靄が単体でしか存在しないのであれば。こちらはほぼ安全地帯ということにある。そして、靄が出てきたということから、何かしら怪異に対するヒントがあるかもしれない。
故に、俺はこっちを調べることにする」
無意識の内に思考を口に出し、俺は歩き出した。
「……なるほど」
その後ろを、少女が付いていく。
そのことに疑問も持たず、俺は彼女の先導をしていく。
「――ん、異常なし。怪異はいないな」
「化け物、いません?」
「ああ、いないいない」
がらりと扉を開け、中に踏み入る。
俺はまず手前の教室から調べることにした。
ここは会議室だろう。奥の方にパイプ椅子と折り畳みテーブルが山のように積まれている。広さは他の教室の1.5倍ほどだろうか入り口側と奥側で別の部屋だった名残か、電気をつけても部屋の半分は暗いままだ。
「何も、ないかな?」
壁やテーブルなどに特技を行使し、この部屋で起こったことを読み解く。
当然ながら、この部屋で怪異が入った形跡はなかった。それを隠蔽した形跡もだ。
「外れだな」
きょろきょろ辺りを見渡す少女に隣を抜け、出口から出る。電気を消すのを忘れずに、と。
「わ、とと。置いてかないでくださいよ」
俺は扉を開けたまま立ち――待て、なんで俺はさっさと扉を閉めない? 探索中に無駄にできる時間など無いことは、俺がよく知っている。疲れるようなこともしていない、故に休憩を取ろうとしているのでもない。
「まさか――っ!」
俺は自身に特技を行使する。
身長や体重などの項目を飛ばし、状態の欄を探す。
――見つけた。だが、異常は見当たらない。俺にかけられた魔術は無いし、誰かが俺に干渉しているわけでもない。
なら、他だ。俺ではないのなら、俺以外に何かをしている奴がいる。
異界内での基本だ。異常を感じたら、それが何であれ警戒する。
俺は凡人である。時臣の様な魔術の腕は無い。だから、異界で生き延びるためには注意深くなければいけない。
何もかもが異常な異界の、その殆ど全てを警戒する。とても心のすり減る警戒だが、俺は何度もこれに命を救われた。この心構えのお陰で、窮地を切り抜けてきた。
俺は、周囲の空間に対して特技を行使した。
指定した対象は、一定以上の知性を所有する存在。これで駄目なら、魔力を介している存在。それでもだめなら――と、そこまで考えて、それらが杞憂になるのを俺は知る。
「――君は、誰だ?」
「もー、女の子を置いてくなんて信じられな……え?」
俺は、妙に焦点の合わせづらい仮定少女に向けて、問いかけた。
「まさか、私の事、認識してたり……?」
頷いてやると、少女(?)は慌てふためいた。
「わ、わ、わ、ど、どうしよ、その、あ、あぅ~!」
脇を通り抜けて逃げようとする彼女(暫定)の襟首を掴み、俺は言った。
「君は誰だ」
今度は、戸惑いを込めないしっかりとした意志で。
本来なら、この問いかけには意味がない。何故なら、俺の特技で簡単に知れてしまうことだからだ。
だが、何故か間断なく意識逸らしの術を掛けられているように、意識を集中させにくい。読み取る情報の解析は遅々として進まず、結果として本人に聞いた方が早いと考えたからだ。
「え、う、うぅ~。は、放してくだ、さいませんよねぇ、うぅ……」
「放さないよ。もう一度聞こう。君は、誰だい」
気の抜けるようなその仕草に、つい気が抜けてしまう。意識して作っていた声から険が抜け、今度は優しく問いかけるようになった。
「私は、その」
語りだした彼女に、耳を傾ける。
「
いつの間にか、俺に掛かっていた妙なものの影響は無くなっており、彼女は俯いて縮こまっていた。
「成程。君の特技は認識、いや、意識の操作、という事らしいね」
「はい……。このカードには、『認識奏作』なんて書かれてますけど……」
「まあ、そのカードの件は置いておこう。というかそれ、君が名付けたのかい?」
「そ、そんなまさか……! 私が名付けるなら、もう少しかわいいのに、して……」
段々と尻すぼみになる口調。人見知りなのだろうか。それとも、特技で人の認識を逸らせることができるために、対人経験が薄いのか。
「まあ、この話は置いておこう。君が色々知ってしまったのも……まあ、いいか。それについて二度と考えるな。不幸になるだけだからな。じゃ、さっき俺が入ってきた窓から出ていくと良い」
「……え、あの」
「なんだ。何かあるのか」
「その、キミちゃん……」
……?
言いたいことは、恐らく、友人が中にいるから心配で帰れない……というニュアンスでいいのだろうか?
まさか俺の事を「キミちゃん」と呼んでいるわけではないだろう、という常識的判断で俺は問かかける。
「友人がまだ中に居るのか?」
コクリ、と弱々しく頷く隠岸佳乃。先程から視線は下がっていくばかりで、前髪に隠れた表情を伺うことが困難になっていく。
「……はぁ。その子の特徴を教えてくれれば、こっちの方で助けだそう。なに、こう見えてもオカルトには強いんだ」
そう言って、俺は自身のカードを隠岸に見せた。
「【真理解剖】、何て大げさな名前だが、まぁ、こういう事態の時は滅法役に立つ。安心してここから出なさい」
「は、はぁ……」
近視なのだろうか。鼻頭がくっつきそうなほどに近づいて、俺の分のカードを読み始めた。
然程時もなく、決心に至ったようだ。流石に友人の為とは言え、こんなオカルト染みた空間にはいたくないのだろう。俺が言うのもなんだが、怪異に慣れていない一般人がこんなところで友人を探そうとできるだけ、大した胆力である。
「じ、じゃあ、その……外で待ってます、ね?」
「そうしていてくれ」
「キミちゃんは、その、眼鏡を付けてて、凄い真面目そうで、背筋が良くて……あ、黒髪で、此処まで伸ばしてて……」
隠岸は自身の腰辺りを示した。かなり長いな。この学校……ああ、そうか、女子の頭髪の規定はなかったな。
「髪は纏めないで、ストレートの、その、凄く真面目そうな子です。よろしく、お願いしますね」
「ああ、任せてくれ」
自信は無いが、胸を張る。最初っから全員助けるという目標を立てている俺だが、内の何人かは餓鬼となって怪異に取り込まれるとは思っておこう。異界に落ちて全員生還というのは楽観的過ぎる考えだ。
会話は外で切り上げ、隠岸は職員室に入っていった。
なんでそこに……と思ったが、そういえばあそこの窓はずれてたな。
そこから入ったのか?
確かに玄関にはかぎが掛かって……いや待て、なんで彼女はこんな時間に学校に居るんだ?
いやいや、確かに朝早いとはいえ、学生が登校するのはおかしくない時間帯で……?
え?
じゃあ、なんで窓から侵入したんだ?
……。
まあ、いいか。
俺は踵を返し、二階への階段を上ることにする。
明かりは陽の光だけ。必然的に暗くなる階段は薄汚く、そして錆びれたような印象を持っていた。
「さて、何処から調べたものか」
二階の間取りは一階のとほぼ同じだ。玄関に相当する所が無いだけで、部屋の配置はほぼ同じである。
まずは向かいに立ち並ぶ教室。そして、廊下で二分された空間の階段側にも並ぶ教室。
外の光を取り入れるための窓が無いから足元は暗い。電気が点いていないのだ。
カチカチと脇にある廊下の電気のボタンを押すも、光は点かない。電気が通っていないようだ。
まぁ、そりゃ、此処異界だしな。
電気が通ってるわけないか。
……あ。
これ、怪異騒動が終結したら電気線どうなるんだ?
断線してたり……休校か? 自宅学習か?
やだぞあんな家に籠るのは。葵さんちに押し掛けるか? それともどっかゲーセンでも……。
「それは全部終わった後に考えるか」
捕らぬ狸の皮算用。と言っていいのかは分からないが、この状況を生き残れるのかすら怪しいのだ。まずは気を引き締めて、此処から逃げることに専念しよう。
「んじゃ、まずはこの教室からにするか……ま、そうだよな」
適当に左手階段側の教室を選んだが、とても暗い以外に異常は見えない。
極々普通の教室だ。
「あ、こいつ置き勉してやがる。どれどれ……うわぁ」
片っ端から机の中をあさり、一冊のノートを見つける。文字は読めないが。
その中身を見た直後は、字が汚いからだと思っていた。
けど、違う。
しげしげとみて、それに気づく。
ノートに書かれていたのは全て、鏡文字だったのだ。
特技で解析してみるも、これ自体は普通のノート。所有者の名前など、関係のない項目は読み飛ばした。
書かれている時まで読み取ろうとすれば、少し集中がいる。さらに、これはこの世界のアイテムだと断言できるので、何かしらの精神汚染を受ける可能性もある。
故に、此処に書いてあることを知るならば鏡を見つける方が良いのだ。
「……どっかで鏡探さないといけないな。トイレ……は嫌な予感がするから却下。窓際は……うん、ベランダから襲ってきそうだな。どっかの女子生徒が手鏡を置き去りにしていることを願おう。最悪、特技で読み解けばいいか」
それは最終手段だけれども。
ノートを閉じ、何かの役に立つかもしれないので手に持ったまま他の机の中を覗く。
探索続行だ。
その数分後の事だ。
廊下に隠岸が来ていた。先程分かれた彼女だ。
怪異であることを警戒し、まずは自分、そして空間に特技を行使する。そして続いて彼女にそれを向ける。彼女自身も協力してくれた――といっても、黙って触られただけなのだが――ため、彼女が本人であると確認できた。脈拍が乱れ、体温も少し低い。常はそのくらいだ。
因みに、何故こうも特技を大盤振る舞いするのかというと、そうしないと生き残れないからだ。
異界の中なら蟲爺の目も届かないし、遠慮する必要が無いしな。
ともあれ何事かと問うと、信じられない答えが返ってくる。
「窓、
俺は薄暗い廊下の中、漸く隠岸が顔を青褪めていると気づく。
心細いのか、一歩踏み込んでくる。しかしあまり他人が近寄るのは好きでは無い為、一歩下がる。
それから俺は手で目を覆い、天井を仰ぐ。喉が無防備に空気に曝け出されるが、構わない。
「マジかよ……」
その四文字を言えれば、俺の感情は十二分に伝わるからだ。
枠毎外れた窓。それが直っているとはつまり、何かしらの超自然的な力が働いたということ。犯人が人間である可能性が限りなく薄い以上、そうとしか思えない。
そして、そうそう俺や隠岸のような特技持ちがいるとは思えない。故に、それは怪異の仕業だと仮定する。
だとすれば、俺らは閉じ込められたわけだ。
唯一の出入り口を、封じられて。
隠岸佳乃の特技:【認識奏作】
それは認識――率いては意識の操作の技能。
出来ることは認識の操作であり、いずれ認識でさえあれば如何なることさえできる。
今はまだ、殻を被った雛に過ぎない……