「まあ、それはもう、仕方がない。仕方がないな。うん」
軽く震えている。原因は明白だ。唯一の希望、というよりかは心の拠り所が消え失せたのだ。少し尻込みしたくもあるが、やるべきことに「脱出路を探す」という項目が加わっただけだ。大事は無い。些事だ。
「ど、どうしま……しょう、か……」
目端に涙さえ浮かべた隠岸が俺に縋る。
というものの、流石に触れ合うほどに心を許してないので、半歩近づいてくる程度だ。
怪異ではないと分かっているから、それを拒む理由もない。
いや、普段は葵さんに勘違いされないように他の女子とは距離を保っているが、今は非常時だだから仕方がない。
要救助者が目の届くところに居るのもやり易くはあるので、それを咎めるつもりはない。むしろ、こんな訳の分からない状態なのだ。手を繋いでやるべきなのかもしれないが、あっちはまだ俺の事が怪異でないという確証を得られていない筈だ。彼女のは、俺の特技の様に便利な特技では無いからだ。
というかそうでなくとも異性と肌を触れ合わせるのは心理的なハードルが高いものである。特に思春期の俺らにとっては。
俺なんか、葵さんの手に触る妄想をするだけで悶える。
……あ、いけない。なんか顔が赤くなってきた気がする。
つまりそういうことだ。早めに同性の……キミちゃんとやらを見つけてやり、不安を解消させなければ。思いつめられて発狂されたら、こっちにまで被害が及ぶ。
具体的に言うと、怪異がおびき寄せられる。
「……ん?」
定期的に特技で自己診断していると、自身が隠岸の特技に影響を受けている記載があった。
それは
ちらりと隠岸を見やる。その顔に罪悪感は無い。
俺は嘆息一つ吐いて、その行動を見逃すことにした。こんな状況だ、心細く思うのは仕方ないだろう。
……それで俺のパーソナルスペースを狭めるのは、どうかと思うが。
というか狭めるなら自分のじゃないか? 俺のを狭めてどうする。実はお前、人見知りじゃないのか?
「うし、じゃあ次の教室に行こう」
教卓の中も調べ終え、開けようのないロッカー以外は全て調べ終える。軽く調べるだけなので、さほど時間もかからなかった。
「あの、そんなことより、キミちゃんを探したいです……」
実は少し余裕があるだろ、君。
「そうはいっても、手掛かりみたいなものは見つかっただろう? これも全くの無駄ではなんだからな。異界から脱出するヒントはいくらあっても良い」
そう言って、暗に探索を中断するは無いという。
前例からすれば大抵の遭難者は一所に留まるし、じっとしていれば怪異と遭遇する確率もある程度低い。
本当にある程度だけれども。
そも、怪異の詳細も判明していないこの状況で集団行動とするのは危険な行為なのだ。
怪異は何故か人の多い方に惹き付けられる傾向があるため、むしろ犠牲者を増やす可能性もある。
とは言ってもそれらを説明するのはめんど、時間の無駄なので、端的に意見を切り捨てたのだ。
「その、キミちゃん……うう……」
……少し、悪いかな。という気がしないでもない。
別に女性を泣かせるということに罪悪感があるわけではない。というか、葵さん以外は女性として見れない。初恋を拗らせに拗らせているぜ。密かに誇っている事の一つだ。
隠岸が泣いていることに気後れするのは、小動物を虐めているような気分になったからだ。更に言えば、子供の頃の――記憶に焼き付いている天使の具現と評すべき――葵さんの姿に重なったからでもある。
男は女の涙に弱い。
理由は少し違うけど、そういうことである。
「あー、分かった分かった。次は生存者の捜索にする。な? それでいいだろ?」
途端に顔を上げる。ぱぁっと花開いた笑顔の目端は赤くなっていて、本当に泣いていたと分かる。
友達想いなんだな、と感心した。まあ、知らない男と一緒にいるのが怖くて、知っている人と合流したいだけなのかもしれないが。
手に持ったノートを抱え直し、確認の為に聞き直す。
「その、キミちゃんとやらは図書室にいるらしいと、そういう事でいいんだな?」
「はい。本を返す為に朝早く来ましたから」
こんな朝早くにきて人がいるのか?
そんな疑問を抱いたことに気づいたのか、こう補足してくる。
「あ、キミちゃんは図書委員なんです」
「ああ、なるほど」
図書委員ね。
図書委員といえば、なんかあった気がする。
何だったか……。
……ああ、そうそう、なんか図書室にも怪談話があったな。詳しくは知らないが。
バカ話と一緒に聞き流してたからな……人死にが出る、という話ではなかったはずだが。
ダメ元で特技で調べてみるか? いや、怪談話は図書室に纏わるもので、学校全体にかかわるものではない。ここからでは調べられないか。
かといって図書室で直接調べられるはずもない。目的は「怪異がいるかいないか」を確認することなのだから、着いた時点で分かる。
「仕方ない。このままいくか」
古良き勇者御一行スタイルで廊下を歩き階段を上る。図書室は四階あたりだったはずだ。あまり行かないから知らないが。
階段は変わらず薄暗く、むしろ上に昇れば上るほど暗くなっていく印象を受ける。陽の光を邪魔する木々も踊り場の窓から見下ろせるのに、この薄暗さは何なのだろうか。
「図書室、図書室……っと、ここか?」
懐中電灯が欲しい。ここまで暗いと部屋の中も見れないし、怪異が傍によっても見えない。影と同化してしまうからだ。
「あ、ここ、ここですっ!」
「でもここ……鍵かかってるぞ? そもそも鍵掛かってるのに入れるわけもなかったか。もう外に逃げてんじゃ……」
図書室は、その中でもより一層暗かった。というより、ガラスの向こうに黒い布か紙でも貼っているのではないのかと思うほど黒黒しく暗い。
その扉を開けようと取っ手に手を掛けるが、鍵がかかっていて開かない。
これでは、そのキミちゃんも入れないだろうと思ったが……。
「あ、キミちゃんは図書委員なので合鍵があるんです」
「ちょっと待てなんだそのガバガバセキュリティ」
「『上手く型取れた』って笑ったの、凄くかわいかったんですよ!」
「それ犯罪だよな。もしかしなくても犯罪だろ」
えへへ、とほのぼのし始めた隠岸と裏腹に、俺はその「キミちゃん」とやらが人格に難ありな人物なのではないかと疑い始めた。
こんな人気のない学校で、隠岸を置いて一人で図書室に行こうとしたり……あ、もしかして男なのか? それならそれくらいの悪戯をしたがるだろうし、こんな空気だったらむしろ探検しつくすだろうし。
「ところでその、キミちゃんって男か?」
「いいえ、女の子ですが?」
「お、おう、そうか……」
随分と行動力のある女子なんだな。
うん。
世の中、そういうやつもいるか。
最も俺としては葵さんの様なお淑やかで清廉で嫋やかなこう、女の子らしく可愛い女性が好みだが。
「隠岸、ヘアピン借りてもいいか?」
「はい? 良いですけど……」
懐から取り出された予備のヘアピンを受け取るや否や、俺はそれを鍵穴に突っ込む。
更に特技を鍵穴に使用し続け、ほぼリアルタイムで鍵穴の構造と状態を確認する。
実はこの学校、内側はピッキング防止されていないのだ。なんでそんなことを知っているのかというと、屋上に侵入するときにげふんげふん、偶然手を突いたら知ってしまったのだ。
「かちゃかちゃ~っと、良し」
カチリという手応えと共に、目の前に写された三枚の鍵穴の断面図がくるりと回ったのを確認する。
開いた。
「……う、うわぁ。その、凄い手馴れて、るんですね……」
「しまった」
俺の特技はあまり知られていない。知っているのは仲のいい友人と蟲爺と時臣と友人たちが言い触らしたヤンキーっぽい先輩だけ……割と多かった。
それでも、あまり知らないように立ち回ってはいたのだ。それが、こうも簡単にバレるだなんて……もしかすれば、俺も少し浮足立っているのだろうか。
確かに、校内を探索したくなる気持ちがわかると言った。それはつまり、俺自身にもその気持ちがあるという事だった。
普段騒がしい学校の珍しい一面を知って、好奇心が疼いているのだろう。怪異がいるとは知っていても、慣れによってさほどの恐怖を感じていない……いや、むしろスパイスになっているのかもしれない。
「いいか、隠岸。このことは言い触らすなよ」
「え、あ、はい……」
「言い触らしたら、そうだな――」
「――もう、遅いかと思いますが?」
「「あ」」
ガラリと扉が開く。
目の前に立っていたのは、神聖さすら感じるほど美しく微笑む少女。
扉を開けたのはその子のようで、その美しさは後光が指しているが如く。いや、むしろ後光が見える。
いや後光じゃねぇなこれ、普通に光だ。蛍光灯だ。電気ついてる。
本当にガラスの上に黒布や紙があったようだ。
「あ、キミちゃん!」
「あら、よしのん。逃げてなかったの? いつの間にかいなくなったのだから、いつも通り逃げ出したものだと思ってたわ」
「キミちゃん! 玄関も窓も開いてなかったの!」
「あらあら、それは大変ね。合鍵、渡した方が良かったかしら。当直の方がいるのだとは、寡聞にして知らなかったのだけれど……やっぱり先に誰かが入っていたのね。斎藤君、貴方ではないの?」
「いやいやいや、それはさっきも否定したよね!?」
「知らない人っ!」
……あ、キミちゃんに隠れて見えなかったが、図書室内にはもう一人いたようだ。
声からして男、でもなんかなよっとしてそうだな。軟弱そうだ。
その印象は正解で、キミちゃんの脇から覗いた室内には中肉中背の少年がいた。
「そうだ! キミちゃん、この学校おかしいよ! さっきも変な黒いのが出てたし!」
「この学校って……私たちの学校でしょ? それにこれくらい古ければアブラムシの一匹や二匹――」
「――ゴキブリじゃないのっ!」
「あらあら」
「まあ、とりあえず。入ってしまってもいいか? そろそろ休憩したいところなんだ」
感動……かどうかは疑問だが、友人同士の再開を喜ぶことの邪魔をする。
申し訳ない気持ちはあるが、いつまたあの怪異が来るかもわからない。少なくとも鍵がかかっているなら、怪異の襲来を防げるかもしれない。
「話の続きはそこのテーブルでしよう。まずは自己紹介からとかどうだ?」
「ええ、ええ。それもそうですね。ではどうぞ、此方の席へ」
意外と丁寧な、何処かの令嬢のような手つきで図書室備え付けのテーブルに案内された。鍵も掛け直し、明かりもあることから心も緩む。
俺ともう一人の男子が相席。正面にキミちゃんで、その後ろに隠岸。
何だこの座り方。
「では、まず私から。もうお二人は知っているのだけれど、
本当にお嬢様のような言葉遣い。聖母像を彷彿とさせる微笑み。
そういえば、と。先程思い出しかけた図書室の怪談……というか噂話を思い出す。
曰く、「図書室には動く聖母像がいる」とのこと。
よくある階段ではなく、噂話のように語られていたのは、その話の中に暗いものが無かったから。
成程。この人柄なら「聖母」「聖女」と称えられるのも無理はない。
多分、男子の間でも有名なのだろうが……そこらへん、葵さん以外に興味ないから笑顔で聞き流していた。
「あ、ぼ、僕は同じく二年の
「……か、隠岸佳乃、です。二年です」
「あら。ちゃんと喋れたのね。偉いわ」
微笑みながら隠岸を撫でる有様は、まるで母と娘のようだ。
自己紹介をしたにも関わらず蚊帳の外な斎藤君は、何処が居心地が悪そうにも思える。
ちらちらと視線を送って来たので、咳ばらいを一つして俺も自己紹介をする。
「俺は間桐雁夜、同じく二年。それでだが、この図書室に居た斎藤と律汝、お前らに聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「なんですか?」
「お前ら、こんな感じの黒いカードに見覚えは無いか?」
テーブルの上に、例の黒いカードを乗せる。
ソレを見て二人とも心当たりがあったようで、あ、と言ったのを契機に各々の懐を探り始める。
「私もあります」
「僕のもありますよ」
そうして写真のある面を上に置かれた三枚のカードは、どれも同じような規格で、個人情報の部分だけが異なっていた。
裏面、つまりは特技の事とかが書かれている面は見てないが……ここまで偶然が続けば、まさかとも思う。
俺は、俺のような人間は希少だと思っていた。実際に魔術師の存在すら世界中では少なく、異能者ともなればその中の数割もない。そう聞いている。
だから、同じ学校に多くの「特技持ち」……いや、「異能者」が集まるとは、つゆほども考えていなかった。
けれど、まさか――
「裏は、みていいのか?」
「……ええ、どうぞ。そちらのも見せていただいてよろしいですか?」
「構わない」
「あ、僕のもどうぞ」
「ありがとう」
――そこに書かれていたのは、「自己聖女」と「奮立勇者」という字。
その文字から実態を察することはできないが、その字を見ただけで俺は理解した。
この怪異。発生したのは偶然ではない、と。
だって、明らかに俺らの様な特技持ちが集められている。
きっと残りの三人も、何かしらの特技を持っているのだろう。
だが、その目的は、何だ――?
その時である。
キーンこぉン、ガァんこーン。
『――げン気に遊ビまセたか? 休みジカんにハいります。せェとの皆さんは、“体育館”に、オあ゛づマリく、ださい』
キーんこォン゛、カぁんコーン。
訳も分からぬままに、事態は動く。