なのでサクサク進めます。
(この後に(エピローグ以外で)もう一つ大きなイベントあるのに、どうしよう)
律汝が、怪異に抱き着いている。
その制服が、白い肌が、白紙に墨を垂らしたように黒靄に浸食されていく。
だからだろうか、怪異はその場から微動だにせず。律汝の輪郭は朧になっていく。
あの黒い靄のような怪異には、どうやら質量があるらしい。
俺はそんなどうでもいいことを考えながら、目の前の光景を目に映していた。
呆然としているのだ。今までに犠牲となった人を見たことが無いわけではない。悍ましさなら爺の方が数段上だ。
だが、自ら望んで滅びに行くような、そんな精神異常者は見たことが無かった。
「――っ、今なら行けますね」
明智が何かを呟いた。
そして駆けだす。脇目も振らずに。
おい、何処へ行くんだ。
口に出そうとしたが、喉も舌も唇も動かない。どうやら相当混乱しているらしい。
見れば、明智は誰かの手を引いていた。視線を横に滑らせるまでもなく、それが白鳥であると分かる。
その行動は白鳥にとっても予想外だったのだろう。腕を引かれて逃げる彼はよろめいて、けれどこういうのに慣れていたのかすぐに立て直す。
そして、行く先は……何故か、
何故、自分から袋小路へ向かう?
「こっちに、早く!」
こういう時、俺はやはり凡人なんだと思い知らされる。
俺は予想外の事態に弱い。立て直しが遅いからだ。
時臣ならばこうはならなかっただろう。律汝が犠牲になるまでもなく、事態は解決していたはずだ。
いや、そもそもアイツが怪異を見落としてなければこうならなかったはずだが。
けれど、そういう欠点があるからなんだかんだ付き合えているのだろう。今は関係ない話か。
あいつは、あれでも優秀で、天才だ。
何だったか……「余裕を持って優雅たれ」だったか。その家訓を守るアイツは、きっとこの程度では動揺しない。
気づけば、もう残り二人しかいなかった。隠岸は特技で気配を消したのだろう。怪異に通じるかは分からないが、そもそも怪異に意識があるかわからないが、きっと無事だろう。
俺以外の二人は、おびえていた。房浪は頭を抱えて蹲り、斎藤は尻餅をついていた。
こいつ等は怯えていた。俺と同じように脅えていた。
けれど、俺と違って直ぐに立ち直った。
「間桐さん、房浪さん、明智さんに続きましょう」
そう言って、斎藤は俺と房浪の手を引いて駆けだした。
俺はまだ迷っていた。律汝を助けるか、逃げるか。逃げるなら明智の向かった方に行くか、扉から出るか。
バカなことだ。律汝を助ける手段など無く、逃げ道の片方はすぐ後ろ。呆けている間に鉤を開けられるかを確認して、駄目だったら明智の方に行けばいい。
そんなとっさの判断ができない。手を引かれている時でも尚、俺は迷っていた。
情けない。情けない。
なんて無様なんだ。
ああ、そりゃ当然だ。
俺は落ち零れなんだから。
意識が再起動したとき、俺は扉が強く締まる音と尾骶骨に走る鈍痛のみを感じていた。
光は無い。真っ暗だ。律汝は何処だどうしたのだ。俺は助けたのか、見捨てたのか。そもそもここは何処だ俺はどうしたのだ。
分からない。事態が分からない。選択肢が分からない。状況が分からない。
だから俺は、ゆっくりと情景を思い返す。
「小峰、
カチャリ、といった空気を感じる。
音でなく、肌で。肌よりも一層奥の、頭蓋骨の中の脳髄で。
鍵を閉めたのではなく、鎖す。訳が分からないが、俺はその瞬間、その扉はもう
扉といっても、どの扉かは分からない。どういった扉かは分からない。
そもそもが真っ暗闇なのだ。陽の光も差さない黒だ。輪郭の区別もつかないどころか、輪郭すら見えない。
だから、そう感じた、というのが正しいのだろう。
「――さて、これで一応、この部屋は安全地帯となった」
明智の声だ。何を言っているのだ。
異界に安全地帯など無い。それはその全域が怪異の腹の中であるためだ。
いうならば魔術師にとっての工房。いやさ、異界は魔術師の工房にも応用されるが、その陣地の支配権は圧倒的だ。蟻と象ほども実力が離れていれば奪い取ることもできるだろうが、唯の子供ができるものではない。家の蟲爺ですら、他人の工房を乗っ取るのは大きな手間なのだ。それが三流魔術師であろうと、だ。
だからさ、此処が安全地帯なわけないだろ? なぁ、逃げないと。逃げ出さないと。
でも、何処に?
「――」
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だ。
駄目駄目だ駄目だ、全ッ然駄目だ。
俺は、役立たずなんだ。出来損ないなんだ。
落ち零れの失敗作なんだから。
「……ど、此処は。何処だ」
掠れるような声。気付けば口の中はカラカラだった。
どうやら、諦めていても「死にたくない」という気持ちもあるらしい。
自分でも聞き取りづらいと断言できるような言葉を、明智は拾い上げた。
単に、他の誰もが口を開いていなかったかもしれないが。
「閉書庫だよ。電気は……っと、何処かな?」
紙が擦れるような音が聞こえた。明智が壁を弄っているのだろう。
多くの場合、扉のそばに明かりのスイッチはある。では、扉は何処なのか。
残念ながら閉書庫には窓が無い。扉にも覗き窓が無い。
それは怪異の侵入する隙間が無いという事であり、光が差し込む隙間が無いという事でもある。
当然、怪異は何処にだって現れえる。早くここから出て、図書室を抜けて廊下に出た方が良い。
理性はそういって、体に鞭を打とうとする。
溜まった乳酸の所為だろうか、どっと噴き出る倦怠感と熱は俺をこの場所に縛り付ける。
暗いには暗い。今怪異が襲ってきても気づけないほどに、暗い。
けれども、それでも俺は安心を抱いている。今この瞬間に怪異が来れば、抵抗せずに死ぬだろう。それほど心に隙ができていた。
「ふぅ……あー」
床に転がって、律汝の事を思い出して、自己嫌悪で丸くなる。
それでも自分が生きていることには安心と歓喜を覚え、そんな感情を抱く自分が嫌になる。
うーうー唸って床を転げまわると、何か固いものにぶつかった。
「ひぃっ!」
房浪がその音に驚いて、悲鳴を上げる。
「なになになになになんですかぁっ!?」
「ああ、悪い。なんかにぶつかった」
「なんかって、何ですか!?」
それもそうだ。
閉書庫なんだし、きっと本棚だろうと思う。だが、銅像が置かれていないという確証はないし、これが本棚でないという証明も難しい。
だから確かめてみよう。俺の特技で。
「……ああ、本棚だ」
「……はぁ」
返事は返ってこなかった。
すぅ、っと息を吸い込んで、浅く長く吐く。
深呼吸だ。心を落ち着かせて、波立たせないで。
平常心に戻るのは得意だ。見て見ぬふりをするのは十八番だ。
「そういえば間桐君。君、なんか僕と似たような力を持ってなかったかい?」
「藪から棒に、なんだよ」
律汝が犠牲になったことによる感傷を一旦切り離して、心の隅にでも放置する。
大丈夫。もう混乱していない。
「君の力でこの部屋の電源の場所、分かったりしないかい?」
「できなくはない。ちょっと待ってろ……うわぁ」
特技での情報閲覧は、光で認識してるわけではない。
使っても周りは明るくならないが、でも暗いからと言って見えなくなるようなことは無い。
まぁ、ちょっとだけ、感覚的にやりにくくはある。目を瞑っているのに見えるというのは、脳に混乱をきたすのだ。
けど問題はそれだけで、行使に際して支障は無いのだ。
何なら、目を瞑ってても使える。寝てても使えるんじゃないだろうか。
「どうしたんだい?」
「……外だ」
「ん? 何が?」
「電源だ。照明のスイッチだよ。図書室にあるんだ」
「う、うわぁ……」
明智が何を考えて此処に逃げ込んだのかは知らない。
だが、明智の幼馴染らしき白鳥の特技を思い返してみると、恐らく閉所室と図書室――率いてはこの学校に生じた異界その物を切り離したのだろう。
もはや怪異であろうと入ってこれない。そんな感じに。
落ち着けば、色々と思考も追いついてきた。
だからこそ電気がつかない、ということの重大さにも気付いてくる。
ここは閉書庫だ。明智は調べたい資料があると言い、律汝は閉所室にあると答えた。
ここは閉書室だ。明智が求める新聞がある閉所室で、けど明かりが点かないから調べ物ができない。
ここは
明智は、恐らく調査がてらに此処に逃げ込んできたのだろう。
その肝心の調査が、今はできない。
確かにこれは、酷い事態だ。だが……。
「明智。お前が探してる新聞は、何年のものだ?」
「え? えーっと、大体三、四年前のものかな」
「分かった」
特技でこの閉書庫の構造を把握する。
どこにどんな資料があるのかを確認して、手探りで歩き出す。
「あてっ」
「あ、ああ、悪い」
「大丈夫だよ、間桐くん」
「いや、悪いな、斎藤」
特技で人の配置を見ることは叶わなかった。そのため、先に部屋に入っていたのだろう斎藤にぶつかった。
……ああ、うん。見えなくても分かる。いま、房浪のやつビクッてしたな。
「1980年、1979年、1978年……此処か。明智。1977年から1978年の、どんな記事の情報が欲しいんだ!?」
一応、少し声を張り上げる。今いる場所が閉書庫の中でも奥の方だからだ。
「……すごい便利」
「明智ぃー?」
ん?
やっぱ奥に来ると聞き取りづらくなったな。
「ああ、うん。この学校の裏、『穂群原総合病院』に関する記事!」
「病院、ね。了解ー!」
大声を張り上げていると、鬱蒼とした気分が晴れているのを自覚する。
ははっ、我ながら人でなしだな。知らず知らず笑みが浮かぶ。いや、もしかしたら自分の意思で笑ってるのかもしれない。
「病院、病院……あった」
特技で一部一部の内容を調べ、見出しに『病院』と書かれている項目の書かれている記事を探す。
その中で『穂群原総合病院』の記事を選別し、残ったのは六、七件。
「片っ端から読み上げるぞー! 『穂群原総合病院の医療ミスを徹底追及』、『穂群原総合病院改築にて一部休業』、『穂群原総合病院の肺炎患者、元陸軍少尉の衛島』、『穂群原総合病院の屋上から転落死? 安全の見直し』――」
「それだっ!」
「――『が求められ』って、これか?」
「ああ、それを読み上げてほしい」
なかなかの量があるので、要約しよう。
この記事はつまり、『穂群原総合病院の入院患者である複数の少年、幼児が屋上から転落死した』ということについて書かれている。
このことについてマスコミが徹底的に叩き始め、屋上に柵が設置されたのだとか。
なかなかに死者が多い事件だったために、なんと一面記事に乗っていた。探せば別の新聞にも似たような記事があるかもしれない。
一面であるために文章の量も多く、途中で何度か休憩を挟んだ。内容は嫌に詳細で、事件当日の少年たちの大まかな行動や、彼らの病症などまで事細かに書かれていた。
「――以上だ」
「……分かった。他の新聞社の記事で、同じ事件について書かれているのを探してくれ。時間ならある。焦らなくていいよ」
「ああ、分かったが……その、白鳥の特技、でいいんだよな」
「……そうだ」
律汝が犠牲にならなくてもよかったんじゃないか、と言いたくなるのを飲み込む。
分かってるのだ。アレは律汝が勝手に飛び出しただけだ。それに、律汝が押しとどめなければ閉書庫に逃げ込むことすらできなかったかもしれない。
分かっている。分かっているのだ。
「――っ、は」
息苦しさを感じて思考を中断した。
どうやら、息を止めていたようだ。妙に居たい右手は拳を作っていて、服の胸元を握りしめていた。
それもそうか。今の俺は、まだ少しさっきのが残っているのだろう。
開き直ったと思ったのだが。
ああ、時臣なら完全に開き直れただろうに。いや、あいつのようにはなりたくないし、これでいいのか?
トラウマにならなければいいが……。
「……ん? どうしたんだい? 間桐君」
「何でもない」
再び手で暗闇を探り、次の棚に手を伸ばす。
そして複数の新聞紙の内容を確認したところ、凡その事件の全貌が把握できた。
把握はした、が。この事件に二種類の説が混じっていて、どちらが正しいのかは判明しない。
一つ目は少年たちは大病を患っていて未来に悲観していた。故に自殺したという説。自殺説。
二つ目は少年たちは事故死で、自殺説は病院がでっち上げた妄想だ。何て言う事故死説。
流れとしては、事故死説で事件が報道され、面白可笑しく自殺説が流布され、それに対抗するように事故死説が主張に手を加えた、という感じだ。
成程。こんな流れがあったんだな。
けども、こんな事件が一体何だっていうんだ?
「……成程、ね」
おーい、明智ー。
一人で納得すんなー。
あと今更だが、この探索の間、怪異は一度も閉書庫には現れなかった。
本当に怪異はこの閉書庫に入ってこれないようだった。
探索の時間が長すぎて、いい加減目を瞑るのに慣れてきた気がする。目を閉じても開けていても、同じように扱えるだろう。
さて、そういえば何か忘れているような……。
律汝があまりにも堂々と生贄に出願したので、軽いトラウマ程度のダメージで収まりました。良かったね。
あと、雁夜おじさんの特技が微妙にパワーアップ(使い慣れてきたという意味で)
尚、一番初めに拾ったノートは怪異が出ていた時点でカバンと共に置き去りにされてます。
早く気付いてあげて。雁夜おじさん。