明智が黙り込んで、どれほどの時間が過ぎただろうか。
実はそれほどの時間は経っていないのかもしれない。時間感覚が暗闇に狂わされ、やがて平衡感覚もおかしくなっていく。
くらくらしてきた俺は、一先ずの安全地帯である閉書庫の中で腰を下ろし、考えた。
考えていることは簡単な問題で、シンプルに過ぎるから解決できない。
それはつまり――
「やべぇ、ノートおきっぱだ……」
――探索の成果、手に入れた手掛かりを怪異のそばに置き去りにしてしまった、ということである。
不味い不味い不味い不味い。
嫌な汗がぶわぅと滲み、息が荒くなっていく。頭を抱えて転げまわろうにも、二三回そこらにぶつけ、斎藤に心配されてからしていない。
下手を打った。雁夜は唯、後悔していた。
外に取りに行くか?
無理だ。出口には明智がいるし、特技で閉ざされたものを唯のピッキングでどうにかできるとは思えない。
……じゃあどうするの?
どうもできないだろう。
ああああああ、しまった失敗した失敗した失敗したぁあああああ!
ヘッドバンギング。ヘッドバンギング。只管に激しいヘッドバンギング。
しまった。平衡感覚が失われたのはこのせいだった。別に暗闇のせいじゃなかった。
「――っと、なると……よしっ」
「……っ~!」
「皆、ちょっと聞いてくれ」
パンパン、と。手を打つ音と共に、明智の声が響いた。
先ほどまで雁夜の呻きに満たされていた空間は、いつの間にか明智の声で満ちる。
「このままここでこうしていても、どうにもならない。確かに時間稼ぎにはなるだろうが、何日もここに留まれるわけでもない。食料にも限りはあるし、救援にも期待できない。だってこんな事態だからね。警察が動けるわけがない」
はきはきとした、聞き取りやすい声だ。
改めて思うが、明智は本当に異常事態に慣れているように見受けられる。
名前の通りに殺人事件に巻き込まれたことでもあるのか。警察のできること、出来ないことに確信を持った様子で話している。
自分の人のことは言えないが、彼女が何者なのかとても気に成る。
「――だから、ボクは提案する。『閉書庫を出よう』とね」
「ええっ!?」
上がった声は斎藤のもののみ。
しかし、室内はどよめきに満ちていた。
見えなくても分かる。きっと俺を含めてこの場に居る全員は、明智に対して胡乱な目を向けているだろう、と。
何言ってんだこいつ、ということである。
いや、言わんとすることは分かる。丁度俺もそれに考えていたところで、外に出れるならお願いしたいところだ。
けれども、一歩間違えれば死にかねない行為だ。自分だけでなく、他の奴らまで巻き込むほどの危険。
まさか、怪異の恐ろしさ、危険性を理解していないのだろうか。雁夜はそう思った。
確かに、未だに犠牲者は出ていない。明確な、目の前で犠牲になった犠牲者は。
律汝は別である。自ら進んで死にに行くようなことをしたおかげか、未だにどれほど危険なのか明瞭ではない。ただ、漠然と「危険である」とだけわかるのだ。
逆に言えば、危険であることしかわからない。
その程度までは分からないのだろう。
そう、だよな……?
「大丈夫。外にはあのお化けはいないよ。ね、小峰」
「……ああ、さっきから外の気配が無くなっている」
え、気配なんてわかんの?
「……本当に?」
斎藤の声だ。もはや明智と斎藤の問答になっている。
「本当に、だ」
明智が自信満々に返した。まさか、本当に気配がわかるとでもいうのか?
「勝算はあるんだ」
「それは、一体どんなものだ?」
「簡単に言えば、ボクらはお化けから逃げきればいい。それだけで勝てるのさ」
「勝つって……何に?」
「――お化けに、だよ。間桐君」
すぅ、と息を吸う音。
一拍おいて、明智は怪異の正体と、その解決法を語りだした。
「まず、前提としてお化けはオカルト的な存在として話そう。
トリックとか、ドッキリとか、そんなものじゃないことは理解してくれるよね。
このことをまず念頭に置いて欲しい。
お化けの正体だが、結論から言えば裏手の『穂群原総合病院の死者』で良いと思う。
そう、さっき間桐君が読み上げてくれた新聞の、その子供たちだ。
なんでこうなるのかっていうと、根拠はないわけじゃないんだよ。
ほら、朝礼のアナウンス覚えてるかい? あの、「一時間目」っていうのが終わった後のやつだ。
普通はあんなのはあり得ない。小学校でも通ったことがあれば、あんな放送はするわけないんだ。だって、そういうのは朝一番が常識だからね。
そんな常識を知らないのは、学校に行けなかった……例えば寝たきりの患者とか、
それと一緒に、一番最初に放送が出た時間について。登校時間のだいぶ前だけど、いや、よくこんな時間にこんな数も登校してるものだね。
ああ、話がそれた。うん。
病院ってのは、患者の健康管理もしているんだ。当然だよね。いくら治療が良かろうと、健康管理がなってないと、意味がない。
だから、入院患者は規則的な生活習慣を叩き込まれる。
具体的に言えば、朝早く起きるんだ。
そのための手段は何かというと、アナウンスだよ。院内放送だ。
流石に看護士が一人一人起こして回るわけにもいかないしね。音は小さいけど、割と起きれるもんだよ。
え、なんでそんなことを知ってるのかって? 別にいいだろう。ちょっと腹を刺されて……いや、何でもない。
ああ、んん。つまり、朝七時。丁度「一時間目」のかくれんぼとやらの放送時間くらいだね。
そう、つまりね。ボクはこう言いたいのさ。
『学校生活を知らない病院の患者が、学校に憧れた』
それがお化けの心残りとか未練ってやつなんじゃないかな?
で、定型的に言えばそういう心残りとかを晴らせば、お化けは成仏するもんだ。
では、学校生活を送らせてやればいいのか?
違うんだ。
相手は子供と思ってくれ。学校生活の知らない子供だ。
勉強なんてしてるかは分からないけど、入院してる子供がやりたいと思ってるのなんて大体一緒だ。遊ぶことだよ。
だから、「一時間目かくれんぼ」、「二時間目鬼ごっこ」なんてことをしてるんだと、僕は思う。
ああ、勿論これは憶測だ。確証なんてない。仮説に推論を重ねたも妄想にも近い。
でもね、僕はもう、これ以上論理的に現状を説明できないんだよ。
重ねて言おう。
『お化けの正体は、ただ遊びたいだけの子供である』と。
だから、僕らはそれに付き合って、満足させる。
それだけの事だ」
「……成程。確かに、筋は通ってる」
「そうかい? ベテランのお墨付きなら心強いね」
「ベテランってなんだよ」
筋の通った説明だった。納得のいく方法だった。
ああ、その推測が正しければ、その方法で怪異はなんとかできるだろう。根拠も理論もある、完璧な対処法だった。
神秘というのは人の認識によって確立されている。人の感情から生まれていると言っても過言ではない、訳の分からない概念だ。
だからこそ、怪異などについて科学的な照明はできない。
その点、これならいける。そう、確信した。
「……え、でも、そんなことで……ん?」
「……」
ひそひそと囁き声が聞こえる。
斎藤と誰かだろう。何を話してるのだろうか。
「……うん、うん。分かった」
話はついたようだ。
「じゃあ、行こうか」
明智が先導して、ドアを開ける。躊躇いの一切ないその行動に度肝を抜かれつつ、突如として差し込んだ光に目がくらむ。
立ち眩みに似た眩暈と頭痛を感じ、少しふらっとする。眉間を揉んで居ると、心なしか苦痛が和らいだ。
「うーん。光があると安心するね」
図書室内は明るかった。当然だ。明かりがついたままになっているのだから。
入口間際に歩澱投げられた鞄を見る。遠目には異常は見えない。ノートは怪異に持ち去られていないようだ。
明智、白鳥、俺に斎藤に房浪に。
全員出たところで辺りを見渡し、ふと、違和感に気づく。
明智、白鳥、斎藤、房浪……。
「……あれ? 隠岸はどこ行った?」
てっきり一緒に隠れているのもだと思っていたが……。
そういえば、閉書庫内でも声を聴いた覚えがない。というか、逃げ込んだ時に姿を見た記憶もない。
まさか、特技で姿でも認識できないようにさせていたのだろうか? 怪異に通じるのか?
「ああ、ほんとだ。隠岸さんいないね」
「ほんとだ、どこ行ったんだろ」
明智の心配そうな声は、何処か含みがあるように聞こえた。
それに比べて斎藤は純粋に心配そうに聞こえるから、この短期間で培われた印象の差がわかる。
「まぁ、大丈夫だろ」
「え、でも……」
「あいつ、隠れるの上手いぞ。きっと逃げ切ってる」
「そうだといいんですけど」
自分の鞄を取り、中にしまったノートを取り出す。
あの、鏡文字のノートだ。
「なんだい? そのノート」
「ああ、二階の教室で見つけたノートだ。手掛かりになるかも、と思ってな」
「ふーん」
「ああ、手鏡はあるか? これ、鏡文字になってるんだ」
「いいよ。はい、これ」
「ああ、ありがとう」
渡されたのは小さな団扇のような形の……まぁ、可愛らしい手鏡だ。
「……ん? どうしたんだい?」
「いや、何でもない」
かわいいところもあるんだな、というよりも、こんな手鏡を持っていることに驚いた。
どっちかというと虫メガネの方を持っていそうだったからな。
「んと、どれどれ」
手鏡を使って飛ばし飛ばしに読んでいく。
内容は、簡単に言えば日記のようなものであった。
でも、それは簡単に言えばだ。内容が何一つ纏まっていないのは、俺が飛ばし飛ばしに読んでいるからあろうか。それとも交換日記でもされているのか。
内容からは、明智の推測を裏付けするような……つまり、患者のつぶやきみたいなことが書かれていた。
口語で、割と長々と、筆跡も一定せずに書かれている。
……こんなものが、なんで二階の教室にあったのだろうか。
「ふぅーん」
「うわっ。なんだよおい」
「いやいや、その手鏡はボクの物だ。つまり、それを使って読む分にはボクも読む権利があるという事だろう?」
「別に読みたいなら見せてやるよ。内容は、入院患者の愚痴みたいな感じだったな」
「へー、そうかい? そうだね……ふむ」
明智にノートと手鏡を渡し、鞄を担ぐ。
そして明智を見返すと、彼女は最後のページをじっと見つめていた。
何かあったのだろうか。
「ねぇ、間桐君」
「なんだ?」
「はい、これ。ちょっと、これに学校の構造図書き上げてくれる? 大体でいいから」
いきなりこいつは何を言ってるんだ。
言い出した原因は、間違いなくこのページだろう。何が書かれているの。俺も覗き込んだが、どうやらどこかの地図であるということしかわからなかった。
学校ではない。だって複雑すぎるから。
にしても構造図って……何書けばいいんだ?
あの地図みたいな感じで書けばいいのだろうか?
俺は床に這いつくばり、明智からもらった紙切れに大まかな図を書いてやった。床に触れつつ特技を行使したので、正確性は抜群だ。
精密性は保証しないが。
「できたぞ、明智」
「ありがとう……やっぱり、か」
「何がやっぱりなんだ?」
「……この学校、もしかしたら病院とつながってるかもしれないよ」