変態科学者はゲームオーバーを公爵令嬢に捧ぐ   作:KAMATAMA

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彼女に捧ぐ誓い

 グラスリートの高貴で類稀な頭脳をして、見落としてある事がある。

 いや、この期に及んで見ない振りをしていることがある。

 彼は今回の人生では真理の研究は既に必要がない──即ちスポンサーは必要ないのだ。

 それでもスポンサー呼びをするのは、ある種の照れであろう。

 そして、スポンサーを求める行為は、メルセデス・フォーミュラとの繋がりを維持する行為そのものであった。

 

 更に言えば守るにしても、己を鍛える必要などないのだ。

 ただ、生き残る為にという目的なら、逃げさせれば良かった。

 そうしなかったのはきっと、幼い二人がした約束をその手で守る為。

 “私があなたを幸せにするから、あなたは私を幸せにして”

 ───二人の最初の約束は、最後の周回()へと受け継がれた。

 

 

 彼が見落としているのではなく、気にしていない事を含めるなら他にもある。

 自分への風評だ。

 他人からの評価を一切気にしないからこそ、元のゲームではあれ程までに、ヘイト管理に徹する(嫌われ役を遂行する)事ができた。

 だから、その逆に関しても同じことが言えた。

 

 

 

 

 

「完成したの!?

…驚いたわ。この研究は間違いなく世界を変える。

───良くも悪くもね。

…それにしてもどういうことかしら?」

 

「さて、どういうこととは?

ああ、紅茶が冷めていたのなら入れ直しましょうか?」

 

 

 

「ふざけないでっ!!」

 

 黄金よりも更に眩いと称される美しい髪を持った令嬢、メルセデス・フォーミュラはテーブルに手を叩き付けて立ち上がる。

 未だ冷めてもいない紅茶は跳ね上がり、カップが倒れることは無かったが、飛沫がテーブルクロスを染めた。

 しかし、それを追及するものはここには居ない。

 

「どうして、どうして貴方の名前がありませんのっ!?」

 

 メルセデスは、自分に帝国の命運を委ねる理論を開発した手柄を譲る、元婚約者へと叫んだ。

 当初、この論文がメルセデスにも分かるような解説と共に、匿名で送りつけられた時、送りつけられた相手を迷うこと無く特定した彼女は、自らの瞬速で(・・・・・・)、グラスリートがいるとされる居場所へと駆け抜けた。

 

「…婚約破棄を発表したのがフォーミュラ家でも、その原因を作ったのは紛れもない私。

慰謝料が必要とは思いませんか?」

 

「この完成した理論があるのなら、婚約破棄などどうとでも出来たはずですわ。

何故、婚約破棄が決まった翌日に、この慰謝料とやらを押し付けるのか。

私が言ってるのはそういう事だと分からない頭でも無いでしょう?」

 

 

 激昂する感情的な幼馴染みに、そういうところを好ましいという内心は出さずに、聞き分けの無い子供をあやすように青年は告げる。

 

 

「私は研究に専念したいので────」

「────研究の完成は(わたくし)もよおく理解しておりますが…?」

 

 グラスリート自身によって研究成果が記された書類を叩き付けながら、青筋を額に浮かべて令嬢は攻撃的に笑う。

 

「ええ、ですからまだ他にもやりたい研究の為に、スポンサーをお願いしたいのです。

借りを返せない無能には飢えていても施しさえ与えないが、利子を付けて返せる相手には積極的に助けを押し付けるのが投資家のフォーミュラ家でしょう?

その点、天才の私は投資に値する」

 

 フォーミュラ家の統治の在り方を前に出して、学者は新しい二人の関係について定義する。

 メルセデスは良くも悪くもフォーミュラ家の直系である。

 助けても更に助けを乞い続ける者に厳しく、受けた恩を返す能力と気概に溢れた者に褒美を取らせる絶対実力主義を強いるフォーミュラ家の令嬢である。

 だから、グラスリートへ資産援助をする事そのものには異論など無かった。

 更に言うのなら、フォーミュラ家にも帝国にも利益にならない他国を犠牲にして、帝国を色の錆から守る理論はフォーミュラ家的でさえあった。

 だが、問題はそこでは無かったのだ。

 

「…言いたいことは分かりました。

あなたは私と──────婚約を破棄したかっただけなのですか?」

 

 彼女にとって、問題はそれなのだ。

 婚約破棄を免れようと思えば、免れた男が敢えてそれを受け入れた。

 それこそが、彼女にとっての問題だったのだが────

 

 

「そう取られてしまいますか…。

私は何もかもから剥離して研究に染まりたいのですよ。

そして必要な資産だけをサポートして貰えるのなら、そんなに都合の良い現実を確保出来るだけの能力を示すのは無理からぬ事でしょう」

 

 グラスリートはメルセデスを幸せにしたい。

 それは全ての周回の彼の一番最初の願いであり、現在の彼に託された誓。

 だが、メルセデスが幸せになれる場所は己の隣だとはグラスリートは欠片も思っていない。

 最もメルセデスを護るに相応しい場所は、皇帝の隣に在る。

 ラスボスの隣こそ一番最後まで安全な場所であり、中ボス()の隣では下手をすれば中盤で死んでしまう。

 メルセデスを幸せにする為ならば、場所など幾らでも最良の相手へとあけ渡そう。

 それが、グラスリートの選択だった。

 

「何故…」

 

「これで皇妃への可能性が生まれたでしょう?」

 

 元々フォーミュラ家に生まれた以上、本来嫁ぐべきは皇家であるとグラスリートは告げた。

 グラスリート家と婚約した時点で間違いだったのだと。

 

「…本気で、本気で…言っているの?」

 

 グラスリートは知らない。

 皇家でなく、ブドー家を嫁ぎ先に選んだのは、メルセデスの父ではなく、彼女自身であったとは。

 当然、そうなるに至った想いなど、彼には理解の外であった。

 

「ええ、そこが一番安全な場所です」

 

「────安全?」

 

 そして同様に、この周において彼が自らの意思で皇帝に幼馴染を託した理由は、彼女にとって理解の外にあった。

 

「まもなくこの国は戦火に包まれる。その時メルには最も安全な場所にいて欲しい」

 

 聞かなくなってから長く長い時が経った。

 懐かしさを覚える己への呼び掛けに、思わずメルセデスは惹き込まれた。

 

「…どういうこと?」

 

「資料に目を通せばわかるでしょう。

その計画は、帝国には必要です。

故に皇帝陛下は実行するでしょうが、その為には帝国以外の多くの国を犠牲にする。

消え去る国の人々が大人しく犠牲になってくれれば良いですが、そうもいかないでしょう?」

 

 魔導を使えば世界は染まっていく。

 世界には色が重なり過ぎて、新たに他の色を受け付けない黒いキャンバスになりつつある。

 そうなれば魔導がいずれは消滅し、魔導で栄えた文明は潰える。

 帝国の繁栄の為には、魔導はこれからも必要だ。

 故に、帝国以外の世界の人々ごと世界を漂白するのがグラスリートの提出した計画だった。

 グラスリートからすれば、せめて大人しく滅びを迎えて帝国の役に立てば良いと考えるが、そう上手くもいかないことを理解もしていた。

 

「別にリ、リートも戦線に出る訳じゃ無いでしょう?

そんな性格では無いものね?

野蛮とか散々馬鹿にしていたわよね」

 

 メルセデスも少し、いや多分に勇気を絞って昔の呼び方で、もはや婚約者ではなくなった男に問う。

 

「……」

 

 貧弱な科学者が戦線に参加するわけが無い。

 国を護るロマンチズムとは程遠い男のはずだ。

 はずだった。

 だが、その返答は肯定ではなかった。

 

「嘘でしょうっ!!

貴方はそんな人じゃなかった。そんな人じゃなくなってた(・・・・・・)

どうしてっ!! どうして今更になってっ!!」

 

「天才の私でもよくわからないのです。

メルに理解できるとは思いませんよ」

 

 甲高い音が鳴った。

 発生源はグラスリートの頬。

 打ち付けられたのは、美しい雫を目元に浮かべたメルセデスの手。

 

「馬鹿にしないでっっ!!

こんな簡単な問題もわからないのは大馬鹿だけよ。

私の為を願って死ぬ男に、婚約破棄させられるなんて、許せないにも程がありますわっっ!!」

 

 頬を抑えることなく、学者は令嬢に笑った。

 

「許さなくていいんですよ。

メルはただ幸せになればいい。

美しく笑いなさい。

それだけでいいんです」

 

 痛みと共に触れた温かさを大切にするように、令状の元婚約者は笑った。

 

 

 例えそこが自分の隣でなくとも、誓は果たされなければならない。

 そうでなければ、己がここに託された意味なんて見つからないのだから。

 

 その為に、必要な手段はとってきた。

 グラスリートはどうでもよい人々に向ける愛はない。

 ただ近しい人には優しかった時代の名残がある。

 同じ四天王には同情さえある。

 無理矢理弟に家を引き継がせたのも、次期当主が戦死する混乱を避ける為でもあった。

 だが、グラスリートにとってメルセデス・フォーミュラは特別だった。特別過ぎた。

 だから──────

 

 

「さようなら、大切な人(メル)

 

 幼馴染の科学者の別れの言葉に対して、今度は公爵令嬢が無言で応えた。

 そして互いに背を向け、令嬢は立ち尽くしたまま、元婚約者の去る足音をだたただ聞いていた。

 

 

 遠く離れた令嬢の姿を背に、悪逆の魔導学者は誓う。

 あらゆる可能性(エンディング)において、メルセデス・フォーミュラが生きていることは無い。

 

 そう、エンディングを迎えれば、確実に公爵令嬢は生きてはいない。

 フェルマーの最終定理に然り、難解そうな問題の解法は案外単純なものだ。

 エンディングの時点では、必ずメルセデスが死ぬ。

 ならば、エンディングまで行き着かなければいいだけなのだから。

 民衆の希望は独裁帝国を倒しましたとさ、めでたしめでたし──なんて言わせなければいい。

 メルセデス・フォーミュラを死なせない解法は、極めて単純だ。

 

 

「その前にゲームオーバーにすればいいんですよ」

 

 極めて簡単な答えに行き着いた探求者は、極めて難解な課題を前に歓喜する。

 世界を敵に回す苦痛など、メルセデス一人の幸せの前には気にする価値さえも無いのだから、心より喜ぶ以外の選択肢など存在しなかった。

 

 たった一人の勇者を殺す為には、かつてのままでは行えない。

 これまでのやり方では、どのグラスリートも成功出来なかった。

 だから直接動きやすくする必要がある。

 だから周囲を動かし易くなる必要がある。

 だから個人として強くなる必要がある。

 だからあらゆる面において強くなる必要がある。

 

 

 

 

 

「さあ、私の私による彼女の為のゲームオーバーを始めましょうか」


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