1969年4月13日。
アメリカ合衆国がアルゼンチン人民共和国に宣戦布告したことにより、戦争はアメリカ大陸全域に拡大した。
これを植民地奪還の好機と見たイギリス共和国もアルゼンチン人民共和国に宣戦布告。
これにより、一気に形勢を逆転することの出来たチリ軍は大規模攻勢を開始。
同時にブエノスアイレスに米英連合軍が上陸。
アルゼンチン軍は必死の抵抗を続けたが、沖合6キロの地点にいた米海軍のミサイル艇<ミシシッピ>から発射されたミサイルがブエノスアイレスに着弾。
これにより、ブエノスアイレスにいたアルゼンチン軍は壊滅。
同時にイギリス軍がアスンシオンに原爆を投下。
政府首脳陣が全滅したことを受け、アルゼンチン人民共和国は無条件降伏を宣言した。
その後の1969年11月13日に締結されたロサンゼルス協定により、南側はイギリス領南アメリカ、北側にアメリカ傀儡の南米共和国に分割となった。
さらに、ブエノスアイレスはチリ、アメリカ、イギリスによる分断統治が行われ、アルゼンチンという国家は完全に消滅。
もはや、アルゼンチンの復活は不可能だろう。
その頃、ロサンゼルスでは▪▪▪
ロサンゼルスでは、佐藤総理とニクソン大統領が話し合っていた。
「フランスの分割統治とスペインのレコンキスタ白紙化ですか?」
「はい。まず、フランスについては、ノルマンディー地方を英国、エルザース=ロートリンゲン北部をオーストリア=ハンガリー帝国領、南側を南ドイツ連邦、残りを3つに分け、東側を我が国、中央部はオーストリア=ハンガリー帝国、西部をさらに南北に分け、北側を貴国、南側をロシア連邦領とします。」
「パリはどうしますか?」
「はい。日米ロ墺英による分割統治とします。」
「了解しました。」
このようにして、日米首脳会談は終了した。
その頃、ヨーロッパでは▪▪▪
ヨーロッパ戦線では南ドイツ連邦軍元帥パウル▪ハウサー率いる戦車部隊がドイツ民主共和国の首都であるボンに迫っていた。
アルフタラー通り
パウル▪ハウサー機甲軍団
露へ向けた
我が刃は今は我が身に
帝はけふをいかにみるらむ
-パウル▪ハウサー
パウル▪ハウサー率いる戦車部隊はボンの入り組んだ市街地にいる敵を殲滅し、アルフタラー通りを南下。
西ドイツ軍の司令部となっているボン市庁舎へ進軍を開始した。
そして、1969年12月13日午後3時6分12秒にボン市庁舎に南ドイツ連邦軍歩兵部隊が突撃。
激しい白兵戦の後、12月14日午前2時31分13秒に市庁舎が陥落。
3日後にドイツ民主共和国は無条件降伏を宣言した。
その後、リーパー作戦を実行。
フランス本土へ侵攻を開始した。
次話で茶番みたいなことをします。誰を出しますか?
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スターリン
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知らないおじさん
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隣の町田さん