1977年1月2日。
フィリピン共和国の首都マニラにあるソルス駅爆破事件はフィリピン全土に大きな混乱をもたらした。
これだけならばよかったのだが、フィリピン復古主義者の仕業であるというデマが流れたのだ。
結果的に300人以上のフィリピン復古主義者が殺害され、これにキレた人々がマニラで暴動を起こした。
これに、フィリピン軍が介入。
内戦に発展した。
この情報は即座に日本政府にも伝えられた。
大日本帝国 東京
国防省ビル 3階
司令室
「状況は?」
「はい。20分前にフィリピンにて軍隊が蜂起。内戦に発展しました。現在確認されている勢力はマニラ=フィリピン復古運動、マニラ赤軍司令部、北ルソン人民革命評議会、その他5以上の赤軍組織です。また、ミンダナオ島南部は中立を宣言。南ミンダナオ中立地帯が成立しました。」
「そうか。フィリピンはアジア唯一のデトロイト条約機構加盟国だ。アメリカも黙ってはいないだろう。」
その時、一人の兵士が司令室に駆け込んできた。
「失礼します! 米軍から連絡です! 数時間前に台北の米海軍基地からアメリカ海軍の東シナ海艦隊が出港! 南下を開始しました! 目標はフィリピンと思われます!」
「やっぱりか。我が国も聯合艦隊をフィリピンに向かわせる。」
「フィリピン内戦へ介入するのですか?」
「ああ。あくまで米軍の支援だ。」
「了解!」
翌日、大日本帝国海軍の連合艦隊は米軍救援のため、呉港から出港。その翌日にフィリピンに到達。
アメリカ海軍と合流した。
日本海軍はセブ赤軍占領下のセブへの米海兵隊上陸の支援のため、大和や武蔵による艦砲射撃を開始。
無事にアメリカ軍はセブへの上陸に成功。
橋頭堡確保を目指し、アメリカ軍はセブ赤軍の拠点があるサン=ペドロ要塞へ攻撃を開始。
しかし、セブ赤軍の激しい抵抗を受け、攻略は難航。
これを受け、アメリカ空軍はサン=ペドロ要塞にナパーム弾を投下。
要塞は倒壊し、中にいたセブ赤軍兵士の殆どが死亡した。
橋頭堡を確保した後、日本軍の戦車部隊が海兵隊に続いて上陸。
当時、最新鋭であった74式戦車を大量に使い、セブ赤軍を圧倒。
わずか2時間でセブ赤軍は降伏した。
同時にマニラではフィリピン政府軍がマニラ解放を目指し、マニラ西部に空挺降下。
空挺降下したフィリピン政府軍は大日本帝国空軍のジェット戦闘機<光武15>の支援を受けつつ前進。
途中でマニラ赤軍の戦車に阻まれたが、対戦車ロケットランチャーを用いて撃破。
そのまま、マニラ赤軍の司令部がある市役所に突入した。
激しい白兵戦の末、1977年1月6日に市長室にフィリピン軍歩兵部隊が突入。
12分後にマニラ赤軍は降伏。
4日後の1977年1月10日にフィリピン内戦は終結した。
白かったはずのホワイトボードは真っ赤になりました。
我々は同胞を殺したのです。
我々は大きな過ちを犯しましたが、前進しなければなりません。
新たなフィリピンに向けて。
-フィリピン軍兵士が軍司令部に送った電報
内戦後、フィリピン共和国はデトロイト条約機構に復帰。
アメリカ軍や日本軍の協力を受け、国内の復興を開始した。
次話で茶番みたいなことをします。誰を出しますか?
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スターリン
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知らないおじさん
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隣の町田さん