1941年12月4日。
ナチスドイツはフランス=コミューンと独仏不可侵条約を締結し、西方の安全を確保。
その4日後に、ロシア連邦のムルマンスク軍港に奇襲攻撃を仕掛け、ロシア連邦に侵攻を開始。
ドイツの同盟国であるイランとイラクもロシアに宣戦布告した。
このことは日米両国にも伝えられ、日米ロ三国同盟条約の規定に従い、日本からは石原莞爾率いる奉天作戦隊(史実の関東軍)、アメリカからはダグラス=マッカーサー率いる欧州ロシア方面軍が出動した。
3日後には日本軍と米軍のロシア戦線への到着により、モスクワまで迫っていたドイツ軍をツァーリーグラード(史実のスターリングラード)まで押し返すことに成功した。
しかし、ドイツ軍のGWTigerの出現により、再びモスクワまで撤退した。
これを受け、日本軍は車輪型自走地雷を前線に投入。
これにより、ドイツ軍は撤退を開始。
1942年12月14日にはツァーリーグラード攻防戦が始まった。
ロシアの冬将軍は厳しく、ドイツ軍の戦車が低温で動かなくなったりとロシア優勢で進んだ。
1943年5月4日にはツァーリーグラード最後のドイツ軍部隊が降伏。
ツァーリーグラードの奪還に成功した。
その頃、日本では···
大日本帝国 阿頼度島
阿頼度島では牟田口陸軍中将が指揮する千島防衛師団が駐留していた。
「今日も平和ですね。ヨーロッパの連中が羨ましいです。」
「そうだな。この辺りにはロシア海軍やアメリカ海軍もいるからな。それだけ安全なんだ。」
しかし、その平穏は轟音とともに崩れさった。
「うん? あれは・・・ カナダ軍!? すぐに迎撃機を出せ!!」
それと同時に零戦が300機ほど飛んでいった。
しかし、一歩遅かった。
カナダ軍の戦闘機は日本軍の飛行場に爆弾を投下。
阿頼度島は大打撃を受けた。
その頃、米国でも同じようなことが起きていた。
アメリカ合衆国 五大湖南側
「敵機来襲! 敵機来襲!」
「第一航空隊発進せよ!」
「カリフォルニアの日本軍基地に連絡しろ!」
「了解! カリフォルニア陸軍基地へ連絡! 戦闘機を出動させてくれ!」
それと同時に零戦やヘルキャットが飛び立っていた。
その直後、飛行場にカナダ軍が爆弾を投下し、飛行場は破壊された。
カナダとの国境に近い町では、カナダ軍の爆撃が行われ、国境地帯の都市は火の海になった。
翌日の1943年5月14日。
イギリス王国亡命政府はオーストリア=ハンガリー帝国率いるハプスブルク協定の国々とアメリカ合衆国率いる連合国の国々に宣戦を布告した。