1948年1月2日。
フランス=コミューン連邦の首都であるヴィシーでは、日・墺洪・米・仏の首相が話し合っていた。
「トルーマン大統領。我が国の国民はフランスの統一をのぞんでいます。」
「フランス統一は認めますが、プロバンス地方については返還できません。それでもよろしいですか?」
「はい。今のところは大丈夫です。その見返りとして、対独宣戦を行います。」
「それは頼もしい。では、オーストリア=ハンガリー帝国軍が南ドイツ一帯を占領したら、対独宣戦を行ってください。」
「わかりました。我が国はフランス統一のみが条件ですので、ドイツ領土はそちらの方で管理してください。」
「わかりました。」
このような形で会談が終わった。
この会談はヴィシー会談と呼ばれ、フランス=コミューンの対独宣戦が決定した。
1948年1月5日。
フランクフルト上空では、日本軍の爆撃機≪08式戦略爆撃機≫が飛んでいた。
「なあ、宏。ニュルンベルクでの原爆投下で沢山の人が死んだんだろ? なんで俺らは同じことをしようとしてるんだ?」
「さぁな。上の奴らからの命令だからな。軍人たるもの従うしかない。」
「はあ・・・。そろそろ目標だ。3,2,1、投下!」
ドカーン!!!
そんな轟音とともにフランクフルトは消滅した。
この爆撃によって、南ドイツ最後のドイツ軍部隊が壊滅。
それと同時にオーストリア=ハンガリー帝国軍が南ドイツへ一斉に侵攻を開始。
1948年2月13日には、ヴァルデンブルクを占領。
それと同時にフランス=コミューン軍がドイツへ侵攻を開始。
同盟国であるトルコ社会共和国もドイツに宣戦布告。
1948年2月21日にはケーニヒスベルクから西進してきたロシア軍と日本軍とインドネシア軍がゼーロウ高地に進軍。
1月7日にゴッドハルト・ハインリツィ率いるヴァイクセル軍集団と日印ロ連合軍が接敵。
ゼーロウ高地の戦いが始まった。
オーデル川付近では、ドイツ軍が防衛拠点を築いており、ゲオルギー=ジューコフ将軍率いるロシア連邦防衛軍第一歩兵軍団を苦しめた。
しかし、インドネシア海軍航空隊とアメリカ空軍によるオーデル川への爆撃により、ドイツ軍陣地は壊滅。
オーデル川を渡り、ヴォータンラインへ進撃を開始した。
ヴォータンラインではドイツ軍が長い塹壕や機関銃陣地、対戦車壕を構築しており、ロシア軍の戦車には手榴弾で対抗した。
そのため、ロシア軍や日本軍に多大な損害が出た。
これを受け、日本軍とロシア軍は一時的にゼーロウ高地まで撤退。
体制を立て直し、再び進軍を開始した。
ヴォータンライン
ドイツ軍
バババババ!!!
「撃て撃て!!」
「ギャア!!」
ヴォータンラインでは、マンシュタイン将軍率いるベルリン防衛隊とロシア軍が激しい戦闘を繰り広げていた。
「こちら、ベルリン防衛隊第一軍団!! 第二軍団、聞こえるか!?」
「こちら、ベルリン防衛隊第二軍団!! こちらは持ちこたえられそうにない!」
ちっ、砂漠のキツネでも無理か。ならば、プロイセン軍人として最後の一兵まで戦ってやる!!
マンシュタイン将軍はそう思い、部下に命令した。
「撃て!! 撃ち続けろ!!」
ババババババ!!
しかし、マンシュタイン将軍の奮戦もむなしく、ベルリン防衛隊は壊滅。
翌日にはインドネシア軍がライヒスタークを占領。
ライヒスタークにはインドネシアの国旗が掲げられた。
これは後に、ライヒスタークの紅白旗と言われることとなる。
1948年5月12日にはヒトラー総統が自殺。
翌日の朝5時13分にドイツ政府は無条件降伏を宣言した。