アレン・マーヴェイと歌う魔剣   作:阿修羅丸

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マスクルス・フィリオと流星の魔法使い

【1】

 

 これでいいのだ。

 自分一人が生け贄になれは、村は救われるのだ。誰も殺されずに済むのだ。

 だから、これは決して無駄死にではない。

 

 ミレイユはそう自分に言い聞かせるが、それでも体の震えは止まらなかった。

 真っ暗な棺の中で、小さな子供のように恐怖で震えていた。

 これでいい、こうするしかないと自分に言い聞かせながらも、それでも心のどこかでそれに抗議する声が上がる。

 

 どうして私なの?

 何も悪いことはしてないのに何故殺されなきゃいけないの?

 日蝕の日に生まれたのがそんなにいけないことなの?

 

 そんな思いが、どうしても拭えなかった。

 今すぐにでも棺の蓋を押し開けて、逃げ出したかった。

 しかし、太い荒縄で両手両足を縛られている現状、それは無理だった。

 しかも今、自分が押し込められている棺は村の中でもとりわけ屈強な男たちによって運ばれている。どの道逃走など、不可能だった。

 棺を運ぶ揺れが止まった。

 地面の上に置かれた時のような振動があった。

 そして村の男たちが立ち去る気配がした。

 あとには、静寂だけがあった。

 棺の中は暗く、加えてこの静寂で、時間の感覚がわからない。

 まだ数分と経ってないようにも、もう何時間も過ぎたようにも感じられた。

 村長の話が本当なら、ここは村の北側にある森の最奥、水底に悪魔の館が沈んでいると言い伝えられている湖のほとりのはずだ。

 虫や鳥の声くらいは聞こえても良さそうなものだが、恐ろしいほど静かだった。

 

 ──ゴンゴン。

 

 不意に棺の蓋を叩かれた。鉄の棒で叩かれたような音だ。

 そして、蓋が開けられた。

 暗さに慣れた目には、入り込む太陽光がまぶしくて、思わずミレイユは目を閉じる。

 

「何してんの、おねーさん」

 

 知らない声が、のんびりした口調で問い掛ける。

 不思議に思って目を開けると、見知らぬ少女が中を覗き込んでいた。

 ミレイユは両手足を縛られたまま、何とか身を起こして相手を見た。

 歳は十二~十三歳くらいだろうか。

 青みがかった黒髪を一本の三つ編みにして肩に垂らし、前髪は整髪油で掻き上げて、白い額を丸出しにしている。

 毛皮で出来た旅行用マントの下は、長旅でややくたびれてはいるが、シャツもチョッキも七分丈のズボンも、どれも上質な物だとわかった。

 少女は右肩に、鉄の棒を担いでいた。

 

「あ、あなた……誰?」

「マスクルス・フィリオ」

 

 少女はそう言った。それが名前なのだろうが、ミレイユには、女の子にしては厳めしい名前に思えた。

 

「あなた一人?」

「そうだよ」

「女の子が、一人でこんな森の奥に……」

「男だよ」

「え?」

 

 どうりでらしくない名前だと思った。

 だが、端正な顔立ちである。

 くりっとした眼に小さめの鼻や口、細い顎。

 男装の少女と言われれば、それで通じてしまうだろう。

 それに、小柄だった。

 右肩に担いだ鉄の棒は、彼の背丈より頭一つ分長い。よく目を凝らして見ると、表面にミレイユの見たことのない文字がびっしりと彫られていた。

 腰帯には刃渡り四十センチほどの小剣が差してある。

 一応武装してはいるようだが、それでもこの森には気性の荒い狼や猪が出る。子供が一人で来ていい場所でも、来れる場所でもないのだ。

 

「好きで髪伸ばしてる訳じゃないよ。二十歳になるまでは髪は長く伸ばしとけって我が家の伝統でやってるんだ」

 

 マスクルス・フィリオなる少年はムスッとした顔で説明し、肩に垂らした三つ編みをクルクル振り回した。

 

「で、おねーさんこそこんなとこで何してんの……そんな格好じゃ、風邪引くよ」

 

 マスクルスはうっすらと頬を赤らめ、目線を逸らしながら言った。

 それもむべなるかな、ミレイユの今の格好は半裸であった。

 白い小さな薄絹を胸と腰に巻いただけであり、ちょっとした動作一つで大事な部分が見えてしまいそうなのだ。

 しかもミレイユは、長い金髪と白い肌の美しい女性だった。肉付きも良く、胸の膨らみは特に豊満だ。

 まだ性に目覚めたばかりであろう少年には、刺激の強い姿だ。恥ずかしげに目線を逸らすのも当然だろう。

 その仕草がたまらなく愛らしく、ミレイユは己の現状や待ち受ける未来も忘れて、つい微笑んでしまった。

 

「……私は、生け贄なの」

「イケニエ?」

「そう。この湖に棲む魔法使いの──」

 

 ミレイユの言葉が不意に途切れた。

 マスクルスが目を細めて、背後を振り向く。

 彼の背後には湖がある。

 曇天を映して鉛色に染まる湖面が波立ち始めたのだ。

 そして水柱を上げて、巨大な生き物が姿を現す。

 亀だ。

 甲羅の大きさが十㎡近くある巨大な亀だ。

 その甲羅の上に、黒い鎧をまとい、背中に円盾を背負い、腰に斧をぶら下げた騎士が跨がっていた。

 亀が岸に上がると、兜と面頬で顔を隠した黒い騎士は甲羅から下りて、ミレイユとマスクルスの前まで歩み寄る。

 

「迎えに来たぞ、生け贄の娘よ」

 

 鉄棒を担いだ小柄な少年を無視して、棺の中のミレイユに手を伸ばす。

 その手を、マスクルスが鉄棒で押さえた。

 

「やめなよ」

 

 と、臆することなく言った少年の脳天に、黒い騎士は腰の斧を迷うことなく叩き込んだ。

 ミレイユはとっさに目を閉じた。

  

 ゴスッ!

 

 鈍い音がした。

 

「何だと?」

 

 騎士のそのうめくような声に、ミレイユが恐る恐る目を開けると、何と少年は、斧を額で受け止めたまま、平然と立っていた。

 斧の刃は確かに少年の白い額にぶち当たっているが、当たっているだけだ。一滴の血も流れていない。

 

「今のは驚いた……けど……ふぅーん……そうか。アンタ、こういうこと平気でやるんだね」

 

 マスクルスはジロリと騎士を睨む。痛みすら感じていないようだ。

 

「んじゃ、今度は俺の番ね」

 

 言うなり、鉄棒の端を両手で握り、振りかぶる。

 騎士は素早く、背中の盾を腕に装着して、防御の姿勢を取る。

 

 ゴッ!

 

 マスクルスが鉄棒を振り抜いたかと思うや否や、物凄い風切り音と激突音が重なって響き、騎士の姿が消えた。

 バキバキと木々のへし折れる音が立て続けに聞こえてきた。その音はどんどん遠ざかっていく。それでミレイユは、この少女と見紛う小柄な少年が、鉄棒の一振りで騎士を遠くまで吹き飛ばしたのだと理解した。

 乗り手の末路を見た大亀が、少年を敵と認識したらしく、襲い掛かってきた。

 甲羅に収納されていた長い首を伸ばし、大きく口を開けて噛みついてくる。少年の小柄な体など一呑み出来そうな、大きな口だ。

 マスクルスは鉄棒を振りかぶり、その大亀の顎を思いっきりかち上げた。

 何たる威力、何たる剛力か、大亀は空中に跳ね上がり、勢いのまま三回転半した後、仰向けに地面にぶっ倒れた。

 マスクルスは鉄棒を振りかぶると、さっき黒い騎士にやったように、フルスイングで大亀を湖の方へと吹き飛ばす。

 大亀は弾丸のような速さで飛んでいき、何度も水面を水切り石よろしくかすめながら、対岸まで飛んでいった。

 

(…………何これ)

 

 ミレイユは真面目に、自分は今夢でも見ているのではないかと思った。

 こんな愛らしい少年が、武装した騎士や巨大な亀の怪物を鉄棒一本で苦もなく撃退したのだ。

 

「もう大丈夫」

 

 マスクルスはそう言うと、腰の小剣を抜いて、彼女の手足を拘束する縄を断ち切った。

 

「あ、ありがとう……あなた、強いのね……」

「……まぁね」

 

 マスクルスは伏し目がちに答えたあと、プイッとそっぽを向いた。

 その様を、ミレイユは無性に愛らしく感じた。

 この少年は今、自分の胸の谷間を見たのだ。そしてそれはいけないことだと感じて、慌ててそっぽを向き、視線を外したのである。

 それが、たまらなく可愛かった。

 衝動に突き動かされて、ミレイユはこの小さな豪傑を思いきり抱き締めて、豊かな胸の谷間にその顔を埋め込んでしまった。

 

【2】

 

 一ヶ月ほど前の、新月の夜のことだ。

 森の奥に、流れ星が落ちてきた。

 それが、全ての始まりだった。

 この土地にはある伝説がある。

 千年前、悪魔に魂を売り渡した魔法使いが森の奥の湖に城を築き、近辺の住民をさらっては、食い殺していた。

 それを怒った神が魔法使いを空の彼方へ追放し、城は湖の底に沈めたのだという。

 村の者はその空の彼方へ追放された魔法使いが、星に乗って帰ってきたのだと恐れおののいた。

 三日としないうちに、村を悪夢が襲った。

 毎夜、村人たちは夢の中で、筆舌に尽くしがたい冒涜的な姿の怪物たちに襲われ、色彩の狂った地獄のような焼け野原を引きずり回された。

 年寄りや子供の中には、恐怖に耐えきれずショック死して、二度と目覚めない者もいた。

 そんな恐怖の夜が一週間も続いたあと、村人たちは全員が夢の中で声を聞いた。

 

 我はガズナクなり。

 かつてこの地を追放されたが、今、星と共に舞い戻ってきた。

 この村に、五万年周期の日蝕の日に生まれた娘がいる。

 その者を生け贄として我に捧げるならば、悪夢から解放してやろう。

 拒むのであれば、お前たちを夜毎苛む夢が、現実のものとなると知るが良い。

 

 声はそう告げた。

 五万年周期かどうかはわからないが、日蝕の日に生まれた娘なら一人いる。それが、今年ちょうど二十歳になったミレイユだ。

 村人たちは、あの夢が今度は現実のものとして自分たちを襲うと知り、恐怖した。

 そしてミレイユは、村人たちの涙ながらの懇願を受け入れ、生け贄の運命を受け入れたのである。

 

 ミレイユは、そんな経緯をマスクルスに語った。

 二人は、蓋を閉じた棺の上に並んで腰掛けていた。

 

「ふーん、んじゃさっきのはその手下ってことか……ここで待ってりゃ、魔法使いも向こうからやって来るよな」

「そ、そうね……」

 

 言われてミレイユは、そのことに気付いた。というより、考えないようにしていたことを突き付けられたと言うべきだろうか。

 マスクルスの小さな手を、思わず握った。

 どんなに強くても、部外者である少年を巻き込む訳にはいかない。さっきの騎士と大亀は倒せたが、魔法使いガズナクがそれ以下の強さだとは限らないのだ。

 可愛らしい少年だ。

 まだ何の事情もわからなかったというのに、それでも自分を守り、戦ってくれた、勇気ある優しい少年だ。

 こんなにも愛おしい少年を、死なせたくなかった。

 

「大丈夫、来たら俺がぶっ飛ばしてやるからさ」

 

 マスクルスは、ミレイユが手を握って来たのは恐怖からだと思ったようで、明るい声でそう言った。

 

「そのために俺はここに来たんだからさ」

「どういう意味?」

「どうもこうも、言ったままだよ。俺、そのガズナクって魔法使いやっつけに来たんだ」

 

 マスクルスはそう言ったが、ミレイユにはさっぱりわからない。この愛らしい少年と、星に乗ってやって来た悪魔のような魔法使いとの間に、何かしらの因縁があると言うのだろうか?

 だが、更に詳しく聞こうとする前に、辺りが濃い霧で覆われ始めた。

 その濃霧の向こうで、湖の真ん中に大きな影が浮かび上がってきた。

 それは、城だった。

 さっきまで何もなかった湖の真ん中に、城が現れたのだ。

 そしてその城から、馬車の走る音が響いてきた。

 霧を掻き分けて現れた馬車は、人や荷物を運ぶための物ではない。戦車(チャリオット)と呼ばれる、最大でも三人乗りの、小型の戦闘用馬車だった。御者は赤い鎧をまとった騎士である。

 その傍らに、白い鎧をまとい騎乗槍(ランス)を携えた騎士が、鎧と同じ白い馬に乗って随行していた。

 両者とも、湖の上を、硬い地面の上を走るように進んできた。

 

「ガズナク様の命により、迎えに参った。生け贄の娘よ、村を救いたくば乗るが良い」

 

 戦車の上の赤い騎士が、ミレイユに呼び掛ける。

 

「そうはいかないね」

 

 と答えたのは、マスクルスであった。棺から下りてマントを脱ぎ捨てると、頭上に掲げた鉄棒をクルクルと回転させて、ピタリと赤い騎士に先端を向ける。

 

「このお姉さんが欲しかったら、俺を倒してからにするんだね」

「良かろう」

 

 少年に答えたのは、白い騎士だ。

 

「仲間の仇は取らせてもらうぞ、小僧」

 

 どうやら先程の、大亀に乗った黒い騎士との一幕を知っているらしい。

 白い騎士が馬の脇腹を蹴って、走らせる。

 瞬く間にマスクルスに接近し、その小さな体目掛けて騎乗槍を繰り出した。速く鋭い三連突きだ。マスクルスの目には、槍の切っ先が残像で三つに増えたように見えた。

 少年は鉄棒で地面を突き、棒高跳びのように宙高く舞い上がり、これをかわす。

 そして白い騎士の脳天目掛けて、両手で鉄棒を振り下ろした。

 

 ガァンッ!

 

 雷鳴にも似たけたたましい金属音が響く。

 白い騎士は鞍に提げていた盾を腕に装着して、素早く鉄棒を受け止めたのだ。

 

「もらった!」

 

 白い騎士はすかさず、マスクルス目掛けて槍を突き出す。

 その一撃が、少年の頭部を貫いた──かに見えた。

 しかし少年はとっさに顔をひねり、あろう事か槍の切っ先を噛んで止めていた!

 腕力のみならず咬筋力も桁外れらしく、噛み止められた槍の切っ先が、ひしゃげて潰れている。

 少年が再度、鉄棒を振り上げた。

 少女のような白く細い腕から、青白い炎のような光が滲み出ている。

 その腕が、消えた──と認識した時には、白い騎士の頭は鉄棒で打たれて、兜もろとも胴体にめり込み、鎧を突き破って背中から飛び出した。

 

「ぬうっ!」

 

 赤い騎士が唸り声を上げて、戦車に積んでいた弓矢を手にした。死人の骨や腱を束ねて作った大弓に、同時に三本の矢をつがえて、地面に着地した少年目掛けて射る。

 そしてすかさず、更にもう三本を発射。

 六本の矢が時間差で少年に襲い掛かった。最初の三本を払い落としても、その隙に次の三本で仕留める算段であった。

 マスクルスは鉄棒の真ん中を両手で持ち、プロペラのように高速回転させた。残像で鉄棒が一枚の円盾に変わったかのようにすら見える。風切り音を立て、実際に風すら巻き起こし、六本の矢をことごとく弾いて落とした。

 赤い騎士が次の矢をつがえる前に、マスクルスは彼の胸板を鉄棒で突いた。真っ赤な胸当てが、薄紙のように貫かれる。

 マスクルスはそのまま鉄棒を振り上げて、赤い騎士を地面に叩きつけた。

 その時、頭上から激しい突風が吹きつけてきた。

 その強烈な風の中で、ミレイユの悲鳴がした。そして悲鳴が宙に上っていく。

 マスクルスが思わず見上げると、長い首と尾を三本ずつ持つ、巨大なコウモリのような影が、足でミレイユを掴んで飛び去っていくのが見えた。

 怪物は濃霧の彼方に浮かぶ城へと、消えていった。

 

「…………」

 

 マスクルスはそれを見届けると、次いで乗り手を失い、所在なさげに立ち往生している戦車を見た。

 その戦車に乗り込み、馬の尻を鉄棒で小突く。

 馬はそうするように調教されているのか、ある種の帰巣本能によるものか、戦車を引いて城の方へと、湖面を走り始めた。

 

【3】

 

 暗い部屋の中、ミレイユは祭壇の上に横たわっていた。

 着ていた服を剥ぎ取られて、真っ白な裸身をさらけ出している。

 両手両足には枷がはめられ、鎖で祭壇の四隅にある柱に繋がれていた。

 彼女の裸体を、一人の男が冷ややかな視線で見下ろしていた。

 背が高く、痩せた男だ。

 髭が胸の高さまで伸びている。

 皺だらけの顔に反して、その豊かな髭は艶やかな黒で、そのちぐはぐさが不気味だった。

 だが、何よりも不気味なのはその両眼だった。

 闇そのものを凝固させたような真っ黒な眼をしていた。

 そしてその眼には瞳がない。代わりとでも言わんばかりに、ゆらゆらと揺らめく小さな紫色の鬼火が、中心に燃えていた。

 

「待っておったぞ、娘よ」

 

 男は、枯れ木をこすり合わせたような声で、言った。まるで生き別れた娘と再会した父親のような、優しい声色だ。

 

「お前の、恐怖に彩られた生気を吸って、ようやく私はかつての力を取り戻せる……お前には感謝しておるぞ……私のために生まれてきてくれて、本当にありがとう……」

 

 枯れ木のような手が、ミレイユの金髪を、頬を撫でる。

 骨ばった手が、ミレイユの豊かな乳房に触れ、丸みをなぞるように這い回り、そして掴んだ。

 指がくいこみ、埋もれていく。

 そのまま、柔らかさを確かめるように揉みしだく。

 胸を弄ばれながらも、ミレイユの心中には羞恥や屈辱など全くなかった。

 あるのは、ただ恐怖のみだった。

 この男は自分の肉体に欲情しているのではない。

 この男の手つきは、これから解体する家畜の肉付きを確かめる手つきだった。

 優しい声で語りかけ、感謝の言葉すら述べたのも、食肉として解体される家畜に対する感謝と同じ気持ちなのだと察した。

 この男にとって、ミレイユは完全にただの食料でしかないのだ。

 それがわかって、そしてこの後何をされるのかを察して、ミレイユは涙を流して、震えた。

 悲鳴は出なかった。

 

「怖いのかね?」

 

 男が、子供をあやすようにミレイユの頭を撫でた。

 

「それで良い。存分に恐怖を味わうのだ。それでこそ生気の味も良くなるというものだからな……五万年周期の日蝕の日に生まれた娘には、特別な生気が宿る。それを恐怖で味付けしてこそ、私の命を永らえさせるための、最上の糧となるのだよ」

 

 まるで子供に絵本を読み聞かせるように、優しく、静かに語りかける。

 

「あ、あなたは、誰なの……」

「もうわかっておろうに。私がガズナクだ。お前の村を悪夢で賑わせた張本人であり、千年の昔にこの地上より追放され、今また流星に乗って舞い戻った、魔法使いだよ」

「どうして、どうしてこんなことをするの! どうして私が死ななくちゃいけないの! いや、いや! 死ぬのはいや! 死ぬのはいやぁっ!」

 

 ミレイユは泣き叫び、もがいた。

 

「言うたであろう。日蝕の日に生まれたお前の命が、私には必要なのだよ。食物連鎖というのを知っておるかな? 豚は草を食べ、人がその豚を食べる。そして、その人を食料とするのが、この私なのだ。お前は人の上位存在たる私に選ばれた、宿命の子なのだよ……さぁ、その調子でもっと泣き叫ぶが良い。恐怖と絶望で、その生気を高めるのだ」

 

 ガズナクが祭壇から離れて、両手を大きく広げた。

 祭壇が光を発したかと思うと、粒子状に分解して消滅する。

 だがミレイユの体は宙に浮いたままだった。

 祭壇が消えた跡にはポッカリと大きな穴が空いていた。穴は深く、二十メートルほどはある。その穴の下で、炎が燃え盛っていた。

 その炎の中から、無数の細長い物が伸びてきた。

 蛇だ。

 人面の蛇だ。

 炎からの照り返しで体をヌラヌラとテカらせながら、無数の蛇がミレイユの体に絡み付いた。

 腕に。

 足に。

 腹に。

 首に。

 左右の乳房に。

 そして舌を伸ばして、ミレイユの白い肌を、隅々まで舐め回していく。

 全身の至るところを締め付けられた。

 穴の底の炎の中から、更に何かが這い出てくる。

 ブヨブヨした粘液の塊だ。そのゼリー状の体に無数の眼球や鼻、口が付いている。

 ヒトデとイソギンチャクを合体させたような怪物もいた。

 口からミミズのような触手を生やした、三本指の手足と灰色の皮膚の怪物もいた。

 ミレイユが、そして村の人々が毎晩夢で見た、あの怪物たちだ。

 悲鳴を上げようとして開かれたミレイユの口に、一匹の人面蛇が潜り込んだ。

 怪物たちが、穴の内壁をどんどん上ってくる。奴等が穴から這い出た時の事を考えると、ミレイユは気が狂いそうだった。

 

 ──その時、轟音が鳴り響き、部屋が揺れた。

 

「……何だ?」

 

 ガズナクがキョロキョロと周囲を見回す。

 再び、轟音と揺れが来る。

 壁にヒビが入った。

 そして壁を突き破り、巨大な影が、何かに投げ飛ばされたかのように、部屋の中に躍り込んできた。

 長い首と尾を三本ずつ生やした、爬虫類めいた有翼の巨体。

 ミレイユをさらってこの城に運び込んできた、魔法使い配下の邪竜だ。

 体長二十メートルにも届くその巨体、いやさ死体は、あちこちが棒で打たれたり突かれたりしたように陥没している。

 三本の尾の内、二本が引きちぎられて無くなっていた。

 三本の首は、三本とも頭部を潰されていた。左の首は顎を引き裂かれ、右の首は下顎が砕かれていた。

 邪竜の死体に破壊された壁の向こうから、小さな影が現れた。

 

「……何者だ、娘よ」

 

 ガズナクの問い掛けに、肩に鉄棒を担いだその影は、三つ編みをクルクル振り回しながら答えた。

 

「俺は男だ。家の都合で髪の毛伸ばしてるだけだよ」

 

 マスクルス・フィリオはそう言うと、鉄棒の先端をガズナクに向けた。

 

「そして、その家の都合で、アンタをやっつけに来た。俺の名はマスクルス・フィリオ。お前を倒す者だ」

 

【4】

 

 千年前、ある戦いがあった。

 悪魔に魂を売り渡し、人の生気を吸って若さと命を保つ人喰いの魔人と化した魔法使いガズナク。

 彼を討伐すべく集まった、神に仕える魔法使いたち。

 激しい戦いの末に、ストラトス・フィリオという魔法使いが神の力を借りて宇宙空間と繋がった(ゲート)を開き、ガズナクを宇宙へと追放することに成功した。

 しかし、千年後にガズナクが流星に乗って戻ってくることを予知したストラトスは、子孫に警戒と対策を呼び掛ける。

 そして時は流れて、フィリオの一族に、不思議な男の子が生まれた。

 一族の誰よりも強く、豊富な魔力を持ちながら、子供でも使えるような簡単な魔法すら行使出来ないのだ。

 その代わり、体内に渦巻く莫大な魔力によるものか、体は頑丈で、打撃・斬撃・衝撃・熱気・冷気・電撃等々、あらゆる攻撃を受け付けない。そして筋力は普段でも常人の数倍、意識すれば千倍にまで高めることが出来た。

 一族の歴史始まって以来の特異体質を持つこの男の子こそ、近い将来地上に帰還する魔人ガズナクを倒す宿命の子なのだ。

 そう判断した父親によって、男の子は物心ついてすぐに、様々な武術を教わった。

 そして、魔法で精製した特殊金属を鍛え上げ、更に十重二十重の魔法術式を施して、自身のフルパワーにも耐えられる──ひいてはあらゆる物を砕くことが出来る──強度を持った鉄棒を与えられた少年は、ガズナク退治のための旅に出たのである。

 それが、マスクルス・フィリオであった。

 

「クックックッ……!」

 

 枯れ木をこすり合わせたような声で、ガズナクは笑った。

 

「フィリオ、フィリオか……そうかそうか、貴様はあやつの末裔か……しかし斯様な子供を寄越すとは、舐められたものよな……良かろう。小僧、恨むならフィリオの家に生まれた、己の宿命を恨むことだ」

 

 ガズナクは頭上を指差し、その指で円を描いた。

 虚空に、指の軌跡に沿って光が生まれる。

 そうして出来た光の円から、青い鎧が現れて魔法使いに装着された。右手には長剣が握られている。マスクルスの鉄棒同様、魔法文字(ルーン)が刻まれた長い刃だが、柄は片手で扱うことを想定しているのか、刃渡りに比して短い。

 

「行くぞ小僧!」

 

 ガズナクはその長剣を振り上げて、襲い掛かる。

 速い。

 虚空に銀光が走る。

 マスクルスは振り下ろされた剣を紙一重でかわした。

 ガズナクは次いで、長剣での連続突き。

 マスクルス、これを鉄棒で打ち払う。

 ガズナクが少年の首目掛けて、剣を振るう。

 マスクルスがこれを鉄棒で迎え撃った。防ぐのではなく、剣を叩き折るつもりの一撃だ。

 しかし剣と鉄棒がぶつかり合った瞬間、凄まじい爆風が発生して、少年を吹き飛ばした。

 

「死ねい!」

 

 ガズナクが左手をかざす。

 親指を除く四本の指先から光弾・火炎弾・氷礫・電撃が同時に発射される。

 マスクルスは構わずその攻撃魔法の一斉射に向かって飛び込んだ。

 小さな体から、青白い炎のような光が立ち上る。魔力による肉体強化だ。

 ガズナクの魔法は四つとも、少年の体を直撃したが、それだけだった。少年はかすり傷ひとつ負わず、一気に間合いを詰め、鉄棒をガズナクの脳天目掛けて振り下ろす。

 

 ガァンッ!

 

 金属音と共に鉄棒がガズナクの兜を打つが、兜はへこみもしない。

 しかしマスクルス、すかさず鉄棒の先端を兜に引っ掛けて、振り上げた。

 兜が脱げて、ガズナクの頭部が剥き出しになる。

 その頭部目掛けて、横薙ぎに振り抜いた。

 この時、ガズナクは奇妙な仕草をした。

 左手で自分の髪を掴んだのだ。

 そして左手を上げると、ガズナクの首が持ち上がり、胴体から離れたのだ!

 鉄棒は何もない空間をむなしく通過するのみだった。

 ガズナクは首を胴体に戻しながら、剣で斬りかかる。

 マスクルスはこれを防ぎ、今度は脳天目掛けて鉄棒を打ち下ろす。

 ガズナクは再度己の首を外して、鉄棒の一撃を、胴体の鎧で受け止めた。

 マスクルスは全身から目映い光を放った。魔力を全開にしたフルパワーだ。

 胴体を常人の千倍もの剛力で以て、鉄棒で打ち、突くが、ガズナクの青い鎧はそれらを全て受け止めた。

 マスクルスは後ろに跳んで、距離を取った。

 まさか自分の剛力を受け止める鎧があるとは思わなかった。逆に自分のパワーに対する自信の方が、ちょっぴり砕かれた気分だ。

 ガズナクは、脱がされた兜を拾おうともせずに、悠然と歩を詰める。

 

(どーすっかなー)

 

 マスクルスは考える。

 あの左手を何とかして封じれば、首を外せなくなるのではなかろうか?

 問題は、その左手もまた、自身のフルパワーをも受け止める鎧で守られていることだ。腰の小剣で切り落とすのは不可能だろう。

 

(鎧……鎧かー……鎧の攻略法って言ったら上からぶっ叩くか、あとは……)

 

 そこまで考えて、妙案が閃く。

 マスクルスは自ら地を蹴って、間合いを詰めた。

 カウンターで繰り出されるガズナクの剣をかわし、鉄棒を宙高く放り投げると、ガズナクの左腕に、飛び付くようにしがみついた。

 両足で左腕を挟む。

 この時、膝を肘にあてがう。

 そして手首を掴んで、体を反らした。

 

 ベキッ!

 

 装甲と肉の下で、木の枝が折れるような音がして、ガズナクの左腕は逆方向に折れ曲がった。

 飛び付き腕十字固めだ。

 鎧の攻略法は、打撃の衝撃で装着者の肉体にダメージを与えるか、装甲で覆うことの出来ない関節を狙うかだ。

 マスクルスは後者を選択した。

 そして落ちてきた鉄棒をキャッチして、ガズナクの脳天に打ち下ろす。

 ガズナクは頭を掴んで外そうと左腕を振り上げたが、肘から先はブラブラと揺れるだけ。

 剣を捨てて、右手で首を外そうとしたが、その前に鉄棒の一撃で、頭部を叩き潰された。

 鬼火が燃える眼が飛び出し、頭部全体が凹の字に変型した。

 けたたましい金属音を立てて、ガズナクが大の字に倒れる。

 青い鎧はあっという間にボロボロになり、塵となって崩れ去った。

 そしてガズナクの肉体もまた、同様に塵となって崩れ去った。

 マスクルスが祭壇の上のミレイユの方を見る。

 穴は塞がり、祭壇も元通りになっていた。

 ミレイユは、気を失っている。

 彼女の裸体に絡み付いていた蛇は、消えている。白い肌に締め付けられた痕は全くなかった。

 

 ズズズズ……!

 

 不意に、城全体が揺れ始めた。

 魔法使いの死によって、この城も崩壊するのか?

 マスクルスはミレイユの四肢を拘束する鎖を引きちぎり、彼女の着ていた服を探して辺りを見回したが、見当たらない。やむを得ず、全裸のまま担ぎ上げて、走り出した。

 部屋を出て、階段を駆け下りる。

 邪魔な壁は鉄棒で壊して、外までの道を最短距離で拓いていく。

 城の外に出ると、乗ってきた戦車に飛び乗り、馬の尻を鉄棒で叩く。

 馬はいななき、戦車を湖のほとりまで引っ張った。

 何とか岸にたどり着いたマスクルスが、戦車を下りて一息つき、湖の方を振り返ると、城も霧も、何もかもが消えていた。

 戦車も、それを引いていた馬も、幻のように消えていた。

 

【5】

 

 天蓋付きの大きなベッドを、窓からカーテン越しに差し込む朝日が、うっすらと照らし出す。

 目を覚ましたマスクルスは身を起こして、ウーンと伸びをした。

 寝間着は来ておらず、白い肌があらわになっている。

 その横で、遅れて身を起こす者がいた。

 ミレイユだ。

 彼女もまた、一糸まとわぬ全裸だった。

 

「おはよう」

 

 すぐ隣のマスクルスを抱き寄せて胸にうずめ、優しくささやく。

 

「うん、おはよう……」

 

 マスクルスはまだ眠いのか、目をショボショボさせていた。

 その様が可愛らしくて、ミレイユは少年の顔を両手で挟み、唇を重ねる。

 マスクルスはされるがまま──でもなく、小さな手をミレイユの豊かな乳房に当てて、ゆっくりと揉み始めた。

 

 

 ミレイユは村へは戻らず、そのままマスクルスの元に嫁いだ。

 帰ったところで、やむを得なかったとは言え、一人の娘を生け贄にした罪悪感で村の者たちも気まずい思いをするだけだろうし、自分もどう付き合えばいいのかわからなかった。

 それよりは、自分を救ってくれた可愛らしくて小さな勇者のそばにいたいと思ったのである。

 使命を果たした息子の今後の人生を案じていたマスクルスの両親は、二人の結婚を快く許した。

 マスクルスも、最初は年齢差に戸惑ったものの、すぐに慣れた。

 そして今では、(しとね)を共にし、裸身を絡ませ合うのも平気だった。

 

 

 ミレイユはマスクルスの唇を吸い、舌を絡ませながら、夫の小さな裸体を優しく押し倒した。

 魔法使いとその配下をことごとく捩じ伏せた剛力などとても想像出来ない、白く、細く、小さく、しかし美しい肉体だ。

 うっとりとした表情で、その白い肌のあちこちにキスの雨を降らせながら、ミレイユはこの幸せな時間がいつまでも続くようにと願うのだった。

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