ユリカは、次から次へと矢継ぎ早に、各部署に指示を飛ばし続けた。ナデシコという船全体が、そこに所属するクルーの全てが、一つの生物のように動き出す。小さな細胞たちを動かす脳……いや、脳すらも細胞に過ぎないとすれば、それらを纏める魂のようなもの……それこそが、艦長というものなのだった。
だから艦長は時として、自分でなくならねばならない。
王より飛車を可愛がるヘボ将棋、とはよく言ったものだ、裏を返せば、艦長は部下を人間と見てはならない時がある。飽くまでも細胞は細胞、と割り切らねばならない瞬間が、必ずあるのだ。
今がまさに、その瞬間だった。
「かんちょー」
一通り指示を出し終え、モニタに移る戦況を睨んだユリカに、ルリが棒読みで言った。
「いーんですか?」
「いいって?」
「テンカワさんのことです」
相変わらず、ルリは容赦ない。
心の深くにいる「私らしい私」を抉られて、ユリカは思わず、苦しげな笑みを浮かべた。
「あのままじゃ、アキトもみんなも、やられちゃいます!
まっ、今日のアキトは定休日っていうことで!」
「明日、営業日だといーですね」
淡々といいながら、ルリはそっぽを向いた。
……心配してるんだ。ルリちゃんも、アキトを。
ユリカは顔をくしゃくしゃにして、威勢良く頷いた。
「うんっ!」
「やめろジョナサン! なんでドレイクなんかと手を結んだりするんだ!」
虚空に消えたユウブレンの残像を、ジョナサン・グランチャーのソード・エクステンションが両断する。
『そうすると、オルファンが元気になるから、さ!』
かと思えば、ジョナサンの背後にユウブレンの姿が浮かび上がり、至近距離からショーターを叩き込む。ご丁寧にも、苦しみ悶えるふりをしながら、グランチャーはバイタル・ジャンプ。ユウブレンの真下から、チャクラの光を浴びせかける。
「くっ」
勇はたまらず、長距離バイタル・ジャンプで間合いを離した。お互い、絶対回避のバイタル・ジャンプを使う身。ちょっとやそっとで、その攻撃は当たらない。
長引く戦闘に喘ぎながら、勇はジョナサン・グランチャーをじっと見据えた。奴は緩やかな動きで高度を合わせ、こちらの隙を虎視眈々と疑ってはいる……しかし、仕掛けてはこない。ジョナサンも疲れているのだ。
「……聞け、ジョナサン! さっき、このブレンが笑ったんだ。アルビオンにいて、そういうことが分かった……お前だって姉さんだって、そんなことも見えなくなっているということがあれば、見境が無くなって、ドレイクなんかに操られたりするんだよ!」
『この私のグランチャーとて、高ぶっている!』
「それはお前の目だ!」
叫びながらも、ジョナサンの説得は無理だということは、勇自身が一番よく分かっていた。早くなんとかしなければ、ナデシコだって危ないというのに。
勇は、ジョナサンに気取られないことを祈りながら、ナデシコの方へ視線をそらした。テンカワ機がナデシコへ収容され、代わりに傷ついたダンバインが飛び出してくる。
「艦長は男が可愛いのか! 女らしいけど!」
そんなにアキトを護りたいのか、艦長は? 傷ついたマーベルを出撃させてまで?
ユリカの決断は、部隊全体の危険を回避するためのものある。だが、傍目には勇の言うように見えてしまうことも否めない。誰もが感じはするものの、口に出すのははばかられることを、臆面無く言ってのけるのが伊佐美勇だった。
『そういう勘ぐり、可愛くないよ!』
ヴヴン!
高くかすれた声を挙げながら、勇の隣に比瑪がジャンプ・アウトした。その一言で強か傷ついたにもかかわらず、勇は思わず虚勢を張った。
「かわいこぶりっこしているつもりはない!」
『たまには、やんなさいっ』
「そうか……そうなんだな?」
二人のやりとりを隙と見たか、ジョナサン・グランチャーの姿が突如かき消えた。
『男と女が、ひっつきあって何してる!』
グランチャーは、二人の頭上にジャンプ・アウト。上から容赦なくチャクラ光を降り注がせる。ブレンたちは左右に分かれてこれを避け、バイタルジャンプで逆にグランチャーを挟み込む。
が、ブレンたちがジャンプ・アウトしたその時。
挟み込まれる前にバイタル・ジャンプしていたグランチャーが、ユウブレンの背後に出現する。
――出現位置を読まれていた!?
ジョナサンの刃がユウブレンに迫る。あまりに早すぎる攻撃、バイタル・ジャンプはまだ使えない。やむなく勇は身をよじり、辛うじてソード・エクステンションを回避する。だが、その鋭い刃がユウブレンの表皮を容赦なく抉る。
「うわああああっ!」
『伊佐美勇! 死ねよやーっ!』
繰り出される二撃目。
『そうはさせないっ!』
と、横手から飛び込んできたヒメブレンが、ジョナサン・グランチャーを蹴り飛ばした。ジョナサンは呻きながら吹き飛ばされ、地面に激突する寸前で機体を制御。バイタル・ジャンプで間合いを離す。
ヒメブレンはユウブレンを引っ張り、崩れた体勢を素早く立て直してやる。
『勇、しっかり!』
「ああ、ありがとう……比瑪」
『アキトくんは、考えてるのよ! 勇、あなた、考えてる?』
「考えてるさ! 俺だって、人を撃つのが気持ちいいなんて思いたくない……思ったが最後なんだ」
戦場の音が、遠い。
ふらつきながら艦内に戻ったエステバリスは、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。無様に四つんばいになり、低い唸り声を最後に、沈黙する。背後で閉じていくハッチが、アキトを戦場から切り離す。ナデシコという殻の中へ、アキトの心を閉じこめる。
俺のしてきたことは、正しくなかったかもしれない。
その思いが、アキトを逃げに走らせた。戦闘中に比瑪に甘えてしまったのも逃げなら、文句を言いながらもユリカの命令に従ったのも逃げ。正義を、熱血を、ゲキガンガーを信じられなくなってしまったアキトは、今や自分自身すら見失っていた。
俺が本当にやりたいことって、なんだった?
ゲキガンガー3に憧れていたっけ?
あんな幼稚なものに?
バカだな。
ほんと、バカだよな。
俺。
「ふっ……あは……はははははっ……」
もはやアキトには、笑うしかなかった。思う存分アキトは自分を嘲笑した。それだけがアキトの崩れかけた心を救ってくれる。いや、痛みを忘れ、怠惰の中でグズグズと崩れ落ちていける。
アキトがそう思ったその時、勇の声が聞こえた。
『俺だって、人を撃つのが気持ちいいなんて思いたくない……思ったが最後なんだ』
心臓が脈打った。
お前は俺なのか? アキトは弾かれたように顔を上げる。どうしてお前が、俺と同じ事を考えてるんだろう?
『でも、あなた、言ったわよね! ブレンが笑ったって!』
『そう言った……そうさ! 全てが絶望的って訳じゃない!』
爆発音が、勇の言葉を掻き消す。
「勇!」
思わずアキトは身を乗り出した。その拍子に、腕がIFSスフィアに触れた。スタンバイ状態にあったエステバリスが、一瞬、呻くような唸り声を上げる。
『大丈夫だ、俺は生きてるよ、アキト』
アキトはシートにへたり込んだ。急激に緊張した心を、安堵がほぐしていく。
『正しいことはなくても、正しいと思うことはある。俺にとっては、ブレンの笑顔がそうだった……だったら、やるしかないだろう!』
『そうよ! エステバリスは空を飛べるんだもの!』
『ああ、きっとそうだ!』
『そうに決まってる!』
『そうなんだ!』
『貴様らという奴らはーっ!』
ジョナサンの声、そして、二人の悲鳴。
アキトは今度こそ青ざめ、叫んだ。
「勇! 比瑪ちゃんっ!」
ジョナサンの一撃をまともに浴びて、墜落していくユウブレン。ジョナサン・グランチャーは容赦なく、追い打ちをかけるべくそれに迫り、ヒメブレンは勇を庇おうと、二人の間に割ってはいる。
が、ジョナサンは速度を緩めることすらせず、真っ向からヒメブレンに突撃した。
『弱者はすっこんでろ!』
刃の交わる音すらしない。
一瞬の後、脇腹を切り裂かれたヒメブレンが、悲鳴を挙げながら墜落していった。
もはや、ジョナサンの進路を塞ぐものは何もない。
『そーれそれぇー!』
大きく刃を振り上げて、ジョナサン・グランチャーが迫る。
無防備に落下を続ける、ユウブレンへと。
「勇さん!」
ブリッジの真ん中で、ユリカが悲痛な悲鳴を挙げる。すぐさまユリカはオペレータの一人に向かい、
「だんまくーっ! 勇さんを援護してください!」
「もうやってます! グランチャーが素早すぎて当たりません!」
「そこをなんとか!」
「なんとかって……」
と、困った顔して途方に暮れるオペレータの声を遮り、ルリが唐突に呟いた。
「あ。テンカワさん、勝手に発進します」
「へ?」
予想外の報告に、ユリカは間抜けな声を出す。彼女の目の前にあるモニタの中を、アキトのエステバリスが流星のように横切り、突き抜けていった。
(つづく)