豊穣の女神が母性を爆発させた話   作:蛙飛び込む沼の中

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金髪赤目の生前イシュタルの話です。


本編
第一話


 子どものすすり泣く声が聞こえて、イシュタルはふと振り返った。

 愛人にしてやろうと都市神自ら求婚したやったというのに逡巡する間もなく袖にしたあの男。自尊心を傷つけられた怒りと屈辱から殺してやろうと試みたものの業腹なことにやり返され、ならばと金目の物を奪いにジグラットにやってきた。突然のイシュタルの登場に慌てふためく兵士や神官を無視して王不在だというそこを調べたが腹の立つことに金目の物はあまりなかった。ウルクは天の女主人たるイシュタルのものであるからして、ジグラットにある国の財産ではなくギルガメッシュの私財がほしいのだ。これほど探してもないとなると何処かに隠しているに違いない。本当に腹が立つ、とイシュタルは舌打ちした。父神に頼んでウルクを半壊させてやろうかとさえ思う。ジグラットを破壊しながら散策するのも飽きたし疲れたし、と不愉快そうに眉を顰めつつも帰ろうとしたその時に、その声は聞こえてきた。

 

「……?」

 

 ジグラットにいる子どもとなればギルガメッシュの子だろうか。イシュタル程ではないがギルガメッシュにも多くの愛人がいる。ああも好色であれば子がいてもおかしくはない。

 けれど、とイシュタルは首をかしげた。今いる場所は薄暗く埃っぽい。とてもではないがギルガメッシュの子や寵姫がいるような場所ではない。ギルガメッシュの怒りにでも触れたのか、しかしあの男は子どもにはさほど苛烈ではなかったはず、と好奇心に駆られてその声のする方向へ向かう。兵士や神官はイシュタルの理不尽に巻き込まれる前に逃げているので邪魔が入ることはない。

 

「――あなたは」

「だれ……?」

 

 泣き声がする部屋に踏み入ると泣いている幼子が目に入った。その姿を見てイシュタルは思わず目を見張る。自分と同じ神の徴である金髪と赤目を有した、ギルガメッシュそっくりの女の子。その幼子が恐らくは母親であろう遺体に縋って泣いていた。

 

「それ、あなたの母親?」

 

 こくりと幼子が小さく頷いた。

 

「死んだ人間は蘇らないわよ」

「……」

 

 イシュタルの言葉に幼子が俯く。まだ乳飲み子でもおかしくない体躯だというのに死というものを理解し、礼儀も弁えているようだった。神の徴を有していることを考えればそれも当たり前か、とイシュタルが驚くことはなかった。半神とはいえ人間よりも優秀なことはギルガメッシュの幼少期からもよく分かる。

 

「あなた、随分やつれているわね。ちゃんとご飯は食べてる?」

「……たべたくないです。おかあさまのところ、いきたい」

 

 ふるふると首を横に振って幼子はそう言った。冷たくなった母親の手を握り続け、もうイシュタルには見向きもしていない。不敬な態度だがイシュタルは気にしなかった。

 

「それにしてもあの金ピカそっくりね。娘でしょ? 金髪赤目の娘がいたなんて聞いた事はないけれど」

「おかあさまが、いっちゃだめって」

「うん?」

「かみとめのいろがちがうから……おうさまとおなじだからそとにでないようにと」

「まあ、たしかに騒ぎにはなったでしょうけど」

 

 黒髪黒目がメソポタミアの人間の特徴だ。イシュタルやギルガメッシュのような金髪赤目はメソポタミア文明では神の力を示している。ギルガメッシュから神の力を持つ子が産まれたとなれば慶事として大々的に祝われそうなものだが、なぜこの母親はそうしなかったのかとイシュタルは不思議に思った。

 

「おかあさまは、おうさまがおきらいでした」

「まぁ、神にも人にも好かれる性格はしていないわね」

「わたしはおうさまそっくりだそうで、いつもふくざつそうなおかおをしていました」

「……」

 

 母親はギルガメッシュを嫌い、自分にも愛憎の入り混じった感情を抱いていたがそれでも愛してくれていたと娘はイシュタルに言った。神であるイシュタルに人間の機微などわからないし母親本人もすでに死んでいて真相は知りようもない。だが、娘の口振りはまるでそうあってほしいと願いを込めたもののように聞こえた。

 魔術の心得があった女は出産に立ち会った者たちの記憶を改竄したという。神の徴を持つ王女などいない──死産であったとし、自らは子を喪い狂った母親の振りをして人々を遠ざけた。初めてできた友人と遊ぶことに忙しいギルガメッシュはその報告を聞いても直接見舞うことすらせず、女官を通して静養を言い渡しただけだった。その後は逃げ出す機会を探っていたが幼い娘を隠したままとなると難しく、やがて女の体は病に蝕まれていった。そこまで語ると娘は大粒の涙を零し始めた。

 

「わたしがいたせいで……」

「それは違うでしょ」

 

 気づけばイシュタルは娘を抱き上げていた。驚いたのか娘の瞳から流れる涙が止まる。

 腕の中の幼子を観察する。服は大人が着古したものを子どもの丈に合うように雑に切られており、洗えば美しくなるであろう金糸の髪はまるで泥でも塗られたかのように所々黒く汚れていた。

 

「あなたの母親の行動もどうかと思うけど、一番悪いのはどう考えたって金ピカ王……あなたの父親よ。愛人とその子どもも養えないとか甲斐性なしにも程があるわ」

「……おうさまは、わるいひとなのですか?」

「ええ、それはもう、最っ高に趣味が悪い馬鹿王よ」

 

 すり、と指で頬を撫でると幼児らしい柔らかい弾力が返ってくる。ひどくやつれ憔悴しているが今ならまだ間に合うだろう。

 

「あなた、名前は?」

「……」

 

 幼子が俯く。一瞬見えた瞳は哀しみに満ちていて、イシュタルはそれ以上何も言わず娘の頭を撫でた。

 親の確執のせいで存在を隠され、純粋な愛情にも無縁で、名すら与えられず。ただの人間の幼子であれば理解できなかっただろうに、半神半人である娘はすべてを察してしまっていた。

 

「なら、私が付けてあげる」

「え……?」

「私があなたに名前をあげる。これからは私と暮らしましょう」

 

 幼子の目が見開かれる。声も出ないで驚いている顔にイシュタルは微笑んだ。

 神の血を濃く継いでいる娘。自分に恥をかかせた男からそれを奪えば大層な嫌がらせになるだろう。今は薄汚れているが顔立ちも整っているし、恩を売って飼ってみるのもいいかもしれないと思った。当然ながらイシュタルの精神は神のそれであり人とは異なる。娘の身の上を知っても義憤に駆られることもなければ同情も憐憫も大して感じない。可哀想に思うところもあるがそれは人が路傍に捨てられている愛玩動物に向けるような感情に近い。――そのはず、だった。

 

「なまえ……」

 

 此処へ来てから初めて聞こえた嬉しそうな声にイシュタルは興味を持った。呆然としていた表情はやがてイシュタルへと向き直り、満面の笑顔とともに娘が言葉を発する。

 

「ありがとう、ございます」

 

 ぴしり、とイシュタルの体が固まった。

 

「――か」

「か?」

「かわいいっ!」

 

 そう叫んで、イシュタルはより力を込めて娘を抱き締めた。そのまま頬同士を擦り合わせ、擽ったそうにその行為を受け入れる幼子の姿にイシュタルは胸を抑える。天の女主人が初めて萌えを感じた瞬間だった。

 

「美の女神である私を笑顔ひとつで虜にするなんて……かわいい〜……」

「かわいい?」

「ええ、可愛い。ずっと私がお世話してあげるからね」

 

 女神であるイシュタルの対魔力は非常に高い。たとえ幼子に魅了の能力があったとしてもすでに効果は解けているが、それでも一向に愛情が薄れる気配はない。ここまで愛おしいのは元からあった愛情が一気に覚醒したからだろう。あんなに汚れた姿なのに嫌悪感など感じず一目見たときから気になっていたことが良い証拠だ。

 

「そうと決まったら早速私の神殿に行きましょう。早くしないとうるさいのが来そうだし」

「でも、おかあさま……」

「ああ……」

 

 イシュタルの目がすっと細くなる。剣呑な目で幼子の母親を見つめる瞳には嫉妬の色を宿していた。

 この子の保護者は──母親はイシュタルのみであるべきなのだ。愛憎を抱えていた生母とは違う、ただひたすらに暖かな愛情だけでこの子を包もう。そうイシュタルは心を決めた。そのためには、その女は邪魔だった。

 

「死んだ人間は生き返らないと言ったでしょう?」

「でも……わたしの、ゆいいつの……」

「──イシュタル様!」

「……げ、シドゥリじゃない」

 

 もし幼子が言葉を続けていれば母親の体はこの世から完全に消え去っていただろう。しかし闖入者のおかげで冷たさを増したイシュタルの瞳はそちらに逸らされた。

 

「イシュタル様、この騒ぎは何事でっ…………その娘は?」

「あなたたちが見落とし続け、顧みることもなかった王女みたいね」

「な……!?」

 

 シドゥリの目が見開かれる。見知らぬ人間からの視線に怯えた娘がイシュタルにしがみつく手に力を込めたが、安心させるように微笑んだイシュタルがその手を撫でる様子を見てシドゥリはさらに驚いた。

 

「大丈夫、この人間はシドゥリ。神に仕える神官よ。私の愛し子に不敬を働く人間ではないわ」

「しんかん……?」

「ええ。そうよね、シドゥリ?」

「は、はい。イシュタル様の寵児に、いえ、王の娘に失礼な態度でした。申し訳ございません」

 

 頭を下げるシドゥリに幼子が狼狽える。どうしたらいいのか分からないと戸惑う様子を見てイシュタルは代わりにシドゥリに頭を上げるように告げた。

 

「突然大人に頭を下げられて驚いちゃったのね。本来なら傅かれることが当たり前の立場なのに」

「イシュタル様、その方は……」

「今から私の子よ。名前もこれから決める。それじゃあね」

「お、お待ちください! せめて王女の身元の確認を……!」

「そこにいる女が母親らしいわ。それで充分でしょ」

「し、しかし……」

「いしゅたる、さま」

「うん? なぁに?」

 

 おそるおそると幼子がイシュタルとシドゥリの会話に言葉を挟んだ。舌足らずに自分の名を呼ばれた嬉しさで自然と笑顔になってイシュタルが応える。堪らないとばかりに頬に口付ける姿にはさすがのシドゥリも固まった。

 

「まだ、わたしはここにいます」

「……どうして?」

「こまってるから……」

 

 幼子がシドゥリを見てそう告げた。また生母の話題か、と釣り上がりかけていた眦がみるみる緩んでいく。

 

「ああ、可愛い。なんていじらしいの。本当にかわいい子」

 

 愛しさをそのまま言葉にしたような賛辞がイシュタルから発せられていく。そこに嘘も偽りもないことを感じて幼子は照れたように笑い、シドゥリはより頭を混乱させた。

 

「ねえ見てシドゥリ。この愛らしさ。この愛嬌。ウルク、いえメソポタミアの中でもこの子の可愛さに勝てるものは存在しないわ」

「そ、そうですね」

 

 詰まりながらもシドゥリが答える。イシュタルの態度に思うところはあるが王女を可愛いと思ったのは本当だ。

 だからこそ、余計にこの愛らしい王女が表社会に出ていなかったことに疑問が募る。既に息絶えている女性の顔には僅かに見覚えがあるがどこの誰かまではシドゥリにはわからない。いずれにせよ調査は急務だ。シドゥリはイシュタルの機嫌を損ねないようにしながら、同時にどうにか王そっくりの王女の身柄も保護したいと考えた。

 

「……仕方ないわねぇ、貴女の優しさに免じて許してあげる。すぐにまた迎えに来るからね、私の愛しい子」

「イシュタル様……」

「そういうことだからよろしくね、シドゥリ。貴女が面倒を見るように」

「は、はい。では王女、こちらへ……」

 

 イシュタルの気が変わらないうちに、とシドゥリが幼子に手を伸ばす。しかし幼子はその手を怖がるように身を竦ませ、イシュタルのほうへ体を寄せた。その動作にイシュタルの目尻がいよいよ締まりのないものに変わっていく。

 

「そんなにも可愛いことをされたら離したくなくなってしまうわ。このまま連れ去って食べてしまいたいくらい可愛い」

「……こわくない?」

「シドゥリは大丈夫よ。お手本のような神官だもの。よもや私の愛し子を、これ以上不幸にするなんてことは有り得ないわ。そうよね?」

「はい、それはもちろん。王女のご身分に相応しい扱いをさせていただきます」

「ね? 私もすぐ迎えにくるから」

 

 あやすようなイシュタルの優しい声音と微笑を撫でる手付きに幼子も安心したように微笑んだ。イシュタルの腕から降り、自分の脚元に恐々と歩み寄る王女にシドゥリは視線を合わせるために跪く。

 

「御身の安全は私が保証いたします。ご安心ください」

「それじゃあ後はよろしく、シドゥリ。私はこの子を迎えるために神殿を整えておくから、早急に引き渡すようにね」

「……は。急ぎ王に報告いたします」

 

 シドゥリが飛び込んできたことで他にも兵士や侍女が周辺をうろつく気配がする。もはや取り繕えないが、ここであの馬鹿王がやってきても面倒だと思いイシュタルは素直にジグラットから立ち去った。去り際の幼子の不安そうな顔にはかつてないほど胸が締め付けられたが、シドゥリに抱かれながら健気に頭を下げる姿を無下にするわけにもいかない。

 

「またね、私の娘」

 

 そう言い残して急いでマアンナに飛び乗った。行くときとは正反対の心持ちで帰途につきながら、気まぐれな女神はウルク中に聞こえるように声を張り上げた。

 ――ギルガメッシュの娘をよこせ、でなければウルクを破壊する。

 意味が分からず呆然とするウルク民を置き去りにして、イシュタルは湧き上がる喜びを隠そうともせず自らの神殿へと飛び去った。




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