日本が誇る三大企業の一つ『藤堂グループ』の令嬢、藤堂・桜子と見合いをする事になり・・・・。
本日、17代目・葛葉ライドウは、滅茶苦茶不機嫌だった。
旧東京都千代田区永田町にある帝国議事堂。
地下世界へと続く長いエレベーターに乗り込み、憮然とした表情で昇降機の冷たい鉄の壁に背を預ける。
「ねぇ? 今日って何の日か知ってる? 」
主の肩に腰掛けた小さな妖精が、黒い眼帯で左眼を覆った悪魔使いの顔を覗き込んだ。
「4月1日だろ? それがどうかしたのか?」
何を今更?と、訝し気な表情でライドウが応える。
「そうだよ。 どんな嘘でも許される日。」
「どんなって、嘘の程度によるからな? あまりにも悪質な嘘は駄目だ。」
4月1日は”エイプリルフール”と呼ばれ、日本語では直訳で『四月馬鹿』と言われている。
この風習が始まった起源は定かでは無いが、世界各地で様々な嘘にちなんだイベントが行われていた。
「分かっているわよぉ、可愛気があれば良いんでしょ?」
悪質な嘘とそうでないモノぐらい悪魔であるマベルも十分、承知している。
「実は私、世界を支配出来る程、力がある大悪魔なの。」
「ふーん、そりゃ凄い。」
臍を曲げている自分を何とか治してやろうという、マベルの気遣いなのだろう。
仲魔の気配りには感謝するが、不機嫌の元凶が”あの糞野郎”である以上、背中まで曲がった臍が元に戻る事は無い。
「私は幸せを呼ぶ妖精だから、もっと丁重に扱わないと不幸になるわよ。」
「そういえば、天鳥町のショッピングモールで岡野栄仙(おかのえいせん)の店が出ていたな。」
「え? 私あそこの栗羊羹(くりようかん)大好きなの!」
超有名和菓子店の名前が出て、マベルの目の色が瞬く間に変わる。
そんな仲魔の様子に苦笑を浮かべつつ、帰りに必ず和菓子店に寄る事を約束した。
二人が『八咫烏』を取り仕切る長の元へと辿り着くと、寝殿の主である骸が既に出迎えていた。
西の対にある豪奢な母屋。
高級ブランドのスーツを着た眼帯の少年が、骸の向かい側へと胡坐をかいて座る。
「忙しいところ急に呼び出し、申し訳ないな。」
「全くだ・・・・少しはコッチの事情も察して欲しいぜ。」
建前上、正装して寝殿へと訪れたが、正直顔すらも見たくは無かった。
一分一秒でも早く、八王子の本社に還りたい。
「早速だが、お前に合わせたいご婦人がいる。」
不機嫌を隠しもしない悪魔使いに苦笑を浮かべつつ、骸は出入り口に待機している侍女に客人を招き入れる様にと合図を送る。
豪奢な襖が開かれ、中から10代後半辺りの黒を基調とした着物を着る美少女が姿を現した。
「藤堂財閥のご令嬢様だ・・・・。」
「藤堂・桜子と申します。」
濡れ羽色の長い黒髪を頭頂部で結い上げ、金の簪を刺す少女は、恭しくライドウへと頭を垂れる。
藤堂財閥とは、藤原道長の直系の血筋に当たる子孫である。
酒屋から端を発し、自動車産業や食品、医療分野にまで幅広く活躍している巨大企業だ。
三大企業の一つであるH・E・C( Human Electr Company) のCEOであるライドウも彼女の父親や祖父とは、会食を幾度も重ねていた。
「2月に行われた祈年祭で、お前の事を見初めたらしい。明日行われる”桜の会”にお前と一緒に出席したいそうだ。」
何の感情すら伺えぬ真紅の双眸が、頬を微かに赤くして俯く美少女を眺める。
藤堂・桜子は、今年で19歳になる。
帝都大学の経済学研究科に在籍しており、真面目で非常に優秀との事であった。
「つまり・・・これってお見合いって事?」
骸の傍らへと移動したマベルが、小声で囁く。
「体よく表現するならば、そうなるかな? まぁ、血筋云々の件に関しては申し分ない相手だ。」
「・・・・それ、本気で言ってる?」
「勿論、何か問題でもあるのか?」
質問を質問で返され、マベルはそれ以上何も返せず、押し黙る。
外見は桜子と大差ない様に見えるが、ライドウの実年齢は48歳だ。
桜子の父、道隆とそれ程変わらない上に、明とハルという二人の子供までいる。
未だ成人も迎えていない桜子が、50間近い男の後妻に本気でなろうと考えているのか?
「あのさ・・・・今日が4月1日だって知っているよね?」
「そうだが何か?」
「大掛かりな嘘って訳じゃないよね?」
「・・・・・妖精王殿、私は貴女と違って下等な人間共の祀り事に興味は無い。」
もうこれ以上、マベルと会話をする気が無いのか、骸は坐していた玉座から立ち上がり、豪奢な襖を開ける。
「後は卿等に任せる。 そういえば紀尾井町の枝垂桜が満開らしい。気晴らしに出掛けてみると良い。」
それだけ二人に伝え、ぴしゃりと襖を閉めてしまう。
後に残されるライドウと桜子。
終始無言な二人に、小さな妖精は肩を竦めた。
数分後、二人は骸の計らいで、カフェテラスへと訪れていた。
「こんなに見事な枝垂桜を見たのは、生まれて初めてです。」
それまで無言だった桜子が、漸く口を開いた。
人形の如く整った容姿には、上品な薄化粧を施している。
見る者をハッとさせる美しさを、真向かいに座る少女は持っていた。
「不思議・・・・土壌は瘴気で汚染され、都心から離れた樹々は枯れているというのに。」
「天照大御神様のお陰です。あの御方が張り巡らした結界内では、上位悪魔ですらも入り込めません。」
”第二次関東大震災”後、日本の復興作業はかなり進み、避難民も少しずつではあるが戻り始めている。
しかし、旧東京は未だに閉鎖状態であり、一部の人間しか入る事が赦されないでいた。
「一見、悪魔が出現しない安全地帯に思われますが、それは大きな勘違いです。この土地は現世と幽世(かくりょ)の境界線、貴女の様な人が来るべき場所ではない。」
「・・・・・・。」
ライドウに己の短慮を指摘され、桜子は用意されたコーヒーのカップへと視線を落とす。
手つかずのコーヒーには、桜子の美しい容姿が映っていた。
確かに悪魔使いが指摘する通り、数名の護衛を従えているとはいえ、年頃の娘が来るべきではない。
永田町から少し離れた場所では、未だに上位悪魔が出現し、一般市民を餌食にしている。
「浅はかな行いである事は、重々承知しております・・・・でも、私はどうしても貴方にお会いしたかった。」
「・・・・・。」
「祖父を・・・・頼孝翁(よりたかおう)を安心させたかったのです。」
ポツリポツリとではあるが、桜子は帝国議事堂へと訪れた理由を語り始めた。
藤堂グループは、一族系列の巨大企業だ。
優秀な血統を何人も輩出し、政財界にも進出している。
現に、桜子の実兄は中央官庁で働く国家公務員だ。
桜子自身も帝都大を卒業すれば、家業を継ぐか兄と同じ官僚の道を歩むだろう。
「祖父の余命は半年と医師に宣告されております・・・・兄は既に結婚し、来月辺りでは子供も生まれるそうです。」
6歳離れた実兄は、既に所帯を持っており、義理姉のお腹の中には子供がいるのだという。
何不自由ない裕福な家庭ではあるが、末娘である桜子にとっては針の筵(むしろ)と同じであった。
優秀な兄と比較される出来の悪い妹。
祖父、頼孝翁に甘やかされ、好き放題している放蕩娘。
周囲の人間達から、桜子は常に嫉妬と羨望の眼差しを向けられ、時には身内から心無い言葉を浴びせられた。
「私の噂は、当然、貴女の耳にも届いていますよね?」
頬を染め、必死に言葉を選ぶ桜子に対し、ライドウは何処までも冷淡だった。
世間知らずな娘に教え諭し、愚かな考えを改めさせるつもりでいた。
「H・E・C社のCEOと肩書だけは立派ですが、実際会社を動かしているのは”クズノハ”です。私は、名前を貸しているだけの人でなしだ。」
「・・・・・。」
「周囲の噂は概ね真実です。 私の傍にいれば貴女の将来に傷がつく。」
桜子が何故、自分の後妻に納まりたいかその理由は大体察しがついた。
死を目前としている愛する祖父に、巨大企業のCEOを勤めるライドウと添い遂げ安心させたいのだ。
しかし、その考えは余りにも愚かだ。
何故なら、自分は人間ではない。
上位悪魔と融合し、人間の理(ことわり)からかなり離れた異形の存在へと成り果てている。
そんな化け物の花嫁になって、実父の道隆や祖父が納得する道理が無い。
「貴方は、随分とご自分を過小評価されているのですね。」
返って来た言葉は、予想に反し、かなり力が強かった。
芯の強い毅然とした態度で、真向かいに座るライドウを見据えている。
「父や周囲の人間達から、貴方の噂は聞いております。聞くに堪えない誹謗中傷ばかりですが、私や祖父は違います。」
「・・・・・。」
「貴方は、この日ノ本の国を魔物達から命懸けで護っている・・・・祖父は、貴方を本物の侍(さむらい)と評しております。」
そこに裕福層のご令嬢という浮ついた感情は、微塵たりとて無かった。
ライドウも、その傍らにいる小さな妖精も黙って、桜子の言葉を聞いている。
「だからこそ・・・・貴方にお願いしたいのです・・・一日だけ、私の”夫”になって祖父を安心させて下さい。」
「・・・・つまり、仮初の夫婦を演じろと?」
「はい・・・愚かな行いである事は承知しております。 こんな大それた事、貴方にお願いするのは筋違いだと・・・でも、私が御爺様にしてあげられる事はこれぐらいしかないのです。」
血を吐く様な想いを吐露し、桜子は再び押し黙る。
本当に馬鹿げた事だ。
そんなつまらぬ茶番に、一度も関りが無いライドウを引きずり込もうとしている。
断られるのは、百も承知。
しかし、自分には、死出の旅に出ようとしている祖父を安心させるには、これしか他に方法が無かった。
「ライドウ、この子が言っている事は全部本当だよ・・・・。」
精神感応力に優れたマベルが、真向かいに座る少女の心を読んで、主へと伝える。
藤堂家において桜子は、鬼子として無体な扱いを受けて来た。
優秀な兄と常に比較され、実父や実母からも無視され続けて来た。
彼等の目に映るのは、文武両道に優れた実兄だけであり、その妹は付属物。
藤堂家に吊り合う良家へと嫁ぎ、子を残す以外他に使い道が無い道具だった。
その日、ダンテは兎に角不機嫌だった。
仏頂面で、紀尾井町の弁慶濠沿いを歩いている。
見事に満開な枝垂桜が咲き誇っているが、悪魔狩人の視界には『唯の花』とでしか認識出来なかった。
「好い加減に機嫌を治したら? そんな顔されて隣を歩かれるとコッチまで気が滅入るんだけど。」
葛葉四家当主が一人、16代目・葛葉忍は呆れた様子で溜息を零す。
こうやって二人で外出するのは、別段珍しい事ではない。
別に隠すつもりなど毛頭無いのだが、二人は男女の関係にあった。
ダンテが17代目・葛葉ライドウの仮番として日本に来てから一年弱。
頼まれごとを済ませる為に、成城にある葛葉邸を忍が訪れた際に、ダンテと知り合い、”後腐れが無い関係”として、付き合う様になった。
「全く、まさか本当に”例のサンプル”を貴方が使うとは思わなかったわ。」
「うるせぇ、これ見よがしに俺に自白剤を見せたのは、てめぇだろうが。」
立ち止まり、数歩離れた位置に立つ忍を睨み付ける。
その右頬には、痛々しい青あざがくっきりと残っていた。
昨日の朝、パートナーであるライドウに殴られた跡だった。
「あら? 私のせいにするの?」
「・・・・・。」
諜報部から『サンプル』として自白剤を引き取ったのは事実だ。
一週間程前、忍の仕事場兼プライベートルームにダンテが遊びに来た。
何時も通りの逢瀬の後、作業机の上に置かれた薬瓶を男が見つけた。
「何の薬だ?」
と問い掛けられたから、”クズノハ”の諜報部からサンプルとして手に入れた『自白剤』だと素直に応えた。
どんなに薬に耐性がある捕虜でも、使用すれば大人しい子猫になる。
しかし、激しい感情失禁を起こし、精神錯乱状態にしてしまう為、とても実戦で使用する事が出来なかった。
オマケにコストが高く、思う様に量産出来ない為、泣く泣く廃棄処分にされるのだという。
「私の大事なコレクションを貴方が勝手に持ち去り、挙句、自分の主に使用した。」
「・・・・・。」
「私は、貴方に薬を見せただけ・・・その私の何処に非があるのかしら?」
まるで猫が鼠を痛ぶる様に、忍がダンテを言葉の棘で突き刺す。
この男が、主であるライドウと上手くいっていないのは知っている。
ライドウに異常なまでの執着心を示し、レッドグレイブ市にある便利屋事務所を一時休業して、遠い日本という小さな島国まで追い掛けて来た。
これでやっと、悪魔使いを独占出来ると思っていたが、現実はダンテが考えている程、甘くは無い。
日本に帰国後、ライドウはすぐに”壁内調査”に向かってしまい、自分は壁から漏れ出る瘴気に引き寄せられた下級悪魔の駆除を命じられた。
長い壁内調査から戻れば、本社と永田町の往復が幾度も続き、すれ違いの日々が繰り返される。
否が応でも溜まるフラストレーション。
漸くライドウを独占しても、衣服の下から覗く情事の痕に、嫉妬の炎が燃え上がった。
「最悪な女だな? お前。」
「酷い言い方ね、折角、花見に誘ってあげたのに。」
忍は、ダンテの非番を見つけて、一般人は立ち入り禁止とされている永田町へと誘った。
葛葉四家当主の特権だ。
この旧東京は、天津神の領域と認定され、至極一部の関係者しか足を踏み入れる事が赦されない。
「そんなに大事なら、どうして傷つける真似をするの? 薬を使わなくても17代目は、貴方を拒絶しないでしょ?」
「・・・・・。」
忍に痛い処を突かれ、ダンテは憮然とした表情で押し黙る。
女医の言う通り、ライドウは決してダンテを見捨てない。
どんな不条理な目に合わせれても、必ず最後は赦してしまう。
ライドウの優しさに付け込み、無体な働きをする自分は、どうしようもないクズ野郎だ。
「あら? あそこにいるのって17代目じゃない?」
忍が、弁慶濠沿いにあるカフェテラスに、ライドウらしき姿を見つけた。
上品なオープンテラスに、ライドウと見知らぬ女性が向き合って座っている。
その少し離れた椅子席に、一目で護衛と分かる鍛え上げられた体躯を持つ黒服の男達数名が、周囲を警戒していた。
「向かい側に座っている女性って、確か藤堂グループの・・・・。」
ご令嬢・・・と言い掛けた忍を遮り、怒りのオーラを漂わせたダンテが二人の所へと歩いて行ってしまう。
血の雨が降るのは確実。
忍は、己の不運に思わず天を仰いでしまった。
「分かりました・・・・それで頼孝翁(よりたかおう)が納得するなら・・・・。」
「ライドウ・・・様。」
予想もしていなかった言葉に、桜子は弾かれた様に顔を上げる。
断られると半ば諦めていた。
頭の悪い小娘の戯言だと、軽蔑されると覚悟していた。
しかし、結果は、余りにも予想外だった。
ライドウは、桜子の願いを真摯に受け止め、応えてくれている。
思わず涙が零れそうになって、桜子は慌てて目尻を手で抑えた。
「いよぉ、アンタも花見か?爺さん。」
ほんのりと甘い雰囲気を漂わせる二人の仲を、不埒な第三者が引き裂いた。
見ると護衛数名に囲まれた形で、見事な銀髪の大男が、此方を眺めている。
「ちょっと、何でダンテの奴が此処にいるのよ?」
此処は、一般人は完全に立ち入り禁止をされている『危険区域』だ。
表向きは、復興作業中であり、至極一部の政府官僚以外、入り込む事は赦されないでいる。
「御免なさぁい、お邪魔しちゃったかしら?」
緊張感が漂う周囲の空気を、一人の女医が無理矢理割って入った。
葛葉四家当主が一人、16代目・葛葉忍だった。
「16代目・・・・貴女の仕業か?」
「ええ、貴方一筋の大型犬が、臍を曲げて屋敷で鳴いてるから、気晴らしに連れて来たの。」
業とらしく忍が、ダンテの逞しい腕に撓垂掛(しなだれかか)る。
豊満な女医の胸に腕を挟まれ、悪魔狩人の口元がへの字に曲がった。
「誰が大型犬だ。」
忌々し気に舌打ちし、ダンテが乱暴に女医の腕を振り解く。
そんな無礼極まりない男の様子に、忍は呆れた様子で肩を竦めた。
「八王子の本社で大事な会議の真っ最中じゃなかったのかよ?」
普段、冷静で感情を露わにしないダンテにしては、珍しく語気が粗い。
それだけ、怒りの感情を抑え込む事が出来ないのだ。
裏切られたと思う。
自分は、主の命令に従い、一般市民に害をなす下級悪魔を討伐し、周囲の人間達と打ち解けようと努力している。
快楽主義者で自堕落な生活を送っていたこの自分が、である。
「・・・・・悪いが、お前に説明する気はない。」
ダンテに桜子の素性を明かすつもりは毛頭なかった。
突然の出来事に戸惑う桜子を優しく促し、肩を抱いてカフェテラスから出て行こうとする。
「待てよ!爺!! 」
護衛の男達を押し退け、憎い悪魔使いを追い掛け様としたその時だった。
それまで黙って事の成り行きを眺めていた忍が、ダンテの腕を捩じり上げ、意図も容易く地面へと捻じ伏せてしまう。
「何しやがる!」
全くびくともしない。
この細腕の何処にそんな力があるのか、常人よりも遥かに優れた膂力を持つ自分が、抑え込まれている。
「死にたく無かったら、大人しくしていなさい。ワンちゃん。」
自分よりも二回り以上デカイ図体をした男を捻じ伏せ、忍が怪しく微笑む。
その双眸は、氷の如く冷たく、ダンテは本能的に寒気を覚えた。
オープンテラスでの一件後、ライドウは元永田町駅へと向かった。
駅のすぐ近くには、黒塗りの大型高級車が停車している。
桜子の迎えの車であった。
「すみません。貴女に嫌な想いをさせてしまいました。」
カフェテラスで起こった番の暴挙を素直に詫びる。
勝手に部外者を天津神の領域に招いた16代目・葛葉忍の落ち度ではあるが、ダンテを仮番として日本に連れて来たのは自分だ。
藤堂グループのご令嬢を怯えさせた罪は、己自身にもある。
そんな悪魔使いに対し、桜子は微かな微笑を口元に刻んだ。
「いいえ、非礼は私にあります。17代目には感謝こそすれ、恨むなど言語道断です。」
桜子の笑顔は、その名前の通りに満開の桜の如く麗しくかつ愛らしかった。
ライドウに対し、深々と礼儀正しく頭を下げ、黒塗りの高級車へと乗り込む。
窓越しにライドウを見上げる桜子の視線は、何かを言いたげだった。
「本当に良い娘よねぇ・・・・あれこそが大和撫子って感じだわ。」
走り去る車の後姿を見送り、主の肩に座った小さい妖精がぽつりと呟く。
マベルの言う通り、藤堂グループのご令嬢は何処も擦れた所が無かった。
裕福層特有の傲慢な態度がまるで無く、親しみ易い心根が優しい性格をしている。
「ところでさぁ、本気で仮面夫婦をやるつもりなの?」
「勿論、一度引き受けたんだから、最後まで彼女に付き合うつもりだ。」
「ふーん、でもさぁ、一番知られたくない奴に見られちゃったよねぇ。」
見られたくない奴とは、恐らくダンテの事だろう。
何処から手に入れたのかは知らないが、催淫効果が高い自白剤を主に飲ませ、好き放題に蹂躙したのだ。
翌日、右頬を思いっきり殴り飛ばし、溜飲を下げたつもりではいるが、あの時の怒りと屈辱は未だに腹腔内に残っている。
「状況を説明しても、あの馬鹿が素直に納得するとは思えないけど?」
マベルの言う通りだ。
例え、仮初の夫婦を演じると説明したところで、ダンテが納得し、引き下がるとは到底思えない。
主人である悪魔使いに、異常なまでの執着心を抱いているのだ。
明日、紀尾井町の高級ホテルで行われる『桜の会』に乗り込んで来るのは明白だ。
「納得させるしかない。それでも邪魔をする様なら、番契約を破棄してレッドグレイブ市に送り返すしかないな。」
懇切丁寧に説明する気は全く無いが、仮番の立場を分からせる必要はある。
昨日の様な暴挙を赦せば、今後任務にも支障が出て来る。
(こりゃ、確実に血の雨が降るわね。)
そんな主の横顔を眺めながら、マベルは内心深い溜息を吐き出していた。
翌日、東京・白金台にある八甫園(はっぽうえん)。
約1万坪もの広大な庭園を誇る超高級ホテルでは、通例となっている『桜の会』が行われていた。
日本の政財界や著名人、果ては各国の大企業の重鎮まで招かれ、各地で取り寄せた料理や酒に舌鼓を打っている。
その中に、最高級の振袖を着た桜子がいた。
真向かいに座る実父・道隆が、上質な背広に身を包み、不出来な娘を睨みつけている。
隣に座る実母が、困った様子で夫と娘を交互に眺めていた。
「本気で、あの”化け物”がお前を相手にすると思っているのか?桜子。」
「・・・・・。」
「まぁ、相手は曲がりなりにも”クズノハ”の幹部だからな。宗家に嫁げば、我々藤堂家も安泰だ・・・。」
大分、皮肉混じりな言葉で実娘を嬲ってはいるが、本心では我が子の事が心配でならなかった。
桜子は、典型的な箱入り娘。
一体どうやってアンダーグラウンドに身を置く人物と知り合ったか定かではないが、娘が不幸になるのは火を見るより明らかだ。
「貴方、周りには”クズノハ”の関係者もいるんですよ? 少し口を慎んだ方が・・・。」
「ふん、聞かれたところでどうという事も無いだろ? 奴は”暗殺者”上がりの人でなしだ。」
17代目・葛葉ライドウが、超国家機関『クズノハ』暗部・八咫烏に所属していた事は、周知の事実である。
蘆屋道満大内鑑の血筋から大きく外れ、”八咫烏”で成り上がって来た人物だ。
葛葉四家当主が一人、16代目・ライドウに実力を買われ、婿入りし、今の権力を手に入れる事が出来た。
当然、敵も多く、組織内でも鼻つまみ者として扱われている。
「お父様、あの方は”人でなし”ではありません。」
悪し様に侮辱する父に、普段は大人しい桜子が珍しく声を荒げた。
意志の強い双眸で、真向かいに座る実父を睨みつけている。
「あの方は、我々人間を護る守り人です。」
「その通り、口を慎め、道隆。」
不穏な空気を孕む親子の間を、呑気な老人の声が遮った。
見ると車椅子に座った80代後半辺りの老人が、従者を従え此方に近づいて来る。
藤堂家現当主・道隆の実父、頼孝翁だった。
「ほう、これはこれは随分と手の込んだ嫌がらせですなぁ。」
頼孝翁が座る車椅子を押す人物に、道隆が皮肉な笑みを向ける。
従者の正体は、礼服に身を包む17代目・葛葉ライドウだった。
鉄の手甲と具足を身に着け、腰には合体剣『七星村正』を帯刀している。
真紅の呪術帯で、口元と左眼を覆っていた。
「相変わらず傲慢な物言いだな?道隆、ワシは礼儀知らずな息子に育てた覚えはないぞ?」
「ふん、昔の貴方と比べたら、私などまだ可愛い方です。」
道隆はそれだけ吐き捨てると、妻を促し立ち上がる。
これ以上、頼孝と話をするつもりは無かった。
何か言いたげな妻を引き連れ、友人達が談笑している輪の中へと入って行ってしまう。
後に残される三人。
「悪く思わんでくれ、愚息は桜子を心配しているのだ。」
決して、此方を振り返らない息子の後姿を眺め、頼孝は深い溜息を零す。
現役当時の頼孝は、政財界では悪童として知られていた。
大変優秀な経営手腕を持つが、厚顔不遜で他者を蹴落とし、藤堂グループを世界有数の大企業へと成長させた。
当然、家庭など顧みない。
妻を罵倒し、実子にはスパルタ的な教育を施した。
特に末息子の道隆には、辛く当たった。
常に優秀な兄や姉と比較し、学業の成果が著しくないと、容赦なく竹刀で殴り飛ばした。
父と子の溝は広がり、今や修復不可能な程、壊れている。
場の空気が悪くなった為、三人は気晴らしにと、庭園を散策する事にした。
「それで、17代目殿は、孫のどこら辺がお気に召したのかな?」
広大な敷地面積を誇る日本庭園。
見事な桜の樹々が咲き誇る中、橋を渡る頼孝翁が、自分の車椅子を押す悪魔使いに悪戯っぽい微笑を浮かべる。
「純粋に彼女の強さに惹かれました。」
唯一覗く右の隻眼で見つめられ、隣を歩く桜子が頬を桃色に染める。
「きっと桜子さんなら、弱い私を正しい道へと引っ張ってくれると確信しております。」
「ら・・・・ライドウ様。」
ライドウの熱い眼差しに、桜子は顔を真っ赤にしてしまう。
これは、祖父を安心させる為の芝居だ。
超国家機関『クズノハ』幹部である葛葉四家当主の一人と結ばれれば、祖父も納得してくれる。
「確かに・・・孫は、死んだワシの正妻に性格が良く似ている。」
頼孝翁が、右隣に立つ孫娘を見上げる。
頼孝が何故、これ程までに孫娘を気に掛ける理由は、そこにあった。
政財界の悪童として、暴れ回っていた当時、頼孝は外に愛人を幾人も作り妻を苦しませた。
現役を退き、歳を重ねた今、妻を苦しませた自分自身に死ぬ程後悔している。
第二次関東大震災で、子供達を殆ど失い、唯一残った末息子とは、ほぼ絶縁状態。
それでも、藤堂の名を継いでくれたのは、亡き妻に対する愛情が残っていた故。
出来うる事ならば、あの当時の自分へと戻り、親子の関係をやり直したい。
そんな忘れ去りたい過去を想い出している時であった。
少し離れた『桜の会』会場から、悲鳴が上がる。
豪奢な食材や酒類等が並ぶテーブル。
政財界や芸能界等で、名だたる多くの著名人達が思い思いに『桜の会』を楽しむ中、その惨劇は起こった。
空中から、幾つもの魔法陣が展開され、中から下級悪魔の群体が姿を現す。
”ムシラ”と呼ばれる成人した人間サイズの猿達が、次々と実体化し、会場にいる人間達へと襲い掛かった。
常に腹を空かせ、マグネタイトを欲しがる彼等にとって、会場で食事や会話を楽しんでいる人間達は、またとない馳走と映っただろう。
口から涎を垂らし、牙を剝き出しにして、人間達に喰らい尽く。
刹那、会場内に轟く銃声。
鈍色のクナイが飛来し、ムシラの一体の額を穿つ。
「全く、楽な仕事でラッキーって思っていたのに。」
「そうか? 俺は退屈で死にそうだったぜ。」
忍び装束を纏う赤毛の青年が大袈裟な溜息を吐き出すその傍らで、二丁の大型ハンドガン、”エボニー&アイボリー”を構える銀髪の大男が、口元に皮肉な笑みを刻む。
”桜の会”の護衛役を任された、ダンテと猿飛・佐助であった。
それぞれ得物を手に、下級悪魔の群れを薙ぎ払っていく。
「まずはコイツ等を召喚した術師を探さないとな。」
「同感、次から次に呼び出されちゃ堪らないからね。」
いくら一騎当千の実力者である二人でも、次から次へと召喚され、数を増やす下級悪魔の群れ相手には、流石に骨が折れる。
会場に配置されている護衛達が、銃火器で応戦するが、来賓客達を安全な場所に誘導するので精一杯だった。
邪魔な護衛達を排除しようと、ムシラ数体が凶悪な牙と鋭い爪を剥き出しにして襲い掛かる。
そんな下級悪魔の群れが突然爆散した。
何者かが、火炎系中位魔法”マハラギオン”を唱えたのだ。
高速で跳ぶ火炎の弾丸は、ムシラの群れを蹂躙し、瞬く間にその数を減らした。
「此処は、我々に任せて彼等をシェルターに!」
「は、はい!」
突然、護衛達の目の前に降り立つ白い影。
礼服に身を包んだ17代目・葛葉ライドウだった。
突然、現れた助っ人に面喰うも、そこはやはりプロ。
すぐさま状況を判断し、無駄のない動きで来賓客達をホテルのシェルターへと案内する。
「おいおい、勝手に人の仕事を取るなよ?爺さん。」
背後から襲い掛かるムシラの頭を大型ハンドガンで吹き飛ばし、ダンテが何時もの軽口を叩く。
「無駄口を叩いている暇があるなら、手を動かせ。」
腰に吊るしてあるガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出す。
蝶の羽の如くパネルが展開し、慣れた手付きでキーボードに何桁か打ち込んだ。
空中から魔法陣が描かれ、小さな妖精・ハイピクシーが実体化する。
「マベル、コイツ等を召喚した術師を見つけ出せるか? 」
「任せて。」
主の命令に、小さな妖精は得意気に応えると、レーダーの如く精神波を張り巡らせる。
直ぐに術師の所在を掴み取り、会場の一区画を指差した。
「あの眼鏡を灰色の背広を着たオッサンよ!」
数多くいる来賓客の中から、一人の恰幅が良い50代ぐらいの男性を指差す。
正体がバレた術師は、顔面が見る見るうちに蒼白となり、覚悟を決めたのか、懐からやや反り返ったナイフを懐から取り出した。
少し離れた位置で、警備員に誘導を受けている頼孝と桜子へとナイフを翳して襲い掛かった。
「我が神、バクナワの裁きを受けるが良い! 」
突然の出来事に対処が遅れる警備兵達。
祖父の車椅子を押す孫娘の顔が、恐怖で固まった。
死を覚悟する頼孝翁。
だが、想像していた苦痛は全く感じる事は無かった。
末息子である道隆が、実父の前に躍り出ると、両腕で振り下ろされる凶刃から護ったのだ。
右腕に深々とナイフが柄の辺りまで埋まる。
「お父さん! 」
完全に血の気を失った桜子が、悲鳴を上げる。
その声で、漸く正気に戻ったのか、警備兵数名が召喚術師を取り押さえた。
道隆から賊を無理矢理引き剥がし、地面へと叩きつける。
それと同じくして倒れる道隆。
刺された腕を中心に、瞬く間に肌がどす黒く変色していく。
「ヒュドラの毒か? マベル! 」
「了解! 」
術師を失い、次々と下級悪魔の群れが塵へと還る。
その合間を縫って、ライドウと仲魔である妖精が桜子と妻に抱きかかえられる道隆の元へと駆け付けた。
直ぐに回復魔法と解毒魔法の応急措置が始まる。
「み、道隆・・・・何故、ワシを庇った?」
普段は、冷静で厚顔不遜な態度を崩さない頼孝翁が、この時ばかりは狼狽えていた。
末息子に憎まれているとばかり思い込んでいたからである。
「か・・・勘違いしないで下さい・・・私はあくまで会社の為に貴方を護ったんだ・・・。」
例え家族に対しては暴君であろうとも、藤堂グループにとっては、大事な象徴。
今、此処で頼孝翁に倒れられてしまっては、財団全体に多大なる影響を及ぼす。
冷徹な経営者としてそう判断した道隆は、我が身を犠牲に実父を護るという選択を選んだ。
そこまで告げて、道隆は気を失う。
佐助の機転で、庭園に救命士達が到着。
直ぐに担架に乗せられ、ホテル近辺にある救命救急センターへと運ばれた。
数時間後、天鳥町にある産婦人科病院。
”桜の会”に参加し、賊の襲撃を受け、猛毒の刃に腕を貫かれた道隆は、16代目・葛葉忍の的確な治療を受け、一命を取り留めた。
「貴方の迅速な対応のお陰ね。」
白衣を着る美しい女医が、待合の椅子に座る悪魔使いを見下ろした。
今回の事件の首謀者は、反移民運動で家族を受け入れて貰えず、その結果、自国で起こった大規模なテロに家族が巻き込まれ死亡した事による逆恨みであった。
第二次関東大震災による未曽有の災害が起こってから十数年。
日本国民の半分以下を失った政府は、「経済移民」を多く受け入れ、復興作業に勤しんだ。
しかし、「経済移民」だけではなくテロや戦争等で住処を追われた難民達が、違法に入国。
日本の治安は、一気に悪くなった。
事態を重く見た日本政府は、これ以上移民を受け入れない事を告げ、『大和人権保護法』を発令。
結果、純日本人と移民達の間に絶対的格差が生まれ、彼等の生活基準は瞬く間に悪くなった。
その悪法を指示したのが、藤堂グループの総帥、藤堂頼孝翁その人だったのである。
「道隆氏の容態は?」
「大丈夫、でも暫く右半身に麻痺が残るでしょうから、後はリハビリ次第ね。」
ヒュドラの毒は、強力だ。
ほんの少しのかすり傷でも、致命傷に至る事がある。
道隆氏が助かったのは、仲魔のマベルとライドウのお陰と言えた。
「兄さん?」
院内の待合室が少しだけ騒がしくなった。
見ると20代後半辺りの背広姿の青年が、血の気が引いた青い顔で、桜子達の方へと近づいて来る。
藤堂家の長男、充(みつる)であった。
実妹の傍に、車椅子に座る70代後半の老人を見つけ、鬼の形相へと変わる。
胸倉を掴み上げ、自分の目線の高さへと引き上げた。
「何処まで、俺達家族を苦しめれば気が済むんだ!」
「止めてよ!兄さん! 」
「充!御爺様を離しなさい!」
実母と妹が、兄の暴挙を必死で止める。
ライドウも忍もそのあまりな出来事に、対処が遅れた。
「アンタのせいだ!アンタさえ、俺達家族の前に現れなければ!」
双眸に涙の雫を貯め、充が頼孝翁を激しく揺さぶる。
「充!好い加減にしなさい! 」
実母の毅然とした声に、怒りで我を忘れていた長兄が漸く正気に戻った。
悔し気に顔を歪め、掴んでいた胸倉から手を離す。
孫の暴挙から逃れた頼孝翁は、再び車椅子へと座り直した。
「お父さんは、大丈夫だから・・・・あそこで詳しい話をしましょう。」
項垂れる息子を促し、実母が待合の隅にあるラウンジへと連れて行く。
暫しの沈黙。
桜子が、頭を抱える祖父の手を優しく握る。
「あらあら、何やら問題がありそうね?」
女医の口元が皮肉な笑みへと歪んだ。
普段は、患者に寄り添い看護師達にも、誠実な対応をする女医であるが、内面は嗜虐思考が強く、人が苦しむ様子を眺めて楽しむ歪んだ性質を持っている。
精神感応力が優れているマベルは、忍のそんな本質を見抜いており、普段はあまり関わろうとはしていなかった。
待合室の出来事から数分後。
長兄を実母に任せた桜子は、八王子にある本社ビルへと向かう祖父を産婦人科病院の玄関口まで送り届けていた。
今回、起こった事件を実父に代わって祖父が重役達に説明する為である。
長兄に責められ、流石の政界の悪童もかなり憔悴していた。
集中治療室から医院の玄関口まで降り、迎えに来た部下達に車へと乗せられるまで終始無言のままだった。
「御爺様を悪い人間だと思いますか?」
「・・・・・。」
走り去る黒塗りの高級車を見送り、桜子が傍らに立つライドウへと問い掛ける。
「何度か頼孝翁の護衛の仕事を任された事があります・・・・かなり強引なやり方で事業を拡げていた為か、敵もそれなりに多かった。」
藤堂グループの総帥とは、17代目の名を継ぐ以前からの付き合いだ。
16代目から当主の座を引き継いだ後は、表の仕事で幾度か顔を合わせる程度で、それ以上踏み込む事は無かった。
「少し、散歩でもしましょう。」
此処で会話をしていたら、気が滅入りそうだった。
不図、視線が駐車場の一区画に向けられる。
そこには、一台の大型バイクが停車しており、座席に見事な銀色の髪をした大男が寄りかかっていた。
仮番の契約をしているダンテだった。
事後処理を相棒の猿飛・佐助に押し付け、主がいる天鳥町の産婦人科病院にやって来たのだ。
レザージャケットとビンテージのジーンズを履く銀髪の魔狩人は、腕組みして此方の様子を眺めていた。
ライドウは、内心溜息を零すと、桜子を院内にある中庭へと案内する。
忍から何処まで聞いているかは知らないが、ライドウと桜子の仲を邪魔するつもりは無いらしい。
広い中庭には桜の木が植えられ、見事な花を咲かせていた。
白雪の様に舞い散る桜の花びらを暫く眺めていた藤堂財閥の令嬢は、ポツリポツリと身の上話を始めた。
祖父、頼孝とほぼ絶縁状態となった父、道隆は、名古屋の商社で働く事になった。
名古屋は、祖母の生まれてあり、そこに実家の和菓子店があった。
営業成績をどんどん上げて行った道隆は、会社でそれなりの地位につき、順風満帆な生活を送っていたが、和菓子店を経営していた叔父が病で倒れてしまう。
これが、道隆の分岐点となった。
叔父夫婦には子供がおらず、古くから続く和菓子店を閉める訳にもいかない。
叔父には色々と生活面で支えて貰った恩がある為、道隆は会社を退職し、経営者として和菓子店を継ぐ事になった。
慣れない仕事に四苦八苦したが、店で働く職人達と打ち解け、持ち前の営業技術を生かし、店を大きくする事が出来た。
あの当時は、本当に幸せだった。
苦しくて辛い時期もあったが、笑顔が絶える事は決して無かった。
しかし、今から11年前に起こった震災が全てを奪った。
幸い、桜子達が住む名古屋には影響が無かったが、祖父、頼孝の親族が犠牲となった。
次期当主と目された長兄が、東京の本社ビルの倒壊に巻き込まれ死亡。
地割れから発生した瘴気を浴びた残りの家族が、病を発症し、次々に死んでいった。
頼孝翁は、持ち前の強運故か、海外に出張していた為、難を逃れたが、子供達の死に深い絶望を味わう事となる。
頼孝の血筋を引く後継者は、絶縁状態の道隆、只一人となった。
「ライドウ様が仰る通り、祖父は傲慢で無慈悲な一面があります。父の時もそうでした。」
頼孝は、絶縁状態の道隆を呼び寄せる為に、あらゆる手段を使った。
営業を妨害し、SNSで事実無根な噂を流し、売り上げにまで影響を出す様にした。
このままでは、大事な店を手放す事になる。
従業員や職人達を護る為に、道隆は実父の要求を呑むしかなかった。
「父は祖父に、私達の将来は自由に決めさせる事を条件に、藤堂グループの社長に就任しました。」
我が子に自分と同じ、悲惨な想いをさせたくない。
特に、長男の充はモノ造りに強い関心を持っていた。
幼い時から、職人達の仕事を間近で見て、何時か世界に日本の誇る和菓子を広めたいと夢を抱く様になっていた。
そんな息子の申し出を頼孝は一笑に伏すと、『孫娘を差し出せ』と言って来た。
長男の充は諦めるが、娘の桜子は藤堂グループを存続させる為に必要だ。
お前の事だから、甘やかすだけ甘やかして育てただろう。
此方で厳しく躾けてやるから、娘の桜子を寄越せ・・・というのが、頼孝の言い分だった。
「最初はとても怖かったです・・・でも、御爺様に嫌われたら家族に迷惑が掛かる・・・。」
精一杯の勇気を振り絞って、桜子は頼孝の元へと向かった。
祖父の命令通り、屋敷で働く侍女達に混じってかいがいしく世話をした。
早朝、起きると侍女達の仕事を手伝い、頼孝の私室に朝食を運んだ。
礼儀作法等を習い、学業に専念した。
だが、どんなに頑張っても必ず限界は来る。
東京での生活は、名古屋の片田舎で暮らしていた桜子には全く合わなかった。
一番辛かったのは、学校だった。
私立の名門校に通学していたが、教師達からは藤堂グループの令嬢として色眼鏡で眺められ、同年代のクラスメート達から陰湿ないじめを受けた。
父に訴えようとも思ったが、四六時中祖父の側近達の目が光り、それも出来ない。
四面楚歌な桜子は、徐々に孤立していった。
そんな桜子の窮状を救ったのが、意外にも祖父の頼孝だった。
祖父は、桜子の心情を察し、苦しい胸の内を聞いてくれたのである。
「あんなに怖くて憎い人に救われる何て・・・・でも、御爺様がいなかったら、今の私は存在しません。」
桜子にとって頼孝翁の存在は、心の拠り所となった。
「成程・・・・貴女の気持ちは良く分かりました。 しかし、私の能力(ちから)では、頼孝翁を延命させる事は出来ません。」
ライドウの冷徹な言葉に、桜子の表情が一瞬凍り付いた。
桜子は、頼孝を一人の男性として認識し、心を寄せている。
普通なら有り得ない事ではあるが、祖父とは絶縁状態に近かった為、殆ど顔すら合わせた事が無い。
おまけに見知らぬ土地に一人、放り出され、慣れない生活を強いられたのだ。
優しく接してくれる異性の存在に、好意を抱くのは無理も無かった。
「私は貴女が思っている様な魔法使いではありません。 只の殺し屋。 人間を救う事等出来ません。」
「・・・・・っ。」
無慈悲に現実を突きつけられ、桜子の双眸に涙の粒が盛り上がる。
口を抑え、嗚咽が漏れるのを必死に耐える令嬢の姿に、悪魔使いの唯一覗く隻眼が哀し気に歪んだ。
翌日、成城の『葛葉邸』。
ホテル”ニューオータニ”で開催された『桜の会』で起こった事件を報告書に纏め、人心地ついた頃には、既に日付が変わっていた。
広い私室のソファでは、背後から銀髪の大男に抱き着かれたライドウのその膝の上に座っている。
「つまりあのお嬢さんは、最初から爺さんの能力(ちから)が目的だったって訳か。」
大人しく自分の膝の上に座る想い人に、大分機嫌が直ってきたらしい。
何時もの冷静さを取り戻したダンテが、ライドウの耳元に頬を寄せる。
「そういう事になるな・・・こんな見てくれだから変に勘違いしたらしい。」
どんな手段でも良い、ライドウに取り入り、頼孝翁の病を治療する。
あわよくば、悪魔の力で祖父を若返らせる事が出来るかもしれない。
魔導に関し、何の知識も無い桜子は、父親と同年代であるにも拘わらず、10代半ばの若さを保つ悪魔使いに淡い期待を抱いたのだ。
勿論、ライドウ自身にそんな大それた力は無い。
例え頼孝翁自身が、悪魔と融合しても、醜悪な怪物に変貌するだけだ。
「それにしても、何で夫婦ごっこをする必要があったんだ?」
「俺に近づく為だ・・・・彼女は藤原氏の直系、普通の人間より、遥かに高い霊格を持っている。」
それを武器に、『八咫烏』長・骸と接触し、ライドウの後妻として子を産む条件で、顔を合わせる事が赦された。
勿論、社会的立場があるライドウと仮初の婚姻関係を築き、祖父を安心させたいという考えもあったのだろう。
今となっては、何方が真実かなど、知る由も無い。
「アンタ、本気でご令嬢様と餓鬼を造るつもりだったのか?」
腰に回された腕に力がこもる。
そんな事は絶対有り得ないと理性では理解しつつも、男としての不安と怒りが残る。
「まさか・・・・生殖能力が無い俺に子供なんか造れる筈がないだろ?」
上位悪魔と融合した代償として、生殖機能を失っている。
この事は、”八咫烏”に入ってから、すぐ分かった。
それでも、先代は自分の銘をライドウに譲ってくれた。
病弱な娘を最期まで護ってくれると信じて。
「だけどアッチが本気になったらどうする? 」
「有り得ないな・・・・てか、お前いい加減しつこいぞ。」
離せと腰をがっちりと掴んでいる腕をつねる。
屋敷に還って来てから、ダンテは大型犬よろしく主人に甘えまくっている。
数日前、あれだけ無体な事をした癖に。
「今日は色々あって疲れている、これ以上、お前の相手をする気はない。」
本気で、ベッドに潜り込んで泥の様に眠りたい。
ホテルで起こったテロ騒ぎや、上層部への報告書で心身共に参っている。
無尽蔵な体力を持つダンテと自分は違うのだ。
例え、上位悪魔と融合している肉体とはいえ、基本的な身体能力は普通の人間と全く同じだ。
「何で怒らないんだ?」
「はぁ?」
「あれだけ酷い事した俺に対して、アンタは一度も怒らない。」
16代目にそそのかされて、自白剤を使用した挙句、凌辱した。
正気に戻ったライドウが、一時的に激昂し、ダンテを殴り飛ばし、距離を置いた。
本当ならば、仮番の契約を破棄し、レッドグレイブ市にある便利屋事務所に送り返す事だって出来た筈だ。
しかし、ライドウはソレをしない。
数日間、距離を置いただけで、後は元通り。
何時もの様に、何事も無く接してくれる。
「アンタがそんな態度を取ると、期待しちまう・・・・。」
「・・・・・。」
「なぁ? もう少し俺の事を信用してくれよ、アンタを護りたいんだ。」
悪魔使いを抱く腕に力がこもる。
ライドウの全てが欲しい。
身体は勿論、心も欲しい。
しかし、自分は彼の事を何も知らない。
せめて『壁内調査』に同行さえさせて貰えば、この蟠り(わだかま)も少しは改善されるかもしれないのに。
「護る? ふざけんな・・・俺はお前に護って貰う程、耄碌(もうろく)しちゃいない。」
「可愛気がねぇな・・・・また俺を突き放すのかよ。」
「餓鬼かよ・・・面倒臭せぇ。」
「そうさせてんのはアンタだろ?何で俺と仮番の契約をした?何故、日本に連れて来たんだ。」
「・・・・・。」
「またそうやって黙るのか・・・・アンタは、都合が悪くなると無口になるんだな。」
悪魔使いの真意を探れば探る程、頑なに心を閉ざしてしまう。
『壁内調査』に同行したいと申し出れば、一方的に拒否されてしまう。
ならば何故、仮番の契約をしたんだと問いただせば、無言で何も応えなくなる。
下級悪魔の討伐だけを任せ、後は知らん顔。
怒りと不満がつもりのは、当然だといえる。
「俺は、包帯野郎みたいにはならねぇ・・・アンタを悲しませる真似は絶対しない。」
腕の中の想い人に、精一杯のキスを送る。
軽くついばむ様なキスから、次第に舌を絡ませ合う濃厚な口づけへと変わった。
もう桜が散ってしまいました。