また傷付けてしまった。
こんな事をするつもりじゃなかった。
心の中に浮かぶ、幾つもの悔恨の想い。
痛む躰を引きずり、大きな銀杏(いちょう)の木に背を預ける。
腕から流れ出る血が伝い落ち、地面を真っ赤に汚す。
見上げると、4階建ての白い建物が視界に映った。
フォルトゥナ公国にある民間企業が経営する市立病院だ。
あの病室の何処かに、自分の想い人が居る。
「全く、酷い格好だな? 」
聞き覚えのある声に、銀髪の大男が振り返る。
暗闇に浮かぶ、見事な銀の鬣(たてがみ)と黄金の瞳。
身の丈、2メートル以上はあるかと思われる魔獣が、銀髪の魔狩人へと歩み寄る。
「ワン公・・・・? 何で、お前が此処に居る? 」
「フン、その呼び方も懐かしいな。 スパーダの子倅。」
この魔獣―ケルベロスは、ライドウの御目付け役兼指南役を務める悪魔だ。
本来は、業斗童子と呼ばれる黒猫がその役目を担うのだが、とある事件によって肉体と魂が消滅している。
故に、冥府の門番である魔獣が、その役目を代行する事になった。
「そこのベンチに座って傷口を見せろ、”神器”で受けた傷を放置すると肉が腐り落ちるぞ。」
「・・・・・・。」
銀髪の大男―ダンテが、仕方なく喫煙所らしき場所へと移動する。
ベンチに座りトレードマークとも言える真紅のロングコートを脱ぐと、血に塗れた黒いシャツが現れた。
苦痛に顔を歪め、それも脱ぐ。
見事に鍛え上げられた上半身には、右肩と左脇腹に、槍の切っ先で貫かれたと思われる傷が深々と残っていた。
修練場で、ライドウが操る魔槍”ゲイボルグ”から受けた傷だ。
再生能力が完全に殺され、皮膚がどす黒く変色している。
ケルベロスは、幾つも残る傷を暫く眺め、溜息を一つ零すと、早速、回復魔法を唱える。
淡い光が、鍛え上げられた肉体に刻まれる傷一つ一つを優しく包み、殺されていた筈の再生能力の機能が蘇るのが分かった。
「凄いな? 流石、冥府の王様だぜ。」
「フン、あのお喋りめ・・・・余計な事まで、お前に話したらしいな。」
ダンテが、CSI(超常現象管轄局)NY支部長、ケビン・ブラウンの元で、厳しい指導を受けていた事は知っている。
その時に、酒の摘み代わりに自分の事を話したのであろう。
「師匠(せんせい)の名誉の為に言っとくが、それ以外は何も知らないぜ? 」
「で、あろうな・・・・あの男にとっても、私との関係は忘れたい過去だ。」
ケルベロスの脳裏に、血塗れ、倒れ伏す男を庇う様に、”人喰い龍”の足元で無様に土下座する一人の女の姿が蘇った。
初代剣聖という誇りと誉れをかなぐり捨て、哀れな一人の女となった自分が、愛する男の命を乞う姿。
「何故、そう思う? 」
「神と人間(ヒト)は決して相容れぬ関係だからだ。」
傷口が綺麗に塞がったのを確認し、ダンテに服を着る様、命じる。
「神族という輩は、傲慢で利己的で醜い生き物だ。 己の欲求に忠実で、護るべき人間(ヒト)を信仰のマグネタイトを生む道具としか思っていない・・・・。」
「・・・・。」
「好き勝手に生き、己が犯した業を我が子へと平然と押し付ける・・・・押し付けられた子は、親の業を生涯背負い、最後は非業の死を遂げる・・・・神と人間の間に生まれた子供は、皆悲惨だ。」
「酷ぇ言い方だな? アンタも元は神様だったんだろ? 」
「・・・・・オリュンポス神族の殆どがそうだからだ・・・・特に、私の弟、”ゼウス”は酷いモノだ・・・・幾度、奴の尻を拭わされたか分からん。」
オリュンポスの主神であり、数ある神々の中でも最高位の力を持つ者の一人であると謳われる全能神。
しかし、その実態は呆れる程、低俗で、一番酷かったのが、豊穣の神でありオリュンポス十二神の一人、デメテイルに無理矢理関係を迫った事だった。
デメテイルとゼウスは実の血を分けた姉弟だ。
近親相姦の末生まれた娘・コレー(後のペルセポネー)は、夫であり海王神であるエノシガイオスに、不義の子である事実を知られる事を恐れ、乳飲み子であった彼女を当時、冥府の主神であったケルベロスが引き取った。
「良く、承知したな? 」
「デメテイルに泣きつかれた・・・・夫のエノシガイオスは、切れ者だが冷酷で嫉妬深い性格をしている。あのまま見捨てていたら、赤子ごと殺されていたかもしれんな。」
「おっかねぇなぁ・・・それでも神様かよ。」
無神論者であるダンテだが、『神は慈悲深く、どんな状況でも人間の味方である。』という、思い込みがある。
不幸な生い立ちである者達が、最後に縋れる者が神であるからだ。
「さっきも言ったろ? 神族は皆、醜い生き物だと・・・・数世紀に渡り、私は奴等の醜態をこの目で見て来た・・・私だけは、奴等の様にはならぬと己を律した・・・しかし、結局は、私も他の兄弟達同様、醜い生き物に変わりはなかったのだ。」
「・・・・・。」
「一人の人間の男を愛した・・・・冥府の王”ハデス”の名を父から授かり、堅忍質直(けんにんしっちょく)を胸に深く刻み、全ての煩悩を捨てて役目に忠実だった、この私がな・・・・。」
「・・・・。」
「私も所詮、傲慢な神の一人だったという事だ・・・・子を育てる力も環境すらも無い癖に、甘い夢に酔いしれ、己を見失っていた・・・・その結果、生まれた子供は当然、不幸になった・・・・あの子を無間地獄へと突き落としたのは、この私だ。」
「エルヴィン・ブラウンの事か・・・・・。」
ダンテの口からその名が出た瞬間、ケルベロスの表情が変わった。
鋭い黄金の瞳が、ベンチに座る銀髪の大男へと向けられる。
「1年前のキザフでの作戦で、アンタの息子に会った・・・・最悪な出会い方だったけどな。」
脳裏に、ソロモン十二柱の魔神の一人を糸も容易く葬る一人の異端審問官の姿が蘇った。
仲間の一人が倒れ、窮地に陥ったダンテの部隊の前に、エルヴィン・ブラウンが現れたのだ。
悪魔の死骸の上に立つ右眼に黒い炎を宿した男は、冷たくダンテ達を見下ろしていた。
「あの子が・・・・どうして・・・・。」
「後で師匠(せんせい)に聞いたんだが、キザフ周辺でアンデットの最上位体”デイモスリッチ”まで出現していたらしい。アンタの息子は、たった一人で数百万の死霊の軍勢を数時間で全滅させた挙句、堕天使”パイモン”まで倒した。」
『化け物』という言葉を何とか呑み込む。
その一言は、傍らにいる彼女にとって酷な言葉であると知っているからだ。
「そうか・・・・一応はまだ、ヴァチカンの元で大人しくはしているのだな。」
息子の様子をダンテの口から聞き、ケルベロスは一人納得する。
エルヴィンは、何時大爆発を起こすか分からない時限爆弾と一緒だ。
13機関(イスカリオテ)の水が余程合っているのか、それとも、他に理由でもあるのか、ヴァチカンの与える役目には忠実に従っている。
「・・・・・お前は、これからどうするつもりだ? このまま大人しく国に帰るか? 」
実子の話は一旦置き、ケルベロスは本題に入った。
この男が素直にNYのレッドグレイブ市に還るなら、それで構わないが、素直に引き下がるとは思えない。
「どーしたもんかなぁ? 俺もそれを決めかねてる。」
ベンチの背凭れに身を預け、大きく欠伸をする。
周りの連中が、何故、自分とライドウを引き離そうと躍起になっているのは、痛い程理解している。
無意識にではあるが、ダンテはライドウを傷付けている。
先程、魔獣の口から海王神の話が出たが、それと全く同じだ。
好きな玩具が、誰かと仲良くしているのが気に喰わない。
手元に引きずり寄せて、無理矢理にでも従わせる。
逆らう事は決して許さない。
もし、素直に言う事を聞かなければ、四肢をへし折り、自由を奪う。
危険・・・・・余りにも、危険な思考だ。
(本当なら、爺さんの傍を離れるべきなのかもな・・・・あの忍者野郎の言う通り、俺は爺さんの害にしかならない。)
4年前、ライドウがダンテの元を去った時、彼の心の中にあったのは、悪魔使いに対する殺意と憎悪であった。
ケビンの元で、対悪魔の厳しい指導を受けたのも、ライドウに認められるのが目的ではなく、本当は、自分を裏切り組織に戻った悪魔使いへの復讐なのかもしれない。
修練場での仕打ちが、まさにその証拠。
始めから、ライドウを愛する資格など無いのだ。
喫煙所で、魔獣と共に今後の事を考えていたダンテの所に、誰かが近づいて来た。
気配だけで分かる。
かつて同じ部隊にいた仲間、スコット・ゴードンだ。
何処かの売店で買って来たのか、手にはサンドイッチが入った紙袋と熱いコーヒーの缶を持っている。
「やっぱり此処にいたんですね? 隊長。」
人好きな笑みを口元に浮かべると、若いUSSF中尉は、魔狩人が座るベンチの隣に腰を下ろした。
「普通の人間よりもタフなのは知っていますが、いい加減、労わってあげないと今度は、貴方まで倒れてしまう。」
頑固で融通の利かないかつての上司に苦笑を浮かべ、サンドイッチが入った紙袋と缶コーヒーを差し出す。
精神的に相当参っているのか、食欲は全くと言って良い程、わかない。
しかし、部下の思いやりを無下にする訳にもいかず、ダンテは仕方なしに受け取った。
「先程、17代目が意識を取り戻しました・・・・今は、麻酔が効いているので動けませんが、貴方の事を物凄く心配してましたよ。」
「俺の事を・・・・・? 」
ゴードンの言葉を聞いたダンテが、ライドウが寝ている病室に視線を向ける。
あんな目に会いながらも、ライドウは自分の事を気に掛けている。
何処までも、愚かでお人好しなのか。
「貴方に会って話がしたいと言っていました・・・明日、彼の所に行きませんか? 」
「・・・・・っ!? 」
ライドウが自分に逢いたがっている。
歓喜にも似た震えが、背筋を走った。
だが、それと同時に一抹の不安が残る。
自分は又、彼を傷付けてしまうのではないか?
「無理強いはしません。 貴方にその気が無いのなら、僕から17代目に伝えますよ? 」
「・・・・・・。」
「・・・・・この病院の近くに、ビジネスホテルがあります。 中継基地としてUSSF(僕達)が貸し切りにしています。 今から案内しますから、そこで一晩休んでください。」
きっと彼は、物凄く迷っているに違いない。
短い付き合いではあるが、隊の補佐官として、ダンテと共に過ごして来たのだから、彼の僅かな感情の動きなど、手に取る様に理解出来る。
暫くの間、無言で佇む三人。
そして、かつての上司が予想通りの返事を、部下へと返した。
ゴードンに促され、USSFが利用している宿泊施設へと向かう銀髪の大男の背を、4階の窓辺から赤毛の若い男が無言で見下ろしている。
暖房が十分効いた室内。
ベッドには、点滴に繋がれたライドウが、血の気が失った蒼白い顔をして、ぼんやりと薄汚れた天井を眺めている。
「アンタにとってアイツって、一体何なの? 」
「・・・・・? 」
仕事柄、感情を余り表に出さぬ赤毛の若い男―猿飛佐助が、鋭い視線で、ベッドに横たわるライドウを睨む。
問い掛けられた隻眼の少年は、どう応えたら良いのか、暫く考えあぐねていた。
修練場でのダンテとの死闘で、大怪我を負ったライドウは、出血と疲労の為、気を失った。
後で、佐助から聞いた話によると、元魔剣教団の騎士・ネロの案内で、彼がかつて生活の場にしていた寄宿舎へと向かったらしい。
途中、悪魔に襲われたが、USSFの隊員であるスコット・ゴードンと”八咫烏”の中でも選りすぐりの精鋭部隊である”十二夜叉大将”が一人、摩虎羅大将こと佐助の敵では無く、三人は、全く無傷で寄宿舎へと到着し、ライドウに適切な治療を施した。
因みに、ネロもライドウを護る為に、結構頑張ったらしい。
悪魔数十体に対し、大分、大暴れしたのが祟り、今は、ライドウが横たわるベッドに突っ伏して、熟睡している。
上半身を起こしているライドウが、その銀の髪を優しく撫でた。
「俺様、結構、怒ってるんだよ? アンタにもしもの事があったら、志郎(ダチ)に顔向けできないからね。」
「・・・・悪い、お前には済まない事をしてると思ってる。」
規則正しい寝息を立てるネロの頭を優しく撫でながら、ライドウが苦笑を浮かべる。
前の本番であるクーフーリンこと志郎と佐助は、幼い頃から兄弟の様に育った間柄だ。
共に勉学に励み、お互いの技を磨き合い、時には衝突しながらも、大人になった。
そんな二人を傍らで見ていたライドウは、まるで父親の様に二人に接して来た。
持てる技術や知識を彼等に教え、時には、組織の幹部の一人として厳しく育てた。
「んで、さっきの質問だけど、あんな目に会っておきながら、何でアイツを庇うのよ?アンタにとっては害にしかならないと思うけど? 」
「・・・・正直、どう応えたら良いか分からない。 最初は、只、鬱陶しい奴ぐらいにしか思ってなかった。」
7年前の『テメンニグル事件』、思えば、あれが全ての始まりだった。
ダンテが普通の人間ではない事は、初めて見た時から分かっていた。
人間と悪魔の混血児。
この業界にいれば、別段、珍しくも無かった。
人間よりも遥かに優れた自分の力を持て余し、野次馬根性で古の塔に登って来た馬鹿者だとばかり思っていた。
でも、ダンテは違った。
同じ馬鹿でも、救い様が無い大馬鹿野郎だった。
「”ナンバーズ”という言葉を知っているか? 」
「・・・・・? 昔、米国防省がヴァチカンと秘密裏にやってた非合法の人体実験の事? 」
その名前なら聞いた事がある。
今から四十数年前、人類の護り手の一つであるヴァチカン市国は、ペンダゴンと手を組み、合同である計画を行っていた。
悪魔の軍団から人類を救った英雄、魔剣士スパーダの遺伝子を元に、対悪魔の為の兵士を人工的に造り出すプロジェクトであった。
しかし、彼等が望む結果が得られるどころか、実験体が暴走。
研究職員と、そこの研究施設にいた剣士(ナイト)と魔導士(マーギア)数名を殺害し、逃走した。
「もしかして、あの便利屋って・・・。」
「ああ、奴は、その時の実験体の一人だ・・・・・右の首筋に識別番号が刻まれていた。」
4年前、激情に駆られたダンテは、ライドウをレイプした。
その時に、男の首筋に縞模様状の線が印字されているのを見たのである。
「普通の人間じゃないとは思っていたけどね・・・・でも、脱走した”ナンバーズ”は、殆ど回収されて始末されたって聞いたけど? 」
「国連に加盟している国々には、秘密にしていた実験だったからな・・・・事件が公になった事で、周りの連中に責められたんだろ、だから、彼等を納得させる為に嘘を吐いた。」
「有り得るね。」
軍事目的に行われた実験では無かったのか?という、当然の糾弾に対し、ヴァチカンとペンダゴンは、研究施設を閉鎖し、実験体を全て破棄。
生き残った関係者達の口を閉ざす事で、闇へと葬った。
「ブラウン大佐は、当然、アイツの正体を知っているんだろうね? 」
「多分な・・・・もしかしたら、初めから分かっていて、ダンテの要求を呑んだのかもしれない。」
ダンテが、ペンタゴンとヴァチカンが造り出した合成人間である事を知っていたケビンは、自分の手元に置いておく為に指導を買って出た。
何時か、自分の役に立つだろうと考えた上での行動である。
「相変わらずの狸親父だね。」
「まぁな・・・・・俺の予想だが、米国防省には報告して無いだろうな・・・でなきゃ、あんなに自由には動けない。」
ケビンが一体何を考えているのかさっぱり分からないが、米国防省にはダンテの存在を伏せてはいる様だ。
知られれば最後、身柄を確保され、他の実験体同様、始末するかそれとも標本にされるかの二つに一つだ。
「アンタ・・・・まさか、アイツをそのままにする気じゃないよね? 」
幾ら、First Blood(一人だけの軍隊)の手元にあるとはいえ、当のケビンはそれ程、ダンテに鎖を付けるつもりはないらしい。
彼の自由にさせている。
それが、佐助には途轍もなく危険に見えてしまうのだ。
現に、ダンテはライドウを前に、悪魔の本能に負け、野獣の如き本性を丸出しにしている。
「4年間、米陸軍に従軍し、心身共にアイツは大きく成長した。 ブラウン大佐も満足する程の仕上がりだろう・・・・日常生活に何の問題も無い。」
「そうじゃないでしょ? 」
あくまで本心を語らないライドウに対し、佐助は苛立つ感情を隠しもしなかった。
両腕を組み、清潔な色をした白い壁に背中を預ける。
「いい加減、本心を聞かせてよ・・・・例え、アイツを無視しても、きっとまたアンタの前に現れるよ? 17代目。」
「・・・・。」
「何か考えているんでしょ? まさか番にはしないよね? もしそんな事したら、玄武と御屋形様が黙っていない・・・後、葛葉四家もね。」
「・・・・・・代理番にしようと思う・・・・俺の傍にアイツを置いておく。」
「・・・・・っ! まさか・・・・本気・・・・? 」
予想通りの応えに、佐助は大きく落胆する。
このお人好しの主の事だ、きっとまた、つまらない同情心が沸いたに違いない。
それに、ダンテはヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーに、どことなく容姿と雰囲気等が似ている。
あの男を、ヨハンと重ね合わせている事は明白だ。
「止めてよ・・・・絶対、後悔するって。」
もう、これ以上、尊敬し、愛する者が傷つく姿は見たくない。
「すまん・・・・・もう決めたんだ・・・・お前には本当に迷惑かけたな?佐助。」
「17代目・・・・。」
何でこの人は、こんなにも馬鹿で真面目で愚かなのだろうか?
かつて自分は、17代目を裏切り、組織に離反の情報を密告した挙句、彼の家族を滅茶苦茶にした。
息子の明は、組織に対する激しい憎悪と哀しみを抱き、娘のハルは、神の入れ物へと捧げられた。
その元凶たる自分を咎めるどころか許した挙句、謝罪までしている。
馬鹿だ・・・・。
もっと、自分を憎しみ蔑んでくれた方が、どんなに救われるだろうか?
「何で・・・・・アンタが俺に謝る必要なんてないだろ? 」
不図、目頭が熱くなり、皮膚が破れる程、拳を硬く握る。
ダンテを番にしたければ、勝手にすればいい。
葛葉四家当主が一人、17代目・葛葉ライドウが決めた事だ。
組織の幹部連中は、異論など当然言えないだろう。
だが・・・と、佐助は一人思う。
自分にだけは・・・・・幼い時から、彼の傍に居て共に生きて来た自分にだけは、嘘偽りのない本心を見せてくれても良いのではないだろうか?
「やっぱり駄目だね・・・・・俺様や志郎じゃ、ヨハンさんの代わりは出来ない。」
「佐助・・・・? 」
「アンタに一つだけ忠告しとくよ。 ダンテって奴には気を付けてね。又、同じ事を繰り返さないとは言い切れないから。」
「・・・・・分かった、肝に銘じておくよ。」
傍らで何も知らずに眠るネロの無邪気な寝顔を眺めながら、ライドウは右の隻眼を閉じた。
まんじりともしない一夜が明け、再び、ライドウが入院している”ヴァイス”の市立病院。
重い足取りで、患者達や、看護師達が行き交う病院の廊下を歩く。
目的の場所に辿り着いた時、ダンテは、腹の中に溜め込んだ不安を吐き出す様に、深い溜息を吐いた。
昨夜、元部下であるゴードンに案内されて、USSFが寝泊まりしている宿泊施設の一室を借り、一晩中考えた。
自分がライドウの傍にいると必ず、彼を傷付けてしまう。
しかし、だからといって悪魔使いを諦めたくはない。
暫くの逡巡後、躊躇う指先が、ドアをノックしようとしたその時であった。
何の前触れも無く扉が開き、頭一つ分以上低い、自分と同色の髪をした10代半ばぐらいの少年と鉢合わせする。
「うわっ! 何だよ! びっくりするじゃねぇか!! 」
病室から出ようとした所で、いきなり眼前にがっしりと筋肉が付いた大男が立っているのだから、驚くのは当然だ。
それは、ダンテも同様で、少々、面食らった顔をして銀髪の少年を見下ろす。
「ダンテ、来ていたのか? 」
銀髪の少年― ネロの背後から、悪魔使いの声が聞こえる。
其方に視線を向けると、ベッドの上で点滴に繋がれ、上半身を起こした悪魔使いがいた。
薄緑の病衣を身に着け、下には痛々しい包帯が僅かに見える。
濡れ羽根色の黒髪を後ろに垂らし、顔色は血の気が通わず、紙の様に白かった。
「そんじゃ、今度はキリエと一緒に来るよ。」
二人の間に漂う微妙な空気に、何かを察したのか、ネロは大人しく病室から出る事にする。
「ああ、気を付けて帰るんだぞ? 」
柔和な笑みを口元へと浮かべ、ライドウは、ダンテの脇をすり抜けて病室から出て行くネロに、手を振った。
「相変わらず、餓鬼には好かれる質なんだな? 」
「お前と違って人間が出来てるからな。」
何時もの軽口の応酬。
便利屋事務所で生活していた時は、これが挨拶代わりだった。
「酷い顔色だな? ちゃんと朝飯は喰って来たのか? 」
「その言葉、まんまアンタに返してやるよ。」
何時までも出入り口に立っているダンテに、ライドウは軽く溜息を吐くと、ベッドの傍に置いてある簡易椅子に座る様促した。
渋々と言った様子で、ダンテがそれに従う。
ライドウの傍に座ると、彼が大歌劇場で会った時よりも、大分やつれているのが分かった。
「すまねぇ・・・・全部、俺のせいだな・・・。」
ゴードンの話によれば、折れた肋骨の骨が危うく大事な臓器を傷付ける寸前であったらしい。
流石、優秀な魔導医師の資格を持っているだけあり、彼の適切な治療によって、最悪な事態は免れた。
「気にするな・・・元を正せば、病院から無断で抜け出した俺に責任がある。お前は何も悪く無いよ。」
落ち込み、俯くダンテに、ライドウが柔らかい笑みを浮かべた。
彼は、4年前から何一つとして変わらない。
弱き者を助け、強き者を挫(くじ)き、人を憎まず、罪を憎む。
今だって、悪魔の本能に支配され、自我を失い、自分に対し危害を加えたダンテを簡単に許していた。
何処までも、馬鹿でお人好しなのか・・・。
「あんな真似をした俺を許すってのか? 」
「許すも何も、あの喧嘩は、お互い同意でした事だ・・・お前だけに罪がある訳じゃない。」
「アンタを殺しかけたんだぞ? 」
「それは、俺も同じさ。」
あの時、最後の一撃を繰り出そうとした刹那、ライドウはダンテに対し、明確な殺意を抱いていた。
怪我を負い、魔力が戻らぬ状態だったとしても、4年前のダンテが相手ならば、手加減する余裕はあった。
しかし、あの時は、その余裕すらも無かった。
特Aクラスの剣士(ナイト)達が良く使用する分身術を使い、ライドウはダンテに攻撃を仕掛けた。
「お前は、俺の想像するよりも遥かに強くなった・・・・流石、ケビン大佐だ。 彼の指導技術には、本当に感服するよ。」
「・・・・・。」
「4年間という短期間で、お前は剣豪(シュヴェアトケンプファー)どころか、剣聖クラスにまで成長した・・・・軍に残っていれば、それなりの地位が約束されただろうな。」
「米陸軍(あそこ)は俺の柄じゃねぇ。」
「確かに・・・お前は、誰かに使われるよりも、自由気ままな便利屋家業の方が、合っていそうだ。」
子供の様に不貞腐れるダンテに苦笑を浮かべ、ライドウは右掌を男の胸へと翳す。
「פקד עליך(我汝に命ずる)לא להיות הגפיים שלך(汝我の手足とならぬ事を)。」
詠唱と共に、ダンテの躰を淡い光が包む。
躰に流れ込む膨大な魔力の放流。
光が霧散し、躰の奥底から力が漲(みなぎ)るのが分かる。
「なっ・・・・・何で・・・・?? 」
「喧嘩に負けたらお前を番にするという約束だったろ? 」
「でも、俺は・・・・・。」
悪魔の本能が抑えきれず、ライドウを殺しかけた。
こんな奴が、ライドウの番になれる資格など無い。
「言っとくが、代理番の契約だ。 流石に本番は、玄武自らが契約を破棄しない限り、する事が出来ない。 」
代理番とは、契約した悪魔使い自らが不要と判断すれば何時でも解除出来る。
”魔力の大喰らい”である悪魔使いに、魔力を絶えず供給させる為だけの存在だ。
しかし、本番(ほんつがい)は、そうはいかない。
立場は対等な為、一度選ぶと相手が契約を破棄する意思がない限り、契約を解除出来ないのだ。
「ダンテ、力を蓄え、己を磨け・・・・そして、玄武に自分の力を示すんだ。」
「爺さん・・・・。」
「奴は、性根が腐り果てた外道だが、剣に対する態度は誰よりも紳士だ。 お前が自分の満足に足る存在であると認められれば、簡単に本番の座をお前に譲るだろう。」
元剣聖だけあり、玄武は剣人としては謹厳実直を絵に描いた様な奴だ。
人を見る目は、極めて優秀であり、指導者としてもその道ではかなり名が通っている。
ダンテが百連成鋼(ひゃくれんせいこう)に励めば、必ず、本番に相応しいと認める筈だ。
「良いのか・・・・? 俺は、又アンタを傷付けるぞ。」
「それも、お互い様だ。 俺もお前の心を傷付けるし、理不尽な要求をするかもしれない。」
「爺さん・・・・・。」
「覚悟しろよ?ダンテ。 俺の番になったという事は、組織に入ると言う事だ。今迄の我儘が通ると思ったら大間違い・・・・。」
そう言いかけたライドウの華奢な躰を、銀髪の大男が抱き締めた。
大怪我を負った悪魔使いに、一応気を使っているのか、手加減しているとはいえ、痛いものは痛い。
「絶対にアンタを離さないからな・・・。」
「・・・・・・好きにしろ。」
震える男の背を悪魔使いが優しく撫でる。
窓から差し込む午後の日差しが、二人の躰を優しく包んだ。
魔界・・・・北の台地・ホド。
首都からかなり離れた日が全く差さぬ、豪雪地帯の山間。
生きる者を拒絶する猛吹雪の中、一つの人影が、強風に抗いながらゆっくりと歩いていた。
「キョウジ・・・・キョウジ、聞こえるか? 返事をしてくれ。」
男の耳に付けたインカムから、しわがれた老人の声が聞こえる。
男・・・・13代目・葛葉キョウジは、両手に持つトレッキングポールを氷の台地へと突き刺し、右耳に手を当てた。
「ああ、聞こえてるよ。」
「もうすぐ夜が来るぞ・・・・・高スキルの悪魔やギガント級の奴等が、餌を求めて動き出す、そうなる前に一旦切り上げて、此処に戻るんだ。」
この豪雪地帯には、高スキルの夜魔や妖獣が多数、生息している。
彼等が最も活発に行動する時間帯は、日が沈んだ夜の時間だ。
幾ら、剣士(ナイト)の役職全てを習得した”到達者(マイスター)”でも、そんな連中を相手にしては、生きて現世に帰れる筈が無い。
「日が沈みきるまでまだ時間がある、それに、危なくなったら必ずお前に助けを求めるよ? カロン。」
「しかし、お前にもしもの事があったら、私がペルセポネー様に責を問われる。」
「気にするな。 あのお嬢ちゃんには、馬鹿な人間が勝手に魔界に入って、勝手に死んだと伝えておけ。」
「キョウジ・・・・・私が言っているのは、そういう意味では・・・・。」
呆れた様子で言いかけた、冥府の渡し守・カロンの言葉を、一羽の大鷲が邪魔をした。
「親父さん! 猫ちゃんがバージルを見つけたってよ! 」
「何!? でかしたグリちゃん! 」
カロンとの通話を一方的に切り、再びトレッキングポールを手に歩き出す。
艶やかな黒い毛並みを持つ大鷲―グリフォンは、強風に吹き飛ばされそうになりながらも、懸命に主を仲魔のいる場所へと案内した。
暫く進むと、大きな崖の前へと出た。
崖の先に、グリフォンと同じ漆黒の毛並みをしたクロヒョウが、主が来るのを待っている。
「良くやった、クロちゃん。」
トレッキングポールをクロヒョウの傍らに突き刺し、身を屈めて、仲魔の躰を優しく撫でる。
このクロヒョウの名は、”シャドウ”と言い、月の女神”ヘカーテ”が造り出した人造の悪魔だ。
キョウジの頭上を飛ぶ”グリフォン”も同じで、契約者である13代目の命令があれば、悪魔から本来の姿である魔具(デビルアーツ)に変身する事が出来る。
「バージル・・・・・。」
崖の下を覗き込み、探している目的の人物の姿を確認する。
吹雪が吹き荒れ、視界は大変悪いが、それでも、崖下に人影らしきものが横たわっているのが見えた。
アイスアックスと岩に突き刺すペグ、それから頑丈な鉄製のロープを背負っている大きなリュックから取り出し、早速下へと降りる。
慎重にペグを岩盤へと突き刺し、ロープを伝って、崖下へと降り立った。
氷の台地に鋭い爪が付いたクランポンで、踏み締め、横たわる若い男へと歩み寄る。
生きているのか、死んでいるのか分からない。
氷の地面に倒れ伏す男は、ピクリとも動かなかった。
「バージル・・・・。」
氷の岩盤の上で倒れている全裸の男を、抱き起す。
腕の中にいる大事な義理の息子の顔を見た瞬間、キョウジは思わず顔を強張らせた。
「ひっ、酷ぇ・・・・。」
岩盤の上に降り立ったグリフォンも、バージルの顔を見て呻く様に呟く。
顔の左半分が、崩れ落ち白い結晶で覆われていた。
そればかりではなく、躰の左半分も欠損し、顔と同じ状態になっている。
魔帝ムンドゥスの錬金術により、緑色の鱗を持つ毒の龍―ペルーダへと改造されたバージル。
双子の弟、ダンテの持つ魔剣『スパーダ』が己の心臓を貫く刹那、バージルは自我を取り戻し、最後の力を使って強制離脱魔法『トラエスト』を唱えた。
しかし、躰に負ったダメージは、余りにも深く、再生能力も殆ど機能していない。
彼に残された最後の希望は、義理父・葛葉キョウジから渡された霊薬『ソーマ』だけであった。
キョウジは、グッと唇を噛み締めると、リュックのポケットからアルミのケースを取り出す。
中には、エメラルドグリーンの光を放つ液体が詰まった注射器が収まっていた。
バージルの首筋に注射器を打ち込む。
シリンダー内の溶液が、義理の息子の体内へと流れ込んでいった。
「バージル、頼む目を開けてくれ! 」
この薬液の正体は、高濃度のマグネタイトだ。
半人半妖であるバージルは、他の悪魔同様、マグネタイトによって肉体を構成している。
『ソーマ』の霊薬で、肉体を一時的に仮死状態にしているのならば、マグネタイトに必ず反応する筈だ。
「うっ・・・・・。」
予想通り、バージルは息を吹き返した。
弱々しく、唯一残された右の瞼をゆっくりと開く。
「と・・・・・父さん・・・・? 」
霞む視界に映る、義理父の顔。
その途端、キョウジは思わず我が子を抱き締めていた。
「と、父さん・・・・・ご、ごめんな・・・さい。」
「良いんだ・・・・良いんだ・・・。」
か細い謝罪の言葉に、父は黙って許しの言葉を繰り返す。
腰に吊るしてあるガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出し、死神・カロンと通信を繋げた。
「カロン、バージルを見つけた。 すぐにソッチに転送してくれ。」
「・・・・分かった。」
見つかる筈が無いと思われたバージルを無事発見した事に、大分驚いているのか、死神は一拍(いっぱく)置いてから返事を返した。
数日後、矢来銀座港、豪華客船『ビー・シンフル号』。
船内の隠し部屋である『悪魔工房』内に、巨大な培養液を眺める一人の男がいた。
葛葉四家の一人である13代目・葛葉キョウジだ。
やや時代遅れなスーツを身に着けた壮年の男は、マグネタイトで満たされる培養カプセルを沈痛な面持ちで見つめていた。
カプセル内には、左半身を丸ごと欠損した義理の息子が眠っている。
数日前、北の台地『ホド』から、バージルを救出し、カロンの力で現世へと戻った。
すぐに昵懇にしているヴィクトルと連絡し、瀕死のバージルを預けたのだ。
元々、魔導医師としても有名であったヴィクトルは、適切な措置を施し、何とか延命する事には成功した。
しかし、失った肉体を完全に修復する事は叶わないどころか、このまま放置すれば、いずれ躰が人の形を保てず、崩壊するのだという。
「キョウジ・・・・。」
背後から、掛けられる声。
振り向かずとも分かる。
この船の持ち主であるヴィクトルだ。
「マダムからの報告で、17代目が日本に帰国したそうだ。」
「そうか・・・・。」
同じ葛葉四家当主である17代目の帰還に、キョウジは力無く応える。
彼は、天海市に発生した時空の穴・・・シュバルツバースの調査担当を任されている。
代理として派遣されている16代目・葛葉シノブは、やっと重責から解放されて、元の業務に戻れると喜ぶだろう。
「何とか・・・・何とか息子を助けられないのか・・・・5体満足じゃなくても良い。命だけは救えないのか? ヴィクトル。」
「・・・・・。」
もう何度目になるか分からない問い掛け。
項垂れるキョウジに、魔導医師は応えない。
無言で、緑の海に漂うバージルを眺めるだけだ。
「どんな代償だって払う・・・・頼む、何とかバージルを・・・俺の大事な息子を救ってくれ。」
自分の臓器を全て、息子に移植しても構わない。
血の繋がりなど一切ないが、キョウジにとってバージルは、最早掛け替えの無い存在へとなっている。
「・・・・・・一つだけ、お前の子供を助ける方法がある。」
「・・・・・っ! そ、それは本当なのか? 」
暫くの逡巡後、ヴィクトルは何かを決意したのか、常にない真剣な双眸で、隣に立つ壮年の探偵を見つめる。
「ああ、だがそれには大きな対価が必要だ・・・・キョウジ、お前は咎人になる覚悟はあるか? 」
「・・・・・・。」
「葛葉四家の銘(な)を捨て、歴史に名を遺す大罪人になる覚悟はあるか? 」
応えぬ友人に、ヴィクトルは尚も畳みかける。
それ程の犠牲なくば、バージルを救う事は出来ないのだ。
「・・・・上等だ・・・・息子を救えるなら、俺は何だってやってやる。」
俯いた顔を上げるキョウジ。
その双眸には、確固たる決意が秘められていた。
次の章は構想中です。