愛はない。
愛などない。
故に悲しみもない。
そう思っていた。
ヴァチカン市国、南東端にある巨大な建物、サン・ピエトロ大聖堂。
カトリック教会の総本山であるその執務室に、ヴァチカン13機関・総司令、ジョン・マクスゥエル枢機卿がいた。
美しい銀の長い髪を後ろで束ね、新雪の如き、白い肌をした美男子である。
今年で44歳を迎えるが、20代半ばでも十分通用する程、外見は若々しく生気に満ちていた。
一通り、書類に目を通し、サインと捺印を終える。
万年筆を華模様の透かし彫りが施された筆置きに置くと、右端に置かれた写真立てへと何気なく視線を向けた。
写真の中には、三人の青年が写っている。
異端審問官の礼服を着る二人の青年と彼らより頭一つ分以上、背丈が低い少女の如く華奢な肢体をした革の肩当と赤い腰帯をした少年。
如何にも無理矢理写真を撮られたといった感じで、深紅の呪術帯を顎まで引き下げ、露わになった美しい相貌を不満気に歪めている。
ジョンが異端審問官に配属され、初めて”クズノハ”と合同で任務を行った時に記念として撮影した写真であった。
もう、あれから20数年以上が経つ。
(・・・・・ライドウ。)
繊細な白い指先が、写真の中にいるかつての想い人へと触れる。
若き枢機卿の思考が、数か月前へと遡った。
ジョン・F・ケネディ国際空港。
深夜をとうに回った時間帯。
ヴァチカン法王猊下、ガーイウス・ユリウス・キンナの計らいにより、フロア内にいるのは自分と17代目・葛葉ライドウ以外誰もいない。
耳が痛くなる程の静寂が、二人を包む。
「ライドウ・・・・・。」
打ちひしがれ、立ち上がる気力すらないかつての友。
特殊なケブラー繊維で造られたジャケットを着る悪魔使いの身体が、微かに震えている。
堪らない気分になったジョンは、跪き悪魔使いと同じ目線に合わせた。
今から数時間前、このNYの街は戦場と化していた。
悪霊の集合体である”アビゲイル”が、KKK(クー・クラックス・クラン)の幹部の一人、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの力で復活。
大勢の死傷者を出した。
地上最悪の悪魔によるパンデミックを最小限の被害に押し止め、悪霊”アビゲイル”を見事討伐したのが、力無く項垂れるこの悪魔使いと、今はこの場にいない番の三代目、剣聖・四神の玄武なのである。
「君は、この街を救った・・・・ジョルジュの暴走を喰い止め、悪霊”アビゲイル”を討伐した・・・・それ以上に一体、何を求めるんだ? 」
本心からの疑問を、悪魔使いにぶつける。
彼の本当に望んでいる事は、痛い程分かる。
しかし、その申し出を受け入れれば、人類の護り手である”ヴァチカン”の偉大なる名に泥を塗る事になってしまうのだ。
「・・・・ジョン、頼む。フォレスト家には手を出さないでくれ、前当主、ジョナサン・ベッドフォード・フォレストは、ルッソ家とマーコフ家の謀反を防ごうとして殺されたんだ・・・・彼等は被害者だ。頼むから全てを奪う様な真似だけはしないでくれ。」
予想通りのライドウの言葉に、ジョンは落胆の溜息を零す。
愚かだ・・・・。
本当に、愚かしい考えだ。
超国家機関『クズノハ』の創始者、葛葉四家の当主が一人であり、”人修羅”という通り名で、魔界に住む悪魔共を恐怖で震え上がらせた魔人とは到底思えない言葉だ。
彼は、たかが一組織に、己の人生全てを犠牲にしようとしている。
「これ以上、介入するのは君の為にならない。フォレスト家にはそれ相応の処罰を受けさせねばならん。当然、組織は解体、秘密結社(フリーメーソン)からも除名させるつもりだ。」
だから残酷な言葉で、彼に現実を突きつける。
案の定、ライドウは激昂して、ジョンの胸倉を掴んできた。
「俺はあの現場に居たんだ・・・・お前の部下が調査隊の救難信号を握り潰したのも知っている!そのせいで到着が遅れ、ロック・ジェンコ・ルッソを含む隊員の全員が死亡した!」
これも又、予想した通りの台詞だった。
確かに、ジョンは現場に部下を派遣させ、中級以上の悪魔を使い、ジョルジュの息子を謀殺させた。
しかし、ライドウがどんなに真実を叫ぼうと、ソレは状況証拠に過ぎず、肝心の物的証拠は、跡形もなく闇へと葬られている。
「・・・・・証拠は? 」
冷たく、今でも淡い想いを寄せる相手を突き放す。
これで、彼は確実に自分に失望するだろう。
だが、ジョンはこの地球に住む70億以上の命を護るという重責を背負っている。
一個人の感情に流される訳にはいかない。
痛い所を突かれ、悪魔使いは胸倉を掴んでいた手を離す。
彼も又、己と同様、人類を護る使命を背負っている。
自分の身勝手な感情だけで、動く訳にはいかない。
再びの静寂。
ジョンは、無意識に唇を噛み締め、項垂れる友の頬へと指先を這わせる。
ああ・・・愛おしい。
カトリック教において、同性愛は禁忌とみなされている。
時代は流れ、同性愛者に対する理解は大分広がったものの、宗教的倫理観では、いまだに忌み嫌われる行為として受け止める者も少なからずいる。
ジョンもライドウと出会う前までは、彼等と似た様な思想を持っていた。
だから政略結婚だと知りつつも、妻であるアナスタシアを愛そうと努めたのである。
(思えば、初めて出会った時から、私の心は彼に囚われていたのかもしれない。)
写真の中に写るかつての戦友(とも)。
異端審問官の礼服を着る射場・流に、半ば無理矢理撮られた若かりし頃の自分達。
あの当時はまだ17代目を襲名しておらず、組織”クズノハ”の暗部-八咫烏に所属していた。
人形の様に感情が希薄で、任務遂行の為ならば、何の手段すらも選ばない冷酷な暗殺者。
そんな彼を人間に戻したのは、北の国- フォルトゥナ公国の第三皇子、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーであった。
魔剣教団、騎士団長であり、剣士職と魔導士職の全ての役職を取得した『マスターオブマスター』の称号を持つ男。
『シュバルツバース破壊計画』の折、一度顔を合わせたが、こんな怠惰で軽薄な男を良く本番(ほんつがい)にしたか不思議で仕方が無かった。
空港のロビーで力無く項垂れる、想い人。
冷酷で、誰よりも力に対し、執着心を持っていた悪魔使いを此処まで弱くしたのはあの男だ。
ジョンは、血の気を失い真っ青になったライドウの頬に指先を這わせる。
自然と重なり合うアイスブルーの双眸と黒曜石の隻眼。
吸い寄せられる様に、その薄い唇に自分の唇を重ね様としたその瞬間、悪魔使いの手が、ジョンの肩を押した。
「止せ・・・・タイラーが見てる。」
「・・・・・っ? 」
自分から顔を背け、微かに頬を赤く染める悪魔使い。
その時になって初めて、自分達しかいない筈のロビーに人の気配があるのが分かった。
蒼い双眸が、企業を宣伝する電光掲示板が設置されたロビーの柱へと向けられる。
柱の陰から、バツの悪そうな顔をした禿頭の男が姿を現した。
「最初に言っとくがな・・・俺は、別に出歯亀するつもりで隠れていた訳じゃないからな。」
CSI(超常現象管轄局) NY支部に所属する元SAS(イギリス陸軍空挺部隊)所属の捜査官- ジェイソン・タイラーは、苦虫を100匹以上嚙み潰した様な渋い表情で、ライドウとジョンの二人を交互に眺める。
「この事件は、アメリカ合衆国(俺達の国)で起きたんだ。現に大勢の市民が被害を受け、死傷者も出てる・・・・教皇猊下のお遊びで一番腹を立てているのは俺達だ・・・言ってる事は分かるよな? 」
内心の怒りを隠す事無く、タイラーはライドウとジョン、特に見事な銀色の髪を持つ枢機卿を睨みつける。
アメリカは世界でも有名な司法国家だ。
何事に対しても、裁判を行い、公正な判断で物事を決める。
故に、これだけ甚大な被害を出したテロ事件を、当事者とはいえ、たった二人で決めるなといいたいのだ。
「首謀者のジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、NYの名士であるが、アメリカ人である事にも変わりない。つまり、この事件を裁くのはお前らじゃなく、俺達だ。ヴァチカンの坊さんは黙ってろ、良いな。」
「・・・・・分かった・・・・後始末をお前らに押し付ける形になって申し訳ない。後日、日本の外務省に連絡して支援チームを・・・・。」
「良いって、それよりお前さんは、早く休め。立ってるのも辛いんだろ? 」
小柄な悪魔使いに対し、鍛え上げられた体躯をしている捜査官が、参った様子で頭を掻く。
タイラーが指摘する通り、魔王”アモン”を召喚し、悪霊”アビゲイル”を調伏したライドウは魔力を大量に消費し、適切な措置を必要としている。
現に、血の気が完全に失せ、病人の如く顔色が大変悪い。
言いたい事は全て吐き出した捜査官は、徐に背後へと振り返り、
「オラッ、見物は終了だ! お前等、さっさと持ち場へ帰れ! 」
と怒鳴る。
するとロビーに設置されている椅子や自販機、柱の陰から数名のCSI捜査官達が、姿を現した。
タイラー同様、ライドウとジョンの会話が気になったらしい。
上司に叱られた数十名の部下達は、そそくさと与えられた持ち場へと還って行く。
気配を全く感じさせなかった彼等捜査官の見事な隠形術(おんぎょうじゅつ)に、ジョンとライドウは暫く固まっていた。
「あ、一つ言い忘れていたけどな・・・・。」
何かを想い出したのか、部下と共に空港ロビーから退出しようとしたタイラーは、背後にいるライドウへと振り返る。
「お前さんが望んだ結果にはならないとは思うが、フォレスト家はなるべく温情をかける様には、NY市長に声をかけておく。だから、お前さんも素直に日本に還れ、分かったな? 」
暗に、これ以上、フォレスト家に関わると葛葉四家当主であるライドウの立場が悪くなると言いたいのだ。
ライドウ自身も、それは十二分に承知しているので、素直に受け止めておく。
タイラーは、そんなライドウの様子に満足したのか、今度こそ持ち場へと還った部下達の後を追い掛けた。
「邪魔するよぉー。」
執務室のドアをノックする音に、ジョンは思考の海から現実(リアル)へと引き戻される。
見ると出入り口にヨレヨレの白衣を着た瓶底眼鏡のアジア人が立っていた。
ヴァチカン13機関、科学技術部門総責任者である射場・流だ。
手には、数枚の書類が入ったA4サイズの茶封筒を持っていた。
「ほい、君に頼まれてた、例の便利屋君に関する書類だ。」
天然木で造られた豪奢なデスクに、封筒から取り出した用紙を数枚並べる。
そこには、望遠レンズで撮影された銀髪の大男の写真と、彼に関する詳細な経歴が記された書類が数枚あった。
「レッドグレイヴ市で便利屋事務所を構えているダンテ君だ。 この街に流れ着く前は、”トニー・レッドグレイブ”と偽名を名乗っていた。」
一枚の書類を手に取る大学時代からの親友に、流が簡単に補足説明をしてやる。
流曰く、ダンテはコロラド州の片田舎からNYにあるレッドグレイヴ市に移住して来たらしい。
移り住む前の街でも、荒事専門の便利屋をしており、凄腕で名前が通っていた。
仲介屋兼情報屋であるD・J・モリソンの誘いで、レッドグレイヴ市に移り住み、裏社会でメキメキ実力をつけて来たのだそうだ。
「”モーリスアイランド”・・・・・? まさか、”あの町”の出身だったのか? 」
ジョンのアイスブルーの瞳が、一枚の書類に書かれた文字へと目が留まる。
モーリスアイランドとは、東コロラド州にある小さな山村の町だ。
かつては、炭鉱開発で賑わっていた鉱山都市であったが、原子力発電の登場で次第に廃れ、今は、観光客相手に細々と商いをする小さな片田舎の町になった。
「そ、懐かしいだろ? 僕と君、それからライドウ君の三人が初めて一緒に仕事をした想い出の町だ。」
朗らかな笑顔を浮かべた流れが、天然木のデスクに置かれた写真立てを手に取る。
思えば、この記念写真も、あの町で撮影した代物であった。
(成程・・・・・ライドウがこの男を気に掛けていた理由はそれか・・・。)
部下の一人である”フランベンジュ”から、ダンテという便利屋の事は、ある程度聞いてはいる。
スラム街なら吐いて捨てる程いる、荒事専門の便利屋だ。
唯一違う所は、この男が伝説の魔剣士、スパーダの血脈であるという事。
しかし、北の台地”フォルトゥナ公国”の領主、ヒュースリー一族と、ロシア極北地方の先住民族の一つ、ウラジミール一族しか、スパーダの血脈は発見されてはいない。
イギリスや北アメリカに、彼の血脈が存在していたという痕跡などない。
すると、考えられる事は唯一つ・・・・・この男が、例の計画と何らかの関係があるという事だけだ。
「似てるよねぇ・・・・あの時の坊やに。この如何にも生意気そうな目がそっくりだよ。」
望遠レンズで撮影されたダンテの写真を一枚手に取り、流が自分の顔の前で軽く振る。
特徴的な銀色の髪と覚めるような蒼い瞳。
ジョンの脳裏に、幼い体型とは不釣り合いな大剣を大事そうに抱える一人の少年の姿が浮かんだ。
泥で薄汚れ、がりがりに痩せ細った体をしていたが、生気に満ちた蒼い目だけは良く覚えている。
「・・・・・・運命とはかくも残酷なんだな・・・・。」
デスクチェアの背凭(せもた)れに身を預け、若き枢機卿は溜息を一つだけ零す。
まさか、あの時の少年が生きて大人へと成長し、事件の当事者であるライドウや自分達の前に現れるとは夢にも思わなかった。
東京都世田谷区、成城にある葛葉邸。
まるでマンハッタンにあるロックフェラー邸を彷彿とさせる広大な庭と白亜の屋敷。
その私室兼書斎に、邸宅の主である17代目・葛葉ライドウはいた。
「何か文句でもありそうだな? 」
ノートPCと会議で使う書類をビジネスバッグに仕舞い、眼帯の少年は室内の出入り口に立つ大柄な男を眺める。
「大アリだ。 俺はアンタのパートナーだろ。何で、あの忍者野郎と組んで仕事しなきゃなんねぇーんだよ。」
内心の苛立ちを隠そうともせず、銀髪の魔狩人- ダンテが、デスクチェアに掛けられている上着に袖を通す小柄な悪魔使いを睨みつけた。
日本から遥か離れた北の台地、フォルトゥナ公国から日本に帰国して三日が経過している。
未だ体力が戻っていないにも拘わらず、ライドウは屋敷に到着して早々、フォルトゥナでの一件を依頼主である後藤事務次官に報告するべく永田町へと向かった。
当然、ダンテは留守番。
”クズノハ”暗部、”八咫烏”に所属する猿飛佐助の厳しい監視の元、まんじりともしない一夜を過ごした。
「自由気ままな便利屋家業を畳み、組織の人間になると決めたのはお前だ。 なら、主人である俺の命令に従うのは当然だろうが。」
海よりも深い溜息を吐き出しつつ、ライドウはもう何十回目になるか分からない話を繰り返す。
いくら番契約をしたとはいえ、ダンテは代理番でしかなく、ライドウの番は四神の一柱・玄武だ。
ライドウと共にお役目を務めるのは、本番である玄武であり、ダンテの出る幕は当然無い。
「組織の人間である以上、この国の為に尽くして貰う。タダ飯を喰わしてやる程、我々、クズノハは甘くないぞ。」
「なら、俺をアンタの相棒として使えば良いだろ? 」
「俺の番は、玄武だ。 ”壁内調査”は奴と組んで行う。お前の出番はない。」
有無を言わせぬライドウの言葉に、ダンテは怒りを露わにして押し黙る。
これでは、レッドグレイヴ市で共に便利屋をしていた時とまるで同じだ。
あの時も、ライドウは決して自分の領域(テリトリー)にダンテを近づかせる事はしなかった。
一定の距離を保ち、決して心を開こうとしない。
「奴と戦わせろ。あのおかっぱ野郎をぶっ倒せば、アンタも納得するんだろ? 」
「秒殺されるのがオチだ。やめとけ。」
「何だと!? 」
「玄武は、元剣聖だ。 俺程度に勝てないお前じゃ、一秒も掛からず三枚におろされるだろうな。」
ダンテも、一応は剣士職を幾つか習得している為、剣聖の実力は知っている。
剣士職の中でも、至極僅かしかいない剣豪(シュヴェーアトケンプファー)。
その剣豪達の中で、唯一最強と称された者しか与えられない称号が剣聖である。
「分かったのなら、部屋に戻れ。」
もう話は終わったとばかりに、ライドウはビジネスバッグを背負うと、八王子の本社に向かうべく私室から出ていこうとする。
脇をすり抜けようとする悪魔使いの細い腕を、ダンテは無遠慮に掴み上げた。
「いっ・・・・・!! 」
まるで万力で腕を締め上げられる様な痛み。
人形の如く整った美しい顔を歪める主を、ダンテは容赦なく壁へと叩きつける。
「俺がどうしてこんな小さな島国に来たと思う? 」
遥かに高い上背を利用し、ライドウを壁へと押し付ける。
腹腔から湧き出る怒りで、蒼い双眸が悪魔本来の紅玉の色へと変貌していた。
「アンタを俺のモノにする為だ。 あのおかっぱ野郎とアンタに蟲を仕込んだ糞野郎をぶちのめす為に日本(此処)に来た。」
「・・・・・。」
主の帰りを待つ忠犬に成り下がるつもりなど、毛頭無い。
玄武から本番の座を奪い取り、ライドウの体内にある邪魔な蟲を取り除く為に此処に来た。
ライドウは、東京湾に発生している異界の大穴-”シュバルツバース”を閉じるという大義があるのは知っている。
その為に、この愛しい魔法使いが死を覚悟している事も。
「言えよ、おかっぱ野郎は何処にいるんだ。 あの野郎をぶちのめして・・・。」
「ぶちのめして、それからどうするつもりや? 」
ダンテの背後から聞こえる第三者の声。
振りむこうとした刹那、凄まじい力でライドウから引き剥がされる。
床へと容赦なく叩きつけられるダンテ。
その視界に、金色に髪を染めた長い髪を背に垂らす男の姿が映る。
四神の一人であり、ライドウの正式な番・・・・・玄武だ。
「まぁーったく、こーんなちんけな餓鬼一匹に何をしとるんや? ナナシ。」
「・・・・・っ、玄武。」
予想外の男の登場に、常に冷静なライドウの顔に狼狽の色が浮かぶ。
黒のジャケットに白のカットソー。
グレーのスラックスに右手には、愛刀である木刀の『阿修羅』を握っている。
丸いフレームのサングラス越しで、小柄な悪魔使いを冷たく眺めていた。
「野郎っ!! 」
「止せ!ダンテ!! 」
怒り心頭のダンテが立ち上がり、目の前にいる玄武へと掴み掛かろうとする。
咄嗟に、制止の声を上げるライドウ。
そんな二人に対し、玄武は呆れた様子で溜息を零すと、分を弁(わきま)えない愚か者の眼前に人差し指を突きつける。
脳天を突き抜ける衝撃。
玄武の闘気をまともに当てられたダンテが、白目を剥き、再び床へと倒れる。
「ダンテ!! 」
「はぁ・・・・・情けないやっちゃのぉ。この程度でワイをぶちのめすとか、ようほざけたもんやで。」
大の字に倒れ伏す男の元へと駆け寄る悪魔使いを、呆れた様子で玄武が見下ろす。
八王子の本社へと向かうライドウを態々迎えに来てみれば、とんだ茶番に付き合わされた。
玄武にとっては、ほんのお遊び程度の闘気。
しかし、常人が浴びれば、脳に重度の障害を起こす程の威力がある。
ダンテとて、無事で済まないのは当たり前であった。
「何でお前が此処に? ”壁内”にいたんじゃなかったのか? 」
ダンテの頭を膝に乗せ、額に手を翳し、回復魔法を唱える。
銀髪の大男の鼻孔と耳から血が吹き出ている。
衝撃波で鼓膜と脳の血管が引き千切られた為だ。
「大将の命令や。 お前に悪い虫が付いとるから追い払えってな。」
ジャケットの袖口と紺のスラックスが、血で汚れるのも構わずダンテの治療を続ける悪魔使いを、木刀で軽く肩を叩きながら、玄武が眺める。
永田町にある帝国議事堂の地下に住む、魔人。
超国家機関『クズノハ』暗部、”八咫烏”総元締めである薬師如来の名を冠する怪物は、相当、ダンテの存在が気に喰わないらしい。
”壁内”で悪魔共相手に、血の狂宴に酔いしれていた玄武を態々呼び戻し、愛人の様子を監視させるぐらいなのだから。
「俺が誰を代理番に選ぼうが関係ない。 何時も通り与えられた役目は務めるつもりだと、骸に伝え・・・・。」
そう言いかけたライドウの細い腕を、玄武が掴み無理矢理ダンテから引き剥がす。
強引に立ち上がらせ、三つ編みに結った髪をわし掴んだ。
「おい淫売、ええ加減にしとけよ? 」
地を這う様な低い声。
情け容赦の無い殺気を当てられ、悪魔使いの顔から完全に血の気が引く。
「大将が穴倉から出て来れんのを良い事に、色んな男に足開きおって。あんま舐めた態度取ってると、その両脚ぶった斬るで? 」
「・・・・・。」
凍える様な闘気。
日本の戦国時代、最強と謳われた天真正伝香取神道流を極めた男。
兵法家・上泉信綱と並び称される武人で、歴代剣聖の中でも天才と言わしめた人物である。
四神の中で、骸からの信頼が一番厚く、故に愛人である自分の番へと宛がわれた。
「! 」
二人の背を言い知れぬ怖気が走る。
ゆらりと、まるで幽鬼の如く立ち上がる銀髪の大男。
未だ、鼻孔と耳から血を流し、真っ赤に充血した双眸が、悪魔使いを掴み上げている長身の男を睨みつけている。
(ほぅ・・・・ワイの気功術を喰らって立ち上がれるんかい。)
知らず知らずのうちに、口元が笑みの形を作る。
伊達に悪魔の血が流れている訳ではなさそうだ。
新しい玩具を見つけ、嬉々とする玄武に、それまで従順だったライドウが、突然抵抗した。
自分の髪を掴んでいる男の手を強引に振り解く。
ぶちぶちと嫌な音をさせて、髪の毛が人房抜け落ちるが、構っている余裕は無い。
三つ編みが解け、ボロボロになったライドウは、番を押し退け、銀髪の男の前へと立つ。
「もういい!頼むからもう止めてくれ! 」
覚束ない足取りで、前へと進もうとするダンテを、ライドウが必死に押し留める。
鍛え上げられた逞しい胸元に顔を埋め、身体全体を使って、男を止めようとするが、そんな事でダンテの前進は止まらない。
血走った眼を、憎き敵に向け、一歩、また一歩と進む。
「くっ・・・・・・!! 」
最早取るべき手段は一つしか無かった。
ライドウは、自分より上背のある男の額へと手を伸ばす。
『脳浸食(ブレインジャック)』
脳内ホルモンを操作し、覚醒作用があるオレキシンの分泌を抑え、過眠症-ナルコレプシーと同じ症状を引き起こさせる。
昏倒し、再び書斎の床へと崩れ落ちるダンテ。
受け止めようとしたライドウであるが、その体重が支えきれず、大柄な男を抱き留めたまま、冷たい床へと座り込んだ。
「ハッ・・・・・アホくさ、折角楽しくなってきたっちゅうのに。」
手に握っているライドウの髪の毛を床に落とし、玄武が侮蔑を多分に含んだ双眸で、サングラス越しに二人を眺める。
そんな冷酷な番に対し、ライドウは無言で意識を完全に失っている銀色の髪をした男の頭を膝へと抱えた。
「お願いだ・・・・・俺からコイツを奪わないでくれ・・・・どんな指示にも従う・・・何でもする・・・・だから。」
「そいつは、フォルトゥナの騎士じゃないで? 」
情けなく懇願する悪魔使いを、玄武は冷たく斬り落とす。
この悪魔使いは、かつて愛した男と小生意気な便利屋を重ねて見ている。
確かに、外見だけではなく、怠惰で気障、異様なまでの偏屈な性格は驚く程、似ている。
しかし、この男は、フォルトゥナ公国、第三皇子・ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーではない。
「お前が心底惚れた男は、とっくの昔に死んで、別の何かになっとる。そんなもん、ワイが一々説明せんでもお前が一番分かっとる筈やないかい。」
「・・・・・・。」
残酷な・・・・・あまりにも無慈悲な現実を突きつけられる。
かつての番(パートナー)、ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリーは、十数年前に起こった『シュバルツバース破壊計画』で自分を庇い、死亡した。
そして、四年という歳月を経て再開した男は、全く別人に成り果てていた。
肉体は既に死に、魂だけが生きているという異常極まりない状態になっていたのだ。
一体、何故、そんな状況になったのか理解出来ない。
しかし、その元凶となったのが、例の計画である事は間違い無かった。
「もうそろそろ時間や・・・・いい加減、その餓鬼に関わるのは止めとけ。」
床に座り込むライドウの背に、冷たくそれだけ伝えると、玄武は階下に停めてある黒塗りのハイヤーへと向かう。
私室兼書斎から出ると、豪奢な調度品が置かれている廊下の壁に、赤毛の忍が背を預ける形で此方を見ているのが分かった。
「あんまり17代目を虐めないで貰えますかね? あの人、結構、脆(もろ)いんですから。」
呆れた様子で、溜息を零す佐助は、金色に染めた長身の男を眺める。
同じ”八咫烏”に所属する仲間であるが、玄武の方が佐助より立場は遥かに上だ。
だが、それを全く感じさせない程、忍の口調は気安い。
「ふん、あのド阿保は、一度ワイ等を裏切った奴やで? 裏切者は又同じ事を必ず繰り返す。 キツク灸をすえるのは当たり前やろうが。」
「だからって、暴力で従わせるのはアンタらしくないでしょ? 塚原新右衛門高幹(つかはらしんうえもんたかもと)殿。」
遥か昔に捨てた名前で呼ばれ、玄武は苦虫を嚙み潰した様な渋い顔になる。
当時は、無手勝流を信条と踏まえ、流血を避けて幾多の勝利を納めて来た。
しかし、そんなモノは建前だ。
己の中には、常に血を求める怪物が住み着いている。
剣鬼としての殺戮衝動を抑えるのに、どれだけ苦労をした事か。
故に、人間(ひと)の道理から解き放たれた自分は、自由だ。
悪魔(デーモン)共を、心置きなく殺し捲(まく)れるのだから。
「ちっ、その名前でオイを呼ぶな。 忍風情がくせらしこつゆな。」
「あの・・・・鹿児島弁、分かんないんですけど。」
この剣聖は、苛々したり、頭に血が昇ると、忌み嫌っている鹿児島弁が出てしまう癖がある。
何故、鹿児島弁を嫌っているのかというと、「恰好が悪い。」のだそうだ。
本人は、関西弁の方がイケていると思い込んでいる。
「生意気って言ったんや、真田の糞猿。」
玄武は、それだけ吐き捨てると、佐助に背を向け、屋敷の外に停めてある黒塗りの高級車へと向かう。
その背を佐助は無言で見送っていた。
序盤の台詞は、『デビルマン クライベイビー』からの引用です。