ひなどり、にひき。   作:南澤まひろ

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第2話「過去と、今と」

 十一年前なら誰もが知っていた名前、『陽菜』。

 聴いた人々が惹かれる凛とした歌声に、長い髪をなびかせながらの華麗なダンス、さらには可憐なビジュアル。陽菜は全てを兼ね備えたアイドルとして大手の中村プロからデビューし、あれよあれよという間にランクを駆け上がっていった。ランクFからCへの到達は四ヶ月半。今でもこのスピードは、日本アイドル史の記録として刻まれている。

 聴いた誰もを元気にさせる「空」という歌と、小さな花からいろんな絆が広がっていく様を描いた「花」という歌。この二曲は連続してミリオンを達成し、誰もが最速でのランクA――トップアイドルの誕生を期待していた。もちろん、ファンであった俺も。

 難なくランクBを達成し、そして「秋の歌謡祭」でランクAも達成間違いなしと思われた間際、その事件が起きた。

 

『陽菜、失踪』

 

 秋の祭典を突如キャンセルしたその翌日、中村プロの社長から発表されたニュースは日本中を震撼させ、ワイドショーは連日トップ扱いで事件を放送。公共放送でも連日ニュースで取り上げられるほどだったが、それだけ陽菜というアイドルの存在は大きかったんだと思う。

 たったひとつ残された『夢の先が見えなくなりました』という書き置きは多くの予測を呼んだが、それ以来陽菜が姿を現すことはなく日高舞、神長瑠衣といったアイドルの台頭もあって、完全に表舞台から姿を消してしまった。

 それから十一年。失踪直後に絶版扱いになったこともあり、CDは中古ショップやオークションに出回れば万単位での取引は当然で、しかもすぐに売れてしまう。ファンであった俺はというと、デビューからのシングルやアルバムをまだ手元に残していた。

 小学生の頃、友人とケンカして落ち込んだときに聴いた「空」で元気づけられ仲直り出来たり、合唱祭の時にみんなで唄った「花」で賞を取ったりと思い出深いのもあるけど、それ以上に、陽菜からもらった大切なものがあった。

 

 ダッシュボードからCDのジュエルケースを取り出して、中からインレイを引き抜く。

 表紙に写っていたのは、小高い丘の上で空へと両手を広げた陽菜の姿。その傍らに書かれた小さくて可愛らしいサインは、陽菜に書いてもらったものだった。

 今はもう無くなってしまった、近所の小さなCDショップでのささやかなサイン会。まだEランクだった頃の営業で来た時に、ラジオで聴いた「空」でファンになった俺は、そのCDを持って陽菜にサインをしてもらったんだ。

『ありがとう。これからも、いっぱい聴いてねっ!』

 笑顔で、握手してくれた陽菜。そのぬくもりはもう忘れてしまったけど、やわらかな笑顔とうれしそうにサインする姿は今でも忘れることが出来なかった。

 ただ……その姿が小鳥さんとそのまま結びつくかっていうと、少し疑問もあったりするんだが。

「似てるといえば、似てるんだけどなぁ」

 俺の想い出の中の陽菜は、とても可憐で清楚な女の子。小鳥さんは……どっちかというと、とってもお茶目で楽しいお姉さん。どう考えてみても、俺の頭の中で二人がイコールで結びつけられないわけだが……それでも、やっぱりあの写真の姿が脳裏で重なって仕方がない。

「……いっちょ、聞いてみるかな」

 インレイをケースにしまった俺は、再びCDをダッシュボードに入れて車の外へと出た。

 

 765プロの駐車場は賃貸っていうこともあって、事務所から少し離れたところにある。

 ポケットにキーをしまいながら事務所へと向かうと、見慣れた後ろ姿が視界に入ってきた。

「おはようございます、社長」

「おお、君か。おはよう」

 駆け寄って声をかけると、高木社長がいつものように気さくに挨拶してくれた。

 よく見てみると、あの写真に写っていた頃からやっぱり幾分か老けたように見える。

「今日も朝からはりきっとるね。実にいいことだ」

「今の俺はヒラですから、何でもやらないと。それで、ちょっと社長に聞きたいことがあるんです」

「ん? 何かね? 次に担当したいアイドル候補生の話かな?」

「あー、それはまた後で。まあ、アイドルの話ではありますが」

 そこまで言って、小さく咳払いをして改まる。

「社長は『陽菜』ってアイドルをご存じですよね?」

「陽菜君、かい?」

「はい」

「ああ、知らないわけではないが……ちょっと待ちたまえ。今、事務所の鍵を開けるから」

 慣れた手つきで鍵を開けて、先に事務所の中へと入っていく社長。続いて俺も入ると、いつもの喧噪が嘘のような静けさが支配していた。

「久しぶりに、君からその名前を聞いたよ」

 社長はコートを脱ぐと、自分の椅子の背もたれにかけて座った。

「ええ。高木社長が、昔プロデュースなさっていたんですよね」

「そこまで知っているのかね」

「何言ってるんですか。ちょっとネットで検索すれば一発で出てきますって」

 それに、高木社長――当時の高木プロデューサーは陽菜の仕掛け人として有名だったから、ファンで覚えている人は多かった。

「まあ、君の言うとおりだ。私は陽菜君の担当プロデューサーであり、彼女が失踪するまでそれは続いていたよ」

「では、社長は彼女の行方をご存じなんですか?」

「なるほど、君はそれが聞きたかったわけだな。だが、私が中村プロを辞めて陽菜君との接点は無くなってしまったし、その間際に普通の女性として過ごしているのを風の噂に聞いたぐらいしか知らないのが、正直なところだ」

「そうですか……でも、ひとつ気になることがあるんです。

 昨日、わけあって小鳥さんの部屋にお邪魔したのですが、そこで社長と小鳥さんらしき女性がこのビルの前で撮ったような写真を見かけまして」

「おお、懐かしいね。私が765プロを継いだ頃のものだな」

「それで、その女性ってもしかして陽菜じゃ――」

「はっはっはっ。いやいや、正真正銘、ここに写っているのは音無君だよ」

 俺が言いかけた言葉を、社長が心底愉快そうに笑い飛ばす。

「私が父から765プロを継ぎ、その頃に彼女が入社してね。新しい門出の記念に、一枚撮っておいたわけだ」

 そう言いながら、社長は机の引き出しから小さなアルバムを取り出して俺に開いて見せた。

 そこにあったのは、小鳥さんの部屋にあったのとまったく同じ写真。まだ若かりし日の高木社長と、セミロングの髪の女の子――小鳥さんか陽菜らしき人が写ったものだった。

「いやはや、しかし、音無君が陽菜君と似ているか。音無君もきっと、光栄なことだろうな」

「では、陽菜は小鳥さんとは関係ない、と?」

「音無君は音無君で、陽菜君は陽菜君。音無君は我が社の事務員で、陽菜君は今や一般の女性。つまりは、そういうことだ」

「それなら――」

「ファンであった君なら、覚えているかもしれないが……」

 社長は再び俺の言葉を遮ると、柔和な笑みを引き締まったものに改めて俺を見上げた。

「陽菜君は『夢の続きが見つからなくなった』と言い残して私たちの前から去っていった。その言葉はまっすぐでいて、とても切実なものだったよ。もっと私が陽菜君のことをしっかりサポートしていれば、そんなことにはならなかったかもしれない……そう、幾度も、幾年も後悔したものだ。

 だからこそ、君には私のように……自分が担当したアイドルに、自分の理想だけを押しつけるようなプロデューサーにはなってほしくはないのだよ」

 いつもは陽気な社長が、重々しく語る言葉。 それが、今の俺にずしりとのしかかってくる。

「陽菜君の影を追い続けるのは、まあよしとしよう。だが、彼女は過去のアイドルであり、現在のアイドル候補生に当てはめるべきではない。くれぐれも、それは忘れてはいかんぞ」

「……はい」

「君は、あの頑なだった如月君の心を開くことが出来た。今や、彼女の笑顔は我が社には無くてはならないものだ。だからこそ、君にはもっと多くのアイドル候補生たちを笑顔にしてほしい」

「笑顔、ですか」

「うむ。アイドルにとって、何よりも大切なのは笑顔だからね。君たち、我が社のプロデューサーには、その笑顔を育てる力がある。

 君の根底に陽菜君の存在があることも、よくわかる。確かに、彼女の笑顔も素晴らしいものだった。だが、笑顔というのはひとりひとりにふさわしいものがあると、そう思わんかね?」

「確かに、そう思います」

「だろう? 現に、如月君の笑顔は涼やかで心地のよいものであって、君とは別のプロデューサーではあるが、天海君は花咲くような晴れやかな笑顔を見せてくれる。それぞれにふさわしい笑顔があってこそ、人というのはアイドルに惹かれていくのだよ」

「…………」

「君は、陽菜君の幻にとらわれすぎだ。目標にするのはいいが、とらわれてはいかん」

「とらわれすぎ、ですか……」

「如月君と行った全都道府県CDショップ巡りはその最たるものだが、彼女にとっていい影響があったからよしとして……あまりにも、そのまますぎだな」

 社長の断言が、俺の心にグサリと突き刺さる。

 確かに、こだわっていたことは認める。陽菜のようなアイドルを育てたい一心で、ずっと突き進んできて……だからこそ、その言葉がメチャクチャ痛い。

 もしかして、俺は自分の理想だけを押しつけて、陽菜に近づけただけで満足していたんじゃないか……?

「おはようございますっ!」

「おお、音無君。おはよう」

 社長の言葉に振り返ると、春物のカーディガンを着た小鳥さんが事務所へと入ってきていた。

「プロデューサーさんも早いですね。今日も一日、よろしくお願いしますっ」

「は、はい。よろしくお願いします」

 何も知らずに、俺に笑顔を向けてくれる小鳥さん。

「……? どうしたんですか? プロデューサーさん」

「いえ、なんでもないです」

 いつも通り、とっても可愛らしいけど……今の俺には、まぶしすぎてたまらなかった。

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