「んぐっ、んぐっ、んぐっ……ぷはぁっ!」
い、生き返る……
まさか、ただのウーロン茶がこんなに美味いものだったとは。
「大丈夫ですか? プロデューサーさん」
「あ、あはは、大丈夫です。すいません、ご心配をおかけして」
ジョッキ一杯のお茶を飲み干したところで、俺は席の向かいで心配してくれる小鳥さんに苦笑しながら謝った。
「本当、ビックリしましたよ。いきなり窓の向こうで倒れるんですから」
「いや、ホントに申し訳ありません」
たるき亭の前でへたり込んだ俺を、店から出て助け起こしてくれた小鳥さん。そのままバイトの小川さんに事情を説明して、今は奥の個室で二人きりにさせてもらっていた。
「でも……小鳥さんがいなくなったと思ったら、いてもたってもいられなくなって」
「私が? いなくなる?」
きょとんとしながら、小鳥さんが首を傾げてみせる。
「いえ、昨日のことがありましたし、なにより社長も誰も小鳥さんの行方を知りませんでしたから」
「えっと、私、会社のPCにメールしましたよ? 今日は遅刻して、午後から出社しますって」
「……へ?」
あんまりな言葉に、俺は思わずぽかんと口を開けてしまった。
「あれ? もしかして、誰も知らなかったんですか?」
「えっと、今日は朝来たら春香ちゃんと先輩と響ちゃんがいて……それで、なんかてんやわんやになってて」
「響ちゃんって、あの961プロの? どうしてまた、765プロに?」
「なんでも、961プロを追い出されたから765プロに来たらしいですけど……って、本当に、メールしたんですか?」
「ええ。でも、そんなてんやわんやになってたなら……社長もみんなも、見てなかったかもしれませんね」
「あー……」
「でも、プロデューサーさんってばひどいです。今の私はちゃんとした社会人なんですから、いきなりいなくなったりなんてしませんよ?」
「確かにそうですけど……どうしても、昔のことが重なっちゃって」
俺はそう言って、居住まいを正して小鳥さんに向き合った。
「小鳥さんもいなくなってしまったらって思ったら、いてもたってもいられなくなってしまって」
「私も、ですか?」
「ええ。俺、十一年前に陽菜が失踪したとき、すっごく悲しかったんです。どうして俺たちファンに何も言わずに、消えてしまったのかって……でも、俺ってば昨日みたいに無神経に過去に触れようとしたり、陽菜のことを話したりして、知らず知らずのうちに小鳥さんにその思いをぶつけて傷つけて、今度は俺が小鳥さんを追いつめて、ここにいられなくしてしまったんじゃないかって、そう思って」
「…………」
そこまで言った俺から目をそらすように、小鳥さんが視線を落とす。
「すいません。陽菜は陽菜で、小鳥さんは小鳥さんなのに……俺、自分のことばっかり先走っちゃって、陽菜や小鳥さんのことを全く考えてませんでした。もうこれ以上、小鳥さんの過去に触れたりしませんから……本当に、ごめんなさいっ!」
そんな小鳥さんを見たくなくて、俺はテーブルにすりつけるようにして頭を下げた。
小鳥さんが嫌がるようなことなら、もうしない。できることなら、いつも通りの小鳥さんでいてほしいから……だから……
「……もうっ。そこまで言われたら、認めるしかないじゃないですか」
「……え?」
予想外の言葉に、弾かれるように顔を上げる。
「プロデューサーさんってば、もう私が陽菜だって確信してる口ぶりなんですもの。違っていたら全力で否定しますけど……そこまで本人の目の前で言われたら、もうこれ以上否定できません」
見ると、小鳥さんが浮かべていたのは苦笑い。
「プロデューサーさんがおっしゃる通り、私はアイドル・陽菜でした。でも、彼女はもうどこにもいません。今の私は、音無小鳥。765プロの、ただの一事務員です」
そして、そらした視線をまた俺に向けてくれた。
「それじゃあ、本当に?」
「はい。まさか、陽菜が目標だっていう人が765プロに来るなんて思わなくて、実はちょっとびくびくしてたんですよ?」
小鳥さんの憂いを帯びた表情は、いつもの快活なものとは違って……清楚だった陽菜と同じ人物かもしれないということを伺わせた。
「では、俺が来たから今の性格に変えて目くらましにしたとか?」
「いえいえ、あの時の性格はあくまでも高木プロデューサーの当時のイメージ戦略で、こっちのほうが地というか……だいたい、プロデューサーさんは昔の私のことを美化しすぎなんですっ」
「さ、さいですか」
ああ、陽菜の清楚なイメージは高木社長発だったのか……
「でも、プロデューサーさんはどうしてそこまで陽菜のことを……私のことを追っていたんですか? もう、とっくの昔に消えたアイドルなのに」
「ずっと、目標だったからですよ。俺の中で、最高のアイドルはずっと陽菜でしたから」
そう言いながら、バッグの中からCDのジュエルケースを取り出す。
「これは……『空』?」
「ええ、俺が初めて買った陽菜のCDで――」
そのままインレイを抜き出した俺は、小鳥さんに差し出して陽菜の傍らを指さした。
「俺が、アイドルから初めてサインをもらったCDなんです」
そこにあるのは、小さな陽菜のサイン。
色紙に書いたものよりはずっと小さいけど、俺にとっては心に残る大きなサインだった。
「小学校の頃、俺は何度もこのCDを聴いてました。友達とケンカしたり、学校のことで悩んだりしても『空』が元気づけてくれて、俺たちの世代にとってかけがえのない曲だったんです。そのCDを、あなたが消えてしまってからもずっと聴いてて……そのうちに陽菜を、いえ、陽菜さん――小鳥さんを追いかけるようになりました。『いつか絶対に見つけ出して、今度は俺がプロデュースするんだ』って。それをずっと目標にしてましたけど……もう、陽菜はどこにもいないんですよね」
「はい」
確かめるように訊ねると、小鳥さんはためらうことなく小さくうなずいた。
「どうしてか、教えていただけますか?」
「そうですね……ずっと私のことを追い続けてくれたプロデューサーさんになら、話しておきます。
アイドルとして走り続けた私は、ランクAまでもう少しっていうところまでたどり着くことが出来ました。確かに、それは目指していた道ではあったんですけど……そこで立ち止まって振り返ったとき、私のまわりには誰もいなくなってしまったことに気付いたんです。
もちろん、私にはファンの人たちがいてくれるっていうのはわかっていました。でも、身近にいた人たちは私がみんな置いてきぼりにしてしまった。アイドルになることを引き止めた両親と話すことも無くなって、芸能活動が忙しくて学校へも行かなくなったことで友達とも疎遠になってしまって、事務所の仲間達も一足飛びで上がっていく私から距離を置いてしまって、自分一人になってしまったんだと、そう思い込んじゃって……」
「えっと、社長というか、プロデューサーは?」
「高木社長は、ずっと私のためにって昼夜駆けずりまわってました。今なら私のためにしてくれたんだってわかるんですけど、その時の私ってばマトモに話せなくなった上にさっきみたいに考えてしまって『あの人の好きなように振り回されてる』って誤解しちゃったんです。それで、自分が夢見ていたアイドルの道を見失ってしまって……怖くて、唄えなくなってしまって」
「唄えなくなってしまった、ですか」
確か、千早もラストコンサートの前に『張りつめていたものがはじけて唄えなくなった』って言ってたけど……小鳥さんも、そうだったのか。
「しゃべることは、ちゃんと出来るんです。でも、唄おうとするとどうしても声が詰まってしまって……それで、全部放り出してみんなの前から逃げてしまいました。何も持たずに、両親がいる故郷へと」
「だから『夢の続きが見つからなくなった』わけですか……」
「今思えば、ずいぶん勝手な言いぐさですよね。でも、当時の私はそう思い詰めちゃって……まわりの人に、いっぱい迷惑をかけちゃいました」
苦笑いしながら、お茶をひとくち飲む小鳥さん。その言葉は、千早の――アイドルのプロデューサーをしていた俺にとって、とても重みがある言葉だった。
アイドルは、孤独ではいられない。誰かの支えがないと、進んでいけない。かつての千早も、歌さえあれば自分で何でも出来ると思っていたけど、何度も転んだりうつむいたりしているうちに、俺の差し出した手に気付いてくれて、俺と一緒に歩く道を選んでくれた。
もし途中で俺がプロデュースを投げ出したり、千早とコミュニケーションをとらずに仕事ばっかり入れてたら、いったい彼女はどうしていたんだろうか。両親のことも弟さんのことも言えないまま、ずっと自分の中で溜め込んで……もしかしたら、その重みに押し潰されていたかもしれない。
「幻滅しちゃいました? こんな弱々しかったのに、一端にアイドルを気取っていただなんて」
「そんなことはありません! 俺もプロデューサーとして、その気持ちは痛いほどよくわかります」
だからこそ、俺は陽菜が――小鳥さんが消えたのを否定することなんて出来なかった。
「でも、だったらどうして765プロで……高木社長の下で、事務員をなさってるんですか?」
「それは……笑わないでくださいね?」
俺の問いに、小鳥さんはほんの少し顔を赤らめた。
「実家に帰ってからしばらくはテレビとかラジオには全然触れなくて、高木社長から届いた手紙も、きっと『戻ってこい』って書かれてるだろうって全く読まなかったんですけど……ある日、父が読んでいた新聞をちらっと見ていたら、765プロ社長交代の記事が書いてありました。
もちろん高木社長のことが書いてあったから、きっと私のせいで中村プロを辞めさせられたのかと思っていたら全然そんなことは書いてなくて、逆に『二人三脚で歩んでいく環境を作りたかった』って書いてあって……でも、私はさっき話したみたいに思っていましたから、そんな馬鹿なと思いながら高木社長からの手紙を全部読んだんです。そうしたら『戻ってこい』なんてひとことも書いてなくて、私への謝罪と労いだけが書いてあって……その中の『君の新しい夢が見つかることを祈る』という言葉を読んで、私の夢って何だろうって、ふと考えちゃって」
そして、苦笑いのような、照れたような笑いを浮かべてみせる小鳥さん。
「数日間、ずーっと考えてました。母が買っていた私のCDとか、全部引っ張り出して眺めていて。そうしたら『私みたいな子にならないよう、アイドルを目指す子たちのそばで支えていてあげたい』って思い浮かんだんです」
「だから、765プロの事務員になったわけですか」
「笑っちゃいますよね。逃げ出したアイドルが、今度はアイドルを見守る側になるなんて」
「そんな、自分を責めないでください。俺と千早は小鳥さんにたくさん助けられましたし、今だっていっぱい助けられてます。荒れてた俺を慰めてくれてたり、活動休止した千早のことを寮に誘ってくれたりして……感謝しても、しきれないぐらいなんです」
「っ?!」
俺は身を乗り出して、うつむきかけた小鳥さんの手をとった。
「本当に、ありがとうございます。俺たちのことを支えてくれて、ここまで導いてくれて」
どうしても、これだけは伝えたい。
「小鳥さんがいなかったりしたら、俺と千早はずっと前に挫けていたでしょうし、こんな風に今もプロデューサーを……今はフリーですけど、続けることもなかったと思います。千早が引退してしばらくしてからここで小鳥さんが励ましてくれたこと、俺、すっごくうれしかったんですよ」
小鳥さんが見守ってくれてるのは、アイドルだけじゃない。俺たちプロデューサーだって、彼女にいつも見守られて、そして支えられている。
だから、自分を責めて欲しくなくて……どうしても、感謝したくて。
「変な風に勘ぐったりしたことは、謝らせてください。でも、小鳥さんが陽菜で、陽菜が小鳥さんで、本当によかったって思うんです。どうして陽菜ばっかり追い求めちゃいけないのか、そのヒントをくれたんですから」
手に取っていた小鳥さんの手を両手で包んだ俺は、そのままきゅっと軽く握って頭を下げた。
「だから、どこへも行かないでください……小鳥さんがいなくなったりしたら、俺、後悔してもしきれません」
「ど、どこへも行ったりしませんよぅ!」
俺の言葉に、小鳥さんは慌ててそう言うと口をとがらせてみせた。
「さっきも言ったとおり、私はもう責任ある社会人なんですし……それに、プロデューサーさんやアイドル候補生の子たちを放って、どこかへ行ったりはしません。だって、みんなの成長を見守ることが今の私の夢なんですから」
そう言いながら、俺が握っていた手をゆっくりとほどいて……逆に、軽く両手で握りかえされる。
「今日遅刻したのも、ちゃんとプロデューサーさんに陽菜と私のことを話そうかどうか迷っていたからなんです。そしたら、いきなりプロデューサーさんが目の前にいたんですもの。本当にびっくりしちゃいました」
「そ、そうだったんですか」
「ええ。本当、プロデューサーさんってばおっちょこちょいなんですから」
ようやく、かげり無くくすっと笑ってくれる小鳥さん。
「あ、あははははは」
それがうれしくて、気が抜けた瞬間、
「あ」
「あ……」
俺の腹が、ぐるるるると思いっきり空腹を訴えてきた。
「え、えーっと……ランチなら、まだやってると思いますよ?」
「じゃ、じゃあ……生姜焼きランチフルセット、大盛りで」
「ふふっ、わかりました。小川さん、すいません。プロデューサーさんが生姜焼きランチフルセットの大盛りだそうです」
小鳥さんがふすまを開けて声をかけると、別のプロデューサーが担当している伊織ちゃんみたいな声で「よろこんでー!」って返事がかえってきた。
「でも、ちょっとほっとしました。これで、プロデューサーさんから勘ぐられなくても済むようになったんですよね」
「ほ、ホントにすいません。陽菜……じゃなくて、陽菜さん? っていうか、小鳥さん? って、えっと……ああっ、陽菜さんと小鳥さんのことは、もう追っかけたりしませんから」
「はいっ。でも、陽菜のことは陽菜のまま、覚えていてくれてもいいんですよ?」
「えっ?」
首を傾げる俺に、にこっと笑ってみせる小鳥さん。
「実は、ほんのちょっとうれしかったんです」
それは、ほんのちょっと頬を赤らめたような照れ笑いで……
「陽菜のこと……私のことを、忘れないでいてくれて」
昔の陽菜の笑顔が、今の小鳥さんの笑顔に溶け込んでいくかのようで。
「あっ……」
あまりのかわいさに、思わずドキッとしてしまった。
というか、小鳥さんがここにいて、実は陽菜もここにいて、俺は二人のことが好きで、二人は同一人物で、ダブルで好きってことは好きっていうキモチも二倍になって、それはきっと「大好き」になるわけで。
「プロデューサーさん。これからは、またいつも通り仲良くやっていきましょうねっ!」
「は、はいっ!」
って、いやいやいやっ、思わず頷いちまったけど、待て、ちょっと待てっ! よくよく考えてみれば、大好きな憧れの人が目の前にいるんだぞっ!?
そう考えるだけで顔がすっごく熱くなって、喉もカラカラに乾いていく。
「んぐっ、んぐっ……げふぉっ?! げほっ、げほっ!」
「ああっ、プロデューサーさん! そんなに一気に飲んだらむせちゃいますよっ!」
喉を潤そうと慌てて水を飲んだら、気管に入り込んで思いっきりむせて介抱される始末。いや、背中に伝わる手の感触、すっげぇ気持ちいいんですけどねっ?!
「す、すいません。あはっ、あははははは」
「? もうっ、ヘンなプロデューサーさん」
からからと笑って、小鳥さんがぽんと俺の背中を叩いてくれる。
たったそれだけの仕草でも、とっても幸せで……事務所に戻るまで、このドキドキはずっと続いていた。