「……で、結局私への連絡を忘れたってわけですか」
「まったく、返す言葉もございません」
絨毯に頭を擦りつけての、全力土下座。
頭上から聞こえてくる千早の声は冷え冷えとしていて、それでいて鋭くて……顔、マトモに上げられないわ。
「思えば、兄さんが私のことをプロデュースしてたときもそういう風に突っ走ってましたよね。スタジオの方やミキサーさんと渡り合ったり、活動期限のことで私が止めても社長とやり合おうとしたり……私、ずっと心配してたんですよ? 連絡も途絶えて、ここでずっと待ってて。なのに、小鳥さんが見つかったからって安心して忘れてたなんて、あんまりじゃないですか?」
「スマン! ほんっとーにスマン! 千早の想いもわかってたっていうのに、放置したりして……本当に、ごめん」
「……まあ、真正面しか見えない兄さんらしいっていったら兄さんらしいかもしれませんが」
呆れたような、それでいてちょっと笑ってるような声。もしかして、ちょっとは許してくれたのか――
「…………」
って、まったく顔は笑ってねぇし!
「……兄さんばっかり、ずるいです」
「えっ?」
「音無さんは……小鳥姉さんは、兄さんだけのものじゃないんですからね」
千早はそう言うと、ぷくっとむくれてみせた。
「そうだよな。お前にとっても、小鳥さんはお姉さん代わり……いや、お姉さんだってのに、ごめん」
「もう、いいです。音無さんが無事だったのなら、それで十分ですから」
そして、ようやく表情を緩めた千早は、ほっとしたのか安心したように何度も小さくうなずいてみせた。
まあ、そりゃそうだよな。連絡もなければ不安になるし、電話したら行方不明なはずの小鳥さんとランチ中だって知ったら、怒って当然だろうし……だから、仕事終わりにすぐ寮へ向かって千早にフォローしに来たわけで。
「それで、今回の件のことなんだが……小鳥さんから、伝言があってな」
「伝言、ですか?」
「ああ。詳しいことはあとで本人から話すって言ってたけど、遅刻した分残業もあるし、どうも面と向かっていきなり話すのは恥ずかしいらしくてな」
このあたりは、自分のことを懸命に隠していた小鳥さんらしいというか、なんというか。
「その小鳥さんなんだが、昔、アイドルをやっていたそうだ」
「アイドル、ですか? あの、小鳥さんが?」
「ああ。名前は『陽菜』って言ってさ」
「…………」
って、あれ? 反応が無い?
「ぷっ、くくっ……ふふふっ、兄さんってば、冗談が下手ですね」
「へ?」
「そんな、下手な冗談を言わないでください。あの小鳥姉さんがアイドルで、しかも兄さんが追いかけていた陽菜だったなんて、そんなドラマみたいな話があるわけないじゃないですか」
うわ、身も蓋もないすっげー言い草。
「いや、それが本当だったりするんだが」
「またまたご冗談を」
しかも、くすくす笑いながら手をぱたぱた振ってるし。
「冗談だったら、こんなこと言わないっての。小鳥さんがどっかの星のお姫様だとか、もっと大ボラ吹くぞ」
「そっちのほうが面白くないですね。まだ、アイドルだったっていうほうが面白いです」
「んじゃ、信じてくれ」
俺は、笑わずに千早のことをじっと見つめた。
「……えっと、冗談、ですよね?」
「いんや」
「小鳥姉さんは元アイドルで、それでいて……あの、陽菜だっていうんですか?」
「ああ、間違いない。ほら、見てみろ」
俺はバッグから「空」のCDを取り出して、一緒にケータイに撮っておいた写真も呼び出して脇に置いた。
「……完全に、一致してますね」
「だろ?」
それは、空に向けて手を広げたジャケット写真を模したポーズ。千早にどう信じてもらうかと相談した結果、事務所にあったエクステを髪につけてもらって再現したってわけだ。
「じゃ、じゃあ、本当に小鳥姉さんはその、あの、兄さんが追いかけてた陽菜だっていうんですか?!」
「だから、さっきから何度も言ってるだろ」
「~~っ!?」
ため息混じりに俺が言った瞬間、千早は顔を真っ赤にしてあたふたと慌て始めた。
「う、うそですっ。だったら、どうして音無小鳥って名前じゃなくて陽菜なんて名前なんですかっ?!」
「それはだな、ほれ」
俺はテーブルにあったメモ帳とペンを引っ掴むと、ちょいちょいと二人の名前を書いていった。
「小鳥って『雛』とも言うだろ? んで『雛』だと堅すぎるし『ひな』だとまんまだからって、高木社長……当時のプロデューサーがひねり出して『陽菜』って芸名にしたらしい」
「そ、そんな、安直な」
「んでもって、俺らはその安直なネーミングを見過ごしてたわけだ」
うんうんとうなずきながら、俺は陽菜が遠いようでいて実は近い存在だったことを思い知らされた。
「……だからだったんですか? 昨日兄さんがあんなことを言って、小鳥姉さんが動揺していたのは」
「そういうことになるな」
「そっか……陽菜は、小鳥姉さんだったんですか」
ようやく落ち着いたのか、千早が自分を納得させるようにゆっくりうなずく。
「だったら、うれしいです。陽菜は、小鳥さんとして私たちをずっとそばで見守っていてくれたってことなんですよね」
「そうだな。そして、ずっと俺たちを支えてくれた」
「ええ。それに……兄さん、よかったじゃないですか」
「ん?」
俺が聞き返すと、千早は身を乗り出していたずらっぽく笑ってみせた。
「兄さんが好きな陽菜が姉さんだったなら、思う存分好きでいられて」
「ばっ、バカ! 何言ってるんだよ!」
「あれっ? 兄さん、姉さんのことを好きじゃないんですか?」
「い、いや、まあ、そりゃ、好きだけど……って、どうしてお前が知ってるのさ」
「見ててわかります。姉さんといっしょに呑みに行く時だってうれしそうだったし、膝枕をしてもらってたときにはデレデレしてたし、恋のことをよく知らない私だってわかるぐらいなんですから、きっとわからないほうがおかしいぐらいです」
うわっ、一番恋愛に疎いと思ってた千早に言い切られちまったよ。
「それに……私にとっても、よかったです。陽菜が姉さんで」
「どういうことだ?」
首を傾げる俺に、くすくす笑っていた千早は穏やかな笑みに改めた。
「陽菜が姉さんで、姉さんが陽菜なら、安心して兄さんのことを姉さんに任せられます」
そして、まっすぐに俺を見つめる瞳。
「私が好きな兄さんが、やっと間近で見つめられる人なんですから」
「お前、が……って、ちょ、ちょっと待て。おい、それって――」
「兄さん、全然気付かないんですもの。確かに私には親身に接してくれましたけど、こと恋心になると陽菜や姉さんのほうばっかり。もちろん、最初は嫉妬しましたよ? でも、兄さんが本当に陽菜と姉さんのことが好きなんだって、そのうちわかって……」
そのブラウンの瞳がわずかに揺れた瞬間、
「プロデューサーと音無さんは、心身ともに家族を失った私にずっと親身でいてくれた人。恋は叶わなくても、私にとっては家族同然。だから、プロデュースから離れたら『兄さん』『姉さん』って呼ぼうって決めたんです」
今までの中でも一番の満面の笑みを浮かべて、千早はそう呼ぶ理由を明かしてくれた。
「……すまん」
「すぐに謝るの、兄さんの悪いクセですね。私は兄さんと姉さんが幸せになってくれれば、それでいいんですよ。私だって、きっと兄さんと姉さん以上の幸せを掴んでみせます!」
それは、千早が芸能活動以外に初めて見せてくれた決意表明。
ずっと歌のことばかり考えてて危なっかしいって思ってたのが、いつの間にかこんな成長してただなんて……うれしくて、なんだかちょっぴり寂しいな。
まったく、俺なんてまだまだヒヨコも良いところじゃねえか。
「ありがとう、千早」
「どういたしまして。で、もう姉さんに告白はしたんですか?」
「おいおい、まだに決まってるだろ。今日初めてわかったばかりで、そんなこと言えるわけ……」
「まあ、そうですね。兄さん、基本的にヘタレですから」
「ぐっ、へ、ヘタレって……お前、どこからそんな言葉を覚えたんだよ」
「えっと、律子や春香や姉さんが貸してくれた少女漫画や恋愛小説でいろいろと」
千早が見た方へ視線を移すと、ついこの間まで音楽の本だらけだった本棚には「百合とゆめコミックス」やら「雷撃ビーズ文庫」やらの本がちらほらと並べられていた。
「だーっ!! リアルと漫画をごっちゃにすんなっ! まして俺はヘタレじゃないっ!」
「私のことや姉さんのことでうだうだ悩んでいた兄さんの、どこがヘタレじゃないんですか?」
「うっ……か、返す言葉もねえ」
ま、まさかここまで強気な性格に育っていたとは……兄さんは悲しいぞっ!
「むしろ、私はこのままでいるよりも、今はっきりさせたほうがいいと思います。兄さん、憧れの人が側にいるってだけで満足しちゃいそうなタイプですし」
「はっきり言ってくれるな、オイ」
「一年間、ずっとそばにいてくれたんですから。当然じゃないですか」
自信に満ちた千早の瞳はちょっぴり意地悪で……でも、俺のことを後押ししてくれるのには十分だった。
「でも、そうだよな。せっかく小鳥さんが自分のことを明かしてくれたんだし……俺もちゃんと想いを伝える、いい機会だよな」
だから、俺もそれに応えてみることにした。
「小鳥さんはまだまだ残業だろうから……そうだな、一旦事務所に戻るわ」
俺は広げていた荷物をバッグにしまうと、そのまま立ち上がって玄関へと向かった。
「ありがとな、千早。後押ししてくれて」
「まだ早いですよ。そのお礼は、ちゃんと両想いになってから存分にいただきます」
あーあー、辛辣なところは相変わらずでやんの。
「それも、そうだな」
くすっと笑う千早に、俺もにかっと笑って応えてやった。