ひなどり、にひき。   作:南澤まひろ

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おまけ「ちーちゃんの休日」前編

『大崎、大崎です。湘南新宿ライン、東京臨海高速鉄道りんかい線はお乗り換えです』

 流れるアナウンスを聞きながら、私はホームをゆっくりと歩いていた。

 日曜の朝っていうこともあってか、人はまばら。その中で、私の目の前に歌でも唄い出しそうなほどに嬉しそうな女の人がいる。

 端から見ていても浮いているけれど、その心境を思えば仕方ないとも思う。

「えっと」

 突然その人は立ち止まると、構内の案内板を眺め始めた。慌てて姿を隠そうとしたけど、今はその必要もなかったと思い至る。

 春香から借りた薄桜色のコートから小さな鏡を取り出して、少しずれた眼鏡を直す。ポニーテールに結った髪は乱れてないから、ばれる心配もない。

 また歩き出したその人についていくように、私もゆっくり歩き始める。

 ずっと浮かれっぱなしの、姉さん――小鳥さんを見守りながら。

 

 *

 

 兄さんと姉さんの心が通じ合ってから、二週間。私は事務所で、手書きの資料をキーボードでPCに打ち込み直していた。

 フォントを変えたり、体裁を整えたり……以前はほとんどPCに触れたこともなかったのに、慣れとは恐ろしいもの。今ではそれなりに早く操作出来るようになったと思うし、自分でPCを買ってお仕事以外でも触れるようになった。

「えっと、アンコールは……『いっぱいいっぱい』と」

 つい先日発売したばかりの曲のタイトルを打ち込んで、セットリストは完成。こうしてみると、律子もいろいろ唄ってきたんだなと思う。

「ふぅ」

 背もたれに体を預けて、眼鏡を外す。パソコンの操作には慣れたけれど、そこから来る疲れはまだまだ慣れない。

「はいっ、おつかれさま」

 と、デスクにそっと紅茶が満たされたマグカップが置かれる。

「あっ、ありがとうございます」

 見上げると、音無さん――小鳥姉さんが私に微笑みかけてくれていた。

「千早ちゃん、ずっとモニターとにらめっこしてたでしょ。よかったら、一息ついてね」

「はいっ」

 その気遣いがうれしくて、素直にマグカップに手を伸ばす。輪切りのレモンが入った紅茶をひとくち飲むと、ふんわりとその香りが広がって……うん、とっても美味しい。

「今日も、とっても美味しいです」

「ふふっ。そう言ってくれると、淹れ甲斐があるわね」

「さすが、兄さんを惚れさせただけあるお茶ですね」

「ち、千早ちゃんっ!」

 ちょっといたずらっぽく言ってみると、小鳥姉さんは顔をぼんっと真っ赤にしてあたふたしだした。

「私も、こういう紅茶を淹れられるようになりたいです。『姉さん』」

「だ、だからその呼び方は……ううっ、照れるんだってばぁ」

 追い打ちをかければ、さらに身もだえ。やっぱり、小鳥姉さんはかわいい。

 かわいくて、ちょっとおっちょこちょいだけど頼りになるお姉さんで……今なお、私にとっての目標でもある、歌の先輩。

 

 跳ねっ返りだった私を、プロデューサーだった兄さんといっしょに根気強く見守ってくれた姉さん。アイドル活動を終え、事務員のバイトをしている今でもそれは変わらなくて、765プロでいっしょにいられる幸せをひしひしと感じていた。

 

「えっと、それはともかく、千早ちゃんにちょっと相談があるんだけど」

「相談、ですか?」

「うん。来週、プロデューサーさんと私がデートなのは知ってるわよね?」

「ええ、両方からお聞きしましたが」

「実は、そのことでね……」

 私が答えると、姉さんは小声になりながら顔を近づけてきた。

「デートコースって、どうすればいいのかな」

「……はい?」

 この人は、何を言っているのだろう。

「あの、この私にデートコースの相談をするんですか?」

「だ、だって、お姉さんな私に任せてって言ったのはいいけど……初めてだから、どんなところに連れて行けばいいとか、そういうのがよくわからないんだもん」

 両手の人差し指をちょんちょんとつっつき合わせながら、もじもじと言う姉さん。ああ、もう本当にかわいいんだから……とは、思うのだけれども。

「さすがに、恋愛経験ゼロの私にデートのことを聞くのはいかがかと」

「それを言ったら、私だって妄想の中でしかデートしたことがないし」

 さ、さすがは姉さん。妄想でデートをするだなんて……って、でも、もしかしたら?

「でしたら、その妄想をもとにデートを組み立ててればいいのではないでしょうか。姉さんにとっての理想でもあるのでしょうし」

「はっ?! そ、その発想は無かったわ!」

 いえ、そう真面目に驚かれましても。

「ありがとう、千早ちゃんっ! そうよねっ、いつも通りの私でいいのよねっ!」

「むしろ、そのほうがいいと思いますよ。あまり気取るよりも、姉さんらしいほうが兄さんだって喜ぶと思います」

「うんうんっ、そうそう、そうよねー。じゃあ、決まりっ! 私らしく行きましょう! ありがとっ、千早ちゃんっ!」

「いえ。私はほんの少しアドバイスをしただけです」

 それに、笑顔の姉さんを見ていたいから。

「ただいま戻りましたー」

 と、声がした玄関のほうを見ると、兄さんがいろいろ荷物を抱えながら事務所へと入ってきた。

「あっ、お帰りなさい。プロデューサーさんっ!」

 その姿を見た姉さんは、満面の笑顔で玄関のほうへ。さすがは、兄さんの恋人。

「うー……なんか、沖縄よりアツアツだぞ」

 と、向かいの席でボイストレーニング用のキーボードをいじっていた我那覇さんが辟易したようにつぶやいた。

 961プロからやってきて、そろそろ一ヶ月の我那覇さん。私や姉さん、アイドルのみんなとは馴染んだようだけど、暴言を吐いたらしい兄さんとはまだまだしっくり行っていない。まあ、それも兄さんの自業自得なのだからフォローするつもりはないのだけれど。

「仕方ないわよ。どちらも初めての恋だから」

「でも、毎日毎日見せられるのはさー」

「そう? 兄さんと姉さんが幸せなら、私も幸せなのだけれど」

「千早ってば、相当な兄バカ姉バカだな」

「我那覇さんだって、お兄さんとよく電話で話したりしてるじゃない。お互い様よ」

「ちっ、違うって! 兄貴とはフツーに話してるだけだしっ!」

 懸命に否定しようとする我那覇さんだけれど、顔を真っ赤にしてる時点で本意は丸見え。ふふっ、我那覇さんもかわいいんだから。

「そ、それはともかく、本当にピヨ子に任せて大丈夫なのか? バカデューサーのデートなんてどうでもいいけど、ピヨ子が引っ張るなんてすっごく不安だぞ?」

「そうかしら。姉さんは私たちよりずっと年上なのだし、きっと兄さんのこともエスコート――」

「それはわかるんだけど、さっき千早は『いつも通りのピヨ子』って言ったよな?」

「ええ」

「その、いつものピヨ子ってさ――」

 おそるおそるといった風に、我那覇さんが苦笑いしながら会議スペースの一角にある本棚を指さす。

「ああいうピヨ子って、ことだよね?」

「あ」

 そこには、姉さんが家から持ってきた大量の同人誌とゲームソフト。

 そういえば、いつもの姉さんって、ゲームしたり漫画を読んだりして妄想して……まあ、まさかとは思うけど……

 

 ……まさか。

 

 *

 

 そのまさかという疑念がぬぐいきれなくて、いっしょにお休み私が取った行動は……尾行。

 最初はさすがにどうかとも思ったけど、我那覇さんに言われて少し不安になったのもあるし、何かをきっかけに姉さんがまた失神したりしないかって……決して、デートがどういうのか興味があったからってわけじゃなくて、その、妹として、やっぱり心配だったから。

 しっかり変装もしたし、きっと姉さんと兄さんにもわかりにくいはず。アイドルを辞めてからも登校の時などに続けているおかげで、歌声と同じくらい変装のバリエーションには自信があった。

 

『本日も東京高速臨海鉄道りんかい線をご利用頂き、誠にありがとうございます。この列車は新木場行きです』

 新木場行きとすると、新木場で降りて、京葉線で臨海公園かTDRでも行くつもりなのかしら。なら普通のデートだし、私も見届けたら途中で離れて、普通に遊んでいこうかな。

『次は、国際展示場。国際展示場です。本日は近隣にてイベントが行われているため、大変混雑しております。お帰りの際の切符の事前購入、もしくはSuica、パスネットへのチャージをお願いいたします』

 と、そのアナウンスが流れた瞬間、爛々と瞳を輝かせた姉さんが勢いよく立ち上がった……って、もしかして、次で降りるの?

 少し戸惑ったけれども、まわりに座っていた人たちもカバンや段ボールが載ったカートを持って立ち上がっているのを見ると、確かに今日ここで何かがあるのは確からしい。

 やがて電車は駅のホームに停まって、ドアが開くのと同時に多くの人がホームへと雪崩れ込んでいく。私も姉さんを見失わないようにエスカレーターへ乗り込んで、地上へと向かった。

 階段を抜けてコンコースへ出ると、自動改札の前に姉さんの姿が。ぺこぺこ頭を下げているその向かい側には、ジーンズにジャケットといつもと変わらない兄さんの姿。もう少し、こういう時には着飾ってもいいと思うんだけど……ほんと、無頓着なんだから。

 呆れながら眺めているうちに、二人も笑顔で人の流れの中へ。見失わないように私も歩き出すと……やがて、見えてきたのは逆三角形型の巨大な建物。確か、ここって……東京ビッグサイト?

 アイドル時代「Fly High!」をリリースした時にここでミニライブをしたことがあるけど、こうして埼京線で来る方法があるのは知らなかった。それでいて、姉さんがここに兄さんを連れてくるということは……

『西1ホール オリジナル専門同人誌即売会 COMI-FAIR』

 ああ、やっぱり……

 催事案内を見た瞬間、私と我那覇さんが抱いた懸念がそのまま当てはまっていたことがわかって頭が痛くなる。というか姉さん、初デートで同人誌即売会へ連れ回すというのは、流石にどうかと思います。

 ため息をひとつついてから、気を取り直して建物の中へ。途中、入場券代わりになるらしいパンフレットを購入してホールへと入った。

 ホール内には机が規則的に並べられていて、そこに本が並べられて売られていた。カタログを見てみると、いろいろなジャンルに分けられて様々な人たち――いわゆる「サークル」に所属している人たちが本を売っているらしい。

 兄さんと姉さんは、壁際にあるサークルで本を立ち読み中。兄さんが興味を持った本に姉さんが説明をしているようで、案外楽しんでいるみたいだった。しばらくは、このあたりにいるつもりなのかしら。

 それなりに混雑している中で、サークルでない人たちもいろんなサークルの本を読んだり、おしゃべりをして交流しているらしい。ずっと兄さんたちを尾行しているのもなんだから、私も少しまわって見てみようかな。

 少しホールを歩いてみると、本をではなくCDなどが積まれた地帯があった。見れば、普通に一般に売られているCDと全く同じような装丁のものもあれば、絵本タイプの同人誌の中にCDが封入されていたり、中には封筒のような包みにシンプルに封入されたものがあったりと、いろんな音楽CDが売られていた。

 ゆっくりと歩きながら見ているうちに、森の中で眠っている女の子の絵が描かれた、幻想的な絵本風のCDが目についた。その傍らには携帯音楽プレーヤーもあって、どうやらこれで試聴をさせてもらえるらしい。

「あの、試聴させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。どうぞ」

 サークルにいた人に軽く挨拶をしてから、ヘッドホンを耳にかけて再生ボタンを押してみる。

 しばらくして流れてきたのは、女の子の朗読。見本の絵本も読んでみると、どうやらこのこの絵本を元にした朗読劇と音楽が数作品が収録されているらしい。

 最初の物語は、魔法使いの嫉妬によって不老の眠りにつかされたお姫様の話。よくあるおとぎ話のような始まりだけど、白雪姫と違って助けに来てくれるはずの王子様は魔女に殺され、その魔女も長命の末に病で亡くなり、ようやく目覚めた頃には彼女のことを知る人は誰もいなくなっていた。

 時代も変わり、人々も変わり、たった一人になってしまったお姫様。過去の想い出に縛られ、一度は絶望から命を絶とうとしたけれど、逆にその痛みで自らが生きていることを実感する。

 やがて、彼女は自らの肉親や愛した人たちがいた証を見つけようと旅に出ることを決意する。新しく、自らの人生を始めるために。

 数分の朗読の後、流れてきたのは鐘の音とコーラスの声。やがて、ピアノやヴァイオリン、ギターの音も加わり、まるでケルト音楽のような世界が展開されていった。ヴォーカルは無いけれども、さっきまで紡がれた物語を自然と想起させるような、少し切なくて、だけど力強い音楽。

 ――こういう世界も、あるんだ。

 弦楽とギターのアンサンブルを衝撃音がかき消してからも、私はしばらく動けずにいた。インディーズやネット媒体での音楽もあるというのは知っていたけど、まさか、こういう音楽の創り方もあるなんて。

「あの、すいませんっ。このCD、おいくらですか?」

「えっ?! あ、えっと、二千円になります」

 二千円……確かに収録時間は短めだけれども、絵本とこのCDを合わせて二千円というのはあまりにも安すぎる。

「ほ、本当に二千円でいいんですか?」

「ええ、いいんですよー」

「それじゃあ、一枚……いえ、兄姉や友達にも聴かせたいので、二枚、いいでしょうか?」

「二枚も?! いやいや、ありがとうございます! じゃあ、二枚合計で四千円……って、本当にいいんですか?」

「はいっ、とても素敵な音楽でしたから。全部聴き終わったら、感想のメールを書かせて頂いてもいいでしょうか?」

「それはそれは、こっちとしても願ったり叶ったりですよ。それじゃあ、二千円ちょうどのお預かりで……はいっ、こちらになります。ありがとうございましたっ!」

 嬉しそうに言う女の子の隣で、深々とお辞儀をしてくれる男性。きっと、このお二人がこの本と音楽を創ったのね。

「おつかれさまです、がんばってくださいっ!」

 本を受け取った私は、その二人に敬意を表したくて笑顔でお辞儀を返した。

 そういえば、私もこうして兄さんと手売りでCDの営業をしていたこともあった。それでいて、こうして人に直接CDを手渡せたことがとてもうれしくて……だから、こうしてお二人が笑顔になる理由がよくわかる。

 軽く手を振りながらお二人に別れを告げて、私はその場を立ち去った。手持ちのバッグに、大切の2冊の絵本付きCDをしまって。

 

 結局、CDを十数枚と本を数冊購入。途中でバッグの中がいっぱいになってしまって、入りきらないCDを入れるために紙袋も買ってしまったけど……でも、こうしていろんな人の創作に触れるのが楽しかったし、姉さんがこういう場によく来る理由もわかった気がした。

 

 時折ふたりの様子を見てみると、相変わらず姉さんが兄さんをエスコートしながら、ふたりして本やCDを購入していた。そして、お昼を少しまわったところでホールから出て、また国際展示場駅へ。私も後をついていくと、構内にあるサンドイッチ店へと入っていった。

 ……って、せっかくのデートなのに、ファストフードですか。姉さんと兄さんらしいというか、もうちょっとちゃんとしたお店でもいいのではないでしょうか。

 ため息をひとつ付きながら、私は近くのコンビニで買ったカレーまんと温かい紅茶で軽いお昼ごはんを済ませた。

 

 しばらくして、サンドイッチ店から出てきた兄さんと姉さんは改札を通ってホームへ。私も追いかけてホームへ降りると、二人とも幸せそうに、楽しそうに笑いあっていた。

 姉さんがアイドルだった頃のことは、あれから改めて二人きりになったときに聞いた。ずっと孤独だと思っていたこと。でも、それは間違っていたこと。兄さんや私、そしてアイドルのみんなと出会えてよかったということ……でも、それは私も同じこと。兄さんと姉さん、春香や律子たちと出会えたことで、私はこうしてみんながいるって気付くことができた。

 こうしてふたりの笑顔を見ているだけで、私もうれしくなる。だって、私のことをアイドルとして、妹としてめいっぱい育ててくれた二人なんだから。

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