一瞬の出来事だった。
宙を舞ったア・ルトはそのまま雪の中に倒れ込み、元凶たる黒法衣は何をするでもなく虚空に消えていこうとしていた。咄嗟に突撃をかけたが、レイピアは届くことなく空を裂いた。残ったのは動かない彼女と、無力な自分達だけ。
アリゼーは呆然と立ち尽くした。
後ろではルトを心配する皆の声がするが、それを聞く余裕は今の彼女には無い。
(……また)
また届かなかった。
皆を…あの人を守るために刃を研ぎ続けて来たのに。
どれだけ研ぎ澄ましても、届かなければ意味はない。
心を覆う真っ黒な感情は、しかし覆いきる事なくかき消された。
「ア・ルト!気がついたか!」
アルフィノの声に咄嗟に振り向くと、ふらつきながら立ち上がるルトの姿があった。安堵と、多少の苛立ちとともに彼女のもとへ駆け出す。
「ルトあなた大丈夫なの!?ケガは?あのアシエンに何かされた痕跡はない!?」
「……間に合った」
「え?」
「…大丈夫、大丈夫だから。ありがとう」
「あ、ありがとうじゃないわよ!大丈夫ならさっさと起きなさいよ、心配したじゃない!!」
「ア、アリゼー…」
アルフィノが微妙な表情をする。
自分でも中々に理不尽なことを言っている自覚はあるが、心配させた方が悪いのだと責任転嫁してやる。いつもならすぐに言い返してくるだろうと返事を待っていたが、返ってきたのは
「……うん、ごめんね」
弱々しい謝罪と、悲しげな笑顔だった。
まだ足元の覚束ないア・ルトを担いで、グ・ラハはエマネランに通された部屋に入った。
『雪の家』と呼ばれるその場所は、かつて窮地に陥ったルトたちを救うため、イシュガルド四大伯爵家が一人であるフォルタン伯爵と、その息子オルシュファン卿が用意させたのだという。
彼女や暁にとって非常に思い入れの深い場所であることを、グ・ラハはすぐ理解した。
椅子を繋げて即席のソファを作り、そこにルトを寝かせる。まだ意識はぼんやりとしているようで、目は開いているがどこを見るでもなく上の空のままでいる。
グ・ラハは耐え切れなくなり、『それ』を口にした。
「ルト、本当に何も無かったのか?」
「………」
周りには心配をかけないよう気丈に振る舞っていたが、恐らく自分だけでなく他の皆も気づいていただろう。
彼女の雰囲気が、先程までと全く違うのだ。
彼女が『ア・ルト・ルナ』であることはまず間違いない。もしアシエンが取り憑いているならエーテルに異常が現れるはずだし、そうであれば自分が気づくことが出来るからだ。
しかし今の彼女のエーテルにそういった揺れは見られない。襲撃によって体内エーテルに多少のダメージは見られるものの、少なくとも彼女の体と精神は正しく結びついている。
では今の彼女から感じるこの『違和感』は、一体何なのか。
いつも明るくて、ヤ・シュトラから「ちょっとは落ち着いたらどうなのかしら」とまで言われるほどお調子者な彼女が、今は別人のように静かになって、どこか伏し目がちにも見える。たった一瞬でここまで人が変わることが、普通あるだろうか?
「…私が」
「…?」
「……私がしなきゃいけないこと…」
グ・ラハは戸惑った。
唐突によくわからないことを言い出すルトは、上の空の表情のままグ・ラハに顔を向けた。
「…お願いがあるの、ラハ」
「何だ?ルト」
「私は世界を救わなきゃいけないの」
毅然とした表情になって、ルトは言った。
「だから、力を貸して」