「お兄ちゃん、また来たよ」
「今度は俺も、一緒だ」
「京介、瑠奈、着替えを持ってきてくれたんだね。ありがとう」
夕陽の差し込んできた病室に、3人に人影が映った。私―――瑠奈と兄の京介、そしてお兄ちゃんの優一の3人だ。
「お兄ちゃん、最近調子がいいんですって。だから、リハビリもこなしてるって」
「そうか・・・」
京介は、いまだにあの事を気にしている。
お兄ちゃんにけがをさせてしまったのは、自分だということを・・・
京介の表情は、おそらく無意識なのだろうけど、自然と暗くなってしまっている。そのことを、お兄ちゃんも悟っている。でも、お互いそのことに触れていない。
お兄ちゃんが、入院するようになってしまったころは、よくそのことに触れていたけど―――。
数年前・・・
それは、お兄ちゃんが京介を助け、足を痛めた後、病院に運ばれ、手術をしている時のこと・・・。
「うぅ・・・うゎ・・・ひっく・・・兄ちゃん・・・っ」
「京介・・・大丈夫だよぉ、お兄ちゃん、絶対に大丈夫だよぉ・・・」
京介は、手術が始まった2時間前から、ずっと泣き続けている。そんな京介のことを、お母さんが抱きしめている。私も本当は、声をあげて泣きたかった。でも、一番つらいのは、京介だ。いつもはめったに泣かない京介が、声をあげて泣いている・・・。私が泣いたら、京介はもっとつらくなってしまう・・・。
だから、私は必死に、ただ必死に涙をこぼさないようにした。
それからさらに数時間、手術が終わった。
「先生、優一は・・・っ!?」
お母さんが、真っ先に駆け寄った。続いてお父さんが駆け寄った。私も駆け寄ろうとした。でも、京介は駆け寄らなかった。いや、駆け寄れなかったのだろう。京介の足は、ガタガタ震えていた。私は、クルリと踵を返して、京介のところに駆け寄った。
「瑠奈ぁ・・・瑠奈ぁ・・・兄ちゃんがぁ・・・うぅ・・・うゎぁぁぁんっ・・・」
「京介ぇ・・・」
私は、京介のことを、さっきまでお母さんがしていたように、抱き寄せた。京介は、私の胸に顔をうずめて、私の服がグショグショになるまで泣き続けた。
「優一の足が・・・動かないっ!?それってどういう意味ですかっ!?」
お父さんが、急にそう叫んだ。私と京介は、抱き合ったまま目を見開いた。京介の私をつかむ手が、さらに激しく震え始めた。私の体も、やがて震え始めた。京介が、震える足を精一杯動かして、お医者さんのところへ走って行った。
「兄ちゃんの足・・・動かないの!?ねぇ、お医者さん、兄ちゃんの足・・・もう動かないのぉっ!?もう、一緒にサッカー、出来なくなっちゃったの!?・・・俺のせい・・・!?ねぇ、俺のせいだよね・・・?兄ちゃんの足を壊しちゃったの・・・俺なんだよねっ!?」
「京介、落ち着いて・・・」
「いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!いやだっ!・・・いやだっ!」
京介は、まるで狂ったように叫び続けた。お母さんは、お父さんにすがりつくようにして泣いていた。お父さんも、静かに涙をこぼしていた。私は、頭の中が真っ白になっていた。気がつくと、私も泣いていた。ロビーの隅にある観葉植物の木に、いつの間にかぶつかるくらい、私は後ずさりをしてしまっていた。
「優一・・・入るわよ」
お母さんが震える声をなるべく出さないように、涙を1滴も流さないように、なるべく笑顔を保ったまま、お兄ちゃんの部屋に入った。お兄ちゃんは、静かにうつむいていた。
「お母さん、お父さん・・・俺の足、もう動かないんでしょ」
「優一・・・」
お父さんは、京介を抱き寄せている。私は、お母さんと手をつないでいた。私は、お兄ちゃんの視線が、京介に注がれたことに、気がついた。
私は、お兄ちゃんが京介を責めると思った。なんで自分の足を壊した、なんでサッカーボールを、木の上にあげた、と・・・。
ところが、お兄ちゃんが京介にかけた言葉は、意外すぎるものだった。
「京介、無事だったんだね。よかったよ」
「にい、ちゃん・・・?」
京介の目から、みるみる涙があふれてきた。そして、京介はお兄ちゃんのもとへ走って行った。
「にいちゃ・・・ごめんなさっ・・・!」
「大丈夫だよ、京介。辛かったよね、ごめんな」
「・・・奈・・・瑠奈・・・瑠奈っ!」
「えっ・・・あ、ごめんなさい」
昔のほろ苦い思い出に浸ってしまっていた時、京介の声によって現実に引き戻された。私は、笑顔を作って、リンゴをむきに向かった。
「京介もお兄ちゃんも・・・本当によかった」
リンゴをむきながら、私は無意識に呟いていた。
空には、うっすらと星が輝き始めていた。