精神の少女   作:恋塚 灰羅

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蔵出しです。よろしくお願いいたします。


はじまり
はじまり


 ここはアインクラッド。現実とは異なる電子の世界。ヴァーチャルリアリティという新たな未来に足を進めた結果の世界。ソードアート・オンラインは世界初のヴァーチャルリアリティを使ったオンラインゲームだ。アインクラッドはそのソードアート・オンラインという世界を形成する重要な(せかい)であった。100層で構成された浮遊城アインクラッドを攻略する、それがこのゲームのメインシナリオであった。そして今では、それが唯一の方法だった。現実世界へ帰るための、唯一の――。

 一人の天才(きょうじん)がいた。いや、ただ自分の夢に一途だっただけの天才(しょうねん)か。彼は自らの目的のためにソードアート・オンラインというゲームをプログラムした。ゲームの世界に行きたい、ゲームの世界を現実に創り出したい。そんな陳腐で壮大な夢物語のために。

 世界にとって良いことかは分からない。だが彼はその夢を果たした。果たしてしまった。世界であるためにはいくつか必要なことがあった。例えば、そこで命が生まれ、そして死ぬこと。彼はこうプログラムした。モンスター(いのち)が生まれ、モンスターやプレイヤー(いのち)が散っていく。散ったものは無に帰す。すなわち、この世界での死と現実世界での死を全く同じものとしたのだ。次に彼は世界から抜け出せないようにした。現実でそう簡単に地球から逃げられないように、プレイヤーたちをアインクラッドから抜け出せないようにした。抜け出すための条件はただ一つ、アインクラッド全100層を攻略すること。

 これにより一人の例外なくすべてのプレイヤーは阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた。それは当然だろう。プレイヤーたちは皆、天才の内心を知らないまま、ただ普通のゲームだと思ってソードアート・オンラインを始めたのだから。

 

 そうして地獄のゲーム(現実)は始まった。

 

  ◇  ◇  ◇

 

 ソードアート・オンラインが攻略されたのは、実にゲーム開始から二年が経ってのことだった。生存者はおよそ三分の二にまでなっていた。

 しかし考えてみれば二年というのはとても早いペースだと言えるだろう。100層すべてを攻略したのだとすれば一層あたりの時間は一週間だけだ。実際には75層の攻略の後にゲームクリアが認められたが、それでも一層辺りの時間は10日も無い。ゲームオーバーがすなわち死となるソードアート・オンラインにおいて、この速度はありえないと言ってもいいほどに早い。

 これはひとえに数人のプレイヤーの力があってのことだ。彼らはその秀でた能力を存分に生かし、最前を支え続けた攻略組だ。おそらく彼らのうちの誰か一人でも欠けていたならば、攻略にはさらに時間がかかったか、あるいは不可能だったのかもしれない。

 その中でも特に際立つプレイヤーがいた。彼らは全プレイヤーの希望だった。

 

  ◇  ◇  ◇

 

 いよいよである。

 いよいよ待ちに待ったソードアート・オンラインの正式サービスが始まる。自らの部屋で少女は静かに心の昂りを楽しんでいた。少女はこれからのことに思いを馳せる。VR(ヴァーチャルリアリティ)の世界で私は思いっきり走り回れる。今までやったゲームの主人公たちみたいに、今まで読んだ小説の主人公たちみたいに思いっきり動き回れる。楽しみで仕方なかった。

 少女は車椅子を回して部屋からリビングへ移動する。歩いてすぐの距離だが、こうして車椅子を使うととても時間がかかる。それに少女は既に慣れてしまっていた。

 母と姉は家にいない。片親で母は働かなければならず、この日は仕事のある日だった。姉は家計の一助とするために奨学金をもらって大学に通いつつバイトをこなす日々だった。この日はバイトの日であった。そんな二人を見て自分が役立たずのように感じたことは数知れない。それでもそれ以上に二人の愛を感じ続ける日々だった。

 少女は中学生の頃に事故にあった。父親と二人で出かけた時のことだった。そのとき姉は受験勉強が忙しくて出かけることはできず、母はそんな姉を放って出かけるのは申し訳ないからと二人で出かけるように勧めてくれた。父は大手企業に勤めていたが、ちょうどその日はなんとか取れた休暇だったため、せっかくの休みと誘ってくれたのだ。

 父と映画を見て、軽くご飯を食べてから色々と店を回って。とても楽しかった。事故が起こったのは車で帰っている最中だった。

 信号無視だった。あとから聞くと無免許運転だったという。少女と父親の乗る車が交差点を進んでいると、右側から車が突っ込んできた。少女が聞いたのはハンドルをきる音と何かの衝撃音。あとは激しい衝撃を感じるのみだった。

 少女はそのあと無事に目を覚ました。起きたのは真っ白い部屋で、何がどうなっているのか分からなかった。ちょうどその時に入ってきたのだろう姉が鞄を落として涙を流していたのは視界の隅に見えた。身体を動かそうとしたが、少女の身体はいうことを聞かなかった。

 それからは酷いものだった。食事は管を通して行われた。動かない身体は少女の運動機能を奪い、精神も奪っていった。それでも頑張れたのは母と姉の応援の声と優しい医師や看護師の懸命な世話があったからだった。

 父のことを知ったのは目覚めてから一週間後のことだった。少女と同じように意識不明の重体となって病院に搬送されたのだが、医師たちの懸命な処置も叶わずその命を失った。享年は四十七、まだまだ未来はあったはずだった。

「これで大丈夫かな」

 少女はリビングの机の上に一枚の紙を置いた。内容は『ソードアート・オンラインをやるので少し部屋にこもってます。三時には一度ログアウトします』。もしも早く姉か母が帰ってきて、少女の返事が無かった時に心配しないようにと思ってのことだった。

 少女はリビングから自室へまた時間をかけて戻る。ナーヴギアを手に取ってさあログインしようと思ったとき、ふとあることを思い出した。少女は一度ナーヴギアを机に置くと、勉強机に向かった。

 勉強机の引き出しから取り出したのは一枚の紙だった。それは遺書だった。

 退院して暫くのこと。少女は無力感と虚しさを抱いていた。母と姉は存分に愛情を注いでくれた。そのことはとてもうれしかったし、感謝してもし足りないということはわかっていた。それでも、思うように身体を動かせないということは想像以上に精神に来るものがあった。

 その時ふと頭に浮かんだのが自殺という安易な手段であった。もちろん恵まれている自分がそんなことしてはいけないとは分かっていた。分かってはいたのだが、どうしても頭からそのことは離れなかった。思うように動かせず、学校に行くことも出来ず(まだ自宅療養の期間であり、何かあってはいけないと懸念した母の愛の形の一つでもあったが、その時の少女は知らなかった)、精神が追い詰められていくのを感じた。

 少女が今手に持っているのは、その時に書いたものであった。

「ふふっ、そんなこともあったなあ」

 少女は久しぶりにその遺書を広げてみた。拙い言葉で綴った遺書は、今見ると心に来るものがあり、同時に微笑ましかった。なんとなく破棄できずに大切に仕舞っていたのだが、こうしてみるとこれはこれで良い思い出の一つのように感じられた。

「――うん、しっかり仕舞っておかなくちゃ」

 少女は元あった場所に戻すと、ナーヴギアを手に取った。さあいよいよソードアート・オンラインの始まりだ。ベッドに横になってからナーヴギアを被ると小さく呟いた。

「リンク・スタート」

 

 

 少女の運命は今決まった。少女は地獄に囚われることとなった。少女の未来は絶望に黒く染められていた。

 それでも諸君は少女の物語を知りたいだろうか。絶望の中で戦い抜く皆の希望の物語を聞きたいだろうか。

 

 ――なるほど。貴方が続きを急かすならば仕方ない。それでは始めようか。少女の生と死に満ちた物語を。

 

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