精神の少女   作:恋塚 灰羅

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再起と決意

「――どうすれば、いいんでしょうね」

 少女は小さくつぶやいた。静寂に満ちた蘇生の間の中で、彼女の言葉はディアベルの耳朶を強く打った。あたかも風のようであった。彼女の言葉は木の葉を揺らすかのようにディアベルの心を強く揺れ動かし、そして過ぎ去っていった。

 喉を絞めるかのごとき沈黙が二人を包んでいた。何も言えず何もできず、ただただ深い閉塞感が覆っていた。

 それは何に対しての閉塞感か。そんなもの考えるまでもなかった。打破することなど出来やしない。彼女の真実の一端は、確かにディアベルの中に虚ろな寂寥感を与えていた。

「いえ、分かってるんです。そんなこと分からないって。どうしようもならないんだって」

 彼女はくすりと自嘲気味に笑った。

 何もかもが変わっていた。第一層の時から見せていた彼女の強さは鳴りを潜めてしまっている。彼女は迷子になってしまった幼子で、一方で自らの死期を伝えられた末期の患者でもあった。ひたすらに迷い、先の見えない暗闇に絶望していた。

 彼女の輝きはくすんで見えない。かつての面影は無かった。

「……でも」

 ディアベルは何とか言葉を紡いだ。それは彼女に対しての同情とか彼女に対しての憐憫とか、そういったものではない。何かを言わなければならないという使命感がディアベルを突き動かしていた。

 ディアベル自身、何を言っているのかをいまいち認識できていなかった。ただ自分の思うことをそのまま口が動くに任せて言っているだけであった。

 心が籠っていないわけではない。感情が乗っていないわけではない。すべて本心のことをそのままに言っている。一切の装飾も虚飾もなく、思うままに言っていた。

 この時の一言一句をディアベルは思い出すことは出来ないだろう。何を言ったか概ねのことは思い出せるだろうが、一体どのような文言で彼女に言って、何が彼女の琴線に触れたのかはわからないだろう。

 

 しかし私が言えることが、たった一言だけある。

 この瞬間に彼女の未来が動き出した。

 たったそれだけの些細な些細な出来事である。

 

 ディアベルの言葉に少女は何か思うところがあったのか、瞠目してディアベルの顔を見つめた。

 少女の瞳はいまだ真っ黒である。しかしそれは闇のような黒というよりはむしろ黒瑪瑙のようなものであった。真っ黒ながらどこか光沢を宿した黒瑪瑙。

 少女の穢れなき輝きに、ディアベルは見とれた。ディアベルの言葉によって少女は輝きを取り戻した。ディアベルは思わず見とれてしまった。

 

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

 第二十五層はいまだ攻略に至らず。

 しかし今日この日に第二十六層への道が解放されるのだ。改めて編成されたレイドボス攻略隊の士気は高い。

 この日まで攻略組の面々はレベリングを繰り返し、またボスの情報を得られるイベントをこなしてきた。以前の絶望とは違い、彼らには十分な勝算があった。

 何より一番大きいのは二つ名をつけられるほどの強力なプレイヤーが幾人も参加しているということだ。類稀なる剣の冴えを魅せる《閃光》、圧倒的な反応速度と高い技術力を持つ《黒の剣士》、誰よりもレイド部隊の面々を熟知し高度なレベルで指揮を執る《青の騎士》。第一層の時からずっと活躍していた彼らが、絶対にこの戦いは勝てると誓った。ここで決めて見せると意気込んでいた。

 

 そして何よりも。何よりも"そのプレイヤー"がいる。

 

「この戦い、絶対に勝つぞ!」

 ボス部屋の前で《青の騎士》ディアベルが叫ぶ。応えるようにプレイヤーたちから鬨の声が上がった。この戦いで長い第二十五層を終わらせる。その強い意気込みが現れていた。

 

 

 すべての攻撃を受け止めてレイドを支える姿に、ディアベルは彼女の輝きを見た。

 彼女の輝きは確かにあの時まで失われていた。ディアベルが彼女に出来ることなど何も無く、他のプレイヤーも彼女に出来ることは何もないだろう。彼女の苦悩は他の誰もが取り除くことなど出来ない代物で、けして過去は変えられないものだからだ。

 だけれども今はこうして輝きを見せている。ただ一心不乱にただ無心に今日この日まで彼女は戦いに身を投じていた。それは死を望んでのことかもしれない。だけれどもそれは彼女の力となっていた。

 《The Dual Heads Giant》。第二十五層のフロアボスである双頭の巨人を前にして一切の怯みを見せず、並みのプレイヤーであれば即死級の攻撃を怯えずに受け止めていた。

 一撃ならば大丈夫。だが二撃目は。三撃目は。そんな風に思って誰もが怯えてしまうだろう。そうしてマージンを十分にとることは大切だし、否定する必要もない。しかし全員がそうであってはジリ貧でしかないのは明らか。

 彼女は怯えを見せない。確かにオレンジラインを割ったら、レッドラインに到達したら、回復のための離脱はする。だけれども死への恐怖は一毫も見せない。顔を背けず、腕を下ろさず、足は竦まず、ただただ真っ直ぐに巨人に立ち向かう。しっかりと彼女自身の役割を全うしていて、完璧にスイッチをこなす。

 彼女は終始安定感を保っていた。ひたすらに堅牢な要塞だった。

 双頭の巨人の巨斧は非常に高い火力を誇っている。人並のプレイヤーであれば一撃で、あるいはこの最前線で戦う攻略組のプレイヤーであってもスピードアタッカータイプの――防御力を犠牲に素早さを求めるようなプレイヤーならば一撃をぎりぎり耐えられるかどうかである。たとえ盾戦士であっても三撃耐えて、四撃目がどうだろうかというレベルだ。

 だが付け入るスキは大きい。攻撃力に特化している分、双頭の巨人の速度は遅い。速度特化ならばある程度の余裕をもって回避が出来る程度には遅い。攻撃範囲でそれを補ってはいるが、それでも隙と言うに足るほどの遅さだ。

 そして今回は彼女がいる。彼女が攻撃を集め、時には回避しきれなかったプレイヤーの前に出て受け止める。その態勢が出来ているからこそスピードアタッカ―のプレイヤーたちは安心して攻めることが出来るのだ。

「ぉおおおおっ!」

 誰かが雄叫びをあげれば力強い一撃が叩き込まれる。誰かが鋭い一撃を入れれば誰かが鼓舞するかのように力強く叫び声をあげる。プレイヤーたちは全員で一つの大きな群れとなっていた。ディアベルが手や足へと指示を出す頭となり、キリトやアスナたちが敵を打ち払う爪や牙となり、少女やヒースクリフら盾戦士たちが攻撃を寄せ付けない強固な鱗となった。

 すべては第二十五層を攻略するため。すべては先の戦いで打ち倒された仲間たちへの弔いとするため。彼らは一振りの剣であり、一帖の盾であった。

 

 気が付けば激闘は終わっていた。地に倒れ伏す双頭の巨人をプレイヤーたちは虚脱感を抱きながら見下ろしていた。達成感はあった。だがそれよりも疲労が身体を包んでいた。

 この戦いでも死人が出てしまった。あれだけの一体感があってもなおいくつかの命は失われてしまった。あと七十五層、どれだけの死人が出てしまうのだろうか。

 とはいえ差し当たっての壁であるクオーターポイントは切り抜けた。そのことを喜ぶべきだろう。ディアベルは彼らを弔う意図も込めて、勝利の鬨の声をあげた。疲労感に包まれながらも、他のプレイヤーたちもそれに応えるように雄叫びをあげる。ここに第二十五層は攻略されたのだと吠えた。

 

 ヒースクリフは少女を見つめていた。雄叫びをあげるプレイヤーたちをあたたかな目で見つめ、一方で死したプレイヤーたちに冥福を祈る彼女を。それは自信を含む攻略組を最前線で守ってくれた壁戦士へと向ける目ではなく、冷徹に冷酷に理解不能なものを見つめる瞳だった。

 

 

 少女は想う。

 この殺人遊戯(ゲーム)から多くのプレイヤーを守ろう。

 この世界(アインクラッド)の灯が消える時まで、一人でも多くを助けよう。

 もう腐ってなどいられない。もう絶望などしていられない。

 そんな時間があるのならば多くを救おう。とにもかくにも助けよう。

 この世界(ソードアート・オンライン)が終わるその時まで。或いは自分が力尽きるその時まで。

 なぜなら少女はそれ(・・)に希望を見出したから。自らの絶望の霧を払いのけて太陽のように注いだ暖かな光に魅入ったから。

 

 

 これにて第二十五層の一幕は終わりを告げる。

 少女は最期の誓いをここに立てる。救える命をすべて救う。ただそれだけの大きな大きな誓い。

 少女の誓いは多くのプレイヤーを死の運命から救い出すだろう。

 

 

 第二章 了




これにて蔵出しはおしまい
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