現実世界では十二月になっているだろう日のことである。少女は攻略会議のためにトールバーナの広場にいた。まだ始まる時間ではないが、人はおよそ二、三十ほど集まっていた。誰もが少女のことを見たことがないのか、少し遠巻きに見るばかりだった。
少女は武器の斧の手入れをして待つことにした。耐久値はNPCの鍛冶屋に行けば直してもらえるが、それでは迷宮区にいるときに不便である。キバオウと会ったときは、前日に鍛冶屋に行くのを忘れてしまって耐久値が落ちてしまっていた。それを踏まえて少女は自分でも手入れができるよう、砥石のアイテムを購入していた。
斧の手入れというのはやってみると意外と面白い。手入れをすることでより愛着がわき、さらに上手く扱えるようになった気分にさえなる。少女は刃を研ぎながら楽しげに微笑んだ。
斧を研ぎ終えると、少女は隣に座る男を認識した。ずっと夢中で気づいていなかった。
男は大柄で筋肉質だった。スキンヘッドで厳つい人だったが、表情は人好きするような屈託ないものだった。
「よう、嬢ちゃんも攻略会議に参加するのか」
「誘われましたからね」
少女は笑顔で答える。
「っと、自己紹介していなかったな。俺はエギルっつうんだ。嬢ちゃんと同じ斧使いで、少し興味を持ったってわけよ」
「エギルさんも斧を使っているんですね。私は【----】と言います」
「硬くならないでいい。ゲームの中じゃ年上も年下も関係無えからな」
豪快にエギルが笑う。そのさまがとても気持ちよく、少女も一緒に笑った。
傍目には美女と野獣のようにも見える光景だが、二人はそんなことも気づかない様子で話に盛り上がった。お互いのプレイスタイルから始まり、どんな斧を使っているのか、どこで手に入れたのかなど互いに談笑していた。
「そういや【----】、そっちはソロだったみたいだが大丈夫だったのか?」
エギルは軽い気持ちで少女に尋ねた。
「ほら、大切断よ。たぶん病院にでも搬送されたんだろうが、その間にナーヴギアとの通信が途絶えるだろう。それで意識が飛ぶって現象だ」
少女は思い当たる節などなかった。意識が断絶した瞬間など今までで一度もなかった。敢えて言うならば、広場に転移するあの一瞬だけ意識が途絶えたようにも思えたが、それは転移したからだろう。少女は曖昧に笑った。
「んー、たぶん私は寝てる間にでもあったかなあって思います。その現象を経験していませんので」
「そういうこともあるのか。いや、大切断喰らって死にかけた奴を知っているからよ。なんとかその時は切断されてなかったパーティーメンバーが助けたみたいだが」
少女は心配そうにエギルの顔を覗き込むと、エギルは軽いノリで「まあ俺のことなんだがな」と笑って言った。あまりにも軽くさらりと言ったため、ぽかんと少女は呆けた顔をした。
エギルはわしゃわしゃと少女の頭を撫でつけて豪快に笑って見せた。心配する必要はないと言っているようで、少女も笑顔を浮かべた。
そうだとエギルは少女にフレンドの申請をする。少女はそういえばそんな機能もあったと思い出して、その申請を快諾した。フレンドリストにエギルの名が刻まれ、少女はなんだかうれしくなった。初めてのフレンドに、少し心が温かくなった。既に少女とエギルの間から大切断の暗い話題は除かれていた。エギルがいつかこのアインクラッドで商売人をやりたいと言って、少女は、だったらその時は私が商品を卸しましょうかと笑いあった。ソードアート・オンラインという死のゲームの中の温かな一幕だった。
しばらくして、広場の中央に一人のプレイヤーが歩いてきた。エギルはパーティーの仲間のところに行くようで、少女は彼に紹介がてら一緒に行くかと誘ったが、少女は丁重に断ってその場に一人で座っていた。もちろんエギルの仲間のところには行ってみたいのだが、なんとなく別にいいかとも思ってしまった。それにどうせこの会議が終わったらすぐに迷宮区に行くだろうから、結局話す時間は作れないだろうとも思っていた。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう! 俺はディアベル。気分的に
広場の中心に立つ青髪の彼はディアベルという名前だった。とても張りのある声に軽い冗談で場を和ませていた。少女は純粋にすごいと思った。天然なのかわざとなのかは少女にはわからなかったが、死のゲームという環境であそこまで堂々として冗談を言って周りを和ませるなんて、普通はできないと思っていた。
「こうして最前線を進むみんなを集めた理由は、きっとみんな分かっていると思う。今日俺らのパーティーが最上階につながる階段を見つけたんだ! おそらく明日か明後日にはフロアボスのいる部屋が発見されるはずだ」
その言葉に、多くのプレイヤーが盛り上がりを見せた。少女は、あれと首を傾げた。
(最上階の階段って、きっとあれだよね。まだ見つかっていなかったんだ?)
少女はすでにその階段を見つけていた。最上階もある程度は回っていた。それが自分だけだったことに驚いた。
いや、もしかしたら違うのかもしれない。他のプレイヤーも見つけたけど黙っているのかもしれないし、ディアベルが敢えて今日と言ったのかもしれない。もしもっと早くに見つけていたと言えば、情報を独占するなと非難されると思ったのかもしれない。
実際には、ディアベルの言ったことは本当だった。少女は知らなかった。少女が最も早く迷宮区の最上階に到達したプレイヤーだということを。少女がここにいるプレイヤーの中で一、二を争うレベルの高さだということを。もしかしたら、圧倒的な一位だったのかもしれない。
「俺たちトッププレイヤーには、このゲームが攻略不可能なんかじゃないってことをみんなに知らせる義務があると俺は思う。だってそうだろう、俺らが皆を率いてあの茅場にぎゃふんと言わせたいだろう」
少女はそうなのかもと思った。そして同時にそうでもないかもしれないとも思った。
考えてみれば自分以外にプレイヤーは相当数いるはずだ。しかしこのトールバーナは活気があまりない。つまり多くのプレイヤーはここにたどり着いていない――いやもっと噛み砕いて言えば、多くのプレイヤーはまだ最初の町に留まったままなのだろう。
ディアベルがさらに言葉を紡ごうとしたとき、一人のプレイヤーが声をあげた。それは少女も知るプレイヤーだった。
「ちょう待ってぇな、ディアベルはん」
訛りの強い言葉は、少女の記憶に新しかった。毬栗頭の男、キバオウである。
「ディアベルはんの言う通り、確かにワイらはこのゲームを攻略せなあかんゆうのはその通りや。せやけどそん前に、ワイらに謝らなあかんプレイヤーも居るやろ」
キバオウは大げさに周りを見回して、大げさな仕草を取りながら続けた。
「βテスターや。βテスターがワイらを置いてったせいでどれだけ死者が出たか言うんは分かるやろ。βテスターが皆に情報を伝えていれば、こないなことにはならなかったはずや」
ふうんとまるで劇か映画でも見るように少女は眺めていた。何せ少女はβテスターのことなんて、ほとんど考えたことがなかったのだから。
それからキバオウはまくしたてる。βテスターのせいで死者が多く出たのだから、βテスターはしっかりと賠償をしなければならない。しっかりと皆に謝罪をして、今までの稼ぎを他のプレイヤーのために供出すべきだと。広場のプレイヤーはキバオウの言葉にそうだと頷くものもいたが、それ以上に冷めた目で見つめるものが多かった。
少女は広場を辞すことにした。今日はいつもよりも迷宮区にいる時間が短くて、何か落ち着かない気持だった。まだボスのいる部屋が見つかっていない以上、ここからの会議の進展はきっとないだろう。明日以降の会議に備えて、これから迷宮区でレベル上げでもしようと思った。
少女が立ち去るとき、エギルが立ち上がってキバオウに何かを言っているのを横目に見た。
翌日である。少女は迷宮区で一日を過ごしていた。戦うのが楽しくて時間を忘れてしまうほどだった。
少女はあれから最上層を進んでいた。ボス部屋を探すのが主たる目的だったが、最上階に出てくるモンスターに身体を慣らしておくことも考えていた。上の階に行けば行くほど、モンスターのレベルやAIは洗練される。まだ第一層ということでそこまででもないが、それでも無視できない程度には差があった。
それにしてもと少女は思った。エギルの言った大切断は、いったいどんな感じだったのだろうかと考えた。少女が眠った時以外で、意識が途絶えた瞬間は今まで一度もなかった。せいぜいが広場に転移した瞬間くらいである。大切断がどんなものだったのか、少女には分からなかった。
ただ、迷宮区で戦っている時に起こらなかったのは僥倖だと言えるだろう。もしも起こっていたのならば、一緒に戦う仲間がいない自分は死んでいたに違いない。もしものことを考えると寒気がする。
少女が最上階を進んでいると、プレイヤーたちを目にした。大きな扉の前で何やら話していた。近づいてみると、それはあの会議で進行役をしていたディアベルたちのパーティーだった。
少女が声をかける前に相手も気づいたようで、軽く手をあげてきた。
「君は――、昨日の会議に来てくれたプレイヤーだね。俺はディアベル、よろしくな」
いかにも気さくといった感じで、昨日の会議と変わらない印象を受けた。少女は軽く自己紹介をしてぺこりと頭を下げた。
少女は大きな扉を見上げて、ディアベルに話しかけた。
「これが第一層のボス部屋、ですか?」
「みたいだね。えっと【----】、俺たちは少し偵察していこうと思うんだが、君はどうする?」
「せっかくですし、私も戦ってみます」
「分かった。装備とかは大丈夫かな? んじゃ、行こうか」
少女が頷いたのを見て、ディアベルはボス部屋の扉を開けた。ギイイと軋んだ音をたてて扉がゆっくりと開いていく。ディアベルのパーティーはそれぞれの武器を構えた。
ぼっと部屋に明かりが灯った。中にいたのは巨大なコボルド。《Ill Fang The Kobold Lord》。第一層のフロアボスだ。
コボルドの
彼らの心情を知ってか知らぬか、少女はコボルドの王に走っていた。先日戦ったコボルド・ナイトとは比べ物にならない強さに、心が震えた。ゲーマーなら誰しも感じたことがあるだろう。強敵を前にした時の歓喜と、それに立ち向かうことへの嬉しさを。
少女は心の底からゲーマーであった。仮想世界の死が現実の死となる世界になって、自由な足と走り回るだけの体力を得て、少女はこの世界を誰よりも楽しんでいた。だからこそコボルドの王と対峙して、恐怖よりも絶望よりも何よりも先に、少女は歓喜を心に抱いた。
少女の斧はコボルドの王の斧と噛み合い、激しい金属音を鳴らした。あたかも威嚇の咆哮のような斧の叫びは、
少女に負けるなと言わんばかりに、ディアベルらも前へ前へと走っていく。狙いはコボルド・センチネル。少女とコボルドロードの戦いを阻害させまいと丁寧に対処していった。彼らの奮闘のおかげだろう、少女とコボルドロードを邪魔するものは何一つ無かった。
少女は一人でコボルドロードと戦った。斧を振るって、コボルドロードの一薙ぎを受け止めて、また振るって。コボルドロードの一撃は重い。しかし少女は砦の如き固さを備えていた。ボスの攻撃は致死の一撃になり得なかった。少女は、だからこそコボルドロードと対等に戦えていた。
さて。しかし少女一人ではどうしようもならない。一人で稼げるダメージなどたかが知れている。いくら固いとはいえすべてのダメージをゼロに抑えることなど不可能で、次々と湧いて出てくるコボルド・センチネルをたった一パーティーで食い止めることも至難。少女は初めてのフロアボス戦に高揚していたが、ディアベルは膠着した盤面を冷静に見抜いていた。
「【----】、撤退しよう」
ディアベルの言葉は少女を戦いの熱から引き戻した。少女は周りの状況に気づき、自分の状況に気づき、うなずいた。少女は周りを見えなくなってしまった自分を恥じ入っていたが、ディアベルのパーティーメンバーは彼女を褒めた。よく一人で抑えてくれた、おかげでたくさんの情報が得られたと。
こうして少女とディアベルらの偵察戦は終わった。フロアボスの部屋の扉が閉まる瞬間、少女はコボルドロードと目を合わせた。ただのプログラム相手だったが、少女は強い戦意を抱いた。次こそは私が倒して見せる、少女はコボルドロードの敵意にあふれた瞳に誓った。